杉村ぐうたら日記(1998年1月11日〜20日)

▲1998年1月11日:日曜日:写真反転の悲劇(1)
▲1998年1月12日:月曜日:写真反転の悲劇(2)
▲1998年1月13日:火曜日:ファンキーでアートな落書き(1)
▲1998年1月14日:水曜日:ファンキーでアートな落書き(2)
▲1998年1月15日:木曜日:ファンキーでアートな落書き(3)
▲1998年1月16日:金曜日:ファンキーでアートな落書き(4)
▲1998年1月17日:土曜日:ファンキーでアートな落書き(5)
▲1998年1月18日:日曜日:進化する宇宙人(1)
▲1998年1月19日:月曜日:進化する宇宙人(2)
▲1998年1月20日:火曜日:歴史を調べていると....
1998年1月11日(日曜日)写真反転の悲劇(1)
 ときどき雑誌なんかを読んでいてそこに使用されている写真が「これって左右逆だろ?」と言う物にぶつかる場合がある。
 それを「反転」と言うのだが、通常の出版のお約束としては「事故」と言う事になって、始末書を書かなくてはいけなくなったりするのだ。
 それでもレイアウトの仕様上ワザと反転を希望したりする編集の人もいたりする。そーゆー編集の人ってのは多くの場合が素人が「冷やし中華はじめました」ぐらいの軽い気持ちで「編集はじめました」って事が多い。

 で、前にも書いたけど「専門学校ガイド」と言うのを現在制作中だったりする。「おいおい今さら遅いんじゃねぇの?」って言う人もいるかも知れないが、これは来年の為のガイドなのだ。だから基本的には3月末日までに、って具合の本だったりする。
 だからタイトルが「東京専門学校ガイド99」となっている。
 もちろん「99」ってのは99校が掲載されているって事ではなく、当然お笑いのナインティーンナインが出ているワケでなく、1999年のガイドなのだ。
 ここで編集したページをそれぞれの専門学校の入学案内事務局なんかに送って「ここをこう直して・・・」などと赤字が入ってくると言う作業をしているのだが、基本的に相手は素人。
 とにかく無理難題を押し付けてきて辟易したりする事も多い。

(続く)
1998年1月12日(月曜日)写真反転の悲劇(2)
 で、今回冒頭にも書いた「写真反転」が出てきたのだ。
 まぁ写真反転ぐらいなら、ちょちょいのちょいで簡単に出来るのだが、問題はその中の写真だった。写真は本棚から一冊の辞書を取り出そうとしている可愛いお姉ちゃんが写っている物だったのだが、その写真の向きが気に入らないらしく、赤字で「写真反転して使用のこと」と書かれていた。
 うむうむ、と私はあくまでもサラリーマンっす。言われた事は素直に従うざんす。と写真を反転させた。

 ま、普通に見たら何という事もない写真なのだ。
 が、私はその写真を見てうーむと思ってしまったのであります。

 まずその写真に写っているお姉ちゃんは最初、右手の薬指に指輪をしていたのだが、反転した為に結婚しているって事になってしまったのだ。
 ま、学生結婚もあるからそれはそれでいいだろう。
 が、さらによく見ると服のボタンの向きが男物なのだな。
 うーむ、観察力があって考えすぎの人が見たら「この学校には結婚している綺麗なオカマがいるのか?」などと思ってしまう。

 なんて、誰も思わねぇよ (笑)

1998年1月13日(火曜日)ファンキーでアートな落書き(1)
 日本に於ける落書きと言うと代表的な物に暴走族のスプレーと言うのがある。
 最近はニューヨークの地下街やサウスブロンクスの真似をして、一生懸命アートっぽい落書きをしようと努力している自称ヒップホップな連中もいたりするが、所詮そんなの真似でしかなく、クリエイティブな世界とはほど遠いお子様の遊びに終わっている。

 その点、暴走族のスプレー書きの清々しいまでに簡潔明瞭な自己主張のほとばしりというのは、古典的な「おせん泣かすな馬肥やせ」とか「始めチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いても蓋取るな」と言う、短い文章で世界観を完結させる俳句的なワビサビを感じさせてくれる物なのだ。
 あれ辺りはもう日本固有の風景として世間一般は認知していたりする。昨今はあのタイプの暴走族も減少しているのか、あまり遭遇する事も無くなったんで、日本古来の風物を無くすな!と環境団体が立ち上がってもいいのかもしれない。

