杉村ぐうたら日記(1997年1月21日〜31日)

▲1997年1月21日:火曜日:新譜ジャーナル
▲1997年1月22日:水曜日:山岡史郎の犯罪(漫画「美味しんぼ」考)
▲1997年1月23日:木曜日:  
▲1997年1月24日:金曜日:  
▲1997年1月25日:土曜日:仕事好きなのか?
▲1997年1月26日:日曜日:LIVE:1
▲1997年1月27日:月曜日:LIVE:2
▲1997年1月28日:火曜日:LIVE:3
▲1997年1月29日:水曜日:  
▲1997年1月30日:木曜日:  
▲1997年1月31日:金曜日:  
1997年1月21日(火曜日) 新譜ジャーナル
 たしかバンドブームの頃まで残っていたと思ったけれど『新譜ジャーナル』って音楽雑誌を知っていますか? なんつーか、1970年代には一番音楽情報雑誌としてはセンスのいい情報を流していた雑誌だと自分では思っています。
 1970年代、当時の日本での音楽雑誌と言ったら『ガッツ』『ヤングギター』その他にも色々あったハズだけど、いわゆるお子様商売をしているか、あるいはアングラな重ければ重いほどロックだぜ正しいんだぜみたいな雑誌が多かった様な気がする。
 その中でこの『新譜ジャーナル』って雑誌は実に後から考えると正しい目を耳をもっていた様な気がする。
 ちゃんと時代的に「サディスティックミカバンド」や「ティンパンアレー」ソロ活動を始めた「大滝詠一」などをフォローしていた。おかげで私はその辺をちゃんとリアルタイムで知ることができたのだ。
 大滝詠一の名前を知ったのもこの雑誌だと思う。当時、大滝詠一は完璧に低迷していてCM曲ばっかり作っていたんだけど、その時の企画盤「CMSpecial」の紹介をちゃんと楽譜付きでやっていた。
 うむむ、時代を正確に把握し、今活動している中からどの辺のアーティストがちゃんと後世まで残るか?と言うのをキャッチしながら発行している音楽雑誌って凄い事かもしれない。その時代に売れている音楽に左右されないで・・・・。
 他の(分かり易い)音楽雑誌は「かぐや姫」「グレープ」「NSP」で埋まっていたもんなぁ。
 と言うワケで、とりあえず今手元に、ちょうど20年前の1976年に発行された『新譜ジャーナル』の100号記念特大号ってのがあったりします。
 一応、日本のフォーク&ロック10年史と言う事なんすけれど、考えてみると日本の音楽がいわゆる大手芸能プロダクションの先導の元から、一般の手で創り出されるようになって(ロックバンドとかフォークって意味で)1976年って年はまだ10年ぐらいしか経っていなかったんだなぁ。と考えると凄いっす。今では30年って事で、完璧に当たり前にアマチュアが曲を作っていたりするけれど、当時はまだ特殊な事だったのかもしれない。
 うーむ、なかなか考えてしまうなぁ。いわゆる僕なんかは物心が付いた頃から、そーゆー音楽が世間に溢れていたって言うのの第一世代だったりするワケなのだな。

 この日本のフォーク&ロックを振り返ると言う特集はなかなか面白いっす。今、現時点でその10年「1967年〜1976年」のフォーク&ロックを振り返った場合とは、選曲される物が違うと思う。リアルタイムの記録と言う物はなかなか面白いのだ。
 つまり、今読み捨てられている雑誌もあと20年ぐらい経つと色々熟成されて面白い物になっていたりするのだ。

1997年1月22日(水曜日) 山岡史郎の犯罪(漫画「美味しんぼ」考)
漫画「美味しんぼ」の中で主人公の山岡史郎は、父親「海原雄山」に反発して、母方の姓を名乗っていると言う設定になっている。
うむそうか・・・・。
確かに、世間一般でそれでも通用するかもしれない。
しかしだ、現在の日本の法律では正式な場面では勝手に「母方の姓」を名乗ることは出来ないと思う。海原雄山は離婚をしていないワケだから。

 となると山岡史郎と言う男は、偽名を使って東西新聞社に入社した訳っす。
 たしか、一番最初の時は社主さえも、上司さえも、山岡史郎が高名な陶芸家で美食家の海原雄山の息子だと言う事を知らなかったみたいだし。その上、大学時代の友人も「山岡」と呼んでいると言う事は、大学さえも偽名で入学したと言うことになる。
 確か結婚当時はゆう子さんが「山岡」姓を名乗ると、会社内に「山岡」が二人いてこんがらがると言う話題もあったハズなので、戸籍上は山岡になっているみたいっす。

 結婚前の状態では「山岡」と言うのはどう考えても偽名なのだが、結婚の時に戸籍を母親姓を名乗る事は出来たハズ。養子縁組でなくても。知っている人で、母親の実家に跡取りがいないので、このままでは家系図が途絶えると言う理由で、母親姓を名乗っていた人がいた。(さらに複雑な事に、その人は会社では結婚前に使用していた元の姓を使用していた)でも、そう言う特殊な理由じゃないとダメなのかな?
1997年1月23日(木曜日) 
1997年1月24日(金曜日) 
1997年1月25日(土曜日) 仕事好きなのか?
 今、CMでともさかりえが「佐藤くんでも〜山本くんでも〜どっちでもイ〜」と歌っている曲が、ともさかりえの変名アーティストの「さかともりえ」と言う歌手の名前でCD発売される。(歌っているの は、ともさかりえなんだけど)
 で、私はふ〜ん、と思っていたら、なんとその曲の作曲者が『CHAR』だった (笑)
 しかも演奏しているのは、米米クラブなんかのバックで豪華なホーンを鳴らしている「ブルースホーンズビー」っす。
 うむむ、しかもこのメンバーで12月だかにライブまで行ってしまうらしい。

