< 杉村ぐうたら日記(1998年6月11日〜20日)

▲1998年6月11日:木曜日:カズの気持ちがよく判る
▲1998年6月12日:金曜日:嫌われ者の上塗り
▲1998年6月13日:土曜日:嫌いだっていいだろ?
▲1998年6月14日:日曜日:オレオレな音楽
▲1998年6月15日:月曜日:MEAT IS MURDER
▲1998年6月16日:火曜日:考えこむスケベ心
▲1998年6月17日:水曜日:準備中
▲1998年6月18日:木曜日:どすッどすッどすッどすッ
▲1998年6月19日:金曜日:不確実な定説
▲1998年6月20日:土曜日:き・・・君は誰だ???
1998年6月11日(木曜日) カズの気持ちがよく判る
 1998年6月10日、日本がはじめて参加するワールドカップがフランスで始まった。
 とか書き始めたが、私はサッカーを初めとして、野球や相撲やその他諸々、スポーツ観戦の趣味はほとんどない。体を動かすのは嫌いではないが(と言っても現在は思いっきりな運動不足だが)他人がやっているのをじっくり観戦するのは、あんまし興味ない。
 オリンピックなんかで、完璧に人間離れした頂点の凄さを見て「おぉぉぉ」とか思ったりはするが、単純に野球を見て手に汗握ったりはしない。
 が、社会人になって何度か経験した事に、野球の話が出た際「で、杉村君はどこのチームが好きなんだ?」と言う質問になったりする事なのだ。(最近はあんまし無いかも知れないが、Jリーグ発足以前はそんな感じだった)どこのチームと言われても、ハッキシ言って野球は「セリーグ」「パリーグ」があって全部で12球団あるってぐらいは知っているが、どれが「セ」でどれが「パ」なのか判らないし、ましては12球団の名前を全部言えない。
 「どっかヒイキのチームがある」のが当然の様な感じで会話は成立していくのだ。

 だからサッカーなんかも、ワールドカップに出場できただとか、Jリーグがどーだこーだと言うのは全然興味がない。興味あるとしたら、サッカーを取りまくサポーターの騒ぎ方とか、経営困難で汲々としている状態とか、そっちの部分だけかも知れない。
 そんなこんなでワールドカップに出ると言う事がどんな意味のある事なのか判らないが、それに関した企業の動き方とか、チケットを求めて右往左往する人々の様子などをニュースで見聞きしたりするのは面白いと思ったりする。
 ワールドカップのメンバーから、現地入りまでしていたカズや北澤がハズされた。と言うニュースは、その事よりもそれに憤慨する街頭インタビューやその他の方が興味を惹いたりするのだ。

 それと同時に思ってしまう事なのだが、世間ではサッカーサッカーと大騒ぎをしている様だが、ハッキシ言って騒いでいる人のどのくらいがサッカーのルールを知って騒いでいるのだろうか?と言うことなのだ。
 相手のゴールにボールを入れれば点が入るってぐらいは知っているだろうが、それ以外のルールなのだ。
 なんせワールドカップが始まった日の朝、TVで今さら「オフサイドとはですね・・」と説明をしていたぐらいなのだ。
 うむうむ。

 でもって、ワールドカップの開幕戦が始まる約1時間ほど前のニュースではじめて「予約していたチケットが手に入らない人が多数いる」と言う事を知った。
 ありゃりゃ、と思いつつ不謹慎にも、ワールドカップの勝敗とかよりも、そっちの方に興味を惹かれてしまったのだ。

 翌日の帰りに車でFMを聞いていた。
 その中でアナウンサーの人が「実は僕もチケットを申し込んでいたんですが、今朝とりあえず旅行代理店に問い合わせた処、まだ判らないと言う答えが返ってきまして」などと喋っていた。
 「いよいよワールドカップだぞ!と思って、仕事も調整して準備していた処、突然行けないと言う事が判り・・・・はじめてカズの気持ちが分かりました」
 うまい、ザブトン1枚。

