杉村ぐうたら日記(1997年7月1日〜10日)

▲1997年7月1日:火曜日:今年も半分終わってしまった
▲1997年7月2日:水曜日:あの人は今・・・的な事って
▲1997年7月3日:木曜日:フレンチでGo!
▲1997年7月4日:金曜日:死ぬかと思った・・・・・
▲1997年7月5日:土曜日:球茎・球形・休憩
▲1997年7月6日:日曜日:生活話・HP複数同時進行!(味噌・薔薇・野菜)
▲1997年7月7日:月曜日:TV話・緊急速報です
▲1997年7月8日:火曜日:音楽話・音楽 高いか安いか?
▲1997年7月9日:水曜日:音楽話・続・音楽 高いか安いか?(物価の上昇率)
▲1997年7月10日:木曜日:読書話・読書の風景
1997年7月1日(火曜日) 今年も半分終わってしまった
 うーむ、気が付いた時には今年も完璧に6ヶ月が経過して半分が終了してしまっていたのだな。
 こーゆー、切りのよい場面で自分を振り返ってみると・・・・今年半分で自分は成長したのか?うむむむなどと考えてみても、周囲の状況はズンズン変わっているのに対し、自分は相変わらずのままで・・・こりゃ参ったねと言うしかない。
 それ以前に、風邪が全然直らない、それどころかサラに酷くなって、咳は止まらないし、ときどき熱っぽくなるし、ノドはガラガラだし、体全体は相変わらずダルいし・・・・困ったちゃん状態っす。

 ま、今年前半で進んだ事は、とりあえずHP制作に取りかかったって事かな?

 なんつーか、自分では一生懸命文章を書いて書いて書いて、ある種の勉強のつもりで日々を送っていたりするワケなんだけど、このまま進んでいっても果てのない地平線と言う感じがしてしまったのだ。
 やっぱし、これだけ文章を書いていると「はたして自分の書いている文章は、世間に認められておもしろがられているのだろうか?」等と言うことを考えてしまったりするのだ。
 いわゆる、パソコン通信やインターネット上で「おもろい」と言う評価を貰っていたりするが、これが「売り物」と言う部分まで、レベルアップ出来ているか?と言う事も考えてしまった。

 たしかに、雑誌なんかに掲載されている文章は一応プロ作品なんだろうが、ハッキシ言って面白くない物も多数有る。
 そんなのより俺の方がおもしろいぜぇと言った処で、所詮この文章はアマチュアレベルの土俵の上でしか存在していない。
 プロの編集者が見て「これは雑誌に掲載する価値のある作品だ!」と認識できるものでなくてはいけない。
 (もっとも、雑誌掲載されている文章を書いている人でも、編集者のお友達って事でライターデビューしている人も少なくないらしいが)

 私の場合は「これで金儲けをしよう!」とか「有名人になろう!」とかって気持ちはあんましなくて、自分の書いた物をより多くの人に読んで貰いたい。
 それの結果として、判断しやすい評価で「金」と言う物につながっていくのでないか?と思っている。

 漫画「みのり伝説」って言うライターを目指す女性が主人公の物があるのだが、この主人公は「みんなに認められなくてもいい、たった一人の読者の為に書いて行こうと思う」とか、言っていたりするが、なーんか私の意見とは違う。
 そりゃ、世の中広いから探してみれば、どんな物でも「面白い!」と思う人はいるハズ。
 でも、そんなの同人誌レベルでやっていろよぉ、とか思ってしまうのだな。
 あくまでも、商業レベルの場に立ったら「多くの人に読んでもらいたい」とか思わなくてはいかんなぁと思う。

 私も、そんな状況の場で文章を発表したいなどと思ったりするのだ。
1997年7月2日(水曜日) あの人は今・・・的な事って
 ふと思ったんだけど、いわゆるヒットチャート的な音楽にしか興味がない人にとって『CHAR』と言うのは
「そーそーいたよね〜『気絶するほど悩ましい』とかって歌っていた人、今頃何してんだろーねー?」みたいな存在なのかも知れない。
 あるいは
「なんかまだ細々とやっているらしいよ、生活大変だろうね」みたいに思われている状態なのかもしれない。
 CHARと言うのは、いわゆるヒットチャートに個人名で出てくるアーティストではないので。

