< 杉村ぐうたら日記(1998年4月21日〜30日)

▲1998年4月21日:火曜日:意志を受け継ぐと言う事
▲1998年4月22日:水曜日:デジタルデータは恐い
▲1998年4月23日:木曜日:へたへた絵
▲1998年4月24日:金曜日:七回忌:尾崎豊からの卒業
▲1998年4月25日:土曜日:そして雨が降り続く
▲1998年4月26日:日曜日:フリーマーケット繁盛期
▲1998年4月27日:月曜日:復活の日
▲1998年4月28日:火曜日:TVを見ない人
▲1998年4月29日:水曜日:ゴールデンウィーク
▲1998年4月30日:木曜日:シュークリームの下落
1998年4月21日(火曜日) 意志を受け継ぐと言う事
 ラジオを聞いていたら、とある作家の資料館の館長交代の話をやっていた。
 その作家は、いわゆる教科書に載ってしまうほど有名な明治期の俳人なのだが、その作家の作品・生原稿から参考資料や、執筆道具などなどを展示しつつ、その作家の作品を細かく解析していくと言うかなりマニアックな資料館らしいのだ。
 そんな感じの、作家の個人資料館というのは多く存在している。

 でもって、その資料館の館長を先日まで勤めていたのが、その作家の実の息子だったらしい。しかし、高齢でいわゆる天寿を全うした形で亡くなってしまった為に、新しい館長が就任したのだ。
 その新館長は、前館長の娘と言うことだった。
 つまり、その作家の孫娘と言うことになる。
 でもって「意志や思想を末代まで伝えて行くことが私たちに託された使命だと思います」などとスピーチをしたりしているのだ。

 この手の「作家の子孫」が後生大事に作家の遺産を守り、研究しつくしていく。と言うのは何度も聞いた。夏目漱石の子孫が、芥川龍之介の子孫が、川端康成の子孫が・・・・
 当然の事のように子供が「父の思い出」などと言うタイトルで、その有名な作家の人となりを知らしめるような随筆を書いたりする。
 それを「父の意志を受け継ぐ為、後世に伝える為」などと大上段に構えたりするのだ。

 でもそれって「尾崎豊」の死後、死肉をあさる様な感じで多くのCD&エッセイを発行した親兄弟や関係者のあの状態となんら変わることが無い様な気がする。
 ジョンレノン然り、山田かまち然り

 その作家の意志を受け継ぐっていうのは、もっとクリエイティブに精神的な方向性を持った次世代の作品を生み出していくって事なんじゃないかな?などと思ったりするのだ。
1998年4月22日(水曜日) デジタルデータは恐い
 自分の会社の話ではないのだが、某編集関連もやっている印刷会社の話。
 大手の出版社からデータを借り受けて、それを編集して本にするという仕事をやっていたらしいのだが、なにかのキッカケか判らないがその本のデータ、約2000頁分を全部消去してしまったらしい。
 2000ページって言うと、まともな本のページ数ではないので、おそらく何冊にも渡る図鑑とか辞書なんかじゃないか?とか思うのだが、それにしても2000ページってのは凄い量だと思う。
 CD−ROM1枚じゃたぶん到底納まりっこない。
 1ギガ納まる「JAZ」なんかでも、絵なんかが入っていたとしたら到底納まらない。
 こないだ私が編集した本が全モノクロで1頁に1・2枚の写真が入って約400ページってのでさえJAZが2枚必要だった。と考えると、単純計算で2000ページって言うとJAZ10枚分と言う事になる。容量は10ギガなのだ。230MBのMOだったら約44枚と言う事になる。
 これを一気に消去してしまったと言う状態は・・・超強力な電磁波がその周辺を襲ったと言う場合か、あるいはハードディスクにデータを全部入れてあったんだけどそれが修復不可能なぐらいのクラッシュを起こして・・・・一瞬のうちに・・・。
 もっと最悪なパターンとしては、この4月の末って事で今年入ってきた新入社員が何か勘違いして、一生懸命データを消去していた。とか、どこかのコンピュータにウィルスが紛れ込んでいて・・・色々考えられるが、デジタルデータのもろさはそこなのだ。

