杉村ぐうたら日記(1997年5月21日〜31日)

▲1997年5月21日:水曜日:読書話・「本の雑誌血風録・椎名誠」
▲1997年5月22日:木曜日:TV話・ヒナノよぉぉぉ〜ん
▲1997年5月23日:金曜日:生活話・疲れている
▲1997年5月24日:土曜日:飲食話・チェリオな日々
▲1997年5月25日:日曜日:カレーは男の料理の基本だ!
▲1997年5月26日:月曜日:スターウォーズ特別編
▲1997年5月27日:火曜日:ヒーロー・靴をなくした天使
▲1997年5月28日:水曜日:ミッション・インポッシブル
▲1997年5月29日:木曜日:ザ・ロック
▲1997年5月30日:金曜日:あの人は・・・・・
▲1997年5月31日:土曜日:セガ・バンダイ合併解消
1997年5月21日(水曜日) 「本の雑誌血風録・椎名誠」自分とシンクロしていた登場人物達
 椎名誠と言う作家はいわゆる私小説と言う世界をリリカルに書く作家だったりする。
 その内容がケンカや貧乏やぐうたらやその他の情けない事で埋め尽くされていたとしても、その根底には切なさが付きまとっている。
 僕が文章という表現形態で「なんだこんな方法もありか」と無理矢理開眼させられたのが椎名誠という作家との出逢いだった。

 ずいぶん昔の話になってしまうんだけど、その当時、友人と何か一発雑誌でも作ってみようぜ!と盛り上がっていた最中だったと思う。
 僕はそれまで漫画は書いていたが、文章で相手に気持ちを伝えたり表現するって事は出来ないと思っていた。

 小説やらエッセイやらは、たぶん人以上に読んでいたと思うが、自分で書け!と言われたら「いやいや滅相もございません」と尻込みをしてしまうような感じがあった。
 確かにその当時から、作詞なんかをしてて文章をまとめて書くと言う作業らしい事はやっていたんだけれど。
 そして、ある日突然、椎名誠の作家デビュー作にあたる「気分はだぼだぼソース」と「さらば国分寺書店のおばば」と言う、あの時代を切り裂いたエッセイに出逢ってしまったのだ。うーむとうなりながら一気に読み終えた私は、ひとしきりウームと腕組みをしたまま人生を考えてしまったのだ。そうなのだ。その日から私は「なのだ」を多用するなのだ人生になってしまったのだ。
 それから僕は文章を書き始めた。
 世間一般では駄文だろーが、俺は俺の表現したい事を書くんだぜベイベぇと、やたらに興奮して雑誌作りなんかをしちゃった訳っす。



 その後の椎名誠氏は、最初のエッセイででも出てきた友人などと一緒にうごめき合い、眼光鋭くばーろーと威圧しながら、もー我慢できんかんね!と言いつつ、飯をはぐはぐ、ビールをんぐんぐしている様な作品を書き飛ばしていた。
 そして、文学的な検地から見ても傑作の呼び声高い「哀愁の町に霧が降るのだ」と言う作品を書き始めた。
 この作品は完全書き下ろし作品で、椎名誠の学生時代の大騒ぎを書いた私小説だったりする。克美荘と言う陽の当たらない部屋に同居する四人の男の悲喜交々を描いた作品なのだが、藤子不二夫の名作「まんが道」みたいに明確な目的を持った若者がひとつ屋根の下に集い、ディスカッションしあい、共に泣き、励まし合い、明日に向かって進んでいくのだ!なんて言う前向きな姿はどこにもない青春物語だったりする。
 普通、小説、それも青春小説と言われるものならば当然、ストーリーの向かうべき方向があって、主人公は努力・友情・勝利!と言うジャンプ的な世界を構築していくんだろうが、そこには何も無かった。
 あるのは、一つの鍋で炊いた御飯を奪い合って喰う四人の男だけだった(弁護士を目指して勉強している木村晋介はいたけど)

 なんつーか、熱くギラギラした情熱を空回りさせながら、空虚な気分で毎日を過ごす主人公達のリアルで馬鹿な日々が最後にはある種、感動的なうねりを見せていくのだ。この辺の私小説的に展開させていくテクニックが、ある文芸評論家に言わせる処の「椎名誠は自殺しない太宰治だ」なのだろうな。


この「哀愁の町に霧が降るのだ」と言う作品は、当時絶大な人気を誇っていた『たのきんトリオ/田原俊彦・近藤真彦・野村義男』で映画化の話があったそうだが、あまりにもカッコいい話になりそうなので、断ったそうだ。


