杉村ぐうたら日記(1997年4月1日〜10日)

▲1997年4月1日:火曜日:レコ評『フィンガー5/個人授業』
▲1997年4月2日:水曜日:レコ評『岡田奈々/女学生』
▲1997年4月3日:木曜日:レコ評『ずうとるび/サードアルバム』
▲1997年4月4日:金曜日:レコ評『自切俳人&ヒューマンズー』
▲1997年4月5日:土曜日:レコ評『BaBe / Fight!』
▲1997年4月6日:日曜日:レコ評『Rolling Stones / SAD SAD SAD 』
▲1997年4月7日:月曜日:レコ評『CREAM / Good bye』
▲1997年4月8日:火曜日:レコ評『大江千里/ red monkey yellow fish』
▲1997年4月9日:水曜日:レコ評『渡辺満里奈・Ring-a-Bell』
▲1997年4月10日:木曜日:レコ評『サニーディサービス/東京』
1997年4月1日(火曜日) レコ評『フィンガー5/個人授業』
フィンガー5/個人授業/フィリップスレコード/FS-1757/\500(1973)

 有名な曲ですが、こうして新たにじっくりと聞き直すと、あの時代の歌謡曲としては実に黒っぽい。
 基本的にはマイケルがいた兄弟グループ「ジャクソン5」の曲を日本的に解釈した物なんだけど、この都倉俊一が得意とする暑いメロディ&アレンジがどすどす来る。確か、この辺のフィンガー5に書いた曲は、これの1年ぐらい前に山本リンダに書いたLP曲の灼き直しだったりするのだが(メロディ&アレンジほとんど同じ物がいくつかある)山本リンダバージョンとの決定的な差は何か?と言うと、リードボーカルの晃のドライブ感のあるボーカルスタイルは凄いっす。
 本当に、ジャクソン5時代のマイケルジャクソンに匹敵するぐらいに、ファンキーでうねったボーカルを聞かせてくれる。もうボーカルテクニック以前に声質なのかも知れない。(後にこのボーカルが声変わりをしてしまい、フィンガー5の歴史は終わってしまうのだが)サビ部分の『憧れ〜のあの人〜は』と言う処からが、完璧なソロパートなのだがここからのテンションの上がり方は本家を凌いでいるかもしれないっす。

 しかし、このレコードの中での一番の収穫はこのレコードのB面『恋の研究』って奴。これはもしかしたら「ジャクソン5」からの完全パクリかもしれないけれど、これを発売した1973年当時にこんなかっこいい歌謡曲が存在していた事自体が衝撃。
 作詩は阿久悠なのだが、作曲:玉元一夫・編曲:山崎泉と言う名前を聞いたことがない人なので、うむむって感じなのだ。もしかしたら歌謡曲の人ではなく、ソウル系の作曲家なんかなのかも知れない。(もしかしたら作曲:玉元一夫って、フィンガー5の長男?)
 はっきし言って、楽器編成&録音技術が1970年代なんで新たに録音したら(ボーカル以外差し替え)現在の曲としてヒットしそうっす。
 しかもリードボーカルは晃ではなく、たぶん政夫がやっている。いやはや、この曲はかっこいいっす。
1997年4月2日(水曜日) レコ評『岡田奈々/女学生』
岡田奈々/女学生/NAVレコード/NA-25/\500(1975/8) 岡田奈々/くちづけ/NAVレコード/NA-28/\500(1975/12) 岡田奈々/奈々のひとりごと/NAVレコード/NA-3007/\2,200(1975/7)  たぶんデビュー曲とセカンドシングルとデビューアルバムだと思います。
 発売の日付を見ると、まずアルバムを出して、それから1ヶ月後にデビューシングルを出すと言う当時のシングル優先の時代としては珍しいっす。あの当時はデビューと同時にアルバムが出る事さえ稀だったんで、うーむって感じ。
 しかもアルバムの方にはシングル曲が1曲も入っていないってのが、なんか不思議な感じがする。果たして売れたのかどうか?基本的にアイドルのアルバムってのはヒットシングルが入っていてナンボって感じなので、これは珍しい事かもしれない1975年の段階では。
 今は無きNAVレコードって言う会社の考え方はちょっと特殊だったのかも知れない。特殊だったからこそ「今は無き」なのかもしれないが。多分、版権的な物すべてはキャニオンレコードに吸収されたんだと思った。
 NAVと言うとアイドルを輩出しようとしていたレコード会社で、岡田奈々の他に木之内みどり・三木聖子(ユーミンのまちぶせのオリジナル歌手)なんかが在籍していたっす。今、振り返って見るとこの3人の女性アイドルの容姿ってのは、今でも通用しそうな感じ。
 で、ボーかリストとして聞くと、こんなに不鮮明な唄い方してたっけ?と言う印象。たしかにハスキーなイメージがあったが、なんか声が出ていないって気もする。