今日の読破本 『なぎら健壱:下町小僧』ちくま文庫
1998年6月12日(金曜日) 嫌われ者の上塗り
 清水ちなみサンの『OL委員会秘宝館』と言う本を読んだ。
 この清水ちなみサンは「OL委員会」と言うアンケート集団を率いて、事あるごとに何かしらのテーマに沿ってアンケートを集計しておりまして、現在文庫でシリーズ化されている「おじさん改造講座」と言う本を何冊も出しています。
 このシリーズはかなり世の男性にとって「イタい」部分を激しく突いてくる内容の物が多く、笑って読みながらも「このようなオジさんになってはいかんな」と自分に厳しく言い聞かせたりするワケあったりします。
 ま、その逆に「じゃあんたはどーなの?」的な疑問をアンケートをせっせと書いている人々にも問いただしたくなったりするのだ。
 そのシリーズの視線は「オジさん」だけにではなく「同僚OL」にも向けられている。
 でもって多くのパターンで「男に媚びるヤツ」とか「身の程を判っていない勘違い女」とか「その場その場で平気で嘘をつくヤツ」とかが徹底的に嫌われていると言うことが判る。
 つまりだ、結局「自分達の中に少なからずも同じ要素を持っている」と言う部分が肥大した女が嫌いなのだ。
 松田聖子がデビューした当時、世間に認知された「ブリっ子」と言うジャンルの女性は、とにかくあの当時の女性には嫌われていた。
 が、その状態を客観的に見ていると「嫌いだ」と発言する女性の多くが実は「ブリっ子」だったのだ。あからさまな「ブリっ子」は少なかったが、いわゆる五十歩百歩の領域から脱していない人々が「ブリっ子」を必要以上に嫌っていた。

 そんなこんなで「嫌い」と言う要素は結構の確率で「自分の中にある嫌いな部分」を相手に見つけてしまった場合に出てくるのではないか?と思ったりする。

 先日、雑誌「SPA!」の中で「身の程しらずのブス・嫌われるブス」についての特集があった。
 その中では『昔のブスは自分を判っていた、それに引き替え今のブスは「個性的ブス」とか「フェロモンブス」とか、鬱陶しいのが多い。コンパなんかの場で自己中心的に盛り上がっているのはブスが多い』とか書かれていて、多くの街頭インタビューが掲載されていた。
 で、そこでブス糾弾発言をしている女性の写真を見ると・・・・・「ぉぃぉぃ」という感じの人ばっかりだったのだ。
 うーむ・・・・・・、もしかして君たちの発言って、自らを傷つけていないか?

 自分も「自分勝手なヤツ」「強情なヤツ」「協調性の無いヤツ」「社会性の無いヤツ」「思い込みの激しいヤツ」などが嫌いだが、それって自分の事だったりする。
 うむうむ。
 昔の人は『人のふり見て、我がふり直せ』などと上手い事を言った物である。

 話は元に戻るが、『OL委員会秘宝館』や『おじさん改造講座シリーズ』を読んでいて、嫌われているタレントにかなり頻繁に出てくる名前に「三井ゆり」と言う人がいる。
 うむ、そうかそうか、確かに色々な処で「嫌いだ」と言う声を聞く。現実にも聞いたことがある。
 私はこの人物にかなり疎い。ハッキシ言って、どんな処からどんな形で出てきて、どんな仕事で認められて、現在どんな仕事をしているのか? まったく判らない。唯一知っている芸能活動と言えば「年令をごまかしていた」って事ぐらいだったりする。
 時たま、バラエティ番組とか、バラエティ系クイズ番組なんかで見かける様な気がするが、コレと言って印象に残っていないっす。だから「嫌い」以前の問題なのだ。
 で、本を読んで行くと、その発言や行動パターンなど、とにかく嫌われているのが判る。
 元々ある種の悪意を持って書かれた文章なので、完璧な真実は見えないが、確かに勘違いな発言が多いみたいなのだ。
 ふーんそうかそうか。と思っていた。