 実際の自分の生活はもっと平坦な物だったけれど、やけに向上心に燃えた主人公が出てきていくつかの挫折を乗り越えて、栄光の未来を勝ち取るなんて作品より、身近な内容で「そうかそうか」という感じがしてしまったのだ。
 そこに書かれている人物の年齢と、読んでいる自分の年齢がシンクロしていたと言う事もある。

 実はこの書き下ろし上中下巻の「哀愁の町に霧がふるのだ」が完結した後、僕は椎名誠と言う作家への熱が少し冷めてしまった。
 その後も目に付けば単行本を買って(基本的に文庫本主義の私ですが、椎名誠に関しては単行本で毎回買っている)読んではいたが、あの作品の熱さを超える事が出来ない様な気がしていた。
 確かに小説書きとしては、そこいらの似非SF作家よりSFな作品を書いたり、ハーレクインもどきの純文学作家より愛情あふれる物語を紡いではいたが。



 ところが、それから数年後「新橋烏森口青春編」と言う作品にまた遭遇してしまった。
 どんな話か解らないけれど、随分厚くて読むのが大変そうだったけど、とりあえず新刊本として書店の平積み台に置いてあったので買って読み始めると実はこれ「哀愁の町〜」の続編的な内容のものだった。
 と言いつつも、これは小説仕立てになっていて登場人物はまったく違う名前になっていた。しかし、あの暗い四畳半でうごめいていた連中がそこにはいたのだ。
 普通、名作と思っていた作品の続編ってのは圧倒的につまらないものが多かったりするが、この作品に関しては大丈夫、なんせ、前作は完結していなかったのだ。
 「哀愁の町〜」の下巻のあとがきにも「まだ書きたい事もあるので、本当はこの巻を下巻の上にして次に下巻の中、下巻の下を出したかった」みたいな事を書いてあった。
 確かに現実をベースに話を進めていくと、小説みたいに都合よくキレイには納まってくれない。何か切れが悪いような気もしてしまう。
 そんな訳の続編と言う感じで、読み始めたのだがぐいぐい行ってかなり厚い上下二段組のハードカバーだと言うのに、ほぼ一晩で読破してしまった。うーむ、と私は唸りましたね。

 そんな訳でその話でもまだストーリーは完結せず、その次に「銀座のカラス」と言う作品が発表され、またしてもうぬぬぬぬぬ状態になってしまったのです。



 でもって、今回刊行された作品てのが「本の雑誌血風録」って作品。
 椎名誠と言う人は作家と同時に「本の雑誌」と言う書評誌(と言いきれない)雑誌の編集長をしているんだけど、それが出来上がるまでの話で、これの中で椎名誠も30代を迎え、本職の作家に向かって歩き始めると言うことになる。
 私小説シリーズの単行本6冊目にして主人公のやりたい事がやっと見えてきたか、と言う感じなのだが、たぶんシリーズとしてはこれが最後になってしまうんじゃないか?と思う。なんせ、作家になった以降の話は折ある事にエッセイで書かれている訳だし、ある種「みなさまお馴染みの」と言う感じになってしまう。

 最初の「哀愁の町〜」を登場人物とシンクロする年齢で読んでいた自分が、またしてもこの作品で主人公達とほぼシンクロした年齢になっていたりする。
 自分ははたして、本当に進むべき方向が見えているのだろうか?そんな事をも考えていたりする。
 この物語の登場人物の様に、先に光を見つけて歩いているのだろうか?

 まだ自分の物語を振り返って書くことが出来ない。


1997年5月22日(木曜日) ヒナノよぉぉぉ〜ん
 最近のミスタードーナッツのCMで、吉川ひなのが出ているヤツを見たことある人います?

 ゴールデンウィークの最中見たヤツなんだけど。
 シチュエーションははっきり覚えていないが、何かあって吉川ひなのが所ジョージの元を去っていく。で、しばらくしてドアが開いて黒人女性が出現し「ヒナノヨォォ〜ン」と片言の日本語で喋るというヤツ。
 いわゆるTBCのナオミキャンベルが出演しているCMのパロディになっていて、数名の友人と一緒に見ていたのだが、呆気にとられて、その後、大爆笑というパターンだった。

「凄ぇCMでCMパロディやってる」とか思ったのだ。

 が、それ以来見ていない。もしかしてクレームが付いて放映禁止になったか?