 あと楽曲はフィンガー5ではファンキーな曲・編曲をしていた都倉俊一が実にオーソドックスな地味目の曲を書いている。この人って地味な曲を書くと実につまらない曲を量産する人で、その特性がもろに出ている(笑)
 アルバムのB面が実に困った作りをしていて、ちゃんとした曲と、弦楽四重奏みたいな演奏をバックに詩を変に感情を込めて朗読した物が交互に入っていると言う造りになっている。実にリピートしてアルバムを聴く人には迷惑なアルバムだったりする。
 最近のその手のアイドルアルバムは知らないが、この当時から1980年代中期まではこの手の朗読物ってのはよくあった。あの中森明菜でさえファーストアルバムの中でやっている。
 勘弁してよぉ

 それと同系列で、曲と曲の間にラジオのディスクジョッキー風(言い方が古い(笑))におしゃべりをして曲紹介をするって言うのもあった。
 普通はその歌を歌っているアイドル自身がつたない喋りを聞かせていたりするパターンだったのだが(当時はポッと出のアイドルが個人のラジオ番組を持つなんて事は滅多になかった事なので、生っぽい喋りを聴けるってことで良かったのかも知れないが)今、聞き直して見ると凄い歴史的価値があるのが、岩崎宏美のセカンドアルバム。

 なんと曲と曲の間にファンキーなDJをしているのが、日本のDJの元祖「糸井五郎」大先生だったりする。
 日本の洋楽紹介ラジオ番組のスタイルをアメリカから持ち込んで日本で展開したのはこの人が元祖で、たぶん50〜40歳ぐらいで洋楽を必死に聞きまくっていた人はFENと糸井五郎にお世話になったハズ。その糸井五郎氏が実にファンキーなDJをしている。
 当時の岩崎宏美の曲自体、作曲家の筒美京平氏がディスコ歌謡と名付けて(笑)ファンキーな曲を作っていましたから、そのムードはバッチシ決まっている。この当時の筒美作品は筒美京平自身がアレンジまでこなして、むちゃかっこい音作りをしていたりするんで、1970年代ディスコファンの人は岩崎宏美のデビュー当時の曲は要チェックっすよ。

 話は完璧に脱線したが、岡田奈々さんは歌手として活動期間が短かったのは判るような気がする。
1997年4月3日(木曜日) レコ評『ずうとるび/サードアルバム』
ずうとるび/サードアルバム/エレックレコード/AIL-10/\2,300

 うーむ、1曲目から苦笑と言うか、困ったなぁと言う感じ。
 ファースト&セカンドアルバムは中古で買って持っているが、やはりこれは持っていなかったみたい。1枚2枚目は自分たちで作った曲も入っているが、メインはプロの作家の手による曲だった。
 が、アーティストとしてミュージシャンとして自我の目覚め始めた彼らは自作曲をメインにしたアルバムを作り始めたのだ。そして、演奏も自分たちでやり始めてしまったのだ(1&2と比べると音づくりが突然アマチュアになっている(笑))

