杉村ぐうたら日記(1996年10月11日〜20日)

▲1996年10月11日:金曜日:京極夏彦氏の美意識
▲1996年10月12日:土曜日:朋ちゃんって・・・・・・
▲1996年10月13日:日曜日:残したくない
▲1996年10月14日:月曜日:何言うてまんねん!
▲1996年10月15日:火曜日:プロデュースって何?
▲1996年10月16日:水曜日:洪栄龍(マニアックでごめんね(笑))
▲1996年10月17日:木曜日:わがままリッチー(笑)
▲1996年10月18日:金曜日:ポケットビスケッツ・・・・・
▲1996年10月19日:土曜日:小室さんって凄〜ぉい (笑)
▲1996年10月20日:日曜日:芸術の定義は芸術家にしか出来ない
1996年10月11日(金曜日) 京極夏彦氏の美意識
 私は京極夏彦氏の作品は、凄く気になっていて「評判になっているから読みたいな」と思いつつ、本屋に行ってあの分厚い新書版を手に取った瞬間「うーむ、これを1冊読む時間に、普通の本が2冊読める」などと考えてしまい、いまだに読んでいません。
 なんか京極氏の小説は、新作が出るたびに厚くなっていく・・・(笑)分冊にするのは美意識が許さないんでしょうかね? なんか、美意識が度を超して、ページをまたいで文章が切れるのは許せない。とか言うのを聞いたことがあります。
 つまり、見開きのページに関しては文章が繋がっていても構わないけれど、ページをめくる時に、そこで文章が途中で切れているのは我慢できないらしい。うむ、変な完璧主義者。

 ま、そーゆーこだわりと、あの作者自身のかっこいいキャラクターがあって、あの重厚な(読んでいないが(笑))作品が生み出されるのだな・・・・
 しかし、京極夏彦氏の小説を紹介しようとしても、あの字は当用漢字に無いかもしれない(笑)
1996年10月12日(土曜日) 朋ちゃんって・・・・・・
 「HEY HEY HEY」に、木根尚登くんが例の「プロデュース バ〜イ 小室哲哉」と言う新曲を引っ提げて出演した時に言っていた事だけど。

 華原朋美がカラオケボックスに行った時に、通りがかったボックスで自分の曲が流れていたら突然、そのドアを開けて中に入っていくなり、そこのマイクを奪って「ダメ!この曲、朋ちゃんの!!」と言って歌いだしたそうだ。
 その場に居合わせた人々は、本物の歌を聴くことが出来て良かったかも知れないが、なんか、うひー状態(笑)
 確かに、ダーリンが自分の為に作ってくれた曲を他人が歌っているのは気分悪いのかもしれないが(笑)それ以上に、なんか凄い物を感じてしまったっす。

 そー言えば木根尚登に続いて、宇都宮隆の新曲も「プロデュース バ〜イ 小室哲哉」らしい。なんつーか、ちゃんと切り捨てた人達のこともフォローしているって事なのかな?
 この辺から、例の「TMN再結成」の噂が流れたんだろーな。興味なかったりするけど。
1996年10月13日(日曜日) 残したくない
 昨日、ぼーっとリクエストで選ぶ21世紀に残したい名曲とかってのを見ていた。

 その中で、今現在ヒットしている曲なんかも大量にリクエストされて流されていたりしたけど、それに対して司会をしていた徳光氏が「これって今年発売された曲ですよ、それが既に21世紀に残したい曲に選ばれるって凄いことですよ」と、感心した様にいっていたが・・・・

 リクエストする人は、たぶん思いっきり若い人で「これまでに発売された曲の中から選んだ」と言う訳じゃなくって「今聴きたい曲」「今熱烈に好きな曲」をリクエストしているだけに過ぎないと思う。

 この番組ではリクエストの数で順位を決めたりはしていなかったけれど、リクエスト数を集計すると上位はきっと「安室奈美恵」「小室哲哉」「ミスチル」などなどが上位独占状態だと思う。

 以前、現代用語にも書いたけれど、かのTBSのザ・ベストテンの10周年記念、電話リクエスト大会でのランキングが、その当時デビュー1年経過して一番人気の高かった『光GENJI』の曲が1位〜5位ぐらいまでを独占しちゃってんの(笑)
 10年番組をやっていて、それの総合トップ5までが光GENJIかよぉ!と、あの日TVを見ていた多くの人が画面に向かって突っ込みを入れていたと思う。
ま、そんな物か(笑)

