杉村ぐうたら日記(1997年10月11日〜20日)

▲1997年10月11日:土曜日:そー云えばブームの仕掛人・・・ (笑)
▲1997年10月12日:日曜日:話し言葉で文章を書く
▲1997年10月13日:月曜日:「ごっつええ感じ」突然打ちきり
▲1997年10月14日:火曜日:「人気者で行こう」エンディング
▲1997年10月15日:水曜日:60年代のSMAP
▲1997年10月16日:木曜日:華原さん・・・・
▲1997年10月17日:金曜日:トイレットペーパーの謎
▲1997年10月18日:土曜日:語学を勉強したいとか思ったりする昨今であったりするのだ
▲1997年10月19日:日曜日:「イメージの詩」浜田省吾
▲1997年10月20日:月曜日:「すみれセフテンバーラブ」シャズナ
1997年10月11日(土曜日) そー云えばブームの仕掛人・・・ (笑)
 で、ワールドカップはどーなったの?

 って、全然興味がないけど社会人として他の人との話のキッカケにそんな事を云ってみたりする。
 うーむ、日本にサッカーってものは根付いているのか?いないのか、よく判らないっす。
 なんつったってサッカー王国静岡って云うぐらいなんもんだから、エスパルスは大変な事になっちまってるしねぇ。

 もうJリーグなんて物が出来てから4年っすか?
 みんな試合を見に行きたくって、チケットを取るのに四苦八苦してますか?
 なんつったってプラチナペーパーだもんねぇ。気を付けないと偽物まで出回っているし、ダフ屋に5倍くらいの値段で買わされたりするから、サッカー観戦も大変だと思うのだ。
 あんまし興味ないから、よく判らないけど、今もそうなんでしょ?

 なんて皮肉をいって、敵をまた増やしてみたりする。

 この『ブーム』って云うのは、いわゆる浮動票がだだだだだだぁとなだれ込んできて、かき回して、次の瞬間別のブームに、それ以前からその場にいた人まで巻き込んで移動していくと云われている。
 その浮動票の『核/コア』な部分に居る人って、なーんか常にブームからブームへ渡り歩いている様な気がするのだ。
 つまり『流行の遊牧民』というのか『ブームのボヘミアン』とでも云うのか、そんな感じなのだ。

 それに対して、良い、悪いって価値の判断は付けにくいが、自分としては「嫌い」って感じがしちゃうのだな。
 自分だって多分にミーハーな処があるのは自覚していて、すげー下世話だと思ったりする。
 だけど、自分の価値基準じゃ無い部分で「一番流行っているから」と飛び付いている感じなのは、どーも好きではないのだ。
 Jリーグに関して云えば、サッカーを初めとするスポーツ観戦が好きな人は許そうって感じもある。
 だけど現在「そー云えばあの頃盛り上がったよねぇ」なんて感じで遠くを見つめて思い出話をされても・・・って感じなのだな。

 その手の流行物に便乗して大騒ぎをして、その中で自分はハズれていないんなんて安心しちゃう層は確実にいる。
 私は、そんな感じで「かつて流行っていた物に熱中していた自分」と言う存在は、ある意味で恥ずかしくて人前では隠蔽しちゃっているもんかと思っていた。そーゆー人々は。
 だが、どうも違うらしい。
 堂々と「あの頃、本当に盛り上がっていたよねぇ」なんて思ってしまうのだ。
 で、あっさりとブームの終焉と共に身を引いたりしちゃうのだ。
 そんでもって、ここの所のワールドカップの盛り上がりで再び「やっぱサッカーいいよねぇ」なんて、Jリーグ発足から現在まで切れ目無く応援していたかのような事を言い出したりしちゃうのだ。(会社の人)

 今、そんな感じに参加型のブームがどこに行っているのか判らないが(もっとミニマムな方向で「カラオケ」「プリクラ」的な物なのかな?)それ以前の「バンドブーム」「ダンスブーム」なんてのを中心で支えていた人は、実はぜーんぶ同じ人だった様な気がしちゃうのだ。

 熱狂しているけど、熱狂していない。
 「今だから騒げるんだよね」と、参加している事に意味を見いだす層を産みだし巻き込みながら、また新しいブームが始まっていくのかもしれない。

