杉村ぐうたら日記(1997年10月1日〜10日)

▲1997年10月1日:水曜日:今はまだ人生を語らず
▲1997年10月2日:木曜日:大滝詠一 ついに始動
▲1997年10月3日:金曜日:メロディ復活?
▲1997年10月4日:土曜日:バーチャルマシン『と学会白書 Vol.1』より
▲1997年10月5日:日曜日:ロックンパパ?
▲1997年10月6日:月曜日:Gショックのバッタ物・・・・
▲1997年10月7日:火曜日:ファッションのかっこよさ
▲1997年10月8日:水曜日:ドメスティック・ジャパニーズ
▲1997年10月9日:木曜日:ボケで笑いをとる人生
▲1997年10月10日:金曜日:時代は変わる あるいは 風に吹かれて
1997年10月1日(水曜日) 今はまだ人生を語らず
 TVに吉田拓郎が出ている。
 ちょうど1年ほど前に始まった「LOVE LOVE 愛してる」と言う、実にケーハクなタイトルの音楽番組がきっかけだった。
 それ以前、吉田拓郎と言うシンガーは20年来、往年のフォークシンガーの決まり文句「俺はTVなんかに出ないぜ」と言う姿勢を、ある程度つらぬいていた。
 この数年多い「なつかしのフォーク」的な番組でも、昔のVTRを流す事はあっても、他のシンガーの様にニコニコと同窓会然として出席する事はなかった。
 以前は「俺の音楽は1曲だけでは表現しきれない(←じゃ何故シングル出す?)」などと言って、普通の歌番組などには殆どでなかった様なフォーク歌手が大勢いたのだ。
 そんな人々が、最近じゃ「なつかしフォーク」とか題された番組で、それぞれの持ち唄のサビの処メドレーなんか歌って出演しちゃったりするのだ。
 これは「丸くなった」とか「大人になった」とかって問題ではないよなぁ。
 と思いつつ、きっとあの当時、受け狙いなフォークソングを歌っているシンガーに対して「権力の犬!」などと、ヤジを飛ばしていた怒れる若者たちも40代になって、しみじみと過去を回顧しちゃってんのかも知れない・・・。
 「あの頃俺も若かったよなぁ」などと思いつつ、学園紛争で機動隊と衝突した時の古傷が秋風にしみたりしているのかもしれない。
 私はその手の時代を(東大紛争・浅間山荘事件)なんとなくTVの中の風景としてかすかに覚えている様な遅れてきた世代なんだけど、なんか「言っていた事、違うじゃん」てなダマされた気分が無いわけでもない。
 わたしゃ大人に成り切れてないのか?

 ま、そんなワケでフォーク界のプリンス拓郎ちゃん(当時、そう言われていた)ダケは貫き通すと思っていたのに、突然TVのレギュラーになって、しかもジャニーズアイドルKinki Kids&篠原ともえなんかと、同じ画面に映っていたりするのだ。
 ある種、この人選ってのは「フォークを知らなかった世代」をこっち側に引き寄せるための呼び水になるかな?なんて気もしないではない。
 「フォーク?わかんなぁぁい」と言う人も「kinkiが歌っていた曲」とか「一緒に出ていた人」と言う関連で少しはフォーク的な物に目が、耳がいくかもしれないなどと思ったりする。
 ま、その辺の音楽的な部分はそんな感じなのだが、今の問題は吉田拓郎、その人なのだ。
 こないだ、ぼーっとTVを見ていたらなんと「スターどっきり丸秘報告」なんつー番組で、泉谷しげると共にKinki Kidsにダマされて「うひゃーぁぁ」などと言っていたのだ。
 うひゃーはこっちのセリフだよ、おい。
 さらにCMになんかにも出たりしてるし・・・。

 で、次は秋の番組改変時「番組対抗ゲーム大会」的な番組にまで出演していたのだ。
「もぉ帰りたい」などと言いつつ、手動トロッコに座ってゲームに参加しちゃったりするのだ。
 うーむ・・・・・。実はかなりミーハーなんじゃないのか?と考えると、2番目の嫁さんはアイドル歌手「浅田美代子」だし、今の嫁さんは女優「森下愛子」だし・・・(1番目は同業者のフォークシンガー)
 これまで曲を提供した歌手も、圧倒的に女性(しかもアイドルが多い)だもんな。キャンディーズ・太田裕美・石野真子・松本伊代・・・・その他大勢。
 そんな事を検証してみると、ある種のポリシーでTVに出ていなかったのではなく、実は照れ屋さんでTVに出るのが恥ずかしかったってだけなんじゃないのかな?(あの時代的なポーズってのもあるけどさ)