 果たして、本当に21世紀になった5年後にその曲を覚えている人がどれくらいいるのか?
 はっきし言って、あの時のベストテンの上位5曲はあんまし覚えていない(笑)
1996年10月14日(月曜日) 何言うてまんねん!
 その電話リクエスト番組(FAXリクエスト番組)で、『精霊流し』と言う、さだまさしがグレープ時代に出した曲が選ばれて、さだまさしも出ていた。で、唄い終わって司会の徳光氏が「この曲はさださんにとってもデビュー曲って事で」みたいな事を言っていたが、グレープのデビュー曲は「冬の朝」とかっていう、全然売れなかった曲だぞ。2曲目が「精霊流し」だぞぉ。
 こんな風に嘘を言ってしまうのって困り者。たしかに「冬の朝」なんて誰も知らないからしょうがないけどね。
 でも、それを聞いた人に取ってはそれがオリジナルの情報源になって、それをまた誰かに伝えて言って・・・・伝言ゲームみたいに事実が歪曲されてしまうのだな。

 でも徳光氏はいわゆる「音楽ジャーナリスト」のプロじゃないから、目をつぶろう。

 2〜3年前に読んだ雑誌の中でシーナ&ロケッツの鮎川誠氏がソロアルバムを発表したって事で、それのレビューみたいのが書いてあった。
『この鮎川誠の初のソロアルバムの〜』
『何故、鮎川誠みたいな人が今までソロアルバムを出さなかったのか不思議なのだが〜』
 鮎川誠は、シーナ&ロケットでデビューして2〜3年頃(1983年頃)すでに「クールソロ」って言うソロアルバムを出しているぞ。

 それとか、ルースターズの花田裕之氏(だったと思う)がバンド解散後暫くして、ソロデビューした時に、プロデュースを当時バカ売れしていた布袋寅泰が担当をしていた。
 布袋氏にとっては「先輩のプロデュースなんておこがましいっす」みたいな状態だったのかもしれないけれど(もしかして、宣伝効果を狙ったレコード会社の陰謀か?)。
 で、雑誌のアルバムレビュー
『この人はラッキーな事に布袋寅泰プロデュースでデビューを飾る事が出来て〜』
 きっと、これを書いたライターの処には、沢山の剃刀が送られてきたかもしれないっす(笑)
 ルースターズなんて云ったら、確かにヒット曲がなかったし、TVなんかにもまったく出なかったから一般の人は知らないかもしれない。が、その記事を書いた多分20代中盤のライターが子供の頃から活動していたグループで、布袋氏の元在籍していたボウイなんてバンドは、ルースターズの弟子・弟分って感じだったのだよ。ふう・・・。
 ま、ライターだって人間だ。世の中すべての情報をチェックしている訳にはいかない。だけど、まがりなりにもそれでメシ喰っているプロなんだからさ。

 そー言えばずーっと前にも書いたけれど、中島みゆきの「空と君との間」なんつー曲にカップリングされていた、10年以上前のアルバム曲「ファイト」(そのカップリングされた当時CMに使われてた)を、音楽ライターの人は
『A面の曲はあいかわらずのみゆき節だが、B面に収録されている「ファイト」は新しいみゆきの魅力がかいま見れて、これからの展開が楽しそうだ』
 みたいな、超まぬけな事を書いていた。

1996年10月15日(火曜日) プロデュースって何?
 たしか去年、その前の年の冬に『ロマンスの神様』と言う曲をヒッ トさせた広瀬香美と言う歌手が、名前を忘れたけれどアイドル歌手の 新曲をプロデュースした。って事が話題になっていた。

  「あのロマンスの神様の広瀬香美・初プロデュース作品!」 とかって書かれて雑誌の広告に載っていた。
 私はふ〜んって感じで思っていたんだが、これを読んで 「そっそうか!広瀬香美のプロデュース作品か。絶対買わなくちゃ!」 なんて思った人がどれくらいいたんだろうか。
 プロデュースした当人、広瀬香美自身がロマンスの神様以降、これ といったヒットもない状況の中・・・・

 それから1年、すでに広瀬香美と言う名前は聞かれなくなった(ま だいるかも知れないけど)

 で、今回読んだ雑誌の記事は「昨年『Tomorrow』を大ヒットさせた 岡本真夜の初プロデュース」で新人歌手がデビューするらしい・・・。
岡本真夜って、TVの主題歌でその曲が売れたんだけど、ずっと顔 写真など公開されず、紅白歌合戦で始めて人前に出て、人前で歌って ・・・・って歌手だよね。それ以降、どんな曲をリリースしたのかよ く知らないけれど。
 広瀬香美の場合は確かアメリカの音楽学校で編曲なんかも勉強して きたらしいんだけど、果たして岡本真夜の場合は、どうなっちゃうん だろ?
 うーむ、なんか今、日本の音楽業界はプロデュースブームなんだろ うな。とりあえず、名前が知られた人がプロデュースすりゃいいって 感じで・・・・。
安易だよなぁ


