1997年1月1日(水曜日) |
【明けましておめでとう!今年もよろしく】
略してあけおめ!ことよろ!
ある程度の年齢になるとですね、友人から送られてくる年賀状ってヤツにはですね、ばーんと子供の写真を写しただけのモノ(+家族の名前)が増えてくるわけですよ。
何と言いますか、基本的に印刷ですむんで楽だし、これと言って構図を考える必要もなくって凄く楽だしねぇ。
でも「だからどーした?」と言う感じになってしまうのも事実だったりします。チミは自分の子供を可愛いと思っているのだろうが、端から見たらただのクソガキなんだぞ。そんなヤツの顔を正月早々見なくてはいけないこっちの身にもなってみろ!って、そこまでヘビーな気分ではないけれど、ま、そんな感じっすよ。
その手の年賀状を貰って嬉しいって人はどれくらいいるのだろうか?
うーむ。
年賀状における大々的な計画で、生まれた時から毎年写真を印刷するパターンを考えた。
「僕ちゃん1才になりましたでちゅー」なんてコメントの入ったのから始まって
「小学校に入学します」ってのも経由して
「春から中学生です」ってのも経由して
「大学受験追い込み中です」てな写真まで経由して
「今春卒業ですが就職見つかりません」なんて写真まで経由して
「今度結婚する事になりました」てな写真でさえ、婚約者を映さず1人だけ写り続ける
「ついにパパになりました」てな時でさえ子供を映さず、自分一人で写り続ける
「来年で遂に定年退職です」てな時までずっと自分一人が写っている写真を使い続ける
当然、最初はこの人の親が出していた年賀状なのだが、途中からは本人が出しているってパターンになるだろう、だけどずっと続ける。
さらに
「最近物忘れが激しくて困っています」等という痴呆ぎみになっても自分一人が写った写真を使い続ける
この当たりになると、本人の子供が出していると言うパターンになっている。
「今年もやっと正月を迎える事が出来ました」などと言う布団の中に入っている写真でも1人で写り続ける。
でラストは、墓の写真で「喪中に付き・・・」と言うはがきで締めくくる。
これぐらいまで徹底してくれたら、写真年賀状だって凄い物になるに 違いない(笑)80数年に渡って展開されるアートなのだ。
【年賀状大賞】
毎年毎年、年賀状ってヤツがやってくる。
もう何年も顔を見ていないヤツからもやってきて「おぉまだ生きていたのか」などと、しみじみしてしまったりする。
そんな風に、正月の朝ってヤツはしみじみ・ほのぼのとまったりとした気分で迎えたいモノなのだ。
で、今年我が家に来た年賀状の中で一番めでたかったと言うのは、友人の奥さんが牛のかぶり物をした写真を使った年賀状(笑)
友人によると、11月頃、毎晩コソコソと一生懸命何か裁縫をしていたと言うのだ。で、出来上がってビックリ・・・・・だそうで、うーむ、年明け早々とんでもなくめでたい (笑)
取りあえず私は毎年三嶋大社に参拝している人なのですが、ここ数年おみくじは「小吉」「中吉」止まりでそれ以上のは出てこなかった。
1997年1月2日(木曜日) 大売り出しだと言われても「大吉」は嬉しい
が、今年はどどーんと「大吉」っす。こりゃめでたい。
正月は「大吉」の大安売りだと言う話も聞くけれど、出れば嬉しい。
しかも、自分にとって今望んでいる事に関してかなり良いことが書いてある。
こりゃ今年は一発キメなくちゃいかんな。
ついでにおみくじの中に入っているお守りは、例年は「米粒」とか「打ち出の小槌」なんかだったりするのだが、今年は「当たり矢」と言うヤツ。これは初めてみた。しかもかなりレベルの高いお守りらしい。
なんか今年は、頑張らなくてはいかん!って単純な私は思ってしまったのだ(笑)
・新人賞がPUFFY
1997年1月3日(金曜日) 1996年のレコード大賞を振り返る
・大賞が安室奈美恵
レコード大賞の安室奈美恵に関しては、どの曲が・・・と言う感じではなく、社会現象みたいな状態にまでなったって事に関しての受賞なのだろうな。
ま、以前の「あの歌手はまだ貰っていなかったから、とりあえずあげて置こう」みたいな感じではなくなったので、いいのかもしれない。
しかし、昔のレコード大賞と違って「まったく知らない人は知らない曲」なんだろうなぁ。10年経って残っている曲かどうかってのは難しい処だけど。
80年代最初のピンクレディ、中期の光GENJIの時は「終わったな」って印象があったけど、考えてみればただの年間で誰が売れたかって程度の賞なんだから、誰が貰ったっていいっすね。
私はレコード大賞の最初をちらっとみただけなんだけど、新人賞にノミネートされていたのが「SPEED」「PUFFY」「dos」てな3組で、PUFFYは会場には行かず中継で(しかも1人)だった。「SPEED」なんかは、TBSの屋上からの中継。うーむ。久しく見ないうちに変わったみたいっす。
しかし、SPEEDって一番年下が、小学校6年生でしょ?
