杉村ぐうたら日記(1996年9月11日〜20日)

▲1996年9月11日:水曜日:私を通り過ぎていった音楽たち (笑)
▲1996年9月12日:木曜日:自分の中学男時代
▲1996年9月13日:金曜日:職業:アーティスト
▲1996年9月14日:土曜日:『GS』&ベンチャーズ
▲1996年9月15日:日曜日:ファンを辞めるってどーゆー事なの?
▲1996年9月16日:月曜日:音楽的時代論
▲1996年9月17日:火曜日:ウルセイ・ヤツラ
▲1996年9月18日:水曜日:『THE BEACH BOYS / STARS and STRIPES Vol.1』
▲1996年9月19日:木曜日:有名人を(過去形?)見てしまったのだ
▲1996年9月20日:金曜日:知的なあなたへ
1996年9月11日(水曜日) 私を通り過ぎていった音楽たち (笑)
 最近、朝の通勤の際に、一時期好きだったが、この頃全然聞かなくなったアーティストを連続してまとめて聞き直す。と言う作業をしている。
 その当時の自分にフィットしていた音楽が何故フィットしていたのか?時代的な物だったのか?等を検証して、自分の原点に遡ってみようと思ったりしている。
 今の自分が好きな音楽ってのは、当然これまで聞いてきた音楽的経験の上に成り立っているのだろうと考えてみたのだ。(ま、そんなに難しい事を本気で考えたワケじゃなかったりするけど (笑))
 やっぱ、その時代、その時代で自分を楽しませてくれた音楽に感謝したいと思ったりする。
 ところが、ときどき「何でこんなの好きだったんだろう?」と言うのもあったりする。実に凡庸とした楽曲。うーむ、と考えて聞いてみる。時代に踊らされた部分も多少あるのだろう。
 でも、基本的に何も変わっていないんじゃないかって気もしたりする。中学の頃に聞き始めた音楽をそのまま引きずっていたりする。
 後ろ向きって意味じゃなくて、音楽の原体験ってヤツなのだろうな。
1996年9月12日(木曜日) 自分の中学男時代
 音楽を音楽として聞き始めたのは中学生の時。その頃よく聞いていたのはと思い起こす。
 やっぱりビートルズを代表とするブリティッシュサウンドには今でも目が無い。
 当時一番ミーハーじゃなく硬派な音楽評論雑誌だった「新譜ジャーナル」で紹介されていて興味を持って聞き始めたはっぴいえんど(→大滝詠一&細野晴臣&松本隆)。
 教習で来た女の先生の家に遊びに行ったときに聞いて好きになったサディスティックミカバンド(→加藤和彦&高橋幸宏&高中正義)。
 アネキが聞いていて染み込んだグレープ(→さだまさし)。
 一番最初に聞き始めたラジオの深夜放送があのねのねだった事でコミックソングの世界にも行ってしまったし。
 その辺が原点だなぁ。

 さらにジョンレノンが「ボブディランは凄い」と言ったなどと言うインタビュー記事を読んで(ビートルズ時代のインタビュー)、今度はボブディランを聞いてみる。そして、さらにディランのバックバンドをしていたザ・バンドを聞いてみる。
 あるいは細野晴臣と大滝詠一が関係していた「はちみつぱい」と言うバンドが名前を変えてメジャーデビューしたムーンライダースを聞いてみる。時には、別々に好きだった細野と高橋幸宏が結成したYMOを聞いてみる。
 と言った感じで手を広げていった。

 まだまだ聞いていない音楽は山のようにある。日々生産され続けている音楽も大量にあるのだが、まだ聞いたことのない過去の音楽と言う物も、自分にとっては新曲だったりするのだ。
 うーむ、音楽三昧。
1996年9月13日(金曜日) 職業:アーティスト
 時としてアルバムを出す毎に凄くなっていくアーティストがいたりすると嬉しくなってしまう。
 次のアルバムが楽しみで「ツアーとかそんな事どーでもいいから、次のレコーディングをしなさい!」とか思ってしまうアーティストもいたりする。
 その逆にアルバムを出す毎に、なんか尻つぼみになっていくアーティストもいたりする。