1997年5月23日(金曜日) 疲れている
 自販機でジュースを買おうとして100円玉を入れ、ランプがつくのをぼぉぉっと待って、暗闇の自販機の前で立ち尽くしていたのは私です。
 ジュースが100円だったのは、もう5年ぐらい前の話だぞ。


疲れている PART 2

 仕事帰りにコンビニに立ち寄って買い物をした。
 レジで商品を受け取って帰るとき、自動ドアじゃないドアの前でぼぉぉっと立ち尽くしていたのは私です。


疲れている PART 3

 帰り車を運転してて赤信号で止まった。ぼぉぉっと青に変わるのを待っていた。

 しばらくして気がついたのは、今、赤信号なのは次の横断歩道の信号で、目の前の横断歩道に付けられている信号は、はなっから青だった。

そんな自分は可愛いと思う。


1997年5月24日(土曜日) チェリオな日々
 チェリオって言葉を聞くと、甘酸っぱい日々が蘇ってくるなぁ (笑)
 子供の頃、少ない小遣いを有効的に使う!と言う場合に、とにかく安く量が多いと言う理由からチェリオを好んで飲んでいた様な気がします。
味は・・・「砂糖水に色をつけたようなジュース」ついでに炭酸入りっていう状態。
 基本的にはビニールのチューブに入っていてそれを冷蔵庫なんかで凍らせてチュパチュパ吸う例のワケわかんないジュースに炭酸を加えただけって状態の、飲んだ途端に舌ベロ変色!と言うヤツっす。

 当時500mlのコーラが100円で、このチェリオは500mlで70円だったもんで、とにかく飲み倒していましたな。


1997年5月25日(日曜日) カレーは男の料理の基本だ!
 かつて東京で一人暮らしをしていた時は料理をガンガン作っていました。で、まず料理をするぞ!と思い立ったら最初はカレーと言うのが基本でしょ。

 カレーを不味く作れるって言うのは、それはそれで才能なのではないか?と言われるぐらいに基本的な物だったりします。
 いわゆる、材料を切り刻んで鍋にほおり込み、グツグツ煮込む。ひたすら煮込む。しかる後、塩なんかを混ぜつつカレールーを溶かし込み完成!と言う、スペシャル簡単明瞭しかも豪快さんな料理なのだ。だからキャンプなんかでも愛されるワケなのだ。
 その上カレーが嫌い!と言う人にはほとんど遭遇した事がない。と言う、多数決民主主義的野外生活運命共同体状態の食事にはベストだったりする。
 たしか、去年の夏の終わりに開催されたキャンプオフなんかでも、夕飯は日本の正しいキャンプ生活を目指してカレーだった。

 しかしだ、このカレーは簡単なクセに奧が深い。
 じゃがいも入れるな、入れろ。小麦粉を炒めろ炒めるな、ガラムマサラがどーだ、ナツメグがどーだ、いやいや牛乳を入れろ!ざけんなニンニク入れろ!バカ言うな最後に酢を垂らすのだ。などと、カレーについての蘊蓄は深い。うーむ、カレーと蘊蓄と言うと何か、語感的に汚いイメージがあるが、このさい目をつぶるのだ。

 私の自炊時代はベーシックな所に金がないと言うのがあったので、豪華に肉が入る場合でもブタのバラ肉だったが、私の持論はカレーは主役は肉じゃないと言う物なのだ。
 よく、小賢しいカレー専門店なんぞに出向くと「ポークカレー」だの「ビーフカレー」だの「チキンカレー」だの、そこに使用されている肉がメインの様なネーミングをされているが、これが実に嘆かわしい。
 カレーはどーころんでも主役はカレーなのだ。そこに何肉が使用されているかなんつー問題はこの際関係ない。
 何々?シーフードだとか野菜カレーだとか色々あるって?けっ小賢しい小市民どもめ、そこに何を入れようとカレーはカレーなのだ。

 一晩中煮込んでトロトロにするのも良し。複数のカレールーを混ぜこぜして特製カレールーを作るのも良し。人生は常にチャレンジなのだ。

 なんか、意味もなく盛り上がってしまうのがカレーなのだ。

 さらにカレーは作っただけで完結しているワケではない。その後の付け合わせが問題になるのだ。
 福神漬け・らっきょう、いいじゃないか。この二つは許す。それ以外に問題なのは、カレー専門店なんかにある「干しぶどう」「アーモンドスライス」この辺当たりになると、てめぇら調子こいてんじゃねぇてな感じになってしまうのだ。

