杉村ぐうたら日記(1997年2月21日〜28日)

▲1997年2月21日:金曜日:『LIVE LOVE LIFE』渡辺美里
▲1997年2月22日:土曜日:犯人に卑怯なヤツなど居ない!
▲1997年2月23日:日曜日:長いクソして・・・・・
▲1997年2月24日:月曜日:ソニーミュージック『プリクラ』グランプリ
▲1997年2月25日:火曜日:たまごっち限定100個大作戦 (笑)
▲1997年2月26日:水曜日:なーんにも考えていないだろ
▲1997年2月27日:木曜日:あぁ時間を無駄に使っている(笑)
▲1997年2月28日:金曜日:新聞紙の海
1997年2月21日(金曜日) 『LIVE LOVE LIFE』渡辺美里
 去年の最初頃に発売された完全限定盤のLIVE物。

 渡辺美里に関してはビデオなんかで毎年LIVE盤を出しているけれど、CDとかって言う音源としては始めてなのだ。
 西武球場での恒例LIVEが今年で10年目とか言うので出したんじゃなかったっけかな?

 私はデビュー当時の渡辺美里ってのは、どーも好きじゃなかった。
 「あたしは歌上手いのよ」的な声量ビシバシな「腹式呼吸で歌うのだ!」と言う発声方法もなーんか好きになれなかった。
 ま、岡村靖幸が曲を書いていたり、大江千里が曲を書いていたりして、その辺の興味もあって聞き始めたのが最初かな?で、何故かいつの間にか殆どCDを持っていたりする。

 うーむ、キャラクター的にも、歌唱法的にも、声質的にも、そんなに好きじゃないのに何故なんでしょ?と感じていたのだが、その「歌に対する真摯な態度」っつーのかな?その辺が好きなのかもしれない。

 でもって今回のLIVE盤だ。

 一時期、渡辺美里は夏近くになるとアルバムをリリースすると言う感じで、それを引っ提げてツアーをして、最終目的地の西武球場にたどり着くぞ!と言う感じだったのが、数年前の「BIG WAVE」と言うアルバムの発売に当たって、TVスポットで盛んにシングル「BIG WAVEがやってきた」と言う曲と共に宣伝していたのだが、なんと運が悪いことに、北海道の奥尻で地震による大津波でとんでもない被害が出てしまったのだ。

 で、こんな時期に「BIG WAVEがやってきた」はまずいだろー、と言う事でスポットCMが打ちきりになったりもした。

 それは直接関係無いだろうが、次の年の夏には新作は発表されなかった。(昔の歌をリアレンジした作品は出たけど)
 それ以降、なんかヒットから遠のいてしまった様な気もするが、頑張って欲しい物だ。

 と、この完全限定LIVEアルバムは私は発売当時に買わなかったのだが、先日中古CDとして「1000円」で売りに出ているのを見つけ買ってしまったのだ。

 で、聴いてみたのだが「??????」
 なんか、やたらと音が薄い。
 これはスタジオ録音とライブ音源の差っていう段階なんかじゃなくって、完璧にミキシングの際にレベルを落とし過ぎているんじゃないか?って感じの音の薄さ。
 ライブならではの、ラフで荒削りな、と言う音ではなく、下手したら「海賊版?」と思ってしまうぐらいにミキシング・カッティングのレベルが低いのだ。

 うーむ、ライブをなめんなよ。てな感じ。

1997年2月22日(土曜日) 犯人に卑怯なヤツなど居ない!
 いぜん、推理小説の犯人のパターンで色々ひきょうな物があるとか書いたハズだけど、よーく考えると基本的に推理小説は卑怯でいいのだ。と言うか「まず最初に卑怯ありき」なのだ。

 世界初の推理小説と言われる「モルグ街の殺人」と言う作品がある。
 なんせ、この事件の犯人は○○だったりする(伏せ字で御免(笑))
 元祖から卑怯なのだから、いくら「正統派ミステリー」とか言ったって真実味がない。
 なんか「清純派AV女優」みたいな矛盾した話なのだ(笑)

 しかし「幽霊」と言う犯人だけはヤッパシ納得いかない。
 宇宙人とか、テレポテーション出来たってのも、無しね (笑)

   あぁ伏せ字を言いたい(笑) 

1997年2月23日(日曜日) 長いクソして・・・・・
 仕事でとある本を編集していた。

 その本の文章の中で「長く、そして」と言うフレーズが出てきたのだが、何故か「長く」の後に続いている句読点「、」を取れと言うのだ。
 おかげで「長くそして」と言う事になってしまい、パッと読むと「長・くそ・して」と読めてしまうようになってしまったのだ。

 さらに困った事に他の文章の関係でちょうど「そ」の処で改行する事になってしまった為に、どう転んでも「長くそ・して」になってしまった。

うーむ(笑)
1997年2月24日(月曜日) ソニーミュージック『プリクラ』グランプリ
*プリクラの利用者全てが対象の(年齢・性別・国籍など一切  制限がありません)世界初のオーディション。

なんて言う事で、今回ソニーミュージックが色々な人を募集している。
A.俳優・女優部門
B.モデル部門
C.声優部門
D.アナウンサー・ナレーター部門
E.コメディ・バラエティ部門
F.タレント部門
G.ボーカリスト部門
H.シンガーソングライター部門
(バンドの場合はボーカルが応募)
*ただしG/H部門の2部門の応募者はデモテープ(1曲でも 可)を同封して下さい。
てな事なのだ。

