< 杉村ぐうたら日記(1998年1月21日〜31日)

▲1998年1月21日:水曜日:発掘調査・・・・じゃねぇだろ
▲1998年1月22日:木曜日:黒服のイニシャルトーク・・・・
▲1998年1月23日:金曜日:絶対に綺麗になってやる!(1)
▲1998年1月24日:土曜日:絶対に綺麗になってやる!(2)
▲1998年1月25日:日曜日:訃報 景山民夫氏死去(1)
▲1998年1月26日:月曜日:訃報 景山民夫氏死去(2)
▲1998年1月27日:火曜日:訃報 景山民夫氏死去(3)
▲1998年1月28日:水曜日:訃報 景山民夫氏死去(4)
▲1998年1月29日:木曜日:石ノ森章太郎氏・死去(1)
▲1998年1月30日:金曜日:石ノ森章太郎氏・死去(2)
▲1998年1月31日:土曜日:新漫画雑誌創刊『スピードコミック』

1998年1月21日(水曜日)発掘調査・・・・じゃねぇだろ
 芸能人過去の仕事発掘雑誌はいまだに出続けている。
 もうあらかためぼしいヤツは発掘されまくってしまった感もあって、最近のその手の雑誌をコンビニでぱらぱらめくると「●●●子ちゃんのキャンペーンガール時代の写真発掘!」とか書かれている、そこで話題にされている●●●子ちゃん自体がまだマイナーアイドルって場合もあったりする。
 うーむ、そりゃ発掘以前の問題だよなぁ

  あと、今が旬のアイドルの中学校時代のスナップ写真発掘!なんてのは、ただたんに元同級生が金目当てで雑誌社に写真を売ったってだけの話だよなぁ

 そんな中で某誌の発掘には「うーーーーーーむ」と約5秒考え込んでしまったのだ。

 『酒井法子のアイドル時代のスナップ写真発掘!』

 それでいいのか?
1998年1月22日(木曜日)黒服のイニシャルトーク・・・・
 某雑誌にコラムあつかいで「黒服のイニシャルトーク」ってなコーナーがある。でもって、六本木あたりのクラブで見かけた芸能人の御乱行の様子をわかりやすいイニシャルでお話してくれる。
 なーんかね、黒服がしたり顔で芸能関係を・・・って凄く80年代の業界人ごっこ(秋元康・とんねるずを中心にした)を未だに引きずっているかね、キミたちはって感じなのだ。
 ま、とんねるずの石橋あたりは、その辺のムードが未だに大好きでディレクターを「●●ちゃん」って呼んだり、数を数えるときもことさらわざとらしく「ゲー万イー千円」などと言ったりするのだ。
 なんつーか、もう思いっきり古臭いよそれ。

 そんな「黒服のイニシャルトーク」っすけど、この雑誌に掲載されている文章って本当に六本木のクラブなんかの黒服が書いているワケじゃなくって、編集関係のライターが適当な噂話を書いているんだろうけど、なーんかしょーもないっす。

 で、こないだの号で『TファミリーのMって言う女四人組のRが・・・』などと、あいかわらず「俺は芸能界の裏に通じているんだぜ」と言う風な傲慢な口振りで噂話を語っていたのだ。
 もちろん「Tファミリー」って言うと「TK(小室哲哉)ファミリー」なのだろうし(高島ファミリーじゃないと思う)、「Mって言う女四人組」って言うと「MAX」なんだろうけどさ・・・・・このライターの人って、MAXが小室ファミリーだと思っているらしい。

 曲調は同じ様に聞こえるが(実際は微妙に小室の路線とは違う)MAXは小室に曲を提供されていなかったりする。

 なんか、そこらのオヤジライターが適当な事を書いているんだろうなぁ

1998年1月23日(金曜日)絶対に綺麗になってやる!(1)
 親戚関連の結婚式に出てきた。
 ま、いわゆる普通の結婚式で、新郎の友人や新婦の友人の考えに考え抜いた場を白けさせるだけの余興も飛び出して「あぁ日本は平和なのだなぁ」などと思ってしまう様な世界が展開された。
 これが友人の結婚式だったりした場合は、その後の二次会での集団見合い状態も期待できちゃったりするので、うひうひなのだろうが、親戚って事で出ているのでそんなオマケも無い。
 が、とりあえず新婦友人や新婦同僚なんかをチェックしてしまうのだ。