 そんな事を考えていくと、現在TVなどに出ないけれどミーハーで「本当は出たい」と考えていそうなアーティストに「山下達郎」ってのがいるのかも知れない。
 Kinki Kidsのデビュー曲なんか作曲だけじゃなくって、アレンジ・プロデュースまでやって、その上コーラスワークも多重録音で重ねちゃっていたりする。ついでに嫁さんの竹内まりあも、広末涼子のデビュー曲を作って、山下達郎がアレンジとかやっているしねぇ。

 ま、あんまし山下達郎はTVで見たいとは思わないけれど・・・・。

1997年10月2日(木曜日) 大滝詠一 ついに始動
 例のキムタク&松たかこ主演のドラマの番宣で『君は天然色』『恋するカレン』が流れていたので、こないだ「うーむ、とうとう大滝詠一もナツメロの仲間入りか」などと書いた。
 で、数日前またその番宣をTVでやっていたのだが「んんん?」と思ってしまったのだ。
 どうも、バックに流れている曲に聞き覚えがない。
 歌っているのは、まぎれもない大滝の声だし、アレンジも大滝の独壇場とも言うべきウォールオブサウンドだし・・・・・
 だが、その曲は『君は天然色』でも『恋するカレン』でもなく、さらに他のこれまでに発売された曲でもなかった。
 取りあえず、大滝詠一マニアな私はずーーっと昔の細野晴臣・松本隆・鈴木茂らと演っていた「はっぴいえんど」の曲から、不遇のCM歌手時代、B級歌謡作曲家時代なども一通り知っているのだが、そのバックに流れていた曲は初聴だった。(どの曲も似ているが)
 うぬぬ?

 と思っていたら、なんとその番組の主題歌は大滝詠一の新曲が使われるそうで、うふーうひーうれしいっす。
 いやぁ何年振りの新曲だろうか?たぶんCDの時代に入って初めてのシングルだよなぁ。最後は稲垣潤一も歌っていた「バチュラーガール」だと思うが、いやぁ10年以上振りだよぉ。
 世間一般の若人にとっちゃ、ほとんど新人的な状態だよなぁ。

 いやはや、このままアルバム制作に入ってくれればいいんだが(この10年間に3回アルバム制作に取りかかった事があるが、3回とも途中で断念している。1990年春のインタビューで現在製作中のアルバムタイトルは『1991』で、その次は『2001』ですなんて云っていた。もうすっかり、次のアルバム発売の年の方が近くなっている)
 と言っても、大滝が「アルバムを作る」と言うと1年以上かかるのは常識だから今世紀中にでるかどうか・・・・

 そんなワケで、どうやら、この間からキムタク&松たかこ主演ドラマの番宣の時に、大滝詠一の『君は天然色』『恋するカレン』などがBGMで流れていた理由が判りました。
 番宣をするのに新曲が間に合わなかった為に、既成の曲を流してごまかしていた。 この線が一番濃厚ですな。

 あいからわず (笑)

1997年10月3日(金曜日) メロディ復活?
 なんか、今年に入って気が付いたんだけど、音楽的な流れがヒッピホップ的な方向から、凄くオーソドックスなメロディアスな方向に向かっている様な気がする。
 いわゆる60年代〜70年代初期の良き時代の音楽へと。

 その傾向を感じたのは、最近の洋楽で、ここ数年はラップ・グランジなどのヘビー系な曲が多かったのが、すごくメロディ主体になっている(気がする)

 例えばジャネットジャクソンのニューアルバムなんかも、すごくメロディアスな曲が増えている。以前はかなりダンスミュージック色が強かったが。
 その他のアーティストも。
 ダイアナキングなんかの新曲は、大昔のバートバカラック(だと思った)の曲のカバーでしょ?「ちいさな願い」って。

 その辺の、ポップスの源流みたいな処にもう一度戻っているような気がする。
 なんか、懐古趣味なんかとは違う部分で、生理的に気持ちがいい音楽に戻っているような気がする。

