杉村ぐうたら日記(1996年8月21日〜31日)

▲1996年8月21日:水曜日:賛・歌謡曲
▲1996年8月22日:木曜日:なんか話が合わない歌謡曲ファン
▲1996年8月23日:金曜日:アメリカのグラフ雑誌『LIFE』
▲1996年8月24日:土曜日:「BOOGIE BOX HIGH」
▲1996年8月25日:日曜日:ラフィンノーズ
▲1996年8月26日:月曜日:八王子・荒井呉服店の娘は贅沢三昧
▲1996年8月27日:火曜日:じじいの時間感覚は壊れている
▲1996年8月28日:水曜日:篠原ともえ 凄いヤツ
▲1996年8月29日:木曜日:中国の音楽マーケット
▲1996年8月30日:金曜日:海外で通用する日本ミュージシャンは?
▲1996年8月31日:土曜日:堂々とされてもね
1996年8月21日(水曜日) 賛・歌謡曲
何回も言うようだが私は歌謡曲と言うジャンルなきジャンルが好きだったりする。
昔から周囲にギターを弾いたりする人が周囲に多く、いっぱしのミュージシャン気取りのヤツの前で「俺歌謡曲って好きなんだよ」と話そう物ならば「え〜」と言われたまま話は終わってしまうのだ。そんな風に低くみられてきたジャンルだった。
が、そんな不遇の時代を生き抜いて私は歌謡曲というジャンルを愛してきた。

歌謡曲が何故、バカにされてきたかと言うと「洋楽のパクリ」「魂がない」「作り物」「歌手が下手」「しょせんアイドル」「子供向け」等というありがたいレッテルを貼られていたワケっす。
私はパクリって言う事を犯罪みたいに追求している姿勢ってのを理解できないっす。
音楽なんてどれもこれも何かの影響を受けて作られているっす。それに良質なパクリはオリジナルを越える。そー思っているざんす。自分も意識してパクリをしようと思った事があるんですが、あれは才能が無いとパクれない。パクる為には音楽的素養と言うのが重要になってしまうワケっす。

「魂がない・作り物」ってあーた、世の中にあふれる音楽の中で作り物じゃない音楽なんてあるんすか?ま、魂のほとばしりを歌にしました!なんて事をほざく人もいるだろうが、イントロはこう来ればかっこいいし、サビはこーすりゃ盛り上がる、間奏はこんなフレーズ入れたら渋いだろーな、ラストのサビはこんな感じで繰り返せば印象に残る、などと計算が山盛り。どの曲も作り物なんだってば。

それに魂がないって・・・・よくメッセージソング(っぽい)曲を盛んに歌っているアーティストがいたりするけど、毎年1枚アルバムを作ってその中で10曲なりのメッセージソングを歌っているのって嘘臭くない?そんなに個人の周りにメッセージする事は転がってないってば。そんなアルバムを10年以上出し続けていたら、ただの説教爺いだってば。
それに「魂が」とかって、そんなに音楽に深い物を求めていないもんな。たとえば深そうな事を歌いつつ自己陶酔の演歌ってジャンルも「魂の音楽」っすよね。実は深そうな事を歌うって楽な事だったりする。それにメッセージソングみたいのを歌っている歌手でも、実は作詞家は別の人の場合もある。

あと「子供向け」「歌が下手」ってのは否定しないっす。事実、下手だもん。多くのアイドル歌手が。でもアイドルと思われていない歌手の中にも下手な歌手は多いっすよ。私は基本的に「声質」ってのを求めてボーカル物を聞いている部分がある。その手の歌手ってどんな歌を歌ってもよいな〜と思ってしまうっす。
男性歌手だと「沢田研二」「藤井フミヤ」女性歌手だと「松田聖子」「石川ひとみ」「太田裕美」(最近の歌手いないな)あたりは、どんな歌を歌っても声質が前面に出て名曲にしてしまう才能を持っていると思う。
前述した「プロの歌手」みたいのも良いんだけどね。

