杉村ぐうたら日記(1996年9月21日〜30日)

▲1996年9月21日:土曜日:創作野郎、吠える
▲1996年9月22日:日曜日:サブカルチャー雑誌は今いずこ
▲1996年9月23日:月曜日:連鎖的洗脳計画
▲1996年9月24日:火曜日:さようなら藤子不二雄
▲1996年9月25日:水曜日:西田ひかるwith 加藤和彦
▲1996年9月26日:木曜日:KISS復活!
▲1996年9月27日:金曜日:ストーカーな時代
▲1996年9月28日:土曜日:『ビートルズ/リアルラブ』ビデオクリップ
▲1996年9月29日:日曜日:『Jamiroquai / Travelling Without Moving』
▲1996年9月30日:月曜日:遠藤周作氏 死去
1996年9月21日(土曜日) 創作野郎、吠える
『本の雑誌』と言う、椎名誠氏が編集長をしている、総合めったくった書評雑誌を会社の昼休みにぼーっと読んでいたのだ。で、その中でも三角窓口と言う読者投稿コーナーを読んでいたわけっす。

ここは「なるほどなるほど」と言う話から「馬鹿でぇ〜」と言う話まで満載でおもろいんですが、その中にふと見ると(本文はまだ読んでいなかった)普通は投稿者の名前の所に『鈴木太郎・国家公務員28歳・神奈川県』とかって書くんですが、その職業欄に『創作野郎◎◎歳』とかって書いているトンチキがいた。しかも年齢が自分と同じなもんで,うわぁ俺と同じようにええ歳こいてまでそんな事云っているヤツがいるのかぁ。
とか思ってさらに下を読むと『静岡県』あらら・・・と思いあわてて投稿人の名前を読むと・・・・俺じゃん (笑)なんか、そー云えば7月の頭に投稿した様な気もする・・・・

パソ通の「思い立った時に書く・アップする・レスが帰ってくる!」と言う世界に完璧に慣れてしまった私は、なんか凄くビックリしてしまったのであります。
うーむ、本の雑誌社は零細企業だから掲載されても記念品とか無いと思うが、うむむむ「この本が記念品なのだ」などと思うのであった。
1996年9月22日(日曜日) サブカルチャー雑誌は今いずこ
 信じられないかもしれないけれど、今から10年以上前の『宝島』と言う雑誌は、アンダーグラウンドな活動をしている人も、クリエイティブな活動をしている人も、ロックなスピリットを持った人も、すべてを総括していた『サブカルチャーマガジン』だったのだ。
 今はただのスケベ雑誌に成り下がってしまっているが。

 サブカルチャー言う部分が平成に入ってから完璧に拡散してしまい、この数年は一般書店で展開されている雑誌などではその手のサブカルチャー物は見ることが出来なかった。
 いわゆるジャンル分けされたミニマムな世界感の中で、自閉的に展開されているサブカルチャーと言う名前の流行を追いかける雑誌はたくさん存在してたりはする。
 それの方が拡散された興味の中の購買層を簡単にスポイルする事ができるのだ。様は、基本的には発行部数の予測が出来ないと雑誌という物を発行しにくいのだ。売上が100万部とか行かないのは判っている。問題は発行した部数がどれだけ確実に掃けるか?と言うのがリサーチ出来ない雑誌は出版する側としてもリスクが大きいのだ。
 そうなると、サブカルチャー全域を網羅する雑誌というのは事前に発行部数は把握できない。したがって、出版社側としてもサブカルチャーを扱うにしても、もっとターゲットを絞り込んだ雑誌を作る様になってしまうのだ。

