杉村ぐうたら日記(1997年12月11日〜20日)

▲1997年12月11日:木曜日:80年代ってハズかしいよねぇ
▲1997年12月12日:金曜日:記録係の悲劇(1)
▲1997年12月13日:土曜日:記録係の悲劇(2)
▲1997年12月14日:日曜日:自粛・・・・・・って?
▲1997年12月15日:月曜日:紅白歌合戦の歌う順番が発表された
▲1997年12月16日:火曜日:ゲットだぜ!
▲1997年12月17日:水曜日:技術革新はいろいろ大変だ
▲1997年12月18日:木曜日:70年代って、そんな良い時代じゃなかったよ
▲1997年12月19日:金曜日:勘違いオバサンのアイドル?
▲1997年12月12日:土曜日:ポケモン事件関連・親切な先生
1997年12月11日(木曜日)80年代ってハズかしいよねぇ
 昨日、夜ラジオを聴いていた。
 女性がパーソナリティでシガスガオ(←だよね)と言う、今年デビューしたいわゆる遅れてきた渋谷系みたいな音を出す人がゲストだった。

 で、この二人は音楽的な趣味の話をしていて、どーも70年代のロック・フォーク・ソウル系がメッチャ好きらしい。なんか聞いていると無条件に「70年代っていいよねぇ」みたいな感じになっているのだ。
 私は「ふ〜ん、いわゆるここ数年の70年代リバイバルに乗った趣味っすね」みたいに聞いていたのだ。

 が、徐々に話が
「でも今80年代っぽい音を出している人ってドー思う?」
「あぁいわゆるニューロマとか、あの辺とかね」
「なんかね〜聞いてて痒くなっちゃうんだよねぇ」
「そうそう、懐かしいって気持ちはするけど、一番音楽的に言ったら80年代ってクソでしょ」
みたいな話をしていたのだ。
 ふ〜んそうなのか・・・・クソなのか・・・・。



 ここ20年以上に渡って現役で音楽を聴き続けてきたじじいから言わせて貰うと、80年代の中期には「70年代の音ってクソだよね」みたいな話は盛んにされていたぞ。
 例えば、今の音って「今だから聴ける」みたいな部分もあったりする。ま、普遍的にいい音楽ってのもあるんだけど、今流行っている音楽というのはそう言う要素があるのだ。
 きっと今、小室なんかを頑張って聞いている人だって、90年ぐらいの「ユーロビート」なんかを聞いたら痒くなるかもしれない。あるいは、例のマハラジャ系・ベルファーレ系を今あえて聞き直すと「うひーダサダサ」と思う人もいるかもしれない。ちょうど程良いくらいにダサくなっているっす。(私は元々ダサいと思っていたけど(笑))

 つまり、このラジオで喋っている二人はちょうど80年代を体現している世代で、それより少し前の70年代はほとんど覚えていない状態なワケっす。
 だから大きな声で「70年代の音楽ってカッコいいよね」と言えたりするのだと思う。



 私はあんまし大きな声では言えない (笑)
 80年代の頭の頃、私はそのフォークの時代の事をワザと持ち出して人前でやったりした。そうすると確実に受けるのだ
「ダッサーッ」と言う意味で。
 かの竹中直人の持ちネタで「中津川ジャンボリー君」と言うのがあるが、あれを一番最初に見たのが1982年頃。
 あの時代は「ダサい笑い」を取る持ちネタだったのだが、今はマジに格好良くなってしまった。
 うーむ、時代は廻っているのだ。

 ちょうど、僕が中学や高校の頃は、自分の知らなかった時代の「グループサウンズ」ってのをカッコいいと思っていたっていう酸っぱい過去もあるし・・・。

 だから、あと数年立つと本当に80年代の音がリバイバルとしてカッコよくなるのかもしれない。

▼訂正:シガスガオ様/1999.08.08
1997年12月12日(金曜日)記録係の悲劇(1)
 コカコーラの長野オリンピックキャンペーンで賞品にデジカメがあるので「当てるぞぉぉ」とか思って、コーヒーを飲んでシールを集めていたが、結局それより先に、直接デジカメを買ってしまった。
 これで、1眼レフ・ハーフカメラ・前時代的AFカメラ・APS対応カメラ、そしてデジカメと言うことになってしまった。(ついでにビデオカメラ[2台目]もあり)
 基本的に高級機は持っていないと言うのが特徴なのだが (笑)