あと歌謡曲って言ってもあなどれないのが、バッキングの演奏。じっくり聞き込んでみるとむちゃくちゃ上手いのがあったりします。だてにプロと名乗っていないって感じ。
あんまし歌謡曲をバッキングで聞くって言うのはマニア臭くて良くないのかも知れないけど、1970代後半の歌謡曲は「ティンパンアレー」「キャラメルママ」「スペクトラム」「サディスティックス」と言った凄腕ミュージシャンたちが支えていたりした。
細野晴臣・高橋幸宏・松任谷正隆・後藤次利・高中正義・鈴木茂・村上ポンタ・斉藤ノブなどなど、書き始めたらキリがない程、凄いメンツがバッキングをしていたりする。
そんなワケで歌謡曲を私は愛し続けているのです。
1996年8月22日(木曜日) なんか話が合わない歌謡曲ファン
そんなワケで歌謡曲を追い続けて早◎◎年の私なのですが、歌謡曲が好き!と言う人と話が合わないことが多い。

正面切って自信を持って「歌謡曲が好き!」と言い放っている人と話をしてみると「俺はこんなにマイナーな曲まで知っているんだぜ」と言う自慢大会になってしまったりする。これは歌謡曲マニアだけに限った事ではなく、アニメマニア・漫画マニア・あるいはコンピュータマニアでも、とにかくマニアな会話の行き着くところは同じだと思う。

最終的に知識量の自慢になってしまうのだ。そして勝ち残った少数派の間でマニアックな共通言語で「うふふ」と盛り上がったりしていたりするのだ。うーむ、これはなーんか違うような気がする。

だから歌謡曲評論の雑誌(ミニコミだなほとんど)や単行本なんかを読むと「こーんな曲知らないだろー」って曲名が羅列してあって、それについての解説をしていたりするのだ。
その解説に興味を持って聞こうと思ってもすでに廃盤になっている様な(しかも発表された当時ですら売れなかったので中古でもほとんど出回っていない)曲を嬉々として評論されても困るよなぁ。しかも「えっ?知らないの」なんて顔されてもなぁ。
私はマニアではなく、ただ「好き」なだけだったりする。流行った曲が好きなのだ。でもって、歌謡曲と言われるジャンルの肌触りが好きなのだ。

で、もっとぶっちゃけた「アイドル好き」な人と話をしてみても、その違和感は拭えない。音楽の話に到達しないのだ。その好きなアイドルが歌っている歌なら何でもOKみたいな感じもあったりする。うーむって感じになってしまうのだ。

そー言えば自分もアイドル好きなのかな?と思っていたのだが、厳密に言うとそうではないのかもしれない。これまで何人も好きなアイドルと言うのがいたような気がするが「歌を歌っている場合に限定する」と言う感じなのだ。うーむ。

いぜん斉藤由貴と言う歌手が好きだった。危ういファルセットに特徴のある歌い方が好きでアルバムはたぶん全部持っていると思う。が、彼女の場合はアイドル歌手と同時に女優でもあった。世間一般では女優としての評価の方が高いと思うのだが、自分は斉藤由貴のドラマ・映画を見た経験が皆無に等しい。TVでちらっと見たぐらいで、あとは全く興味がない。うーむなのだ。基本的にアイドルマニアではなく、アイドル歌謡曲マニアなのだな。

そんなワケで歌謡曲が純粋に好きなワケだったりする。それ以外の音楽もとにかく好きだけどね。
1996年8月23日(金曜日) アメリカのグラフ雑誌『LIFE』
数年前にアメリカで最も権威があると云われていたグラフィック雑誌『LIFE』が廃刊になった。そのニュースを聞いたときに「嘘だろ〜」って感じだった。
取りあえずアメリカ発の世界的な雑誌と云えば「プレイボーイ」か「LIFE」ってのは子供の頃からの常識だった。アメリカ人で成功した人なら「LIFE」の表紙になりたいってのは、夢だった。
そんな雑誌が経営上の理由とか、ジャーナリズムとしての使命を果たしたとかで、数年前に廃刊になった。

で、今日読んだHDPの通信販売コーナーで「LIFE」の古本が出ていた。
1960〜1970年代の「LIFE」を2冊セットで\5,760だって・・・・。とりあえず、どんな内容の「LIFE」が届くかは着いてからのお楽しみ。みたいな事を書いてある。この雑誌の中にはその時代のアメリカ文化のすべてが凝縮されているのだ。どの「LIFE」も希少価値に富んでいる。と書かれている。
うーむ、中古の「LIFE」ってだけで、内容を問わずに1冊\2,880か。

私、実は1960年代の「LIFE」を2冊持っているんです。
しかも両方ともビートルズ特集号。もしかして・・・・凄い値段じゃないのかな?うーむ、1980年頃に東京関町の古本屋で1冊50円で買ったんだけど (笑)

さらに、当時その古本屋に大量の「LIFE」が全部50円で出ていたので、中の写真みたさで40冊ぐらい買った。が、東京の部屋を引き払うときに、ほとんど捨てて来てしまったっす。40冊だとして「購入金額\2,000」「現在価格\115,200」うーむ。下手に物を捨てるもんじゃねぇな
1996年8月24日(土曜日) 「BOOGIE BOX HIGH」
なんかいつ発売されていたシングルなのか全然情報がないんですが「BOOGIE BOX HIGH/ブギーボックスハイ」ってグループが出した曲が日本発売されているか知っている人いませんか?