 で、1曲目が自らの決意を表明するかの様な「ずうとるびのテーマ」と言う曲。
 何ツーか、前半の部分がアニマルズ(朝日のあたる家)を意識したセルスターズ(ハチのムサシは死んだのさ)のデモテープって感じ(笑)。なんか、日本的なリズムだなぁギターが三味線っぽいよなぁって感じ。サビに入ると突然ビートルズの
「PLEASE PLEASE ME」の完コピになってしまう(笑)だって歌詞が「カモーン、カモーン、カモーン、カモーン」って感じでコード進行もメロディもそのまま「もっとひねらんかい!」って感じ。うーむ、分かり易すぎる(笑)
 それ以降の曲も「あはははははははははははは」と寛大な気持ちで聞くしかないのだ(笑)

 ちなみにベーシストの今村良樹は左利きと言う事もあって、完璧にポールマッカートニーを意識して、髪型を似せて、ベースがヘフナーってあたりが泣かせるなぁ。やっていることは全然違うけど(笑)
1997年4月4日(金曜日) レコ評『自切俳人&ヒューマンズー』
あなたは音痴ですか?コーラスワークできますか?

 一応音楽的な資質があって、楽器なんかを演奏することも出来るが歌うとからっきしな人がこの世の中には存在したりする。
 かの作曲家として有名なベーシスト「後藤次利」氏はかなり音痴だと言う話だ。
 歌手に渡すデモテープは、通常は楽器を演奏してメロディを指示してあったりするらしいのだが、その日機嫌がよかったのか調子に乗って、自分でメロディラインを歌って渡したのだが、先方から「メロディがはっきり判らないので、いつもと同じ形のデモテープを下さい」と言われたらしいのだ。うーむだ。
 で、かつて「あの素晴らしい愛をもう一度」と言う曲で、加藤和彦と素晴らしいユニゾンを聴かせてくれた北山修が、変名を使ってリリースしたのがこのアルバム。(自切俳人の読み方はジキルハイドね)
 確かに歌は上手くない。途中「音痴にも歌を歌わせてくれ〜」と言う悲痛な叫びの曲もあったりするのだが、本当に歌は上手くない(笑)
 だが、元々、あのトリッキーなフォーククルセダーズで作詞を担当していただけあって、詩の構成や、曲に関してのアイディアなんかが優れていて楽しいっす。最近、こんなLPまでもがQ盤として再発されているのを見て、なんか凄いと思ってしまったのだ。
 しかし、あの当時でも全然売れなかったLPを、再発CDでリリースして誰が買うというのだろうか?うーむ、別に再評価されている訳でもないし。
1997年4月5日(土曜日) レコ評『BaBe / Fight!』
 中古CDで\300で売られていて、ついつい購入。ひと昔前に流行った歌謡曲を今、あらためて聞き直すって言うのは、すごく時代に対して客観的に聞くことが出来て、その中で色々な構図が見えてきて面白い。
 だいたい歌謡曲というのは、その時代の少し前に流行った洋楽なんかを反映させていて、その反映のさせかたが実に職人芸と言うか、一般的に嫌みなく受け入れられる様にソフィスケイテッドされていると言うパターンだったりする。

 例えば、自分が子供の頃に西城秀樹がマイクスタンドを足で蹴り上げてポーズを取るのを見て「かっちょいいー」と思った事があるのだが、あれは今になって思えばロッドスチュアートのステージパフォーマンスの真似だったのだな、と気づく。
 同じく西城秀樹が間奏の部分でマイクを高く上にほおり投げて、その間にクルッとターンをを決めて「シュタッ!」と落ちてきたマイクを受け取る、と言うのがあったのだが(確かフォーリーブスもやっていた)これも、THE WHOのロジャーダルトリーの真似だったのね。って感じ。

 そんな意味もあって、この『BaBe / Fight!』と言うCDを聴くと、当時流行りはじめたユーロビートへの歌謡曲サイドからの解答と言う物が見えたりする。まだ、本場のユーロビートも熟成されていない時代だったせいもあって、今聴くと、今の感覚のユーロビートよりかなり大人しい物だったりするのだが、うーむとうなる部分が多い。ユーロビートというのは日本語が乗りやすい音楽なのかもしれないな。と言う感じがする。

