杉村ぐうたら日記(1997年7月11日〜20日)

▲1997年7月11日:金曜日:読書話・読書の風景2「通勤電車の危険本」
▲1997年7月12日:土曜日:読書話・読書の風景3『リトルボーイリトルガール』
▲1997年7月13日:日曜日:玩具話・累計10,000,000個・・・
▲1997年7月14日:月曜日:生活話・ビーチクリーン大作戦
▲1997年7月15日:火曜日:TV話・夏と言えばビーチボーイズ
▲1997年7月16日:水曜日:人生は長い、色々あるってことさ
▲1997年7月17日:木曜日:医学は続くよどこまでも
▲1997年7月18日:金曜日:生活の安定
▲1997年7月19日:土曜日:生活話・梅雨明け宣言なのだ!
▲1997年7月20日:日曜日:酒鬼薔薇事件を振り返って考えた事
1997年7月11日(金曜日) 読書の風景2「通勤電車の危険本」
 話は読書に戻る。

 電車の中は集中出来るといっても、気を付けなくては行けないことがある。
 通勤などで短距離しか乗らない場合は「怒涛の書き下ろし長編大作!」みたいな小説は辞めておいた方がいい。のめり込んで乗り越してしまうのだ。まさか、そんなトンチキはいないだろーと思う人もいるかも知れないが、実際いるから始末に悪いのだ。
 それが私だったりする。

 もう随分前の話なので、どんな本を読んでいたのか憶えていないのだけれど、ミステリーか何かだったのだろうか「次は◎◎」と言うアナウンスが耳に入らなかったのだ。もー黙々と読書に勤しんでいたのだ。で、章の切れ目でほっと一息ついて顔を見上げるとすでに見慣れた風景ではなかった。
 あわてて次の駅で降りて、反対向きの電車に乗りなおしたりしたので、駅員にじーっと不審そうな顔して見られてしまった。最初から時間に余裕を持たせて通勤していたので遅刻という事は無かったが、あまりに熱中できる小説も危険だったりする。
 その時に私が通勤に使用していたのが三島〜修善寺を走る伊豆箱根鉄道だったので乗り越してもたいした距離ではないが、これが東海道線だったりしたら博多に着いてしまったり東京駅に着いてしまったり大変な騒ぎになってしまうのだ。(直接、博多までいく鈍行は無いか?)
 つまり熱中できる長編小説は『危険本』だったりする。

 だから、短編集と言うのが無難だったりする。あるいは新聞に連載された小説。新聞連載物ってのは、基本的に毎日毎日ちょっとづつ掲載されるのを前提に書かれているので、物語が細かく分断されている場合が多いのだ。分断されていなくてもかなり細かく読むことが出来る。だから短距離電車読み物としては優秀だったりする。
 もう一つ、電車の中で読んではいけないパターンの本もある。

 それは『感動本』だったりする。
 さらに話は続くのだ。
1997年7月12日(土曜日) 読書の風景3『内館牧子・リトルボーイリトルガール』
 『内館牧子・リトルボーイリトルガール』講談社文庫/う-26-6/\460
 第二次世界大戦中の広島の物語。と書くと、どういうテーマが描かれているかすぐ判ると思うけど、その通りだったりする。
 戦時中の広島にある女子校の話で、戦時下にも明るく希望を捨てない少女達のけなげな生活がリアルに描かれている。名門のその女子校に通う少女達は授業で自分たちが着る夏服を作るのが恒例の課題だった。まずしい家の子も裕福な家の子も、真っ白い夏服を夢見て日々を過ごしていた。

 この物語がSFでも無い限り、広島に原爆が落とされる日は着実に近づいてくる。作中の少女達はそんな自分たちの未来など知らずに一生懸命生きていこうとしているのだ。
 結末の悲劇がカウントダウンされている物語。
 その物語の中の人物が希望に溢れていれば溢れているほど読者は読むのが辛くなってしまうのだ。そして、全てのストーリーは決着を付けることなく寸断され幕が下りてゆく。

 実はこの小説を僕は、東京に行く途中の電車の中で読んでいた。で、困った事に涙が溢れてしまったのだ。何ツーか色々な意味で辛かった。じーんと心がしびれているのだが、それを無理して隠さなくてはいけないって状況は辛かったっす。
 そんなワケで涙もろい人は、電車内読書の時には本の選択を気を付けてください。

1997年7月13日(日曜日) 累計10,000,000個・・・
 なんつーか、かの『たまごっち』が、この6月で累計1000万個になったらしい。
 1000万個ってね、あーた、凄い事っすよ。
 今、正確な数字は解らないけれど、日本の人口が1.3億だとしたらっすよ、13人に1個っすよ。
 いわゆる、ワケの解らない赤ちゃんから、さらにワケのわからない老人まで、すべての人間を対象にして13人にひとりっすよ。
 ほんまかいな。

 しかし・・・・
 まだ、品薄状態が続いている。私の周囲では「もっていない」「欲しいけどない」「欲しかったけれど、手に入らないから興味なくなった」等の人ばかり。

 本当に1000万個出回っているのだろうか?

