杉村ぐうたら日記(1997年3月1日〜10日)

▲1997年3月1日:土曜日:無口な私
▲1997年3月2日:日曜日:20年目にしてやっと判った名前の読み方
▲1997年3月3日:月曜日:横溝正史
▲1997年3月4日:火曜日:SFなんてジャンルは・・・・
▲1997年3月5日:水曜日:愛こそがすべて          か?
▲1997年3月6日:木曜日:聞き間違いの恐怖
▲1997年3月7日:金曜日:栗本薫
▲1997年3月8日:土曜日:日本にSFはない?
▲1997年3月9日:日曜日:読書話・新潮文庫が好きだ!
▲1997年3月10日:月曜日:仕事話・写真データをなんとかせよ!
1997年3月1日(土曜日) 無口な私
 最近、忙しいついでに歯医者なんて物にも通っていたりするのだが、私は虫歯が多い。
 とにかく過去に直して来たのも数えると天文学的数字になるのだ(って、歯の数は限られているっす(笑))

 だから、今回もとりあえず差し歯にしなくてはいけない歯を左右の歯で支えて、と言う工事をしようとした時に問題が発生した。
 その横の歯が、すでに差し歯だったのだ。

 だから、その差し歯も込みで直さないと上手に土台が作れないらしい。とりあえず、そこは差し歯と言えども問題なく10数年私の食生活を支えて来ていた歯なのだ。
 ま、次の歯の為にとりあえずそこも削って、来週本式に差し歯を入れる。と言うことになった。
 だから現状で私の歯は完璧に、仮の差し歯を急遽いれた状態になっているのだ(2本)

 ま、しゃーねーな。と思っていたのだが、なんとその仮の差し歯がスポンと抜けてしまったのだ。
 とりあえず、元に戻そうと思えば戻る状態だが、いつ外れてもおかしくない状態。完璧にグラグラしているのだ。
 これじゃ下手に食事をしたら、差し歯まで呑み込んでしまう恐れがある。

 が、今週の仕事状況を考えると、歯医者に行っている暇などどこにもないのだ。
 うーむ、不安定なまま私は喋ることでさえ難儀をしている。
 こんな時に、ベラカム様なキスなんかしたら、絶対に持って行かれちまうぞ。
 残念ながら、そんなことに気を回さなくてもいい私の生活に、少しだけ舌打ちなどをしてみるのであった。

1997年3月2日(日曜日) 20年目にしてやっと判った名前の読み方 (笑)
 最近ちょっと『日本ロック紀GS編』なんて言う、1960年代にベンチャーズやビートルズに影響を受けて日本でも大量のグループが活躍していた時期の事を記録してある本を読んでいたりします。
 この辺に関しては自分でもリアルタイムの音楽ではないんで、なかなか興味深い物があったりします。
 その後の70年代ロックへの流れ、歌謡曲への流れ、フォークへの流れ、みたいな物がそこには溢れていて、まだ混沌としていた日本音楽業界の原始のパワーを感じたりします。
 なんか全部インディーズみたいな状況(笑)

 それを読んでいくと、70年代以降に作曲家としている人がGSバンドのメンバーとしてキャリアをスタートさせたのだな、と言うのが判ったりします。
 一部の人にしか判らないかも知れないけれど、馬飼野康二と言う作曲・編曲家もGS出身なのに驚いた。
 しかし、それ以上に驚いたのは、馬飼野康二が参加していたGSグループの作曲をしていたのが、彼の父親の馬飼野あきらと言う人物だったりするのに「うむむむむ」と、意味なく唸ったりしてしまう夜更けだったりするワケです。

 で、一番の収穫は、1970年代以降にアイドル歌謡曲で数多くのスマッシュヒットを飛ばしている作曲家で「穂口雄右」と言う人がいるんですが、この人はキャンディーズの「春一番」なんかを作曲・編曲している人です。
 が、ずーーーーーーーっとこの人の名前が何ンと読むのか判らなかった。
 レコードを見ても歌手や参加ミュージシャンの名前はアルファベットなんかで書いてある事もあり、読み方が判明したりするんですが、作詞作曲のクレジットの所は漢字で書いてあるだけと言うのが殆ど。

 で、なんとこの人もGS出身でした。そこのプロフィールにはアルファベットで「ほぐちゆうすけ」と書いてあったのです。
 うむむ「右」を「すけ」と読ませるか・・・・

 しかし、この時代から筒美京平は作曲家としてガンガン仕事をしている・・・・凄いっす。
1997年3月3日(月曜日) 横溝正史
 去年、ふと横溝正史シリーズを読んでみたくなって本屋にいったが、以前の熱狂ぶりが嘘のように、出版されている種類が少なくなっていた。
 さんざん弄んでおいてこの仕打ちか!角川文庫ぉぉ!