 特に今回期待が高かったのは、新婦の勤め先って言うのがかの「東京ビューティクリニック」いわゆる「TBC」なのだ。
 「絶対綺麗になってやる!」から始まって「脱いでも凄いんです」「ナオミよぉぉん」そして現在キムタクが出演している「くびれ〜〜〜っ!」で有名なあの会社っす。
 当然同僚っていったら「エステシャン」って事で、いわゆる美を追求して追求しまくっている人々なのだ。こりゃ期待しないって言う方が間違っている。

 で・・・・・・・私はうなってしまいましたね。どーもこりゃ。

 確かに綺麗かもしれない。みんな重量制限は軽くパスしている。が・・・・
 なんかやたらと化粧なんかに気合いが入っているようなナチュラルな人がいないのだ。ま、結婚式用のメイクだって言えばそうなのかも知れないが、なんかごてごてに気合い入りすぎなのだ。

1998年1月24日(土曜日)絶対に綺麗になってやる!(2)
 以前から私は思っていましたが「痩せればいいってもんじゃねぇだろ」と言う部分があった。元が綺麗じゃなければ意味がないとまで極論を言うつもりはないが、世間一般の女性は「痩せ痩せ神話」に惑わされ過ぎている。非常にノイローゼ的なほどに。
 これはどうしようもない事なんだけど、去年の暮れあたりに某雑誌の「痩せエステ」の広告で天地真理が「私も10キロ痩せました」なんて吹き出しをつけて出演しているのがあったのだが、うーむと唸ってしまいました。

 ま、美を追求する神経は悪いこっちゃないが、ここで問題にしたいのはナチュラルではない。って事なのだ。
 そこに出席したエステな人々は全身から「綺麗に努力してまっせ光線」を発していて、どっかしらに力が入りすぎているような気がしてしまったのだ。
 人間それぞれ個性ってのがあって、太っていたり痩せていたりするのも充分に個性だと思うのだ。それに男性が100%痩せている人が好みかって言うとそうでもなかったりするのだ。

  ま、その言葉は自分への慰めにもなっていたりするけどさ (笑)

1998年1月25日(日曜日)訃報 景山民夫氏死去(1)
 作家の景山民夫氏が、自宅から出火した火事により全身火傷を負い、運ばれた病院で未明亡くなったそうです。
 昨年末から自分の好きな作家や映画監督が連続して突然亡くなってしまうと言う事件が続いている。

 景山民夫氏の作品は全部で10冊以上読んでいると思うけれど、小説でもエッセイでもある種の自分哲学的なダンディズムを感じさせてくれて好きでした。
 多くの人の意識の中には「幸福の科学」と言う宗教法人による講談社への抗議行動の際に宣伝塔としての役目を果たしていた、と言う物が大きく残っているかもしれない。
 そのイメージによって「景山民夫って嫌い」と言う人も少なくない。
 が、作家の行動や生活と作品は別物と切り捨てて作品を読まなけりゃ何も読めなくなる。
 品性を重んじて潔癖な作家の作品をお望みの方には、麻薬常習者だった「芥川龍之介」「川端康成」の作品は読めないし、ホモ疑惑&誇大妄想狂の「三島由紀夫」の作品だって読めなくなってしまう。
 文学や音楽なんて基本的に世間のハズレ者が理屈をこね廻す上に成り立っている様な物なんだから、四の五の言うんじゃねぇって気もしちゃうんだな。

1998年1月26日(月曜日)訃報 景山民夫氏死去(2)
 音楽界でだってクラシックの作曲者にもジャンキーや、不倫しまくりの人は多い(大御所の中でそんなことしていない方が少ないかも知れない)
 よくロック系アーティストが薬で捕まった時に「裏切られた気持ちでショックを受けました。もうファンを辞めます」なんて純真な思いを雑誌に投稿したりする人もいる。が、裏切ったって言われてもねぇ「薬はやっていません」って言っていたんだったら裏切ったんだろうけど。

 以前、志村けんが賭博で捕まった時(一所に仲本工事も捕まった)に、インタビュアーから「そんな悪い事をしている時にファンの子供の顔は浮かびませんでしたか?」などと聞かれたらしい。その場では志村けんは頭をうなだれたまま「すいません」などと言ったらしいが、それから20年近くたって「そんな事考える訳ないでしょ、やっている最中は金しか見えていないもん」などと当時の事を思い出しながら答えていた。
 そんな物なのだ。
 仕事は仕事としてプロフェッショナルにこなして、それ以外の生活は仕事には関係ない。
 罪を犯した人が悪いって言うんなら「井上陽水」だって「研ナオコ」だってNHKにはでれないぞ。

