< 杉村ぐうたら日記(1998年5月11日〜20日)

▲1998年5月11日:月曜日:クリエイティブは死なない
▲1998年5月12日:火曜日:カレンダーの季節
▲1998年5月13日:水曜日:ロボット・クローン、そしてアンドロイド
▲1998年5月14日:木曜日:壊れたマスコミ倫理、壊れた情報操作
▲1998年5月15日:金曜日:パッチワーク的な音楽
▲1998年5月16日:土曜日:色々な方向から物を見る
▲1998年5月17日:日曜日:魚群探知機
▲1998年5月18日:月曜日:葉月里緒菜:魔性の女
▲1998年5月19日:火曜日:ウィルス発生
▲1998年5月20日:水曜日:暑中お見舞い申し上げます
1998年5月11日(月曜日) クリエイティブは死なない
 昨日の日曜日はムチャな具合にハードだった。
 日記でも書いた「草刈り&ドブさらい」を朝6時から9時までこなし、私はシャワーを浴びそのまま杉山バラ園エルローザと言う場所に向かった。
 ここで私は「ひねもす」とは別のHP「
杉山バラ園」と言う物を立ち上げたりしている。そんでもって、いくつかのイベントに絡んだ作業をやっていたりする。その上、色々複雑な事情があって細かい作業をしなければいけなかったので、ワッセワッセと出かけて作業をしていた。
 元々、1つの作業を始めるとアドレナリン・ドーパミンがドバドバ出てずっと続けてしまうタイプだったりするので、気が付くと夕方になっていた。
 「あ・・・・昼飯喰うの忘れていた」
 そういえば、朝食も、「起きて・作業して・シャワー浴びて」の中ですっかり忘れていた。ありゃりゃ健康に良くないよなぁと思いつつ、結局バラ園での作業は9時頃までかかり、その後片づけて素直に帰った。そこで「知っているつもり?石ノ森章太郎」の後半を見ながら質素な本日唯一の食事を取った。
 番組が終わって「さぁて」と思った時、突然電話のベルが鳴った。
 その電話は、美術学校時代からの友人「林治/リンジ」からだった。

 「おぉ杉村ぁ今、石ノ森の事やっていたけどさ」と言う事で電話を掛けて来たのだ。この林治はお互い漫画を書くと言う事で知り合った。
 途中から僕はメイン作業が文章になってしまったけれど、お互いクリエイティブな事をしたいという気持ちを未だに持ち続けている。
 かなり、突っ込んだ深い話などをしてしまったのだがそこで気が付いた事が一つあった。
 美術学校時代に仲間は多くいた。それぞれが理想を掲げて、相容れる事が出来ずに言い争ったりする蒼く頑なな部分もあった。みんなクリエイティブと言う壁に向かってあがいていた。
 その多くいる友人の中で、何故そうなったのか判らないがいつの間にか、林治と深く話しをし始め、さらにもう一人清サンと言う人物とも親しくなり今でも付き合い続けている。
 僕が静岡に引っ込んでしまったので、しょっちゅう逢えるワケではないが、こうやって突然電話を掛けてきたりする。

 林治・清サン・そして杉村。この3人は学校を卒業してかなりの年を経てもかわらずに逢っている。
 何故だ?とか考えてみる。それぞれがキャラクターが違う物を持っている。それぞれの目指す物が違う。が、親しくなり、雑誌などを創ったり、今でも付き合っていたりする。他の友人達は、その親しい付き合いの輪からボロボロこぼれていつの間にか逢わなくなり、消息が分からなくなっていった。
 離れていった理由はもしかしたら「クリエイティブな作業をあきらめた人とは縁が切れる」と言う感じなのかも知れない。
 だから、美術学校の頃にそれぞれが直感として「コイツはずっとずっと年令に関係なく物を創造していく人間だな」と感じていたのかも知れない。

