杉村ぐうたら日記(1996年6月1日〜10日)

▲1996年6月1日:土曜日:幸せの形
▲1996年6月2日:日曜日:二次コン
▲1996年6月3日:月曜日:女性と接点を持たずに生きる
▲1996年6月4日:火曜日:車上泥棒には気をつけて
▲1996年6月5日:水曜日:凄い過去の記憶の中の音楽
▲1996年6月6日:木曜日:紅白歌合戦出場への近道
▲1996年6月7日:金曜日:唄っている最中に笑わせるなよ
▲1996年6月8日:土曜日:さよなら エラ・フィッツジェラルド
▲1996年6月9日:日曜日:売れなかった人シリーズ『フェビアン』
▲1996年6月10日:月曜日:かっこいいイントロと間奏
1996年6月1日(土曜日) 幸せの形
スヌーピーの漫画(正確には『ピーナッツコミックス』)の中でこんなものがあった。
チャーリーブラウンとスヌーピーがクッションにもたれて寝そべっている。そこでチャーリーが「時々なにが幸せなのか判らなくなるときがあるんだ」とつぶやく。
このピーナッツコミックスは、犬のスヌーピーを中心として子供達が主人公の漫画で、大人は一切出てこないと言うことから子供向けと思っている人もいたりするが、時として深い哲学的なものも少なくない。
この「時々なにが幸せなのか判らなくなるときがあるんだ」と言うチャーリーの問いかけにもその深さがある。
で、つぎのコマでスヌーピーがチャーリーに向かってボールを投げている。で、チャーリーには判らない犬の言葉で『ほらボールだよ』とつぶやく。
が、チャーリーはそのままの姿勢でため息をついている。
最後のコマでスヌーピーが『犬には有効なんだけどな』とつぶやいて終わる。

なんか、何も考えずに読み捨てるとそのままの話なんだけど、この漫画の主題は「幸せは人それぞれ」と言うことなのかも知れない。
ふと日常で自分が上手くいっていない時、他人の幸せを妬んだりしてしまうことがあるけれど、やっぱり自分の幸せは自分の尺度でしか発見できないものなのかも知れないなぁ・・・と、そのたった3コマの漫画を読んで感じたりするのであった。
1996年6月2日(日曜日) 二次コン
 知人と話をしていていわゆる「二次元コンプレックス:二次コン」と言う話題になった。
 俗に言うアニメなどに出てくるキャラにいれあげて「萌〜」とか言っている連中のこと。
 自分はあんましアニメ自体に興味がないのでよく判らないけれど、それなんかにはまりこんでいる人にとっては真剣な問題らしい。
 うーむ。その手の人ってのは「女性に興味がない」のか「女性に相手にされないから、そっちに走ったのか」と言う部分が難しいんだけど、一部から「だって女性って恐いもん」みたいな意見もあったりする。あるいは「女性ってがさつでしょ」みたいな・・・・それって、昔は女が男に対していっていた言葉ではないか?
1996年6月3日(月曜日) 女性と接点を持たずに生きる
 二次コンはよく判らないけど、確かに生活の中で女性とほとんど接点を持たずにいてきている男と言うのも多い。
 と言うことは、パソ通の世界を垣間見て判った事実なのだが(などと書いてまた敵を増やすんだよなぁ)。
 某ネットで、某氏が何気なく「その時彼女が」と言う話題を振ったことがあった。
 その内容は果てしなく日常的なことで、どこも自慢げではなかったし、その某氏も別に嫌われキャラではなかったのだが、数人のBBS常連のディープな連中が突然 「彼女だって?無理すんなよ」などと書き始めたのだ。
最初、その意味が分からなかったのだがどうやら彼らは「パソ通をやっているような俺達に彼女なんているハズがない」的な意見だったらしい。
 ううううううううむ。こりゃかなり特殊な意見だと思うのだが・・・・。