1997年10月12日(日曜日) 話し言葉で文章を書く
 明治時代、文学が文学として一般に読まれ始めた頃の話、夏目漱石などを中心に「文語一致運動」と言うのが行われた。
 つまり、喋る言葉と文章として書く言葉を統一しようと云う文学的な運動なのだ。
 む?と思うかもしれないが、あの時代の文章、あるいはそれ以前の文章が「古文」として残されているが、あの様な言葉遣いは日常では交わされてはいなかった。
 特に日本は俳句などが発達したおかげで、文章的には通用する言語体系と言う物がある。

 で、それでは一般庶民レベルに文学が、あるいは文章が浸透しないと考えたのだ。

 それが100年前の話。
 いまはそんな事を、念頭に考えるまでもなく、この文章の様にだらだらと通常喋っている言葉をそのまま文章化した物が流布している。
 それは良いことだと思う。
 が、70年代後半からその辺に拍車がかかってしまい、凄い事になってしまった様な気がする。

 いわゆる「小峰元」と言う推理作家が「青春ミステリー」なんて言うジャンルを作りあげて、後継者として赤川次郎なんかが出てきて、さらにSF畑からも新井素子なんかが出てきたあたりで、私はうぬぬと腕組みをしてしまったのだ。
 その手の本を読まないで「嫌いだ」と批判する人もいるが、私はとにかく読んでみた。赤川次郎も5〜6冊は読んだ。新井素子は全部で10冊近くは読んだんじゃないかな?
 そこで、さらにうぬぬと腕組みをしたのだ。

 その辺の本はすささささーっと読み切ってしまえるのだ。基本的に読書スピードは普通の人より早いのかもしれないが、とにかく1冊の単行本をすさささーっと読み切ってしまったのだ。
 うぬぬ・・・、その後、いわゆる朝日ソノラマ文庫をはじめとして、その辺の少年処女小説が大量に発行され新人作家が大量に出現した。

 あんまり、ジャンル関係なく本を読むけれど、基本的にSFと推理小説がメインなので、ついつい面白そうなテーマの作品を買って読む。
 そこでさらにうぬぬと思ってしまうのだ。
 とにかく簡単に読み切ってしまえる。普通の本の半分以下の時間で読み切れてしまうのだ。
 約1冊30分。
 結局、その小説はほとんどが会話で成り立っているのだ。
 情景描写も心理描写もそこそこに会話会話会話の乱れ打ち。その会話も、なんか中途半端な漫才状態が続くだけだったりする。
 うぬぬ、これっていわゆる芝居などの「卜書き台本」なんじゃないの?と言う気がしてしまうのだ。
 しかもあまりにも全てを会話で説明してしまう状態。
 心理的な部分を深読みする必要がない状態の会話が羅列されているだけ・・・・。

 なんだろうな・・・・・特に最近、その手の文庫なんかを本屋でぱらぱらめくるとその傾向が激しくなっている様な気がする。
 コンピュータ通信でも、1人で書いているのに二人のキャラクターが会話をしている様な感じで説明をしていたりする人もいたりした。
 たしかに新しい試みかもしれないが、実際に文章量の割に内容が稀薄になってしまうのだな。
 つまり、文庫本1冊をたとえばアニメにそのまましたら30分に納まってしまうような感じの稀薄さなのだ。

 その手の方向性を持った作家がいても悪くはないと思うが、かなりの率で最近のお手軽RPG的ファンタジーストーリーには存在している。推理小説なんかにも。
 私は、そのテクニックで面白く話を進める自信がないっす。

1997年10月13日(月曜日) 「ごっつええ感じ」突然打ちきり
 先日の日曜日の7時台にTVをつけて私は「ん?」と思っていた。
 その日はフジTVで「ごっつええ感じスペシャル」が放送される予定だったのだが、TVの画面は野球(セリーグ)の優勝決定戦を放送していた。大方の予想ではヤクルトの優勝は99%決まりと言う状況だったのだ。
 しかし、たしかその日の朝のTVコマーシャルでも「ごっつええ感じスペシャル」の予告をしていたし、新聞のTV欄にもちゃんとその事は書いてあった。
 ありゃりゃ?