 海外のアーティストなんかでいたりするんだけど「結成16年!ついにサードアルバム発売!」みたいに、異常に長いスタンスで活動が出来ない日本の状況で、年に1枚アルバムを出さないと「あの人は今?」みたいに思われかねない。
 ま、アメリカなんかのアーティストは全世界を相手にしたビジネスだから一発ヒットすりゃ、10年ぐらいなんとか喰っていけるみたいな状況とはまた違うんだけど。

 年に1枚アルバム・シングル2枚ぐらいのペースでの活動ってのは、人によってはキツイものがあるかも知れない。
 デビューアルバムとかセカンドなんかは、アマチュア時代に蓄積された曲を発表できるのだが、ストックが尽き始めるとキツイ場合もある。量産できる人はいいのだろうが、でも契約上アルバムを出さなくてはいけないってのがあると無理矢理絞り出しちゃったりする訳で。
 最近、過去の音楽を聴きまくった中で「種とも子」ってアーティストも通して聞いたんだけど、彼女の場合、初期は凄く色々なアイディアを持っていて、曲のメロディ以上にアレンジのアイディアとか歌詞のアイディアとかが秀逸で好きだった。
 だけど、通して聞いていくと、3枚目がピークでそれ以降は辛くなっていると言う感じ。なんか、無理して作っている様な曲もあったりする。
 うーむ、音楽好き!作曲もやっちゃうよー!って人は多いと思うけど、優秀な作品を量産し続けるのは大変な作業なのだな。
1996年9月14日(土曜日) 『GS』&ベンチャーズ
14日の昼間フジTVでPM2:30〜PM4:00まで1時間半に渡って「グループサウンズカーニバル」って番組が放送される。ってこの番組、いつ放送したのが本放送なのか解らないけど再放送っす。
なんつーか、相変わらず「昔はよかったよねー」的なおじさんニコニコ同窓会で大合唱しちゃうぞ大会なんだろうけど。そんな過去を引きずっているおじさん達には興味ない。今も音楽活動を続けている人はカッコいいけどさ。

で、問題はそこじゃない。このイベントにゲスト出演するのが「ベンチャーズ」&「モンキーズ」なのだ。
モンキーズの方はたぶんオリジナルメンバーではなく、マイクネスミスが勝手に新メンバーを引き連れて再結成だ!と言い張っているモンキーズだと思うけど。

先日、きりゅうサンの処に遊びにいった際に、丁度来ていたお得意さんから「そう言えばメルテイラー亡くなったんだって、今度山下達郎のラジオで特集組むらしいよ」との話が出た。
今年の夏も、裾野市民文化センターを含めた数カ所でライブツアーをしていたんで「うーむ、元気なじいさん達だ」ぐらいの事を思っていた。で、話によるとメルテイラーは日本に来ていたのだが体調が優れないのか、他の人がドラムを叩いていたらしいのだ。で、ジャパンツアーでは演奏に参加はしなかったのだが、それに同行していたらしい。そしてそのツアー最中に亡くなったらしいのだ。何ツーか、日本という異国の地で亡くなってしまったワケだ。
それもショックなのだが、8月の末あたりに亡くなったらしいが、ぜーんぜん知らなかったってのがショックだったりする。
僕もきりゅうサンも1960年代前半にエレキブームを巻き起こしたベンチャーズはリアルタイムでは知らないのだが「日本にエレキギターブームを引き起こした、言ってみれば日本のロックのルーツバンドのメンバーが日本で亡くなったのにニュースにならないって言うのは信じがたい。許しがたい」って事なのだ。(実際にはなっていたらしい)
もしかするとベンチャーズって言うバンドの存在自体もここで消滅するかもしれないのだ。もっと日本の音楽界は騒いでもいいと思うぞ。
加山雄三あたりが発起人になって追悼イベントでもいいから開いて欲しいと思う。加山雄三個人は嫌いなんだが、今は期待をかけてしまうのだ。

