杉村ぐうたら日記(1997年2月11日〜20日)

▲1997年2月11日:火曜日:アニメ歌手・・・・
▲1997年2月12日:水曜日:『THE BOOM 2』
▲1997年2月13日:木曜日:デジタルな時代にアナログゲーム
▲1997年2月14日:金曜日:恋愛のエゴイズム
▲1997年2月15日:土曜日:『恋愛の迷信』秋元康
▲1997年2月16日:日曜日:中古プレイステーションソフト
▲1997年2月17日:月曜日:哲学者と詩人
▲1997年2月18日:火曜日:誰が歌う?
▲1997年2月19日:水曜日:いわゆる小室的な音楽が苦手な理由
▲1997年2月20日:木曜日:ダサイ音楽
1997年2月11日(火曜日) アニメ歌手・・・・
 その昔、太田貴子と言うアイドル歌手がいたんですが、この人アイドルとしてはパットしなくて(たしかレッツゴーヤングのサンデーズに居た)その内にフェイドアウトしてしまうのが、素人アイドルマニアにも見えて取れていた。
 が、ある日アニメの主題歌なんだかを歌った瞬間、そっち方面で爆発的に人気を得てしまったのだ。
 作品名はよく判らないが「ミンキーモモ」とかその辺だったと思う。
 で、おかげでコンサートを開催する度に熱気溢れるファンで盛況ってな感じになったのだが、それまで純粋に太田貴子を応援していた人々は、その異様な熱気に付いてゆけずに離れて行ってしまったのだ。
 そしてそこに残ったのは、いわゆるあの手の暗い情熱を抱えた人々の集団(笑)
 そーゆー人々が爆発する瞬間ってヤツは、一般人とは溜めに溜めた物の量が違うせいなのか凄い物がある。
 おかげでコンサートは毎回毎回大盛り上がり大会だったのだ。
 しかし、ある日音楽雑誌のインタビューで太田貴子は「あたしオタクとかって暗くて嫌い」と言う発言をしてしまったのだ。
 そして一瞬のうち、波が引くかの様に・・・
 うーむ
 しかし実力のある人にはどの様なチャンスででもいいから、メジャーなシーンに出てきて欲しいと思ってしまうっす。
1997年2月12日(水曜日) 『THE BOOM 2』
 去年だったと思うけど「手紙」って言うポエトリーリーディングをBOOMがミュージックステーションで演奏&朗読しているビデオを見て「かっちょいー」と思ったわけっす。
(実際の放送は1995年かな?)
 でもって、それがシングルカットされているって言うのにさらに驚いたわけなんですが、この度「THE BOOM 2」と言う2枚目のベスト盤が発売されて、それに収録されていたので購入した。
 あんましベストを買うのはかっこいいことでは無いと思っていたのだが、とにかく勢いで買ってしまった。
 BOOMに関してはデビュー当時アルバムなんかを買って居て、バンドブームの頃、同時期にデビューしたバンドの中では好きな方だった。
 が、いつ頃からか仕事の忙しさに追われる様にBOOMも聞かなくなっていた。
 で、いつの間にか「島歌」などと言う曲がヒットして、ナガランドとか言うミュージカルにボーカルが参加したり、中堅所のバンドに成長していた。
 うーむ、と思いつつベスト盤を聞いた。

