杉村ぐうたら日記(1997年11月1日〜10日)

▲1997年11月1日:土曜日:目の保養
▲1997年11月2日:日曜日:似顔絵書きのブルース
▲1997年11月3日:月曜日:デジタルモンスター育児手帳(2)
▲1997年11月4日:火曜日:今年一番ヘビーな結婚とは
▲1997年11月5日:水曜日:ディーンRクーンツ『ウォッチャーズ』
▲1997年11月6日:木曜日:そんなバナナ
▲1997年11月7日:金曜日:運転中のグラタンコロッケバーガー禁止!
▲1997年11月8日:土曜日:時代は廻る
▲1997年11月9日:日曜日:続:デジタルモンスター育成日記
▲1997年11月10日:月曜日:文句を言えばキリがない
1997年11月1日(土曜日) 目の保養
 11月の1日の土曜日、柿田川の湧水公園に行って来た。
 元は我が家の母親がそこで行われている『みどり祭り』と言う、花や植木なんかの市を見たいと云う事から出かける事になったのだ。
 で、そこの駐車場に車を止めた処、そこでフリーマーケットが開催されていたのだ。そー云えば、確かここは毎月第一土曜・日曜はフリーマーケットが出るんだったなと思い出したのだ。
 ま、いわゆるプロのフリーマーケット師たちが店を出しているパターンなので、一般的な衣服メインのフリーマーケットとは違って、骨董品や、昔のオモチャなんてヤツもそこそこ出たりしているのだ。

 私はふ〜んとその店を覗き込みながら歩いていた。
 たしかに、古そうなミニカーとかもあるし、70年代のアイドルブロマイドやレコードもSP盤とか手動蓄音機なんかもある。
 とは云え昔ここで、古そうなミニカーをそこそこの値段(そんなに高くない)で買ったのだが、それから数日後、オモチャ屋に行ったらそれより安い値段で同じ物を売っていたと言う経験がある。

 たしかに、その当たりがフリーマーケットの楽しみの一つででもあって、逆に店側は知らなくても実はマニア垂涎の品などもあったりする。
 フリーマーケットではないが、以前中古品の専門店の片隅で今から10年以上前に2リットルのペットボトル2本買うと貰えると云う景品のコップが売られていた。そのコップの絵柄は全部で5種類あったのだが、なんとその5種類がセットになって売られていたのだ。(しかも箱入り)
 店側はただの景品の安物コップ5個セットと言う事で500円と言う値札を付けて売っていた。でレジの処で「このコップ汚れているから安くしてくれない?」と云うと、案の定この商品の価値をしらない店の人は「じゃ400円ね」と云ってくれたのだ。私は心の中でウシウシウシと笑いながら店を出てきたというワケなのだ。
 何故この景品コップがウシウシウシなのかと云うと、なんとこのコップの絵柄はかのスピルバーグの映画「ET」の公開記念のコップだったのだ。

 そんなワケで今回のフリーマーケットにも何か掘り出し物は無いか?と、ウロウロしていると凄い物を見つけてしまった。
 なんと『ピカソ』『梅原龍三郎』『東郷青児』と言う大画家の作品・・・・。

 『ピカソ』はお馴染みのパブロピカソなのだが、ピカソの作品中でも最も高価で評価されている、キュビズムが完成された時期の作品で、これがなんと30万円ぐらいの値段で出されていた。さすが掘り出し物の宝庫、フリーマーケットって感じ。
 『梅原龍三郎』と云ったら日本洋画壇の最高権威。今、日本の画壇はこの人の弟子で網羅されているって感じの本当に最高峰。
 『東郷青児』とは洋画の中でも美人画でもっとも評価が高く、人気も一番凄い人なのだ。

 そんな凄い人々の絵が、直射日光があたって、砂埃にまみれた場所で売っているなんて、凄い事なのだ(笑)  ハッキシ云って私はこの3人の絵は上野美術館なんかで見た事あるけれど、その時は1メートル以上離れた処から「ははは〜ぁ有り難い有り難い」と拝みながら拝観させて貰ったと言う経験しか無かったので、本当に10センチの距離で見れて感激だったなぁ。
 それで感じた事は、意外にこれらの作品って安い絵の具しか使っていないって感じがしたっす。梅原龍三郎なんかだったら岩絵の具とか使っていそうなのに・・・
 東郷青児やピカソが、まさか油絵の具ではなくリキテックス(プラスティック絵の具)を使っているとは思わなかったっす。・・・東郷青児が存命だった頃にすでにリキテックスがあったと言うのも新たな発見だったなぁ(笑)