 実際の所を云えば、ムチャクチャ色々な所で活動しているんだけどさ。
 いわゆるTVの音楽番組をちらっと見る。あるいはヒットチャートに乗る曲しか聴かない。って場合だとそーゆー事になってしまう。


 去年放送されていた『あの人に会いたい!』とかって云うスペシャル番組の中でそんな感じのがあった。
 その時はスペシャルらしく海外ロケなんかも一杯あって、エマニエル坊やとか、最近CMに出ているアグネスラム(時代的に考えると「うる星やつら」のラムちゃんの名前ってこれからでしょ?)とか、そんな人達が出ていた。

 で、その中で『70年代に宝焼酎なんかのCMにも出演していた、女性ロッカーの草分け的存在スジークアトロに逢いた〜い』てな事でスジークアトロの捜索が始まった。

 まずレポーターがあの当時にCMをしていた宝酒造に行くが行方は判らない(当たり前だって)で、当時所属していたレコード会社。プロモーターにあたってイギリスの住所を突き止める。
 さっそくレポーターは現地へ飛び、現在住んでいる場所を探し出すのだ。
 そこには、あの当時と余り変わらないスジークアトロが!

 レポーターはしきりに「懐かしい」を連呼し、「ファンだったんですよー」と繰り返す。そして、昔日本で放映されていたCMを見て談笑。
 現在もまだ音楽活動を続けていると言う事を聴いてレポーターは「またあの勇姿を日本でも見せてください」と硬く握手をして日本に戻ってきたのだった。

 しかしね、スジークアトロってその半年前に来日コンサートしていたんだけど・・・・。
 たしかに、クラブチッタ川崎とか小さい所を廻るツアーだったけどさ(私の友人に、毎回かかさず見にいっている70年代当時からのファンがいたりする)凄く失礼な事しているよなぁ。

1997年7月3日(木曜日) フレンチでGo!
 いわゆる「シルビーバルタン」とか「フランシス・ギャル」とか「ダニエル・ビダル」とかってフレンチポップスを歌っている人って、基本的に声量があるワケじゃなくって、声質の爽やかさで勝負しているみたいな所があるっす。
 これはやっぱし、他の欧米諸国の人と比べてフランス人ってのが小柄だってのが関係あんのかな?そーゆー意味では日本人に近いしね。センス的な問題は置いといて

 いわゆる渋谷系と呼ばれる人達が、この辺の「おフレンチ」をオシャレっすねーと云う感じで聞いているのは、昔からフレンチポップスを好きな私としてはあんまし歓迎しないけど (笑)
 フレンチの流れは最近はスェーデンポップスに辿り付いていまして「クラウドベリージャム」とか「カーディガンズ」とかが、現代風にして継承しております。

 が、最新の「カーディガンズ」のCDライナーノーツを『渋谷系の歌姫 (笑)/カヒミ・カリィ』が書いていて「本当にお前解ってんの?」って思ってしまいました (笑)
 たぶんその文章はカヒミ・カリィが書いたのでなく、その後ろにいるダーリン小山田圭吾が書いたんじゃないか?と推測できるんだけど (笑)

1997年7月4日(金曜日) 死ぬかと思った・・・・・
 はっきし言って、6月の中旬から延々と風邪をひいていて、体調は最悪。体重も3ヶ月前から比べると、8キロ程落ちている(痩せたんじゃなく、やつれた)
 それがさらに一昨日から熱が出て、咳が止まらない。

 もうどこから見ても立派な病人になってしまって、会社を数日続けて休む事になってしまっている。
 普通、風邪なんかで休んでいる状況でも、ぼーっと熱っぽい状態でいながらもベッドの中で本を読んだり、あるいはちょっとワープロ入力してみたりって事をするんだが、この2日間はそんな事さえする余裕がない状態。(この文章は、数日後に書いています)
 昨日は、熱っぽくて本当に食事もノドを通らない感じで、ボロボロ。
 ついでに、季候も梅雨明けが来たんじゃ無いか?ってぐらいに暑くて、自分が熱いのか、空気が暑いのか判らない。
 で、今日はさらに下痢が襲ってきて(昨日、ほとんど食べてないんでよけい辛い)ヘロヘロ。