 中学の時に、とにかく安い前時代的な半オートフォーカスみたいなカメラを手に入れてから(これの正式名称が判らないっす。後ろの窓から覗くと素通しの風景に、カメラのレンズからの画像がぼんやり映っていて、それを重ねるとピントが合うと言うタイプ)とにかく、今日に至るまで写真を取り続けて来た。
 途中、約1年ぐらい友人のニコンF1(だったっけ?)を借りて撮しまくった時期もあって「やっぱ、いいカメラはいいなぁ」とか思ったが、基本的に芸術作品を撮るつもりはなく、ひたすらスナップ写真専門なんで、機動力があるというのが最大のポイントになってしまうのだ。
 とにかく思いついた時に撮る!くだらなくても撮る!撮る撮る撮る!!!!

 と言うことで、我が家には山のように私の見てきた風景の歴史が残されている。まったくもって整理がついていない。

1997年12月13日(土曜日)記録係の悲劇(2)
 が、ひとつ問題があるのだ。

 それは先々週の日曜日「ちびまる子ちゃん」なんてのを久々に見たときに実感してしまったのだ。
 その回の話は、まる子ちゃんの親友たまちゃんのお父さんが主役だったのだが、このお父さんも趣味は写真でとにかく毎日の様に記念日だ!と言って写真を撮りまくっていたのだ。
 が、ある日呆然・愕然・唖然としてしまった

  『じ・・・・・自分が映っている写真がない』

 そーなのです、カメラが趣味の人間の基本的に陥る部分は「自分の写真がない」と言う事なのです。

 ハッキシ言って私のカメラなんつーのは、友人の家族の成長記録の為に存在しているのではないか?などと思ってしまう事がある。うーむこりゃ不味いぞ (笑)


 話は関係ない方に転がるが(いつもの事だが)その「ちびまる子ちゃん」の中で、たまちゃんのお父さんがカメラを持ってうっとりするシーンがあったのだが、そこで突然曲が流れて物語とはほとんど関係ないビデオクリップみたいな感じになった。

 で、驚いたのがそこで流れた曲がなんと、フリッパーズギターの2ndアルバム『カメラトーク』の中の『カメラ・カメラ・カメラ』と言う曲なのだ。うひー。
 もちろん、TV版のまる子ちゃんの脚本もさくらももこが書いていたりするので、完璧に趣味まるだし状態だと思うっす(主題歌を歌っているカヒミカリィはフリッパーズギターの関係者っす)
 しかし、特筆すべき点は、この回に掛かった「カメラ・カメラ・カメラ」が今まで聴いたことのないバージョンだったのだ。
 アレンジが凄くポップに変更されて、しかもTVサイズで1番のみでちゃんと終わった(フェイドアウトではなく)
 もしかして、これって小山田啓吾がワザワザ編集し直した?

 なんか噂だと、小沢健二とのケンカ状態も解消したという声も聞こえてきたんで・・・・。

 うーむ
▼追加:別バージョン/1999.08.08
1997年12月14日(日曜日)自粛・・・・・・って?
 なんでも、とあるPTAやら教育委員会だかの会議で「安室奈美恵」の話題が出たらしい。
 その内容は「結婚した時に妊娠3ヶ月などと言う事を、若者に最も人気があり注目され目標にされている人がやっては困る、自粛してもらいたい」と言う事だったらしい。

