杉村ぐうたら日記(1996年12月21日〜31日)

▲1996年12月21日:土曜日:やっぱ基本はカラオケなのか?
▲1996年12月22日:日曜日:松井・・・・・
▲1996年12月23日:月曜日:今日が お誕生日の 2人
▲1996年12月24日:火曜日:これは色々な意味でむむむなのだ
▲1996年12月25日:水曜日:罰則と言えば
▲1996年12月26日:木曜日:地獄へまっ逆さま!
▲1996年12月27日:金曜日:過保護っすね
▲1996年12月28日:土曜日:大地震発生!
▲1996年12月29日:日曜日:うむ・・・もしや・・・
▲1996年12月30日:月曜日:破滅の美学(X-JAPAN)
▲1996年12月31日:火曜日:今年を振り返って・・・・
1996年12月21日(土曜日) やっぱ基本はカラオケなのか?
 知人に呼ばれてちょっとした宴会に行って来た。
 何人かが初対面だったのだが、その宴会の場所がカラオケって事で、やっぱしカラオケでは話があんまし出来なかったりするもので、うーむと言う感じなのだ。
「じゃビックエコーに集合って事で」
 と、集合場所を電話で教えて貰った時は、思いっきり憂鬱な気分になってしまったワケだ。

 やっぱ、みんなワイワイ楽しめる場所、と言うことだとカラオケになってしまうのかな?うーむ。

 しかし、何故か今回のグループはボックスの中に入って「じゃ早速1曲目を」などと言う感じではなく、延々と話をしていたりするのだ。
 で、2〜3曲、歌があって、またしても会話・・・で思い出したように2〜3曲,うーむ

 取りあえず「小室系」のカラオケが1曲も無かったっていうのが嬉しかった(笑)
 私の選曲は大滝詠一「恋のナックルボール」
      ジョンレノン「HAPPY X'MAS」
      RCサクセション「僕の好きな先生」
1996年12月22日(日曜日) 松井・・・・・
 で、カラオケが終わって「2次会はどーする?」と言う事で、三島広小路にある某スナック(なのかな?)に行った。もう12時って感じだったので店自体は閉店状態だったのだが、今回のメンバーの1人がマスターと知り合いなので、無理を言って寄せてもらった。

 で、そこでは基本的に話しが中心だったのだが、ふと左方向から異様な殺気を感じて視線を移動すると・・・そこには、ほぼ店じまい状態だったのでマスターもその席に座っていた。そのマスターとばっちりと視線が合ってしまったのだ。
 実は僕はこの店に入った瞬間からマスターが特殊な人なのでは?と感じていた。

 いわゆるモーホーな人なのでは?と

 普通にしていても、その手の人と言うのは何かした特殊なオーラを発しているのだ。それを私は察知することに敏感だったりする。
 10代後半にその手の人に熱い視線を送られた事などが何度かあって、私は凄く恐れているのだ。
 で、突然マスターが僕に向かって「こちらはアルコールは召し上がらないんですか?」などと話しかけてきたのだ。その時、僕はこの日初対面だった女の子と話をしていたので、そっちを盛り上げようと思っていたのだが・・・
「は、なんか家系みたいで、どーもアルコールはダメなんですよ」
「へぇ、こちら髪型が松井に似ているわね」
え?まついって誰だ?
 現在、僕は髪の毛を切った直後状態なので以前ならば「吉田栄作を意識してんの?」などと言われたような髪型なのだ。松井・・・もしかして巨人軍のゴジラ松井?
「そ・・そうっすか?」
「うん」
 と言った所で別のメンバーが話しかけて来てくれたのでそこで会話は終了したのだが、それ以降も何故か視線を感じ続けたりするのであった。

うーむ

 店を出た後、他の人も「あのマスターってあっちの人だよね?」と言っていたのだ。
1996年12月23日(月曜日) 今日が お誕生日の 2人
>1933....昭和(昭仁)天皇.......(皇族)
>1939....水森亜土.............(イラストレーター・タレント)