 前述の話に戻る部分もあるけれど、日本の歌謡曲(ポップス全般を含めて)はイギリスやアメリカのポップミュージックを模倣して始まった。
 その始まった当時は「ポールアンカ」や「コニーフランシス」と言った、ボーカル物が流行っていて、音は二の次だったのだ。つまりメロディ主体の音楽。日本でそれを再生産するのは以外と簡単だったのだ。それが50年代から60年代にかけての話。
 で、ビートルズ初期と言うのもカバーしやすかった。で、多くのフォロワーとしてのグループサウンド(GS)が誕生してきた。
 が、60年代後半の洋楽は、いわゆる「アートロックだ」「サイケデリックだ」と言ったボーカルよりもアレンジ、演奏が主体の音楽がメインになってしまうのだ。
 70年代には「エルトンジョン」「サイモン&ガーファンクル」「カーペンターズ」と言ったボーカル物もあったが、その辺はフォークに吸収され歌謡曲には展開しにくかったかもしれない。
 グラムロックというのは歌謡曲になりやすい音楽でもあったのか、70年代の一番乗っていた時期の郷ひろみの曲は多分にT-REXを意識して書かれているような気がする。
 80年代に入ったころはパンク・テクノ・ニューロマンティックな感じで、そしてユーロビートになるのだ。
 これがビート主体なのだが、音的にはリズムのくり返しで基本は単純なメロディ。これが実に歌謡曲的だったのだ。そこに見事にはまってしまったのが、このBabeと言う2人組のアイドル。たしか1年ぐらいの間はヒット連発だったと思う。

 しかしその後、後追いで出てきたWINKにその場を追われ、だめ押しで活動の拠点だったフジTVをおニャン子クラブに追われてしまうのだ。結局最後は片方が妊娠して解散引退と言う形でひっそりと芸能界からフェイドアウトしてしまったが、今聴くとそこそこ良い曲を歌っていたかもしれない。
 なんか全然レコ評じゃないな、これ(笑)
1997年4月6日(日曜日) レコ評『Rolling Stones / SAD SAD SAD 』
『Rolling Stones / SAD SAD SAD 』

 実はこのCDは、イタリアで出ているローリングストーンズのブートレグ(海賊版)
 この「SAD SAD SAD」ともう一枚「HAPPY」と言うのが続き物になっていて、両方とも1990年のワールドツアーの際、スイスでのライブを録音した物だったりする。
 2枚で2時間ちょっとの長さなので、ほぼライブの全容が記録されているのだが、そう思うと資料的価値も高かったりする。この手の長いこと活動しているバンドはレパートリーも大量にあって、ライブによっては代表曲をパスしたりするのだが、この手の物があると、この時期のライブではこの曲が抜けていたか、などと言うのが把握できる。
「SAD SAD SAD」
1.Start Me Up
2.Sad Sad Sad
3.Harlem Shuffle
4.Tumbling Dice
5.Miss You
6.Almost Hear Tou Sigh
7.Ruby Tuesday
8.Rock And A Hard Place
9.Mixed Emotions
10.Honky Tonk Woman
11.Midhinght Rambler
12.You Can’t Always Get What You Want

「HAPPY」
1.Can’t Be Seen
2.Happy
3.Paint It Black
4.2000 Light Years From Home
5.Sympathy For The Devil
6.Street Fighting Man
7.Gimme Shelter
8.It’s Only Rock And Roll
9.Brown Suger
10.Jumping Jack Flash
11.(I Can’t Get No) Satisfaction
 ま、ヒット曲の多くは網羅されているので会場に来たファンも納得と言った所だろうかね?私はあとこれに「Time On My Side」が入っていれば文句はないっす。
 アーティストの権利を考えるとブートレグはよくないんだろうけどね