 と言うことが全ての始まりだった。

 実際にこの日は「ごっつええ感じスペシャル」が放送される予定になっていたのだが、その放送直前の午後になってから、フジTV上層部で「今日は決定戦だ!そっちの方が大切だ」と言う事で番組が差し変わったらしい。
 この急遽の差し替えで、ボクと同じように「ごっつスペシャル」を楽しみにしていた視聴者からの抗議電話がバンバン入っていたらしいが、それ以上に問題だったのは番組の主役のダウンタウンの処にその「番組差し替え」の連絡が入っていなかったらしいのだ。
 しかも、その番組内容はCDリリース直前の「エキセントリック少年ボーイ」のイベントがメインだった。

 そんなこんなで、色々揉めたあげく「番組制作意欲を失った」「100%の力でこの先番組を作り続ける事は出来ない」と言う事で、突然番組終了が決定してしまったのだ。

 色々、それ以外の部分でも揉めてダウンタウンがらみの「HEY HEY HEY」や深夜の「一人ごっつ」なんかも辞めるとか話が出たらしいが、そっちは継続する事になった。
 何というか、私の好きな番組だったし、ダウンタウンのコントが見れる唯一の番組だったので非常に残念だったりする。

 ごっつの中では「大阪から東京に転勤した家族の元に、大阪に残してきた犬が尋ねて行く」と言うコントと「ハマちゃんが勉強をしているとマンションの別の部屋で大騒ぎをしているシチュエーション」のコントが好きだった。


(追加.1997.11.1)
 番組打ち切りが終了した直後の日本TV「ガキの使いやあらへんで」で突然「取りあえずニッテレも辞めとこか」と浜田雅功が言い出して、松本仁志が「も、って言うなぁ!」と、早速ギャグにしていた。

 HEY HEY HEYでは「とりあえず司会を続けて行くことになったんですが・・・ボクとしては雨上がり決死隊を推していたんですけどね」とかオープニングで言い出すし、エンディングでは「来週はスペシャル番組でお休みです」と浜田が言い、松本が「ま、その先の予定は入っていないんでね」と答える。

 でもって、なんとMUSIC STATIONに「エキセントリック少年ボーイオールスターズ」として登場し歌ったりした。
 タモリに「でも何で突然、歌番組に出ようなんて思ったの?」と聞かれ「なーんか知らないんですけど、急にヒマになっちゃったもんで、イッチョ出ておこうかなと思って」などと答えていた。

 その後も、ニッテレの「歌の大辞テン」にもゲスト出演していた。
 うーむ、転んでもタダでは起きないヤツラ。

1997年10月14日(火曜日) 「人気者で行こう」エンディング
 今日、テレ朝系で浜田雅功が中心の野外バラエティ番組が始まった。
 基本的に、ハマちゃんを中心として芸能人が自分たちが面白いと思った遊びをしたおすだけのバラエティー番組。
 メインは河口湖の近くに広い土地を買い取って、そこに別荘を建てて、その中や周辺で遊び回ろうと言う企画。それ以外は、都心の人通りの多い場所に有名芸能人がそれぞれ変装をして集結しようという物など。
 うーむ、安易と言えば安易だが、本人達が真剣に面白がっているっていうのは、ある種バラエティの基本なのかもしれない。

 が、問題はそこではない、この番組のエンディングの曲なのだ。
 番組が終わり・・・・エンディングテーマが流れてきた時に「ありゃ?」と思ったのだ。どっかで聞いたことのあるようなクセのある歌い方。
 え?まさか?

 と思ったのだが、13年も動かなかった巨匠・大滝詠一でさえTV主題歌の為に新曲を作るこの御時世だ。何が起こっても不思議ではない。
 なんと、その番組エンディングを歌っていたのは、かの伝説のバンドジャックス『早川義夫』なのだ。

 うひー。なんかビックリしちまった。
1997年10月15日(水曜日) 60年代のSMAP
 今日、フジTV水曜10時台に「タモリのネタでナイトフィーバー」と言う番組が始まった。
 いわゆる芸能人が、それぞれ自分の経験上での面白い話(ネタ)を披露すると言うだけの番組なのだが、そこそこ面白い。
 そのネタの部分はすべてVTRなので、普段ダラダラ長い話をする人もちゃんと見やすい長さに編集されていて、飽きさせない工夫がされている。
 もっとも、その話が長いと言う部分と、編集されると言う部分をもネタにしてしまう堺正章の様な人もいたりするのだ。

 で、その堺正章のネタはかつてのグループサウンズ(GS)「スパイダース」の頃の話だった。
 時代としては60年代の後半なので、すでに30〜25年前の話になってしまうのだが、僕は記憶の片隅にかすかに残っている感じの時代の話なのだ。
 で、ゲストの赤坂泰彦も言っていたが「この時代の生き証人とも言える人の話って凄く興味があるし嬉しい」のだ。