 そんなワケで、トイレ(洋式っす)に座って「腹いてぇぇぇ」などと言っていた。
 その前から、汗はダラダラ出てきたのだが、気が付くとどどどどっと大量の汗が流れ落ち始めた。
 自分でもこりゃ異常だって感じてしまうほどの汗が顔、胸、腕、足・・・とにかく全身の毛穴が全開しちゃったかのように汗が流れ落ち始めて・・・・

「うわっ」

 その瞬間、全身がぐらりと・・・部屋も家も地球全体が上下が判らなくなるような錯覚に陥ったのだ。いわゆる、小学校の頃経験した、立ち眩み状態。
 それの激しいヤツが襲ってきたのだ。
 と同時に、手の感覚、足の感覚、そして座っているお尻の感覚が全部吹っ飛んでしまったのだ。まるで、無重力状態になったような感じ。

 「うわぁぁぁぁ」ボクは声も出せない状態で、心の中で何かに向かって助けを求めていた。

 気が付いた時には、トイレのドアを開けて、トイレを出てスグの処にある洗面台の前の床に倒れ込んでいた。床は自分が流した汗でびっしょり・・・・・

 しばらく、その場にうずくまっていたが、何とか呼吸も元に戻ってきたのでゆっくりと起きあがってベッドにもぐりこんだ。

 そこが、今回の風邪の山場だったらしく、徐々に回復に向かってきたので、こうして今、こんな文章を入力出来たりしているのだ。
 もっとも、熱は引いたが、咳はまだ止まらないのでかなり辛い。


1997年7月5日(土曜日) 球茎・球形・休憩
今日は死んでいるので文章はおやすみ・・・・・・
1997年7月6日(日曜日) HP複数同時進行!(自分・味噌・薔薇・野菜)
 現在、自分のHPを作っている(つまり、今、あなたが読んでいるこのHPの事っす)
 ガシガシと、文章を編集している。
 しかし、異常に文章が多い。まさか自分でもこんなに文章がたくさんあるとは思っていなかった。それでも、とりあえず今回はパスしたジャンルの文章もある。
 はっきしいって「現代用語の基礎的ではない知識」「たこやき便り」そしてこの「杉村のぐうたら日記」はそれぞれ、単独に単行本にしてもおかしくないぐらいの分量があるのだ。
 それを一気に編集するってのは、かなりムチャなのかもしれない。
 ま、とりあえず全部ではなく、有る程度の量まで編集できたら発表しようと考えている(1997.7.6の現時点では)

 と、それとは別に以前から、友人が「味噌屋」を親戚から引き継いで経営するって事なので、それのHPを作っている。
 基本的に私がやるとなったら文章がどどーんと多い、読みでのある物になってしまうのだ。と、言うことはそれだけの文章を入力しないといけなくなる。
 うむうむうむ、などと唸りながら入力を続けているのだ。家にいるときは当然、会社の昼休みもペシペシとキーボードを叩いているのだ。
 うひゃぁ疲れるぅぅぅ

 と、思っていた処、高校時代の友人「杉山晴美」と言う男が「今度、独立して沼津の山奥に農場を借りて、そこでバラや野菜を作ろうと思ってんだ」と、言う事になったのだ。

 で、その杉山晴美に連れられて、その山奥の農場に行って来たワケっす。
 沼津のインターを超え、ラブホテル街をすり抜けさらに北上した処にその農場はあった。なかなかに風光明媚な処なんだけど、交通の便が悪い。
 「実はね、あと2年後なんだけど、近くに第2東名高速道路が出来て、そのインターが出来るんだよ」などと杉山晴美はほくそえむのであった。
 うーむ。

 と言うわけで、この農場のHPを作ってくれないか?と言う話が持ち上がってきたのだ。うむむ。
 テーマは「薔薇」と「野菜」

 私は誰もが認める、反アウトドア派・反ナチュラリストなんで、なかなかテーマとしては難しい物がある (笑)

 そんなワケで、どーにかHPを作っていかなくては行けないのだ。

1997年7月7日(月曜日) 緊急速報です
 TVを見ていると突然「パラポ〜ン」とか、局によって違うがチャイムが鳴って画面上に「青森県○×村村長選挙で鬼瓦権造さんが当選確実になりました」とか表示がでたりする。
 あれって、そこまで緊急にお知らせをする必要があるのだろうか?しかも東京のチャンネルだって言うのに全然関係ない土地の選挙結果を。

 だいたい、そんなに緊急に結果を知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい!って思っている人はNHKを見ているって。
 はっきし言ってうざったいっての。

 しかも番組内容に全然関係なくニュース速報はやってくる。
 たとえばアニメを見ている世代で遠くで行われている「青森県○×村村長選挙」を気にかけている人がどれくらいいるだろうか?
たぶん0.0000001%位の天文学的な小数点だと思う。

 地震速報もそんな気がする。突然「地震速報!」とか出て「おぉぉ!」と緊張して身構えると「八丈島沖50キロの海底で震度3の地震」って・・・
うーむ、なんでもニュース速報にすりゃいいってもんじゃないだろ?