 そんな事とは関係なく、10日にフランスで開幕した日本初参加のワールドカップ。そのチケットが色々な経緯があって、ツアー客の3分の2の約1万人が入れないと言う異常事態が起こった。
 その渦中、三井ゆりは「あたしはワールドカップ公式スポンサー関係からチケットを入手したので安心して観戦して来ま〜す」と空港ロビーで発言したりして、チケットが入手出来るかどーかでイライラしている約1万人をさらに敵にしたりするのであった。

今日の読破本 『清水ちなみ:OL委員会秘宝館』幻冬舎文庫
1998年6月13日(土曜日) 嫌いだっていいだろ?
 世間一般はワールドカップに浮かれているワケで、私はほとんど興味が無いワケで。と言う事を数回に渡って書いている。
 しかし、こんだけ盛り上がっている中でわざわざ「興味ない」と言うのも大人げないし、お祭りに水を差すような物で、あえて私は「興味がない」とは言わない。って、充分言っているか。

 しかしこの世間一般の中で「当然」と思われている事に反発、と言うか「私はそう思わない」と言うのは勇気がいる物で、その場のムードを壊すって事以外に、人格まで疑われてしまう事があるので難しかったりするのだ。
 中には「流行っている・みんなが騒いでいる」=「嫌い」と言ういたって単純なへそ曲がり理論で「オレ、○○って嫌いだ」とか言い出してしまう人もいる。さらに「○○を好きなヤツって信じられねぇな」みたいな事まで言い出してしまう人までいる。自分が嫌いなのは構わないけど、人が好きな物まで文句つけんなよ。と言う感じもしてしまうが、その人にとって大多数に向かって反発すると言うのが「反体制的でかっこいい」とか思ってンじゃないの?という場合があったりする。
 その手の「嫌い」は無視する事にして、私の場合の「嫌い」はあくまでも個人的な物だったりするし、他人の好きも理解していたりする。

 サッカーぐらいの「好きじゃない」「興味がない」と言うのは世間一般に容認されるだろうが、あれに対してそれを言うと「え?」と露骨な顔をされる物が世の中にはあったりする。

 それは「宮崎駿アニメ」ってヤツ。
 去年は「もののけ姫」が日本映画の観客動員数記録を塗り替えて(が半年後に「タイタニック」に抜かれたけれど、日本制作の映画としては観客動員数はまだまだ1位なのだ)
 この「自然破壊」を訴える映画以外にも「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」「風の谷のナウシカ」など名作を作り続けてきた。
 が、私は宮崎駿の作品が好きじゃない。
 言葉で説明できない様な感覚的な物なんだけど、ストーリーのテンポや、そのテーマとする物の提示の仕方などが、うーむと言う感じなのだ。
 あえて言えば「肌に合わない」と言う、実に抽象的な言葉になってしまうのだ。

 が、その事をあんまし大っぴらに言わない。
 かつて某所でその事を言った処、完璧に「非人間的」な印象を持たれてしまった事があったのだ。別に作品に対して「ダメな作品」とかって言ったワケではないし、好きな人に対して「センス悪い」とかって言ったわけではない。さらに場を壊すための発言でも無かった。
 ただ「自分の趣味ではない」と言ったハズなのだが、世の中の多くの人が大々々(MAX)絶賛する中での発言は「信じられない」と言う事になってしまうのだ。

 「好き」な人がいれば、その反面「嫌い」な人もいるって事を理解してくれ。

今日の読破本 『椎名誠.沢野ひとし.木村晋介.目黒考二:発作的座談会』角川文庫
1998年6月14日(日曜日) オレオレな音楽
 そんなワケで6月14日が日本がついにワールドカップの舞台に初登場した日になったワケで、いやぁめでたいめでたい。
 私はこの日曜日、部屋の大掃除を敢行しておりまして、一日中FMを付けっ放しにしていたのです。
 でもって、当然の事ながら朝からずっと話題はワールドカップに関しての事だったのだ。いやぁ、オリンピックより、高校野球より、大相撲より、異常な状態で盛り上がっているのだ。日本人ってこんなにサッカーが好きな国民だったのか?