 などと思っていたのだが、なんと最近、横溝正史作品のいくつかが角川スニーカー文庫って言う、どっちかというと軽めのエンターティメント専門のレーベルの文庫に移行して、再刊行されていた。
 うーむと考えてしまったのだ。ロードス島や、ゴクドーくんなんかと肩を並べたか横溝正史!
 確かに、今考えてみると、横溝正史の作品って言うのは推理物として見ても犯人の動機や根拠が甘かったり、わざと次の連続殺人を起こすかの様に、みんな間抜けな行動をしたり、本格推理物!と銘打つには、ご都合主義の作品が少なくなかった。
 重そうにみえて実は結構ライトな物語が多かった。そんな意味でならスニーカー文庫で再刊行されるのも判らなくもない。

(追記)
その後、角川のホラー文庫が好評なため、そのホラー文庫から過去の作品が再刊行された。全20作品。

1997年3月4日(火曜日) SFなんてジャンルは・・・・
 日本SF大賞と言うSF小説に与えられる賞がある。それ以外に「星雲賞」と言うハヤカワ書房が主宰しているSF文学賞もある。
 ハヤカワはかなり古い時代からSFを出版し続けている偉い出版社で、この出版社が育てたSF作家も少なくはない。で、この「星雲賞」なのだがSF小説に与えると言っておきながら、一時期、漫画家の「吾妻ひでお」に与えたりして問題になったのだ。
 「山のようにSF作家がいて、それぞれが真剣に考えたSFが大量にあるのに、選出されたのが漫画だとは」と言う感じで、批判も多かった。ま、それも色々な意見があると思うけどね。

 で、もう一つの「日本SF大賞」なのだが、これもSF小説にと銘打たれているのだが実際に受賞したのが「大友克洋・童夢」だったり、SFとは言えないかもしれない「井上ひさし・吉里吉里人」だったりしたのだが、ある年の候補作品にとんでもない物が選ばれていたのだ。

「ドラゴンクエスト2」

 これには、それまで「漫画が受賞してもいいじゃない」と言っていた人も反論した。わからないでもない。
 SF小説に全力をかけている人が大量にいる中、このゲームが受賞したんじゃ「なんか違うだろ」って気になるのも、うーむって感じなのだ。
 結局、他のSF小説が受賞したと思ったけど、SFは定義付けられる物じゃないってのが、如実に現れた事件だった。

1997年3月5日(水曜日) 愛こそがすべて         か?
 恋愛における価値観に付いて

 どの価値観が正しくて、今ちまたに溢れている価値観が正しくないなどと言うつもりは無いけれど、戦後日本が民主主義になって、高度経済成長期を過ぎて、みんなが生活以外の部分に目を向け始めた頃から築き上げられたマニュアル的な価値観ってのが、当然になっているのは不健康だな。

 いわゆる「愛こそがすべて」なんて言葉に気軽にうなずける様になっちゃったんだな、誰もが。たしかに「愛」ってヤツの持っているパワーは凄いっすよ。
 でもね、それだけじゃねーだろ?って気もする。

 なんと言いましょうか、世間一般の恋愛至上主義の人ってのは、いわゆるTVで垂れ流されている「トレンディドラマ」とかって言われていたカビの生えた様な内容のドラマを実生活にスライドさせているんでしょうかね?
 最終的には「白馬に乗った王子様が私を迎えに来てくれる」と言うのが、もしかしたら心の奥底にあるんでしょうか?うむ。

 この20年(それ以前からか)の雑誌なんかで繰り返されているマニュアル的恋愛と言う物が、そのキャンペーンの浸透によってマニュアル化された状態って言うのに気づかないぐらいに日常生活の中に入り込んでいる。
 それは女性だけじゃなくって男性も同じだったりするんだけどね。
 「俺はそーゆーの否定するもんね」とか思っている人も、結構根っこの所ではマニュアルな部分に影響を受けてしまっていたりする。だって物心付いた頃から世の中にそんなマニュアルが氾濫していて、それ以外の物って言うのは無理しないと見えなかったりするから。

 友達も同じ様な価値観を持っている・・・・と言う事で安心しちゃっているってのは、自分の価値観で言うと困ったなぁと言う気もする。
 これこそ戦後民主主義が生み出した最大の功績なのかもしれないけれど。
 いわゆる高校なんかで「制服廃止」と言うのが生徒会と生徒の努力によって勝ち取られ早速私服での登校が許可されたのに、結局みんな同じファッションで登校してると言う笑えない事実もあったりするけれど (笑)

 なんつーか考えはちゃんとまとまらないけれど「だってぇ◎◎ちゃんもやってたも〜ん」と言う小学生理論は好きじゃない。

 とにかく自分の価値観を信じていれば、絶対同じ様な価値観の人に巡り会えるハズだ。その時にフリーであるのが条件だったりするから難しいのだな (笑)

 横断歩道、みんなで渡って、みんなでひかれた
1997年3月6日(木曜日) 聞き間違いの恐怖
 今日、カーステレオで佐藤聖子の『友達よりあなたといたい』と言うそのタイトルもーちっと、どーにかならなかったのか?と言う曲を聴いていたのだが
『友達よりあたなといたい ウソついても』と言う箇所が
『友達よりあたなといたい クソついても』に聞こえてしまった(笑)
 スカトロのカップルの歌?なんかいや〜んな感じ。