1998年1月27日(火曜日)訃報 景山民夫氏死去(3)
 話は随分景山民夫氏の話から外れてしまったが、続けていくのだ。

 特にスポーツ界は不健全なほどに「健全」を建て前にしていたりするのだ。
 かつて元野球選手の・・・・(名前忘れた)が賭博だかナンダかで捕まった時の話、その人は選手時代に沢山の記録を残していた。(「首位打者」とか、そーゆーの)
 が、その事件で捕まった事により野球界から抹消されたのだ。どーゆー抹消かと言うと、いわゆる名球会から除名とかってレベルの話ではなく、彼が選手時代に打ち立てた記録の全てが無かった事にされてしまったのだ。
 つまり『そんな名前の選手は日本プロ野球界には存在しなかった』と言うことなのだ。
 なんか凄く不健全。

 それが、こないだの大学スポーツ部のカラオケ内暴行事件でも発揮されようとしていた。事件を犯した犯人が所属する部が休部するって言うのも、それに関係していなかった人にとっては「おいおい」って状態なのだが、全てのスポーツ部をしばらく休部とする。
 って・・・何故?そんな気がしてしまうのだ。
 それだけだって、凄く不健全な健全さのアピールだと思うが、脳味噌筋肉な人々はもっと反省している姿をアピールしなければいけない!と考え、その大学のOBで今回の長野オリンピックにノミネートされている選手の出場辞退を促したのだ。
 OBっすよ。もう大学は卒業して直接関係ない人まで、何故反省しなきゃいけねぇの?

 その一方で事件をもみ消そうとした部の顧問は「事件を起こした選手達の将来を思って」などと言っていたりする。
確かにやってしまった事件は人間として最低の事だけれど、その事によってほとんど関係ない大学OBまで巻き込んで一生に一度かもしれないオリンピック出場まで断念させたら、事件を起こしたヤツらはその事まで背負い続けていかなくてはいけないんだぞ。
 ま、今回起こした事件を背負い続けなきゃいけないってのは当然だけど。

1998年1月28日(水曜日)訃報 景山民夫氏死去(4)
 うーむ、話が全然違う処まで来てしまった。

 そんなワケで私は景山民夫氏が突然の不慮の事故により亡くなってしまった事にショックを受けていたりするのだ。
 景山民夫氏はあまり私生活の事をエッセイなどでも書かないのだが、1度ロック雑誌だった頃の(少しエロが入り始めていた)宝島に書いた事がある。
 その文面は「娘が死んだ。10数年しか人生を経験する事のできなかった娘が亡くなった」と言う物だった。
 彼の娘は生まれながら身体が不自由で起きあがる事も喋る事もままに成らない様な病気に犯されていたと言う。笑う事さえ自由に出来ない体で必死に生きようともがいていたと書かれていた。その事は他の雑誌には絶対に書かないし、インタビューが来ようと絶対に話さない。宝島と言う若者が読む雑誌だからこの事を書く、娘は短い人生を幸せとも考える事も出来ずに生き続けていた。この文章を読んでいる諸君は、普通に生きて、普通に夢を語り行動できる事を大事にして欲しい。と書き記されていた。
 その事が宗教法人とのつながりになったのかもしれないが、色々考えさせられる文章だった。

 景山民夫氏の小説はハードなのから、ソフトなのまで多様だけど、アニメにもなった「海から来たCoo」がオススメっす。
 あとエッセイも色々鋭く面白いっす。

 クリエイティブな人の死って言うのは、ある種「1つの宇宙の滅亡」なんだよなぁ

1998年1月29日(木曜日)石ノ森章太郎氏・死去(1)
なんか景山民夫氏のショックも冷めやらぬうちに、今度は石ノ森章太郎氏が・・・・
 本当に、立て続けに自分が好きだったクリエィターが消えていくって感じで、凄ぇ辛いっす。
 石ノ森章太郎氏に関しては、好きだったと過去形で語らなくてはいけないほど、ここ10数年の作品は見るに耐えない様な物が多かった気がする。
 とりあえず、何度もTVドラマ化されている「ホテル」と言う作品もあったが、あれはコンセプトが採用されたワケで、直接的なTV化では無かった様な気がする。

