杉村ぐうたら日記(1996年11月1日〜10日)

▲1996年11月1日:金曜日:BEST OF BEST(加藤いづみ)
▲1996年11月2日:土曜日:そういえば篠原ともえ
▲1996年11月3日:日曜日:演歌の未来
▲1996年11月4日:月曜日:野村モータース
▲1996年11月5日:火曜日:パロディのパロディ?
▲1996年11月6日:水曜日:花婿学校(路上教習中 (笑))
▲1996年11月7日:木曜日:本物志向・・・・
▲1996年11月8日:金曜日:カリスマ系のアジテーション
▲1996年11月9日:土曜日:音楽なんて学生時代の遊びさ
▲1996年11月10日:日曜日:音楽なんて学生時代の遊びさ2
1996年11月1日(金曜日) BEST OF BEST(加藤いづみ)
 加藤いづみがベストアルバムを発売する。それも一気に2種類。
 と言うパターンだったらよく『ROCK BEST』『BALLADE BEST』 とかテーマ別にしたベストアルバムを2種類出すってのが、これまで にもあった。

 ところが、この加藤いづみのベストアルバムはどーも様子が変なの だ。

 まず1枚目が『SMILES & TEARS』と言うベストアルバムで 24曲入り2枚組(\3,400)
 もう1枚は『SMILES & TEARS SELECTION』と言う名前の ベストアルバム12曲入り(\2,500)
 つまり、一気に1枚と2枚組のCDを発売する事になる。

 実は『SMILES & TEARS SELECTION』と言うベストアルバムは、 もう1つの2枚組ベストアルバム『SMILES & TEARS』に収録された 24曲をさらに絞り込んだ12曲が収録されていたりするのだ。

 つまり『SMILES & TEARS SELECTION』に収録されている曲は 100%(バージョン違いも無し)2枚組の『SMILES & TEARS』に 収録されている。
 でもって『SMILES & TEARS SELECTION』の宣伝コピーが
 『BEST OF BEST』

 うーむ、なんか2種類発売する事の意図が見えない。
 熱狂的なファンは2種類買うって事を見込んでいるのかなぁ?
それじゃまるでジャニーズ系がこれまでに出してきた「A面同一 曲B面のみ違うシングル」とか「シングルの4枚に1枚の割りで サイン色紙がもれなく貰えるチケットが入っているシングル」に 近い物があるっす。
1996年11月2日(土曜日) そういえば篠原ともえ
 何ツーか、篠原ともえってヤツは、現役の工業高校に通っている女 子高生なんだけれど、工業高校なんとか展て感じのポスターに入賞し てしまったらしい。
 いわゆる芸能人だからって事ではなく、一般の工業高校に通ってい る生徒の出品作品として。

 うーむ、なんか凄いヤツかもしれない。
 ある種、アーティストぶって格好付けているクセに、ただ歌ってい るだけでアーティスティックなクリエイティブな事をしていない人よ り、クリエイティブな人かも知れない。

 勇気が無くてまだファーストアルバム買っていないけれど、買おう かなぁ。アコースティックも好きだけれど、ばりばりの歌謡テクノも 好きだからなぁ(節操なし(笑))
 いわゆるアイドル然とした歌謡曲がほぼ消滅してしまった中で、あ の存在はなかなか捨てがたいです。現実にいたら嫌かもしれないけれ ど。