 うーむ、オチも考えずに書き始めた文章なので、先が見えなくなってしまったので、唐突だがここで終わるのだ。
 そして私はグリコカレー「LEE」20倍を食べるのだ。

1997年5月26日(月曜日) スターウォーズ特別編
 なんつーか、最初の公開から早20年っすか。凄ぇ俺ってジジイだなぁって改めて感じちゃうわ (笑)
 この映画が公開された時、週刊少年マガジンでアメコミの「STAR WARS」を連載してたっす。でもって当然アメコミなもんで、読み方が左から右、当然ページの開きも普通の漫画とは逆の左閉じってヤツだったもんで、一番最後のページから読むってスタイルをとっていた。なんつー話はリアルタイムで経験したジジイじゃないと知らない話なのだ (笑)

 しかしだ、私はあんまし当時スターウォーズは好きじゃなかった。もともとSFは小説で読み狂い、漫画で読み狂っていたので、勧善懲悪お姫さまを王子様が助けるなんつー完璧に子供だましの物語は「ケッ」とか思っていたのだ。
 3部作になって、実は悪の親玉は主人公の父親だったのだぁぁ!なんて事実が解った時も「そりゃ手塚治虫が何度もやっているよ。日本の漫画では使い古されているよ。」なんて思っていたのだ。
 後で聴いてみると、この設定は日本の特撮活劇「変身忍者・嵐」からのパクリだったらしい。あと、色々な設定は黒沢明の映画からパクッたり。

 うーむ、なんて思ってしまいました。

 で、今回、コンピュータでの各部分の修正。以前は技術的にも、金額的にも不可能だったパートを新たに作って完全版を上映すると言うのだ。しかし、かなりの分数が新たに加わったのはいいが、3部作一気上映じゃないんでしょ?
 もし3部作一気上映だったら、各映画が約2時間として計6時間の上映ってイヤすぎるっす。

 うーむ、でもって次のスターウォーズ4はいつの話なのだ?

1997年5月27日(火曜日) ヒーロー・靴をなくした天使
 先週の金曜日の洋画劇場でやっていた、ダスティンホフマン主演の映画っす。

 酔っ払いで、うそつきで、世間のつまはじき物の主人公(ダスティンホフマン)が、たまたま飛行機の墜落現場に遭遇しちゃって、よく解らないけど人助けをしちゃった。
 数日後、TVで「いったい、あそこでみんなを助けてくれた人は誰だったんだ?」と言う話になって、その名も無きヒーローに「名乗り出てくれたら謝礼として100万ドルを進呈する」と言ったから大騒ぎ。
 実は、その現場で主人公はクツを片方紛失しているのだが、その片方だけになったクツを不用だと言う理由で友人にあげちゃったのだ。その友人(アンディガルシア)が「俺がそのヒーローだ」と名乗り出てしまったのだ。
 しかも、その時主人公は、飛行機の中で拾ったバッグに入っていたクレジットカードなどを闇ブローカーに売ろうとしてつかまり刑務所に入っていた。

 なんつーかね、ダスティンホフマンの演技も、アンディガルシアの演技も実にいいっす。派手な仕掛けがあるわけじゃなく(最初に飛行機墜落はあったけど)その後、サスペンスがあるワケでもなく、意味不明のお涙ちょうだいがあるワケでもなく、物語は淡々とすすんでいく。が、いいのだ。

 いわゆる、金かければいいじゃんて映画の正反対にいるような映画で、日本でもちゃんとした脚本が書ける人とちゃんと演技が出来る人がいれば物語は成立するような気がする。

 なんか、ほのぼのしちゃったぜ。

 しかし、ダスティンホフマンに野沢那智の声は似合わない気がする。
 以前は別の人が声を当てていた様な気がするんだけど、誰だっけ?

1997年5月28日(水曜日) ミッション・インポッシブル
 いわゆる昔、TVでやっていた「スパイ大作戦」の映画バージョンっす。
 主演がトムクルーズって事だったんで、なーんか役不足じゃねぇのか?って気もしていたけど、映画が始まっちゃうとそんな事もなくグイグイ物語は進んでいく。

 基本的にアクション物って事で、この手の映画は約2時間の中にどのように盛り上がる場面を持ってくるかってのが重要なポイントになってくると思う。つまり観客をいかにダレさせないでラストまで盛り上げていくかって事なのだ。とにかく盛り上げればいいって訳じゃなくって、エンドレスでアクションシーンが続くとメリハリがなく、アクションシーンが当たり前になってしまうという悪いパターンになってしまうのだ。