 うむうむ・・・と私は深く考えてしまったのだ。

 結局この日は、朝6時から始まり、夜9:30-10:00の夕飯タイム以外をのぞいて、電話を切った12時30分まで休む事無くずっと何かをしていたのだ。
 はぁ疲れた・・・・
1998年5月12日(火曜日) カレンダーの季節
 仕事でカレンダーの編集をやった。
 普通に考えたら、5月の初旬にすでにカレンダーと言うのは異常に早いって感じなのかもしれないが、出版業的パターンとしてはカレンダーのほとんどが夏までに完成されていると言う状態だったりする。
 いわゆるアイドル物や漫画キャラクター物なんかの場合なんかは、今あわてて作っても来年の1月の段階で人気があるかどうかは読めないので、あの手のは秋口にあわてて作るというのが殆どだったりする。
 しかし、それ以外の多くの企業物なんかはそんなに慌てない。
 夏までに取りあえず作って、それをカレンダー会社の営業が見本として持ち歩き、それぞれの企業に持ち込み「来年のカレンダーはこれでどうでっしゃろ?」とお伺いをたて、OKが出たところでカレンダーしたの余白に「ひねもす商事」などという社名&ロゴを印刷した物を注文枚数刷ると言う事になる。
 だから、多くのカレンダーが夏以前に完成していなければいけないのだ。そしてその多くが、当たり障りのない風景なんかだったりするんだけど。

 今回僕が仕事でやったのは「スノーマン手帳」と言う商品のカレンダー部分。この手の、人気の上下の殆どない半永久的なキャラクター物の場合も早い時期に完成する。
 でもって、ワッセワッセと作ったりするのだ。
 だいたい多くの手帳物が12月ギリギリ発売開始ではなく、秋口にすでに本屋や文房具屋などの手帳コーナーに平積みされたりする。その為にカレンダー部分の始まりは1月からでは無く11月あたりから始まっている事が多い。
 さらに日本の場合、年度と言う制度の為に1年のくぎりが学生に限らず社会人も3月までだったりするので、カレンダーも3月まである場合が多い。
 仕事で編集したスノーマン手帳もご多分に漏れずにそのパターンだった。
 僕は何も考えず「ふふふ〜ん」と鼻歌まじりに作業を進めていったのだが、そのはみ出した次の年の3ヶ月分の編集に差し掛かった所で「おぉ」と驚いてしまった。
 その3ヶ月分はなんと「2000年」なのだ。

 当たり前と言えば当たり前なんだけど、2000年なんて物が現実的に自分の目の前に出現すると「なんか凄ぇ」って感じになってしまうのだ。
1998年5月13日(水曜日) ロボット・クローン、そしてアンドロイド
 SFの世界ではもう何の説明も無く、当然の様な顔をして出てくる物に「ロボット」「クローン」「アンドロイド」と言う物がある。
 ロボットに関しては現在の工業的に使われている機械がその極々初期型のロボットだと言えるし、人工知能的な物も完成されているし(感情という情報はまだらしいけれど)、よちよち歩きだが自由歩行の出来る物も出来ている。
 クローンに関してもここの所、羊のドリーなどが科学的にとどまらず社会的、宗教的な論争の的になっているが、とりあえず完成している。果たしてそれが人間に応用できる物なのか?さらに人間のクローンを作る必要性はあるのか?などと言う部分などなど、疑問視されている(この論争なんかはSFの話の中ではとうの昔からテーマにされているんで、現実が追いついてしまったワケだったりする)
 でもって残りのアンドロイドなんだけど、これはこれ自体の提議がムチャクチャ難しいと言うか、提議が無い。
 ある人は有機的な細胞と機械で構成された似非人類の事で感情を持っている。と言うし、ある人は全部機械で結局の処、感情を有したロボットの事、としていたりするもいるし、全部有機的な肉体だけどその細胞などは全部作り物というパターンだったりかなり自由な提議の物だったりする。
 SF映画の中ではエイリアンの中に出てきた人とか、ブレードランナーの中のレプリカントの事をそんな状態で呼ぶ。
 そんな中、生物化学的な話で細胞の中のDNA遺伝子をいじって、新たな遺伝子を作り出すことに成功したとかってニュースを聞いた。
 いわゆるクローン技術からさらに進んだ状態で、ここまでいくと元のDNAの持ち主が存在しない新たな生命体と言うことになる。もしかして、そんな形でアンドロイドが出現してくるのかもしれない。