[ 今、一番熱い雑誌「クイックジャパン」]
 私は、以前の「宝島」みたいにサブなカルチャーを扱う雑誌を探していた。
 一時期は宝島社が出していた「宝島30」と言う雑誌が、昔のサブカルチャー雑誌だった頃のスタッフが作っていただけあってハードに面白い雑誌だった。しかし、そのパワーも創刊1年までしか保たずに、2年目からは「噂の真相」みたいなつまらない雑誌になってしまい、結局廃刊になってしまった。
 で、今一番ファンキーな雑誌は太田出版が発行している『クイックジャパン』と言う雑誌。
 いまいち、何を目指しているのか把握しにくいが、サブカルチャーへの突っ込み方は鋭い。その上、サブカルチャーおたく的に、その場に安住しようとはしていない視点が好感をもてる。

 あの「ダイナマイツ」や「村八分」の山口富士夫がインタビューで出てきたり、報道されなかった記事を徹底的に検証したり、ちょっとダークで重いかもしれないけれど読みごたえはある雑誌だったりします。

 今年の春に発売された号では、私も逢った事がある壊れている限りなく素人に近いコメディアン「たすけ」が8ページぐらいに渡って特集されていてビックリした事もあるし (笑)
 今回の中では、例のエヴァンゲリオンの監督へのロングインタビューなんかがあって、エヴァンゲリオンだけで50ページも(しかも文字中心なので読みごたえあり)特集されていて、うむむむ、編集部が読者に媚びずに自分たちが興味ある事を追いかけているって感じで、今後に期待をしたい雑誌だったりするっす。
1996年9月23日(月曜日) 連鎖的洗脳計画
 いわゆる最近の流行物の音楽しか聞いていないような知人のさらに知人が、何故か「はっぴいえんど」を知っていた。と言う話を聞いた。
 その知っていたの度合いが「名前だけ」なのか「音楽も」なのかは解らないのですが、うむうむ何故だ?と思ったのだ。
 実は「小室哲哉」→「TMN」→「テクノ」→「YMO」→「細野晴臣」→「はっぴいえんど」と言う流れで、はっぴいえんどにまで流れ着いたらしい。
 それがさらに「エイプリルフール」へ行ったり「バッファロースプリングフィル」まで行ったら、本当に凄い。
 あるいは「はっぴいえんど」でドラムを叩いていた松本隆が制作に関わっていたらしい「乱魔堂」までたどり着いたら凄すぎて、ちょっと友達にはなれないかもしれないけれど (笑)。

 しかし、最近の音楽聞きはよっぽどの事がないと、特定のアーティストのルーツミュージックにまで遡って行かないような気もするけれど、どうなんだろう?
 ま、前述の流れの中で「TMN」→「テクノ」→「YMO」のテクノって部分が違うんじゃねぇの?って気は多いにするのだが、そう言う流れ方もありか。

 では「藤井フミヤ」を好きな人が、フミヤが出演している缶コーヒーのCMで現在「立花ハジメ・デザインのスノボージャケット・プレゼント」ってキャンペーンをやっているので、立花ハジメの音楽を聴く・・・・わけないよな (笑)


 アコースティック洗脳大作戦 (笑)

 周りを見渡してみると「アコースティックな音」を積極的に好きな人っていないのかな?
 いわゆる「やっぱりアコースティックな音っていいよね、だからスピッツって最高」とか「ミスチルってロックっぽい音もいいけど、アコースティックな音もいいよね」と言う、アコースティックとは実は話が違ったりする。
 あれは、アコースティックギターを使っているだけ。

 別にじじい趣味ではないアコースティックな音ってのは、実は染みるのだ。
 よくここ数年TVで「なつかしのフォーク大全集・リクエスト特集」なんかで流されるのも、なんか違うような気もする。悪くはないが。
 とにかく、本当の「音楽」を探して聴こうではないか。
1996年9月24日(火曜日) さようなら藤子不二雄
 突然のニュースで驚いた。藤子F不二雄(藤本弘氏)死去のニュースを昨日の夕方知ってびっくりした。

