杉村ぐうたら日記(1997年5月1日〜10日)

▲1997年5月1日:木曜日:読書話・書店の未来は・・・
▲1997年5月2日:金曜日:読書話・「DESPERADO/デスペラード・3巻」松本大治
▲1997年5月3日:土曜日:音楽話・歌えねーじゃん!
▲1997年5月4日:日曜日:哲学話・そんなに深い意味などない人間なのだ
▲1997年5月5日:月曜日:読書話・生まれた街を遠く離れて
▲1997年5月6日:火曜日:読書話・『エヴァンゲリオンの謎』の謎
▲1997年5月7日:水曜日:音楽話・ついにリバイバルブームはここまで来たのか?
▲1997年5月8日:木曜日:音楽話・ジョイントライブ あるいはバックバンド
▲1997年5月9日:金曜日:音楽話・武田鉄也って男
▲1997年5月10日:土曜日:生活話・たまごっち3「てんしっち」発売延期の計画性
1997年5月1日(木曜日) 書店の未来は・・・
 本という商品は「購入」「読む」と言う行為で流通され目的を達成する。
 それで生涯を終える本もあれば、愛蔵書として保存される本もあったり、古本屋へ売られ第二の人生(本生?)を過ごす本もある。
 だが、一番最初のデビューは「買われてなんぼ」だったりする。
 が、多くの本・雑誌は「立ち読み」と言う行為でもって済まされてしまうのも事実。
 その人にとっては立ち読みで済ますことが出来れば、それで終わりなのだ。つまり知識として詰め込む作業が目的の本にとって、立ち読み出来るのならば、買わなくても買っても読者は本来の目的を果たした事になってしまうのだ。
 これって他の商品にはありえない事だと思う。
 ま、音楽の場合はレンタルでダビングと言う手段もあるのだが、現時点ではレンタルも流通の一部になり得ている。

 だから本屋に取っては死活問題なのが立ち読みと言う行為だったりする。
 特に漫画などはさっさっと短時間で読むことが出来るので、立ち読みにとっては最適の本だったりするため、本屋は必死にそれぞれの漫画本をビニールコーティングしたりしている。この作業は実に大変な労力を必要とするのだが、そうも云ってられない。買わずに読み捨てられてはこまるのだ。
 かくして、この10年で多くの書店で漫画の単行本はビニールコーティングされる事になってしまった。


 が、そのビニールコーティング立ち読み禁止の牙城を切り崩す店が、街のあちこちに多数出現してしまったのだ、その名は「コンビニエンスストア」
 とりあえず「立ち読みお断り」などと書いてあったりするが、実際の事を云えばコンビニは立ち読み人にとってはパラダイスだったりする。

 実はコンビニ側が立ち読みに関しては寛大だったりするのは、本というのは基本的に売れなかったら版元に返品が利く商品だったりする。そう言う事もあって、よれよれに読み捨てられて売れなくてもコンビニ側は痛い目にあわないのだ。
 売れなかったら返品しちゃえばいいのだ。
 その上、コンビニにとっては外から見える処に立ち読み客が居るっていうのは、他の客への呼び水にもなったりするし、思いっきり真夜中でも立ち読み客がいる事がコンビニ強盗予防にも役だったりするのだ。
 立ち読み目的で入ってきた客が、ジュースなりを買ってくれれば、それは純粋に売上になる。ジュースは返却が利かない商品だったりする。

 出版界全般から見ると、このコンビニエンスストアでの本の販売のおかげで、それまでわざわざ本屋に行ったり、駅のキヨスクに行かなければならなかった本が日常的な部分で売れると言う意味で、販路が広がり出版事業全体は上向いたりしている。
 コンビニにとっては商品の数のわりに収益率が悪い雑誌・単行本・文庫本なのだが売上としては通常出版物の1割を支えている。(店舗数が多いから成し得た数字なのだが)日本で一番本の売上を上げているのは実は(チェーン展開している店)紀ノ国屋とかではなくセブンイレブンだったりする。
 が、この立ち読みを奨励しているかの様なコンビニの現状は、一般小売りを生業としている本屋にとっては死活問題を引き起こしているのだ。
 純粋に本が1冊2冊と売れて、生活が成り立っている本屋では、立ち読みは泥棒も同然と言う事になるのだ。基本的に本自体は返却が利く物だが、売れなくては本屋はただの図書館、無料で本を読むスペースを提供しているだけの場所になってしまう。


