杉村ぐうたら日記(1997年6月1日〜10日)

▲1997年6月1日:日曜日:三島・函南のミニFM局が開局した
▲1997年6月2日:月曜日:どこでも写す!ロバートキャパに捧ぐ(笑)
▲1997年6月3日:火曜日:図書館はいいぞ
▲1997年6月4日:水曜日:アニメタル・・・・
▲1997年6月5日:木曜日:HP制作に取りかかるざんす・・・・
▲1997年6月6日:金曜日:深く ぐりんぐりん
▲1997年6月7日:土曜日:読書話・『GOTTA!忌野清志郎』
▲1997年6月8日:日曜日:甘い香り
▲1997年6月9日:月曜日:『Charトリビュート』
▲1997年6月10日:火曜日:トリビュートネタ『加山雄三トリビュート』
1997年6月1日(日曜日) 三島・函南のミニFM局が開局した
 今日、地元の三島・函南に地元密着型のFM局が開局した。
 名前は「FMみしま・かんなみ」で愛称が「VOICE CUE」だそうです。
 何というか、まったくの素人状態の放送局で、そこいらの高校の校内放送の方が上手なんじゃないか?ってな調子。
 前途多難だと思うが、頑張って欲しいものだ。
1997年6月2日(月曜日) どこでも写す!ロバートキャパに捧ぐ(笑)
 とあるデパートの地下にある、食料品売場でのこと。
 一緒にいった某氏が買い物をして、ちょっと夕飯直前の込み合ったレジにならんでいたわけです。私は、レジを抜けた所で、手持ちぶたさんになってぼーっとしていたワケっす。
 あまりに暇だったので、ポケットに入れておいたカメラを取りだし、レジにいる某氏のぼけっとしている姿を映した
 ・・・・・フラッシュのスイッチは切ってあったハズだったのだが「パシャッ!」
 そのレジ周辺にいた人の視線が全部、私に向けられてしまったのだ。

 うひー (笑)

 そー言えば、ずいぶん昔の話。
 かーちま氏と沼津のイトーヨーカ堂に言った時のこと、冬直前と言うことでコタツのセットがディスプレイされていた。
 そして、そこには、あまりにもコテコテの外人顔したマネキンの男&女&子供がコタツに入っていると言うシチュエーションになっていたのだ。うーむ、不自然な一家団欒だのぉ。と私はカメラを構えて、かーちまはその家族の一員になり写真を撮影したのだ。
 その時、持っていたのはフラッシュがついていないちゃんとした一眼レフだったので、世間一般には写真を撮ったなんて状態は気付かれていなかったのだ。
 が、突然「困りますね」などと男の声がしたのだ。

 振り向くと、そこにはヨーカ堂の警備員が腕組みをして立っていたのだ。
 「店内は撮影禁止なんですよねぇ」などと、イライラした感じの三白眼でこっちを睨み付けているのだ。
 こんにゃろ、やんのかワレぇ?などと思ったが、ここは人生平穏に生きていくのだわはははをモットーに生きている私は、あわてて弁解なんかをしちゃうのだ。
 「あ、これフィルム入ってないんすよ」と、あいまいな笑みを浮かべながらじりじりと後ずさりをしながら、近くにあったエスカレーターに乗りそのままその場からフェイドアウトしてしまったのだ。
 かーちまも一緒に。

 もちろん、私の写真アルバムにはその時に撮影した写真が残されていたりするが。
1997年6月3日(火曜日) 図書館はいいぞ
 世の中には図書館と言う物が存在していることを君たちは知っているかね?
 実に、有意義なのは、無料で時間をつぶせて、楽しめて、頭もよくなるって事だな。昨日、三島の市営図書館に行って来たんだけど、なかなか充実とは言いがたい本の数が『がんばり甲斐』があるぞって感じなんだが、やっぱ、色々本がある場所は私は好きだ(笑)

 真剣に全部を見たワケじゃないけど、好きな作家の珍しい本はなかった。(これだったら、俺の方がこの作家に関してはもっているぞ)てな感じもあったけどさ。

 一番興味をそそられたのが地図。
 この手の区分地図や、○○年鑑みたいな本ってのは、一般の人は購入しない種類の本だし、古本屋に出回る事はメッタにないので(神保町には専門店があるけど)眼に触れる機会は本当にない。
 地図なんかでも、ここにあった最古のヤツが三島(&函南)の昭和41年頃のヤツ。
 もーすっかり30年前の三島・函南の地図を広げて今との違いを見ていくってだけで、すっかりタイムトリップ状態。
 なんせ、広小路にヤオハン(ネクステージ)やユニーが無くて住宅だったりする時代の話だし、広小路の三つ又の所にガソリンスタンドがあったり「おぉそうだったのかぁぁ!」の連続。
 函南の方は、我が家周辺は哀しいことにほとんど変化ないが(笑)、30年前って言うと、まだ熱函道路がない時代。うーむ、今道路になっているこの辺に家があったのか、うーむ状態。