 仕事を選ばない男CHAR (笑)

 ついでに、例のKey of Lifeって言う、往年の名曲をサンプリングしてダサダサの曲を造り上げる集団の新曲の紹介で、雑誌には『この曲はCHARAの「SMOKY」と言う曲で』と紹介されているし (笑)

 CHARAじゃなくってCHARっすよ。

PS

 米米のバックに参加していて、この曲の演奏をしているのは「ビッグホーンズビー」だった。「ブルースホーンズビー」ってのは外国のグループだ (笑)

 しかし米米関係のグループ名はみんな、海外アーティストのパクリだからなぁ
 コーラス&ダンサーの「シュークリームシュ」は完璧に「シュープリームス」だし。
 本体の「米米クラブ」も「トムトムクラブ」が元になっているし・・・。
1997年1月26日(日曜日) LIVE:1
【静岡東部は音楽的な土地では無いのか?】

私は以前から、この周辺(静岡東部)って音楽活動が盛んじゃない土地だな。とは思っていた。とりあえず日大なんかもある。高校だってかなりの数ある。
が、アマチュアバンドとかの話ってあんまし聴かない。それとか誰でも知っている、あそこに行けば何かやっている。と言うたぐいのライブハウスの話も全然聴かない。
ま、いわゆる大都市から離れた地方っていうのは、こーゆー物なんだろーなぁとは思っていたが、どうやら違うらしいのだ。
他の地方都市ってのは(三島・沼津レベルの都市)でもライブハウスなんかは存在していて、大学が近くにあればそれなりのアマチュアバンドがあって人気を博しているらしいのだ。
うむむむ。やっぱし東京なんかが中途半端な近さにあるんで、音楽をやりたい人は東京に出ていってしまうのだろうな。などと私は考えていた。
しかし、それ以外の音楽に関しては普通の土地柄だと思っていたのだ。

だが、話によると沼津市民文化会館あたりで行われるコンサートはロック系のバンドのヤツだろうと、客が座っていたりするらしいのだ。
つまり思いっきりノリが悪い・・・・・うむむむ。

ライブって言うのは、基本的に騒ぎに行くような物だと思っていた私は、それを聴いてなんかショックを受けてしまった。
1997年1月27日(月曜日) LIVE:2
【静かですね・・・】

そー言えば昔、埼玉県の森林公園って所で「太田裕美・ブレッド&バター」のジョイント野外コンサートと言うのがあって、そこに行った事があるんですが、そこで可哀想な光景を目にしてしまった。

当時、太田裕美って云えば大学祭に呼びたい歌手No.1のアーティストで、とにかく人気があったっす。
で、前半ブレッド&バターのライブだったんだけど、客はシーン。基本的にハーモニーを聴かせる静かな曲が多いってのもあるけれど、アップテンポの曲でも手拍子なんて全然ない状態、さらに曲が終わってもパラパラの拍手のみ・・・
ライブも後半に差し掛かって来たとき、ぽつりと「なんか静かですね・・・」とブレバタ兄が淋しそうにつぶやいてしまったっす。
ふと斜め前に座っていた奴をみると、液晶ゲームをやってた・・・・。

で、ブレッド&バターのライブが終了したとたんに、客席は活性化して・・・バッグの中からカメラを取り出しやがった。
なんか、みんなライブの楽しみ方を間違えているぞぉぉぉぉ。
1997年1月28日(火曜日) LIVE:3
【起立!・・・・着席】

これも以前、友人にチケットを貰って『イルカ』のライブを見にいった時のこと。 イルカを見に行ったと言っても、シーパラダイスではなくって、渋谷公会堂だぞ。

その頃、自分の中ではその辺のフォークって云うのは終わっている音楽だったので、ちょっと乗り気がしなかったんだけど(当時はRCか、デビューしたての佐野元春が好きだった)チケット貰ってしまったし・・・と言う事で出かけた。
その席は真ん中の、ちょうどステージを見るには遠からず近からず、全体が見渡せる場所と言う感じだったのだ。
で、いよいよライブが始まった。
アップテンポのイントロが流れだし・・・・僕はそこでてっきりみんな立ち上がる物だと思ったのだが、廻りが座っているのだ・・・・。

ふと、最前列の席をみると前から2列目あたりまでの客は、バラバラと立ち上がっている。僕は「きっとこのスタンダップの波が徐々に後ろへと広がっていって、会場中が立ち上がるのだな」と思ったのだ
が、世の中そんなに簡単に事は進まなかった。

その2列目以降はいつまで経っても立ち上がらないのだ。
それどころか、最初から立ち上がっていた最前列の客が、何気なく後ろを振り返って、立ち上がっているのは自分たちだけだ・・・と気づいて、こそこそと座り初めてしまったのだ。
で、結局、全員座ってライブを鑑賞すると言う状態になってしまった。
しかしステージに経っている方からしてみりゃ、最初数人立っていて徐々にそれが座っていくって淋しすぎるかも・・・・。

うーむ、ライブはオールスタンディングってイメージあるよなぁ
1997年1月29日(水曜日) 
1997年1月30日(木曜日) 
1997年1月31日(金曜日)