 おまけに名作TV番組「クレクレタコラ」の主題歌をカバーしてい るらしい。うむむ、プロデューサーの石野卓球(By電気グルーヴ)の 趣味だとは思うけれど。
1996年11月3日(日曜日) 演歌の未来
何故、若い人は演歌を聴かないのか? まったくの部外者(演歌にさほどの興味がない人)から言わせて貰うと「どの曲も同じに聴こえる」「新曲なんだか、古い曲なんだか判らない」 現時点で言われている『演歌』と言うジャンルに 属していると思われる部分が、小室ファミリーの曲よりもそれぞれの 曲にメリハリが無い状態で・・・。あれは自分たちで門戸を閉ざして しまって居るみたいなんですけど、ねぇ。 いまだに残っている『師弟制度』ってのが、新しい作曲家などを生み 出さない事に拍車をかけているってのに、自分たちで気が付かないの かな?伝統芸能と言われている歌舞伎でさえ、最近はSFXを駆使し た舞台演出などで進化しつづけているのに・・・・。 実際、演歌歌手と言うのは上手い 演歌歌手と言われている人も、実際は普段ロックが好きだったり、学 生時代はロックをやっていたりするんだから、そう言う部分もちゃん と考慮した、時代に即した演歌と言う世界を作っていけばいいのにと 思います。 以前、細川たかしが「北酒場ロックバージョン」とか言って唄ったの がありましたが、それはただ単にテンポを早くしてドラムの音をうる さくしただけだった(笑)そう言う、無闇に若者に迎合したのは困って しまいますけどね。特に細川たかしはリズム感無いし。 かの、藤あや子は、昔っからエアロスミスの大ファンで、数年前に来 日したときはプロモーターに頼み込んで対談が実現されたらしい。 その時の写真ってのが、神社の鳥居をバックにエアロスミスのメン バーと真ん中に着物姿の藤あや子、なんか感動的な写真だった(笑)
1996年11月4日(月曜日) 野村モータース
先日ふとした事から野村義男がやっていた「THE GOODBYE」の話が出 た。で、このバンドをちゃんと評価している人に会ったのが初めて だった。 多くが「売れないヨッチャン」「どこ行ったヨッチャン」とか、そん なネタでしか使わないが、野村義男はかっこいいぞ。ただ、ちゃら ちゃらして芸能界でデビューしたのが間違いだっただけの男なのだ。 で、その時の話題に出ていた「夜のヒットスタジオ」で「肩からジャ ケットを羽織って『25ans/ヴァンサンカン』と言う曲を演っていた」 「たしか中継でポールマッカートニーが出演していた」と言う日のビ デオを探し出しました。 で、野村義男が中央で歌っている。イントロでも曲中でも、ギターは まったく弾かない。で、歌を2番まで歌い終わった瞬間、それまでギ ターを弾かなかったエネルギーをたたきつけるようなドライブしたギ ターを・・・・・ あの当時は「いい曲だな」ぐらいにしか思っていなかったが、今改め て演奏面で聞き直してみると、むちゃくちゃかっこいい。時代が早す ぎたのか、結局日本芸能レベルで受け入れられる音楽では無かったの か? ちなみに、その時に中継で出演していたポールマッカートニーはバイ オリンベースを抱えていたが・・・・演奏してねーな(笑)    ちなみに1989年6月7日放送分
1996年11月5日(火曜日) パロディのパロディ?
ビートルズのそっくりさんバンドで「ラトルズ」と言うのがある。 もう20年近く前に、イギリスのお笑い集団モンティパイソンが企画し て、バカ大爆発のビートルズのパロディアルバムなんかをリリースし ていたグループだったりする。 どの曲も、それぞれが巧妙なパクリをしつつ、パロディ大会だった。 そのラトルズが、最近のビートルズアンソロジーでの復活をきっかけ に、復活してしまった。 しかも凝った事に、あの当時ジョンレノンを演じていた人抜きでの再 結成なのだ(もしかしたらビデオ作品なんかには過去の映像として出 演するかも知れないが) うーむ、根性の入りまくったパロディだなぁ と、思っていたらこんどは、イギリスの色々なアーティストが寄って たかって、ラトルズのトリビュートアルバムを作ってしまったのだ。 凄いっす、イギリスって国のギャグに関しての深さは。
1996年11月6日(水曜日) 花婿学校(路上教習中 (笑))
