< 杉村ぐうたら日記(1998年6月1日〜10日)

▲1998年6月1日:月曜日:99ブルース
▲1998年6月2日:火曜日:日経ネットナビに掲載された
▲1998年6月3日:水曜日:雨のウェンズディ
▲1998年6月4日:木曜日:天気の日には散歩して
▲1998年6月5日:金曜日:コレクターの魂
▲1998年6月6日:土曜日:値段は自由
▲1998年6月7日:日曜日:何か面白いこと無い?
▲1998年6月8日:月曜日:ついに100週目に突入!
▲1998年6月9日:火曜日:星の流れにこの身を任せ・・・
▲1998年6月10日:水曜日:たこやき
1998年6月1日(月曜日) 99ブルース
 そんなワケでこの「ぐうたら日記」もついに「99週目」に入ってきたワケで、これまで日記を付ける度に3日で辞めてしまった私にとってはムチャクチャ凄いことだったりするのだ。
 と言いつつ、実はこの99週の前にも少し文章があったりするので正確な99週ではなかったりするのだが、いやはや「自分で自分を褒めてやりたい」とか、「今まで生きてきた中で一番嬉しいです」とか、「とおさんかあさんオイナリさん大変おいしゅうございました」とか、色々な言葉が浮かんできてしまうのであります。
 もっとも前半の1996年あたりの文章は日記ってワケじゃなくて、某パソ通で日々ワシワシとヨタ話を書き連ねていた時の編集版だったりするワケなんすけどね。
 だからこの「ひねもす」に掲載されている文章は『現代用語の基礎的ではない知識』を含めて、約2年間の私の書き散らした文章の塊と言う事になっているのであります。
 よく「毎日毎日書いていてネタが尽きないね」などと言われたりしますが、書けば書くほど書き足りない事が出てきて・・・と言う状態だったりします。

 かの天才ギタリストのジミーヘンドリックス先生は「頭の中にどんどんメロディが浮かんでくる。それを追い出さなくては精神がどうにかしてしまう。私の場合はひたすらギターにたたきつけるだけだ」と言いつつ、頭の中から完全にメロディを追い払えず、結局ドラッグに手を出し、あっちの世界に行ってしまった。
 私の場合、常にナチュラルハイの状態でヘラヘラしているので、基本的にドラッグは必要ないのかもしれない。

 かの佐野元春氏の歌に「99ブルース」と言う曲がある。
 世の中にはありとあらゆるルールや法則があって、それと向かい合って生きて行くしかない。そして現代と言う物は手に入れたいと願う物はいとも簡単に手に入れることが出来るインスタントな時代なんだ。だけど、本当に欲しい物だけが手に入れられない。だから今日も歌い続けるんだ99ブルース。
 と言う内容の詩を歌っている。
 たしかに99%までとは言えないが、夢に近づこうと努力をすれば今の時代、近づくことが出来る様な気がする。しかし、本当に望む理想形を手に入れることが出来ない。だから、夢を持っている人はあがき続けているのだ。

 僕がこうして毎日の様にあがき続けながら文章を書いているのは、まだ満足できないと言う事なのかも知れない。
 「俺って凄い」「俺は誰よりもイケてる」「俺以外のヤツってどうしょーもねぇ」とか思った瞬間にその人は未来を語れなくなってしまうのかもしれない。もうこの先、精進する必要がなくなってしまうからなのだ。
 僕は99の次の100をいつも探すために文章を書き続けていくのだ。
 とか何とか言っても、来週になったら自動的に「ぐうたら日記100」になっちゃうんだけどね。
今日の読破本 『浦沢直樹:HAPPY 18』小学館コミック
       『浦沢直樹:モンスター 9』小学館コミック
1998年6月2日(火曜日) 日経ネットナビに掲載された
 そんなワケで、日経BPが出版している『日経ネットナビ』と言う雑誌の7月号に、この「ひねもす」が紹介された。
 私の見つけたホームページと言うコーナーで「杉山さん」からの推薦で紹介されている。この「杉山さん」と言うのは、このHPを隅々まで読んでいけば何度も出てくる名前なので「あぁ身内での紹介ね」と言う事に気づくと思う。ま、現実はそんな物なのだ。
 が、それだけではないのが、このページの中で編集部が選んだ『今月の注目!』と言うHPとして「ひねもす」がさらに推薦されちまっているのだ。
 うひーうれしいっす。
 とにかくHPを天文学的数見ているハズの編集部様に推薦されたって事は、もしかして凄い事なのかも知れない。
 なんか自慢している様な文章になってしまったが、単純にうれしいと思ってしまったのだ。