 その点、この映画は色々考えていた。
 全体を通すと3つのパートに別れている感じで、最初のグループ行動で時間に追われながらのハラハラ的サスペンスで観客の気持ちをぐっとつかむ。さらに、全体の物語へのジャンプとして、このサスペンスの最後でどんでん返しが起こって、アレがアレしてアレしちゃう訳だ(見ていない人の為に書けないっす(笑))
 で、2つめの山場は1回目と違って、ハイテクコンピュータとの息詰まる闘い。いかに緻密なシステムを破るか?と言うかなりシビアなアクションシーンでドキドキハラハラしちゃう訳だ。
 で、最後の山場は体を使った派手なアクションシーンでワクワクしちゃうと言う感じ。
 つまり3つの山場それぞれに持ってきているアクションシーンが全部パターンを替えていると言う事なのだ。こりゃ上手いねどうも。にくいよこのーてな感じ。

1997年5月29日(木曜日) ザ・ロック
 ショーンコネリー主演のアクション物っす。
 悪役はこれまた、私が好きな役者でルトガーハウアーっす。かのブレードランナーのレプリカントをやったり、ヒッチャーって作品ではなんだかわからないけど恐いオッサンをやってたあの人っす。

 かのアルカトラズ島の刑務所は今は使用されておらず、観光名所になっているのだが、突然そこに来ていた観光客を人質に軍人が生物兵器を武器に立てこもり「要求を呑まなければこのミサイルをロサンゼルスの町中に向けて発射する」市民全員を人質にするような事をいい始めた。
 そこで呼び出されたのが、軍隊経験まったく無しのFBI生物兵器研究者と、唯一アルカトラズから脱出した事のある囚人(ショーンコネリー)の二人。その囚人が道案内で軍隊をアルカトラズに侵入させ、そこで生物兵器を処理しようと言う作戦なのだ。
 このショーンコネリーが演じている囚人ってのが、もう60歳だとか言うのだがむちゃくちゃ強いオッサンで暴れる暴れる(笑)
 しかも、解る人には解るネタとして、何故囚人として捕まっているかって理由が、彼はもともとイギリスの秘密諜報部員でアメリカにとって重大な秘密を握っている。と言う物なのだが、ショーンコネリーでイギリスの秘密諜報部員って言ったら、そりゃもちろん「007ジェームスボンド」の事だよなぁ(笑)

 しかし、これはねぇなかなかカッコイイしおもしろいし泣ける映画っす。
 なにしろ、弱虫でアクション出来そうにもない、生物兵器研究者の男としての成長の物語だったりするわけっす。なんか手に汗にぎってしまったっす。

1997年5月30日(金曜日) あの人は・・・・・
 先日、友人と話していて「日本は特に1つの事が流行ると全部そっちにいっちゃうから」と言う方向の話をしていて、ここ数年の音楽の状況についても話したりした。
 で、今は小室だが、それの前は「ビーイング系」だったよね。と言う事になって「でもさ、あの当時、耳タコ状態だったハズなのに、既に曲名どころか、サビのメロディも思い出せなくなっちゃってるよねぇ」と言う事になった時に、ふと・・・・・

 ビーイング系の代表的なアーティストって言うと、いまだに活動している「ZARD」と・・・・
 忘れもしない「T-BORAN」なんて言う、偉大なロックアーティストを馬鹿にしたようなグループ名。
 しかし・・・・もっと重要だった、一番ヒット曲を連発していたグループがいたようないないような・・・・・

 この「何だか思い出せない」って言う、イラつく状態だったのだが、結局その場では僕も友人も思い出せずに、けっきょく残尿感が残ってしまったのだ。

 で、やっと思い出した「WANDS」だ。

 なんか、曲名どころか、グループ名さえ思い出せないってのは・・・・ただの若年性アルツハイマーかも知れないが。

1997年5月31日(土曜日) セガ・バンダイ合併解消
 結局バンダイ側からセガに対して「合併の話は無かったことにしよう」と持ちかけて、今年前半のビックニュースだった合併の話は解消された。

 今年の前半の段階で(たぶん合併話は去年の内から動いていたハズ)業績不振のバンダイがセガに「助けてちょ」とスリ寄った結果の合併話だったんだろうが。

 今となっては、たまごっちで大爆発ブームを巻き起こして、業績を回復したバンダイにしてみりゃ、プレイステーションに大きく引き離されたセガには旨味はないって訳だな。

 うーむ、ビジネスってシビア(笑)