 自分にとって石ノ森章太郎氏は、名前を替える前の「石森章太郎」で終わっている(言い切ってますが、すいません)。
 作品は「サイボーグ009・天使編」まで、だいたい70年代中期までに書いた作品ですべてが終わっている様な気がする。
 漫画をある種のアートの域まで高めようとした「じゅん」と言う作品
 その後の「がきデカ」「マカロニほうれん荘」などと言ったスラップスティックギャグの先取り「ドンキッコ」
 ファンタジーコメディ「おかしなおかしなあの子(TVタイトル:さるとびエッちゃん)」、これは大友克洋の『童夢』に多大なる影響を与えたとも言われているけど。
 主人公が明朗快活なヒーローではなく、マイノリティとして、不完全な物として悩む、その後の「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」などにも通ずるダークな面を持ち合わせた「仮面ライダー」や「キカイダー」
 チームワークで闘うヒーローとして「サイボーグ009」「レインボー戦隊」それを特撮物に昇華した「ゴレンジャー」そこから続く戦隊もの。
 超能力という物をビジュアルとして提示した「ミュータントサブ」「幻魔大戦」などなど。

 80年代に入ってからは漫画家というよりプロデューサー的になっていったのかもしれない。
 「日本の歴史」で学習漫画を体系的に書き上げたり、「経済物」としてビジネスのあれこれを漫画化してみせ、それがヒットしたせいで各出版社から同じような作品がボロボロ出てきた(これは功罪の罪のほうですかね)

1998年1月30日(金曜日)石ノ森章太郎氏・死去(2)
 それと見落としがちなのが、石森は70年代から80年代にかけて「幼年物」というジャンルをテレビ展開していったというのも重要かも知れない。

 80年代フジテレビの日曜朝の時間帯にやっていた東映不思議コメディシリーズ。
 初期は「ペットントン」でETを露骨にパクリ、「どきんちょ!ネムリン」で女の子向けの特撮物をやり、「勝手に!カミタマン」で落ちこぼれ神様という石森のデビュー作『二級天使』のリメイクをやり、80年代に入ってアニメなどが大人向けになっているのを子供に引き戻したという功績がある。
 その後は「探偵団」物を経て「魔法少女」とか「ポワトリン」「トトメス」「シュシュトリアン」という女性アイドルブームに便乗した方向になってしまったワケですが、他の漫画家がどちらかというと渋い方面、重厚な方面に向かう時にあえて「子供向け」の企画をしつづけたってのは凄いと思う。
 もっとも、そのリアルタイムでは少し脳裏の片隅で気になりつつ、それらの作品はさすがに20歳をすぎた自分はほとんどチェックはしないで素通りしていた。

 自分が漫画に目覚めた時、そこには手塚治虫と共に石森章太郎の作品群があった。

 1970年の中期から、どう見ても自分の名声に頼っただけの作品が多くなった様な気がして僕は離れていった。
 石森氏も80年代の初頭にはかなり悩んでいたらしく、一度「漫画家廃業宣言」をしたという。それを旧友の漫画家「永嶋慎二氏(水島新司ではない)」に「まだ書けるハズだ」と背中を押されて復帰した事もある。
 たぶん、その時に名前を「石ノ森」に替えたのだと思うが。

 一時期の自分を構成していた要素として石森氏の影響を感じています。心よりご冥福をお祈り致します。
 しかし、かの伝説の「トキワ荘」のメンバーがどんどん亡くなっている中で、意外なのが10数年前から絶対に先は短いと言われている「赤塚不二夫」が未だにときどき漫画を書いたり、個展を開いたりして活躍しているってのはフェイントだよなぁ

1998年1月31日(土曜日)新漫画雑誌創刊『スピードコミック』
 1月14日に新しい漫画雑誌『スピードコミック』が創刊された。
 発行元は、さらに最近はエロ本化が激しい『月刊宝島』の宝島社っす。

 うーむ、うーむ、と私は色々考えてしまうのだ。

 実は宝島社はこれまで二回漫画雑誌を創刊して見事に短期間で潰しているという過去があったりするのだ。
 うーむ、広告に出ている執筆漫画家の名前が『コンタロウ』だけってあたりに、うひーどうすんの?目玉作品ないんじゃないの?って感じがしちゃうんすが・・・