1998年1月14日(水曜日)ファンキーでアートな落書き(2)
 そんな事を思ったりする初春だったのだが、以前会社の通勤途上で見かけた暴走族のスプレー書きは、ある種の感動を誘う物だった。
 緩やかな右カーブが続くガードレール、つまりちょうど目に付きやすい所にその暴走族が書いた文字が赤く踊っていた。
 暴走族の名は・・・・・・・・もし関係者がいて「バローぉぉぉネタにすんじゃねぇぇぇぇ!」と怒鳴り込んで来たら恐いので伏せますが(←弱気)東◎連合と言う静岡東部ではそこそこ有名なグループの名前がそこには書かれていた・・・・が、よく見ると

『◎静連合 待攻隊 参上!』


 ま、確かに「特」と「待」の字は似ているからねぇ間違えてもしょうがないよねぇ。
 なんつーか、義務教育は大切だねぇなんて痛感したワケで。
 いやはや、あの道はそこそこ車の通行量も多く、しかもそこは帰り道のコースでいつも薄暗い時に通っていたんで写真を撮らなかった事を悔やんでいるっす。

1998年1月15日(木曜日)ファンキーでアートな落書き(3)
 それ以外で感動したスプレー書きと言うと、日大通りを南に向かって進み、三叉を右に行った所に、今からもう10年ぐらい前に書いてあった物。
 力任せに大きな字で壁に
「どいつもこいつもふざけやがって」
と書かれていた落書きも、かなり情熱のほとばしりを感じさせてジーンと来てしまったっす。

 暴走族=ロックンロール

 と言う関連性の中で「大人は汚い」「大人は判ってくれない」「つまらない大人にはなりたくない」と言うキーワードを全て集結させた言葉の様な気がしちゃうのだ。
 苦悩の末にその若者が見つけだした結論は「どいつもこいつもふざけやがって」だったのだろうなぁと、私は感動してしまったのだ。
 ハングリーライクザウルフなのだなぁ
 80年代中期から暴走族やヤンキーの音楽が、グリース&皮ジャンのスリーコードロックンロールから軟弱なユーロビートに移り変わってしまった時代の過渡期に、最後の怒れる若者「アンファンテリブル」が自己存在証明として書き殴ったのだろうなぁ
 メッセージ(と言っても甘えだけどさ)あふれるロックンロールの時代から、メッセージなんか全然感じないユーロビートの時代への警鐘だったのかもしれない。

 もっともユーロビートが、暴走族やヤンキーなどの世間からはみ出した連中に大いに支持された裏側には「メッセージへの拒否」あるいは逆に「メッセージへのあきらめ」があるのかもしれない。
 もう片方では「何も考えずに聴けるから楽」と言うのがあるからかも知れないけど。

  思いっきり話はハズれてしまったのだ。

1998年1月16日(金曜日)ファンキーでアートな落書き(4)
 暴走族に敵対する落書きと言うので胸を熱くさせてくれたのは、5〜6年前に東名のサービスエリア(海老名か?)のトイレで見た物。
 個室に入って座った時、視界に異様な物が映った。と、それを見ると壁にボールペンで細かい字がびっしりと書き込まれていたのだ。
 その内容は

「暴走族のヤツらのくそったれめ!何の権利があってあんなに偉そうにしてやがんだ。てめぇらは社会のくずの寄せ集めなんだから、隅の方でじっと大人しくしていりゃいいんだ・・・」

 と言う内容の、暴走族に対しての意見が延々と書き込まれていた。

 その文面を読み込んでも、その作者が暴走族にどの様な仕打ちを受けたのかは判断できないのだが、とにかく怨念がこもっているような落書きだった。

 以上の「待攻隊」「ふざけやがって」「暴走族のヤツラ」と言うのが、私が体験した落書きベスト3だったのだ。

 が、今日新たな落書きを発見してしまったのだ。
1998年1月17日(土曜日)ファンキーでアートな落書き(5)
 その落書きの場所は、会社の駐車場のすぐそばだった。
 昼休みに、ふと思い立ってブラブラと散歩を始めたのだ。会社に通い初めて随分経つが、ハッキシ言って会社の周囲に何があるのか?なんて事は全然知らなかったのだ。近くに店らしきものも1店しかないので、結局凄く狭い範囲で日々を過ごして来たのだ。
 そんな中、デジカメなんかを買ったついでにあちこちを写しまくって歩いていたりするのだ。