 そんでもって、この雑誌が発表された日から、当然の様にアクセス数がどーんと増えてしまったのだ。ありゃりゃ、凄いねどーも。
 しかし、問題はアクセス数ではなく、投稿だったり、伝言板だったりするのだ。そっちが盛り上がってくれないと困るのだ。完璧に杉村暴走状態HPの道を突き進んでいるこの現状は。
 そんなワケで、この文章を読んでいるあなたっ!そうです、そこのあなたです。キョロキョロ後ろを見たりしても、他に人はいません、あなたのことです。とりあえず、ここでこうして文章を読んでいるのも何かの縁です。帰りがけに「伝言板」に一言、あるいは「現代用語の〜」にネタをひとつ、いかがでしょうか?
今日の読破本 『群ようこ:あたしが帰る家』文春文庫
1998年6月3日(水曜日) 雨のウェンズディ
 なんかニュースによると、南の方は梅雨入り宣言が出されたそうだ。
 うむむ、春の長雨が開けもしないでそのまま梅雨入りに突入か・・・、なんか気分がシャキとしない。
 本来、日本の気候はメリハリが利いているハズなのだ。
 4月初旬は暖かい日々。
 4月中旬は春の長雨と言って5日ぐらい雨が続く事もある。
 5月は五月晴れと言ってカラッと晴れる(5月が一番紫外線が強いと言う話もある)
 でもって6月に入って梅雨入りとなる・・・・

 普通はそう言う事になっていて、カレンダーとかの図柄も5月は晴れ渡った青空のもとを悠然と鯉のぼりなんかが泳いでいる(そんなオーソドックスな古い絵柄はすでに無いか)。
 日本には風物詩として、花見だって、ゴールデンウィークだって、色々あるのだ。ところが今年の天候不順具合は並大抵の天候不順ではないって気がしてしまう。
 なんせ、4月の7日あたり、いわゆる新学期が始まった日からずっと天気が悪い。あの日に知り合いの子供が入学式だったのだが「雨でまいっちゃった」と言っていたのを記憶している。
 それからの日々と言う物、晴れ!って感じで数日続く事がほとんどない。

 なんせ、私は去年の暮れにデジタルカメラを購入してからと言う物、毎日毎日、意味無く辺り構わず風景写真(&人物写真)を撮影する人になっているので、その日々の天気なんて物は写真を見れば一目瞭然なのだ。
 さらに晴れた日は「撮影心」がムズムズしちゃって、会社の昼休みに外を散策していたりするので、かなり天気にも気を使う人になっていたりする。
 そんなこんなで「カラッと晴れた日がほとんどない」と感じていたりするのだ。

 そんなこんなのジメジメ日々を引きづったままの梅雨入りと言うのは、かなり「人をバカにしとんのか、われぇ」状態なのかも知れない。
 お陰で植物なんかにも影響が出ているらしく、今年は豆類が不作だと言う情報が入ってきている。
 ついでに梅までもが大不作らしい。かの熱海の梅園なんかで毎年恒例の梅の収穫なんかが、いつもの2割程度しか実がついていないと言う理由で中止になったりしている。
 もしかしたら、またしても米が大不作になるんじゃないか? などという感じもしてしまうのだ。エルニーニョだかハラペーニョだか知らないが、米を不作にする事だけは許さん!
 と怒っても、お天道様の都合だけはどーしょーもないのだな。