って事は、紅白歌合戦に出場するためにはあと4年以上待たなくてはいけないってワケっすね。児童福祉法の規定のおかげで。
うむ、SPEEDが紅白歌合戦で歌えるのは西暦2000年まで待たなくてはいけないのか(笑)
もしかしたら、レコード大賞の際も、新人賞ノミネート発表の頃はまだ番組開始の6時頃だったけど、後半での最優秀新人賞発表の時は、児童福祉法に引っかかってしまったんじゃないのかな?
あれは歌を歌わなくても、芸能人って事でTVにでちゃいけないらしいから。
イザとなったら、香港あたりまで飛んで1時間遅れの時差を利用して出演するって方法もあるけれど(笑)
なんか、周囲では紅組司会の松たか子の評判がむちゃくちゃ悪い。
1997年1月4日(土曜日) 1996年の紅白歌合戦を振り返る
「棒読み」「へたくそ」などの悪評しかない。
これも、ちらっとしか見なかったんだけど、初めて「松たか子」と言う人を見た様な気がする。と言うか、なんか特徴がなくって印象に残らない顔をしているって感じ。
その後、新年よりのCM2種類で顔を見ることがあったんだけど、「たぶんこれが松たか子だよな?」と言う感じの印象のなさ加減。
うーむ。
結局は血統がいいって事だけしか売りがない様な気がする。
去年、宮沢賢治が生誕100周年って事で、映画になったり、大量の出版物なんかが出ていた。
1997年1月5日(日曜日)つい最近の出来事・・・
ふと自分にとって宮沢賢治って「昔の作家」あるいは「同時代ではない前の時代に生きていた作家」と言う気がしていた。
ついでに去年のアトランタオリンピックも近代オリンピック100周年だったそうで「うーむ、歴史に支えられた大会なのだな」などと感じていた。
しかし、考えてみるとそれ以前から「きんさん・ぎんさん」は生きていた訳だ。
って事は、つい最近の事じゃん(笑)
Every Little Thing・・・・
1997年1月6日(月曜日) 1.Every Little Thing
このグループ名って、ビートルズに同名の曲があるんで、デビュー前に雑誌に載っているのをみた時は、そっち系統の音楽かと思ってました。
で、デビュー曲を初めて聞いたとき、私はてっきり小室哲哉の作曲かと思ったんですが、どーも違うらしい。
さらに小室ちゃんの弟子の久保こーじの曲でもない・・・うーむ、と思っていたんですが、基本的には小室ファミリー系なんですか?
デビュー曲のメロディラインが、小文字だった頃のtrfの曲にそこはかとなく似ている様な気がしてたもんで。
沖縄出身のお子様グループと言えば、今はSPEEDなんだろうが、やっぱし元祖はフィンガー5っすよね。
1997年1月6日(月曜日) 2.沖縄出身のお子様グループ
フィンガー5はデビューした時何歳だったんだっけ?たぶん、アキラが小学校6年タエコが小学校5年ってぐらいだったか。
たしかこの時も、それのせいで紅白歌合戦にはでれなかった様な気がする。
しかし、子供ボーカルグループに取って悲劇だったのは、フィンガー5って凄く人気があって出す曲出す曲ヒットしていたのに、児童福祉法の壁を突き抜けるのより先に、リードボーカルのアキラが中学生になって変声期を迎えてしまったって事っすね。
急遽、さらに年下の従兄弟のミノルってのをメンバーにしたんだが、こいつがものすごく音痴で(笑)
1970年代初頭、あの当時、沖縄ってまだ日本に返還されていなくて「異国」ってムードがあった為に、そーゆー南国的なオリエンタルムードもフィンガー5人気の要因だった。(南沙織なんかもね)
で、他のレコード会社は考えた。
「異国情緒・ちびっこ兄弟グループ」と言うこの要素を持った別のグループをデビューさせよう!
と言うことでフィリピン出身の「クリッパー」と言う兄弟グループをデビューさせたが・・・ちょっと、それはやりすぎだったみたいだね(笑)
あと、ベトナムの難民(ボートピープル)出身のルーフィンチャウなんてアイドル歌手もいた。
うーむ、国際化は難しい。
ホットカーペットの上に寝そべって本を読んでいたら、いつしか眠ってしまった。
1997年1月7日(火曜日) 1.水をくれ・・・・・
気が付いたときは全身ダルダルダル〜い状態。
ノドは痛いし、頭痛ガンガンだし、体は変に火照っているし、最悪。
そんな仕事始めの朝だった。会社の同僚で、年末にスキーに行ったのはいいが、ほとんど雪が無いと言う悲惨な経験をしてきたらしい。
1997年1月7日(火曜日) 2.雪が少ない・・・・
さらに、気分がしおれてしまう事に、帰ろうと車を走らせていると、突然、雪が降り始めて大渋滞・・・笑えない話だなぁ
元旦のTV番組でも「チャレンジ!」とか言うテーマで、例年なら豪雪地帯って事で「チャレンジ!雪だるまを100個!」みたいのを計画してあったのだが、地面が見える程度の少ない雪しか降らなかった為に、土混じりの雪をかき集めて雪だるまを作っていた。 うーむ、ウィンタースポーツが好きな人にとっては、ひじょうに厳しい年だなぁ元旦にいわゆる小室ファミリーが集結してシングルを発売した。
1997年1月8日(水曜日) TK ALLSTARS
「YOU ARE THE ONE/TK ALLSTARS」1997/1/1
っつーヤツなんだけど、そのメンバーを見ていて・・・・
globe TRF 安室奈美恵 hitomi 華原朋美 dos 大賀埜々
宇都宮隆 木根尚登 浜田雅功 内田有紀 久保こーじ
天方直実 m.c.A.T 観月ありさ 甲斐よしひろ
最後の甲斐よしひろって、いったい?