 12月23日は「天皇誕生日」であると同時に「水森亜土ちゃん誕生日」なのだな。

 最近の人は知らないかもしれないが、1970年の初期にファンシーでメルヘンな世界をぶちまけていった、得体の知れない人なのだ。
 あの当時でさえ「結構年令凄いんじゃねぇの?」って感じだったのに、ひらひらドレスとか、オーバーオールにハンチングとか、わざとソバカス書いたりしてTVにも出まくっていた(計算すると31才〜36才ぐらいだったワケだ)
 子供心にうげーっと思っていた(女の子には人気あったけど)

 で、つい最近、偶然にTVに出ているのを見てしまったのだが・・・変わっていない。そして今年で57才・・・・・・


【次世代の水森亜土ちゃんを探せ (笑)】

 いつの時代にも年令不詳で御子様っぽいキャラクターを売り物にしつつ、実はかなり年令の言っているタレントが存在するのだ。
 しかし、一度定着してしまったキャラクターを変更する事は難しい。だから、芸能活動を継続していくとなると、勢い無理を承知で「御子様」を維持して行くのだ。

 その手のキャラクター候補として今一番キツそうな人生を歩みそうなのは「千秋」あたりだと思う。
 実際、何歳なのか判らないけれど、かなりキツい部分が見え始めている。この手の「御子様」を売り物にする女性タレントに取って一番ネックになるのは「性としての女性」が見えてしまう事なのだな。

 千秋以外に「御子様」寄りの芸能人として、最近疲れが見えているけれど「YOU」なんてのもいる。なんか、最近急激に老けてしまった様に見えるのだ。
 年令不詳と言う意味では「鈴木蘭々」と言うのもいる。彼女の場合まだ20才ぐらいなので、素のままで「御子様」なキャラクターでもなんとかなるような気がするが、良く見ると逆に「本当は30才位なんじゃないのか?」と言う老けた様な顔の時もある。音楽アーティストとしては、最近はしっとり系を歌っていたりするので、もしかしたら「御子様」キャラクター脱出計画の最中なのかもしれない。
 ちょっと前なら「ゆうゆ」と言うキャラクターもいたが。自らこのままじゃいかん!と気づいてしまい芸名を本名の「岩井由起子」にしてフェイドアウトしつつある。(最近はまったく見かけないっす)

 うーむ、亜土ちゃんへの道は険しいのだ。

 そう言うワケで今楽しみなのが「篠原ともえ」彼女がこのまま芸能界に定着できるキャラクターなのかは不安の残る所だが、このまま芸能界に残ることが出来た場合、いったい何歳ぐらいまであのキャラクターを持っていく事が出来るかが楽しみなのだ。ぷりぷりっ

PS
別の意味で精神的な水森亜土ちゃん状況を爆走中なのが西村智美だな・・・俺あの人怖すぎて・・・(笑)

追記:1997.7
ゆうゆは結婚して芸能界を引退したらしい。

追記:1998.4
西村智美は1997年に電撃的な結婚をして少しだけ一般的な人生を歩み始めた。
YOUは1997年秋にレギュラーだった「ごっつエエ感じ」が、突然終了して、それ以来姿を見ていない。
今は鈴木蘭々・篠原ともえ、それに吉川ひなのあたりが10年後にキツそうな感じになりそう。
1996年12月24日(火曜日) これは色々な意味でむむむなのだ
 以前、ビデオで女子高生のスカートの中を撮影しようとして捕まった先生や、女子スポーツ部の合宿の脱衣所にビデオをセットして捕まった先生の事を書いた。
 つい最近も、いわゆるセクハラ系の事をして問題(懲戒免職処分かな?)になった先生がいた。

 小学校の先生なのだが、受け持ち児童(小2だったと思う)を裸にしたりしたり、さわり廻ったりしたらしい。さらに児童の家へ家庭訪問と称して出かけ、そこでも同様の事を・・・
 と、ここまで書くと「ロリコン先生」と思うのだが、実はこの被害にあった児童はすべて男子児童なのだ。
 先生の言い訳としては、どれくらい発育したか調べたかったらしいが、それ以上の感情が周りに渦巻いている。