なんとこのグループ「ポールウェラー・ジョージマイケル・ニックヘイワード」の覆面グループだって事で、それぐらいしか情報ないんですが (笑)
うーむ聞いてみたい。とにかくポールウェラー好きなんで。
1996年8月25日(日曜日) ラフィンノーズ
前に「本当に復活したの?」てな話題が出てましたラフィンノーズですが、やはり復活していたみたいです。新曲をリリースしているとか、その辺の情報は判らないのですが、ピストルズ復活来日に絡めたイベントがあるんですが、それに出演するという記事が雑誌に載っていました。

場所とか詳しい日時が載っていなかったんですが、「パンク生誕20周年」とか云うイベントで、9・10・11月と3回行われるそうです。
まず9月のイベントは「ダムド」のオリジナルメンバー、デイブバニアン&キャプテンセンシブルを中心に「バズコック」「ザ・スタークラブ」でのライブ
10月のイベントは「ラフィンノーズ」「ジャイガンダー」「GBH」のライブ
11月のイベントは、遂に来日する「SEXピストルズ」のライブ
って事になっているみたいです。

昔のグループサウンズの「あの頃はよかったよな〜」みたいなイベントにならない事を祈る (笑)
みんなでコーラスするなよぉ (笑)
1996年8月26日(月曜日) 八王子・荒井呉服店の娘は贅沢三昧
なんか8月に行われた荒井由美(松任谷じゃなくてね)のライブは凄かったみたいす。

ギター・鈴木茂
キーボード・松任谷正隆&武部聡志
ドラムス・林立夫
パーカッション・斉藤ノブ
コーラス・山本潤子

って、ここにベース細野晴臣が参加したら、モロ『ティンパンアレー』『キャラメルママ』じゃないすか。贅沢なバッキングメンバー
さらに、往年のフォークデュオ『BUZZ』も参加して、大ヒット曲「ケンとメリー」までやったそうだってからビックシだなぁ。このスカイラインの初代CM曲のオリジナルバージョンにはソロ歌手デビュー前のユーミンがピアノで参加していたりする。
うむむむって感じだなぁ
1996年8月27日(火曜日) じじいの時間感覚は壊れている
昨日の帰りにふとカーラジオを付けた。で、そこで「懐かしの曲リクエスト特集」と言うのをやっていた。松田聖子のデビュー当時の曲から、チェッカーズの曲から・・・・

流石に松田聖子のデビュー当時の曲は懐かしいって感じがするが、途中から「うーむ」って思ってしまったのが、そこで流されている曲が、自分に取ってはつい最近の曲って感じの曲がけっこう入っているのだ。

しかし考えてみると、10年近く前の曲。
高校の頃を思い出してみると、たった3年前の中学の頃に流行っていた曲って言うのは、遥か昔に流行っていた曲ってイメージだった。
10代の頃に聴いた曲っていうのは、1年前の曲でも「懐かしい」って感じになってしまうのだ。それはある種充実した生活を送っていたからなのかな?
高校1年の時と、高校3年の時では「人生経験色々積みました」って感じで凄く思い出すべき事が多いような気がする。が、社会人になってからの3年なんてあっと言う間。
やっぱし時間に加速度がついてしまうのは20代、しかも就職してから。たしかに就職した後ってのは生活に変化も少ないし、昔ほどじっくりと音楽を聴かなくなってしまうし、それなりに理由はあるのだと思うが。
うーむ、5年前の曲を「懐かしい」と思わずに「つい最近の曲じゃん」って思い始めたら、確実に老化が始まっています (笑)
じじい道を突き進む

1996年8月28日(水曜日) 篠原ともえ 凄いヤツ
最近いくつかの番組に出演して、そのハイテンションの為にビートたけしやダウンタウンから「疲れる」と言われている篠原ともえを知っているかい?
もー何も考えずに発言して、ただ大騒ぎをしている、身近にいたら蹴りを入れたくなる様なキャラクター。現に浜田雅功に平手打ちを喰らっている (笑)