 常にバックアップと言うのが半ば合い言葉になっているが、それだって完璧ではない。
 なんせ以前の話(自分ではなく会社の別の人)、1つの作業が終わって帰る前にその仕事をバックアップしようと、JAZにコピーした。
 で、その人はJAZの中に保存用のデータが出来たんで、さっきまで作業していたHD内のデータが不要になったと言う事で消去したのだ。
 確かに同じデータが複数存在するようになると、翌日Aのデータを直し、さらに翌日すっかり忘れてBのデータに修正を入れてしまうって事もある。そーなると、AとBは、それぞれが別々の処が修正されている、果てしなく同じなしかし違うデータになってしまう。
 それを回避する為にコピーしたら消去と言うのも間違いではない。つねにオリジナルは1つと言う考えなのだ。
 が、その人は翌日、昨日の仕事を再開しようとしてビビってしまったのだ。ただ単純にコピーしたハズのJAZの中のデータが壊れていたのだ。おそらくコピーした時の転送ミスか何かだと思うが。
 そんなワケで、ちゃんと作業していたオリジナルデータは消した。残ったコピーデータは壊れていると言う状態になってしまったのだ。

 そんなワケで、最初の話の2000ページ消去と言うのは、元々の編集前のデータ(つまり出版社から送られてきた元データ)まで、すっかり消してしまったらしく、現時点で賠償額1億円・・・・その上、そのデータと同様の物を再び制作しなければいけないという最悪な状態になってしまったらしい。
 これでゴールデンウィークどころか、その会社には今年の夏休みもないかも知れない。
1998年4月23日(木曜日) へたへた絵
 いぜんは小泉今日子が CMをしていたスーパーマイルドシャンプーっすけど
 今は何故か、明石屋さんまがメインキャラクターで10代女性・20代女性・30代女性の3バージョンを放映している。
 うむむ、別のシャンプー(ナイーヴ)を所ジョージがやっているから、それに対抗したのか?
 よく判らないけど、あんまりシャンプーの特性とかが表に出ていない様な気がするCMなのだ。

 で、先日シャンプー&リンスが切れたので会社帰りにスーパーへ寄った。
 今私は「ナイーヴ」を使用しているのだが、その横にスーパーマイルドシャンプーの容器があった。そしてその容器に一つづつ、おまけシールが付いていたのだが・・・・・なんかムチャクチャへたくそな絵で、しかもそれをコンピュータに取り込んで粗くした様なドット線の絵のさんまが幾つも書かれている。
 そこから吹き出しが出てて何かしらメッセージが書かれているのだが・・・・。

 あまりにヘタ過ぎて、私の第一印象は「汚い」と言う感じだったのだ。
 なんか、あれは逆に購買意欲を失わせるおまけの様な気がする。

 興味がある人は一度、商品を見てやってくださいな、凄く趣味悪い絵っすから。
1998年4月24日(金曜日) 七回忌:尾崎豊からの卒業
 部屋に帰って何気なくTVを付けてリモコンをかしゃかしゃいじっていたら、BSで「尾崎豊7回忌」の記念特番をやっていた。1992年の明日、4月25日が尾崎豊の命日なのだ。
 あの死から6年も過ぎてしまったと言うことになる。