(追記.1997.11)
この文章を書いた直後、当人の広瀬香美が再びアルペンのスキー用品のCM曲をリリースしてそこそこヒットした。この曲は不自然なくらいに演歌的なこぶしを効かせた物で、私は生理的に受け付けなかった。が、たぶんカラオケ好きな人がカラオケで歌う場合、気持ちいいんだろうなぁと思われる。基本的に日本人はかぶしを効かせるのが好きなのだ。
で、それから再び広瀬香美の名前を聞かなくなったのだが、またしても1997年スキーの季節になり新曲リリースの噂を聞くようになった。
いわゆる逆TUBE状態を狙っているのか?

1996年10月16日(水曜日) 洪栄龍(マニアックでごめんね(笑))
(この文章は、某ネットの知人が「乱魔堂」という幻の70年代ロックバンドの音源を探していますと書いた事が発端になった文章です)

 以前某氏が探していますで書いていた「乱魔堂」のギターをやっている「洪栄龍」って人。
 元々ブルースクリエイションの前身バンドの「ビッキーズ」の主要メンバーとして活躍していた人なんだそうですな。

 で、このビッキーズが1968年6月に東京12チャンネルの「R&B天国」と言う番組のアマチュアバンドコーナーで5週連続勝ち抜けをして優勝をしたと(この時はまだ在籍していた)いう訳っす。
 しかし、プロデビューが決定した時に突然の脱退をして「ブラインド・レモン・ジェファーソン」と言うグループを結成しちゃうって訳なんだそうで。
 この「ブラインドレモンジェファーソン」ってグループは1969年6月28日、お茶の水・全電通会館ホール「ロックはバリケードをめざす」フェスティバルに出演しているのは解っているんだけど、それ以外の活動は全然解らない。うむ。
 どうも、レコードは出していないんじゃないかな?と言う感じ。

 で、その後は乱魔堂として、
1971年8月・中津川フォークジャンボリーへの出演。
1972年5月・春一番ライブ出演。
1972年8月・唯一のアルバムのリリースって事になる訳っすね。
 しかしブルースクリエーションって竹田和夫のグループってぐらいしか知らなかったんだけど、第1期のメンバー(ビッキーズ〜1STアルバムまで)に、大滝詠一のアルバムに参加している布谷文夫がボーカルとして参加していたのね。知らなかった。
 で、なんとブルースクリエーションのステージ曲として、大滝詠一が作った曲で一番最初に日の目を見た「二人のブルース」と言う曲が使われていたらしい。
 もっともブルースクリエーションのレコードとしては記録が残されていないで、後に布谷文夫が作った「DEW」と言うバンドのアルバムに収録されていた。
 乱魔堂のアルバムに松本隆も参加していたって話も、洪栄龍=布谷文夫=大滝詠一という関係の中では「成る程ね」と言う感じなのだなぁ

 しかし、普通の人にはまったく興味のない話でごめん(笑)

1996年10月17日(木曜日) わがままリッチー(笑)
 RAINBOW(虹)および Deep Purple(深紫)って、わがままし放題のリッチーブラックモア(成金黒もう一回)に振り回され続けているって感じっす。