 なんか、もっとじっくり読みたいっす。

 今回は、検索の機械が埋まっていて使えなかったけれど、次回行ったときにはいじりたおすぞ(笑)
1997年6月4日(水曜日) アニメタル・・・・
 例のアニメタルがTVに出て歌っていた。
 番組は「夜もヒッパレ」
 当然、この番組の主旨通りに自分の持ち歌じゃなく、今流行っている曲を歌っていた。
 ・・・・アニメの曲をメタルで歌う、と言うコンセプトから外れてしまったら、ただの歌手になってしまった。
 それでいいのか?
1997年6月5日(木曜日) HP制作に取りかかるざんす・・・・
 そんなワケで、前々からインターネット進出計画があったのですが、なかなか先に進めなくて停滞していたのですが、ついに決意しました。
 色々な事情があって私も遂にインターネットでHPを作ろう!と決意をしたのだ。
 と言う事で、私は機械的な事は全然判らないと言う、100%文系の人なので、友人に手を焼いて貰うことになった。そんでもって「誰でも簡単にHPが作成できる!」と言う「ページミル」と言うソフトを導入したのだ。うふーガンガンやるぞぉぉ。なんせ、発表する為のネタは山ほどある!


(後記:1997.7)
 このページミルってソフト、たしかに取っ掛かりは分かり易いが、分かり易くする為に色々な制約があって「あれがやりたいのに出来ない」「何か変だ」と言う状態がいっぱい出てきてしまった。
 そこで、完璧に手動で普通の文章エディターで「HTML」言語っつーんですか?を書き込む方式にしたのだ。ま、やってみるとそんなに難しいことじゃないっすね。

 と言うわけで、この文章を現在HP上で読んでいるみなさん。私のHPが始まったのはこの日なのであります。
(と、言いつつ正式公開はずっと先の1998年3月1日になってしまったが)
1997年6月6日(金曜日) 深く ぐりんぐりん
 なんかね、かのプロデュースBY小室哲哉で、歌手再デビューした西野妙子(dos)っすけど、グループ物が完璧に飽和状態に来ているっていうのを察知したせいなのか、ソロ活動を始めた。
 結局は、ソロだろーとグループだろーと(コーラスをやっている人がメンバーか、そうじゃないか)ってぐらいの違いで、曲はそのまんまっす。

 とりあえずdosの曲は「Hっぽい」と言うのが売りだった様な気がするが、今回の西野妙子(アーティスト名はtaeco)の新曲もタイトルからして「DEEP GRIND」って、つまり「深く入れてこねくり廻す」っつー意味なんだな、これがまた。
 うーむ、とりあえず小学生の頃から芸能活動をしてて、以前は田原俊彦が出演していた「教師ビンビン物語」とかに出ていたあの御子様がこんなになっちまったかぁと言う感じもするが、そーゆー事なのだな。(ちなみにアイドル時代のデビュー曲CDを持っている(笑))

 で、この手の「Hな歌詞」と言うのは、昔からブルース系の曲には多く、色々な比喩が使われていた。
 いわゆるダブルミーニングと言う方法で、表面上はある事に付いての詩なのだが、よく考えると別の意味が隠されていると言うパターン。
 それのベクトルが「H方面」に向かっている曲と言うのは、近代音楽史の中には多く存在する。それ以外では政治的な物。

 で、この西野妙子の曲を聞いてビックリしちまったっす。凄くHな言葉の羅列なのだ。
 しかもダブルミーニングが見えない。
 つまり、ただひたすらそっち方面の歌詞を並べている様にしか聴こえないのだ。もしかしたら、別の意味があるのかもしれないが・・・・って、それは逆だよなぁ。

 なんかね、ポップスミュージックの90%はラブソングで、ラブソングの行き着くところはセックスなのかも知れないが、随分と安易すぎるよなぁ、頭つかってねぇよなぁって気がする。

1997年6月7日(土曜日) 読書話・『GOTTA!忌野清志郎』
 1989年の6月に発行された文庫本なんすけど、ふと昨日の朝、出かけるときに目について持って出かけた1冊。
 かの忌野清志郎の幼い頃からの事を友人のライターが取材して書きつづった本だったりするのだが、かなりそれまで秘密的にされていた部分までを書きつづっている。