 僕は尾崎豊が世代的に少し下と言う事もあるが、醒めた目でずっと見ていたと思う。音楽としてはリアルタイムで「15の夜」も「17歳の地図」もシングルリリースされた時にちゃんと聞いている。
 そしてその中で歌われている内容も「TEENAGE ROCK」と言うジャンルの中の習作だと思って聞いていた。そんなカリスマ的に重い音楽だとは思わずに聞いていた。
 確かに時代的に尾崎豊のデビューした頃は「メッセージソングなんてダサいよな」などと言われて、多くの歌手が当たり障りのない自分の生活の中での細かい恋愛の詩を歌っていた。
 そんな時代に出てきたから、一気に若い世代のハートをキャッチしてしまったのだ。
 音楽的に聞いていくと、どうにも弁解のしようがないほどブルーススプリーングスティーンなんかの影響を受け(それ以上に物真似って気もする)さらにアレンジやステージ構成なんかをした西本明の影響で、かの佐野元春のとまるっきり同じ状態だったりする。今回の特番で中期以降のステージフィルムを見たが、それは完璧に佐野元春と同じ様なパターンになっていた。なんせ西本明とは佐野元春のバックバンド「ハートランド」のメンバーだったりする。
 そんな事から僕は尾崎豊を音楽家としては、さほど重要な位置には見ていなかった。

 確かに初期3枚(10代に発売した物)は勢いがあって、いわゆる昔から連綿と続いているTEENAGE ROCKの習作だと思う。
 それが、今に至るまで若い世代に支持されているのは「心の中の葛藤」を細部に至るまでかき込んでいるからなのかも知れない。そこに書かれている物は確かに尾崎豊の個人的な出来事だったりするかも知れないが、それはある種若者共通の部分であったりする。
 そう言う意味では「どいつもこいつも同じ様な顔した大人達」を軽蔑しつつ、若者達も「どいつもこいつも似たり寄ったりの顔したガキども」と言うことになってしまう。自分たちは個性を主張しているのだろうが、どれもこれもいくつかのカテゴリーの中で必死に同化しつつ主張したつもりになっている。
 それに気が付かない内は尾崎豊の言っている「支配からの卒業」は永遠にありえないのだと思う。
 カテゴリーの中からの脱出が、自由への道だと思う。

 そもそも僕がずっと疑問に思っているのは「何故、尾崎豊の事を先生あつかい出来るのだろうか?」と言うことなのだ。なんせ尾崎豊は詩の中で等身大の悩みを歌い続けて、その中でほとんど解決策を見いだしていない。
 つまり、多くのリスナーと同じ地平線に立って詩を歌っていた。それを、カリスマとして崇めて盲目的に信じていると言うのは不思議だと思うのだ。
 なんか解決策の無い悩みの中で自己陶酔的に悩んでいる様な感じがしてしまう。
 リスナーが悩みの中から脱出する事を自らの手で歌おうとしない。と言うのはなにか歯がゆい感じがしちゃうのだ。
 あの曲を聴いていると「どこへ行けばいいのだろうか」と尾崎豊も悩んでいた。が、ある日後ろを見たら悩んでいる自分にハルメンの笛吹きの様にゾロゾロと同じ様な人々が着いて来たのに気付いたんだと思う。
 そして口々に「尾崎さん答えを教えて下さい」「私の魂を救って下さい」とすがりついていたのだ。
 一介の悩める青年が答えも見いだせないまま、人々に答えを教える立場になってしまったんじゃないかな?と思ってしまう。そして悩みの末に自暴自棄になって・・・・

 尾崎豊をリアルタイムで聞いていた時は、すでに僕は社会人だったが、その歌詞の中の苦悩は痛いほど判った。まだ社会人として踏ん切りのつかない自分がいて、その歌詞の中に提示されている内容が本当に染みていた。
 でも、いつしか自分なりの答えを見つけ僕は歩き始めていた。
 そして尾崎豊を卒業した。
1998年4月25日(土曜日) そして雨が降り続く
 自分でも元々、リーダーのキャラクターではないと思っている。
 それ以前に集団生活と言うヤツに適合できないヤツなのでは無いかと言う感じもしちゃっている。人がいっぱいいてワイワイやっている状態は好きかもしれないが、その中でリーダーに指示されて、ある種の目的意識を抱えさせられて集団でワッセワッセと行動するのは、どうも疲れてしまう。
 そんな事を言うと「あぁシラケ世代の無気力くんだね」などと簡単に思われてしまうのだが、私は自分で考えて自分でガシガシ行くのが好きで、ガシガシやっている。別に無気力だったり醒めていたりするワケではない。
 ま、「自分勝手だね」と言われると「はい」と答えるしかないのだが。
 他人に指示されるのが嫌いで、ついでに他人に指示するのが嫌いなのだ。
 ときどき、他人に指示されたり上の人にとにかく敵対心を抱いてしまうパターンの人がいるが、その手の人で実は自分が上に立った時に、独裁者になってしまう人がいたりする。ただ単に「命令されるのが嫌い」と言う人もいる。