 これからインターナショナルな時代になると「ニュース速報!ブエノスアイレスのディアニス町長にマカメド氏(57)が当選確実になりました」みたいなニュース速報が毎分1回の割合で表示されるようになるかもしれないのだ。うむむむ。


 そういえば、昔レンタルビデオも一般的じゃなく、合法的ではなかった時代の話。
 テレビで初めて「風の谷のナウシカ」を放送したとき、当然、その手の方々は各自録画していたわけですよ。まだ、一家に2台ビデオデッキあるなんて珍しいかった時代だったりしたわけで・・・
 その時、何かの緊急速報ニュースが映画の最中にポポポーンと鳴ったワケっすよ。
 その時、TV局に抗議の電話が殺到してパンク寸前だったらしい。
 うーむ、お◎くな方々のエネルギーはすざましい・・・・


(追記/1997.11)
 そんなワケで先日TVを見ていたら、ポポポーンとニュース速報が出て「和歌山の三和銀行、事実上の倒産」と出た。
 なんか三和銀行ってよく知らないが、そーなのかぁと思ったりした。
 そして、それからしばらくして又ポポポーンと音が鳴ったので、さっきのニュースのリピートだと思ったら今度は「伊豆沖で地震・震度3」とか出た。
 うーむ、そうかそうか、と思ったのだ。
 でさらに5分ぐらい経ってまたポポポーンと鳴ったので、地震の詳しい情報が判ったのかな?と思ったら「○○事件の犯人逮捕」と出ていた。
 なるほどなるほど、そいつぁよかった。と思ったのだ。  で、またしばらくしてポポポーンと鳴り今度は「○○事件に有罪確定」と・・・・

 本当に30分のTV番組の最中にこんなに何度もニュース速報が出てくる様になってしまったのだ。
 おかげで、以前はポポポーンと音がすると、TVを流しっぱなしにしていた時に「おっなんだなんだ」と注目したのに、ぜんぜん気にならなくなってしまったのだ。

1997年7月8日(火曜日) 音楽 高いか安いか?
 レンタルCDを怒涛のごとく利用している一部の人に言わせると「だってCDって高けぇじゃん」と言う事らしい。
 確かにたかが音楽に2800円とか出すのは馬鹿らしいかもしれない。どーせ金出して買ったところで3ヶ月もしない内に過去の音楽になって「いまさら、そんなの聞いてンの?だせぇ」と言われるのがオチだしね。

 ま、そんな人はCDが1枚100円でも「高い」って思うんだろうな。

 しかし、CDの(邦楽基準)2800円ってのは、もうずっと変わらないで安いと、僕は思う。手元にあるLPレコード(アナログ)を適当に取り出して値段を見ると

1970 \1,700 吉田拓郎「ともだち」
1971 \1,700 加川良「教訓」
1976 \2,300 風「Windlwss blue」
1976 \2,300 鈴木茂「BAND WAGON」
1977 \2,500 太田裕美「12ページの詩集」
1979 \2,500 YMO「ファースト」
1981 \2,800 松田聖子「風立ちぬ」
1984 \2,800 大沢誉志幸「SCOOP」
1984 \2,800 リアルフィッシュ「A Very Big Band in Heaven」
1986 \2,800 米米CLUB「EBIS」
1987 \2,800 種ともこ「みんな愛のせいね」

 てな感じで、レコード会社によって値段のバラつきがあるとは思うけれど、1970年に1,700円だったレコードが10年後の1980年には2,500〜2,800円と1,100円も値上がりしている。
 そしてそれ以降15年以上まったく値上がりをしていないって言うのは脅威的な物なのかも知れない。

1997年7月9日(水曜日) 続・音楽 高いか安いか?(物価の上昇率)
 ただ単純に15年間も値上がりをしていないって言うだけではなく、その15年間の物価の上昇率を考えるとさらに脅威的な数字が出てくる。
 手元に『戦後値段史年表』と言う本がある。それによると