 が、最近の客はコンビニで慣れてしまったせいか売り物である本を粗雑に扱うらしいのだ。
 私が見た例では、小学校高学年ぐらいの子供が、棚から引き出した単行本の帯をブチッと引きはがして平積み棚の上に捨てたのだ。うがー!
 もっと困るのが、完璧に返却の利かない、抱えている在庫は1冊1冊が純粋に売り上げなのよ〜と言う、古本屋でも同じように売り物の本を乱暴に扱う客が増えているらしい。

 色々問題は多い。
 立ち読みが当たり前だと思っている客が多いのも事実なのだ。買おうとしているのにジロジロ胡散臭そうに睨み付ける本屋のオヤジも勘弁して欲しいとは思うが、買う気がないのに客ヅラしている客も困り者なのだ。
 そして現在、日本中で年間1000件もの一般新刊書店が閉店に追い込まれている。ちょっと考え込んでしまう未来図なのだ。

1997年5月2日(金曜日) 「DESPERADO/デスペラード・3巻」松本大治
 前も最初の単行本が出たときに書いたけれど「ロック漫画」と言う事で、凄く期待をしちゃった分、腰くだけの漫画だった為についつい言いたいことが出てきてしまうのだ。
 ハッキシ言って甘すぎる展開が「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい」とエンドレス突っ込み状態。

 今回は初めてバンドのメンバーが揃ってコンテストに出場したのだが、色々トラブってしまいステージ上でみんな窮地に立たされてしまうのだ。
 で、突然の提案でメンバーがそれぞれいつも演っているパートを交換して演奏する!と言う暴挙に出たのだ。それが功を奏して、ダラけて聞いていた客、ブーイングをしていた客が「おぉ緊迫感のあるステージだ!」と絶賛するのだ。
 んなことあっかよぉ (笑)

 ずっと練習してきたパートでさえ上手く演奏できないっつーのに、突然パートを入れ替えて演奏できっかよぉ。主人公なんて、ついこないだまでギターさえ持った事の無い演奏皆無の初心者だったのに、突然ドラムを叩いていたりするんだもんな。

 この漫画の作者って音楽知ってンのかな?
 最初は、この手の漫画を書くぐらいだから作者は、漫画と平行して学生時代からバンドとかやってたんじゃ無いかな?とか思っていたのだけれど(絵をやっていて音楽もやっていてと言う人は知っている人にも多いし、よく考えたら自分もそうだし(笑))なんか読んでいけば行く程「こいつって音楽の事を、少なくともアマチュア音楽の状況なんかを何も知らないんじゃないか?」と言う感じがしちゃうのだ。

 なんせ単行本1巻でギターを習い始め、2巻でバンドを組んで、3巻でコンテストに出てスカウトらしき事をされ・・・、凄く甘いサクセスストーリー的な、負けがない進み方をしているのだ。もっと他にエピソードの練り方ってあるだろう?とか思ってしまうっす。
 基本的に作者が話を作るのが下手だってのが、一番のネックかも知れないけれど。

 なんかガッカリ、と言いつつ4巻も買ってしまうのかなぁ?


(後記:1997.7)
4巻で完結しましたが・・・いったい、何を言いたかったのか解らない漫画だった

1997年5月3日(土曜日) 歌えねーじゃん!
 会社で昼休み、CDを聞いていた若い社員がいたんだけれど、そこに数年先輩の男がやってきて
「お、何聞いてる?」
「華原朋美・・・」
「女の歌手かぁ、そんなの覚えたって自分じゃ歌えねーじゃん」
とそれだけ言って立ち去っていった。