 そんなワケで実際にリーダーの器ではないのだが、友人の杉山バラ園で明日(4月26日)行われるフリーマーケットなんつーもので、私は中心になって運営していかなければならなくなってしまった。
 でも、ここで逃げるわけにも行かない。どうせやるんならば盛大にやりたい!と考えてしまう。基本的にリーダー体質ではないが、お祭り体質らしい。
 ところが、ここ1週間とにかく天気の状態が良くない。なんか4月になってから、ずっとこんな調子って気もする。暑い日もあるが、ずっと続いてカラッと爽やかな感じではない。
 天気予報によると明日は「曇りあるいは雨」と言う全然予報でもなんでも無いことになっている。そんなのだったら気象予報師じゃなくたって、そこいらの小学生だって言えるっつーの。
 しかしとにかく雨でも準備をしなければいけない。

 バラ園のフリーマーケットは晴れた場合は咲き始めたバラの中で優雅に行われる予定だが、雨の場合もちゃんとクリスタルホールという雨を避ける場所があって、そこで30組。さらにバラ園の作業場を解放してそこでも20組ぐらいがフリーマーケットを開くことが出来る状態になっている。
 とりあえず場所的な事は自由にして、ホールを片づけて・・・

 最初、そのフリーマーケットの運営は僕と、バラ園の関係者ハルミ(男)と二人でやる予定だったのだが、突発的な事情によりハルミは参加できなくなり、僕一人でと言うことになってしまったのだ。

 さて、どーなる事やら
(なんか今日は日記みたいな事を書いているな)
1998年4月26日(日曜日) フリーマーケット繁盛期
 そんなワケで完璧に日記状態で昨日の続きの話だったりする。
 朝、5時台に突然目が覚めた。なぜか目が覚めた時に今日が何日で何をすべきかを全然把握できない程、疲れた様な、泥沼の様に熟睡していたらしい。
 なんか一瞬「もうゴールデンウィークも終わって今日からまた仕事の日々が始まる・・・」と言う感じの精神的重圧感のある目覚め方だった。
 そんな不可思議な状態もほんの一瞬で、その次の瞬間、窓の外からかすかに雨の音が聞こえるのを感じた。自分の部屋は2階にあるために、雨の音とかがあまり聞こえないのだ。よく、朝ぼ〜っと目覚めて、そのままシャワーを浴びて朝食を採って玄関のドアを開けてはじめて雨だと言うのに気付く事もある。(これはただ単に頭が起きていなかったせいかもしれない)
 そんな状態の家なのに、雨の音が聞こえると言うのは別に神経が鋭くなっているからではなかった。あわててカーテンを開けると、うっすらと明けてきた外はザンザン降りの雨。
 「うわっちゃぁ」と思ってもどうする事も出来ない。こんな状態でも予定通りに動かなくてはいけないのだ。まだ5時半だが、テキパキとシャワーを浴びて、今日持っていく物を確認して(自分が出店する物は昨日の段階で運び込んである)軽い朝食を採って(とりあえず毎朝何かしら食べる事にしてある)、そして土砂降りの中を出かけた。
 バラ園に到着した頃は雨も小降りになっていたが、まだこの先、予断を許さない状況だった。