 そんなワケでリクエストは大滝詠一の「雨のウエンズディ」をお願いします。
今日の読破本 『五木寛之:雨の日には車をみがいて』集英社文庫
追記:1998.6.4
 どうやら、6月3日、かなり広い範囲で梅雨入り宣言したらしい。
 でもって自分の住んでいる処も梅雨入り宣言したらしい。
 そしてその夜、宣言通り雨が降っていた。
 と、思っていたのだが翌日は朝から思いっきりいい天気で「こんなに天気のいい日ってひさびさだよね」と言う皮肉な状況になってしまったのだ。
 と言いつつ、この「梅雨入り宣言」→「翌日ピーカン晴れ」と言うのは毎年パターン化している様な気がする。
1998年6月4日(木曜日) 天気の日には散歩して
 そんなこんなで梅雨入り宣言をした翌日、何故か朝4時台に目覚めてしまった。
 なんかジジイみたいなのだが、目が覚めてしまった物はしょーがない。ゴホゴホせき込みながら雨戸を開けるのだ・・・・って、せき込みもしないし、元々雨戸も閉めていないが、カーテンを開けた。
 外はまだ真っ暗な闇だった。
 うーむ、本当に早く目覚めてしまったのだ。と思った私は「そー言えば『ぐうたら日記』を更新しなくちゃいかんな」と思い立って、少し編集作業をし更新をした。
 ちゃんと毎日毎日、文章を書くことは書いているので、数日日記の更新が無いときもみなさん心配しないで下さい。私を捜さないで下さい。ほって置いてください。
 そんなこんなで、色々な作業をしたり、他のHPを覗きにいったりして、時間は5時になった。
 朝5時ぐらいになるとすっかり明るくなって今日の天気がハッキリ判る。そして今日の天気は「雲が多いけれど、その向こうにはシャキッと青空が見えている」と言う感じだったのだ。
 そーゆーワケで普段運動不足を自覚しつつ、さらに普段会社にいくだけでほとんど足を使っていない。そー言えばここ数年、家の周辺さえもほとんど歩いた事ほとんどないよな。と言う私は突然、あまりに突発的に「散歩」ってヤツをしようなんて考えてしまったのだ。
 いやはや早起き健康野郎森田健作道を突き進んでいるな。などと感じながら玄関を開けた。当然、手にはデジカメを持っている。

 「ふぁぁぁぁぁ」
 外に出て私はことさら大きな深呼吸をしてみた。
 「あぁやっぱり新鮮な空気はスガスガしいのぉ」
 などと判りもしないのにそんな事を言ったりするのだ。
 よく「緑の中で」とか「新鮮な空気」などと言う言葉を並べ立てたりする状況があったりする。そーゆーのをずっと僕は判らなかった。
 確かに宴会なんかでゴチャゴチャ人がいて、酒の匂い、タバコの臭いなんかが充満している部屋から外に出ると「新鮮な空気」なんて感じがすることはするが、それ以外の自然に感動した!なんて状況はあまり感じた事がないのだ。
 なんせ、自分が生まれてから(数年東京生活あり)ずっと暮らしてきたこの伊豆の片田舎では当然の事だったりするのだな。それを別の環境の人は「もったいない」とか「それって自慢?」なんて感じに捉えたりするかも知れないが、私にはあんまし判らないのだ。
 ま、今回の散歩は天気に誘われて、と言う要素も充分にあるが、運動不足解消と言う目的が大きかったりする。

 昔は夜、軽く走ったりしていたが最近はさっぱりなので、そろそろ走り始めようかな?なんて思っていたりする。それの下見、様子見と言う感じで、散歩に出る事にした。
 確かに、最近平日と言うと、家を2・3歩出るとすぐ車があって、会社の駐車場から自分の机までと言う感じの運動ぐらいしかしていなかったりする。
 さらに仕事が立て込んでいると、4時間連続で座りっぱなしなんて状況になってしまう。そして仕事が終わって、朝を逆に繰り返していくだけ・・・・これじゃ運動不足だよな、と言う感じなのだ。
 おかげで新陳代謝が悪くなって、ここの処ずっと便秘ぎみだったのだ。いやはや、食事をしながら読んでいる人もいるかもしれないがすまんすまんだったりする。
 で、ヘラヘラ歩いていくと気が付く事がある。かなり犬の散歩をしている人とすれ違う。こんなに近所に犬を飼っている家が多くあったんだ。と言うのも新たな発見だった。
 それ以外に、少し離れた処、かつて田畑しかなかった様な処にもかなりの数の住宅が建っているのにも驚いた。
 いやぁ本当に、風景が変わってしまっているなぁ・・・・などと思っていた時、突然下半身に鈍い衝撃が走った。