 そんなこんなを考えつつ、掃除をしながらラジオを聴いていた。
 そー言えばここの処、ラジオで掛かる曲もかなりの頻度でサッカーがらみの曲が多かった。もーどの曲も「オレオレオレオレオレ・・・」と繰り返している。ハッキシ言って、どれもダサイ感じがしてしまうのだ。
 と言いつつ、あの手のラテンの曲ってスキッとシャープな感じの物って無いのは判っている。大人数で人海戦術でざわざわと各自が打楽器を抱えて、サビのオーレーオーレーオレオレーなんて部分を大合唱すると言うのがおきまりに成っているのだ。
 あぁ暑苦しいとか思いつつ、その手の曲を聞いている。きっとワールドカップが終わったら誰も見向きもしない曲になるんだろうなぁ。なんせ長野オリンピックの時に頻繁に掛かっていた曲、それ以降聞いたこと無いし覚えていないもんなぁ。覚えているのは山下達郎の「ヘロン」ぐらいだもんなぁ。
 などと思っていた。
 と・・・・・どこかで聞いたことのあるメロディが・・・・が、歌詞は相変わらず「オーレーオレーオレー」と歌っている。
 ・・・もしかしてこれって、ミッシェルポルナレフの「シェリーに口づけ」の替え歌?
 「うわぁぁぁぁダサぁぁっぁぁっっ!」
 私はかなりショックを受けてしまったっす。なんせこの曲は、私が中学の頃大好きだった曲で(リアルタイムではない)一生懸命レコード店を何件も回ってシングル盤を手に入れたと言うフレンチポップの名曲なのだ。
 あの時代の最高にオシャレなサウンドで、歌っていたミッシェルポルナレフも「ロックの貴公子」などと呼ばれるような凄い状態だったのだ。
 それに影響を受けたのがタイガースを解散してソロになったばかりの沢田研二、ってぐらいに凄い人&曲なのだ。
 それが、集団歌唱怒涛の有象無象リズム隊による替え歌と言う事になってしまったのだ。これじゃミッシェルポルナレフも浮かばれない(←死んでいないって)
 あぁなんて罪な事をしてくれたのだワールドカップ。

 そんなこんなのサッカーソングっすけど、頻繁に掛かる曲の中でふと「そー言えばあの曲掛からないな」と思い出した曲があった。
 それは、かの小室哲哉大先生の作った曲、D&Dって沖縄アクターズ系のグループのボーカルと小室大先生とヨーロッパで最も凄いキーボディスト(←聞いたこと無い名前)の3人でやっている曲がリリースされたハズなのだ。HEY HEY HEYでも歌っているのを聞いたことあるが、そー言えばラジオで掛からないなぁ、と思ったのだ。
 私は基本的に小室大先生の曲をそんなに凄いとは思っていないが、この曲は「ただのヒステリックな曲」ぐらいにしか感じなかった。
 人間の生理的リズムを超えた異常に細かいビートと、ノイズ系の音、やたらに高音のボーカルの叫び声・・・・うわー辛いと最初に聞いたときに感じた。いわゆるレイヴ系の音の刺激を求め続けてたどり着いた「ただ刺激的」なだけの音と言う感じがしちゃったのだ。
 はたしてコレを聞いて高揚して盛り上がれるのか?って感じなのだ。

 そんなワケで、結局ワールドカップの為に作った曲なのだろうが、その手の番組では完璧に無視をされてしまう曲になってしまったのだ。
 天才プロデューサーの誤算は「サッカーのイメージソングはある程度ダサく、体育会系でないとダメ」と言う部分に気が付かなかった事だと思うのだ。