 あの時代グループサウンズってのは堺正章・井上順(順次)・かまやつひろしが居た「スパイダース」、沢田研二・岸辺シロー・岸辺一徳がいた「タイガース」、萩原健一がいた「テンプターズ」がGS御三家で、それ以外にも優等生「ブルーコメッツ」失神バンド「オックス」テクニシャン「ゴールデンカップス」ダーティ「モップス」などなど多くのバンドがいた。

 それで今回、堺正章がスパイダースの話を始めるときに「ま、今で言ったらSMAPみたいな存在で」と言って話しはじめたのだ。
 が、それが審査をする一部の女の子には気に入らなかったみたいなのだな。
「だってSMAPはSMAPだもん」
 うーむ、たしかにそりゃそうだが、そーゆー問題じゃないだろぉって気がするのだ。

 はっきり言って、時代的な事を差し引いて考えたらSMAPよりスパイダースの方が凄いかもしれない。
 あの時代は完璧に「THE 芸能界」と言う時代で、歌手がお笑いをやったり、バンドマンが演技をしたりするのなんてほとんどない時代だったのに、スパイダースのメンバーはそんなハードルを軽く飛び越えて色々やっていたのだ。(元々堺正章はお父さんが喜劇役者だったりするけど)
 自分たちで曲を書いて編曲して、ドラマを作ったり、コントを考えたり、凄い才能のグループなのだ。
 だから30年経った今でも、それぞれが芸能界で活躍しているのだと思う。(ドラムの田辺昭知はタモリやアルフィーの所属する会社の社長で奥さんは小林麻美だし)

 なんつーか、ファンってのはそんなモンだとは思うけど「SMAPはSMAPだもん」と言う、その新人タレントを見て、なんかうんざりした部分があった。

1997年10月16日(木曜日) 華原さん・・・・
 夜中にやっている音楽番組で「TK MUSIC CLAMP」と言うのがある。
 最初はTKこと、小室哲哉が司会をしていたのだが、拠点をニューヨークに移した事から、半年ピンチヒッター的にSMAP中居ちゃんが司会をして、今はもうひとりのTK、華原朋美が司会をしている。

 司会・・・・と言うほどの司会はしていないし、相手の話をどれだけ理解しているのか不安にるほど、えへら〜としている華原朋美に不安を感じるのだが・・・。
 逆に言えば、ゲストが色々な話をする時に、目の前にいる華原朋美に理解できるようなレベルの話し方をしてくれるので、凄ぇ分かり易い番組になっているのかも知れない。

 で、先日ちょうど見たときにTMレボリューション西川くんが出演していた。

 この華原朋美と西川くんの最初の出会いはたぶん「HEY HEY HEY」だと思う。その時、先に画面に出てきた西川くんを浜田雅功が華原朋美に紹介する時。
浜田「こいつ、西川って名前がありながら一人でTMレボ    リューションなんて名乗っているんやで」
 と、TMと言う名前に反応した華原朋美が
華原「TMって・・・・」
浜田「小室哲哉とはまったく関係ないクセにTMって名乗    ってんのや」
 と、聞いた瞬間、華原朋美の表情が西川くんを軽蔑&馬鹿にするような「ふ〜ん」と言う物に変わった。
 つまり、愛しのダーリン小室の名前を勝手に使用しているワケの判らないヤツ的な存在だったのだ。
 ま、結局は小室の弟子・朝倉大介のプロデュースしたTMレボリューションだから関係ない事もないんだけど(本当の意味は知らないっす)

 で、今回の「TM MUSIC SLAMP」で西川くんが「で華原さんは・・・」とゲストが司会に気を使ってネタを振ったりしていたのだ。
 ところが突然、華原朋美が不機嫌そうな表情になって「なんでそんな言い方するの?」などと、ぽつりと言い始めたのだ。
 あわててオロオロする西川くん
西川「えっ僕なんか酷いこと言いました?」
華原「華原さんって言った・・・・」
西川「・・・・・」
華原「朋ちゃんって言って」
西川「・・・・・」

 うーむ、なんとコメントしていいのか・・・・。

 先日もHEY HEY HEYのスペシャルで衛星回線を使ってマライヤキャリーが出演した時も、ほとんど一般素人がキャーキャー言うような状態ではしゃいでいたし。
 純真無垢と言えば聞こえがいいが、ハッキシ言って凄く「計算女」って気がする。SMAPの番組で中居ちゃんが演じている計算女のモデルって・・・と思ってしまうのだ。
 もし、この純真無垢さが計算でないとしたら、それはただの馬○なのかもしれない・・・。

