杉村ぐうたら日記(1996年10月21日〜31日)

▲1996年10月21日:月曜日:アバウトな時代なのだ
▲1996年10月22日:火曜日:オリジナル音楽という立場でリミックス
▲1996年10月23日:水曜日:それだけは勘弁してくれ〜〜〜〜〜〜〜っ
▲1996年10月24日:木曜日:エレファント・カシマシ
▲1996年10月25日:金曜日:ミニアルバムって
▲1996年10月26日:土曜日:コンセプトアルバムって言葉を知っているかい?
▲1996年10月27日:日曜日:音楽と芸術と大衆性
▲1996年10月28日:月曜日:売れ線は悪いか?しかし売れればいいって物でもない
▲1996年10月29日:火曜日:音楽の正解
▲1996年10月30日:水曜日:プロになって堕落するアーティスト
▲1996年10月31日:木曜日:川本真琴「愛の才能」
1996年10月21日(月曜日) アバウトな時代なのだ
最近ちょっと『日本ロック紀GS編』なんて言う、1960年代にベンチャーズやビートルズに影響を受けて日本でも大量のグループが活躍していた時期の事を記録してある本を読んでいたりします。

この中の説明で「ジャケットには4人しか写っていないが、本来は5人組でジャケットに使った写真の関係で1人抜けてしまった」みたいな事を書いてあったりする。すげーいいかげん (笑)
有名所ではスパイダースのデビュー曲のジャケット写真にも、撮影日に遅刻してしまったムッシュかまやつは写っていない。

うーむ、いいかげんな時代だったのだなぁと思っていたらもっと凄いのがあった。

「そのバンドのボーカルが録音当日に風邪をひいていたので、別の人がボーカルを吹き込んだ」うーむ (笑)

1996年10月22日(火曜日) オリジナル音楽という立場でリミックス
【Key of Life】

 アレンジとか、カバーって状態じゃなくって、元々ある曲の部品をサンプリングして、オリジナルのメロディを創作して歌にしているグループってので、今日本には『Key of Life』ってグループがいたりする。

 1曲目が去年の8月にリリースされた「カシオペア/ASAYAKE」に無理矢理、詩をのっけた「ASAYAKEの中で」って曲。
 2曲目は今年の4月にリリースされた「小田和正/ラブストーリーは突然に」を利用した「Love Story-時をこえて今も」と言う曲。
 3曲目は9月にリリースされた「Char/SMOKY」を利用した「MOTION & EMOTION」

 なんつーか、これでいいのか?と思ってしまうくらいにダサイ。
 オリジナルを好きな人だったら、憤慨して不買運動を起こしそうなくらいに、原曲を田舎臭くしたって感じがしちゃうのだなぁ、ただ単純にセンス悪いって感じ。
あまりにもダサダサなんで、アルバムも出ているらしいからそれを聞いてもっと憤慨してみたいと思ってしまうのだ。

 もしかして、それが狙いか?(笑)


 以前「キャンディーズ」の音源をボーカル部分だけ残して、演奏を全部差し替えたCDが出ていて、ついつい買ってしまったんですが(笑)  凄ぇつまらなかった。
 いわゆるレイヴ物って云うんですか?ジュリアナ・マハラジャ系のリズムばっかのハウステクノが延々と鳴っていて、その上で虚しく歌い続ける3人組って状態。
 もっとちゃんとアレンジが出来る人がやったら、凄い物が出来ると思うんですがねぇ。

 今のテクノロジーが進化した音楽状況ってヤツの問題点が見事に露見されているって気がする。
 いわゆる昔みたいに、理論的な部分、根本的な部分の編曲と言う物が出来なくても、あの手のアレンジは出来てしまう。っていうマニュアルっぽい部分の音楽という意味なんだと思う。
 そりゃ、突き詰めていけば、凄く難解な理論の元に構築された音楽なんだって部分もあるんだろうけどさ。

 リミックスとかっていうのは基本的に、自分で音楽を作り上げることの出来ない技術者が作り上げている工業生産物なんじゃないかな?って気がする。

 もしかしたら凄く言い過ぎかもしれない。

1996年10月23日(水曜日) それだけは勘弁してくれ〜〜〜〜〜〜〜っ
「HEY HEY HEY」のチャンプで内田有紀ってのを聞いたときに「例のラップが入る曲だけは勘弁してくれ」と祈ったのだ。
 で、今日その日だった。
 「では、さっそく歌ってもらいましょうか」と始まった途端に、そのラップが入っている「Only You」って曲・・・・・。
 うひゃーっと思って見ていたのだが、あいかわらずラップにもなっていないラップ部分、リズムにのる以前の問題なんだけど、内田有紀はノリノリで叫んでいる。客もノリノリでラップ部分になったらうぉぉぉ!とか盛り上がっている。

 本当にそれでいいのか?