1997年4月7日(月曜日) レコ評『CREAM / Good bye』
CREAM / Good bye

 知らない人が聞いたら「クリーム」なんてグループは、どっかのアイドルグループかなんかの名前だと勘違いするんじゃないか?(ロリ系の写真雑誌が実際にあるし)
 しかし、これは60年代を駆け抜けていったトリオのブルース・ロックバンドなのだ。ブルースをハードロック的解釈で消化し、そこにジャズのアドリブ的要素をぶち込んだカッチョいいバンドなのだ。
 一般的にも分かり易く言うと、かのエリッククラプトンがギターを弾いていたバンドなのだ。
 が、最近のアンプラグドでの油の抜けた様なクラプトンしか知らない人には、このギラギラしたクラプトンは違う人に見えるかもしれない。「やだ〜私の知ってるクラプトンさんじゃな〜い」と言うかもしれない。そーゆー人はピーターフランプトンでも聞いていなさい。

 このクリームっ言うバンドはさっきも書いたけれどトリオで、ドラム・ギター・ベースって本当に最小限の人数のバンドでガンガン行くのだ。
 このパターンのバンドはそれぞれが上手くないときつい物がある。
 いわゆる多彩な音色でキラキラ夢の世界にいざなうのよんとか、そーゆーのはまったく無いのだ。それぞれの音がしっかりと独立しつつ、からみ合いながら大きなグルーヴを作っていくのだ。
 で、3人ともメチャウマのバンドなのだ。
 でも、テクニック至上主義の自己満足型の巧さではなく、バリバリにグリグリに押しまくるパワーが凄いのだ。

 ギターのエリッククラプトンの巧さはみんな知っていると思うけど、この時期の演奏ってのは、ブルースというジャンルを追求しまくっていた頃なので、とにかくかっこいい。かっこいいなんて形容詞では治まらない鬼気迫る物を感じる事ができる。
 もちろんジンジャーベーカーのドラムも、ジャックブルースのベースも凄いとしか言いようがない。

 このクリームって言うグループは1966年7月に出現し「フレッシュクリーム」「カラフルクリーム」「クリームの素晴らしき世界」と言う3枚のアルバムを出して、1968年11月にスッとあっけなく解散してしまったのだ。
 たった2年間。
 で、この「Goodbye(日本では"グッバイクリーム"と言うタイトルで呼ばれている)」は、その後に残されたライブテイク3曲と未収録だった3曲を合わせ編集されたラストアルバムなのだ。
 さらにその後「ライヴクリームVol.1」「同Vol.2」が発表されたが、クリームってバンドは基本的にライブバンドなのだ。たった3人でどーしてこんなにムチャ出来るの?って言う演奏を繰り広げる。
 ま、今はテクノロジーの発達によって3人でもオーケストレーションできるが、クリームは肉弾戦だ。
 本当の意味でのラストアルバム前作の「クリームの素晴らしき世界(なんつータイトルだ)」なんだけど、これは2枚組で1枚はスタジオ盤、もう1枚がライブ盤となっている。
 やっぱしライブを収録しなくちゃ意味がない!と言うのをスタッフも判っていたみたいなのだ。
 ちなみにこの「クリームの素晴らしき世界」は、日本で発売された当初「スタジオ盤」と「ライブ盤」はバラ売りされていた。スタジオ録音版もソリッドでかっこいいが、やっぱクリームみたいなバンドはライブで聞くバンドなのだなぁと感じてしまうのだ。
 現在の、人生を達観してしまったような「神様クラプトン」も捨てがたいが、怒涛の荒ぶるクラプトンも捨てがたい。
 やはり、ここまで激しく緊張した音楽を作ろうとするとバンドは2年ぐらいしか維持できないんだろうな。

1997年4月8日(火曜日) レコ評『大江千里/ red monkey yellow fish』
 彼のキャラクターやボーカルスタイルには好き嫌いを激しく感じる人が多い様だ。
 たしかに声が細い。実に不安定でボーカリスト向きではない。で、曲も分かり易い。それが一部の音楽ファンの間で解り易すぎて安っぽく聞こえると言う感想を持たれるのだ。
 ま、その辺は音楽に対して何を求めているのか?って部分になってしまうので、難しいのだが、彼は日本のポップスと言う物を一般化させた功労者の一人だと思う。1980年代というのは、混沌としたポップス界がビジネスとして成り立って行くことが証明された時だし(歌謡曲ではなくポップスとして)、一般的な感覚として聞かれるようになった時なのだ。

