杉村ぐうたら日記(1997年8月11日〜20日)

▲1997年8月11日:月曜日:  
▲1997年8月12日:火曜日:  
▲1997年8月13日:水曜日:  
▲1997年8月14日:木曜日:  
▲1997年8月15日:金曜日:  
▲1997年8月16日:土曜日:20年後の情熱
▲1997年8月17日:日曜日:  
▲1997年8月18日:月曜日:音楽ジャーナリズム雑誌と言う物
▲1997年8月19日:火曜日:音楽ジャーナリズム「過去の検証雑誌」
▲1997年8月20日:水曜日:音楽ジャーナリズム「バランス感覚」
1997年8月11日(月曜日) 
1997年8月12日(火曜日) 
1997年8月13日(水曜日) 
1997年8月14日(木曜日) 
1997年8月15日(金曜日) 
1997年8月16日(土曜日) 20年後の情熱
 なんと申しましょうか、中学校の同窓会ってヤツがあって行って来ました。
 僕が通っていた中学校ってのは卒業20周年記念でクラス単位でなく、学年全体の同窓会をやったりするんだけど、うーむ20周年かぁと考えつつ行って来ました。

 この20周年ってのがミソで、中学を卒業するのが15才として、みんな35〜36才って年齢になっているワケっすよ。ま、世間で言ったら分別盛りのいい大人状態で、そろそろ人生の決着が見えつつある年齢。
 ふと「同窓会」なんつー葉書が来たりすると「おぉアイツはどーなってっかな?」とか思って遠くの空を見つめたりしちゃうワケだ。
 これが、卒業10周年あたりだと、集まりはかなり悪いと思う。

 25才ぐらいだと、まだ夢は捨てきれんぜ!うぉぉぉぉ!てな具合に、東京やらに言って頑張っていたりする人も多かったりするんで、集まりも悪かったりするのだろうな。これが35才ぐらいになると、哀しいけれど「やっぱダメっす、地元に戻るっす」みたいな人も出てきたり「若い頃は良かったけど、親も年老いて来てね・・・」などと帰ってきたりするパターンも多いと思う。
 以前、就職関係の本でユーターン就職は30〜35才、転職も35才周辺が多い。みたいな事を書いてあった。うーむ、そうかもしれん。

 てなワケで、会場に向かうエレベータ前で早速、懐かしい顔にあって、近況やらを話したりするのだった。
 受付を済ませて卒業生一同の現住所なんかが書いて有るパンフレットを渡されてパラパラめくっていると、やっぱし思った以上に地元に住んでいる人が多かったりする。
 うーむ、などとめくりつつ、あの当時好きだった女の子の名前が変わっているのを確認なんかして、うむむむ、などと当然の事なのだが少し動揺をしたりするのであった。 (笑)

 ま、同窓会の中身は色々あったけど、35才と言う年齢・・・・ふと自分を振り返って「俺は今、みんなに誇れるような生き方をしているかな?」などと考えてしまったのだ。
 今思えば、自分の創作生活はすべて中学の時に始まったようなもので、ビートルズにはまり、ギターを弾き始め、SFにはまり、文章を書き始め、漫画を書き始め・・・・それ以外の部分でも中学時代と言うのは全てのスタートラインだったのかもしれない。

 ふと、あの時代の事を思い出そうとしても、思い出せるのは「創作に向かっていった情熱」と「初めて好きになった女の子への情熱」ぐらいしか思い出せずに、それ以外の事はぼんやりと霞んでしまってハッキリと思い出せなくなっている自分がいたのだ。

 色々話をしていると、みんなそれぞれ家庭を持ちしっかりと地に足をつけて生きている。女の子なんかもしっかり母親になって家庭を守っている。それぞれが、そこに行き着くまでには色々な紆余曲折があって、悩んだり迷ったりしていたんだろうが、そうして自分の居場所を開拓していったのだと思う。
 そして自分を振り返ったとき、まだ自分は迷い続け、悩み続け、居場所を探してウロウロしているんじゃないか?と言う気分になってしまった。
 「俺はこのままじゃ終わらないぜ」とか甘い夢を見ているは、普通10代から20代前半の人間の言うことで、35才の男の言う事じゃないのかも知れないな。などと少し思ってしまった。
 「いつまでも夢を追い続ける人が素敵」なんてのは、あくまでも理想論であって、その夢に対して「掴めるか」「掴めないか」の見極めが必要になる時もあるのではないか?なんて事を思ったりした。

 その夢しか見えない為に、もっと大きな物を見落としているかもしれない。なんて事を考えてしまう、最近の気弱な自分がここにいたりする。

1997年8月17日(日曜日) 
1997年8月18日(月曜日) 音楽ジャーナリズム雑誌と言う物
 音楽関連の雑誌と言うと、いわゆるパチパチ的な、ビジュアル中心の雑誌か、あまりにマニアックな内容の雑誌の2種類かな?って気がする。どちらも、ある種ヘビーな雑誌だなぁと思う。
 ま、一般誌と違って、突っ込んだ内容だから専門誌なんだけどね。
 で、読み込んでみると、今の時代に振り回されているだけの雑誌が多かったりするのが現状。

 腐っても渋谷陽一と言う格言があるように(ない)彼の編集している雑誌は、賛否評論あるにせよ、内容もビジュアルも許せたりする。普通の雑誌では突っ込めない部分も突っ込んで聴いてしまうあたりが好きだったりする。
 しかし、洋楽を中心に展開している雑誌というのは比較的内容は自由に書かせて貰っているのだが、日本の音楽を扱っている雑誌はかなり大変な部分も多いのだ。