 そこまで徹底して「音楽=カラオケで歌う為」と割り切っている人って清々しいかもしれない (笑)
 俺は絶ッ対にイヤだけど

1997年5月4日(日曜日) そんなに深い意味などない人間なのだ
 ふと考えると、自分って何でこーも単純に自分の内面をさらけ出してしまうんだろーかねーとか考えてしまったりする。
 現代用語の基礎的ではない知識にしても、すでに項目数は1500を軽く越えてしまったし、たこやき便りの過去の書き込みを読めば、日々どんな生活をしてどんな事を考えているのか一目瞭然。何が好きで何が嫌いで、とか聞かれていやしないのに、他人が興味あろうがなかろうが書きまくる。
 うーむ、基本的に自分としてはシンプルな人間になりたいと思っているのだ。

 なんかね、世の中を見ていると一生懸命、複雑にしようと頑張っている人がいたりする。俺はそんな単純じゃねーよってな具合に。俺は簡単に読まれるような人間じゃねーよって。
 ふーん、頑張ってねとしか私には言えませんが、自分は単純だからしょうがない。

 特にパソ通なんかをしていると「キミはいったい何者だ?」てな人がいる。
 その正体が見抜けない人なのだ。
 ま、パソ通ってのは地位も年齢も性別もなーんも関係なく文章上で会話が出来るっているのが醍醐味だったりはするんだけど、そのバックボーンがまったく見えない人って言うのもうーむという感じだったりする。

 基本的なコミュニケーションっすね。
 その辺の、相手への入り込み方、自分の提出仕方ってのも、難しいんだけど。

 単純でいいんじゃないかな うん

 と言うのも、こないだ暇つぶしに読んだ「ドイツ哲学の系譜」みたいな本で、ニーチェやらフーゲルやらショーペンハウアーやらデカルト・カント・ライプニッツなんかの言葉を読んでいく内に「そんなに人間って複雑な物かぁぁ?」と言う疑問に到達してしまったからなのだ。

 つまり難しく考えようとすれば、なーんでも難しくなってしまうのだ。
 人間の精神の果てにある形而上学叙説問題を考察してヘーゲルの言う所の精神現象学は意識の転換を・・・・と内面へ内面へ掘り進めば掘り進むほど謎は謎を呼ぶエヴァンゲリン状態なのだ(笑)
 もっと単純にシンプルに生きたいっす。

 食すれば糞が出る
1997年5月5日(月曜日) 生まれた街を遠く離れて
 思春期の頃、好きで好きでたまらなかった隣のクラスの髪の長い清純そうな女の子と、ふと酔っぱらった勢いで入ったソープランドで再会してしまった様な切ない気持ちをキミは判ってくれるかい?
 しかもやることはちゃんとやってしまった、と言う切ない気持ちを。

 なんと言いましょうか、やっぱり自分にとって雑誌「宝島」と言うヤツはその手の聖域に属していた本だった。
 毎号毎号、密度の濃い音楽情報を(まだインディーズとかって名前で呼ばれる前のアマチュアロックシーンとかの情報)教えてくれた雑誌だった。
 まだサブカルチャーがサブカルチャーとして機能して、主流も主流として分かり易く存在していたあの時代。主流だけが道ではないんだよん。と教えてくれた雑誌。

 もう誰が何を言っても戻ることは出来ないけれど、なんつーか、今出ている号なんて風俗嬢のカタログだもんなぁ
 「宝島」がロック雑誌だったなんて、誰も信じないよなぁ

 ふと切なくなる 春の日 
1997年5月6日(火曜日) 『エヴァンゲリオンの謎』の謎
 あっちこっちで話題になっている「エヴァンゲリオン」っすけれど、出版業界でも話題騒然っす。
 なんせ、久々に「謎本」が大ヒットしてますから。それも異常なくらいに。

 でもって、本屋でチェックしたんだけれど、発行が2月10日なわけっすよ。
 で、その本屋にあったのは3月5日に再版したヤツ。で、驚いてしまうというか、謎が謎を呼んでしまうというか、版数が81版だったりするワケ。

1997年2月10日 初版
1997年3月5日 81版

 つまり、2月10日〜3月5日と言う、24日の間に、81版の増版がって、1日に3.375版。
 うーむ、これまでこんな版数の本ってみたことないぞ。
 しかも、3月の終わり頃に印刷されたヤツは、150版だかになっていたらしい。

 ま、複数の印刷工場で印刷した物を、それぞれ1版とカウントしていったのだと思うが。
 それも、1回分の印刷冊数をどどーんと刷らないで、毎日コツコツと増版を重ねていったのじゃないかな?