 もー一度、そう聞こえちゃうと2回目もそー聞こえるわけだ

1997年3月7日(金曜日) 栗本薫
 なんか16年間で350冊以上の本を書いているらしい。すげえ。年間20冊以上(書き下ろし10冊以上)ってペースを、ずっと守り続けているってのは、女性作家としては脅威的な仕事量。
 ま、シリーズ物がいくつかあって、それぞれが50冊とか20冊とか行っているんで、単発の単行本を書いている人よりは楽かもしれないが、凄いっす。
 やっぱり「ぼくたち」シリーズが好き

1997年3月8日(土曜日) 日本にSFはない?
 以前はSF雑誌と言えば、老舗の「SFマガジン」を初めとして「SFアドベンチャー」「SF奇想天外」他にもいくつかあった。あとビジュアル系のSF雑誌「スターログ」とか、かなりの量のSF雑誌が毎月発行されていた。それが1970年代の後半から1980年代にかけてからの話。
 で1980年代に入った頃から「スターウォーズ」「エイリアン」「ブレードランナー」と言ったSF大作映画が日本で公開され、世間一般で言う、いわゆる『SFブーム』になった。たしか当時『SF元年!』とかってコピーも見たことあるような気がする。各出版社も「SF文庫」と言うシリーズを出したり、SF小説は全盛の時代を迎えた。

 が、それからしばらくして「SF奇想天外」「スターログ」休刊「SFアドベンチャー」隔月刊誌に、やがて季刊誌になる。一応「SFマガジン」だけは発行され続けているが。
日本にはSFは定着しないのか?


 一部では「SFは人気ジャンルだ」との意見もあるかもしれない。角川のスニーカー文庫とか、色々ティーンズ系の文庫はヒット作が多い。漫画やアニメもSF一辺倒だったりする。
 だけどあれは本当はSFじゃなかったりする。どっこにも「サイエンス」ってヤツが無かったりするんだもんね。

 得体の知れないブニュブニュした怪物に変身したりと言うジャンル的にはサイエンスではなく「バイオ」な話か、戦争シュミレーション系の話や、魔導師がどうのこうのと言う「ファンタジー」だったりする。あとモダンホラー系の物語か(超常現象とかね)
 いわゆる「サイエンス」な科学知識や情報の上に存在する話から、哲学的な人間の深層に食い込むっていう、本来のSFは日本ではあまりみかけない。うーむなのだ。

1997年3月9日(日曜日) 新潮文庫が好きだ!
人によっては新潮文庫が嫌い。と言う人がいる。
 原因は文庫の上の部分の神を切断した所が不揃いでギザギザしているからだ、と言う。しかし、あの紐で出来たしおりを入れるためにはあれは仕方がない事なのだ読者を思っての事だったりする。

 角川文庫なんて、ブームブームでガンガンと各種フェアをやり、途方もない数の出版をして、あっと言う間に廃版にする。
 講談社文庫なんて、江戸川乱歩賞の受賞作の版権持っているからミステリー界では偉そうだし。
 その点新潮文庫は、原点を忘れていないような気がする。実に地味な名作も刊行したりする、いい文庫だと思うのだ。

1997年3月10日(月曜日) 写真データをなんとかせよ!
 仕事でDTPって事で本の編集なんかをしている。
 で、それにフォトデータなんかも大量に含まれ、色々な作業をするわけなのだ。基本的なソフトの「フォトショップ」ってヤツを色々いじって、赤を強調したり色々とね。

 で、仕事の依頼主はいつでも、わがままなのが基本なのだ。
  「もっとシャキっとした写真にしろ!」とか
  「もっと濃淡をハッキリした写真にしろ!」とか
 とりあえず、なんとか、その指示に従って細工をしたりするのだ。

 が、やはり限度と言う物もある。
 元になっている写真ってヤツが、完璧に素人カメラマンが、オートフォーカスカメラで適当に取った様なものだったりするので、困ったちゃんなのだ。

 どこかのパーティ会場で撮った写真を持ってきて「後ろがゴチャゴチャしてっから、なんとかスッキリできない?」と言う指示もあった。
 ま、合成をしたり手を加えればできない事もないけどさぁ、そんなにまで加工して使用したいほど、その写真がいい写真だとは思わないんだけどなぁ(などと言えないけどさ)

 いぜんあったのでは、どー見てもピントが合っていない写真を持ってきて、そこに指示として「ピントを合わせること」とだけ書いてあるのが・・・・
 あのなぁ写真ってのは撮影しちゃったのが完成品で、それ以降ピントを合わせることはできないんだぞ。 うーむ、「コンピュータは万能」と言う、戯言を信じているのか?うむうむ。

 さらに、今回来た仕事は、色々な人が書いた文章を寄せ集めた本だったんだけど、その中の人物写真に付いての指示書き

  「表情が暗いので明るくする」

 ・・・・・俺にどーしろってんだ?