 デビュー当時はスカ系の曲のイメージがあったり「中央線」なんて言うフォーク調の曲があったり、うーむいい意味でも悪い意味でも日本的なロックバンドだなぁと言う印象があったのだが、このベスト盤を聞く限り「好き勝手にやっている」と言う感じが気持ちよかった。
 この「好き勝手」と言うのが「ハイローズ」にも共通する事なんだけど、やって見ようと思っても出来る事じゃない。
 そのバックボーンにある確かな物に裏打ちされた自由度ってのが必要になってくるのだ。
 とりあえず曲調にバラエティを持たせる為にサンバっぽい曲をやってみよう、とかって言うのじゃない部分があるんじゃないかな?
 一時期「オルケスタデラルス」とか「スカパラダイス」あたりが前に出始めた頃、いくつかのロックバンドが「らしい曲」をやろうと試みていたけれど、それは「らしい」止まりで凄く陳腐な物で終わっていた。
 BOOMの場合、好き勝手のベクトルが上手い方向に作用していて(そりゃ現地ブラジルの人が聞いたら甘いと思うのかもしれないけれど)凄く単純に楽しいし、染みてくる。
 詩も純粋に真摯な言葉が伝わってくる。
 その内容は単純だけど、真実を求めようとしている。
 特にラストに前述の「手紙」と言うポエトリーリーディングが収録されているんだけれど、これが朗読と言う形態を取るにあたっての必然性を感じるような詩の内容だったりする。
 今の空虚なミュージックシーンに向けての警告・ロックンロールへの愛情・ロックンロールで殉死してもいいという決意表明がそこでは語られている。
 その詩が、純粋に詩として、言葉として、意味として、相手に、リスナーに届くような形で演奏&朗読されている。
 僕も以前、もうずいぶん昔だけれど『詩人になりたかった』と言う作品を作って、その中で音楽と歌と朗読を組み合わせると言う実験をした事があるんだけれど、歌われる「歌詞」と言う物と、語られる「詩」と言う物は微妙に違う。
 歌の為に書かれた詩でない場合でも、活字として読む「詩」と、朗読して読む「詩」では違ったりする。
 今、文章として説明するのは難しいんだけれど、その言葉の語感やリズムと言う物が重要になってくる。そこで語られている内容・意味が一番大事なんだけど、それを伝える方法論として何を選択したかによって、言葉の選び方が違ってくると思う。
 そのへんの言葉選びが凄く「手紙」では上手いと感じた。
 僕が「詩」と言う物をいかにして伝えるか?を上手いと感じたのは「佐野元春」「辻仁成(元エコーズ・現直木賞作家)」に続いて3人目かな?
 ふと思うのが、バンドと言う形態より「宮沢和史のソロプロジェクト」になってしまう危惧感はある。
 前述の辻仁成がいたエコーズと言うバンドは最終的に、そんなイメージのバンドになって空中分解してしまった感があったので、少しバンドとしては不安な感じもする。
1997年2月13日(木曜日) デジタルな時代にアナログゲーム
 先日、おもちゃ屋でバスケットゲームを買った。
 TVゲームではなくって、昔ゲーセンにあった様な透明プラスチックドームの中に穴がいくつもあいたバスケットコートがあって、そこにボールが入ったらそれに反応するボタンを押してボールを相手のゴールに入れると言う種類の、いたって単純なヤツ。
 あれをついつい買ってしまった。

 が、かなり熱くなるっす。
 操作が単純な事と(途中でアイテムを・・とか、裏技が・・とかってのが無いもんで)指先だけでないのと、ボールの動きが完璧に計算できない方向に動く為に。

 なんか、基本的にゲームってのはこーゆー単純さと勢いが大切だぁね。

 いくらTVゲームが進化しても、人間の嗜好ってのは基本的に単純で享楽的なのだ。

   ガシャガシャうるさいんだけどね 

1997年2月14日(金曜日) 恋愛のエゴイズム
 ま、結局この世には「男」と「女」しか無いってことっすよ。
 だから基本的に男は女に惹かれるし、女は男に惹かれるのだろうけれどね。

 ふとね「自分は好きな相手にとって何が出来るのだろうか?」などと以前、どどーんとマリアナ海溝ぐらいに深く考え込んだ事があったのだけれど、答えは出なかった。
 元来、自分は考えすぎの傾向があって、将棋みたいに「次の手」「次の手」と自分のイメージの中で先を先を読んでしまう様な事が多かった。
 もっとも、そんなイメージも現実の前に来ると全然役にたたないヘナチョコな物だったりするんだけどね。

 ついつい相手の事を思いやる気持ちが「すぎて」しまい『こんな事をしたら傷つけてしまう』『こんな事を言ったら嫌な気持ちになる』などと、答えの裏側を探してしまっていた。
 いわゆるマイナス思考だったかもしれない。
 もちろん「相手の嫌がりそうな事はしない」なんてマナーを言う以前の常識外れな事はしないのは当然だけど。

 結局これって言うのも「相手が」と言う事の裏返しで『こんな事をしたら自分が嫌われる』と言う、逃げの部分だったんだと思う。


 もともと、自分は完璧な人間ではありえないし、下手すりゃ世間一般の人と比べて壊れている人間なのかも知れない。
 そんな人間がいくら上手に取り繕うったって土台無理な話だっりするのだ。と、一番最初に割り切ってしまえば、凄く気は楽になっていくのかもしれない。