 もしかしたら、そこにあった絵は『ピカン』『木毎原龍三郎』『東郷青1見』と言う作家の絵だったかも知れないけれど。

 いやぁ目の保養になったっす。

1997年11月2日(日曜日) 似顔絵書きのブルース
 先日「TVチャンピオン」と言う番組で『似顔絵』をテーマに争っていた。
 この似顔絵ってのは、同じ人物を書くのでも人によってぜーんぜん違ってしまうと言う事もあって楽しいのだ。
 その人が、対象になっている人物にどんな印象を、感情を持っているかというのが如実に出てしまったりする。

 実は私は、学生時代、この似顔絵で生計を立てていた事もあったりする。と云っても、毎日毎日ってワケではなく、週末にバイトとして似顔絵書きをして、月に最高で6万円ほど稼いだ事もある。

 そのバイトとはヤマハのピアノ教室に関係した仕事で、いわゆるピアノの即売場みたいな処に出かけていって、そこでピアノを御成約していただいた家のお子様の似顔絵をササッと書き上げると言う物だった。
 そのバイトが、1日1万円。今から15年ほど前の1万円ってヤツは、凄いものっすよ。
 しかも、このバイトの美味しい処は、まったくピアノを買う客がいない場合は1枚も書かなくても1万円だったりする。
 さらに、弁当も出る(これが豪華なんだ)
 さらに千葉とか群馬に出かけた時は、ビジネスホテル付き、さらに夕飯でステーキとかおごってもらってんの、うひゃー今でもお声が掛かったら出かけちゃうよんてな仕事だった。

 その本題の似顔絵ってのが、バイトを探していたヤマハの人が学校の先生の知り合いらしく、先生の推薦で出かけたわけだが、ハッキシ云って似顔絵なんてちゃんと書いた事はないっす。

 が、書いていく内に判った事なのだが、相手は全員子供。基本的に目を大きく、しかもおでこを大きめに配置すればそこそこ可愛くなると云うことなのだ。
 その上、髪型や目つき、鼻、口元と言うパーツを少し似せるだけでOKなのだ。
 ま、可愛く書けば怒る親はいないって事なのだな。

 このバイトで総計何枚ぐらい書いたか判らないけれど、たぶん100枚近く書いたと思う。
 その中の数枚には親に「サインを入れて下さい」なんて云われて「SUGIMURA」なんて入れたのもあるっす。
 あの当時(1981〜1982年)、幼稚園から小学校低学年だった子供は今、19〜23歳ぐらいか・・・。

 横浜桜木町周辺・群馬県高崎周辺・千葉県小山周辺・その他関東近郊に住んでいるそのぐらいの年齢の人で「ヤマハ」の色紙に書いてある似顔絵を持っている人は「杉村作」かもしれないので、大事にする様に (笑)
 サインを書いて無くても『○○○ちゃんへ』と云うのは全員書いてあるハズだから、字を見れば自分のはすぐ判るっす。

 価値が出るかもよ (笑)
1997年11月3日(月曜日) デジタルモンスター育児手帳(2)
 そんなワケで、先週の日曜日の午後2時過ぎに誕生したデジタルモンスターも、みごとに最悪パターンのナメクジモンスターに成長して、私の機械の中でもぞもぞと動き廻っている。
 そして、ほぼ同時刻に同じ条件で誕生させた丸ちゃんのデジタルモンスターと決戦の時を迎える事になったのだ。
 丸ちゃんに電話すると「昨日遊びにいったんだけど居なかったみたいだからさ」との事で、ちょうどチマ&ダイイちゃんと出かけている時だったらしい。で、しばらくすると丸ちゃんがやってきた。
 こまめでじっくり型の丸ちゃんらしくデジモンは見事に恐竜・ゴジラタイプに変身していた。もー一目見ただけで勝敗が決まってしまったような感じもするが、さっそく二人の機械をつなげて対戦をする事になったのだ。
 基本的には飛び道具を相手にぶつけてそのダメージで勝敗が決まるのだが、その間、何もする事もできずただその試合の成りゆきを見守るしかないのだ。つまり、作戦なんていう高等手段はどこにもなく思いっきりの肉弾戦なのだ。
 しかも成長したモンスターの種類によって飛び道具が決まっているらしく、丸ちゃんのゴジラはミサイルの様な形をしている。が、私のナメクジはなんと、どー見ても「ウンチ」を飛ばしているのだ。うーむ、防御率は別にしておいて、ウンチを投げてくる敵とは戦いたくないよなぁ