 例えば、女子高生のスカートの中をビデオ撮影しようとした先生や、自分が受け持っている女子スポーツ部の脱衣をビデオ撮影しようとした先生の気持ちは、判らないワケでもない。
 性的なフェロモンを十分に発している若い世代の異性に対して、性的な興奮を覚えるのは実際の所「健康」だと思う。

 それに比べて小学2年生。しかも男子児童に対してイタズラをする。ってのは、人間的な信頼を100%失う様な行為なのかもしれない。

 この先生の未来に幸あれ
そういえば昔

 静岡県の函南にある某小学校でも「性的」ではないが、それに近いモノがかつてあった。
 たしか低学年(3年あたり)だったと思うけど、宿題を忘れた生徒に対して罰則として、下半身裸で(全裸だったかもしれない)授業を受けさせたと言う事件が、1980年代初頭にあった。

 うーむなのだ (笑)
1996年12月25日(水曜日) 罰則と言えば
 話はどんどんズレているけれど、罰則と言うと最近は「先生が殴った」と言う事が、PTAで問題になり、教育委員会にかけられてしまう。
 その殴ったと言うのがどの位なのか判らないが、昔は「殴ってあたりまえ」と言うムードがあった様な気がする。
 確かに殴った事で、脳震盪を起こしたりしたらそりゃ問題になったのかもしれないが、タンコブが数日間残るくらいのゲンコなどは日常茶飯事として貰っていたかもしれない。(私はあんまし経験ないが)

 しかし今の状況を見ていると「殴る」事自体が問題視されて「何故殴られたか?」と言う部分が無いような気がする。そりゃ生徒側からしてみたら何にしろ殴られると言う行為に対しては、理不尽な物を感じてしまうかもしれないが、殴るという行為に対して、何かしらの理由はあると思う(先生によって意味ない人もいたが)

 なんか「殴った」とか「体罰を与えた」と言う部分ですぐ問題になってしまうっていうのは、教育の現場として難しい物があったりするかもしれない。
 昔は確かにとにかく、すぐ殴る先生とか言う怖い先生が存在していて、それなりに学校生活はバランスが取れていたと思う。
 今の「殴った」即「問題」となってしまう現状ってのは、オウム事件の時に捜査員に対して体を無理矢理さらして、ちょっとでも触れたら「この人が私に暴力を振るいました!」と騒ぎ立てていた信者に近い物があるような気がするのだ。

 先生の立場が弱くなったと言うのは、ある種、教育の場としてはバランスが壊れているような気がする。
 例の尾崎豊なんかの曲みたいに、「自由が欲しい」「この縛られた生活の中で」と言う不自由さを学生時代は感じてしまうかも知れない。その結果、必要以上に先生などに敵意を燃やしたりするかも知れない。
 だけど、それが学校という場のバランスなんじゃないかなぁって気がする。

 どっちにしたって若い頃は「大人」と自分との距離感に反発を抱いて、反抗をしたりする物だと思うっす。逆にそれが無い人って、薄っぺらな気がしちゃうけどね。

 不自由だからこそ、自由を手に入れようと努力するんだから。
1996年12月26日(木曜日) 地獄へまっ逆さま!
 仕事で健康関係の用品カタログを作った。その中にあった商品

『ヘルソックス』


 ・・・・たぶん「健康」と言う意味の「ヘルス」って言葉が、いわゆる風俗関連をイメージさせてしまうって事で「ヘルスソックス」と言わずに、やや短縮した形で「ヘルソックス」になったのではないか?と思われる。