 現在「少年漫画雑誌」と名付けられているけれど、ほとんど子供向けではなくなった少年漫画界で唯一本当の少年漫画を書き続けたパワーには恐れいります。
 かの天才・手塚治虫氏でさえ晩年の10年間は「もう子供の感性で作品を描けなくなった」と活動の場を青年誌や一般誌に移していたのに、藤本氏は最後まで少年漫画を貫き通した。
 中には青年向け漫画もあったが、基本的には少年漫画を書き続けた。
 あの年齢でコロコロコミックの読者に受け入れられる漫画を書き続けることができると言うのは、凄いとしか云いようがない。その為に、3世代に渡って藤子漫画に親しんだと言う人も居たりするのだ。
 僕も物心付いた時から身近に藤子漫画があった。
 アニメ第一世代なのだが、幼稚園の頃から「オバケのQ太郎」「パーマン」「怪物くん」なんかがあった。自分の甥っ子も、この夏、我が家に来たときに貪るように「ドラエもん」を初めとして藤子作品を読み漁っていた。
 なんか一つの時代が終わった様な気もするが、藤本氏の書いてきた作品は永遠に残って行く物だと思う。心からご冥福をお祈りします。

 しかし、劇場版・ドラエもんも現在製作中の来春公開作品で最後にするとかって云っているけれど、日本映画の年間劇場動員数の上位に必ず入っている「男はつらいよ」と「ドラエもん」を失って、日本映画界はどうなってしまうのだろう?って気がする。
 たぶんTVアニメ「ドラエもん」はサザエさん同様に続いていくと思う。
1996年9月25日(水曜日) 西田ひかるwith 加藤和彦
 うむむ、ポンキッキーズで加藤和彦が作った曲を西田ひかるが歌っているらしいと言う噂は聞いていたが、アーティスト名が『西田ひかるwith 加藤和彦』だとは。
 もしかしたら、昨今のプロデューサー前面に出ちゃうもんねブームの一環なのだろうか?
 と思っていたら、デュエット曲なんすね、これ。

 で、もっと驚いたのがこの曲の作曲は加藤和彦なんだけど、作詞が北山修(今回は全部ひらがなで表記しているけど)だって。かのフォーククルセダーズのコンビ復活だ。
 加藤和彦の場合、フォーククルセダーズ以降は「あの素晴らしい愛をもう一度」で北山修と組んでいるけど、それ以降の「サディスティックミカバンド」では別の作詞家と作って、それ以降のソロ作は基本的に安井かずみ(奥さん)と組んでいたから、本当にひさびさのコンビ復活かもしれない。
1996年9月26日(木曜日) KISS復活!
 あのビージーフォーの物まねでお馴染みの(笑)KISSが復活する。
 などと、いろんな雑誌などの媒体に書かれていたりするのだが、KISSってずっと活動続けていた様な気がするんだけど・・・・
 ただ、あのメイクを辞めて普通のハードロックバンドとして地味な活動をしていただけで。

 でも、今回のはオリジナルメンバーでオリジナルのメイクをしての復活・・・・なかなか、SEXピストルズ以上にキツイ物があるかもしれない。70年代初頭にデビューして・・・・デビュー25周年ぐらいかな?って事は50歳ぐらいか・・・・
 うむむむむ、それはそれでカッコイイが、過去のイメージを壊さないで欲しいっす。

 私は「ハードラックウーマン」と「デトロイトロックシティ」が好きだった。
1996年9月27日(金曜日) ストーカーな時代
 最近ストーカーの起こした現象などを色々聞く。
 よくあるのが、振られた相手の家に何百回何千回も無言電話を続けた人とか、そーゆー狂気に陥った人の話。最初は嫌がらせなんだろうけど、そのうち目的意識も罪の意識も希薄になって日常のように無言電話をかけ続けるらしい。そう言う人って実際の処、どういう人なんだろうか?と考えたりもする。