 が、結果は完璧にナメクジの負けでエネルギーがほぼ0になってしまった処で闘いを終了させたのだ。このまま戦っても死んでしまうのが見えていたので、ギリギリで闘いを辞めて治療モードに入ったのだ。とりあえず怪我は直して、食糧&プロテインを与えて睡眠モードにしていけばいいハズという事で、処置をした。
 その後、母親が近くで農業祭とかいうのをやっているから、花とか見たいってんで丸ちゃんと三人で出かけ、ついでに丹那にこの夏の終わりにできた「オラッチェ」と言う観光施設を見てきた。
 で、ついでに帰って来たときに「垣根の処の木が大きく成りすぎて電線に架かっているし、屋根にもかかりそうだから切りたい」と言う母の言葉により、突然造園仕事が始まってしまった。

 で、それも終了し「はぁぁぁ疲れた」と部屋に戻ってきてみると・・・・私のデジモンの中には目出たくお墓の絵が・・・・「あぁぁぁぁぁぁぁ」
 そんなワケで、哀しみもそこそこにリセットして次なるモンスターを誕生させたのだった。
 次こそ、ちゃんと育ててモンスターらしいモンスターに成長させるぞぉぉぉ!なんて思ったりするのだ。


 そんなワケで「一人前のモンスターを育てるぞ!」と決意した翌日、すっかり会社に持って行くのを忘れてしまったのだ。
 きっと空腹で死んでしまうんだろうなぁ
 なんて思っていたのだが、家に帰ったら帰ったで、すっかりデジモンの事を忘れて、再び思い出したのは翌日また会社でだった。
 うーむ、ほぼ2日、何も食べさせてやっていない。こりゃ確実に2匹目も殺してしまったな。

 が、意外としぶとくできているみたいで、ほぼ2日食事もせず、トレーニングもせず、それでもしっかりと4つ足モンスターに変身していた。
 うむむ。
1997年11月4日(火曜日) 今年一番ヘビーな結婚とは
 ま、芸能界の話題として今年一番ビックな結婚の話題と言えば、安室奈美恵&サムだろうなぁ
 と思うが、そんな話と全然違う次元で凄ぇなぁぁぁぁと思ってしまうのは、西村智美と元CHA-CHA西尾拓巳(←字しらん)の結婚だろうなぁ。
 なんつーか「西村智美」ってあたりがうひーって感じで、さらに「元CHA-CHA」ってあたりがうひゃーって感じで、さらに追い打ちをかけるような感じで二人を引き合わせたのが「さだまさし」ってのを聞いてうきょーって感じがしちゃうのだ。
 なんかねぇ、凄く「今」じゃない物の乱れ打ちって感じで、はっきり云って『悪夢の70年代四畳半フォーク優しさ世代のメルヘン&ポエジー』の世界がまだ現存していたかぁぁぁ!って感じなのだ。

 たとえばあの当時の少女漫画「陸奥A子」の作品みたいに、普段は眼鏡をかけていてクラスでも目立たないドジな私が通学途中でぶつかった長身の素敵な人に一目惚れして、その人が何と偶然に転校して自分のクラスにやってきたてな感じの、うひーうひーとジンマシンが出そうなくらいに痒い物語の結末を見せられている様な気がしちゃうのだ。
 メルヘン畑のドジな女の子と、現実味の無い白馬に乗った王子様の物語・・・だと、当事者の西村智美は思っているんじゃないのか?って気がしてしまう。

 西村智美って存在自体が怖いっす。
 確かに、現実社会にも「アニメ」や「メルヘン」に逃げ込もうとしている人はいたりします。が、普通の場合リアルな現実がまず存在していて、そこから「逃げる」と言う行為の為に、自覚したり無自覚だったりしつつ、そっち世界に浸ったりしているのだと思う。
 つまり、好きな世界を追求している時間以外で、学校の勉強をしたり、金を稼ぐために仕事をしなくてはいけない。とりあえずリアルで厳しい現実が存在していたりするのだ。
 が(あくまでも推測だが)西村智美の場合、そんな現実を見なくてすむ土壌があるんじゃないかと。ま、それなりに芸能界も大変だろうが。