 Deep Purpleでも来日直前に脱退とか「お前は日本嫌いなのか?」ってな感じだが、その前の年にRAINBOWで来日してるんで、ただの気紛れか。
 うむ。

 結局、リッチーさんの人徳の致すところらしくRAINBOWのメンバーは流動的っす。
【勝手に制作・メンバー流動の表】
1974年結成1975年デビュー   1975「Ritchie Blackmore's Rainbow リッチーブラックモア(G)            銀嶺の覇者」 ロニージェイムスディオ(Vo) ミッキーリーソウル(Key) クレイググロウバー(B) ゲイリードリスコール(Ds) 1976年7月          1976「Rainbow Rising/虹を翔ける覇者」 リッチーブラックモア(G) ロニージェイムスディオ(Vo)  1976/12月来日公演 トニーカリー(Key) ジムベイン(B)        1977「Rainbow On Stage」 コージーパウエル(Ds) 1978年3月          1978「Long Live Rock'n Roll/ リッチーブラックモア(G)         バビロンの城門」 ロニージェイムスディオ(Vo) デビッドストーン(Key) ボブディズリー(B) コージーパウエル(Ds) 1978年末          1978「Down To Earth/ダウントゥアース」 リッチーブラックモア(G) グラハムボネット(Vo) ドンアイリー(Key)      1980/来日公演 ロジャーグローヴァー(B) コージーパウエル(Ds) 1981年2月         1981「Difficut To Cure/アイサレンダー」 リッチーブラックモア(G) ジョンリンターナー(Vo)   1982「Straight Between The Eyes/ ドンアイリー(Key)              闇からの一撃」 ロジャーグローヴァー(B) ボブランディネリ(Ds)    1983「Bent Out Of Shapes/                      ストリートオブドリームス」  なんか基本的にリッチーさんのソロプロジェクトっぽい気もしないでもない。メンバーチェンジをして1枚アルバムだして、ツアーして、メンバーチェンジして(笑)

 最後のメンバーで3年ぐらい続いたのは、残った人々が辛抱強かったのかもしれない。
 結局このメンバーの時にDeep Purpleの再結成話を持ちかけられて、リッチーさんはあっさりとRAINBOWを解散して、そっちに行ってしまった(ひでー(笑))
 たしかDeep Purpleが1976年に空中分解して解散したのも、元はと言えばリッチーさんの脱退が引き金だったんだよなぁ(笑)

 私が好きなのはちょっとポップなんだけど「Difficut To Cure/アイサレンダー」あたりかな・・・

1996年10月18日(金曜日) ポケットビスケッツ・・・・・
 水曜日に日テレで始まったトップテン形式の音楽番組を見た。
 上位を占めている曲はあのへんと、このへんだな。ってのは解っているんであまり興味がないが、それと同時に昔の曲も流すって言うんで見た。

 しかしビックリしちゃったのが、4位にかの「ポケットビスケッツ」がランクインしていたと言う事なのだ。うむむむむむ。私は考えこんじゃいましたね (笑)
 確かこの曲を放送しているウンナンの番組も同じ日テレだったんで、もしかするともしかするケド、なかなかビックリする物があるっす。

 ウンナンがらみでは昔「やるならやらねば」と言う番組で「内村光良&ちはる」が「マモーミモー・野望のテーマ」と言う曲をリリースしたのを持っています (笑)
 作詞曲プロデュースが、かのフェアチャイルドの戸田誠司で、なかなかファンキーで好きな曲です。思いっきりぶち切れた曲と言う事もあって (笑)
 今回のポケットビスケッツの曲は「マジ」なんすよね?本気と書いてマジと読む「マジ」なんすよね? (笑)
 なんか私はどっちつかずな気がしてしまうんですが、先入観ナシで聴けばいいんでしょうけど・・・。

1996年10月19日(土曜日) 小室さんって凄〜ぉい (笑)
以前読んでいた音楽雑誌の投稿欄

   「この間何気なくTMNのCDを聴いていたんですけれど、
    その時にふとCDデッキの秒なんかが表示される所を見た
    ら、曲のリズムと数字が変化するのとがシンクロしていた
    んです。びっくり!こんな所にも遊び心をいれる小室さん
    のセンスの良さに改めて感激しちゃいました」

とか言うのがあった・・・・・

 うーむ多分、リズムの設定はBPM120なんだろーな。
コンピュータで音楽を作っている人にとってはデフォルトなんだが (笑)

1996年10月20日(日曜日) 芸術の定義は芸術家にしか出来ない
 芸術とは創った人が「芸術です」と宣言した瞬間に芸術に変化します(笑) たとえば某美術館にあったのでは、どう見てもガラスの破片が適当に置いてあるだけの「芸術作品」なんかもありました。
 これは実際に起こった事件なんですが、某芸術家が創ったオブジェは普通の黒ビニールの中に色々な物を詰め込んでそれを乱雑に積み重ねただけの物で、それをその作者は「芸術作品」と称していたんですが、翌日、本当のゴミと間違えられて捨てられていたそうです (笑)

 はっきし言ってピカソが晩年に書いた絵を本気で「芸術」と思っている人がどれくらいいるのか?って問題があったりします。彼の場合、初期の写実主義から印象派の影響を受け、その後キュビニズムへの傾倒し、戦争を経験して内面的な・・・・とか知っていても、晩年の作品は私には芸術には見えません。面白い作品だとは思うけど。

 自分が知っている世界がいかに局地的な一部分だけでしかないかって感じる事もあるっす。