 あ・・・・・・・
 数日、便秘気味だった私の下半身にノックの音が・・・・、と、そのまましばらく歩いていくと、更なる突き上げ(突き下ろし・・・か)がやってきた。
 これは、単純に考えると普段極度の運動不足の私が、散歩と言う程度の軽い運動をした為に、微妙な健康状態が訪れ腸の動きが活性化したのではないか?うむ、そんな少しだけの運動で活性化するか?と言う感じだが、こーゆーものは時と場所を選ばずに訪れる。
 そのまま家に引き返せばなんとかなると思ったが、まだそんなに差し迫った状況でもないし、朝5時台の田舎と言う事で、ちょっと川原の方に歩いていけば草むらは大量にある。いよいよ緊急事態になった時でもなんとかなると私は考えたのだ。(食事中の人ごめん)
 私は、その川原方向をめざして歩いていった。・・・と、段々下半身に重圧がかかりはじめる。「う・・・緊急が急を要してきたかもしれない」と、最終手段の川原の草むらをめざそうと、川原に続く堤防に登った。

 とそこで私が見た風景は、イヌを連れて散歩をする人々's。そうですその川原は複数のイヌ散歩人が往来する「イヌ散歩銀座」と化していたのです。
 当然そのど真ん中で脱糞ショーを繰り広げるワケには行かない。
 かなり切羽詰まった状態で私はきびすを返し、私は元来た道を家に向かってヨタヨタと引き返すのでありました。

 そんなワケでリクエストは、あのねのねの武道館ライブ盤から「散歩の歌」をお願いします。
今日の読破本 『鳥山明:Cow !』集英社ジャンプコミックス
1998年6月5日(金曜日) コレクターの魂
 私は基本的に物を捨てるのが下手な人だったりする。
 そーなると当然、部屋の中には過去の本やら物があふれかえる事になってしまう。そーなるといつの間にか骨董価値がでる物が増えてくる。
 さらに、物が多くてもさらに物を買ってしまう。
 その結果コレクターな状態になってしまうのであります。
 別にコレクターというワケではないが、ついつい物が増えてしまう。
 私はいわゆる昨今のコレクターブーム・鑑定団ブームと言うのが好きではない。
 大昔遊んだおもちゃが今高値で!みたいのがあって、そのおもちゃを遊ぶためではなく骨董価値として買ったりする、この先値段が出るのは当然だから、箱から出さず「状態がいい」形で大切に保管する。と言うのが凄く増えて来ている。
 でも、そんなの邪道な生き方だと思ってしまうのだ。
 おもちゃなんて遊ばれてナンボの世界だと思っている私は、その手垢も付けずに保管しているスタイルは好きではない。

 そんなのとは別にコレクター魂はあるらしく、本なんかでもシリーズ物は「面白くなくなったな」と感じる作品でも揃っていないと気持ち悪い。と言う理由から続巻も買って、本棚に整然と並べたりする。
 そんなこんなで、本も小説・漫画ともにン千冊と言う状況だし、レコード・CDもある。さらに音楽番組を撮り貯めたビデオテープもン千本と言う状態になっている。
 世間一般では「これをマニアと呼ばずになんと呼ぶ」と言う状態かも知れないので、私もマニアっす、コレクターっすと認めざるを得なかったりする。
 が、基本的に読んでナンボ、見てナンボだったりするのだ。

 この私の収集癖は実は私から始まった事ではなかった。
 私の母親の家系と言うのが、どーやらそれらしい。
 私の母親の祖父(つまり曾祖父さん)は明治時代から「切手」「マッチのラベル」を収集していたと言う。今では「マッチのラベル」の収集なんて聞かないかも知れないけれど、昭和の中期頃まではポピュラーな趣味だったらしい。いわゆる喫茶店などで貰えるボックスマッチの箱部分を水にふやかせて、その表側のデザインされている部分を広げて台紙などに張り付けた物だと言う。
 そのマッチラベルコレクションは、どこかへ行ってしまったが(燃やされた?)切手のコレクションは残されて、今、我が家にある。
  母も学生時代はその趣味を受け継いで記念切手が出る度に買い求めて、そのコレクションをさらなる物にしていたというのだ。
 いわゆる明治時代には、そんな切手が後々価値が出るなんてさほど思われていなかったので収集している人なんてあまりいなかったと思うのだが、私の曾祖父はただの趣味人として切手を集めて残していた。
 基本的に「揃っていないと気持ちが悪い」と言うコレクター魂だったのだと思う。
 さらに使用済み切手まで全部残してあったのだ。
 だからそのコレクションを見ると、明治時代の菊のデザインされたヤツ、龍のデザインされたヤツ、なんかが何ン百枚単位でコレクションノートに収集されていたりするのだ。
 あぁただの道楽者コレクターだ。