 そんなこんなで、絵に描いた様な衝撃的なプロポーズ(しかもストイック)そして、純度100%のメルヘン結婚式・・・・・
 私は西村智美に関してはTVでちらっと見るだけで、あのインナーマインド系の思考回路でアニメネタを嬉々として話している姿にうんざり・げっそりするってのに、生活を共にするって西尾くんは凄い・・・・と言うのか、チャレンジャーと云うか・・・・。
 なんか1日中アニメ&漫画の事話していそう。普通の会話でも、たとえ話とか引用とか、全部そっち方面臭いし。デートで漫画喫茶に行って黙々と漫画を読みふけっていたとか言う話もあるし。

 そんでもって、きっと新婚家庭は怒涛のメルヘン状態かと思われるので、うげぇと思ってしまうのだ。

  (ま、他人の恋愛に文句を言うのもヤボだが、とにかく頑張ってね)

1997年11月5日(水曜日) ディーンRクーンツ『ウォッチャーズ』
ディーンRクーンツ『ウォッチャーズ(上・下)』文春文庫

 主人公トラヴィスが山の中で出逢ったゴールデンレトリバーは、人間に相当する知能を持っている事が徐々に判明していく。
 実はアメリカの秘密機関で遺伝子操作をして完成された知能を持った犬で、それを追いかけてくる邪悪な化け物「アウトサイダー」の存在と、アメリカ国家警察の存在が見えてくる。
 サスペンス的な色合いが濃い様に感じるかもしれないが、実に味わい深く染みる作品だった。

 登場してくる人々はそれぞれが、世間からはみ出して疎外感を感じつつ、しっかりと足を踏ん張ろうと努力をしている。いい人も、悪い人も、みんな孤独と戦っている。
 最後は畳み掛けるようなアクションが続くが、切なさで胸をえぐられるような孤独との闘いが描かれている。はたして、誰が悪だったのか?誰が傷ついていたのか?

 自分は世界でひとりぼっちだと感じた時に読んで欲しい作品です。
 本当に、ゴールデンレトリバーのアインシュタインを飼ってみたい(彼は飼われると言う概念は持っていないみたいだが)

1997年11月6日(木曜日) そんなバナナ
 なんか昨日のニュースで、どこだかの自衛隊の建物の中に野生の日本猿が入り込んで、捕獲しようと大騒ぎになったと言う、実にアットホームなヤツがあった。
 でもって、色々手を尽くしたんだけど、その中の作戦で「バナナ陽動作戦」と言うのがあった。
 つまり、猿の大好物のバナナを目の前にちらつかせて、それを取ろうと手を伸ばした処を捕獲しようという必殺喰い意地御間抜け大作戦なのだ。
 が、この猿はバナナに目もくれずに逃げ回っていたのだ。

 うーむ
 大昔に「現代用語の基礎的ではない知識」のバナナの項目にも書いたが、ハッキシ言って野生の日本猿の目の前にバナナを出しても、ヤツらはバナナが何であるかを知らないと思うぞ。

1997年11月7日(金曜日) 運転中のグラタンコロッケバーガー禁止!
 最近TVCMで盛んにマクドナルドのグラタンコロッケバーガーをやっているが、私は基本的にグラタンコロッケ系が好きだったりする。
 人によっては「えぇぇぇぇあんなネチョグチョのどこがいいのぉぉぉぉ」と意見されたりするが、好きになってしまったものはしょうがない。
 基本的にグラタンは好きなのだが、それに関連してその手の物が好きなのだ。
 グラタンコロッケというのは、ある意味邪道かもしれないが、好きな物に似ていると言う理由で好きになる事はよくあると思う。

 たとえばAと云う女の子が好きだったとしよう。
 その子は一般的に見ても「かわいい」と云われるタイプの子だとする。で、その子がどちらかというとアゴが尖っているのがポイントだったりする。
 で、次に好きになったのは基本的には可愛くないが、どことなく以前好きだったAと言う女の子とアゴのラインが似ていたりする。
 で、好きになったりする。
 周りから「なんであんなのがいいわけ?」と云われても、好きになっちゃったんだからしょうがない。
 この最初に好きになった対象と関連づけて次の物を好きになると云う状態の、激しくなった物を「フェチ」と云ったりするのだ。