 とある本に(エッセイだったかな?)書いてあった言葉に「恋愛というのは相手の自由を奪い去る事だ」と言うのがあった。
 確かに、きれい事で「君を束縛しない」と言っても恋愛と言うのは基本的に自分のエゴイズムで成り立っているような部分がある。
 束縛しないとその人が思っている中での束縛がそこには存在している。

 恋愛はお互いの妥協と計算でなりたっているなどと、夢の無いことは言いたくはないけれど、確かにそんな物が根本にあるのかもしれない。
 「見返りを求めない無償の愛」などと綺麗な物なんてこの世の中にはなかったりする。
 結局は何かを求めている。
 相手の気持ちを惹きたいと思っている。
 相手の心を手に入れたいと思っている。
 相手の全てを自分の物にしたいと思っている。
 どう頑張ってみても、自分の世界は自分を中心にまわっているワケで、相手の事を自分に取り込みたいと思うのは当然なんだと思う。

 そこで、相手に振り向いて貰うために何が出来るか?と言うのが第一歩になるワケなのだが、そこで多くの選択肢があったりする。
 どれが王道なのかは解らない。もちろん解っているのだったら誰も苦労はしない。私も含めて (笑)


 が、恋愛の基本がエゴイズムから起こっていると思うと、ここでエゴイズムを押さえていてどーするの?って事になってしまうような気がする。
 もちろん、そのエゴイズムの出しかたにテクニックは必要だとは思う。
 間違った出しかたをしてしまうと、それはただの「ストーカー」にしかならなかったりする。
 エゴイズムと言っても、基本的に相手の意志があっての事だからねぇ。

 難しいのはそのサジ加減ってヤツなんでしょうかね?
 ワイルドな男やマイルドな男が居るように、女性だって千差万別。色々なタイプが居たりする。もうタイプなんかでは分けることが出来ない。
 だから一概に「強引でGO!」がいいとも言えない。

 が、基本的に男なんだから行動しなきゃ。と言うのはあると思うっす。 回りくどく優しくソフトに接していても、肝心の気持ちが伝わって居なかったら意味ないっす。
 相手がそこまで読み取ってくれるなんて甘い事は考えない方がいいっす。

 ま、突然直接「好きだ!」なんつっても、サササーと引いてしまうパターンもあったりする。
 ま、その場合、ハナっから「男」として見ていなかったとかの恋愛対象外だったと言う事が考えられるので、多いにショックを受けることも大切なのかも知れない(笑)

 問題はその後のフォローの仕方なんじゃないかな?別に「冗談だよ」とかごまかす必要も無いけれど、即答で「あたしも好きだったの」と答えてくれなかったからって卑屈になったりする事もない。

 なんかね、今まで色々な処でその辺の「告白した」「ダメだった」と言う、世の中には「+」と「−」しかない見たいな答えを出している人を見てきたから、その中間の答えってヤツもあるんだぜと考えたいっす。

 確かにそれまで、仲のいい友達関係だったバランスを告白によって崩してしまったかもしれないが、告白した気持ちは素直だったんならいいじゃん。とか思ってしまうのだな。
 「ま、そーゆーワケで俺は君の事好きだって事を覚えておいてよ」と言う感じで、友達関係を続ける事ができればバッチシなワケだ。
 取りあえず向こうはこっちを意識して見るようになるワケだしさ。

 恋愛にテクニックは必要なのかもしれないけれど、策に溺れたりするのも問題だし、イメージトレーニングのしすぎで予想外の答えにあたふたするのも問題だ。
 基本的には結局「自分が何をしたいのか?」と言う事をいかに相手に伝えるかが大事になってくるのだなぁ。

1997年2月15日(土曜日) 『恋愛の迷信』秋元康
 ついつい某古本屋で「文庫本50円均一」と言う文字に惹かれて大量に買った中に入っていた本。
 基本的に「恋愛論」なんか真剣に読むほど落ちぶれていねぇよ、とは思うのだが、とりあえず「他人の意見」と言う事で読んでみた。