1996年10月24日(木曜日) エレファント・カシマシ
 まだ活動しているなんてしらなかったってバンドがいくつかあったりするけど、その中の一つに『エレファント・カシマシ』と言うバンドがあったりする。

 いわゆるバンドブームのちょっと前にデビューしたようなグループで、ブーム中に沢山のバンドが出演したイベントにも出演していたけれど、とにかくポップに背中を向けたようなバンドだったから浮いていた。いや、沈んでいたと言うべきか (笑)

 そんなエレファント・カシマシ(通称:エレカシ)は今年にレコード会社を移籍して活動を再開したらしい。
 で、ひさびさにそのビデオクリップをみたのだが・・・・・

 なんか音が爽やかっぽい。で画像まで、セット撮影なんだけど青空と菜の花畑で風に吹かれながらボーカルの宮本浩二が歌っている。あいかわらず、ぶっきらぼうな感じもするのだがなんか以前のイメージと違う。うーむ、音的にはスピッツか?

 と思っていたら、段々宮本氏は叫び怒鳴り始め、ギターはギュインギュイン言い始め・・・・、足元の花を2〜3本摘みながら・・・それがしだいに束ごと引き抜いて・・・・結局セットを壊しはじめて曲は終わった・・・・

 なんか、相変わらずでほっとした (笑)

1996年10月25日(金曜日) ミニアルバムって
 以前ならシングルはAB面2曲のみで、アルバムってのは10〜12曲ぐらいが標準フ物だったと思う。
 最近はCDって事もあって3曲入り「マキシシングル」とか4曲入り「ミニアルバム」とかって云うのをよく見かける。
この2つの言い方って云うのはどのへんで区別を付けているのだろうか?
 ふと雑誌を見ていたら「3曲入り」のミニアルバムと言う場合もあるし、「4曲入り」のマキシシングルもある。

 うーむ、確かにCDサイズによって使い分けているのかもしれんと思ったのだ。
 いわゆる普通のアルバムサイズとシングルサイズによって・・・・いやどうも違う。

 結局の所メインになる曲がある場合は「マキシシングル」になって、パッケージされた数曲が同列に意味を持つ場合は「ミニアルバム」になってしまうのだな?

 うむ、しかし3曲入っても「シングル」って言い方はねぇだろー普通。
1996年10月26日(土曜日) コンセプトアルバムって言葉を知っているかい?

 以前だいい氏と話をしていて「個人でテープ編集をして、色々なアルバムからの曲を寄せ集めたオムニバス物を作るのって好きじゃない」と言う話が出た。
 私もほぼそれに近い感じを持っていて、アルバムなんかの曲順って云うのは、その曲の並び方って云うのに凄く意味があったりするのではないか?と思っている。だからCDデッキに意味無く付いている「ランダム演奏」って云う機能は凄く嫌いなのだ。
 自分も以前、オリジナル曲をテープに数曲吹き込んだ物を「アルバム」と言う形でパッケージしていた事がある。その時にテープに曲を収める時、とにかく頭を悩ませたのだ。この曲の次はこの曲じゃなくては意味をなさない!と云う感じで、その曲をベストで聴かせるための曲順と言う物に頭を悩ませたりしたのだ。

 それ以外に自分には(だいい氏もそうだと思う)アルバムというのは完成されたパッケージメディアであって、それ全体で作品なのだと言う考えをもっていたりする。
 だから、その中から1曲1曲を取り出して編集するっていうのは、極端に云えば「色々な曲のサビの部分だけを編集した物」みたいな感じがしてしまう。
 たしかにアーティスト自身が作る「ベストアルバム」と言う物もあるけれど、あれはいわゆるサービス作品として考えている。
 最近はベストアルバムと云いつつ、再録音したり、ライブバージョンでベスト盤を作ったりするパターンも多かったりする。

 が、最近はそーゆー事にこだわりはないのだろうな。
 もともと、シングルとしてCMとして使用された曲の羅列だったりするから、ランダムでもなんでも関係ない。

 うむなのだ。

1996年10月27日(日曜日) 音楽と芸術と大衆性
メジャーなノリ=音楽の質ではない。

基本的に商業音楽なんだから、売れるのを前提に発表しているんだと 思っています。私は。それがどういう方向に向かっての「売れる音 楽」なのかは別物として。

確かに硬派な作品を創り続けてきた人が、突然ポップな作品を発表し た場合、その硬派な部分を支持して新作を待っていたファンは「裏切 られた」とか思ってしまうんでしょね。
それはファンの一方的な思いこみによる「エゴ」なんじゃないかな? とも感じてしまいますけれど。