 昔からSFの中では「高度な科学技術は人類にとって必ずしも輝かしい未来ではない」と言うテーマがうたわれてきたが、なんかこの辺の話が現実的な物になってくると、警告通りになってしまうんじゃないか? と少し不安になってしまうのだ。
 かの手塚治虫の「鉄腕アトム」は世間的な評価では、夢のあった未来像と言う事になっているが、あの漫画の中で多くのテーマになっているのは「科学は必ずしも人を幸せにしない」と言う物だった。
 その科学を、もう一つの科学の象徴であるアトムが押さえつけるという、悲しい人類の奴隷アトムの話だったりする。
1998年5月14日(木曜日) 壊れたマスコミ倫理、壊れた情報操作
 昨日、体調を崩して会社を休んでしまった。
 とか言いつつ、昼間は録画してあったが見ていなかった音楽番組のビデオなんかを寝転がって見ていた。
 何度か書いているが私はとりあえず「HEY HEY HEY」と「MUSIC STATION」あたりの音楽番組は必ず録画してある。それ以外の音楽番組も録画しているが、深夜番組が多いので毎回という感じではない。
 「HEY HEY HEY」と「MUSIC STATION」はたぶん残業で帰れないんじゃないか?と言う時の為にタイマーで留守録なんかをしてある。
 と言うことで、録画はしたが見ていないと言う物も多くある
 そんなワケで、体調は良くないが寝転がってビデオを見ていた。

 いつの間にか寝ていた。はっと目が覚めた時にはビデオは終わり、自動的に巻き戻され、テレビの画面は通常の番組を映していた。
 そこで「吉川晃司、酔って暴行」などという事件の記者会見をやっていた。そこに現れた吉川晃司は実に真摯な態度で、暴行の結果骨を折ってしまった知人の音楽関係者に対しても細やかな気遣いを見せ、極力感情を抑え淡々と事件のあらましや、自分の反省すべき点、さらに朝からのワイドショーでの報道の間違いなどを説明していた。
 そして一通り吉川晃司が話した後で、インタビューアー達の質問が始まった。

 が、その質問と言うのが「お前ら今さっきまで吉川晃司が話していた事を一つも聞いていなかったのか?」と言う感じのバカな質問ばかりを延々と繰り返しているだけ。
 「先に手を出したのは」とか「何発殴ったの」だとか「上下関係にあった」だとか、結局、吉川晃司を怒らせて感情的にさせようとしているだけにしか思えない質問の乱れ打ち。
 もっとも吉川晃司は最期まで冷静で乗り切ったが、心の中では煮えくり返っていたんじゃないか?と思う。

 改めてあの手のレポーターとか言っている人々の頭の悪さ、図々しさなどを思い知らされてしまった。
 先日の、X-Japanのhideの死に関しての芸能レポーターの意見などに関しても、あたかも「私は大昔からhideの事を知っていました」てな感じの物言いや、一方的に下世話な思い込みだけのレポートなんかに、胸くそ悪くなってしまった。

 ついでにhideの事に関して言えば「いつhideが若者のカリスマになったんだよ」って感じ。少なくとも生前はそんな言葉を聞いたことが無かった。
 あれに関しては芸能レポーターも最悪だったが、その後のファンと称した人々(純粋な人も多数いたと思うけど)なんかも完璧にマスコミの情報操作に踊らされているような気がする。
 哀しみと言うイベントに乗っかった人も多くいたんじゃないかな?
 X-Japanを含めhide関連のアルバムが10枚同時にオリコンの100位以内チャートに入ったのなんかを見ててもそんな気がした。だってそれ以前からカリスマとして圧倒的な支持を受けていたんだったら、多くの人がすでにアルバムなんかを買っているハズだから・・・・・。
 現に、告別式の会場前で大泣きして倒れていた女の子がインタビューに答えていたのでは「hideの事は今回のニュースではじめて知ったんですけど」とか言っていた。
 ・・・・・・・なんか、ズレまくっている様な気がするな。