 しかし「ヘルソックス」って「地獄のクツ下」って感じがするな(笑)
1996年12月27日(金曜日) 過保護っすね
 KO大学の来年度の入学後の案内パンフレットを仕事でやっている。
 その中に「キャッチセールスが居るので気を付けよう」何て言う、田舎から東京に出てきた学生に対しての注意事項なんてのがある。うーむ、
 さらに「コンパなどで大量の飲酒をして急性アルコール中毒になる場合もあるので、飲み過ぎないようにしよう」みたいな事まで書いてある。うーむ
1996年12月28日(土曜日) 大地震発生!
 とあるパンフレットによると大地震が発生した事により、東海地方の地震観測データに異常が発見された場合、「大規模地震対策特別借置法」によって招集された「地震防災対策強化地域判定会」の結果に基づき、内閣総理大臣が「警戒宣言」を発令する。
 それが報告された場合、防災無線放送・広告車・パトロールカー・消防車などにより「45秒吹鳴、15秒休み」と言う特別なサイレンが鳴らされる。
 これによって「大地震が起きた」と言う事を市民に知らせるらしい。って・・・・おい・・・

 そんな事してくれなくても、大地震だって事ぐらい、その場にいる人は判るってば
1996年12月29日(日曜日) うむ・・・もしや・・・
 暮れの大掃除&物置を新築したってコトで、古い物置に突っ込んでいた物の大整理をやったりしているのだが、その中で、雑誌類なんかもとにかく保存してあったのを処分したりしている。
 で、庭で焼き芋を作りながら、焚き火をしてその中にボロボロの本なんかを突っ込んでいたのだが、ふと炎の向こうでシワクチャに燃え始めている、その表紙で微笑んでいるのは・・・うむ?渡瀬マキだな・・・(現リンドバーグ)もしかして、これってそこそこプレミア付きの雑誌じゃねぇのか?うーむ(笑)

 ま、いいや

 今回発掘したものでは、1986〜1987年のビジュアルロック雑誌「PATI PATI」ほぼ全冊って感じのヤツ。今、読んでいるとうむむって感じっす。
 デビュー2ヶ月目の渡辺美里のインタビューとかあったりする。

 気が付くと、あれから10年・・・・・って感じ、自分ももっと遠くへジャンプしなければいけないと思う。10年間でどれくらいジャンプ出来たのか・・・・・
1996年12月30日(月曜日) 破滅の美学(X-JAPAN)
 そーいえば、なんだかX-JAPANのYOSHIKIが椎間板ヘルニアだとかで、今下手に激しい演奏をしたら悪化して命まであぶないとかってニュースがあったりする。
 だけど、それを押してまで今日明日(12月30日31日)に連続して行われるライブを決行するらしい。

 下手をしたらアーティスト生命どころか、本当の命まで・・・それを押してもこのライブを成功させなくてはいけない!といわゆる耽美系ロックバンド・ビジュアル系バンドの先駆者としては「破滅の美学」を貫き通すらしいのだ。

うーむ。

 しかし病名が椎間板ヘルニアだからなぁ(私も経験者/現時点でもそれらしい)
1996年12月31日(火曜日) 今年を振り返って・・・・
 なかなか、忙しい1年だった様な気がする。あっと言う間に時間が過ぎていった。
 この「時間の経過が早くなった」と言うのはじじいの証拠なのかもしれないが、今年は本当に色々と忙しくて、あっと言う間に過ぎたけど、中身の充実した1年だった。

 これは自分で「行動する!」と決めて、行動した結果なのだろうなと思ったりする。ある程度の年齢になってしまうと、周りの事を当たり前だと思ったり、ある種「この程度で大喜びしたり、感激したらカッコ悪い」などと言う感情が働いて、平常心を装ったりするからかもしれない。

 何というか、子供の頃の1年が長かったのは知識を吸収する事が多かったせいなのではないか?と思ったりする。
 もちろん、学生だから基本的に自分の時間が多いってのもあるんだけど、始めての行動・経験ってのが多ければ多いほど、その時間の密度は高いと思う。

 なんか、年の瀬に色々考えていますが、こんな調子で1997年も突き進むのだ!