 などと言って私はまた敵を増やしていくのかもしれない。


追記:1998.2.10
先日ゲストで、SPEEDの4人が出ていた。
中学生の彼女たちは司会者より話をしっかりまとめていた。

1997年10月17日(金曜日) トイレットペーパーの謎
 ある日、家に帰ると玄関のドアの横に12ロール入りのトイレットペーパーが置いてあった。
 母に聞くと、外出から帰ってきたら置いてあったんだけど、誰が持ってきたのか判らないのでそのままにしてある。との事だった。
 で、そのトイレットペーパーを見ると、上の方に「エッグマート」と印刷されたシールが貼られているのだ。つまり、エッグマートのレジでお金を払ったと言う印なのだ。

 エッグマート・・・・近所にはそんな名前のスーパーはない。
 たしか、三島の松本の交差点から三島駅に向かってしばらくいった処にあるのがエッグマートだと思うが・・・・、そこでワザワザ買い物をして、何故にこんな家の玄関先に置くのか。
 我が家の玄関は垣根の門を入って、庭を通らないと辿り付けない場所にあるので、外を通りがかった人が何気なく置いて、置き忘れていったとは考えることが出来ない。
 しかも、母に聞くと玄関横には陶器で出来たそこそこ重い傘たてが置いてあるのだが、それをワザワザずらして、そのスペースにトイレットペーパー12ロールを置いてあったと言うのだ。
 完璧に、玄関に置く!と言う意志があった上でトイレットペーパーを置いて行ったと言う感じなのだ。

 しかも、このエッグマートの場所を考えると、徒歩で、あるいはバスなどを乗り継いで行く様な場所にはない。完璧に自動車がある人、(あるいはエッグマートの近くに住んでいる人)が購入して、わざわざ車を運転してここまで来て玄関先にトイレットペーパーを置いていったとしか考えられない。

 いったい誰だ?


(追加/1997.10.29)
 結局、誰の仕業なのか判らないまま現在に至っています。
 心あたりのあるところには全て電話などをしてたのですが・・・。
 しかし、不気味なので使うワケにも、かといって捨てるワケにもいかず、そのまま保管してあります。

1997年10月18日(土曜日) 語学を勉強したいとか思ったりする昨今であったりするのだ
 なんと云うか、日本語は果てしなく流動的に壊れていくのかも知れない。
 「超」などと云うゲセワな文系がだんだん一般日常化されていく。
 僕なんかが普段使っている言葉の中にもきっと、10年前、20年前の人が聴いたら「あじゃぱー」なナンセンス語が隠れていて、あっと驚くタメ五郎なのかも知れない。

 そんな事もあって語学と云う物に興味があったりするのだ。
 と云いつつ、それ以外の事にも怒涛のごとく興味を持っているので、その夢を実現させる事は出来なかったりするのだ。
 数年前はNHK教育の実践中国語講座なんかを毎回見てた事もある(テキストまで買った)そんな変な人なのだ、私は。

 この日本で行われている外国語学習と言う物は凄い物があって、今から20年ほど前の話なのだが、その当時の大学で「ギリシャ語」と言う物を専攻している人がいた。
 その人は、そっち方面の悠久の歴史に興味があり「いつか一人旅するっす!」と青雲の志を抱いていたのだ。
 当時はまだ海外旅行は一代事業だった。その時にアメリカでもイギリスでもないギリシャなんかを目指すというのは無謀な冒険者だったのだ。
 で、その人はギリシャ語の講義のあるその大学を選んだ。
 そして必死に勉強をした。
 それと同時に必死にアルバイトをして旅費を貯め、ついにギリシャへと旅だったのだ。
 もうあっちに着いたら、あれもしたいこれもしたい、その土地に住んでいる人と話し合いたい。と思って出かけたのだ。

 が、その青雲の志はギリシャに到着した日から挫かれてしまったのだ。
 必死に勉強してきたギリシャ語がまったく通じなかったのだ。
 何故だ何故だ何故だぁぁぁぁぁ。と叫んでもほとんど通じない。
 そこで、その青年は初心に返ってギリシャ語を勉強しなおしたのだ。ギリシャに長期滞在をしながら。