 別の某ネットでも以前自己紹介で20代後半でもうすぐ30歳と言っていた人物が恋愛ネタの時に「ボクはいままで女性とつき合った事がないんだけど」と言いつつ、延々と恋愛論について語り始めたことがあった。
 その恋愛論は激しく思いこみだけで構築されていて、女性をあまりにも美化しすぎて、でもは凄く表面的なことしか判っていないような内容だった。
 それ以前に30歳近くで堂々と「つき合ったことがない」と書けるのは、なんか寒いって感じもしちゃうのだ。
 確かに女性と接することなく人生を歩んでいる人もいる。
 そうなると、いわゆるアイドル的な女性がほほえんでいるTVなんかを見て激しく理想的な綺麗な部分だけの恋愛をしちゃうんだろうな・・・・
 だけどそのアイドルだって生身の女性だし、アイドルになる位だから普通の女性より功名心高いと思う(偏見有り)ので、スキャンダルを起こしたり、それなりの年齢になると結婚なんかしたりする。
 そーゆー生活を30代ぐらいまで続けていると、好きだったアイドルが恋愛して結婚して消えていくと言うのを何度か経験したと思うのだ。

 で、最終的に「アニメの中の女性なら大丈夫」と落ち着くのかもしれない。

 とは一概に言えないのはその手の二次コンを中学生ぐらいから続けて、初恋相手さえアニメの人物だったりする場合もあるらしい・・・・・。
1996年6月4日(火曜日) 車上泥棒には気をつけて
 友人の奥さんが、香貫山方面の「POPマート」にちょっと立ち寄ったのだが、そこで見事に車上泥棒にやられてしまった。
 買い物に出た為にサイフなんかは無事だったのだが、携帯電話・免許証・カード関係をごっそり盗まれたそうだ。

 しかし見事と言うのは、その時間が本当に3〜4分の短時間だったと言う事なのだ。
 で、警察が言うには「ここには常連のドロがいるんだよ」って、だったら要警戒区域にしろよぉぉ

ワシなんか、自宅に車を停めるときにはカギなんか基本的にかけなかったけれど、最近はちゃんとかけるようにしとるっす。

 うむ人を見たら泥棒と思えってのは哀しい話だが、そうしないといけない様な世の中になって来たのだなぁ
1996年6月5日(水曜日) 凄い過去の記憶の中の音楽
たぶん、小学校低学年の頃だと思うんだけど、近所で青年団主催の盆踊り大会があって、一般的な音頭物+オバQ音頭なんかに混じって、現代風の音頭があった
タイトルや歌っている人とかは全然判らないのだが、メロディや詩はばっちり記憶の中に残っている
「今から31年(だと思う)経ったら、この世は21世紀、二人はどうしているかしら ××××××××××(不明)」って歌詞で、ラストは「シャンララシャラララ」みたいな感じで終わる曲
知っている人・・・いないよなぁ。
簡単な曲データでも作って、どっかの音楽系ネットで聞いてみようかな。なんか夏になるたびに思い出して、イラついたりするんで・・・・
1996年6月6日(木曜日) 紅白歌合戦出場への近道
なんかNHKがアマチュアによる歌唱コンテスト見たいのをやっているらしい。
いわゆる歌手になる為のコンテストね
ま、BSでもNHKはBSヤングバトルと言うバンドコンテストを行っているから、ふふ〜んってな感じなんだけど、このコンテストの優勝者への副賞が「紅白歌合戦出場」なんだって。

今は権威がかなり落ちたけど、紅白歌合戦って言ったら歌謡界の頂点。歌手だったら誰でも憧れる、最高の晴れ舞台ってヤツでしょ。
それに、コンテストで優勝したと言えども、実績がまったくないアマチュアが出演できるっていうのは下積み時代何年とかで、やっと憧れの紅白に出られるって言う歌手に取っては侮辱みたいな物じゃないのかなぁ?

視聴率が落ちているとかで(と言っても50%だよ)毎年、何かしらテコ入れをしているんだけど、返って初期に戻ってシンプルな番組にした方がいいんじゃないのかなぁ
もう10年近く紅白なんて見たことないけど (笑)、出演者の名前見ても、知らない人がけっこう居たりする。(演歌は元々知らないけど)ま、自分には関係ないや (笑)
1996年6月7日(金曜日) 唄っている最中に笑わせるなよ
こないだの夜、友人が突然訪ねてきてカラオケボックスに行くことになった。ま、大勢で行ってだらだらと唄うって訳ではなく二人切りだから、ひたすら唄いまくって帰ってくる!と言う事で行った。
私は「必殺女性アイドル全集」状態で、とにかく「あ」から知っている女性アイドルの唄をひたすら唄うと言う作業をした(1番のみ)おかげで「わ」の渡辺満里奈にたどりついた時は声が出なかったけれど。