しかし・・・・・
1997年5月7日(水曜日) ついにリバイバルブームはここまで来たのか?
あぅあらぃ〜(Aじゃらぁぁん)
とぅげざぁ〜(A+5じゃらぁぁぁん)
いそーぷれしぉす(A6じゃらぁぁぁん
とぅげざー(A+5じゃらぁぁぁん)

 ・・・・って突然、TVからジョンレノンのステーティングオーバーが流れてきたら私は慌ててしまいますよ。
 うん、特にジョンレノンの曲の中では、唯一リアルタイムで聞いていた曲だから(僕がビートルズを聞き始めた時には、すでにジョンレノンは音楽活動を休止していた、でもってこの曲で活動再開したと思ったら、銃で撃たれて死んだ)思い入れがかなり入って居るんで「なんだなんだなんだ????」とTVを見ると・・・

 なんと「いちばん大切なひと」と言うドラマの主題歌だった。

 うーむ、ここ数年「サイモン&ガーファンクル」「カーペンターズ」「エルトンジョン」と言う感じで、70年代を代表するアーティストの曲を主題歌などで使用しリバイバルヒットすると言うのが続いていたが、なんとジョンレノンかぁぁぁ
 こりゃ盲点だった。

 友人と「次はどの辺が来るかね?」と話していた時に「ビリージョエル」「ビージーズ(アコースティック時代)」「オリビアニュートンジョン」等などの名前が出ていたのだが「ジョンレノン」は思い浮かばなかった。
 なんせ、自分の中ではリバイバルじゃなく、現役で好きなアーティストだったりするから。

 うーむ、でもよく考えてみたらジョンレノンが射殺されたのが1980年の12月だから、すでに17年前って、凄く大昔の話だ(じじいになったもんだ、こりゃ)
 今20歳の人にとってみりゃ3歳の頃の話だもんなぁ
 ぎりぎり、ジョンレノンが殺されたニュースを知っている人で27歳以上って所かな?うむ、なのだ。
 そんなワケで「でも、これをきっかけにジョンレノンを聞く人がいたら嬉しいよなぁ」なんて思うのだが「じゃ、適当にジョンレノンのアルバムでも買ってみよう」なんて、目についたCDを何も考えずに買っちゃダメだよん。
 ジョンレノンの場合、1970年代初頭、ビートルズから決別した直後にオノヨーコと一緒に作ったアルバムは実験的なのばっかりだったり、延々と喋っているだけの非音楽アルバムがいくつかあるからねぇ

 あと、この主題歌に使用された「スターティングオーバー」が収録されている「ダブルファンタジー」も実はキツイ作品で、奥さんのオノヨーコの曲と半々の構成になっていたりする(キツイんだこれがまた)
 だから、ジョンレノンはベスト版が一番おすすめ(笑)
 あとは「ロックンロール」っていう、往年のロックのカバー集は安心して聞ける(笑)
 そう考えてみると、音楽的にはソロ以降はキツイ人だなぁ

 そー言えば、もひとつ驚いたのが、キムタクが出演している「ギフト」ってドラマの主題歌
 なんとブライアンフェリー大先生の「TOKYO JOE」っすよ。

 70年代末に発表した「IN YOUR MIND」に入っていた曲っす。
 何故なの?って感じ、これもリバイバル狙いかなぁ?日本じゃリバイバルどころか、もともと人気ないからな、ブライアン先生は。ロキシーミューッジックっす。渋すぎるなぁ

1997年5月8日(木曜日) ジョイントライブ あるいはバックバンド
 なんか、巷では「チューリップ再結成」って事になってますが、どーも、TVをみるかぎりでは、財津のわがまま大爆発状態の様な気がする。
 だから再結成ではなく

『財津和夫&ALWAYS ジョイントライブ』状態


 インタビューなんかでも、財津以外のメンバーてほとんど喋らないし、演奏中も「お仕事」って感じで気が入っていないみたいだし。なーんだかなぁ再結成しちゃいけないバンドだって気がする。
 去年の、甲斐バンドとは全然意味が違うよなぁ

1997年5月9日(金曜日) 武田鉄也って男
 前から「イヤだ」と思っていた。その理由が判った。

 説教するのは構わない、偉そうな事を言うのも100歩ゆずって許すとしよう
 ナニがイヤかっていうと

 「自分の意見を言ってねぇじゃん」って事かな?