 でもって、つい先日行われたフリーマーケットで「98年度版切手価格表」の本を購入した処、我が家の母が大々的な切手の整理を始め、夜な夜なワッセワッセと大整理し、新たな切手帳を編集しはじめ、値段を計算し始めた。もう1ヶ月近く毎晩毎晩、コツコツと編集しているのだ。
 どうやら私の「細かい作業が好き」「編集作業が好き」と言う面倒くさい性格も、母親家系の遺伝らしいのだ。

 そんなワケでリクエストは、マーベレッツの「プリーズミスターポストマン/Please Mr.POSTMAN」をお願いします。
今日の読破本 『夏目房之介編:手塚治虫はどこにいる』ちくま文庫
1998年6月6日(土曜日) 値段は自由
 以前、ニュースにもなった「値段は客が自由に決める高級レストラン」が閉店したらしい。
 これってのはシェフの自信と、お客様への配慮からこのシステムにしたと、その当時そのニュースで知ったが、その結果、半年も保たなかったと言う。
 私の知人は「俺だったら、喰いにいって難癖つけて100円でも置いて帰って来ちゃうな、だってそれだっていいんでしょ?値段は客が自由に決めるんだから、俺は100円の価値しかないって思ったんだったら」と言っていた。
 確かにそんな感じで、実際の値段よりかなり低く払う客が出てきて店の方は採算が取れなくなってしまうんじゃないか?とか、他人事ながら心配していた。

 が、今回の閉店はそーゆー理由ではなかったらしい。
 店に来てくれた客はほとんどが、店側の計算より高い値段を払ってくれた。そう言う意味では黒字で成功だったのだが、基本的に客足が遠のいてしまったらしい。最初は話題になったので、客も多く来たと言うのだが。
 では、まずかったのか?と言うとそうでもなかったらしい(たぶん)。

 以前読んだことのある、なぎら健壱氏のエッセイにも同じように客が自己判断で値段を決める店の話が出ていた。そこはレストランではなく、居酒屋だったが、なぎら氏のいきつけだった居酒屋がある日突然、そんなシステムに変えてしまったと言うのだ。
 最初は面白いと思っていたのだが、たとえばビール1本飲んだだけでも、まさか安く払うワケにはいかない。さらに細かい端数なんかも請求するワケにもいかない。結局、実際「これくらいか?」と思っていてもそれ以上の金額を払わなくてはいけない。それ以前に客がその辺の事に頭を悩ませなくてはいけない。
 そんなわずらわしさが多く、結局その店に徐々に行かなくなってしまったという。
 確かに、高い値段でも「これです!」と言われたら納得するしかないし、高い、そのわりに旨くない、と思ったら二度と行かなければ良いわけ。

 客が値段設定をするって言うのは、シェフが「俺の作った料理は値段が高いけれど、それに見合った物をキッチリ作りまっせ!」と言う自信を作っているのとは違って、すごくいやらしい方向で客にこびている様な気がしてしまうのだ。

 そんなワケでリクエストは、ボブディランの「コーヒーもう一杯/One more Cup of Coffee」をお願いします。
今日の読破本 『群ようこ:人生勉強』幻冬舎文庫
1998年6月7日(日曜日) 何か面白いこと無い?
 自分の中で色々取り決めがあって「これをしちゃいけない」「こんな事を言っちゃいけない」という項目がいくつかある。
 別に世間一般では別にそれを悪いことだとしているワケではなかったりする事もそれにいくつか含まれている。
 それはここで全部言うワケにもいかないけど(かなり細かい事もあるし、すっと思い出せない事もある)それの事を世間では「美意識」とか「ポリシー」と言ったりするのかも知れない。

 その中で1つ自分で「これは人前で言ってはいけないな」と思っている言葉がある。それは『何か面白いこと無い?』あるいは『面白いことねぇな』などの言葉だったりする。
 この言葉って言うのはよく聞く。
 確かに自分でも、退屈すぎる時、あるいは気持ちがへこんでいる時なんか、そんな感情を持ったりしないワケではない。だけど、自分の中で「それを言っちゃおしめぇよ」と言うやっかいなポリシーが存在していたりするのだ。