 で、友人という事もあり、普通のインタビュアーでは知り得ない事までガンガン書かれていたりするのだ。うむむむ、と思ってしまう家庭の内情まで。
 が、それが問題になってこの文庫本って1度回収されてしまったらしい。
 つまり、友人だから世間話の中で話したって事と、一般的なインタビュアーに話す事の境界線を越えた部分まで書いてしまったのだな、この人は。

 で、しばらくしてから改訂版と言う形で、表面的には同じ装丁の文庫本が発行されたりしたのだ。でもって、私が持っているのは改訂前の初版本だったりする。

 が、改訂版を持っていないのでどこを書き直したのか解らないが、うむむむむむってな内容だったりする。
 やっぱり『人に歴史あり』なのだな。
1997年6月8日(日曜日) 甘い香り
最近、やたらと甘い系統の香水が流行ってて、辛いっす。
以前のフローズンな香りだけじゃなくって、最近はフルーティな甘甘な香りが・・・・
なんか、少しかぐ程度だったらいいんだけど、ずっと横なんかでこの手の香りがしていると、ぐったりしちゃうっす。
さらに、バニラエッセンス系の香りの香水なんてのもあんだよなぁ
これなんかの香りがずっと漂っている状態は辛いっす。そんな状態で食事なんてのは勘弁って感じ。
している本人は辛くないのかなぁ?

1997年6月9日(月曜日) 『Charトリビュート』
そーゆーワケで、6月18日、ついにチャーのトリビュートが発売されるっす。
何度も言うようだが「Chara」じゃないからな (笑)
「あたし何ンで恋したのかな?」とかを誰かがカバーしているワケじゃないからな。

この話は数カ月前に、知人から聞かされていたんだけど、そのラインナップが見えていなかったのだ。で、昨日読んだ雑誌にやっと掲載されていた。

アルバムタイトル『Psyche-Delicicous』
スティービー・サラス「YOU'RE LIKE A DOLL BABY」
藤井フミヤ「気絶するほど悩ましい」
ICE「GET HIGH」
石井竜也「闘牛士」
川辺ヒロシ「WOULD YOU LIKE IT」
高橋克彦「逆光線」
Pata「曲不明」
久松史奈「曲不明」
野村義男「曲不明」

うーむ、解ったようで解らないメンバーっす。
よーく解るのは、一般的に知名度のある3曲を、知名度のある3人が歌ってこのアルバムを売ろうって言う魂胆かな? (笑)

藤井フミヤか・・・(カールスモーキー)石井竜也か・・・高橋克彦ってのが一番よく解らないが、この辺はレコード会社なんかの思惑が色々あるんだろーなぁ、なんかせっかくトリビュートなのにって気もしちゃうっす。
もっと、ジャズ畑の人が参加するとかって方法もあったと思うんだけどねぇ

1997年6月10日(火曜日) トリビュートネタ『加山雄三トリビュート』
と言うわけで、トリビュートで思い出したネタ

こないだ加山雄三が還暦を迎えたとかで、トリビュートアルバムが発売された。
なんつーか凄いメンツが揃ったアルバムで、うぬぬぬ、なんて思ってしまったのだ。ただ単に無闇に威張っているだけでなく、実際に偉いのかもしれないな。なんて思ってしまった。

私の世代なんかだと、すでに加山雄三は若大将ってイメージじゃない。若大将は草刈正雄だ(笑)
もう物心ついた時に加山雄三は偉そうで、なんだかTVの真ん中にいた。私はドラマをあんまし見ない子供だったので、加山雄三というとブラックジャックをTVドラマにしたのぐらいしか印象にない(笑)
これが凄くムチャなドラマで、原作完璧に無視で「いいひと。」の原案事件なんてかわいい物なのだ。

原作だと、子供の頃に父親に裏切られ、事故で死の直前まで経験し、色々トラウマを抱えて誰も信じず自分の腕のみを信じているクールなヤツなんだが、原作はぜーんぜん違っていた。
加山雄三が演じる主人公は、普段はこれと言って特徴のない医者なのだが、ひとたび事件が起こって瀕死の患者が出てくると・・・・突然、人影に隠れ変身をするのだ。
黒いマントに、顔半分が隠れた髪の毛(しかも半分白い)、さらに顔半分は何故か黒いのだ。そして、その天才的な外科手術を披露して、また風のように闇の中へ去っていく。完璧に、スーパーマンとか、月光仮面とか、そーゆーオールドタイプのヒーロー物の世界なのだ。