 もっとも一番最後に「あくまでもこれは秋元康と言う個人の為の恋愛論だから、それぞれが自分の恋愛論を見つける事が大切なのだ」みたいな事を書いてあるので「うんうん」と言う感じなのだ。
 古来から大量の「恋愛論」なる物が書かれてきたが、その多くが「これぞ決定版」って感じで「愛とはなんぞや?」と無理に結論を出そうとしている。


 この秋元康の本は、まだ秋元康が独身時代に書かれていたりするって事は、完璧にバブルど真ん中の時代の恋愛なのだ。
 とは言え、恋愛の本質ってヤツは変わっていなかったりするし、その辺をやっぱし計算高い男の秋元は考えた上で書いていたりする。

 しかし「ここに書いてある事を理解できれば、高井麻巳子みたいな彼女が出来るかもしれない」と言う幻想を抱かせてくれる物があるかも知れない(笑)

 何しろ「計算高い」ってのは悪い事ではないと思う。
 理想を実現化させる為には、それも努力のひとつだ。
 「純粋」ってのも本当に100%純粋なヤツなんていないだろ?
 純粋なムードに自分を浸らせて「俺って純粋」とか客観視していたり「やっぱ純粋な方がいいよな」などと考えていたりするはずなのだ。
 つまり「あたしはナチュラルに生きているのよ」と言いきる江角マキ子は、どーも自然に見えないって事なのだ(笑)それはそれでいい。

 自分の「売り」の部分を客観的に読み取って、どう振る舞ったら自分がよりよく見えるか?と言う計算をするのは悪い事ではない。
 たぶん誰だって無意識にでもやっているハズなのだ。
 ただ恋愛などの「勝負!」と言う時は、その「売り」の部分を最大限に引き出せるかが決め手になるのではないか?うむ。


 これは女性雑誌に連載したものをまとめた物だと言うことで、女性に向けての恋愛論で「男ってヤツはね」的なスタンスで書かれていたりする。

 秋元康の場合「金持ちだからねー」と言うやっかみの部分で、こーゆー恋愛論を書いても見られてしまう様なところがあると思うが、客観的にみたらデブだし、格好良くないし、と言う最大の欠点を抱えている。
 が、女の子にもてるのは何故か?
 と言ったら「マメ」って事しかないかもしれない。
 同じ様なケースの人に、田中康夫と言う人もいたりする。

 よく、この手の女性にもてている人に対して「けっ」と言う態度で向かい合ってしまう人がいるが、その「もてている」と言う裏には「気配り」や「こまめな活動」と言う物があったりするのだ。
 でもって「けっ」とか言っている人は「では女の子にもてたくないのか?」と聴いてみれば「そ・・・そりゃもてたいっす」と答えが返ってくるんじゃないのかな?
 「俺は女には完璧に興味なーし!」と言う人はハナっから「けっ」などとは言わない。
 やっぱし「カッコつけやがって」とか思ってしまう人は、逆説的に「カッコよくなりたい」と言う気持ちがあったりするんじゃないかな。うん。

 恋愛に関してはやっぱ人間、本質的に正直になりましょうぜ。


 なーにも意志表示しないで恋愛に持ち込めないってのは、告白して振られてしまう事と同じ事だってば。
 そんだったら、告白しちまった方が、意志表示しちまった方が「可能性」ってヤツが出て来るんじゃないのか?
 とりあえず悩め、動け、落ち込むのはそれからで間に合う。

 などと、強気な振りをして、自分を奮い立たせている今日この頃だったりする(笑)

 そー言えば以前何かのTV番組に(クイズ悪魔のささやきだっけかな?)「恋愛について書いてある本を読んだのに何故かもてない」と言う男が出てきた。
 確か「谷村有美」とかあたりの本だと思ったけれど、そーんな本を読んでもてれば苦労はしねーよなぁ、御同輩(笑)

 もっとも、その男は「職場に配属されてきたアルバイトの女の子が自分に笑顔をくれたので、こりゃ絶対俺に気があるぞ!と確信をして、給湯室でお茶を入れている彼女のスカートの中に顔を突っ込んだら、何故か嫌われてしまった」とかって、TVで平気で言っている様なバカヤロ様だったんだけど・・・・
 (問題外だなこりゃ)
1997年2月16日(日曜日) 中古プレイステーションソフト
 プレイステーションのソフトって基本的に中古販売してはいけないんでしょ?
 だから、基本的に「安く」を願ってスーファミのソフトなんかも新作はほとんど買っていなかった私は躊躇する処があった。が、実際の所、色々な所の中古ソフトショップで見かける。
 基本的に「中古も扱っていますけど、新作も入荷しますよ」と言う店の場合は、プレイステーションの中古ソフトを扱えないって事なんだろうな。
 『BOOK OFF』のゲームソフトコーナーでは、サターンは新作も中古も扱っているけれど、プレイステーションに関しては新作のみって事になっている。