(後記:1996.10)
で、このまま消滅するのか?????と思ったベンチャーズなのだが、きりゅうサンのその後の情報によると、メルテイラーの抜けた穴は、メルテイラーの息子が埋めるそうだ。
さすが、長老バンド。
で、ゆくゆくはメンバーを徐々に息子の代へとスライドさせていきたいと考えているらしいのだ。
世襲制のバンドと言うのも凄いな
1996年9月15日(日曜日) ファンを辞めるってどーゆー事なの?
FMステーションって雑誌の読者投稿欄に時々「最近、見事に谷村有美にハマってしまい有美さんラブラブで〜す。だから遊佐未森のファンを辞めました」みたいな投稿が掲載されたりする。うーむ、何だろうな?その「ファンを辞める」ってのは。
1人の一般リスナーが「私はこの人だけを真剣に聴く!他の人の曲を好きにならない!」って事なのかな?そんなに純粋に盲目的にファンをやっているんですか?
うーむ、凄いっていうか、理解できないっす。

僕なんかは、最初はビートルズで音楽のドツボにはまった様な人なんだけど、それ以外に「あれもカッコイイ」「あれも渋い」「あれも楽しい」と、とにかく手当たり次第に聴いて、手当たり次第に好きになって来たりしたので、1つこれだけ!って聞き方をしているのはよく解らない。もっとも書いている人も「今一押しは谷村有美です」と言いたいだけなのかも知れないけれど。

某氏の知り合いでも「昔は高野寛のファンだったんだけど、最近はちょっと違うんじゃないかなぁって思ってファンを辞めた」と言う発言をした人がいたらしいのだが、うーむよく解らないって感じなんすよ。
僕の中にも「昔はよく聴いていたけれど、最近は全然聴かなくなっちゃった」と言うアーティストがいたりする。あるいは「昔は凄く好きだったけど、最近聞き直したらどこが好きなのか解らなくなってた」と言うアーティストもいたりする。
それはそのアーティストの曲を盛んに聴いていた時は、その曲が自分の感情にマッチしていた。今は、ちょっとズレてしまった。て感じだと思う。あえて「ファンを辞めた」みたいな打ちきり方ってしない。と言うか解らない。

例えば、そのアーティストの歌・生き様・発言を含めて好きだったのに、実像は全然違っていてマリファナに手を出して、奥さん以外に愛人を作って・・・みたいのが発覚して「ファンを辞めました」みたいのは解る様な気がする。(実際の事言えば、作られている音楽=アーティストそのもの、って思ってはいないけど)が、そんなのじゃなくって「ファン辞めた」ってのは何だろうなぁ?

いいじゃん、最近の曲はなーんか自分にフィットしないんだよねーぐらいで。うーむ、人それぞれだから文句付けるような筋合いではないんだろうけどね。
1996年9月16日(月曜日) 音楽的時代論
最近、関町物語って小説の為に1980年の資料を探したり、自分の記憶の整理をしているのだけど、たしか1980年になったばかりの頃、音楽雑誌なんかで『1950年代・1960年代はしっかりと時代・世代として音楽のカラーがあった。しかし、僕らがたった今過ごしてきた1970年代は音楽的には不毛の時代ではなかったのか?』とか『音楽にとってはスカみたいな時代だった』てな評論をされていた。僕もその当時は、1960年代的な世相を巻き込んだ革命的な音楽ムーブメントに憧れていたのもあって「1970年代ってのは、過去の音楽遺産をリピートさせただけの創造的な時代ではないな」と思いこんでいた。「もう少し早く生まれていれば、あのビートルズムーブメントもフラワーロックもウッドストックも体験できたのになぁ」などと思っていた。

たぶん1980年代に多感な時期を過ごした世代もまったく同じように「1980年代ってのは混沌とした時代だったよなぁ」と感じて「それ以前の年代はちゃんとムーブメントがあったよなぁ」とか感じていたと思う(推測)確かに音楽雑誌では『すでに音楽で時代を語ることが出来ない』みたいな事を1990年代に突入したばっかの頃「1980年代音楽の総括」みたいな記事で書いてあった。