 なんかね、中国の故事とか、「先人達は旨いことを言った物で」とか、「物の本によると」とか、何ンだかいつ聞いても、どっかで偉い人がこー言っていた、あー言っていた。あーこりゃこりゃって感じなのだな。
 で、おめーの感情はどこだ?おめーの意見はどこだ?てな事に思い当たった。

 凄く、まっとうで、凄く、正しいことを言っている様だったりするが、それは結局、他人様の意見だ。
 今、お前がどー思っているかってのを言って見ろよ。と言う感じになってしまったのだ。

 ちょっと、さっきTVを見ててそー思った。

1997年5月10日(土曜日) たまごっち3「てんしっち」発売延期の計画性
 なんつーか、最初3月末に発売予定だった「てんしっち」が4月発売に変更になって、さらに5月となって、結局7月から9月へと大幅にズレ込むことが発表された。
 これは、オリジナルの1・2がいまだに、品薄状態だって事もあって、バンダイはそっちの方をまず行き渡るようにしてから新製品を発表したいというコメントを出している。

 その為に、工場をアジアの色々な国に広げると言うことと、現在アメリカで発売している「たまごっちUSA」を逆輸入の形で日本で販売する。と言う事なのだ。
 現時点でさえ「白たまごっち」がどーのこーの、初期ヴァージョンがどーのこーの、さらに未確認情報では100個に1個の割合で特殊なヤツがあるとか、コレクター趣味や、最近のプレミア情報があふれかえっているのに、ここにきて、また新たなアイテム「英語版のたまごっち」っすか。
 この辺のディープレアな話題性を呼ぶ世界の展開のさせかたは実に旨い。

 「どーせ、色々機種が出たら飽和状態になるハズだから、その時に買おうかと持っている」と言う、やや引いた目で見ている人の気持ちのバランスまでを絶妙に突いてくる作戦って感じ。
 「無いから欲しい」と言う購買意欲を異常にかき立てる。

 「てんしっち」や新製品が発売されれば、市場にたくさん出廻るから「その時に買えばいいのさ。ふふふ〜ん」と、冷静なフリをしつつ発売を心待ちにしていた人の前に「あと3ヶ月以上待ってね」と言う看板をぶら下げる。
 ガーンとショックを与えて置いて、その代わりに「他人と差をつける為のアイテム」として「たまごっちUSA」の登場。

 うーむ

 某エッセイストが「たまごっち」と「エヴァンゲリオン」については『語ったら負け』と言う主旨のことを書いていた。

 つまり、どちらも話題に成りそうなアイテムをその周辺に制作者はまき散らして、都市型伝説を計画的に作り上げている。
 これは「語ってくれ」「深読みしてくれ」と言っている様なもの。これについて声高らかに分析したつもりになって、説明している状態は「お釈迦様の手のひらの孫悟空」状態なのだ。全然、客観的な分析になっていない。

 うむ、確かにそんな気がする。
 が「語ったら負け」と言う事を語る事自体が制作者の意図している部分に含まれているとしたら・・・・

(追記:1998.6.3)
 たまごっち関係は、1997年の夏頃には世間から飽きられて、秋口には配給過剰になって、冬のクリスマス商戦では誰にも見向きもされないアイテムになり下がりました。
 そんでもって「天使の」は発売される事はされたが、それ以外の予定に入っていた「森で発見」「海で発見」あるいは「たまごっち in PHS/たまぴっち」は実際に発売されたという噂を聞かない。
 1997年冬には予告していなかった「おすっち」「めすっち」と言う物も発売されたが、コンビニでさえ売れ残っている状況。
 しかし、まだまだバンダイは次のシリーズを考えているらしい・・・・