 やっぱ、つまらないソフトや飽きたソフトは売りたくなるし、出来ることならソフトは安く買いたいってのは消費者の偽らざる気持ちだと思う。

 でも、最初プレイステーションは中古でソフトの売買を許さないって話を聞いたとき、こりゃ中古販売を規制していないサターンの方が売れるよなぁと思ったが、なんでも現時点で一番売れているのはプレイステーションらしい。
 うむ、ソフトの差なのかな?まさかファイナルファンタジーだけのせいじゃないよなぁ
 今年の正月にはプレイステーション本体売り切れの紙を何回か見たし・・・・

 会社の人に言わせると「プレイステーションなんて面白そうなソフト全然無いじゃん」などと言っているけれど。
 うーむ。

1997年2月17日(月曜日) 哲学者と詩人
   幸せな恋愛をしていると人間は誰でも詩人になる

   不幸な恋愛をしていると人間は誰でも哲学者になる

   どうやら私は哲学者になる傾向が多い。


1997年2月18日(火曜日) 誰が歌う?
 カラオケに行った。
 なんか最近のカラオケは洋楽が、やたらと増えている。
 昔はビートルズとかビリージョエルとか有名所ぐらいしか目立たなかったのが、最近はジャミロクワイなんかも数曲入っている。
 うむむ、誰が歌うのだ?
 外人か?
 もしベタベタな日本人が歌っていたらイヤだなぁ

 かと言って音痴な外人にハズされて歌われてもイヤだしなぁ(笑)

1997年2月19日(水曜日) いわゆる小室的な音楽が苦手な理由
 なんつーか、世間には小室的な音楽が溢れている。
 私はTMレボリューションなんてのはてっきり「TMネットワーク」「TMN」と変体を繰り返してきたグループの最新形態かと思っていたっす。
音もメロディもそっくりそのまま、ボーカルはちと違うが。(ちょっとだけね)
 が、どーも小室系ではなく浅倉系だった。うーむ、あの手の音楽が好きな人にとっては小室でも浅倉でも関係なく「あの手の音」と言う事で好んで聴くのだろうか?
 あと、小室の弟子と言うか腰巾着な久保こーじプロデュース作品ってのもいくらか出回っている。
 なんってこった状態。
 いや別に、小室作品が全て嫌いと言うのではなく「いいメロディ書くじゃん」と思うのもある。単純に「小室だから生理的に嫌い」などと一刀両断するつもりはない。
 自分は何故、この手の音楽が苦手なのか?好きになれないのか?と考えてみたのだ。
 たしかにキャッチーな感じに覚えやすいかもしれないと言う曲調がそこにあって、基本的に「流行歌」と呼ばれるジャンルも嫌いでないのだが・・・・
 と、気が付いたのが「最初から最後までテンションが高い」と言う事だったのだ。
 いわゆる「リスナーを最初に引きつける」と言うテクニックとして、サビの部分を一番最初に持ってくると言うのは昔からよくあった。それの方が「曲の美味しい処を相手に伝えやすい」と言う利点がある。
 が、そこで発生した高いテンションがそのまま持続してしまうのだ。少しは高低差があるけれど、それは大した事のない高低差で、全体を通して聴くと、サビのオンパレードになっていたりする。下手すりゃ、サビとサビを無理矢理つなげた様な曲の場合もある。
 うーむ、このテンション高いまま。と言うのは苦手だなぁ。
 昔の体質の人間だからなのかも知れないが、徐々に盛り上がってサビへとなだれ込んでいく。と言うケースの曲の方が好きだけどなぁ。
 この数年(もう10年ぐらいになるかな?)テンションが高い事が良い事だ、みたいな風潮がどこかにある。それは音楽に関してではなく、男女関係・人間関係とかのノリとしても。
 ま、宴会となったら盛り上げるのは当然なんだけど、大学生のコンパ乗りのバカ騒ぎが正しくて、それ以外の「乗れない状態」は罪悪だ、みたいなムードがどこかにある。
 「ひとりでいる」「静かに考える」なんて事が「暗い」とか「ブルー」だとかで、悪い事になってしまう傾向がどこかにある。
 「読書」なんてのも、孤独な作業だからどうもイメージ的には「暗い」みたいっすね。