プリクラで撮影したシールを「正面アップ」&「一番好きな表情の物」の2枚を所定の応募用紙に貼って、ソニー宛に送るのだが・・・・・
世界初!とか言っているけれど、基本的には普通のオーディションとどう違うの?
しかし、あの粒子の荒い写真で・・・・・って、ただ単に話題性のみのコンテストだよなぁ

1997年2月25日(火曜日) たまごっち限定100個大作戦 (笑)
 「たまごっち限定100個」と言う噂が飛び込んできたのは、某所で宴会をしていた夜10時頃だった。
 販売する場所は、以前は「ジョイフルミツヤ」と言う店があった場所に、去年暮れにオープンした「エスポット/ESPOT」と言う店でだった。

 その宴会には女の子が2人参加していて、とりあえず「欲しいね」と言う話になったのだ。うむむ。
 その店のオープンの時間はたぶん9〜10時って処だから・・・・
 6時頃からかなり情報を聞きつけた人達が順番待ちをするんじゃないか?と言う事で、5時頃並べばバッチリだね。と言う事になったのだ。

 ま、この宴会と言うのは前回もほぼ同じメンバーでやったんだけど、その時は2次会3次会で、最後は結局朝まで過ごしてしまい「おいおい朝帰りで大丈夫かよぉ」と不安を残しつつ、女の子を家まで送り届けたのが朝の8時30分と言う感じだった。
 だから、5時頃までだらだらと時間を潰して、それから並べばいいっすね。
 と話は落ちついた。
 2次会でカラオケに行き、結局そこで1時30分になり、某氏が「じゃ3次会は俺の知っているスナックが朝までやっているからそこに行こう」と提案し、そこへ移動したのだが、なんとそのスナックの明かりが消えている。

 「ありゃ?土曜の夜だってのに・・・」と、某氏がスナックに近寄ると「都合により閉店しました」との看板
 がぁぁぁぁん(笑)

 じゃどうしよう?
 と、三島駅前をうろついているとき、その内の一人の女の子が「なんか凄く眠くなっちゃったから・・」と言い出したので、「じゃ最後にラーメンで締めて終わろう」と、真夜中2時過ぎ(30分ぐらいになっていた)だと言うのに客がやけに多いラーメン屋へ寄った。

 そして、その女の子を送っていった後、まだ時間的には4時前だったがエスポットの前を通ると・・・・・すでに大行列が出来上がっていた。
 なんでも聴くところによると、最前列は夕べの夜9時から並んでいるそうだ。うむむむ。どう見てもこの時点で限定100個のたまごっちは最後列まで行き渡らないのは目に見えている為、私たちは断念し、その場で宴会もお開きになったのだ。

1997年2月26日(水曜日) なーんにも考えていないだろ
 去年の初頭「アムラー」と言う言葉が誕生した。
 あえて説明しなくても判るが「安室奈美恵」的なファッションを追随する人々の事を「あむろ」の末尾に「er」をつけて変化させた名称なのだ。
 英語で書くと「AMURer」

そこから、多くの亜流が発生した。
華原朋美から「カハラー」
飯島直子から「ナオラー」
浜田雅功から「ハマダー」
篠原ともえから「シノラー」
 しかし、「カハラー」「ハマダー」は「er」の意味を知っていて「KAHARer」「HAMADer」と変化している。
 が、それ以外の多くは、末尾に「ラー」を付ければいいのだと勘違いしていないか?
などと、わざわざ怒る様な事でもないけれど、ネタの為に怒ってみました(笑)
1997年2月27日(木曜日) あぁ時間を無駄に使っている(笑)
 あれもしなければいけない。これもしなければいけない。
 真夜中ふと部屋を見渡すと、汚れている。
 あぁこれじゃ、ふいに女の子を家に呼ぶチャンスが出来ても躊躇しちまうじゃねぇか(笑)などと、明日もハードな仕事が待っている。
 と思いつつも片づけ始めたりする。

 と思っている時に、ふと部屋を片づけていて、まったく手を付けていないプラモデルなんかを見つけてしまうと、ついつい組み立てて塗装なんかし始めてしまう。

 そんな私の人生はどこへ向かって行くのだろう(笑)

 しかし、最近のプラモデルって何が凄いって、凄く凝った作りで部品が多くて(ガンプラなんだけどさ)関節とかガシガシ動いちゃったりするんだけどさ、接着剤を一切使わないで組み立てることが出来るってのが凄い。
 もっとも、ちゃんと塗装までしようとすると接着剤は必要なんだけどさ。

1997年2月28日(金曜日) 新聞紙の海
 通勤途中の道ばたにパトカーが停まって、警察官が2名ほど立っていた。
 「いったい何ンぞや?」
 と言う好奇心に煽られた人々の為に、そこの部分だけはノロノロ徐行運転で軽い渋滞になっていたりした。「んたくもー」などと思いつつも、私もご多分に漏れず好奇心を発揮してしっかりノロノロ運転をしたりする。

 そのパトカーが停まっている現場には、大量の古新聞が散らばっていたのだ。
 どーみても1ヶ月分、2ヶ月分ってレベルではなく、1年分!とかそれ以上の途方もないレベルの古新聞が道の端っこに散乱していたのだ。

 これってヤツはたぶん、富士にある製紙工場に再生紙としていくハズだった古新聞が何かの拍子にトラックの荷台から落ちてしまったというパターンなのだろう。

 なんつーか、輸送中のブタなんかが、これから我が身に起こる不幸を察知して逃げ出したかのように、新聞紙にも「古」と名付けられてはいるがプライドはある「私は一生涯一新聞紙でありたい」との決意からこのような脱走劇を引き起こしたのではないのか?などと、メルヘンな事を考えてしまう、睡眠不足の朝通勤だったのだ。