 話もズレたけど、マスコミ的な部分の壊れ方というのが、酷い事になっている様な気がする。
1998年5月15日(金曜日) パッチワーク的な音楽
 最近、ときどき耳にするタイプの音楽に「パッチワーク的」な物がある。
 いくつかのメロディの断片をアレンジ的な物でつぎはぎして、1つの曲の様に聞かせるという感じの曲を耳にする。
 もちろん、数年前の渋谷系やノイズ系なんかの引用と言う名前の方法論のさらに応用なんだと思うが、あまりにも・・・って感じがしてしまう事もある。

 ヒットした物では「B'z」の曲なんかもそれっぽかったし、ジュディ&マリーの「ミュージックファイター」なんつーのはモロそんな感じだった。
 それをプログレッシブと捉える事も出来るんだろうけど、どうにも中途半端なまとめきれなかった作品としてしか聞こえない。
 そんな事を言うと「音楽を使った自由な遊び心が判らない」などと批判を受けそうな気もするが、その手の遊びは昔から大量にある。

 かのビートルズの中期以降にはその手の物が大量にあって、パッチワーク的と言う意味では「アビーロードB面」と言うのも、かなり断片的なメロディの切り貼り状態だったりする。それでも世界観を構築している。
 その裏には60年代中期から出現した電子音楽や現代音楽的アプローチへの音楽的な解答と言う意味があったんだと思う。もっともジョンレノンはテープの切り貼りで完全アバンギャルドな作品を作ったり、ジョージハリスンはシタールや電子音楽を使って、アンビエンステクノの元祖みたいな状態になっていた。
 もちろんポップミュージックの魔術師ポールマッカートニーだって、そんな音楽に手を染めないワケがない。
 ソロアルバムなんかでも、メドレーと言う名を使って、短い曲の切り貼りをやっているし、バンドオンザランなんかでも、最初と最後じゃまったく違う曲になるような切り貼り的な事をやっている。
 洋楽にはその手の事をする人は山ほどいるわけで、なんか最近の日本のポップミュージックでのパッチワーク的な音楽を聴くたびにその切り貼りの仕方の安易さに、結局、1曲にまとまらなかったメロディの廃品利用って感じがしてしまうのであります。

(あぁまた敵を増やしてしまった)
1998年5月16日(土曜日) 色々な方向から物を見る
 学生時代にバイトで似顔絵書きをした事がある。
 いわゆる音楽関係の企業がらみのイベントでの似顔絵書きだったのだが、そのイベンターと僕の通っていた美術学校の偉いさんが知り合いだった事からそう言う話が舞い込んできた。
 ある日突然授業で「人の顔を書く」と言うテーマが与えられて、クラスメイトの顔をわっせわっせと書いて提出した処、数人が職員室に呼ばれ「こういうバイトがあるのだが」と紹介されたのがきっかけだった。
 よく考えて見たら、授業の名を借りたバイト斡旋だったワケで、もしかすると「癒着」とかそーゆー言葉が関係していたのかも知れない。
 ま、そんなこんなで僕を含めて数人がその似顔絵書きにかり出され、その後も何度かバイトをした。

 そこでふと感じた事なのだが、同じ人を書いてみても書き手によって特長のポイントの捉え方が全然違うと言うことだったりする。
 ある人は「この人物は鼻が大きい」と捉え一番のポイントにする。
 また別の人は「この人物は目が細くてつり上がっている」と言う部分を最大の特徴と捉える。
 また他の人は・・・・
 と言う感じにそれぞれの人がそれぞれに似顔絵を展開させてゆく。

 つまり、どんな人でも単純に1つの方向から捉える事が出来ないんじゃないか?と言う事をそのとき勉強した様な気がする。
 例えば「あいつはワガママで自分の事しか考えていない迷惑なヤツだ」と言われる人がいたとする。確かに、自分勝手で周囲を疲れさせてしまう元凶になっているかもしれない。
 が、別の方向から見ると「行動力がある」「何にでも好奇心を示す」などのプラス要因も出てきたりするんじゃないか? などと考えてみる。

 その逆にどんな人だって悪い方向から見てみれば、いくつだって項目が出てくる。
 そんな方向からばっかり考えていると、全員を敵に回さなければいけなくなってしまうんじゃないかな?