 ずっと中学生ぐらいから、あるいはもっとちっちゃい頃から色々自分なりの遊び方を考えてきた。それは一人遊びの場合もあるし、多人数を巻き込んでの場合もあった。
 本当にあれもこれもと欲張って好奇心を示し、色々趣味にしてきた。そんでもって、音楽を作ったり、漫画を書いたり、文章を書いたり、最終的に人に見せたり聞かせたりしてその反応を楽しんでいたりしたのだ。
 結局、自分にとっての最大の楽しみってのはずっと昔から「他人を楽しませる」と言う事がメインだった様な気がする。つまり、音楽や、漫画や、文章って言うのをコツコツ作る作業ってのも楽しいのだが、それはあくまでも二次的な物で、最終的な目的はそれを相手に見せて、その反応を見ると言う部分だったのに気が付いたのだ。
 だから作っている最中も「ここで笑ってくれたら最高だよな」などと、ほくそ笑みながら作っていたりする。客観的に見たら真夜中、机に向かってゴソゴソやりながらニヤニヤ笑っているのってかなり危ない。 そんなワケである種、他人に面白さを求めたりするのは自分のポリシーに反するのでは?などと思ったりする事があるのだ。

 かといって他人の作った物を否定するつもりはなく、基本的に他人の物を見たり聞いたりするのも大好きで、どんな物にでも面白さを見つけだそうと思っている。
 そんなこんなで、退屈自体をあまりしない為に「何か面白いこと無い?」と言う言葉自体あんまし使う機会が無かったりするのだ。

今日の読破本 『湯本香樹実:夏の庭』新潮文庫 
1998年6月8日(月曜日) ついに100週目に突入!
 そんなワケでこの「ぐうたら日記」もついに「100週目」に入ってきたワケで、これまで日記を付ける度に3日で辞めてしまった私にとってはムチャクチャ凄いことだったりするのだ。
 と言いつつ、実はこの100週の前にも少し文章があったりするので正確な100週ではなかったりするのだが、いやはや「自分で自分を褒めてやりたい」とか、「今まで生きてきた中で一番嬉しいです」とか、「とおさんかあさんオイナリさん大変おいしゅうございました」とか、色々な言葉が浮かんできてしまうのであります。
 ・・・って、何か先週もまったく同じ様な文章を書いた記憶がする。これはもしかしたらデジャヴ(既視感)とか言うヤツではないか?
 などと言ってお茶を濁していますが、とりあえず「ぐうたら日記」も100週目になりました。100週って事は100週×7日で700日、二年近く延々と書いていると言うことになります。(間、書いてない日もあったりするけど)
 ふと二年前、自分がどんな事を考えていてどんな音楽を聴いて、どんな人に逢っていたのか、なんて事を記憶からさぐって見るとかなり曖昧になっていたりします。いやぁ二年前ってかなり昔って感じっす。
 確かに学生時代の二年前と、社会人になってからの二年前でははるかに密度は違いますが、それでも毎日歩いて随分遠くに来たような気がします。
 そんなワケで、次の200回記念の時は計算してみると・・・・『西暦2000年5月2日〜5月8日』と言う事になったりします。もう思いっきり「西暦」なんてワザワザ付けたくなってしまいたいような日付っすけれど、まだギリギリ20世紀だったりします。
 はたしてその時、僕はどんな事に興味を持っているのか? そしてどんな生活をしているのか? はたまた地球が1999年7月で消滅しているのかは判りませんが、とにかく私は相変わらずとか言いながら文章を書いていたいと思っているのであります。
 そんなわけで、まだまだ続きます。
 イヤだと言っても続きます。

今日の読破本 『辻仁成:オープンハウス』集英社文庫
1998年6月9日(火曜日) 星の流れにこの身を任せ・・・
 雑誌を買うと、その巻末なんかに書いてある星占いなんてヤツをついつい読んでしまったりする。
 でもって良いことが書いてあると「よしよし」なんて思って、最悪な事が書いてあると「見なかった事にしよう」と本を閉じてしまったりする。
 俺は占いなんて信じねぇぞ!とか言ったりする人だって、結構「実は」信じていたり、気にしたりしちゃったりするのだ。
 逆に信じすぎてしまう人もいて、会社の同僚の奥さんはフジTVの朝の「めざましTV」の今日の星占いで「最悪」が出ると、その日は会社を休んでしまう!と言う人までいる。
 うーむ、たぶんその最悪ってのは同じ星座に集中しないように、完璧12等分の確立になっていると思うので、12日に一度は仮病を使ってしまうという、実にいけない社会人だったりするのだ。