 で、その駐車場の近くの小道を入った瞬間に私は思わず息を呑み込んでしまった。そこの壁には場に不似合いなのか、似合っているのか判断に苦しむ様な落書きがされていたのだ。
 落書きのスタイルはおなじみ暴走族のスプレーで、色は渋く茶色。字も相変わらず稚拙な感じで、さらにスプレー特有の文字のハネの部分が流れた形の字だった。その字で力強く4文字


『青 江 三 奈』

 うーむ・・・伊勢佐木町ブルース、アッハ〜ァンって、一体どんな意味がココには隠されているのだろうか?
 それとも「メッセージの無い時代への警鐘」なのだろうか?

 考えすぎ

1998年1月18日(日曜日)進化する宇宙人(1)
 なんつーか、胡散臭いミステリーネタってのはいつの時代になっても、お子様のハートをガッチリつかんで商売になるのだな。

 昔から多くある「雪男」「つちのこ」「ネッシー」系のネタってのは、かなり地域限定だし、その上地球上にそんなに目立つ未発見の生命がいるってことは皆無に等しいってのが、子供にも判ってしまったのか減少しているのかもしれない。
 その点、まだまだ大丈夫なのが「幽霊・妖怪」と「宇宙人」のネタ なのだ。
 なんせ最初っから現実の世界の話ではないので「無い」とは断言できない様な部分がある。

 が、宇宙人に関してはなかなか興味深いのが、年代によって目撃された宇宙人のスタイルが変わっていると言う事なのだ。

 アダムスキーっておっさんが俗に言う「アダムスキー型」UFOを見た!と言った途端に、それまで葉巻型UFOが主流だったのに、どれもこれも「アダムスキー型」になってしまったり。
 映画「未知との遭遇」がヒットした途端に、目撃されるUFOが全体から光を発して輪郭があやふやな物になってしまったり。

1998年1月19日(月曜日)進化する宇宙人(2)
 60年代頃から地上に降り立った宇宙人や、UFO内で宇宙人が目撃される様になった頃は、ヘルメットをかぶった様な大柄な体つき・・・あえて言えばアポロの船員をほうふつとさせるスタイルだった。
(いやぁ時代を反映しているねぇ)

 70年代になると、その頃公開された映画「地球に落ちてきた男」みたいに、金髪の美男子でと言うスタイルが多くなった。

 80年代になると、映画「未知との遭遇」に見られたような小型で目の大きな宇宙人が多数目撃される様になる(激しい光もセットで)

 90年代初期は、80年代の応用編で「グレイ」と呼ばれる小型の目の大きな宇宙人が目撃される事が多くなる。

 きっとこれからは「インディペンデンスディ」や「メンインブラック」みたいな、触手を持ったグロな宇宙人が増えるのかな?

 やっぱし、宇宙人を目撃する人も、その時その時のトレンドってものをちゃんと把握して「今、目撃される宇宙人・UFOはこれだ!」ってのを押さえておかなきゃダメだよ。
 今さら「アダムスキー型UFOから、宇宙服を着た巨大な宇宙人が出てきた」なんて言っても信じて貰えないからさ。
1998年1月20日(火曜日)歴史を調べていると
 最近、歴史的でない歴史の書物を読むのが好きっす。(←マイブームっすか?(笑))
 つまり歴史の教科書的でない、過去の生活や細かい事件なんかのスクラップ的な本のことですが、その中で1902年にアメリカへ相撲が日米友好を考えて巡業に巡業に行こうとした時の事、政府からストップがかかったそうです。

 その理由が「太った男同士が裸で抱き合ってやる試合は国辱的なため」だって・・・いひー今や「国技」とか言って偉そうにしてるけど、たった100年前はそんなものか(笑)

 あと、同じ頃、警視庁による条令で「ほおかむり禁止令」と言うワケの解らない条令なんかあったりする。

 うーむ、なかなかに面白いのだ。