 自粛って・・・・どうすりゃいいの?
1997年12月15日(月曜日)紅白歌合戦の歌う順番が発表された
 しかし今時『紅白歌合戦』って番組のタイトルも凄すぎるよなぁ。まだNHKにおいては戦後は終わっていないって感じがしちゃうなぁ。
 ついでに、国民の娯楽が少なくて盆暮れ正月ってのが唯一の祭りの時期だった時代には、この手の番組も意味あったんだろうが今は年がら年中お祭りだし、普段からTVの中ではスペシャル番組やっているからなぁ。
 だが天下のHNKはこの紅白歌合戦を『国民の行事』と位置づけて、視聴率を取れないのはいけないことだ!無理してでも取るのだ!と、必死こいていたりするワケだ。
 なんツーか低視聴率になってきたと言っても「50%」とか取っていたりするんだよねぇ。

 その視聴率を稼ぐために、NHKも体裁なんか取り繕っている場合じゃない!とか思ってんだろうな、なんせ今回ポケモンのキャラクターが出演する予定だったらしいのだ。(例の事件でその話は無くなった)以前のNHKだったら、にこにこぷんのキャラクターあたりを出していたんだろうが(今は別の番組になっているけど)  今現在、民放でヒット放映中のアニメのキャラクターを出すってのは、NHKの焦りがよく感じ取れるっす。



 しかし、それ以上に出演者関連の話は色々苦労しているよなぁって気がしちゃうのだ。
 なんと言っても今回の目玉は、この出演を期に1年間の産休に入る安室奈美恵っすね。しかも、最後の最後のトリとして歌を歌うってんだから凄ぇや。
 さらに、対戦の相手が五木ひろしだってんだから、もー無理矢理最後に入れたって感じがしちゃうわけだ。
 この紅白の出演者ってのは実にバランスを計算して決定されていて、白組が新人演歌歌手だったら紅組も・・・と言う感じになっている。アイドル歌手にはアイドル歌手と言う風に。
 だから、突然飛び抜けた形で安室奈美恵がトリに成ってしまったワケで、それじゃ本来なら対戦すべき白組は・・・・
あるいは、本来ならば五木ひろしと張り合える紅組歌手は・・・・と、出演者を見ていくと、どーもチグハグな対戦がありました。

『白組:X−JAPAN』VS『紅組:小林幸子』

 これあたりが完璧に、急遽トリを安室奈美恵にして話題を作ろうとしたNHKの被害者って気がしちゃう。
 ま、派手派手対決って事でお似合いかも知れないけど。

1997年12月16日(火曜日)ゲットだぜ!

 なんて書いている場合じゃないよなぁ。

 16日放送のアニメ「ぽけっとモンスター」でピカチューの電気攻撃シーンでビカビカ光る効果として、白と黒・赤と青をかなり細かい感覚で反転させたのを約5秒ほど点滅させたのを見た日本全国のお子さん500人以上が頭痛・シビレ・吐き気をもよおしたっつーのは凄いっす。
 確かに激しい画面展開などの編集法によって、ストレスを感じて体調不良を引き起こすと言うのは前から言われていて、私もどっちかと言うとその手の「ただ派手」な演出は苦手なクチだったりする。
 いわゆるディスコなどで曲に合わせてフラッシュ系ライトが点滅したりするのは、思いっきりどっと疲れてしまったりする。
 苦手な場合はその場から避難すればいいのだろうが、今回のポケモンの場合は相手が子供というのがあって、子供は1つの事に集中してしまうと他の事が見えなくなる。
 つまり、体調が・・・とか言うのも、TV画面を見ている瞬間にはあまり考えない。大人だったら「なんか気分悪い」とか思ったりして目をそらしたり出来るのだろうが、子供は限界までいってしまう。
 子供は一度に二つの事が出来ない。TVを見ている最中には、他の事が完璧に疎かになってしまうのだ。
 極端な例を言うと、食事の最中に寝てしまうと言うのもある。あれは食事をする、と言う行為に集中して、クチに食物を運ぶ・噛む・呑み込む、さらに胃が食物を関知して消化を始める。と言う一連の行動に神経が集中するために「起きている」と言う神経が疎かになってしまうのだ。
 大人でも食べた後は眠くなる。と言うのは同じ理由だったりする。
 さらに以前はあまりその手の事件が起こらなかったのに(同じ様な演出はあったハズだが)今回起こってしまったのは、一般家庭で大型TVが当たり前になってしまったからに違いない。
 が、一般家庭はそんなに広くないし、子供はすぐ近くで見たがる。
 その結果、視界には画面しか映らないのだ。
 そんなワケで元々テンカン気質をもっていた子供が事故にあってしまったのだと思うが、危ない事件なのだ。