 ちょうど大江千里がデビューした頃は、ビリージョエルがピアノを弾きながら活躍していた時期で、それをさらにソフトにした形で、大江千里は出現した。
 デビュー時は「男性版ユーミン」とか「永遠のポパイ少年」とかそんなキャッチフレーズで語られていた。ま、そんな彼も「いつまでも少年じゃいられねーな」と言う感じでリリースしたのがこのアルバム。
 1989年と言う、時代が平成に変わった年で、音楽の歴史的にはバンドブームの真っ盛り。あの当時は、ポップな人も結構ロックよりな曲を出したりして時代に寄り添おうとしていた。が、大江千里はポップな部分は更にポップに(おねがい天国)、それ以外の部分をジャズ・ブルース・カントリーに求めたのだ。それも大江千里なりに消化した音楽として。
 彼のボーカルスタイルとしては無謀とも思える、アカペラからの曲の立ち上がり(これは前作「1234」でも実験済みだったが、今回の「文化祭」で完成した)や、ブルージーなコード進行(ラジオが呼んでる)等、かなり少年の部分が影を潜め大人の男が見えかくれしている。

 しかし、このアルバム以降の人気は思いっきり落ちてしまったのだ。
 知り合いの大江千里ファンの女性は「なんか求めている千里くんじゃない」と言っていた。やはりファンにとって「永遠のポパイ少年」を守り続けていくべきだったのか?その辺は、どういうファンが付いているかによって選択が難しいのかもしれない。

1997年4月9日(水曜日) レコ評『渡辺満里奈・Ring-a-Bell』
『渡辺満里奈・Ring-a-Bell』

 かの日本ポップス界の重鎮・生ける化石 (笑)「大滝詠一」御大の完全プロデュース盤として発売されたこのアルバム。
 いぜん大滝詠一が「1991年以降は私の第3期のスタートです、今回はプロデュース業に力を入れて行くことになるでしょう」と語っていたが、それからやっと5年目にして活動を再開した。
 で、このアルバムなんだけど、本当にプロデューサー仕事だけで、大滝作曲の曲は1年以上前に発表した「うれしい予感/ちびまる子ちゃんオープニング」のみ
 ま、これもアルバムバージョンとして、アレンジし直し新たなサブメロディありなんだが・・・・。
 うーむ大滝、もっと仕事しろよ。

 ナイヤガラトライアングル3参加希望 (笑)

1997年4月10日(木曜日) レコ評『サニーディサービス/東京』
東京/サニーディサービ/MDCL-1303/\2,800

 いくつかの音楽雑誌、あるいは1コーナーででもレコ評がある雑誌なんかで「心が洗われるような爽やかなアコースティックな手触りの音楽」みたいな事を書いてあって、うーむそれなら聴いてみたいぞ!と思わせるような感じだった。
 で、一度も音は聞いたこと無かったが、買ってみた。私の場合、結構直感で知らないグループのCDとか買ったりします。
 で、このサニーディサービス・・・・・・
 たしかにアコースティックな音づくりしてんだけど、曲自体がただのフォーク。それも、70年代にイヤって程、大量に存在していた単純フォーク。
 ま、そーゆーのが根っから好きな人には指示されるんだろうが、何をいまさらって感じがしてしまう。

 あの当時の「ふきのとう」「とんぼちゃん」「ちゃんちゃこ」「クラフト」「マイペース」などと言った大ヒット曲はなかったが、地味目のフォーク好き少女から指示される軟弱やさしさフォーク路線を見事なまでに継承しているって感じなんだよなぁ。
 あえて、この90年代半ばにやる音楽じゃないって気もするが。
 だって、その音楽の中に新しい要素がまったく見あたらないんだもんなぁ
 ま、一通り聴いてみると悪い曲はないし、メロディにも光る物をいくつか感じるけど、うーむ、って感じ。
 その辺の時代をまったく知らない世代には「新しい音楽」として受け入れられるのかも知れないけれど。