今日の読破本 『南伸坊:顔』ちくま文庫
1998年6月15日(月曜日) MEAT IS MURDER
 『MEAT IS MURDER』っつータイトルは80年代イギリスのロックバンド「THE SMITHS」のアルバムタイトルですが、訳すると「肉食は殺人と同罪」みたいな意味なんでしょうか。
 このバンドのボーカル・モリッシーはどうやら過激な菜食主義者らしく、そんな状態の曲を作るようになったワケっすね。
 欧州なんかには過激な環境保護団体でしょっちゅうニュースになっている『グリーンピース』なんてのもあるぐらいで、かなり菜食主義や自然主義者が派手なパフォーマンスを繰り広げていたりするワケです。
 私はいたって普通に与えられた物には文句を付けずに何でも食べています。当然肉だろうと、魚だろうと、植物だろうと、食べている。

 が、私は10代の頃、一時期だが肉と言う物が食べられなくなった時があった。
 その原因と言うのが、実は我が家は元々農家で(今はやっていない)庭の片隅に豚小屋なんてものがあって、そこで大量の豚を飼っていた。
 それ以外にも、僕が小さい頃は犬・猫・牛・山羊・ニワトリと言う感じのプチムツゴロウ王国状態だったのだ。その中で一番大量にいたのが豚で、実際の事を言えばこの豚の為に生活が成り立っていたと言う事になる。
 世間一般で豚と言ったらブヒブヒと貪欲に飯を喰らい、泥だらけになって寝ていると言う感じなのかも知れないが、実はかなり可愛いし、表情もある。
 数年前「ベイブ」と言うブタが主人公になった映画があったが、憎たらしい顔をしつつ、実に愛嬌のある可愛いヤツラなのだ。
 僕は、物心ついた時からそのブタ達を見て育ってきた。

 しかしブタを飼っていたと言ってもペットとして飼っているワケでも、牛やニワトリの様に牛乳や卵を採るために飼っているワケでもない。基本的にブタの場合、食用肉にする為に飼っていると言うことになる。
 小学生の頃はその事にあまり気が付いていなかった。
 が、中学の頃から徐々にそんな可哀想なブタ達の運命について考えるようになってしまったのだ。

 晴れた日曜日の昼下がり、農協のトラックが我が家にやってくる。そしてそのトラックに積まれて何頭ものブタ達がその運命を終わる旅に出ていく。
 その時、ヤツラは最大限の声でピギーッピギーッと泣き叫ぶ。
 ブタ達も薄々自分の運命に気付いているのか、豚小屋から出る事に抵抗して足を踏ん張り泣き叫ぶ。
 普段、豚小屋の掃除をする為に、別の開いている小屋に移動させたりするのだが、その時は何も感情もなくノソノソと豚小屋を出ていくヤツラが、その時ばかりはピギーッピギーッと大声で泣き叫ぶのだ。
 僕はその声を聞いて育ってきた。
 その為に、いわゆる思春期以降、高校時代などはほとんど肉を食べれない人になっていた。
 別に「菜食主義者!」と肩ひじ張っているワケではないが、完璧な肉料理と言う状態の物が食べられない人になっていた。(カレーとか野菜炒めに入っている程度なら大丈夫)
 さらに魚なんかもダメな人になっていた。

 だがヒステリックな菜食主義者ではなく、他人がどーのこーのと言う物は無かった。
 しかし、少し好きだった女の子が会話の中で「食べ物ではねぇやっぱお肉が好きかなぁ」と発言して、その瞬間気持ちが100%醒めてしまった事もあった。
 うぬぬぬ、私もやっぱそーゆー「肉好きだって言い切れる人って、なんかグロ」てな気持ちを持ち合わせていたのだな。

 それから、かなり経って思春期なんて言葉の欠片も忘れてしまった今では、ちゃんと肉も魚も食べます。あんまし「やっぱ肉料理でしょ!」と言う感じではないけれど。
今日の読破本 『角田光代:まどろむ夜のUFO』幻冬舎文庫
1998年6月16日(火曜日) 考えこむスケベ心
 そんなワケで日々、身辺に起こった出来事やら感想などをワシワシワシワシと大量に書いているワケで、それを読んでいけば私ってヤツの概要はほぼ判ってしまうと思う。
 が、そんな風に恥を知らずに何でも書くように見えて実はあんまし書かないジャンルの話もある。いわゆるシモネタとかと言う状態の話だったりする。
 とか何とか言っても自分だって健全な男の子(子じゃないって)そーゆームラムラな気持ちも無いわけではない。とりあえず、あれをあーしてこれをこーしてなどと考えたりもする。
 が、世間一般から言わせると「淡泊」なのかも知れない。