 そーゆーワケで心情的にはグラタンコロッケを許せない私が、もっと許せないグラタンコロッケバーガーなのに、か・・・体が反応してしまうのだ(笑)

 で、先日さっそく会社帰りにドライブスルーで購入した。
 「うしうしうし」と微笑みつつ私はマクドナルドを後にした。

 で、家に着くのを待ちきれず、赤信号の時に袋の中からグラタンコロッケバーガーを取り出したのだ。
 で、発進と同時に「ぱくり」

・・・・・・・・・・・・・!うぎゃらがぉンげらっぱ!!!

 その瞬間、私の口の中にはコロモを破って飛び出してきた、熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱のグラタンが百鬼乱舞していたのだ。
 どはぁぁぁぁ!
 もう、説明も出来ないぐらいに熱いゲル状の物がどどどどどどと。
 このゲルってのは、熱を放散させないと言う性質を持っているのを化学の時間に習ったかと思いますが、そんな状態で表面はそこそこに冷めているように感じさせて、実は・・・と言う状態だったのだ。

 しかもその時、私は運転中。
 パニックになりつつも右手にはグラタンコロッケバーガー、左手にはハンドルを、そして心には安全運転(GOLD CARD)を。

 それから数日間、舌はヒリヒリとかなり悲惨な状況だったのだ。

1997年11月8日(土曜日) 時代は廻る
 友人に何人か小学生の子供を持つ者がいる。その彼らがクチを合わせて云うことは『ポケモン』には参った。と云うことなのだ。
 何が参ったのか?と言うと、ポケモンのキャラクターは全部で100を軽く越えている。
 その100を越えるキャラクターのカード・人形なんかがオモチャ屋に行くとどどどどどどどどどーんと並べられていたりするのだ。
 それがとにかく子供の物欲を刺激するらしい。

 今の処、ポケモンはゲームボーイで「赤」「青」「緑」と三種類発売されていて、それぞれのソフトに出現してくるモンスターが違ってくるらしいのだ。
 だから最終的にはソフトを三本買わなくてはならないし・・・・と云う事になっているのだが。
 噂ではさらにこの冬「金」「銀」の新ポケモンソフトも発売されるとかで、お子様を抱えている親たちは悲惨な事になっているのだ。

 ふと、過去を思い起こしてみるとこの子供向けの「コレクターブーム」はある程度同じ様な距離をおいて出現する様な気がする。

 1997年のポケモンに対して、それから約12年前の1985年〜1986年頃には「ビックリマンチョコ」と言うブームがあった。
 この時すでに大人になっていた私はさすがにブームを支えてはいなかったが、よくコンビニなんかに「次回は何日の何時頃入荷」みたいな書き込みを見かけた。
 店に並んだ瞬間に売り切れてしまうと言う凄さだったのだ。

 それより少し前には「きん肉まん消しゴム」と言うコレクション的ブームが起こったが、これは売り切れ店続出みたいな話はあまり聴かなかった。
 もともと、この消しゴムブームは70年代中期の「スーパーカー消しゴムブーム」から連綿と引き継がれてきた物だったのだ。
 ビックリマンチョコも実はブームになるまでに10年ぐらいの時間が経過していて、初代ビックリマンチョコは私が小学校高学年〜中学ぐらいに出現していた。
 その時もチョコ自体は同じ様なパフタイプの物だったが、おまけシールが名前のまんま「貼って驚かそう」と言うたわいもないギャグシールだったのだ。
 それが約10年後に何故か「ビックリマン」と言うキャラクターになって生まれ変わりヒットしたのだ。
 で、アニメにもなった。

 この子供相手の「コレクション系ブーム」の初っぱなは、それからさらに約12年前の1972年〜1973年頃の「仮面ライダーカード」のブームだったような気がする。
 カルビーから出ていたスナック菓子にカードが付いていて、と言う物だったのだがそれ以前もアニメなんかのキャラクターカード菓子は沢山出ていた。
 が、何故この仮面ライダースナックが受けたのか?と言うと、それはコレクター趣味をくすぐる仕掛けがされていたのだ。
 それまでのカードはただ写真や絵&裏面の解説と言う形だったのだが、このライダースナックカードにはナンバリングがされていたのだ。
 とにかくカードには番号が付けられていて、順番通りに並べて「これが足りない」とか判る様になっているのだ。
 でもって、子供たちは足りないナンバーのカードを交換したりした。
 しかも圧倒的に出にくいカードと言う設定までされていて、そのカード1枚と一般的なカード5枚と言うパターンの付加価値的トレードまで行われていたのだ。

