杉村ぐうたら日記(1996年7月21日〜31日)

▲1996年7月21日:日曜日:学研の押し売り商法?
▲1996年7月22日:月曜日:本を読む場所
▲1996年7月23日:火曜日:The Presidents of The United Statesof America
▲1996年7月24日:水曜日:売れなかったシリーズ6『プライベーツ』
▲1996年7月25日:木曜日:  
▲1996年7月26日:金曜日:歌謡曲と言うジャンルでふと思い出した
▲1996年7月27日:土曜日:奥田民生『イージューライダー』
▲1996年7月28日:日曜日:『Jeffrey Foskett / Thru My Window』
▲1996年7月29日:月曜日:あぁ勘違い
▲1996年7月30日:火曜日:歌謡曲と言うジャンル
▲1996年7月31日:水曜日:アマチュアじゃいられない!
1996年7月21日(日曜日) 学研の押し売り商法?
 今はどうか知らないけど、僕が子供の頃、学研の「学習」「かがく」は学校に業者が来て売っていた。
 たしか、販売に来る数日前にお知らせがあって、学校の玄関脇なんかで代金と引き替えに雑誌&付録をもらっていた様な気がする。
 だから、私のようにいつもウッカリしている人は、家で「学研とかがくのお金ちょだい」と言い忘れたりして、販売当日(2日ぐらい来てたかな?)に友だちが買った雑誌を横目で見て「くうう」等と思ったものだ。(小学館の「小学○年生」って雑誌は書店売り)

 しかし、基本的に付録が目当てだったんだけど、これがまたチャチイんだな。すぐ壊れる。
 だが、子供は先月の事なんてスッカリ忘れて、翌月になると欲しがってしまうのだ。雑誌の内容は、ためになることも書いてあったが、基本的に勉強に繋がる話題ばかりで、いまいち面白くなかった様な気がする。
 それに比べて「小学○年生」はTVアニメやウルトラマン関連の記事なんかも掲載されてて楽しかった。(当時は、手塚治虫が「がむがむパンチ」赤塚不二夫が「玉ねぎタマちゃん」藤子不二雄がすでに「ドラえもん」を連載していた)
 だが、漫画が多くて、TVの話題もあるって事で、「小学○年生」は学校売りは出来なかったんだろうな。「小学○年生」は付録も学習物じゃなくて、ペーパークラフト「江戸城」とかだったし(これは凄かった。パーツが多いのと、完成した時のサイズの大きさも)

 学研はそう考えるとずるいぞ。PTAを味方に付けたりして。
 それに、子供の頃読んだので一番記憶に残っているのが、学研には珍しく別冊漫画が付いていて、それが少年と少女が天才科学者の発明した薬で小さくなって体の中の病原菌をやっつけに行くと言う話だったのだ。
 絵を描いていたのは、今思うと、かなり下手な人だったんじゃないかな?
 しかし当時の私は、この漫画のアイディアにいたく感銘を受け、その後、子供向けの人体の医学関連の本を読み漁った記憶がある。
 が、中学に上がった頃、そのアイディアは映画「ミクロの決死圏」の完全パクリだと言うことを知ってショックをうけたのだ。
(さらに「ミクロの決死圏」はTV版鉄腕アトムの中の「38線上の怪物」と言うエピソードのパクリだったらしい。元になったアトムの話はTVアニメシリーズとしてアメリカでも放映されていた)
うーむ、学研。怪しい出版社。
1996年7月22日(月曜日) 本を読む場所
 我が家に来たことのある人は、知っているだろうが、私の家のトイレには本棚がある。
 と言っても難しめの本などは置いておらずに、「4コマ漫画単行本」「VOW」「謎本」「映画ガイド」なんかがラインナップされている。後は水木しげるの「妖怪全集」とか「ブラックジャック」とか、いわゆる短時間で読める物が中心だったりする。
 元々、トイレって所は集中する事が出来るので本を読むのに実に適している。
 以前は、便意をもようして来たら、まず本を選ぶと言う作業をしていた。うーむうーむ、などと色々な意味で唸りながら本を選んだりするのだ。
 こんな時にふと、以前から読もうと思っていた推理小説なんかが目に止まったりしたらさぁ大変。
 優柔不断な性格で、途中でシャキッと行動を切り上げることが出来ない私は、推理小説を最後まで読んでしまったりするのだ。2時間近くトイレに入ってしまうことになる。しかも下半身丸出しで2時間、本を読む。これほど間抜けな図はない。