世間一般の音楽好きが、どう言う音楽を売れ線と称しているのか解り ませんが、たとえばアーティスト然としていて今や誰も文句を言わな いかもしれませんが、ビートルズなんかを例に取ってみます。
デビューしたての頃の荒々しい感じのあるロックンロールこそが最 高!と思っている人に取っては、中期の「SGTペパーズ」みたいな 多重録音を駆使して色々な音をぶち込んだ音楽を「ポップで堕落した 音楽」と思っているかもしれません。
あるいは後期の「ロングアンドワインディング」や「LET IT BE」み たいなバラード系の一般的にも受けそうな物を堕落と思うかもしれま せん。

しょせん「堕落だ」とかって言っているのは「自分の趣味に合わない 曲を発表した」とかって場合なのかな?それまで自分が好きだった アーティストに対して。

> ちょっと話ずれた。うん、やっぱり音楽は芸術なんナすよ。
確かに。
別の話で「芸術性」っていうのに触れているけれど、その「芸術」と 言う意味の捉え方にもよるけれど、感性を揺さぶられる物と言う意味 では「芸術」であって欲しいです。
それが、金持ちのおばさま達がワケも解らなく信仰して、ギネスブッ クに乗りそうなチケット代を払って聴きに行く様な「お芸術」だった イヤだけど。
(例えば三大テノールとか、そーゆーのを聴いたことないクセに理解 したフリしている人 (笑))

> あと、いくらかの職人根性。が、ないと僕はイヤかも。
これも絶対的に必要です。
いわゆるメジャーなのが嫌いな人は「コマーシャリズムを意識してい るから」とか言うだろうけど、基本的には売れてナンボと言う考え方 も有りだと思っています。だってメジャーレコード会社から商売とし て出して居るんだから。
才能と言う物は、相手にいかに自分の考えや感じたことを伝える事が 出来るか?と言う物だと思います。それが出来ない人は、勝手に自己 完結とか自己満足してなさいって感じ (笑)

私は「芸術」と言う名前の「大衆芸能」が好きです。
1996年10月28日(月曜日) 売れ線は悪いか?しかし売れればいいって物でもない
そのメジャー=堕落・コビって言う考えは、長い間音楽に接している と何度も耳にしたりします。
私はいわゆるドマイナーと言われる音楽も好きなんだけど、それと正 反対の歌謡曲と呼ばれるド商業主義音楽も好きなんで、なかなか難し い所があります。

いわゆる職業作家として「メジャー=ダメ」と考えている人に取って は敵みたいな存在に『筒美京平』と言う作曲家がいたりするんです が、私はこの人を敬愛していたりします。
もう60年代のGS時代から、職業作家として第一線で活動している人 で、とにかく凄い人です。この人の場合は「この人ならでは!」と言 うメロディーを持たない職業作家としての「俺は何ンでも作り出せ る」と言う部分が凄いっす。基本的に歌謡曲は売れてナンボの世界な のでその世界で常にヒットを生み出し続けて(しかも後世まで残る 曲)をいるってのは、他に類をみないです。

> こういう人、多い気がします。今の日本の音楽の世界ってかなり
> ただれてると思うから(むかしのことは分からないけど、すくな
くとも今は)
確かにね、最近の100万枚以上売れた曲って数年経って思い出せる か?と言ったら、かなりの人が思い出せない曲になっていると思う。
(数年前のビーイング系・さらに数年前のバンドブーム系)
ま、昔から下らないと思われている音楽は氾濫していたワケで、でも 以外とそーゆーのが売れてしまったりするんですよ。
> こういうものを素直に感じられるようになれれば、メジャーとか
> マイナーとかあんまり気にならなくなるんでないのかなと思うっす。

マイナーもメジャーも関係ないっすよ。
その辺の境界線は聴く方が勝手に付けてしまうだけでね、いわゆるい まだに「インディーズで活躍しているアーティストの方がかっこい い」と言う人が多かったりするのは事実。だからメジャーデビューし た途端に音楽性が変わった訳でもないのにファンを辞める人もいたり する。
でもね、最近のインディーズを聴いていると「普通のポップス」なん かが溢れていたりする。特にデカダンの香りを漂わせているビジュア ル系と言う音楽なんて「ひと昔の臭い歌謡曲」だったりするんだけど ね。

だから最終的にはチャートにも惑わされずに、自分の好きな音を追求 して聴いていくしかないんじゃないかな?
それには普通に音楽を垂れ流して聴いている人より、音楽へ向けるエ ネルギーは必要になるけれど。
1996年10月29日(火曜日) 音楽の正解
とある小説家の人が言っていた言葉で「ベストセラーとは普段、本な んかを読まない人によって作られる物だ」と言うのがあるんですが、 これは負け惜しみでもなんでもなくって、確かにそうだと思ったりし ます。