 雑誌なんかの基本は「星占い」と言うことになっているが、一時期「蛇遣い座」なんて物が騒がれた頃はかなり占星術師達も動揺したみたいで、あわてて13星占いに変えたり、そのままで行く事の声明を出したり、かなりざわついていました。
 彼ら彼女らの未来占いの中には「蛇遣い座の出現」と言う項目はなかったみたいでこりゃ大変な事だったのだ。が、その騒ぎからもう3年近く経ったのかな?(たぶん)結局、星占いは元の形に戻っていまさら「蛇遣い座」なんて言っている人はいなくなったと思う。
 そんな感じに曖昧な部分が多いから、当時は本によって自分の星座がマチマチだったりして、結局いい加減にやっているという部分を露呈してしまったのだな。

 もっとも、普通の星占いでも雑誌によっては正反対な事を書いてあって「どーすりゃいいの?」と思ってしまう事がある。
 ある本では「12年に一度の幸運期に入りました。何をやってもラッキー、じゃんじゃん外に出かけるべし」とか書いてあって、別の雑誌には「何をやっても上手く行きません。こんな時は大人しく部屋の模様替えでもしている方がいいでしょう」なんて書かれていたりする。
 うーむ、実際にここまで極端に違う占いを私は経験した事がある。
 結局、何も良いことも悪いことも起こらずその週は過ぎてしまったのだが。

 よくその手の占いで、音楽雑誌ならば「このCDを聞けばラッキーになれるよ」とか、本関係の雑誌ならばラッキーになる為の本とか、あるいは一般誌ならラッキーな色とか数字なんかが書かれていたりする。
 それをどのくらいの人が真に受けて実行するのか判らないが、とりあえず私は本を閉じた瞬間にすっかり忘れてしまうので、実行をしたことはなかったりする(偶然はあったかもしれないけど)
 が、ある日読んだ星占いのラッキーアイテムは忘れようにも忘れられない物だった。
 普通のよくあるトレンド商品などを紹介するのがメインの雑誌に掲載されている星占いだったのだが、そこそこ良い事が書いてあってラストにラッキーな買い物と言う項目があった。

 『今週のラッキーアイテム:船を購入すると幸運が舞い込んでくる』
 ふ・・・・・・ふね?

今日の読破本 『モンキーパンチ原作:高口里純脚本:Shusay作画:ルパン三世』双葉社
1998年6月10日(水曜日) たこやき
 この「ひねもす」の中で。毎月『電脳たこやき便り』と言う物を発行している。
 と言っても、「ぐうたら日記」とドー違うのだ?と言われると、さほどの違いは無かったりする。ただ少し長い文章と「現代用語の基礎的ではない知識」の新作を発表する。と言うだけの物なのかも知れない。
 実はこの「たこやき便り」と言う名前はかれこれ15年ぐらい前から存在していたりして愛着のあるタイトルなのだ。約15年ほど前「何か雑誌でも作りたい」と発作的に思ってしまい、一人でワッセワッセと作った完璧手書き個人雑誌を作ったのですが、その雑誌をまとめる際に「雑誌名をつけなくてはいけない」と考え込み、その結果「たこやき便り」と言う物になったのです。
 何故に「たこやき」なのか?と言うと、そのタイトルを決めるときに食べていたからと言う実に単純に意味のない理由だったりするワケです。
 その後、思い出した様に3年に1冊とかと言う不確実なペースで刊行していった「たこやき便り」だったのですが、それがキッカケで数年後、私はパソコン通信と言う物をはじめる事になるワケです。
 その始めた時のパソ通のシスオペ(システムオペレーションの略:つまりパソ通ネットの主宰者)に雑誌「たこやき便り」を気に入ってもらい「じゃ、これをパソ通の上で展開しようよ」と言うことになったのです。実は「電脳」状態の「たこやき便り」は1992年に始まっていたりするワケです。