 以前の話、会社の後輩に突然聞かれた事がある「杉村さんって女嫌いっすか?」
 うむ、そーかそんな風に見られていたのか。
 確かに、露骨に女性にエロ話なんかしないし、さほど興味が無い相手を下心で誘ったりとかってのは無かったりする。それには多分に酒を飲まないと言う要素も加わっているんだろうけど。
 とはいえ、いわゆる普通の成人男性が行うような事は一通り経験しているハズなのだ。(ここで風俗にいくとか、ナンパ大作戦とかってのを普通とすると私は普通ではないのかもしれないが)

 そんなワケでいわゆるエロビデオなんてのもレンタルした事がある。今はまったく借りる事ないけど、かつては借りたことがある。なんせ今持っているビデオレンタル店のカードを見ると、その手のビデオが置いてある様な店のカードが一枚もないっす。
 そんな時の話なのだ。

 その週末、これと言って予定も無くうだうだして、結局夜その手のビデオがある店に行き、いわるゆアダルトビデオと言う物をレンタルしてきた。いわゆる「何故こんな娘が?」と言うタイプの女優が主演していた。
 自分の部屋に閉じこもりビデオをスタートさせた。
 凄く安易で凄く演技のぎこちない無意味なドラマがあって、凄く安易な設定でベッドシーンに話はなだれ込んでいった。
 画面の中では「何故こんな娘が?」が「何故こんな事を?」をやり始めた。
 当然、悲しい男の性と言うやつでじっと画面に食い入る様に見始めるのだが・・・・

 そこに出演している女の子は、ビデオ店で何本もあるパッケージの中から当然、自分の好みのタイプを選択してきた。それは誰だって同じ様な条件で借りてくると思う。
 そんな女の子が目の前の画面の中であへあへやっているのを見ている内に「この子はどうしてこんなビデオに出ることになってしまったのかなぁ」など考えはじめてしまうのだ、私ってヤツは。
 さらに「この女の子にこの先待ちかまえている人生と言うのはどういう物なのだろうか?」とか「きっといつか親にもこのことがばれてしまうんだろうな」とか「こんだけ可愛い子だから学生時代にこの子の事を真剣に片想いしていたヤツもいるんだろうなぁソイツがこのビデオ見たらどう思ってしまうんだろうか」などなど、目の前で展開されている酒池肉林とはまったく別の方向の事を考えはじめてしまうのだ。
 なんか切なくなってしまうっす。

 ま、そんな事を思いつつも、することはしてしまったりするのが悲しい男の性と言うヤツなのだが。

 以前、夜の「トゥナイト」をぼーっと見ていた時、山本晋也カントクが風俗レポートでストリップの紹介をやっていた。その時の事、そのTVの画面に直接出てこなかったが、山本晋也カントクがレポートする後ろの壁に「今月の出演予定」と言う看板が掛かっていて、そこには今から10年近く前に見たそのビデオ女優の写真と名前が・・・・
 うーむ、あんなに普通で可愛い女の子だったが、そのビデオに出た後の人生と言う物は色々ヘビーな物があったに違いない。と思ってしまったのだ。
 普通の家庭に生まれ育って、普通に勉強をして、普通に恋をしてきた女の子だと思うのだ。
 そんな彼女が20代の最初(あるいは10代の終わり)に安易な気持ちでビデオに出て・・・色々な人生を経て、本来ならば普通の家庭の奥さんに納まって、普通の母親になっているハズの10年後ストリップをしている。
 なんか哀しくも深い話なのだ。