 こりゃまずいって事で、基本的には短時間で読み切れる物がよい。
 しかも、あまり頭を使わない物、と言うことで選択肢の中に漫画が浮かんでくるワケだ。
 漫画と言っても、ここで「ドラゴンボール」なんつー全40何巻なんて長編物を選んだりすると大変だ。
 これを途中まで読んで切り上げなくてはならない場合は、トイレに入ってスッキリした反面、気分的に残尿感が残ってしまうという、よくない状態を産む。
 しかし、短編だからと言ってトイレ用に「美味しん坊」などを選択するのも、困り物だ。
 で、私の場合は「いしいひさいち」のコマ漫画がメインになってくるのだ。
1996年7月23日(火曜日) The Presidents of The United Statesof America
 The Presidents of The United Statesof Americaと言う長い名前を持つバンドのCDを買った。日本語に訳したら「アメリカ合衆国大統領」そのまんま。

 このバンドの曲は、1〜2年ぐらい前にTVのCMで聞いて(ナレーションをデイブスペクターがやっていた)それ以来、見かけたら買おう。と思いつつ、チャンスが無く。現在に至っていた。
 今回、たまたま「すみや」に寄ったところ輸入盤の中にこのCDがあったのでついつい購入。
 輸入盤って事で、ライナーノーツなども全然無いんで、バンドの経略や、個人のプロフィールなんかは全然判らない。

 中ジャケットを見る限りでは「おかしなバンド」と言うのは判るが、うーむなのだ。
 音の方は、軽いけどツボを押さえたアメリカンロックというか、ブリティッシュロックに影響を受けたアメリカンロックと言う感じ。
 凄く単純で、バンドは演奏上手くないけど、かっこいい。
 しかし、どこでもこのバンドの名前を聞いたことがない。
1996年7月24日(水曜日) 売れなかったシリーズ6『プライベーツ』
 それ以前から兆候があったが、平成に年号が変わり「イカ天」と言う番組が火を付けるような形で「バンドブーム」と言う物が日本音楽界に吹き荒れた。
 猫も杓子もバンド。実力も才能もないようなバンドさえもがプロデビューした。
 ヒューズ・カステラ・ピーズ・BAKU・ジッタリンジン・オーラ・・・・なんかもう名前さえ思い出せない (笑)

 そんな時代より少し前にデビューした「プライベーツ」
 実に、かっこよくて、馬鹿で、やんちゃで、渋くて、ポップで、私は好きなバンドだった。
 その全ての要素が1つになったってのは、想像しにくいかもしれないけれどこのバンドはそれを満たしていた様な気がする。

 ロックってのは、テクニック至上主義ってのもカッコイイが、勢いでいったれ!みたいのもカッコイイ。
 ギターをガッビーン!と全身を使って引き下ろすってのは、それだけでカッコイイのだ。
 歌なんかも勢いだ!声が枯れたって音をちょっとぐらい外したって気にすんな!って感じがカッコイイのだ。
 で、曲の方もポップでファンキーな上に、実に細かいところでツボを抑えたアレンジなどをしていたりする。

 しかしバンドブームと言うのは、馬鹿でホコ天なんかでお友達感覚で音楽をやっているバンドなんかに人気が集中していて、バリバリにロックしてるぜ!俺たちゃ真剣にロックやってんだぜ!みたいなバンドにはきつい時代だった。
 プライベーツも売れたい!と言うのは見えて、CMソングなどにも使われたが、ヒットにまでは至らなかった。
 結局、バンドブームの終焉と言う波に押されて、それ以降あまり名前を聞かなくなってしまったが、まだまだ少しメンバーチェンジをしたぐらいで生き残っているのだ。
 こーゆーバンドは時代に関係なく生き残ってほしいと思う。
1996年7月25日(木曜日) 
1996年7月26日(金曜日) 歌謡曲と言うジャンルでふと思い出した
 歌謡曲と言うジャンルでふと思い出したのだが、1970年代の前半頃のレコード店の商品区分の中に「歌謡曲」と言うのが無い店があった。そーゆー店では「流行歌」と書かれていたりしたのだ。
 流行っていようがいまいが、その手の音楽は(どの手だ?)「流行歌」と書かれていたりしたのだ。うーむ。