 この仮面ライダーカードの時も、お菓子屋からカードをパクるガキも出現したり、金を不正な方法で入手したり事件が起こった。
 さらにPTAがクレームを付けたりして社会現象的に雑誌にも取り上げられた。
 確かビックリマンチョコの時も同様の騒ぎが起きた。

 凄くこじつけ臭いが、約12年毎の「コレクション系ブーム」と言うのはある種の法則性が隠されているのではないか?


*関係ないが、我が家には大昔のカセットテープのケースに、初代
 ビックリマンチョコシールを貼ってある物がいくつかある。
 実に地味で味わい深いレアアイテムでやんす (笑)

1997年11月9日(日曜日) 続:デジタルモンスター育成日記
 そんなワケで以前「デジモン」を買ったのだ。育てているのだ。と書いた。
 が、私は基本的に自由人なのだ、誰からも支配されない代わりに、誰をも支配しないのだ!と云うわけで、私には育成能力が欠落している。
 前回も書いたが、サボテンを枯らせてしまう男なのだ。

 だから、約3週間の間に何度デジモンを飢え死にさせたことか (笑)

 基本的に常に起きている間は世話をしなくてはいけないと言う事なので、音を消して会社に持って行かなくてはいけなかったりする。
 その為に「ウンチ出たぁ」とか「腹減ったぁ」なんてサインをぴーぴー云うハズなのだが、完璧に無視してしまうのだ。それどころか、土曜日曜の連休の時に、すっかり会社の机の引き出しに入れたまま帰ってきてしまったりするのだ。
 もー親としては失格なのだ。

 そんな私だが、これまでデジモンが死ぬ瞬間というのを体験していなかった。たとえば常に携帯していたとしても、思い出したようにポケットから取り出して見ると見事に「墓」の絵になっていたりする。
 なんせ音を消しているので気がつかないのだ。

 ところが昨日の晩は違かった。
 前々日に死んでしまったので早速(育てられないクセして)リセットして新たなデジモンを誕生させたのだ。で、そのままにしておいた。会社にも持っていくのを忘れた。
 とりあえず帰ってきてから、エサをあげた。が、それっきり忘れていた。
 そして昨日の夜、コンピュータのある部屋でゴソゴソと雑誌を片づけたりしていた時(最近ずっとこれだな)TVのある部屋から「ピィィィィィィィ!」と連続音がし始めたのだ。
 「なんだなんだ?」
 と私は音のする方向へ行くと、そのテーブルの上には甲高い音を発し続けるデジモンが・・・

 その「ピィィィ」音は、ミの音程で3秒、ファの音程で3秒、それを交互に繰り返しているのだ。
 「もしかして死んでしまうのか?」と思った私はあわてて、エサや治療をしようとボタンを押すのだが、その操作を一切受け付けないのだ。私の手の中ではデジモンが悲鳴のように音を発し続ける。

 ・・・と、突然音が止まり、液晶画面には私に取ってお馴染みの「墓」の絵が出現した。

 なんつーか、この死んだ瞬間に立ち会ったと言うのはかなり精神的にショックを受けるのだ。なんか可哀想な事をしてしまったのだと、バーチャルな生物に対して感情を持ってしまったりするのだ。
 今度こそは、と私は哀しみをこらえてリセットボタンを押した。

 が、結局、次の日、会社に持っていくのを忘れて完璧に空腹にさせてしまったりする私がここにいる。

1997年11月10日(月曜日) 文句を言えばキリがない
 土曜日ワールドカップ予選サッカーがとりあえず勝った。
 まだ、さらに戦って勝たなくてはフランスにいけないらしいが、とにかく土曜日の試合はかなり強力に一方的な勝ち方をしたらしい。

 で、月曜日会社でその話をしている同僚がいた。
「なんか、一方的に勝って面白く無い試合だったなぁ」

・・負ければブーブー、勝ってもブーブー、どーすりゃいいんだ?