 実は僕もそれに似た経験がある。
 今から5年ぐらい前、スーパーファミコンの「マリオカート」が発売になった時の話。
 ちょうど仕事がムチャクチャ忙しくて、毎日深夜まで残業をして、家に帰るが3時、会社に出かけるのが6時半、月の残業があたりまえのように140時間を超えていた時の事だった。それでも、情報で「マリオカート」ってのが面白いらしいと聴いていた僕は、そのソフトを手に入れたのだ。
 が、とうぜんの事ながらやっている時間なんてどこにもない。家へは完璧に寝るためだけに帰る毎日だった。
 そんな生活を続けていたある日、土曜日の休日出勤も結局深夜4時までかかってしまい、ボロボロな状態で家へ帰ってきた。あ〜ぁ、明日の日曜日は思いっきり寝ることが出来るぞぉぉぉ(そのころ日曜も当たり前の様に出勤していたので、ひさびさの休日だった)と、ベッドに潜り込んだのだが、どーにも眠り付けない。いわゆる疲れすぎて眠れないと言う状態になってしまったのだ。
 それまでだったら、眠れない時には本を読む。と言う生活をしていたのだが、ハッキシ言って精神的にもボロボロで本を読んでも頭の中に物語が入っていかないのは目に見えていた。
 で、「そー言えばマリオカートを買ったけどまだやっていないや」と思い出したのだ。買ってパッケージをあけて・・・それだけで、本当にまだ1度も遊んでいなかった。
 と、やり始めたのだ。
 それまでのレースゲームと違ってかなり遊びの部分が多く、カートも背景も派手な動きをするのだ。しかも画面を分断して同時に複数のモニターが別々の動きをしていた。
 確かにゲームとしてはよく出来ていて、初心者の自分でもそこそこ遊べて「後少しで勝てるかも」と言うレベル設定がされていた。おかげで、眠い・疲れていると思いつつも徐々にゲームに熱中している自分がそこにいたのだ。
 「あと少しで勝てるのに」と言う白熱のレースを3回ほど経験して、なんとなくコツが見えてきた4周目のレースでその事件が起こった。
 自分の操るキノピオ(←確かこんな名前)のカートが、1位を走ってるマリオをあと少しで追い抜くことが出来るかもしれない!!!!と言う時だった。
 ふとTV画面と自分の距離感覚が曖昧になって、上下の感覚がおかしくなり始めたのだ。いわゆる貧血で倒れる直前の様な、三半規管が機能していない状態なのだ。
 うわぁぁぁぁぁぁぁと思う反面「あと少しで抜ける!」と言う気持ちで、ふんばり続けてレースを展開していった。TV画面がすぐ目の前に迫ってくる様な、あるいは逆に凄く遠くにあるような、自分の体がふらふら前後左右に揺れているような、そして耳からは音が遠ざかっていく変な感じが、さらに酷くなり・・・・・・。

 「うわあああああああああああああああああああぁ!」

 次の瞬間、僕はコントローラーをほおり投げていた。しばらくの後、音が蘇りTVの中では3位までが決まっていた。
 ハッキシ言って、元々乗り物酔いなどを子供の頃よくしていた僕は三半規管が弱いのかもしれないが、それプラス徹夜による極度な疲労が重なった原因だと思う。
 それ以降は、どんな体調が万全の時でもその時の記憶がある為なのか、マリオカートをやり始めると気分が悪くなってしまうのだ。

 それと同じように今回、事件に遭遇してしまった子供たちの中にはトラウマ(後遺症的心因外傷)が残って、ピカチューを見る度に恐怖が蘇ってくるのかもしれない。
 友人の奥さんには高校の頃に見た映画「エレファントマン」の恐怖の為に、象が嫌いになったと言う人も居たりする。