 1960年代のアナログシングルなんかを見てみると、やはり「流行歌」と書かれているのがある。
 売れていようがいまいが、ヒット曲が1曲しかなかろうが『○○○○ヒット曲全集』と言うのを出してしまうその辺の人達は、思いっきりがよくてかっこいいなぁとか思ってしまうのだ。
1996年7月27日(土曜日) 奥田民生『イージューライダー』
 奥田民生『イージューライダー』
 問題はこの曲ではない。
 実はカップリングされた曲が、かの「ルパン三世」のエンディングソングなのだ。
 『足〜元に〜ぃぃからみ〜ぃぃつく〜(中略)わるさ〜Pぃさんじゅーはちーぃ』って奴。うーむ、声がオリジナルに似ている。
 しかし、何故、奥田民生、この曲を今頃コピーする?
1996年7月28日(日曜日) 『Jeffrey Foskett / Thru My Window』
Jeffrey Foskett / Thru My Window / PICP-1115

 すみやの視聴CDで聴いて一発で気に入り、思わず買ってしまった1枚。
 このジェフェリーフォスケットは80年代のビーチボーイズに参加した人で、88年の全米No.1ヒット「ココモ」にも参加していた人。色々な人のレコーディングにも参加して、キャリア的には凄い物を持っているんだけど、今作がソロとしてはデビューアルバムと言う事になる。
 子供の頃からビーチボーイズを聴いて育ち、ついに憧れのビーチボーイズに参加!と言う、音楽好きな人にとって幸福な道を歩んできた人だったりするのだ。(ライナーノーツより)
 日本だと、そんな長期に渡って活動しているグループって少ないから、あんましそんな事ってないだろうから、本当に羨ましいって感じ。(キングトーンズとか寺内タケシブルージーンズぐらいか?)

 音の方は「ビーチボーイズの新作」って感じがして、好きな人には堪らない世界。この人は本当に好きで音楽をやっているってムードがあって、僕は好感を持てた。きっと悪い人では無い!
 さらに1曲目に入っている「Dancing Girl」って曲は、彼が今の奥さんにプロポーズする為に書いた曲らしい。このエピソードだけで「こいつ、いいヤツ」ってのが判る。やっぱ愛でしょ基本は。
 ビーチボーイズと言えばサーフィンソングが基本だが、その辺はちゃんと抑えている。
 さらにビーチボーイズのもう1本のテーマ「ドライブソング(ホットロッド)」もちゃんとある。ホットロッドっていうジャンルは、ドライブをテーマにした曲だけではなく、車やバイクに対しての愛を語るとか、そーゆー系統の音楽を総称しています。(日本ではRCサクセションの「雨上がりの夜空に」「ブンブン」とか、どっちかと言うと不良系の曲が多い)
 この中では「Go!Go!Mario(ゴーゴーマリオ/いかしたマシンでぶっとばせ)」って曲がそれで、マイケル・アンドレッチと言うF1のレーサーに捧げられていたりする。
 最後に日本のみのボーナストラックで「FISH」と言う曲が収められているんだけど、これって山下達郎の「踊ろよフィッシュ」のカバー曲。なんか、CMソングになっているらしいけど、ビーチボーイズマニアの山達の曲だから違和感なくてかっちょいいっす。
 偶然、視聴コーナーで聴いた曲だったんだけど、突然この夏のお勧めCDになってしまった。なんか得した気分。


 しかし、私がビーチボーイズを知った70年代〜80年代中期までってのは、ビーチボーイズってのは過去の遺産を食いつぶしている様な「あの人は今」的な印象のバンドだったっす。

 1966年にリーダーが、それまでのビーチボーイズのイメージを払拭するような『PET SOUNDS』ってアルバムを作ってから、レコード会社とトラブル続きで、結局1970年に自らレーベル「ブラザー」を作ったのだが、音楽的な意志の高さとファン層が噛み合わず、低迷しっぱなし。
 ファンは基本的に「海・車・女の子」を扱った曲を待ち望んでいた。
 結局、昔の曲を集めたベストアルバムが全米1位を獲得したりした為に、「Rock'n Roll Music」などオールディズを集めたアルバムを作ったりしたのだ。