 日本の音楽も、もう小室でもないでしょ?って気もするし、ラップは日本人には無理だってのにそろそろ気が付いているみたいだし。

1997年10月4日(土曜日) バーチャルマシン『と学会白書 Vol.1』より
 以前、H系ゲームマシンでいわゆる大人のオモチャ状の物を大事な部分に装着して、ゲーム画面で女性と対戦して「イカせ合う」と言う、なんだかトホホな話題を書いた事がある。
 でもって、下半身にはその体感マシン、指にはバーチャルグラブ、そして頭には3Dバーチャルゴーグル&ヘッドホンと言う状態で、一人Hゲームの世界に浸っている姿は、かなりみっともないぞ。と言う話だった。
 そのゲームをやっている時は、まったく外部に対して無防備な状態だったりするので、鍵のかからない部屋なんかでやっている最中、すぐ側まで人が来てもぜーんぜん気が付かない状態だったりするのだ。
 ワケの判らない機械を取り付けたまま、腰をカックンカックン動かしていたり、バーチャルグラブなんかを付けた手でありもしない胸やら何やらを必死にもみしだいて・・・・・

 うひーみっともないっす。

 と、いう状態の話を書いたのだが、最近読んだ『と学会白書 Vol.1』の中にもっと単純なハイテクエロ機器が紹介(笑い物に)されていた。

 商品名は「バーチャルマシン」と言う、すげー安易な物なんだけど、いわゆる男性用バイブ。俗に言う「しびれフグ」とかその手の、おちんちんを筒状の機器に装着するタイプの物。
 で、そのマシンから出ているコードをビデオデッキに接続するのです。
 いわゆる音声対応式のバイブ。

 お好みのエロビを見ながら、AV女優のあえぎ声に反応して「バーチャルマシン」の振動の強弱が変わるという画期的な商品っす。
 ただし、AV男優のあえぎ声や「どうだ?感じるか?」などと言う声にも反応してしまうので要注意 (笑)

1997年10月5日(日曜日) ロックンパパ?
 日曜日、ぐたーっと昼頃に目が覚めた。
 で、TVをつけて、そのままぼけーっと何も考えずに時間を過ごしていた。

 その内に、TVの中で「あっぱれさんま大先生(←今は違うタイトルかも知れない)」が始まった。
 私はこの番組ってほとんど見たことがなかったのだが、チャンネルを変える気力もなかったので、そのままにして手元の本などをぱらぱらめくって読んだりしていた。

 今週はどうやら、出演している子供の両親が出てきて、子供がバラした親の秘密について「母親が正しいか?、父親が正しいか?」みたいな裁判をすると言う物だった。
 で、ふと画面をみると父親席に一人、どうも場違いな人が一人座っていた。
 ほとんど父親が、いかにもな休日のパパ的なファッションで座って、それなりにオヤジな顔をしていたりするのだが、その場違いな人物は典型的なフリーター的ロックな服装をしていたのだ。

 で、私が驚いたのがその人物が・・・・・「もしかして、こいつ『プライベーツ』のボーカル?」と言う物だった。その人物を紹介するシーンを見逃してしまったのだが、どー見ても同一人物なのだ。
プライベーツとは、昭和末期、ちょうどバンドブームのちょっと前にデビューしたワイルドでポップなロックバンドで、私は当時のバンドの中では一番好きだった。が、ここ数年活動しているらしいという噂は聴くが、実際にCD発売されているのか、全然判らない状態のバンドっす。

 ありゃ・・・・・しかも、途中からの話では、子役と母親と一緒に出演しているが現在はすでに離婚して、今では友達関係と言う状態らしい。
 うーむ、どう見ても同一人物にしか見えない。声もそっくりだし・・・・。

 気になるっす。

1997年10月6日(月曜日) Gショックのバッタ物・・・・
 最近は、時計業界は「Gショック」で大騒ぎだが、少し前まで大騒ぎしていたスウォッチはどーなった? (笑)
 私はそれより、たまごっちのバッタ物「たまごウォッチ」の方が欲しいけれど、世の中にはバッタ物の種は尽きない。

 Gショックのバッタ物で「アンチショック」と言う物があるらしい。

 が、アンチショックって「ショックに弱い」「ショックを与えちゃダメ」って意味なのか?
 噂では[100m]と表示があるが、防水ではないらしい。・・・何が100mなのだ?標高100mなんて、そこいらの山に登ったらすぐ壊れてしまうっす。うーむ。

 しかし、Gショックも「限定品」の嵐で、あっちこっちでプレミアプレミア騒いでいるが、そう言う声を聞くと「あぁそろそろ終わりだな」って感じがしちゃう。
 スウォッチの最後も(まだ終わっていないかもしれないが)そんな感じだった。

 たまごっちのバッタ物 → 多摩墓地(違う)