 その結果、とんでもない事が判明してしまった。

 彼が大学で必死に勉強してきたギリシャ語というのは、実はギリシャが世界で一番パワーを持っていたと云われる紀元前5世紀の言葉だったのだ。
 アリストテレスやソクラテスの時代の言葉だという。
 それを日本の大学では現代のギリシャ語みたいな感じで教えていたのだ。

 うーむ。

 つまり海外の日本語学校で「源氏物語」「枕草子」なんかに書かれている物を、現代語として教えている様な物なのだな。
 突然、飛行機から降り立ったワケの判らない外人が「こわいかに、われのけたまえて、かなしゅうぞもののふけり」なんて云う様な物なのだ。いとおかし。

 これはかなり特殊な例かも知れないが、基本となる英語だってハッキリ云って70年代まで教えられてきた物は、明治時代に入ってきた英語の教科書に改訂を何度も加えた様なものだったりするのだ。
 あるいは戦後に入ってきた教科書も、アメリカの戦前の本を手本にしている為に文法的には古い言い回しばっかりだったのだ。
 日本だって戦前と戦後じゃかなり日本語が変わったでしょ?

 その手の事をちゃんと云われ始めたのが、1980年代の初頭だから・・・・

 ふと、ちゃんと語学を勉強したいななんて考えてしまうのだ。

1997年10月19日(日曜日) 「イメージの詩」浜田省吾
 浜田省吾が突然、吉田拓郎のデビュー当時の曲「イメージの詩」をカバーした。
 なんつーか、ほとんど短いメロディの繰り返して、延々と世の中がどーしたこーした、とブツクサ言っている曲なのだが、うーむ・・・・この曲をカバーするかぁぁぁ?って感じ。

 以前から、カバー曲と言うモノに関してはいろいろと思うことがある。
 音的な事はさておいて、この手のタイプの曲をカバーするって事の意義を考えてしまうのだ。なんせ、この曲は、音楽的に考えたら音楽ではない部分がメインなのだ。

 つまり、メッセージソングと言うヤツで、とりあえずメロディがあるが、それよりまず「云いたいこと」があって成り立っている曲なのだ。つまり、その曲を作った人の感情の高ぶりを押し付ける様な部分が形になっているのだ。
 だから、それをカバーするって云うのはある意味でナンセンス過ぎるような気がする。

 他人のメッセージソングを歌うって事は、おかしな事だと思う。確かに、その歌手に共鳴して「おぉ俺もそー思う」って云う感情を持つのは判るが、それを作品としてリリースするってのは、もう完璧に違うんじゃないかって気がしちゃうのだ。
 ときどき、新作でもメッセージ系の唄を歌っている本人じゃなく、外部の作詞家が造っているパターンのもあったりするけど、それってもうメッセージじゃないよなぁって気がする。

 そんなワケで、吉田拓郎も浜田省吾も好きだけど、このカバー曲は好きではありません。

1997年10月20日(月曜日) 「すみれセフテンバーラブ」シャズナ
 インディーズで活動を続けてきたシャズナと言うバンドが、メジャーデビュー2曲目で、一風堂がかつてヒットさせた「すみれセフテンバーラブ」をカバーした。
 そして売れている。

 はっきし言ってデビュー曲の「メルティラブ」を初めて聞いたとき「曲になっていない」と思った。何というか、メロディとアレンジのバランスがグシャグシャで、しかも曲の構成がガタガタって感じで、聞いていても楽しくなかった。(なんかヒットしちゃってるみたいだけど)
 まるで、そのファッションスタイルと同様に、8〜9年前のバンドブームの悪夢が蘇ってきた。

 で2曲目がこのカバー曲だ。
 話によると、2曲目をどーしようか?と言うときにディレクターが「こんな曲知っている?」と持ってきたのがこの曲で、気に入ってそのままシングルにした。との事なのだ。
 普通、インディーズで活動してて、メジャーデビューしたばっかりってそれまでのストックが山ほどあるんじゃないの?
 と、思うが、普通自分たちのストックの中で一番いいものを選ぶハズのデビュー曲があのレベルだから、残りは押して知るべしって事なのかもしれない。

 しかも、このカバー曲、イントロと間奏は新しい要素がいくらかあるが、それ以外の処は一風堂のオリジナルバージョンとたいして変わっていない。一番問題なのは、ボーカルが完璧に一風堂の土屋昌巳の物まねになっているってこと(声質同じって感じ・さらに歌い方まで)
うーむ。