コーヒー 映画 銭湯 はがき 東大
授業料
小学校教師
初任給
公衆電話(3分) 基本
電話料金
山手線
1970\120\700\38\7\12,000\31,900\10\900\30
1972\130\800\48\10\36,000\37,024\10\900\30
1974\180\800\75\10\36,000\54,288\10\900\30
1976\250\1000\120\20\36,000\85,992\10\1350\60
1978\280\1300\155\20\96,000\95,784\10\1800\80
1980\300\1,400\195\20\180,000\102,336\10\1,800\100
1982\300\1,500\230\30\216,000\107,120\10\1,800\110
1985\330\1,500\260\30\252,000\118,976\20\1,550\120
1990\380\1,600\310\41\339,000\166,816\10\1,550\120
1995\450\1,800\350\50\447,600\194,792\30\1,750\120

 てな感じだったりする。
 一概にどんな感じで物価が上がったか?ってのは図れないが、1980年〜1995年までの15年間でコーヒーは300円→450円に、映画は1400円→1800円、銭湯は195円→350円、はがきは20円→50円、東大の年間授業料は18万円→44万7600円、小学校教師の初任給は10万→19万に変わっている。
 そんな中でレコード(CD)のみは変わらずに値段を守り通している。同じ様な物価の上昇率の中にあるのならば、3800円ぐらいになっていてもおかしくない。そう考えると15年前の人々は(自分も含めて)4000円近い値段のレコードを買っていたような物なのだなぁ。
 だからあの時代、レコードを買うとき、真剣だったのだな。(まだ学生だったしね)
1997年7月10日(木曜日) 読書の風景
 本によって読むシチュエーションを大切にしたい。

 夜一人っきりの部屋でスタンドの明かりの中で読む本。
 電車なんかの待ち時間に読む本。
 なーんにもする事がない雨の午後にじとじとした部屋で読む本。
 腹一杯食べてぐるじいと言いながら読む本。
 女の子にふられた夜にばかやろー今に見返してやっからよと叫びながら読む本。

 その場その場の自分の感情にジャストフィットする本を運良く読めた時は、さながら自分が主人公になった様な錯覚に陥ったり「うんうん判るよぉお前の気持ちは痛い程よく判るよぉ!」となってしまうワケなのです。基本的によい内容だってのは必要なんだろうが、それがさらに状況が加わって怒涛の感動本に変身してしまうワケだったりする。
 もっとも「電車の中」と言うシチュエーションってのは僕にとっては基本的に集中できる環境設定なのでどんな本でもOKだったりする。しかし、ここにちょべりばな(古ぅ〜)女子高生の(静岡にはコギャルはいない (笑))集団何ツーのが乗り込んでくると、とたんに読書にとっては最悪の環境になってしまうのだ。
 もー意味の希薄な会話を羅列しまくっちゃってくれるのだ。数人で副音声状態で話しまくっちゃうのだ。

 「田中のヤローちょーむかつくしー」「やっぱむかつくしー」「もーあたしなんて目のカタキぃってかんじぃ」「いんけーん」「てゆーか、ふつーだったらみのがすってー」「でも目のカタキだしー」「ちょむかー」「けーこのことはみのがすんだよー」「げー」「できてんじゃない?」(一同笑い)「さいてー」「でもおにあいってかんじぃ」「べすとかっぷるじゃん」「げてものどーし」ぎゃははは
 と、この手のほとんど漢字の入っていない会話を怒涛の様にたれながしていくのだ。

 そーなってしまうと読書どころではなくなっていく。
 彼女たちは見た目は女子高生なのだが、その中身はすっかり世の中に怖い物ナシのおばはんに進化していて「あたしらが自由にしてんの何が悪い?」となってしまうのだ。「ま、いいスけど」と、世間の男は引き下がるしか手段はなくなってしまう。「ばーろー!」などと言おうものならば「さいてー」で片づけられて女性全体の敵にされてしまうのは見えている。だから、あえて反論はしない。
 しかし彼女たちが本物のおばさんになったとき、果たしてさらに進化してどうなっているのか?と言うのは怖くて想像が出来ない。

 うーむ読書の話とかけ離れてしまった。そう言うワケで話は続くのだ。