彼女は電気グルーブがプロデュースした曲でCDを3枚も出している歌手だったりもするのだが、その曲もキャラクター同様壊れている。ま、電気グルーブの曲そのままって気もしないではないが、彼女には似合っている。

今まで、(言い方が悪いが)ピントのズレた事を売りにするような女性歌手は何人もいた。戸川純とかその系統ね。だけど、その手の人って「デカダンス」がどーとか「アバンギャルド」がどーとか、いわゆる文学的路線に向かっていったりして、どっかで知的な壊れ方をしているって感じを演出していた。

しかしだ、この篠原ともえの凄い所は文学を感じさせない壊れ方をしているのだ。ただ単に壊れている。この先、いつまで壊れ続けているかが楽しみ。それ以前にTVの枠にあの壊れ方が治まりきるかが不安だが (笑)

> あれって、地なのでしょうか?それとも、芸風なんでしょうか?
> 芸風ならえーかげんタチ悪いし、地ならもっとタチわるいです。

あのタチの悪さが私は好きです (笑) あくまでもTVの中のキャラクターとしてね。
歌手として見た場合は「どこまでムチャクチャな曲が歌えるか?」って部分で興味があります。もうじきファーストアルバムが発売されるそうなんで期待していたりします(シングルはすでに3枚出してる)プロデュースをしている石野卓球(電気GROOVE)は嫌いではないので。

それに、あのキャラクターをどこまでコントロール出来る司会者がいるか?と言う部分でも期待もてます。
1996年8月29日(木曜日) 中国の音楽マーケット
ここ数年アジアと言う音楽マーケットが注目されているが、一部の中ではアメリカなんかと比べたらたかが知れている。と思われている。
が、まだ音楽未開の地みたいに思われている中国も凄い事になっているらしい。
なんせ人口14億人でっせ (笑)
日本の1億何千とかと比べると、うひゃーって気がしますな。その中でどれくらいが都市部に生活して、CDなんかを購入する層になのかわからないけれど、現時点で一番売れたCDの枚数が550万枚だって。凄いっす。
この春に中国でデビューした「上海パフォーマンスドール」は上海市内だけでも15万枚を売り上げて(中国全土ではまだ集計が出ていない)いるらしい。バラードかロックしか無いって状態に近かった中国音楽界にアイドルという概念がやっと芽生え始めつつあるらしい。
これからの音楽は全方位なのだ。デジタルな部分では国境はなくなりつつあるしね。

なんか話だと、中国って国は開放政策以降、新しい文化が怒涛のように流れ込んできて、どれもこれも中国人民には目新しく我先にと機械類を揃えるのがステータスになっているみたいです。戦後の高度経済成長期の日本みたいに。
だから、ソフトが充分に出回っていないハードでさえ普及率はかなり高いらしいです、でDVD(だっけ?)なんかも予約予約で日本の比ではない普及率になりそうらしいです。

そんな感じで日本の音楽業界はこれまでの中国にはなかったビジュアル優先のアイドル歌手というジャンルに目を付けたらしいっす。
DVDが普及すれば、さらにそれに拍車をかけそうな感じ。
1996年8月30日(金曜日) 海外で通用する日本ミュージシャンは?
今、発売されている『FMステーション』って雑誌で「海外で通用する日本ミュージシャンは?」と言う特集を組んでいる。

このFMステーションって言う雑誌、他のFM誌とちょっと違うのは発行しているのがダイヤモンド社って言う、基本的には音楽な出版社じゃなくて他には「経済誌」「借家情報誌」「車専門誌」なんかを出版している雑誌社だったりする。だから、あまり深く音楽業界との癒着がなくって、かなり辛辣な事を書く場合もある。
と、言ってもそのアーティストを好きな人も読んでいるので頭ごなしにけなしたりはしないけど。いわゆる辛口な所もあるし、その上ジャンル関係なく扱っている節がある。なんせ今出ている号の表紙は「V6」だったりする。

で、今回の「海外で通用する日本ミュージシャンは?」と言う特集もどっちかと言うと「金に物言わせて海外進出とか言っていたり、カッコつけて英語で歌っていたりすっけど、通用するワケねぇじゃん」ってな感じの特集にも見える (笑)