 しかし問題は、ピカチューを放映している側だよなぁ
 この先、超人気作品の「ポケモン」をどの様にしていくのか?放映は続けるのか?と言う問題や、クリスマス直前のこの時期にこんな事態になってしまって、それがどう影響するのか?凄い経済的な問題がからんで来るかもしれないっす。

 ついでに読売新聞の夕刊にあった「よみうり寸評」では以下のように開設されていた。
 なんと云いますか、マックスにパニクった・・・・何故わざわざ「若者ことば」を借りる? ついでに「びびって、あせった」って、アータ、必要ないっすよ、若者ことばとやらは。
 確かに事件では高校生ぐらいの人も同じ症状で病院にいったらしいが、基本はお子さまだから「若者ことば」よりもって年齢層は低いのだ。
 その辺の「とりあえずコラムに今っぽさを出してみました。いかがでしょうか」みたいなサービスはいらんちゅーねん。
 しかし、最初の頃のニュースでは「光過敏性癲癇症」って云っていたのに、後のニュースになったら「光過敏症」って名前になっていた。
 「てんかん」って差別用語なのかな?以前も筒井康隆が「てんかん」と言う言葉で、その辺の団体ともめて、一時的に断筆宣言した事もあったけれど。


▼PS:商売人
1997年12月17日(水曜日)技術革新はいろいろ大変だ。
 先日、某カメラ屋の店員さんと話をしていた時に出た話題っす。
 最近のデジタル化の波は確実にリアルにカメラ屋にも押し寄せてきている。それに対応できない古くからの職人的なカメラ屋さんには、ひじょーに厳しい時代になってしまったなぁと言う事なのだ。
 それまではカメラ屋と言うと、基本的にカチッとした機械的な機械を相手にしてきた職業で、フィルムだって目で見て納得できる世界の物だった。
 それが今や、基盤が入って、あとはワケの解らないメモリーやら謎の小袋やらが入った物が中心になり、開けても判からねぇや、しかもフロッピーやらデジタルデータとなっちまった日にゃ、なんたるちーやのサンタールチーアなのだ。

 昔はカメラを海に落としてしまった場合は、水をビニール袋に入れてそのまま持ってきて欲しいとかあったが、今となっては『水に入ったらおしまいでしょ』と言う時代なのだ。

 うーむ、その上、最近のデジカメなんてことを考えると、カメラ屋は何をすればいいのだぁぁぁぁ!と言う部分もでてきてしまうのだ。
 私の様に、とにかく下らない意味のないスナップ写真をバシバシ撮る様な人は、4万円のデジタルカメラだってすぐ元が取れてしまうのだ。なんつったって、カメラを買ったらあとはFDや、MOの様な安価な保存媒体が有ればバシバシ行けてしまうのだ。
 ま、本来はデジカメじゃなかったら撮らない様な写真をいっぱい撮っているけど、既に買って1週間で200枚ぐらい撮っている。そー考えると36枚撮りフィルムを5本以上使った計算になる。
 このペースで行くと、すぐに元は取れてしまう計算になるのだ。



 うーむ、カメラ屋は有る意味「商売上がったりだぃ」なのだな。
 私はちゃんとフィルムで撮って印画紙に定着させる写真も大好きなので、そっちも同時進行になっているのだが。
 デジタルとアナログはまったく別物っすね。

 しかし、こんなペースで写真をとり続けている人が世の中にはいっぱいいると思うが、そこで問題なのは「写真って自分のじゃなくても捨てにくいよね」と言う事なのだ、私がこのままのペースで、大じじいになるまで写真をとり続け死んだとする。
 そこには私がこの時代を生きていたという証が大量に残されているのだ。本当に大量に。そんな状態を次の世代も、さらに次の世代もが延々と続けた時、普通の家庭の写真保管状況はどうなっているのだろうか?
 うーむ、私より以前の人はあんまし写真がないと思うので、私たちあたりから始まる問題かもしれない。