1997年7月14日(月曜日) ビーチクリーン大作戦
 ラジオで「海岸を綺麗にしましょう」と言う事で「ビーチクリーン大作戦」と言う企画の話をしていた。

 そのアナウンサーが「ビーチク・リーン」と言っている様な気がしてしまうのだ。あぁビーチク(笑)

 そのほかにA地区B地区ってのも、そう聞こえてしまうのだ

 たぶん欲求不満なのだな(笑)

1997年7月15日(火曜日) 夏と言えばビーチボーイズ
 夜、机に向かってゴチャゴチャと細かい作業をしていた。
 その時、ラジオをつけっぱなしにしてあった(最近ステレオを買ったのだ(笑))
 赤坂泰彦のミリオンナイトを聴いていて、それから気が付いた時は次の番組になっていた。そのラジオのパーソナリティが広末涼子だったのだ。

 で、彼女が番組の冒頭で「今日はビーチボーイズの話をたっぷりしまーす」などと言ったのだ。
 おぉぉ、広末涼子のラジオなんて初めて聴いたが、そーゆー番組なのか。やっぱし構成作家が、そーゆーのを好きな人なのかな?などと、かなり期待をしてしまったのだ。

 で、番組が始まって解りました・・・・広末涼子が今、出演しているTVドラマのタイトルが「ビーチボーイズ」なんすね。
 がっかし(笑)

 かのマイク真木が広末涼子のおじいちゃん役で出演しているヤツっす。
 って事は、パパは真木蔵人か?おばあちゃんが前田ビバリーヒルズか?

1997年7月16日(水曜日) 人生は長い、色々あるってことさ
 仕事で教科書関係の編集をやっていたりする。
 普通の単行本なんかだと、企画から、入稿、編集、印刷までが、スムーズに流れて2ヶ月って処で動くことになっている。モノによっては半年がかりだったりする。
 が、教科書関係の仕事は1年がかり、へたすりゃ2年ぐらいかけて編集する場合もある。

 最初の、入稿→初稿と言う形でラフに編集して、相手に渡す(これが1週間から2週間の仕事)それに赤字などが入って戻ってくるのが、通常ならば1週間後とかになるのだが、教科書関係などはその後1ヶ月後に戻って来たりする。
 しかも、全面改正でまったく新たに編集するのと同じ様な状態の赤字がはいったりする。うーむ、これは仕事としては再校と言うヤツになるのだが、実際のことを言えば初稿だよなぁなどと思いつつ仕事をする。
 そんな行ったり来たりが3回ぐらい繰り返されて、完成して印刷所に廻すことになったりするのだ。これが、スピードを必要とする場合の雑誌などは修羅場がそこに展開されたりするのだ。
 しかし、教科書関係などは慎重に慎重を重ねて何度も修正が入ったりするので、これが第10稿とかワケの判らない状態まで行ってしまうのだ。

 でもって私の最近の担当は教科書とか、医学書とかそんなのが多いので極端に急がされはしないが、文面が異常に専門的なモノなので大変と言えば大変なのだが。

 で、某教科書のテキストみたいなのをやっていた時の話。
 その本は編集&著作が女性の人だった。で、最初一通り表紙から奥付までだーっと編集をした。奥付とは、本のラストにある「著者・発行者・発行所・日付」なんかが書いてあるページっす。
 数回、行ったり来たりしている時、ある日「奥付」の処に赤字(訂正修正個所のマーク)が入っていたのだ。うぬぬ、奥付はもう完成していると思ったが・・・・
 と見ると、その女性著作者の名字の処に赤字が入っていて、別の名字を入力し直してくれ。と言う指示に変わっていたのだ。
 おぉこれって、結婚しちまったって事だよなぁ、うーむ。などと私は思ったりしたのだ。
 で、さらに仕事は続く。

 約1年後、その長かった教科書の仕事も後少しで終わろうか、と言うときにまたしても奥付に赤字が入っていたのだ。
 うむむ、と見ると、その女性著作者の名字の処に赤い線が引いてあって、昔の名字に入力し直してくれ、と言う指示が入っていたのだ。

 あぁぁ、何も言うまい。

1997年7月17日(木曜日) 医学は続くよどこまでも
 そんなワケで私はある時、医学関係の本の編集を2年ぐらいに渡ってしていた。
 と言っても、それにどっぷりはまって、それのみを2年間と言うワケではない。さっきも書いたけれど、こっちが編集などをするのは基本的に1〜2週間って処なのだ。それを、著者の方に渡して、赤字を入れてくれるのを待つと言う状態になるワケで、その待つ間には他の仕事がどさどさ入ってくる。

 その時、関係していた医学書というのは、某有名医大の老教授医師が書いていた本なのだが、もう「おっさんボケてんじゃないの?」みたいな部分があって、かなり赤字が多かった。

 ある時は「○○○と言う症状の時には□□□□を大量に投与するのが確実な処方だ」などと書いてあったのに、次の赤字ではそのページは全面改正で「○○○と言う症状の時には□□□□を投与することは拒否反応を起こすので絶対行ってはいけない」に書き換わっていたりして、恐ぇよぉ (笑)