【やっぱし外人は痛切に感じているワケだ】
ピーターバラカンが『FMステーション』の中で「日本に音楽批評は存在しません」と言い切っている。

この人の偉い所は、なぁなぁのTV音株ヤ組が多い中でかつて深夜にやっていた「ボッパーズMTV」と言う硬派な音楽鑑賞番組の司会をやっていた。司会と言うより、全てこの人の趣味の番組だったのだ。
普通の音楽番組の場合「こういう音楽を流す番組を企画しているんで司会者はこの人」って感じでキャスティングされ、構成作家なんかが選んできたビデオクリップなんか流すだけだったりするんだけど、ピーターバラカンは全部自分で選曲をしてダメな作品にはダメと言っていた。好きなアーティストをベタ誉めなんてしなかった。
で、時々視聴者のリクエスト曲の特集もあったんだけど、ここでピーターバラカンは普通のパーソナリティならば言わない様な発言をした
「僕はヘビーメタルが大嫌いなので僕の番組の中ではかけさせません。いくらリクエストしてもダメです」

これは賛否両論あってメタル好きな人からは猛反発があったが、番組のパーソナリティが本当に自分で好きな音楽をみんなに紹介するプログラムって事で僕は好感を持った。なーんか視聴者にコビを売って流行の曲をかけたりする必要もないしね。
実際の所そんな風に「私はこの曲が嫌い」と発言する事さえ、パーソナリティには許されていないのが現実。確かに直に本人がゲストで来た場合はちょっと困ってしまうだろうなぁイヤとも言えずに。
音楽批評と言う面では、この『FMステーション』で何人かの外人音楽ジャーナリストの人が日本の音楽業界は変だと言っている。音楽業界のみではなく全てにおいて批判的な批評は許されていないらしい。
映画業界も某氏が試写会で見たある映画の事を批判的に書いたら、その後その映画会社から試写会のチケットが一切届かなくなったらしい。つまり批評をして貰う為に試写会をするのではなく、ちょうちん記事を書いて貰うために試写会を開くって事なのだな。

【英語で歌う】
同じく『FMステーション』にて
数人の外人が日本人アーティストが歌っている英語の曲を聴いて、その発音・歌詞・楽曲についての感想を述べている。

松田聖子 
     発音はほぼ満点・言葉を丁寧に歌いすぎているのでネイティブな英
     語じゃないのが判る。音楽的にはマドンナの真似。
     40点満点で(36点)
久保田利伸 
     発音がナチュラルじゃない。一音一音を途切れて聞こえるためにス
     ムーズに聞こえない。歌詞の単語の選択のしかたも変。音楽的には
     ありふれている。
     40点満点で(31点)
森高千里 
     rとlの発音がなっていない。もろカタカナ英語。曲はユニークだ
     と思うが。
     30点満点で(15点)
フリッパーズギター 
     これって英語?理解できない。歌詞を読んでも意味が通じない。曲
     はいいと思うけど。
     30点満点で(3点)
矢沢永吉 
     やはりrとlが発音できない。もごもごして聞き取りにくい。
     40点満点で(23.5点)
槙原敬之 
     ほとんど問題なし、微妙に母音の発音が違うが、そのまま聞いたら
     英語圏の曲だと勘違いする。
     40点満点で(38.5点)

フリッパーズのは日本人の私が聞いても「英語じゃない」って気はしてましたが (笑) うーむ歌詞自体が英文法としてなっていないか・・・・・・・・・どうした?東大生!
それにしても槙原敬之、うーむ。彼の場合、全曲英語のアルバムだけど海外進出を狙ってレコーディングしたわけじゃない所が清いな。
1996年8月31日(土曜日) 堂々とされてもね
 ここ2〜3年ぐらい、ヘアヌード解禁状態ですが、本当は法律上ではダメなんでしょ?
 いわゆる「芸術」と言う大義名分があってヘアヌードはOKだと思った。だから、いわゆる男女のからみ系の写真ではヘアは見せてはダメなんだと思った。あれはまだ芸術でなくて、扇情を催すものらしい。
 でも、いろんな雑誌にヘアヌードが氾濫しています。
 いわゆるコンビニ売りの、一般誌みたいな物でも平気でヘアヌードが掲載されていたりする。で、必要以上に目にする機会が多かったりする。

 で、最近思う事が、ヘアを見せては行けなかった頃の写真に比べて、最近の写真はアングルが凄く安易になってしまった。って感じ。あんましハッキリ検証したワケではないのだけれど、モデルの取るポーズに全然工夫がない様な、はいどーぞ!って感じになってしまった様な気がする。
 やっぱし、見せてはいけないっていう、規制されていた部分が人類に工夫をする力を与えていたのだなぁ。