 とりあえず場所となるクリスタルホールの入り口を開け、窓を開け換気をする。
 と、電話が掛かって来たので取ると「今日のフリーマーケットは中止でしょうか?」との問い合わせ。それに「雨天決行です」と答える。
 で、テーブルを適当に配置しているとまたしても電話。今度のは「雨なので今日の出店は見合わしたいと思います」との断りの電話。
 さらに仕事を続けていると今度は「飛び入りですが、今日のフリーマーケットに参加したいのですが」との電話。その人は御殿場の人だったのでバラ園の場所を教えたりする。
 その後も何本も何本も電話が掛かって来て、その度に仕事が中断される。
 電話のパターンはこの3つに分類できて「やるのか?」「参加取り止め」「参加したいんだけど」と言う事になる。
 この3つ目の飛び入り参加については、事前に播いたチラシにも「当日飛び入りも大歓迎」と書いてあったので問題ないのだが、そのパターンとして「実は他のフリーマーケットに出店を予定していたのだが、そっちが雨で中止になってしまったので」と言うパターンが考えられる。
 なんせ「バラ園の場所を教えて」と言うのは「御殿場」だったり「富士」だったりした。

 7時15分頃から出店者がワサワサとやって来たりするので、そっちの対応もする。参加者名簿に記入して貰って、場所を決めて、そして搬入後の車を別の駐車場に移動して貰って・・・・。
 しばらくして、バラ園の従業員もやってきたので(バラ園の本来の業務時間は8時から)少しは楽になったが、出店者があっと言う間に30名を越えてクリスタルホールから作業場の方まで会場を拡大する事になってしまった。
 さらに雨がほとんど上がった(曇り空だけど)ので、クリスタルホール前の水をモップで掃き出したり、細かい作業が続く。
 そんな事をしている間に、9時を過ぎていつの間にか客も入って来て、もう収拾がつかない状態になってしまった。私も出店しているがそんなの構っていられる状態ではなくなっていた。
 朝セットしたハズの髪型もバサバサ&汗・雨でぐっしょり状態、息はゼエゼエあがっている。
 その後も色々あったのだが、とりあえず動き始めればフリーマーケットはそれぞれの出店者の自由行動に任せるしか無いのだ。

 ま、雨が降って残念だったがそれなりに大盛況だったので、これも良しって事かもしれない。

 フリーマーケット終了後に呑気なバラ園の社長がやってきて
 「いやぁ大盛況だったねぇこんな調子で毎月出来たらいいよねぇ」
 「か・・・・身体がもちましぇ〜ん」

 とりあえず、秋(10月初旬)に秋のバラ祭りがあるので、その時にフリーマーケットを計画しているっす。
 あぁ疲れた。
1998年4月27日(月曜日) 復活の日
 かの日本が誇る映画スター「ゴジラ」が、いよいよハリウッドで生まれ変わってやってくる。
 うむむむ、凄く期待をしてしまうけれど、その反面、日本の映画の安易さや技術力のなさを露呈してしまうような気がしてしまう。
 しかし、数年前にスピルバーグが打診した時に何故断ってしまったんだろうか?
 その為に「どうしても恐竜映画を撮りたい!」と言う事で、かの「ジュラシックパーク」を創ったのだ。その技術をそのままゴジラに持っていったら、全編CGのゴジラが暴れ回る・・・・と言う凄い映画になっていたかもしれない。
 確かに以前の日本映画の着ぐるみ撮影はレベルが高かった。
 昔のハリウッド映画の「キングコング」なんか見ても「ありゃりゃ」とか思ってしまうし、その後のでっかい機械仕掛けのモンスターを見ても「ありゃりゃ」とか思うけど、今のハリウッドのCG技術は本当に凄い。
 中には未だに「CGは質感が」とか言っている人がいるけど、私にはどれがCGなのか判らないっす。
 たぶんその質感が・・・ってCGは、スターウォーズ2作3作あたりに使用された宇宙船を描いたものあたりだと思うけど、それからムチャ進歩しているからねぇ。