 自分に自信の無い人?逆に自分に自信がある人?
 この背反二律とも言える二つの精神状況を抱えてしまった人なのではないか?と思ったりする。
 いわゆる「俺って実は才能あるんだよな」「でも何故か運が悪くって現在の処認められていないんだ」「なんで俺の事を認めないんだ?」と言う、ある面では自信に溢れているクセに、逆の部分ではおどおどしている状態の人。
 これが恋愛なんかのストーカーだと「彼女は俺の事を好きなんだよな」「嫌いになるハズないよな」「きっと勘違いしているに違いない」「あんなヤツより俺の方がいいのに」「何で俺に気が付かないんだ」「俺の存在を解らせて上げる」などと云う自分一人の論理が空回りしている場合もあるんだと思う。
 自分の負けを認められない人なのかもしれない。

 基本的に人間「挫折」ってヤツをむちゃくちゃ多く経験して成長している。思い通りに行くことなんて皆無に等しいのだ。
 そう誰もが、同じなのだ。
 その中で常に高いところに昇ろうと手を差し伸べている人は、チャンスが多く存在して上手く行く事もあったりする。もちろん純然たる才能と言う物もそこには存在するのだが、努力という物は絶対的にあったりする。
 だが、客観的に人の成功を見る場合には、そこにはその成功者の「努力」と言う部分は見えなかったりする。で「あいつばっかり上手く行きやがって」と思ってしまう人もいたりするのだ。
 で、純然たるストーカーに変身してしまう場合もある。
 とりあえず、現時点で「ストーカー」と言うと意味があって付きまとっている人などを行ったりするが、実際の処、意味不在のストーカーと云う物も存在するのではないか?と思ったりする。

 僕がパソ通と言う社会に参加してから4年以上が経ってしまったが、その中でこの意味不在のストーカーと言う物を何度か見てきた。
 それの事を「いやがらせ」とか「愉快犯」とか云うのかもしれないが、色々経験していくと、自分を過大に評価しているクセに自己表現が出来ない人がこれになっているような感じを受けたりする。

 ま、それが自己表現だと言う場合もあるのだろうが、実際の社会生活の中で充足されない気持ちを、この仮想空間の中で発散させるという、かなり卑屈なストーカーだったりするので、怒りではなく哀れみを感じてしまったりするのだが。
 なかなか研究材料としては興味深い人格だとは思う。
1996年9月28日(土曜日) 『ビートルズ/リアルラブ』ビデオクリップ
 先日、某所でこの曲のビデオクリップを見た。
 空を飛ぶ白いピアノ
 空を飛ぶサージェントペパーズの衣装
 空を飛ぶ楽器

 なんだか、色々飛んでましたが、なんと言いましょうか、結局はノスタルジーに浸るしか無いのかなぁ?って感じがしちゃいます。
 ラストの方でポール・ジョージ・リンゴがスタジオでコーラスを被せているシーンがあったんですが、みんないい年をした親父どもで、ときどきオーバーラップ状態で被ってくる、ジョンレノンの写真なんかだけが若々しくて、なんつーか悲しいやらおかしいやら。
 昔のロックミュージシャンの「俺は30までに死ぬ」とか「Don't Trust Over The 30/30歳を過ぎたヤツなんて信じるな」みたいな言葉どおりに死ねた人の方がかっこいいかなぁなんて思ってもしまう(ジョンは30過ぎてたけど)ま、死んでしまってはしょうがないけどさ。

 ポールなんかは一生懸命ライブツアーしたり、オーケストラと共演しているのはかっこいいし、ジョージもディランなんかとバンドやっているのはかっこいいし、リンゴはリハビリバンドをやっったりCMで「林檎・すった〜ぁ」とか言っているのはかっこよくはないけれど(笑)
 絶対に復活ビートルズでニコニコしているのよりは、かっこいいと思うっす。