 誰にだって、複数のドアを持っている。
 その中の最良のドアをいかにして開けるかが、人と対面した時に大事な事ではないか?と考えたりする。
 それは自分自身にとっても同じ事が言えるんだけれど。
1998年5月17日(日曜日) 魚群探知機
 先日なにかの雑誌を見ていてビックリしてしまったのが「ゲームボーイ:魚群探知機」てやつが発売されるらしい。
 世間一般の予想では、プレイステーションやサターン、あるいはニンテンドー64みたいな高画質のTVゲームが安価で手に入る現状で、あんな画面のゲームを誰がやる?みたいな部分があったと思う。
 が、いわゆる通信機能を生かしたゲームなどで安定した人気を保ち、さらに「ポケモン」などのヒット作を出している。
 確かに本体が安いので多くの子供が持っている。さらに携帯性が売りなのでどこへでも持ち運べる。と言う事から、それぞれが本体を持ち寄ってゲームが出来ると言う事になっている。
 これまでの家庭用ゲーム機にも通信機能を入れた物もあった。が、ソレの場合、本体を2台用意して、さらにTVモニターも2台用意しなければならなかったりした。
 つまり、かなり面倒くさい物だった。
 それを簡単に出来るようにしたと言う功績はある。

 で、去年の暮れに「ゲームボーイカメラ」と言う物が発売されて、世間を驚かせた。
 たしかに画質の面で言ったらキビしいものがあるが、かなり安い値段でデジカメが・・・と言うことで大ヒットした。
 ついでに小型のプリンターまで・・・・
 知人が興味あって発売当初、オモチャ屋を複数うろついたがどこもかしこも売り切れ状態だったらしい。うむ、とりあえずヒットしたか。

 と思っていたら今度はゲームボーイで「魚群探知機」が発売されるらしい。
 最近はやりのバスフィッシングなんかのゲームではなくて本物の「魚群探知機」だったりする。
 いわゆるセンサーを水の中に付けて、電波なんかを発信させ、それによって魚の群がどの辺にいるのかを検知する機械なのだ。
 本来ならば100万とか、安くても10万円単位の商品だったのを1万円まで値段を引き下げたってのは凄い。
 最初この広告を見た時に「おいおいゲームじゃないこんな物が売れるのか」とか思ったのだが、釣りが趣味の子供も多い。そんでもって、釣りは待ちが基本と言う事なので、当然その間本を読むとかゲームボーイをするんじゃないか?てな事を考えた。
 そんでもって、本体の方の売上が頭打ちだとしたばあい、これならば今までゲームボーイ本体を持っていなかった大人が一括購入する可能性が高い。

 私は釣りもゲームもさほど興味ないが、これが売れるかどうかには凄く興味がある。

 次に考えられそうなのが、電波をとばす機能を入れた簡易通信機械あたりかな?
 昔だったら夢だったスパイセットって感じがする。
*もしかしたら昔ながらの「スパイ」って言葉は子供達の間では死んでいるか?
1998年5月18日(月曜日) 葉月里緒菜:魔性の女
 いままでは「魔性の女」だとか「妙に色気がある」とか、色々男性諸子の妄想を膨らませるキャラクターだったのだが、実際にヌード写真を発表してこれほどまでに波を引かせた人も珍しい。
 私は写真集そのものを見たわけではなく、別の雑誌で「写真集未掲載分」と言うのを見たんだけど、確かにうむむむ、マニアックな写真かもしれない。
 どっちかと言うと巨乳系は苦手で、貧乳系の方が好みだったりするが(←マニアック)、それとは別の次元で葉月里緒奈のヌード写真には、色気も何も感じなかった。
 服を着ている写真の方が充分に色っぽい。
 世間一般も同様の意見なのか、普通この手の写真集が出版された直後は本屋の店頭に『品切れ:次回入荷は未定です』などという貼り紙が出るのだろうが、どこの本屋でも山積み状態で売れ残っている。