いわゆるチャートに上がる曲は(全部とは言わないけれど)そんなに 深く音楽のことを考えている人が聴いているワケでないって事っす。

音楽というのは基本的に嗜好品で「正解」と言う物が存在しない。だ からこんなに世の中に多くの曲が溢れているんだと思う。
きっと「正解」と言う物が出てしまう物だったら、そこで終わってし まうんだろうな。
だから「甘い物」が好きな人だっているし「辛い物」が好きな人だっ ている「薄い味」「濃い味」が好きな人もいる「硬い物」「軟らかい 物」「熱い物」「冷たい物」色々な好みがあるから音楽って楽しいん だろうなと思っているっす。
ヘタに頑なになって「やっぱ最高に旨いのはキャビアっすよ」とかに なって、みんなに好まれる「カレー」「ラーメン」を単純に否定し ちゃうのも、また別の意味で困り物になってしまうかもしれない。つ まり「流行っているから嫌い」とかって考え方ね。そうじゃない意味 で「舌触りが嫌い」とか言う凄く個人的に自分が感じることの出来る 感覚的な部分で好き嫌いを見つけるべきだって思ったりします。いわ ゆる「メジャー=嫌い」と言う人に関しては。
1996年10月30日(水曜日) プロになって堕落するアーティスト
 インディーズ系のアーティストを好んで聞いている人っていうのは、何ていうのかな、優越感みたいな物をどっかしら持っていて音楽を聴いていたりする部分もある。様な気がする(笑)
 自分もついついやってしまう事があるんだけど、マイナーはグループの名前をどっちが知っているか?で偉いとかって気分になってしまう。
 だからメジャー=一般大衆に受けている低俗な物、と言う凄け単純な思いこみだけの理論を抱えている人がいたりする。

ポップ=下らない

 と言う理論を持っている人は、ディープに音楽に触れている人に多 かったりする。
 だけど、いいじゃんそんなの勝手だろとか思うのだな。

 ファンと称される人が全員が全員、同じ考えでそのアーティストを 支持しているワケではなっかたりするんだろうから、ある人に取って は「受け狙いで堕落」と感じ、ある人は「さらに良くなった」と感じ たりするかも知れないっす。
 ずっと同じスタンスで同じイメージの曲を作り続けて行くのを『確 固としたポリシーがある』と読みとるのか『成長がないワンパターン』 と捕らえるのか、聞き手によっても個人差が出てくると思います。

 それに、ファンは 100%その人の曲だけを、その手の音楽だけを聞 いている訳じゃないのに、アーティストには 100%その音楽だけを要 求したりする。
 求道者的なアーティストでない場合、長いこと音楽をやっていると 突然、まったく違った音をやってみたくなったりするんじゃないかな ぁ。受けとかじゃなくて。
 そのアーティストにだって生活があって、嗜好が変わって行くこと だってあると思う。

 基本的に、その辺の「堕落」したとか言う人の気持ちは僕には永遠 に解らないのかもしれない。
 どマイナーと思われような曲だって好きだったりするし、今度、久 保田利伸の曲で歌手デビューする中山エミリにも興味あるし(笑)
 聞く方も実際の所言えば変化して行ったりするハズ。以前好きだっ た曲が色あせていたり、逆に下らないと思っていた曲が好きになった り。抽象的だからこそ音楽は楽しい。
 ま「堕落した」とか言っている人は他の音を探すか、過去の音にし がみついていればいいんじゃないかなぁ
1996年10月31日(木曜日)  川本真琴「愛の才能」
 最近、HEY HEY HEYのエンディングテーマに川本真琴「DNA」が使用 されてますが、うーむ平成の「夢想花 BY.円広志」 (笑)←こんなの誰 にも解らないか?

 この曲って自分で作詞作曲しているみたいっすけど、これの前のデ ビュー曲もそうなんですかね?
 あの曲って思いっきりプロデューサーの岡村靖幸の曲って感じだっ たんだけど。
 なんか好きです (笑)

 去年、岡村ちゃんは久々にアルバムを出したけれど、結局プロデュ ース的な仕事がすきなんですかね?密室に閉じこもってひとりでレコ ーディングしているのが好きだって言う事を昔言っていたから。
 おかげで去年久々のアルバムを発表した時にはずいぶん太っていた ような気がする。あの状態でもライブではブリーフ1枚になるつもり なのかなぁ?

 川本真琴の「DNA」はなんか息継ぎが辛そうな所が良いのかもしれ ないが、こーゆー歌もカラオケで歌われたりするのか?