 そんなワケでデジタルもいいけど、アナログもね。って事なのだ。
1997年12月18日(木曜日)70年代って、そんな良い時代じゃなかったよ
 ま、ここ数年70年代のリバイバルが色々な事柄に押し寄せてきているワケですが、実際に70年代を自覚して生きてきた人間から言わしてもらうと、そーんなにいい時代でもなかったし、思い入れが深くなるような特別な時代ではなかったと思う。

 そんなこんなでラジオを聴いていたら、最近デビューした若手アーティストが70年代の事を熱く語っていた。なんか、最近そんなシーンに出くわす事が多いっす。
 なんでもそのグループは学生時代の付き合いで、学生時代(たぶん2〜3年前の話)に大学で『70年代研究会』みたいなサークルに入っていた。とか言っているのだ。
 それだけで「うわ〜ぁ勘弁してくれぇ」とか思ってしまうのだな。

 自分も高校時代ぐらいから、自分より前の世代の60年代のファッションや音楽に凄く興味があったが、サークル的な物に入ってワイワイやるのは好きではなかった。

 そんなワケで、その70年代に詳しいと自称するその若手アーティストが色々話をしていた中で「おいおい」と思ってしまった事があった。

 70年代は流行語なども、今と少し語感が違う物が多くて面白いと言う「言語体系」からの考察をしていた。
 「たとえばゲバ棒なんてワケの判らない言葉もあったでしょ」
 「あったあった (笑) あれってただの棒でしょ?」
 「そうそう、機動隊と戦う時なんかに使う棒なんだけど、それにゲバ
  棒なんて名前を付けちゃってんだよ」
 「ゲバゲバ90分とかってTV番組もあったでしょ」
 「 (笑) そう伝説のお笑い番組だよねぇ。あと知らないかも知れない
  けど「やめれケーレやめてケーレゲバゲバァなんて曲も流行ったん
  だよ」
 「なにそれ? (笑)」

 と言う風に「ゲバ棒」の語感の面白さに触れて話を展開させていっていたが・・・・元々の『ゲバ』の意味を知らないと言うか・・・存在自体を知らないのか?


 ゲバルト(ドイツ語:GEWALT)
  学生運動での直接行動を差す言葉で、ドイツの労働者紛争から
  起こった言葉。

 だから語感が面白いから使った言葉じゃなくてちゃんと意味があるの。
 あと「ゲバ」で押さえておかなきゃいけないのは、ジョージ秋山のマンガ『銭ゲバ』っす。

 『ゲバラ焼き肉のたれ』は関係ない。
1997年12月19日(金曜日)勘違いオバサンのアイドル?
 来年『エルトンジョン&ビリージョエル』のジョイントコンサートが日本で開催される。
 このジョイントは数年前からアメリカやヨーロッパで数回に渡って開催されてきたものだが、ついに日本でも開催される。

 が、問題は今の現状では「ダイアナ妃の追悼歌を歌ったエルトンジョン」と言う認識の元、どんなに高い値段でも見たいざーます、と言う成金オバサンが大挙して押し掛けるのでは?と言う事のなのだ。
 もーほとんど「フリオイグレシアス」やら「3大テノール:ドミンゴ・パバロッティ・カレーラス」状態。

 なんかイヤだなぁ
1997年12月20日(土曜日)ポケモン事件関連・親切な先生

>「1997.12.16放映のポケモンビデオ売ります」
>なんてのが、そこそこ高値で出てんじゃないのかなぁ

 いやぁ世の中には、こんな貴重なフィルムをただで見せてくれる偉い人もいたりする。しかもそれが学校の先生だったりするのだ。

 とある小学校の先生がTVの見方などの教育指導の教材として、この日のポケモンを録画した物を授業中に生徒に見せたと言う事件が発生!
 問題のシーンでは画面の半分近くを手で覆っていたらしいが、それでも神経質な子供に取っては「これがあの問題になった・・・」と言う事で、刺激はあったと思う。

 いやぁ軽率な先生ってファンキーだよね。