 「ま、こっちはね、お遊びよ。しょせんファンサービスでね、真剣にゃやってねーのよ」ってスタンスだったら許してあげてもいいんだけどなぁ
 でも、自称ビートルズの熱狂的なファンは「もっともっと真剣にやってぇぇぇツアーもしてぇぇぇぇ」とか思っているんだろうな。
1996年9月29日(日曜日) 『Jamiroquai / Travelling Without Moving』
 ジャミロクワイの3rdアルバムっす。
 ブリティッシュクラブシーンを活性化させているかっちょいいバンドです。  いわゆる白人がブラックなノリを出そうとすると、オーバーアレンジ気味になって、ごちゃごちゃした音になってしまう傾向があったりする。
 それを逆手に取って混沌とした、グチャグチャな状態を造り上げたのが数年前に流行った(まだ2年ぐらい前か?)グランジと言うジャンルのロックだった。
 ジャミロクワイもそのグランジが流行った時期にデビューしたワケで、あの当時は同列にグランジバンド的な扱いを受けていたような気がする。

 が、この新作を聞くとかなり正統派なバンドなのだなぁと言う感じ。
 グランジ系のバンドは混沌とした音が中心だったので、ボーカルと云う部分は凄く後ろに行っていた。ほとんど楽器として、音の1要素としてだけ存在していたかもしれない。だから、ボーカル曲として取り上げたときに、すごく弱かった。
 それに対してジャミロクワイの楽曲はまずメロディがいい。そしてボーカルがいい。で、アレンジもいさぎよい+適格なアレンジ。って感じなのだな。
 メロディがいいってのは音楽にとって基本中の基本だから「それってあたりまえでしょ?」的な事だったりするが、ここ数年どうも音的な部分での斬新さなどばかりが強調された音楽が氾濫している様な気がする。だからメロディがいいってのは、ある種新鮮に聞こえるのだよ。
 あと黒人メンバーもいるみたいだけれどベースは白人が弾いている。で、この人が黒っぽいベースを弾くのだ。かっこいいっす。

 音楽って、小難しい理由をつけて聞くこともできるけれど、最終的には「かっちょいい〜」ってのに行き着いてしまうんじゃないかな?僕の個人的な聞き方・求めている音楽と言う意味では。

 ま、そのかっちょいいってのも、世間一般で云っている所のかっちょいいとはズレているかもしれないけれどね。
 だから、僕は日夜、自分にとってかっちょいい音楽を求めているのだ。
 そして自分もかっちょいい人間になりたいと思っている。やっている音楽、考え方、ファッション的な事すべてひっくるめて、かっちょよくなりたいと思っているのだ。

 しかし「Travelling Without Moving」ってタイトルの邦題が『ジャミロクワイと旅に出よう』ってのは、何とかならんものかね?(苦笑)
1996年9月30日(月曜日) 遠藤周作氏 死去
 なんか最近、色々な分野で戦後を造り上げてきた人が亡くなっていって寂しいっす。
 ま、第二次世界大戦が終わって50年、その戦後に20歳〜30歳ぐらいで頭角を現して来た人々は70歳〜80歳と言う事になるので致し方ない事なのかも知れませんが。

 遠藤周作氏と言うと、私は中学の頃にかなり集中して読んでいた作家で最初は軟派な「お馬鹿さん」とのユーモア小説や「狐狸庵シリーズ」なんかから入って、しだいに「海と毒薬」などの社会派文学まで読むようになって、田舎の中学生としては刺激を受けました。
 実際の処、私の周囲には「凄い!」と思える大人や少し年上の世代ってのがいなくて、その辺の社会の矛盾や構造などを教えて貰ったのは100%、遠藤周作氏を初めとした文章からだったりします(音楽に関ても同じく)

 その頃の私にとってのヒーローは「遠藤周作」「北杜夫」「星新一」と言う3人の文学者(共に同世代で交友があるらしく、3人の共著もあったりする)で、かなり私のベーシックな部分を構成している作家だと思っています。
 一番、基礎となる知識を仕入れる中学時代に3氏の作品に触れる事が出来たワケです。(ちなみに手塚治虫の作品にのめり込むのは高校に入ってから)
 最近の作品はほとんど読んでいなかったのですが、なんかミーハーっぽいけれど、本屋に行って探して見ようかと思います。

 氏のご冥福をお祈りしたします。