 確かにね、宴会の席でぶすぅぅっと隅で薮睨みをしていられても困ってしまうのは事実で、そんなヤツはハナっから来るなよ。とか思ってしまう場合もあるけれどさ、この10年ぐらい、いわゆる大学コンパのり(おきまりの様にとんねるず石橋的な「オラオラオラ」野郎が大量発生している)が、正しいのだ。しょっぱなからテンション上げていくぞぉぉぉみたいな部分は、どこかにある。
 それと何か、相通ずる物が、その辺の曲にはあるような気がしてしまう。
 いわゆるコンピュター系の音って事で、とにかくゴージャスに隙間無く音を詰め込んである。
 たえず細かいリズムがスタタタタタタタタと鳴っている。感情の盛り上がりより、強引に引っ張り上げられるテンション。
 なんか個人的な感情として「私の肌には合わない」と思ってしまうのだ。
 そんな事を思った。


追記:1998.1.21
 前述のTMレボリューションは、この後ブレイクしましたな。
 でも、ヒットしたのは小室的な音楽から方向を変えて、往年の西城秀樹路線って気がする。
1997年2月20日(木曜日) ダサイ音楽
 会社の連中が今度の週末スノボーしに、泊まり掛けで出かけるそうだ。ま、それはそれでいいんだけど、そこへ行くまでの車の中で流す音楽が問題なのだ。

 なんつーか、CDアルバム垂れ流しと言うのは彼らには耐えられないのだそうで、基本的にオリジナル編集テープ持参で出かけるのが正しい長距離ドライブの王道なのだ!らしい。 うむむ、それはそれで結構な事だ、スキー場に行くまでの道のりをいかに楽しく、いかに気分を高揚させていくか!と言うのもかなり重要な課題になると思う。

 で、今回その一緒に行くグループの2人がオリジナルテープ制作班になって、それぞれがレンタルCDで借りてきたので編集をしているらしい。

 ふと休憩時間にコーヒーをすすっていたら、すぐ横でそのテープに収録した曲に付いて話していたので、聴くとはなしに聴いてしまった。

 そこでは、お互いの収録曲に付いて「ダサイ」「ダサク無い」の基準で話をしていたのだが「俺、広瀬香美だけは許せない。あの頬骨の出方が」などと、凄くマニアックな嫌いかたをしていたのだが(笑)

 そして判明した事は、お互い違うレンタルCD屋に行ってそれぞれが20〜30枚ぐらいシングルCDを借りてきたのだが、基本的に「新発売」の物のみ。
 ここで少しでも古いと(既に去年の12月のは古い)即座に「ダセーそんな古い曲入れてんの?」の判定がくだる。
 で、結局お互い貸し出しランキングの上位の新作ばっかりを借りてきたので、ほぼ80%が同じ曲だと言うのが判明。もう殆ど最新チャート番組状態の選曲。

 僕に言わせると、今流行っている曲をガンガン流しているのって「凄くダサイ」って気がしちゃう。もう、この辺の感覚ってまったく違う世界の物なのかなぁ?
 ちょっとマニアックで知られていない曲・知られてないアーティストの曲だけど、凄く綺麗だったり、凄く楽しかったりする曲ってあるでしょ。
 しかし、そーゆー曲は彼らの中では「マイナーな曲(音楽的なマイナー・メジャーでは無く、有名無名と言う意味のマイナー)」「誰だよそれ?」「知らねぇよ」「売れてねぇんだろ?」「ダセー」で終わる対象らしい。うーむ。

 そう考えていくと、私がこれまでデートやらなにやら「今日はリキ入ってますです」てな日に選曲していた「自分は知っている趣味のいい曲」てのは、間違いだったのか?????
 うーむ(笑)

 どっちかと言うと自分は、周りの人が知らないような曲を持ってきて「ふふふーん、この曲知られていないけれど、いい曲でしょ」てな具合に、布教するのが好きなんで、その辺のヒットチャート主義ってよく解らないっす。