その中でキャンディーズの曲もあったのですが、選曲は渋くデビュー曲「危ない土曜日」(知っている人少ないけど)って感じで唄い始めた。で、画面に映し出される歌詞を見ていて・・・思わず吹き出してしまったのが、歌詞が誤植状態だった。

それもよりによって「あなたが好きな・・」と言う箇所の「た」が抜けて「あなが好きな・・・」になっていた。うーむ、そりゃ穴が好きな人は多いだろうが(笑)
それ以降は笑ってしまって歌えなかったっす。
孫悟空の「キャンディーズ・危ない土曜日」は要チェック!(VOWネタになるかも、これ)
1996年6月8日(土曜日) さよなら エラ・フィッツジェラルド
 僕はジャズボーカル物と言うのはあまり聴かないのだが(ジャズは演奏物ばかし)エラ・フィッツジェラルドだけは、好きでCDもかなりの枚数所有している。
 ここ数年はエラおばさんの体調が思わしくないと言う噂も聴いていたが、もう80歳はとうに越えているし・・・と思っていたが、先日お亡くなりなったそうです。

 あのエネルギッシュで、優しげで、人生の深みを感じさせるエラおばさんの歌声は永遠に人々の心に残ると思います。安らかにお眠り下さいませ。
合掌
1996年6月9日(日曜日) 売れなかった人シリーズ『フェビアン』
1986年頃から1990年頃まで活動をしていた日本のロックバンド
リーダーでギター&ボーカルの古賀森男はレベッカの第2期(一番最初に売れた頃)のギターをしていた人なんだけど、レベッカがキーボード主体のバンドになってしまい自分が本来目指していた音楽と違うと言うことで脱退をして、このフェビアンという3人組のグループを結成した。
(レベッカ自体ギターが定着しないバンドで、解散するまでに5人ぐらい入れ替わったと思った)
3ピースバンド(ギター&ベース&ドラムス)と言うことでレコードはオーバーダビングを少し加えているが、音はシャープで鋭い。
作詞作曲も古賀森男がやっているのだがこれも不思議なシャープさと力強さに満ちている。
たぶんCDは3枚リリースしただけだと思うが、どれもが名作。これと言って奇抜な曲はないが、音楽によって何を伝えたいのか?と言う思いがストレートに伝わってくる。
今、聞き直すと、これから数年後に「渋谷系」と言って局地的に流行ったジャンルの先駆者的な感じもする(もっとも同時期にすでにフリッパーズギター第1期がデビューしているけれど)
なんか、これが売れなかったのは何故なんだろうと思ってしまうようなバンドでした。

1989年頃、古賀森男は遊佐未森とクリスマスシングルをデュエットでリリース
解散後1993年頃、古賀森男はソロデビュー(最近は名前も聞かないが)

1996年6月10日(月曜日) かっこいいイントロと間奏
日本のバンドや歌謡曲系ですごく気になるのが、イントロなんかが無茶苦茶ソリッドなギターで始まってギュィンギュィンと盛り上がる曲があったりする。「おぉぉカッコイイ」とか思ってしまうんだな。
で、歌が始まった途端に、リズム感、高揚感が消し飛んでいたってつまらない普通の曲になってしまう場合が多くある。
「あぁつまらない曲だなぁ」とか思いつつも聞いていると、間奏になった途端にふたたび生き生きとした曲に戻ったりする。うーむなのだ。
これは大体、作曲家とアレンジャーが違う場合に多い。作曲家が持ってきた古くさい退屈な曲をカッチョよくするのはアレンジャーの腕の見せ所だ!と、アレンジしてそーなっちゃうのだな。

先日も東京パフォーマンスドールのCDが中古で500円だったので買ってしまったのだが、アレンジまではもろ今風のレイヴ系と言うのか、ひと昔前のジュリアナ系と言うのか、オケヒバギバギの曲なのだが・・・
曲のメロディ自体が、思いっきり70年代のマイナーが少し入った歌謡曲で「なんだよこれ?」状態。リズムだけはドムドムドムドムッと重低音して前のめりに来るのだが、その上に乗っている曲が・・・・なんか、違うって気がする。
ま、別のジャンルの融合と考えればいいのかも知れないけれど、なんかただ「レイヴ風にやってみました」って状態。
根本的になにかが違うような気がする。