 そんなワケでハリウッドは今やCGと言うスペシャル技術を手に入れて、どんな作品だって恐いもの無しって状態になった。頭で考えうるイメージは何ンでも映像化できる。
 そんな中、噂として浮上してきたのがハリウッド版「宇宙戦艦ヤマト」なのだ。
 当然、実写&CGで撮影するのだが、アメリカ版でも「ヤマト」が主役で、かのイスカンダルへ行く話で、すでに脚本は完成して、監督も決定し、あとは役者を・・・と言う状態らしい。
 これには獄中の西崎プロデューサーは絡んでいないよな?
 うむむむ、実際の処、私はあの「宇宙戦艦ヤマト」と言う話のストーリー自体おもしろいと思った事がないので、どうなんだろ?と思ってしまうのだ。

 さらに日本のアニメのハリウッド実写版として「ルパン三世」の名前も出ている。
 こっちの方も実際に動き始めているらしく、監督がツイハークで、主役のルパンに「マスク」なんかの主演をしたジムキャリーが決定しているらしい。
 これはジムキャリーのバカさ加減が好きなので、凄く期待をしてしまうし、ルパンの場合は脚本次第でどんな話も出来るので面白そう。

 あとはアメリカでリメイクアニメ「スピードレーサー」としてちびっ子に大人気の「マッハGoGoGo」も実写映画化されるらしいが、監督が文芸系の地味な映画ばっかり撮影しているアルフォンソキュアロンで、予算が異常に少ない本当の子供だまし映画になりそうらしい。

 あと噂では「セーラームーン」もアメリカで実写映画化されると言う噂があるが・・・・これは何か恐い。
1998年4月28日(火曜日) TVを見ない人
 最近は自分も色々忙しいのとかで、あんまりTVを見なくなった。
 が、年代的に言うと「元祖TVッ子」と言う自負があったりするのだ。つまり生まれたときに既に家の中にTVが当然の様な顔して存在していて、家族の一員として食事時の話題を独占していた世代と言うことになる。
 つまり「子守歌」も「会話」も全部TVのお世話に成ったというワケなのだ。
 だから、小学校の時も中学高校でだって話題の中心はTVの中で起こった事がトップになっていた。山口百恵主演のドラマ「赤いシリーズ」がどーしたこーした、ピンクレディの新曲の振り付けがどーしたこーしたと言う感じでとにかくその辺の情報をいち早くチェックした人が勝ちだった。
 それは誰にでも共通する話題だったのだ。
 もっとも自分の場合は、もっとマイナーな音楽系の話題なんかが中学後半から中心になってしまって、ドラマなどはほとんど見なくなっていた。お笑い番組はずっと見ているけれど。
 だからTVがあるのが当然だったのだ。
 ところが80年代に入った頃からよく聞く言葉で「あたしってTV見ない人だから」と言う物がある。その手の言葉を好んで言う人の多くが「アタシの感性って普通の人と違う」と言う事をアイデンティティにしていたりするような人が多かった。
 80年代初頭と言うと「戸川純」なんかが「ゲルニカ」と言うバンドで出てきた頃の話だったりする。
 個性と言う名前の自己主張をかなり肥大させたタイプで「変わっている」と言われるのを心の拠り所にしている、かなり仲間に居ると始末に負えないタイプなのだ。
 今でも自己紹介なんかでお約束のように出てくる「自分では普通だと思って居るんですけれど、友達からはよく変わっているって言われます」なんてセリフがある。そんな人は全然変わっていないのだ。その辺の「人より少しずれている」と言う部分が自分の個性で自分のアイデンティティでと言う事になっている。
 本当に変わっている人には面と向かって「変わっている」とは言えないのだ。

 そんな感じで「TV見ない」と言うのがかっこいいと思っている人がいたりする。実際にTVを見ないのかも知れないが、あえてそんな事を言う背景には「TVを見ない自分って個性的」とか考えている部分があるんじゃないかな?
 確かに今のTVって面白くないかも知れない(あくまでも自分の感性だけど)だけど、TVを見ないと言っている人がその時間を何に使っているのか?と考えると空虚な感じがしてしまうのだ。