そういえば、去年の末に放送された「夜のヒットスタジオ・X’mas SPECIAL」にも、小室ファミリーと共に出演していた様な気がする。
うむ。
それと、以前はそんなに気軽にTVとかに出るような人でなかったのだが、同じく年末クリスマスにアコースティックVerで「安奈」を歌う甲斐よしひろの姿が・・・・
去年の甲斐バンド復活といい、何か心境の変化でもあったのか?
毎年恒例の大晦日から正月にかけて、内田裕也がプロデュースして行っているロックイベントが今年も開催された。
1997年1月9日(木曜日) ニューイヤーロックフェス’97
なんつーか、私に取っては一番苦手な体育会系のノリのイベントで、メインを張るのは内田裕也を頂点として、安岡力也&ジョー山中・シーナ&ロケッツ・白竜・仲野茂(アナーキー)てな所。なんか男臭い(笑)
ロックと言う自由な表現形態以前に上下関係に非常に厳しいって感じ。
それを5日の夜中、2時間に編集した物をTVで放映していた。
取りあえず録画ボタンを押して、うつらうつらと見ながら寝てしまった。
で、その中に凄く懐かしい意外な人がいたっす。
かのイカ天からデビューした「カブキロックス」がまだいた・・・・
しかも放映された曲はあいかわらず「お江戸」うーむ、うーむ
内田裕也とかその辺の人達の選曲やスタイルを見る限りでは、ロックと言うのも演歌と同じに伝統的に過去を守り続ける音楽に成り下がりつつあるって感じ。
オールドロックこそが王道なのだ!って・・・なんか自由じゃないよなぁ
今年に入って既に10日が過ぎようとしている。つまりだ、もう今年の36.5分の1は過ぎてしまったと言うことなのだ。うむうむ。
1997年1月10日(金曜日) 去年の事を言っても鬼は笑わない
そんなワケで、時の過ぎて行くのは早い。
で、やっと今頃になって「去年の音楽」について振り返ったりしている。
ま、ヒットチャート的にいったら「小室哲哉」「小林武史」それと「奥田民生(PUFFYだけなんだけどサ)」てな処が手がけた曲が溢れていたって処かな。
自分の中で「1996年の音楽」てな物を振り返ってみると・・・・
後半に行くにしたがって、某氏の影響もあってアコースティックな音に接する機会が多かった様な気もする。自分の場合はアコースティックと言うと「過去の音楽の検証」と言う感じになってしまうんだけど。
しかし、去年全体って事で振り返ってみると、前半は「電気グルーヴ」の「オレンジ」ってアルバムもよく聴いていたしなぁ(笑)
夏頃は、Syamさんからアナログレコードを大量に貰って、シックとかも聴いていたし、うむうむって感じだなぁ そー言えば「アナログレコードを持っていてももう聴くことないと思うから」って事で、数人からレコードを貰った(笑)
あんましマニアックなのはなかったけれど、凄く嬉しい。こりゃただのコレクターに成り下がっているな。
うーむ、あんまし新譜って事では聴かなかった年かもしれない。いかんいかん、このままでは思い出ジジイになってしまう(笑)
もっとも、中古でアナログレコードを買うって行為が多いと、結果的には1988年以前の曲になってしまうんだけどね(笑)CDも「Q盤」系の再発物を買ったりしているしなぁ。
そんなこんなで、とりあえず発作的に選択する1996年に私が良く聴いていたアルバム
・電気グルーヴ「オレンジ」
・大滝詠一「ファースト(SPECIAL EDITION)」
・鈴木蘭々「Bottomless Witch」
・渡辺満里奈「Ring-a-Bell」
・Fairground Attraction「ay found kiss」
・Flipper’s Guitar「CAMERA TALK」
もっと別なのもあった様な来もするが、てな処がぱっと思い出せる処、あと元ビーチボーイズのメンバーが出したソロアルバムなんかも(アーティスト名アルバム名忘れた(笑))
ワーストと言えば
・サニーディサービス「東京」
もうハッキシ言って生理的に合わなかった(音を聴かずにレコ評のみで買って激しく後悔した1枚)
そんなワケで、今年も前のめりに音楽を聴いていこうではないか!