 はっきし言ってコンビニなんかでも異例の写真集発売を決行したのだが、コンビニでさえ売れ残っている。発表してすでに1ヶ月ぐらい経っている様な気もするが、売れ残っている。

 ある意味で魔性の女なのだ。
今日の読破本『エラリークィーン:クィーン犯罪実験室』ハヤカワミステリー文庫
1998年5月19日(火曜日) ウィルス発生
 某出版社の東京事務所のマックからウィルスが発見された。
 と言っても発見したのはその事務所のマックから直接ではなく、その事務所が外部に発注した仕事のMOからだった。つまり、大手の出版社では発見できず、その下請け業者がウィルスチェックをしてくれたと言う事になる。
 そして大慌てでその事務所にあるマック約30台を調べた処、見事な事に全部のマックがウィルスに感染していたらしい。
 とりあえずコンピュータウィルスチェックの為の「サム」が当然の様にその出版社のマックにも入れられていたりするのだが、なんとこのウィルスは最新種で、一番新しいヴァージョンのサムの、特定の設定でないと検出できない物だったのだ。
 そんなこんなで、他にも数カ所の事務所を持つこの出版社は慌てて「ウィルス発生」のニュースを流した。当然の事ながらそれぞれの事務所はつながっているし、それ以外にもデータの交換も頻繁に行われている。
 その結果、東京にある他の事務所いくつかからウィルスが検出された(全部ではなかった)それ以外の地域の事務所では検出されずに済んだ。
 ほっと一安心。

 と思っていたのだが、そのウィルス発生のニュースは他の出版関係にも流され、その結果、いくつかの会社でも検出されたのだ。

 一番最初にウィルスに感染したのが、5月6日、その後、約1週間でどばーっと拡がったらしい。
 現在の処、ウィルスに感染したと言うのが発見されただけで、そのウィルスが発病した時にどんな効力を示すのかは不明だったりする。もし発見されていないウィルスが何らかの条件を満たされた時にどんな症状を示すのか不安だったりする。

 しかし、ウィルスチェックにしても毎日の仕事の中で「慣れ」と言う安心感でチェックが疎かになっているのは事実だったりする。
今日の読破本『星新一:夜のかくれんぼ』新潮文庫
1998年5月20日(水曜日) 暑中お見舞い申し上げます
 暑い・・・・・ニュースでは6月下旬、7月初旬の暑さだと言う。
 普段、仕事の際は精密機械に囲まれていると言うのもあって、完全空調システムなんて感じで世の中の状況が掴めなかったりする。ついでに今、作業している処は窓も無いんで、天気も時間も(時計を見ない限り)判らない。
 凄く非人間的で良くない職場だったりするのだ。

 でもって昼休みにサッサと食事を済ませて会社の外を歩いてみた。
 この会社の外ってのが、中での非人間的状況とは打って変わった景色で、会社の前の道を横断して松並木を抜けると高いコンクリの堤防、そして駿河湾が広がっていたりするのだ。
 どっどーんと開ける視界。
 遠くは霞んでいるが、激しい日差しときらめく海面・・・・・あぁ夏がここにあった。

 そんなこんなで私は、へろへろと堤防づたいに歩きまわっていたりするのだ。私は散歩だと思うが、客観的に見た場合、デジカメを持って周囲にいい被写体がないか?とキョロキョロしている姿は「徘徊」と言うのが正しいのかもしれない。
 あぁやっぱ人間、なんだかんだ言っても自然が一番だナァ

 などと思いつつ、昼休みが終わって仕事に戻ると、陽熱で身体が火照って凄くダルくなって、仕事に集中できない・・・・。
 あぁやっぱ人間、自分に似合わない事を突然しちゃいかんな。
今日の読破本『さとうふみや:金田一少年の事件簿:魔犬の森の殺人』講談社マガジンコミック