 TVぐらい見なくっちゃ
1998年4月29日(水曜日) ゴールデンウィーク
 いやぁ遂にやってきましたねぇゴールデンウィーク。
 なんつーか、どどーーんとまとまった休みを取りたい!とか日頃思っていても現実に目の前にどーぞと出されると「あははははは」と笑っている内に時間がむなしく過ぎていくと言うのが今までのパターンだったりする。
 私の場合は締め切りまぎわ集中主義なので(別に主義ではないけど)結局、それまで休日にやらなくてはと思っていた事を休日の最終日にわっせわっせとやったりする様なヤツなのだ。
 それはまず計画性って物がないってのが最大の原因なのだが、これはそー簡単に直せる物ではない。完璧に自分の中に染み着いてしまっている。
 だが、やっぱり休日は充実した時間を過ごしたいと思ったりするワケで、今回のGWはどんな感じになるのか・・・・。と言いつつ計画まったく無かったりするんだけどさ。
1998年4月30日(木曜日) シュークリームの下落
 僕が子供の頃、おやつと言うと凄く単純な物が多かった。
 それ以前にいわゆるあまり裕福でない農家と言う事もあって(長男の私はそれを継いでいなかったりする)基本的に、焼き芋・蒸し芋・大学芋などが多かった。なんか芋!と言うと私の中では子供の頃のおやつと言うイメージが付いて離れないのだ。あとはダンゴとか、いわゆるドーナッツ(手作り)なんかが多かった。
 今の子供はそんなのでは満足できないかもしれないが、私はそれでも幸せだったのだ。
 そんな私だったが、友達の家なんかに行ってそこで出てくる、ケーキ・プリンなどの洋風おやつなんかには心ときめいた物だった。自分の家で出てくる甘い物はアンコ物がほとんどで、生クリームなどの香りは別世界的な輝きがあった。
 しかも一緒に出てくるのが「100%フレッシュジュース」とかかなり高級感を持ったジュースだった。たしかに我が家でもジュースが出てくる事が無いわけでもない。しかしそれは親戚が酒屋をやっているのでそこから貰ったカルピスだとか、親戚が精米屋をやっているのでそこから貰ったプラッシーだとかだった。
 なんか100%フレッシュジュースとケーキなんてのは、その頃朝のTVシリーズでよく放送していた海外のファミリードラマ「ゆかいなパートリッジファミリー」「わんぱくフリッパー」なんかの子供達しか食べる事のできない物の様な気がしていたのだ。
 そんなときめきが私の中では今に至るまで存在している。
 ある種の聖域と言う感じで、いざケーキなどを目の前にすると緊張してしまう自分がそこにいたりする。
 そんな中、先日友人と話していた時に「そういえばシュークリームっていつから安っぽいお菓子ってイメージになってしまったんだろうね」と言う話になった。
 確かに言われて見ればそんな気がする。
 シュークリームってヤツも子供の頃は高級洋菓子ってイメージがあった。今の子供はぜんぜんそんなことを感じないかもしれないが、シュークリームを食べるときは、上の皮、中のクリーム、そして下の皮をそれぞれじっくりとかみしめるように味わった物なのだ。
 それを今の子供達はつまらなそうに食べるんだろうなぁなどと考えてしまったのだ。
 果たしてどこでどう道を間違えてしまったのだ?と考えていくと、やはりシュークリームって物を「パン屋」が作り始めた時点で完璧な地位下落をしてしまったのだと思う。
 それまでは洋菓子屋のガラスケースの中に鎮座ましまして、店員に丁寧にトング(挟む金具)で扱われ紙箱に慎重に収納されていたのが、誰でも手に取れるようなカゴの中でビニール袋に包まれ、その他のパンなんかと一緒にポイと入れられるのでは、本当に天と地ぐらいの差がある様な気がするのだ。
 それでも、洋菓子屋で売っているシュークリームには頂上にパウダーが載っていて差別化がされていたりするのだが、その程度で気を許している間にパン屋のシュークリームなんかにもパウダーが付いている物が出たりするのだ。
 しかし、購入後は相変わらず袋に無造作に入れられたりするので、換えってパウダーがあちこちに粉散して迷惑をかける存在になってしまったりするのだ。

 あぁシュークリームに幸あれ