 世の中には「花嫁学校」ではなく「花婿学校」とかいうのがあるそうで。  しかし、そう言うのを受講する人ってマジなのかな?マジなんだろうなぁ。  でも、学校で教えて貰っていないリアクションを相手の女性がした時、どうしちゃうんだろ?  いわゆる会話ってのでも、これは教わって出来る物でもないと思う。基本は相手の話に対してどういうリアクションを取れるか?って事だと思うんで実際経験しかないんじゃないかなぁ  ときどき他人と会話をしていて「うぬぬぬ」と思ってしまうパターンの人に、話題を終了させる人がいたりする。それとか軽い気持ちでカマシたギャグに真剣に反論したりされて、思いっきり白けてしまうパターン。  あるいは、盛り上がっている話題の腰を折って、まったく関係ない話題をする人とか。  なんつーか「会話を楽しむ」と言う部分がないのかな?って気もするんだな。きっと、そーゆー会話って言うのは教えられる物ではないって気もしたりする。これこれこーゆー会話の展開させ方はよくありません。とか言われても「どーして?」等と思ったりするのだな。  会話にしろ、何にしろ、実際の人間に対面した時に必要なのは『相手の気持ちを読む』と言う事だったりするんだよなぁ。自分がされたら嫌な事は相手にもしない。(これは個人差もあるけどさ)てなのさえ解っていたらいいんじゃないのかな?  時々会話をしていて「楽しくないの?」って聞きたくなるくらいに、怒った様な顔をしているヒト、あるいは無反応なヒトとかいるけれど、だったら会話に参加するなぁぁぁ!とかって思ってしまうのだな。
1996年11月7日(木曜日) 本物志向・・・・
ふと「もっといい音楽を聴け」などと、最近のいわゆるヒットを前提 に作られたヒット曲などを聴くと思ってしまう事があるんだけれど、 逆にそれでもいいかも知れないって思ってしまう事もある。 きっと、その「いい音楽」と言う意味が解らないだろーなぁとか、良 い悪いってのも個人レベルでの好みの差でしかないので、決めつける 事は出来ないと思う。 ただ、その「音楽」と言う物が自分にとっては生きていく上で、もし かしたら一番大切なのかも?と思える物だから、そんな意見を持って しまうのかもしれない。 先日仕事で、とあるお菓子研究家の本をやったとき、そこに書いて あったエピソード。   『たとえば、いちじ一世を風靡したティラミス。これに    使われるチーズは、イタリアのロンバルディア地方特    産のフレッシュチーズで、マスカルポーネ(5000円位/Kg)    という。    しかし、私たちが購入していたものは国産のマスカル    ポーネガト(1300円位/Kg)を使用いる様なティラミス    だった。    メディア効力もあり、それなりの値段と味で、私たちは    満足をしていた。    しかし、あれはティラミスではない。まったく異なるも    のをティラミスだと思い、満足していたわけである。』 と言う事が書かれ、この先にその作者は、やはり本物を食べなくては いけない。みたいな事を書いてあったのだが、僕はふと「おいしけり ゃそれでいいじゃん。その味で満足してんだからさ」などと思ってし まったのだ。 とりあえず私にも、それなりに味ってのにもこだわりはある。 食って言うのは、いわゆる「好き・嫌い」で判断するたぐいのジャン ルだから。 でも、音楽ほど思い入れが無いために「おいしけりゃいいじゃん」と 思ってしまうのだなぁ。 カレーとラーメンの順位を決められない様に、どれが一番ってことで もない。 カップラーメンと言う、本当のラーメンとはまったく違うジャンルと も思える物だって美味しいって感じるし、駄菓子屋で売っているワケ の解らない20円ぐらいの「カツ」とか言うのだって美味しい。本物な んてどこにも存在しなくたって、美味しかったりするのだ。 てな事を考えると、どの音楽も順位を決められる物ではなくて、それ ぞれが別個のジャンルの音楽だったりする。 アコースティックだろうと、ぐりぐりテクノだろうと、なんだろうと。 どっかで聞いたようなメロディを拝借した音楽だって、工業的に大量 生産された様な音楽だって、美味しいと感じる人にはおいしい。どれ が正しいなんて事はない。 でも、全員がティラミスを食べに走るような世界は不健全だなって思う。
1996年11月8日(金曜日) カリスマ系のアジテーション
【生活感がないからカリスマ】 よくカリスマ系の人が唄いたがる「くだらない大人」とか「通勤電車 に揺られる疲れたサラリーマン」等など、そう言うのを学生時代に 「まったくそうだよなぁ◎淵っていいこと言うなぁ」などと思ってい た人が気が付くと、そっち側に来ていたりする。 そりゃ、カリスマ先生みたいな人じゃない限り、人にペコペコ頭下げ てこき使われて電車に揺られるサラリーマンになるんだもんね。 その時、その人はかつて敬愛していたその歌をどんな風に聞くんだろ うか?って思ってしまう。 根性の無いヤツラと、カリスマ先生が唄っていたりするサラリーマン だって、そーんなに楽じゃねぇぞ。 長◎剛みたいな性格の人にサラリーマンはつとまらないだろうなぁ自我を押し通すのが正しい生き方ではないぞ。