が、今1970年代を振り返ってみると、やっぱりそこには「時代」と言う物がちゃんと存在していて、1970年代と言う音楽がある。
「70年代っぽい音楽っていいよね」みたいな発言もあったりする。それは確かに1970年から1979年までの10年間を差しているワケではなく、日本でも洋楽の完全コピーから試行錯誤して日本流のポップス&ロックが完成されつつあった1974年〜1978年頃(テクノ以前)の音楽を差しているんじゃないかなぁって気もするが、ちゃんと時代に寄り添った音楽がそこにはあった。
今の(1990年代)音楽は「引用」の音楽だと言われている。
いわゆるサンプラーを使った音って事だけではなく、渋谷系と言われている音楽に顕著に現れている「元歌」をワザと表示するような使用の仕方ってのが、ある種認知されつつある。その為に「やはり今の音楽は独自の音楽を創りあげていない」と評されたりするのだ。
ミスチルだって、今はかなり独自の路線を突っ走っているけれど、初期は「私たちビートルズ意識してまーす」って言うバンドだった。あの当時デビューした「L−R」とか「トゥービーコンティニュード」なんかも全部ビートルズ路線だったけれど、ミスチルはワザと曲タイトルを同じにしたり、詩の中にビートルズの曲名を散りばめたりしていた。
が、以前だったらそれは「パロディ」とか「お遊びソング」的なノベルティソングとして片づけられていた部分だと思う。それを普通の曲として認知できる様になった音楽状況ってのは1990年代の特徴だと思う。
1980年代は「時代の仕掛人(笑)」こと秋元康を中心にしたパロディ的な「ここがツボなんだよなぁ」って言う遊びの部分が目立っていたのだが、今はそんな部分は当たり前に存在して1つの楽曲として成立していたりする。
もっとも、すでにビートルズの曲をいくら持ってきてもそれがパロディだとか、パクリだって事が解らない世代の方が圧倒的に多いんだけどね。

ま、1990年代の音楽というのは折り返したばっかの今では解らないけれど、何かしらあると思う。今、中学生〜高校生の世代が30歳ぐらいになった時に気がつくような物だと思うけれど。
時代なんて10年以上熟成させないと見えて来ないものだと言うのを実感しているこの頃だったりするのだ。

1996年9月17日(火曜日) ウルセイ・ヤツラ
アメリカのロック野郎でマシューなんとかってお兄ちゃんがいるんだが、その人はなんと腕に「うる星やつら」のラムちゃんの入れ墨をしちゃっていたりする。でもって、プロモーションビデオにも一瞬だがラムちゃんが登場するっちゃ (笑)
確か去年あたりにリリースされたアルバムのジャケットは日本のアニメのコラージュになっていて、うる星やつらは当然の事として、マニアックなアニメまでコラージュされていた(パソコンソフトのやっちゃけアヤヨさんまで出演)
てな感じで海外でもラムちゃんは未だに根強い人気があるのだ。

このたびスコットランドでデビューしたバンドのアルバムが日本でもリリースされる事になった。なんと、そのバンド名が『ウルセイ・ヤツラ』って、そのまんま (笑) ま、昔から「ゴーバンズ」とか「デュランデュラン」なんかだって、SF映画に出てきたロックバンドや機械からの名前拝借なんだけど、こうして思いっきり外国バンドが日本のアニメの名前を付けていると笑ってしまうな。

もっとも、版権の関係なのか、日本でのバンド名は「ヤツラ」と言う、さらにワケの判らない物になってしまいました (笑)「ウルセイ」の方が英語っぽいのにね・・・ 「エヴァンゲリオン」とかだったら、そのまんまバンドっぽいかもしれないけれど。
1996年9月18日(水曜日) 『THE BEACH BOYS / STARS and STRIPES Vol.1』
なんつーか、ビーチボーイズの新作なんだけど、9月7日付けのビルボード誌カントリーチャート初登場19位だそうだ。
何故、ポピュラーミュージックチャートではなく、カントリーチャートなのかと云うと、今回のアルバムは自分たちの過去の名曲をカントリー界の凄腕ミュージシャンに演奏させて、ビーチボーイズは完璧にコーラスグループとして参加しているからなのだそうだ。
しかも、ビーチボーイズ黄金期を築き上げた天才プロデューサー&メロディーメーカー&コーラス職人のブライアンウィルソンがメンバーに復帰したっす(ここん処ソロ活動してた)
うひーうひーと本来は喜ぶべき事件なのだろうが、そうも云ってられない。