 さらに「最近の医学は科学を過信しすぎて新しい技術を投入すればいいと思っている節がある、昔ながらの治療法の合理性にもう一度目を向けるべきだ」とか書いておいて、次のページでは「かつて私が○○○と言う新しい方法を試した時に、古くからの先輩達の反対にあったが私は信念に従ってこの新しい方法を患者に行ったのである。古くから行われている物が確実ではない」とかって、言っている事、思いっきり矛盾してるっす。
 他にも赤字のたびに、前回言っていたことを平気でくつがえす文章を書く凄い老医師なのだ。

 で、この赤字が戻ってくるのが、直して、先方に送ってからさらに約半年後・・・・・すっかり忘れた頃に大量の赤字がのっけられて戻ってくると言う状態だった。
 毎回毎回、新たに編集し直す状態。
 このままでは、いつまで経ってもこの仕事は終わらない。と思っていたのだが、事態は思わぬ方向に向かっていくのだ。

 なんと、この本がその老医師の「遺作」になってしまったのだ・・・。もちろん、最終の赤字は向こうの関係者がサササッと行った為にすっきりした物だった。

 なかなか、奥深い人生なのだ。

1997年7月18日(金曜日) 生活の安定
 最近、忌野清志郎が生命保険のCMに出演してシャウトしながら、老後の心配などを訴えている。
 そーかそーか、清志郎だって人の親、色々な事を考えるのだろうな。人生とはそんな物なのだ。しかし、ある種80年代の初頭にRCサクセションを聞いてうぉぉぉとか思っていた人間に取っては、なかなかに感慨深い物があったりする。
 これってのは、清志郎を愛聴していた世代が、そんな事を心配する世代になったって事なのだろうな。ちょうど30代になって、それぞれが家庭を持って、それぞれが仕事の上でも中堅と呼ばれる所になってきて・・・・

 少し前までは、泉谷しげるが生命保険のCMにバックバンドのメンバーと一緒に出ていた。これもよく考えてみると、70年代初頭に青春まっただ中だった世代が、そんな事を心配する世代になったという事なのだ。
 今から、10年前にビートルズの「ALL NEED IS LOVE」が生命保険のCMに使用された事があった。そしてラストに「愛こそはすべて」とダメ押し!と言うパターンがあった。
 この当時に、一部のファンの間からは、神聖なるビートルズをこんな事に使うなんてけしからん!と怒りの声が多かった。
 でも、よーく考えてみると、この10年前って、その当時にいわゆるビートルズ世代が今の自分の年齢になっていたのだ。

 結局、そんな感じに世代がスライドして、その世代が20代の一番音楽に影響を受けた時に流行っていた音楽が生命保険のキャラクターになるのだ。

 そー考えると、今20歳ぐらいの人がええ大人になった時には、ダレがCMをやっているのかが、気になってしまうのだ。

 やっぱし小室哲哉?

1997年7月19日(土曜日) 梅雨明け宣言なのだ!
 なんつーか、今年は気象庁が声高らかに「梅雨明け宣言!」をしたのだ。
 たしか、数年前には、梅雨は開けたよーんと言った途端にまたしても長い雨の日が続いたなんて事があった。
 また、別の時は「1週間前に梅雨が開けていました」なんて、やけに間抜けな梅雨明け宣言をした事があった。

 ま、今年は分かり易いぐらいに、ピカッ!といい天気だから世間も許してくれるだろう。

 しかし、セミがうるさいっす。
 しかも、まだ風邪が完璧に直っていないのでだるいっす。

1997年7月20日(日曜日)酒鬼薔薇事件を振り返って考えた事
 世間ではすっかり興味の対象外になってしまった様な感じもある神戸の事件ですが、結局、事件と同時に、この盛り上がり方にも問題点が多いと感じてしまった。
 一億総探偵・・・・なんつー馬鹿な状況は何故起こってしまうんだろう。結局、探偵とか言っていても、野次馬でしか過ぎないんだけどね。

 私はそのTVを見ることが出来なかったけれど、犯人逮捕直後のレポートの最中、カメラの後ろ側で大騒ぎしてVサインを出していたガキ共に怒りの感情を示す人も多かったらしい。
 が、結局、そこで無責任にふざけている少年達と、無責任に探偵気取りをしていた私たちに大差はないのではないのか?と思ったりする。

 ある種、深刻ぶって「このような痛ましい事件が・・・」と言った直後に生CMで「桃屋からのお知らせです」などと画面を切り換えるTVの無責任さを自分の中に抱えていると言う事を感じてしまった。

 実際に人が無惨な形で殺されてしまった事件なので、それを軽く扱う事は出来ないが、結局その地に住んでいない自分にとっては、2時間ドラマの中の殺人事件と変わり無い物語の一つだったのかも知れない。
 確かに大変な事件なんだけど、そんな事より自分の恋愛問題の方が大事件だったり、あるいは今月あと1000円でどう生活しようかって事の方が、重大な問題だったりする。
 そして、さらに今回の自分の様に、世の中のいろいろを分析してみるなんて行為自体が、おぞましい程の無責任の上に成り立っていると言うことを認識しなくてはいけないのかも知れない。