【アマチュアのカリスマ】 その系統のカリスマ。アジテーションソングが好きな人もいる。メッセージではなくアジテーションな曲ね。 そんでもって最悪な事に「自分も作ってみよう」なんて思ってしまう。 プロのカリスマの人だって、その他大勢の生活感をしらないクセに意味ありげな歌を歌っているワケで、さらにそれに上乗せをした内容の詩を、生活能力ゼロ・親のスネをかじっている学生が世の中の矛盾を糾弾するような曲を歌ってしまう。 その手の音楽を好むのが、なんつーか、アジテーション以前の押しつけがましいヤツで実に押しつけがましくって、ただ単に自己顕示欲の塊。 そんでもって安易なアジテーションソングを歌ったりする (笑) 「周りのバカなヤツラ」とか「世間のインチキ野郎」とか、そんな人々を笑い飛ばす様な内容の歌を歌ったりする。で、唄っているオマエは何者なの? ってな状態。 そんなアマチュアフォークの状況って言うのは20年前で終わっている と思っていたんだけど、今もまったく変わっていないみたいっすね。 自分の場合も学生時代に周囲にそんな、大層な方々がたくさん居まし たが、その方々も現在30才を超えてすっかり角が取れてしまったの か、あの当時自分たちが唄っていた「くだらない大人」になっている みたいです。
1996年11月9日(土曜日) 音楽なんて学生時代の遊びさ
この夏、ちょっとしたことで、その当時大嫌いだったフォーク野郎に逢った。本当は二度と会いたくなかったのだが(笑)友人の友人って事もあって、逢わざるを得なかった。 その男には、昔、一生懸命多重録音した「これぞ最上級のポップス!」と自分で自負していた曲を一言「なんだ歌謡曲じゃん」と片づけられた嫌な思い出があったのだ(笑) しかも、それのおかえしに彼が聞かせてくれた当時彼1押しの曲が「こっちを向いてくれよお嬢さん」と言うまったく内容の無い曲だった。どこまで行っても「こっちを向いておくれよ〜」という内容で、普段お前の言っているポリシーのあるとか、硬派なのってこれの事だったのかぁぁぁ!って感じの曲だった。 ちなみにメロディは吉田拓郎70%長淵剛30%含有でした。 で、10年以上振りにあったその男は確かに歳相応に老けていた。そこで友人から僕がまだ詩や曲を作っていると言うのを聞かされていたらしく「まだ音楽やってんの?」と第一声がそれだったのだ。 彼はとうの昔にギターを弾いていなくて、25才ぐらいでの結婚と同時に演奏したりするのを辞めたそうなのだ。 ま、その程度の男なのだな、音楽に対しては。 で音楽の話をしても、最近のヒット曲はあんまし知らない。10年前で音楽的知識は停まっていたのだ。
1996年11月10日(日曜日) 音楽なんて学生時代の遊びさ2
その時に彼に対して「僕は作詞作曲するのが好きで、基本的に自分でその歌を歌うつもりは無いんだよね」みたいな事を言った時に「何で?やっぱり歌わなきゃ」と言う事を何度も言っていた。 思い返してみれば、この男にとってフォークギターを持つと言うのは「演奏を楽しむ」とか言うことではなく、自己顕示欲を満たすためにやっていたのではないか?と言う感じがしたのだ。確かに、この男が誰かのバッキングに徹したギターを弾くというのは見たことがない。 いつもお山の大将で旨くもない歌を歌って「俺ってスター」と気取っている様なヤツだった様な気がする。 確かにね、演奏したりする人なんかは、普通の人より目立ちたい。っていう自己顕示欲が多いかもしれない。この押しつけがましいって感じる境界線は凄く微妙なんだけど、その境界線を向こう側に超えてしまっている人は、いわゆるフォークと言うジャンルをやっている人には多い様な気がする。 もしかして「俺はギター1本で勝負するんだ」って言うのは、バンドを組むほどの協調性が無いって事の裏返しなんじゃねぇの?と勘ぐりたくなってしまうのだ。
しかし、やっぱり音楽なんてのは学生時代の遊びなのか? 以前いた会社で、新入社員と話をしていた時の事、その新入社員が大 学時代に「もーバリバリにギター弾きまくりっすよぉ、講義に出ない でいつも部室にいたんすよ」と言っていたので「うむむ」等と思って いたのだが「ギター?あぁ卒業する時に後輩に売ったっす」と言うの を聞いて思わず後ずさりをしてその話題をフェイドアウトさせてしま った事があった。 やっぱし、そのバリバリにやっていたって言うヤツも、バンド活動っ てのは「学生時代だからできる事」とか「ガキの遊び」だと思ってい たのかな? 高校の時、ギター部って所に所属してクラシックギターの合奏とかを していた事もあるんだけれど、入部して一番最初の練習の時に先生が 『君たちはギターでフォークとかロックとかを弾きたいと思うだろう けれど、その手の音楽って言うのは20才30才になった時には楽しめな い。やっぱり長い事音楽に、ギターを弾くと言うことに接したかった らクラシックだ』と断言していたので、うむむむむむ、と思ってし まったっす。 やはり30才を過ぎたら演歌なのか? (笑)