この普通の医者が、そんな奇抜な格好に変身する理由は番組の中では語られる事はなかった。なんせ、あまりに不評で途中で打ち切られたから (笑)

顔半分黒いってのは、原作の中では少年時代に体中の皮膚が焼けただれる爆発事故に遭遇した時に、黒人の子供だけが皮膚移植を承諾してくれた為なのだ。つまり、顔半分は黒人の皮膚。が、TV版ではどう見ても墨塗りで灰色って感じで・・・
私の加山雄三のイメージはそんな感じなのだ。
その後、自ら企画脚本参加してはじめた「社長になった若大将」なんて言う、過去の栄光引きずりまくりドラマも、途中で打ちきりになった。

ここ数年は、関口宏が司会をする番組に出て偉そうな事を言っているが、これも凄く嫌な話が付いて廻っている。

関口宏が加山雄三に頭が上がらないと言うのは、子供の頃から続いている事だったりするのだ。
ずーーーーと話は過去にさかのぼる。加山雄三が生まれる前にまでさかのぼる。

加山雄三の父親「上原謙」この人はええとこのボンボンで、慶応だか出身で映画界にエリート状態で入ってきたのだ。もう最初っからスター候補として。その上原謙の学生時代からの子分に佐野周二と言う男がいた。そしてこの男は上原謙の誘いで映画界に入ってきたのだ。これが、関口宏の父親。

この上下関係は映画界に入ってからも変わることは無かった。もちろん、そうなると子供もほとんど、社長の息子に対する部下の息子状態で、深層心理の一番奥の所にまで上下関係が刷り込まれてしまうのだ。それが、今でさえ続いている。
おそるべし加山雄三。
だてに曾お爺さんが、紙幣に肖像画が使用されたかの政治家・岩倉具視じゃねぇぞってヤツだ。


そんなワケで、ここに来て「加山雄三トリビュート」だ。(やっと本題に戻った)

しかしメンツを見ていると「本当に加山雄三を聞いて育った世代か?」と言う気がする人が多い。だいたい今、50〜40歳ぐらいの人だったら解るけどさ、それより若い人はあんまし聞いていないんじゃないか? 少なくとも私の生活の中には加山雄三は入ってこなかったぞ。70年代の中期頃は加山雄三って言ったらすでに「ナツメロ歌手」だったぞ。

と言うことで、そのトリビュートのレコ評が雑誌に載っていた。そのレコ評を書いた人は、加山雄三世代なのか、かなり好意的に加山雄三の事を書いている。で、それぞれのアーティストがそれぞれに加山雄三を理解していい仕事をしていると書いてあったのだ。

が、最後の方にひとこと「ただうるさいだけで、原曲の良さを壊してしまった一人を除いてはすばらしいトリビュートアルバムになった」などと書いてあったのだ。
たしかに、トリビュートって事で「違った解釈をしなくてはいかん」と気合いが入りすぎて、アレンジをグネグネいじりたおしてワケの解らない曲にしてしまう人なんかはいる。

小山田"コーネリアス"啓吾の『69/96』のリアレンジアルバムでの、暴力温泉芸者とかね(って、暴力温泉芸者は元々そういう音楽なんだけどさ(笑))←マイナーすぎるか?


で、このライターの人が言っている「一人」ってのは誰だろうか?と、そこに書いてあるメンバーを見たのだが。

TEH ALFEE  槙原敬之 ASKA 木根尚登 玉置浩二 徳永英明 杏里 TUBE 平松愛理 高橋幸宏 さだまさし 大滝詠一 東京スカパラダイスオーケストラ 石井竜也 バブルガムブラザース 森山良子

てな具合に、ずらずらーーーーっと、参加者の名前が列記されていた。(ちょっと、その雑誌が今、手元に無いんで、全員書けないけど)で、最後にちょんと、他・全20曲、となっていた。

うむ?と思って何人書かれているのかな?と思って数えると19名は名前が書かれている。そのメンバーをみる限りでは「うるさいだけ」のアレンジをしそうな人はいない。
しかし全20組で19組の名前を書いて「他」って、結局その人を名指しにしている様なもんだよなぁ。

そう言うワケでよけい興味を引いて、後一人はいったい誰だぁぁぁ!と叫んだ所、なんとそのレコ評が書いてあるページの下1段に『加山雄三トリビュート』の宣伝広告が掲載されていた(笑)
それによって「他」が誰か、即座に判明してしまったのでありました。

それは、TOSHI君、あなたです。