 1980年代に入って、過去の作品群を超えようとビーチボーイズらしいビーチボーイズに戻ろうとした矢先、オリジナルメンバーのデニスウィルソンが水死してしまい、また5年以上活動休止に追い込まれてしまう。

 で、1985年にアルバム「ビーチボーイズ」で復活を果たし、1988年映画「カクテル」の中に「ココモ」が使用されたわけっす。
 で、1966年の「Good Viibrations」以来、実に22年振りの全米1位を獲得!てな感じっすから「ココモ」が入門になった人は多いと思います。
 私は、山下達郎&大滝詠一の流れでビーチボーイズを知った。

1996年7月29日(月曜日) あぁ勘違い
 かのジェームスブラウンのライブに、過激なラップで有名な「クーリオ」が出演したらしい。
 が、客層にラップなどを聴くような人は全然いなくて(向こうじゃラップは基本的に子供の音楽って感じで大人には無視されるケースが多い)会場はシーン状態だったらしい。
 そもそも、ジェームスブラウンもラップは大嫌いで、ライブの最中ずっと不機嫌な状態だったそうだ。

 なぜ、そんなブッキングをしたかと言うと、ジェームスブラウンがライブの企画が上がったときに「フリオ(イグレシアス)と共演をしたい」とスタッフに言った所、スタッフが聞き間違えてクーリオをブッキングしてしまったのだ。

 向こうは一度ブッキングした後でキャンセルとかすると、裁判ざたになったりして面倒な事になったりする為に、そのまま行ってしまったらしいのだが・・・・・。
 いい迷惑なのはクーリオだな。出演依頼を受けて、意味無く嫌われて。
1996年7月30日(火曜日) 歌謡曲と言うジャンル
オフ会の時に出た話題なんすが「歌謡曲と言うジャンルは基本的にない」 そうざんす。歌謡曲と言われている物は雑食です。その時代時代で流行った音楽、最新の音楽を吸収してしまうのが歌謡曲。だから私は好き。あえて「歌謡曲が好き」と言うのだ。 今の、小室系と呼ばれるあれだって、基本的には「歌謡曲」でしょ?ただ単にプロデューサーの名前が前面に出ていて、アーティストっぽい感じになっているが、やっている事は歌謡曲だってば。 70年代の雑誌「宝島」と言うと、かなり進歩的な、アンダーグラウンドな雑誌で、難解な音楽あるいはシリアスなロックなどを全面的にバックアップしていたのだが、78年だかに突然「だから歌謡曲」などと言う、歌謡曲大絶賛のムックを発売したりした。(逆に言うと、正統派と思っているロックなどの音楽から見てアンダーグラウンドなのかも知れないが)これには、友人を含めロックな読者には不評だったみたいだ。 ま、そんな深い考えでなく私は歌謡曲(特にアイドル歌謡曲)が好きだったりするのだ。もちろんジャンルとしての変な意識はないけどね。
1996年7月31日(水曜日) アマチュアじゃいられない!
アマチュア時代とプロになってからを比べると、やっぱしアマチュアの時の方がやりたい事をやっている!って感じもして、かっこいい。と言うの、やっぱしね「売る」と言う部分が絡んでくると、難しい事は多いっすね。 たとえば、レベッカってバンド。 デビュー当時は、リーダー小暮'シャケ'武彦を中心としたばりばりなギターバンドだったのだが、いまいちヒット曲が出ない。で、ディレクターは、当時流行っていたのが、テクノの流れを受けたシンセを多用したポップロックだと言う事に注目をしたのだ。結局、レベッカをキーボード中心のバンドにする事を勧めるのだ。もしそれがイヤならレベッカはレコードを出せない。 あくまでもギターバンドに固執していたリーダーが脱退。キーボードの土橋がリーダーになって、新生レベッカは動き出すのだ。そして、ディレクターの狙い通りに売れ始め、そこからは怒涛の快進撃。てな感じ。 やっぱしバンドなんかを担当するディレクターなんかは、趣味で「このバンドは売れそうにないけど、好きだよなぁ」とか言ってられ無いワケで、時代などを読んで如何にしたら売れるか?と言う事を考えてしまうのだ。難しい問題だよなぁ