 その「パソ通:たこやき便り」は短期間で終了してしまったのですが、その関係もあり私のパソ通上の名称(ハンドル名)は「たこやき」と言う物になっていたのです。
 が、オフ会などで逢った時に人々から「たこやきサン」と呼ばれるってのはかなりイタいっす。オフ会で居酒屋なんかに行った時に本物の「たこやき」なんが出てくると、周囲から「あっ、たこ焼きさんだ」とか言われ、私がたこやきを食べていると好奇の目で見られ、何かリアクションを期待されたりするのを痛切に感じたのです。
 そんなこんなで、ハンドルを途中から「蛸/TACO」と言う物に変更し、呼び名は単純に「たこさん」と言う事になったのです。この呼び名でも充分にイタいワケですが、たこやきよりはましだと思うのです。
 因みにタコをTAKOではなく、TACOにした理由は、昔「踊るリッツの夜」と言う曲を歌っていた歌手の名前が「TACO」だったので、それから取りました。
 さらに因みに、この「踊るリッツの夜」と言う曲を日本の「リフラフ」と言う新人グループがまったく同じ様な曲としてパクって小ヒットしました。そんでもって、この「リフラフ」と言うグループには現TRF・アムロの旦那「SAM」が参加していたらしいっす。

 そんなこんなで一時期は「たこやき」と言う名称にこだわりを持ち「たこやきスナック」「たこやきアイス」などがあればついつい買ってしまっていたっす。
 でもって、1993年に本屋で「たこやき」と言うタイトルの本を発見した。
 それは、たこ焼きについてかなり突っ込んだ研究&エッセイと言う感じで、私の読書心をくすぐったワケです。が、残念な事に私の経済的理由がそれを許してくれず、その出会いはすれ違いとなってしまったのです。
 その時、印象に残っているのは本の帯に「広辞苑に改訂を迫る!」と書かれていた事だった。
 それは、後に雑誌『本の雑誌』でも書かれていたけれど「広辞苑の第3版(1983年刊)でやっと「たこやき」と言う項目が出現したが、そこに書かれている文章はたこ焼きを示していなかった。しいて言えば、たこ焼きの前身とも言える「ラジオ焼き」を意味している」と言うもので、本当のたこ焼きを後世に伝えるために正確な記述をして欲しいと言う物だった。
 その広辞苑第3版には
たこやき[蛸焼]水に溶いた小麦粉に刻んだ蛸・乾しえび・ねぎ・紅しょうはなどを加え、鉄製の型に流し込んで、球形に焼き上げる食物。大阪から全国に広まる。
 と書かれている。
 作者はこの「たこやき」の中で『この記述のとおりに、たこやきを作ったとしても決してうまいものにはならない。はっきり言わせて貰うと広辞苑の記述は正しくない。小麦粉を水で溶くところや、ねぎや乾しえび、紅しょうがまで入れてタコをごまかすところなどは、ときおり見かけるが、この場合、ソースや青のり、かつおの粉が付加されることによって味が感性される。だが、ここにはソースと言う言葉がない。また細部に注目すると、乾しえびを入れるぐらいなら、その前に天かすのことを明記する必要があるだろう。』とハッキリと書かれている。
 私はうむ、そうかそうかと思っていた。

 それから早5年、本屋で文庫本となった「たこやき」に再会出来たのだ。
 で、その後書きに「なんと、この本が出た後で改訂された『広辞苑・第4版』で、指摘した部分がちゃんと改訂されていた」と記されている。
 広辞苑第4版より
たこやき[蛸焼]溶いた小麦粉に卵を混ぜ、刻んだ蛸・天かす・ねぎなどを加え、鉄製の型に流し込んで、球形に焼き上げた食品。ソース・青のり・削りぶしなどを掛けて食する。大阪から全国に広まる。
 と書かれている。
 おぉ、一冊の本が広辞苑を動かしたか。そうかそうか、現代用語の基礎的ではない知識も何かを動かしてみるかな・・・・無理か。
 作者は、あとがきでこの事に触れている。しかし「銅をつかう所もふえているので、鉄製の型はひっかるが」とさらに書いて有る。さて広辞苑・第5版では「鉄製の型」は改訂されるのだろうか?

 同じ時に購入した「本の雑誌」最新号にも、同様の「たこやき改訂」の話が掲載されていたっす。
今日の読破本 『熊谷真菜:たこやき』講談社文庫
PS
作者の熊谷真菜さんがNECソフトウェア関西のHP「好っきゃねん大阪」の中で『
月刊たこやきめぐり』と言う連載をしているそうです。