なんとこのアルバム、現時点では日本での発売が未定なのだ。いわゆる最近のヒットチャートの中でビーチボーイズはそれほど売れるバンドでは無いために、日本のレコード会社との契約が切れていたりするのだ。うがーっ!
どこか輸入盤がいっぱいある店を教えてくれーっ!
1996年9月19日(木曜日) 有名人を(過去形?)見てしまったのだ
今日、マガジンハウスから編集の人が来て校正とかをしていた。校正とは、最終的に誤字脱字が無いかとか、色々チェックする作業なのだな。でもって、ふと見ると髪型が違うがいわゆる双子の女性がいたのだ。

ん・・・・・あれって椎名桜子と椎名桂子だ・・・・。

一時期マガジンハウスが1990年頃に美人女流作家としてタレント的に売り出して、作家前から「デビュー作執筆中」とか広告を打ったり、デビュー作『家族輪舞曲』を自らの手で映画化したり、派手な仕掛けをしたワリに全然受けずに消えていった(カロリーメイトのCMにも出演していた)椎名桜子さんじゃありませんか。
学生時代は双子の美人モデルとしてマガジンハウスのファッション雑誌(オリーブなど)に出ていたんだけど、卒業後お姉さんの桂子さんはマガジンハウスに編集者として就職して、妹の桜子さんはモデル稼業を続けながら作家デビューしたワケっす。

ちょうど「平凡パンチ」が売り上げ不振から廃刊になり、再起をかけて創刊した「パンチザウルス」と言う雑誌も半年で廃刊になり、戦前からの歴史を持つ芸能雑誌「月刊平凡」も売上不振により廃刊になり、さらに「週刊平凡」まで廃刊になって、こりゃ会社の名前がいけないんじゃないかと「平凡社」から「マガジンハウス」に社名変更をした頃のマガジンハウス社なので、なーんか華やかなスターの出現を狙っていたのだろうなぁ
が、見事に椎名桜子プロジェクトは失敗に終わってしまったのであります。
そんな桜子さんは、現在マガジンハウスで編集者として(たぶん)健気に仕事をしているのであります。

(後記:1997.7)
その後の話では椎名姉妹は出版社を作ったらしい(1996.6)
だから、この時はそれの関係で来ていたんじゃないかな?
でも、その出版社の運営が忙しくて、作家活動はしていないらしい。
1996年9月20日(金曜日) 知的なあなたへ
僕が勤めている会社は従業員がかなり多いので、顔は知っているけど、どこの部署で名前は?みたいのを知らない人が大量にいる。で、部署も名前もまったく知らない人なのだが、いつもほぼ決まった時間に会社に到着する僕は、それ以外にほぼ同じ時間帯にタイムカードを押している人と言う顔見知りがいたりする。

彼に気がついたのは6月の終わり頃だった。
年齢は20代前半、髪の毛はあごのラインぐらいまでのショートボブっぽい髪型の痩せた男。いつもの様に駐車場から会社までの5分ぐらいの道を歩いていた時に、彼が前を歩いていたのだ。

で、ふと気がついたのは彼はカバンなどは持たずに後ろポケットにサイフを突っ込み、左手はジーパンに突っ込んでいたのだが、残りの右手には緑色のブックバンドで縛った文庫本を持っていたのだ。持っていたと言うより、その文庫本を縛ったブックバンドの紐の部分を持ってブラブラさせながら歩いていたのだ。
文庫本マニアの私としては、他人の読書傾向と言うのが非常に気になってしまうわけで、ついつい、その文庫本をチェックしていた。
黄色い裏表紙・・・あのデザインは「講談社文庫」だ。厚さは1.5センチぐらい、と言うのが解った。表紙の絵柄もほとんど解ったがそれこからは書名を伺い知ることは出来なかった。
その時は、ふ〜ん、未だにブックバンドで本を固定している人がいたかぁと感動をしていた、
で、それから約1ヶ月後の8月の中旬。やはり彼は目の前を歩いていた。

む!と思ったのは右手にはあの人同じようにブックバンドをぶら下げていたのだ・・・・・が。そのブックバンドでしばってある文庫本がどうもあの日に見た物と同じ物なのだ。
で、さらに1ヶ月近く経った今、やはり彼は同じ文庫本をぶら下げていた。
パターンとしては数巻に渡る大長編の文庫本なので、表紙が同じように見えても実は違うのだ!って事もあるだろうが・・・・・

もしかしたらファッションの一環として、ぶら下げて歩いているのかもしれない。いくら読むのが遅くても2ヶ月はかからないだろ・・・・