 某女性シンガーは異様に神経質で、その上、所属レコード会社の中で代表的なアーティストと言う事で女王様的な力を持っている(女王様と言ってもユーミンではない、もちろんパッパラー河合でもない)
 で、とある雑誌がほんのちいさな記事でその女性シンガーの事を悪く書いたのだ。(そんなに酷い記事ではなかった)
 と、発売して数日後、その女性シンガーの所属するレコード会社のスタッフが数人で「あの記事はいったい何ですか?そちらがそう言うつもりでいるのでしたら、お宅の出版社が出している雑誌すべてから、わが社の広告は一切退きますのでそのつもりでいてください」と抗議しに来たらしいのだ。
 そのレコード会社ってのは、雑誌媒体にバンバン広告を出していたので、そんな会社に広告撤退された日にゃ収益がた落ちって感じなので、あわてて上層部が謝罪に行って、その記事を書いたフリーライターは仕事を切られた。と言う事件も発生した。
 これは極端な例なんだけど、多くの場合が「広告主だから」と、レコ評やその他で酷評をする事は避けている。いわゆる提灯記事の連発なのだ。

 特にソニー出版の出している雑誌あたりだと、出版社自体が同系列のレコード会社に不利になるような事は書かないと言うポリシーに乗っ取って、いわゆるファンジンの形態を取った雑誌になってしまうのだ。
 そんな事を知らない一般読者は毎号その雑誌を読むと、ソニー系のアーティストが絶賛されつつ掲載されているもんでマインドコントロールされちゃう部分もあったりする。で、1980年代の日本ロック界で中心になれたりしたんだな。ソニーが。
 ま、読者にも物事を見る能力が要求されてしまうんだけどね。

1997年8月19日(火曜日) 音楽ジャーナリズム「過去の検証雑誌」
 それとは別に音楽誌では「過去の検証」雑誌と言うジャンルもある。「レコードコレクター」と言うのが有名だったりする。
 で、その系列で作家でロッカーの山川健一氏が編集している「New Rudie's Club/ニュールーディクラブ」と言う雑誌があるんですが、これが今その手の検証雑誌としては深い。
 今出ているのは「The WHO」の特集を組んでいたりするんだけど、これまで「ストーンズ」「ディラン」「ビートルズ」「ウッドストック」「クラプトン」「マディウォーターズ」「キンクス」「ピンクフロイド」「ボブマーリィ」「プリンス」と言った形で号ごとに深い特集記事を組んでいたりする。
 値段は約1000円と高めかも知れないが、為になる記事多いっす。

 記事を書いている人も、その特集によって違っていて、特に思い入れの深いミュージシャンなんかがレコ評なんかを書いていたりする。
 その為に、その特集されているアーティストの事も判るが、その記事を書いているミュージシャンの現在やっている音楽のルーツが見えたりして2重に楽しめたりする。
 誰だって最初はファンから始まったって感じ。かの早川義男氏もエッセイを連載していたりする。

1997年8月20日(水曜日) 音楽ジャーナリズム「バランス感覚」
(続き)
 しかし、基本的に批判的な文章を書くのは難しいって事もあるんだと思う。
 「これダメ、全然よくない」って書くのは凄く楽だと思うけど、それは個人的な感想や趣味の範疇を出ていないんで、実際に批評でもなんでもなっかたりするし。
 いかにダメか?と言う事を相手に説明できるだけの、知識と客観性を持っているかってのが、ライターに求められたりするワケだ。そして、読者に判るような理論展開をして読ませる。と言う能力が必要になってくるのだ。

 何にせよ、人ってのは好き嫌いを示すと思うんだけど、その好き嫌いには「理由なぞない!」って言う場合もあったりする。
 車なんかでも、それぞれの人が「このデザインだっせー」とか「やっぱ○○は足廻りが弱いし」などと、あくまでも好みの問題で話をしていたりする。
 それと同じ部分を個人的見解のみで商業的な雑誌に書かれても・・・って感じになってしまうのだな。

 以前、「イカすバンド天国」と言うバンドコンテスト番組があったけれど、1年目は評論家やプロデューサー系の審査員が中心だったのだけれど、2年目に入ったときに審査員を総入れ替えした。
 そこには、あまり表には出てこない渋いバンドマン達が並んでいたのだが・・・・
 その新しい審査員になった初回の放送に出てきた、いかにもなヘビメタバンドが演奏をし始めた途端に全員「失格」の赤ランプを押したのだ。そして、そのヘビメタバンドはボーカルが歌い出す前にフェイドアウトになってしまい演奏画面が消されてしまった。
 審査員いわく「いかにもなヘビメタって嫌いなんだよね」

 つまり、そこにいた審査員が好きなジャンルかそうでないかって事だけが審査基準になってしまったのだ(特に、審査員とかに慣れていない人たちだったし)
 もう、上手いとか、センスいいとか、それ以前の問題で批評をしてしまったのだな。
 そんな感じに、総合的な雑誌で「俺パンク嫌いだから」と言う事で徹底的にパンクの要素があるものを否定されてもね・・・と言う事になる。

 人によっては自分の好きな音楽を馬鹿にされた!って事から「私は自分の全人格を否定されたようなショックを受けました」って事になってしまったりするワケで、うかつな事も書けなくなってしまう場合がある。
 それが雑誌と言う公共性のある場に「○○○って最低、買う価値ないよ」とか書いたら、ただの営業妨害だし。
 うーむ、意見はまとまらないが、批判というのは難しい。が、提灯記事も困り物だ。と言うことだな。

 例の書評誌『本の雑誌』も、とにかくあらゆる作品をめった切りにしているので「出版関係の広告は載せない」と言うポリシーがあるみたいです。
 どっちかって言うと、編集長の椎名誠の趣味かアウトドア系の広告が多いような気もする。そんな感じのやっぱ偏屈な姿勢の雑誌が好きです。