1997年10月7日(火曜日) ファッションのかっこよさ
 この1年ぐらい前から、頭にバンダナなのどのかわりに普通のタオルを巻いたりするのを見かける。
 たぶん、その世界の中では「カッコいい」のだろうが・・・・、どう見てもそこらで農作業をしているオッサンにしか見えない。
 と言う感想を持ってしまうのは、ワシがじじいだからかもしれないが、あくまでも自分のセンスの中では「カッコ悪い」と言う部類に属する。

 この自分の判断でカッコイイ・格好悪いと言うのが、世間一般を見ていて最近すげー稀薄な感じがしちゃうのだよ。自分で選択する価値基準が無くなって「今流行っているから」と言う部分に押し流されて居るような気もする。
 ま、私も中学生の頃は当時流行っていたファッションなどを目指して居たような部分があるから、100%否定できる義理ではないのだが、なーんか「自分の基準」と言う物が稀薄な気がする。

 インタビューで「だって、この手のファッションって今しか出来ないっしょ?」などと答える人を見て、うーむなどと腕組みをしてしまう秋の夜なのだ。

1997年10月8日(水曜日) ドメスティック・ジャパニーズ
 ま、コギャルと称される人々をけなすのは凄く簡単で、そこらのオヤジ雑誌なんかが、コギャルと呼ばれる部分にコビを売りながら馬鹿にしたりしている。
 で、雑誌やTVなんかに出て「あたしはコギャル」的なインタビューを受けたりする様な人ってのも、かなり極論まで言っているようなタイプを選出していたりする。

 私の住んでいる周辺ではさすがに、髪飾りとしてどでかい花を付けたりする様なのは見なかったが、あの髪飾りってヤツは、完璧に雑誌のヤラセから始まったらしい。

 その雑誌を見た「遅れちゃならない」と言う、最先端追随型の人々が真似をして広がったと言う話なのだ。
 うーむ、やはりそんなものなのかな?

 で、去年からずーっと頭に引っかかっていた事があった。
 いわゆる、その辺の行き過ぎたお姉ちゃん達を見てて「どっかで、かつてこの状態を見たことがあるぞ」と、感じていたのだが、どうも記憶の中に見あたらない。
 眉毛が細い時代(60年代中期〜70年代初期)と、サーファー系が台頭して小麦色が流行った時代(70年代後期〜80年代初期)は微妙にすれ違っているのだ。サーファーの時代は眉毛が濃いのが主流だった。
 さらにパール系(薄黒い)口紅が流行った時代ともずれている。
 しかし、あの「日に焼けまくって黒い顔」「眉毛が細く薄い顔」「唇の色が肌の色と同化する様な顔」さらに「むくんだ様な顔つき・無表情」と言う、要素が全部重なった顔がどこかに引っかかっていた。

 と、ある日突然、思い出した。
 今から100年以上前の鎖国が解けてアメリカ人が日本にやっとやってきた頃。
 とあるアメリカ人カメラマンが日本の漁村で、そこで働く海女さん達を写した写真が何枚もあったのだが、あれとそっくりだったのだ (笑)

 かっっちょいいー

1997年10月9日(木曜日) ボケで笑いをとる人生
 そんなワケで、友達と街を歩いていたりする時に何気なく目の前に電柱があるのによけないでぶつかったり、ドアに頭をぶつけたりして簡単な体を張ったギャグを取ったりする。
 そんなこんなな生き方をして随分経ってしまった。

 が、ボケを取ろうと思わないで、本気でボケな事をしてしまった場合に笑われると凄ぇ恥ずかしかったりする。
 ぼーっとしながら仕事の休憩時間、紙パックに入ったヨーグルトドリンクを飲んでいた。で、その紙パックに差してあるストローを口にくわえるつもりで無意識の中で顔に近づけたのだが・・・
 気が付いた時、ストローが鼻の穴に入っていた。

 受けは取れたが、恥ずかしかった。
1997年10月10日(金曜日) 時代は変わる あるいは 風に吹かれて
 なんか、ルーズソックスと言う物が、しゅるるるるるると音でも立てているかの様に急激に廃れていく昨今ですが、皆様はお代わりありませんか?

 そんなワケで、今でもときどき通勤途上でルーズソックスを履いている女子高生の集団を拝見したりする事もあるのですが、何かすでに「懐かしい」とか「灯火を消してはならず!」とか「青函連絡船よ永遠に!」とか「走れK-100!」なんて言葉が浮かんできてしまうのであります。

 なんか、今となっては青春のいい思い出だねぇ(って、ワシはしていなかったが (笑))