 以前、その手の業界の事を書いた本を読んだ事があるのだが、そこには色々な話が載っていた。
 親に内緒で(普通そうだと思うけど)ビデオに出演した直後、実家の周辺の電柱など、いたる処に出演したビデオの写真が貼られて大騒ぎになったと言う女優の話も載っていた。
 ビデオ女優の引退理由のトップが「親バレ」だそうで、その後「親から勘当された」とか「引退後、普通の会社に就職したがそこで過去がバレていられなくなり退職した」とか「引退して数年後、普通に生活をして結婚までしたのだが、ある日ビデオ出演の過去がバレて離婚する事になってしまった」とか、なかなかヘビーだったりする。
 某アイドル系ビデオ女優の場合は、引退してから数年後「フォーカス」で「あのAV女優が今ここで働いている!」なんて言って、隠し撮りした働いている写真を掲載された事もある。
 その彼女の今の生活はAVなんかとまったく関係ないつつましやかな物だったと思うが、その引退した後のまったく関係ない生活まで「元AV女優」と言う肩書きが襲ってくる。
 本人はこっそりと、簡単にお金が貰えるからぐらいで出演したビデオかもしれないけど、その事が一生ついて回ってしまうかもしれないのだ。
 なんせ、以前はAVなんて発表して1年ぐらいの物で、新作に埋もれてしまう様な物だったけれど、最近DVDのカタログなんて見ていると、大昔のビデオを再利用した作品が大量に出ているみたいで、たぶん今30代のハズの人々の20代前半に撮影した物が売られていたりする。

 なんか、余計な事を色々考え込んでしまうのだ。
今日の読破本 『池澤夏樹:スティルライフ』中公文庫
 追記:1998.6.18
 これを書いた翌日に発売された雑誌「SPA!」の中に、関連した話が掲載されていた。
 1991年に3本のビデオに出たAV女優の話なのだが、彼女はそのビデオに出た後しばらくしてから普通に就職してOLをしていた。
 ところがある日、その会社の周辺にテレクラのビラが大量に貼られていたと言う。
 テレクラのビラなら都会の風景としては別に珍しい事でもないのだが、なんとそのビラに使用されていた写真というのが、彼女がAV女優時代に撮影した物の流用だったのだ。
 当然、肖像権の侵害と言う事になるが、それ以外の部分で会社内でAV女優の過去がバレ、色々イジメなど陰湿な状態になり結局退職すると言う事になってしまったと言う。
 彼女はそのテレクラの店に対して肖像権の侵害と言う事で、自分の過去を公にしなくてはいけないリスクを背負いつつ告訴をしたらしい。
 本当に色々な事を考えなくてはいけないのだ。
1998年6月17日(水曜日) 準備中
 はっと気が付いた。
 そういえば「ひねもす」の表紙に、3月公開の時点で「リンク集:準備中」と言う状態にして、あとでゆっくり作ればいいや、と思ってそのまま、他の部分を直したり色々してて、「リンク集」はまったくもって準備中のまま既に4ヶ月目に突入してしまったのだ。
 と言って「準備中」の言葉通りに、ずっと公開にむけて一生懸命毎日毎日僕らは鉄板の上で〜準備をしていたワケではない。
 ついでに、本文とはまったく関係ない話で恐縮なのだが、たった今「僕」と入力しようとして「BOKU」と打つつもりで、「U」を打つときに隣にある「Y」まで一緒に押してしまったのだ。つまり「BOKYU」と言う状態になって、当然モニターには「ぼきゅ」と言う文字が映し出された。
 それを見て、15年以上前にTVでやっていた『翔んだカップル』の中に出ていた「轟二郎」のセリフを思い出してしまったのだ。
 かれはそのドラマの中で自分のことを「ボキュはね」と言っていた。あぁ三島の床屋の息子。あぁビックリ日本新記録チャレンジャー。あぁどこへいったのだあぁぁぁぁ、と約1秒間程だが思ってしまった。
 そんな1秒の間も表紙は何も言わず「リンク集:準備中」となっている。
 はたして、それもこれも準備中の要素になるのか?
 結局の所、準備中と言っても、この4ヶ月の間何もしていないに等しい。確かに「伝言板」の中に簡易リンク集を設けたりしたが、準備中と言えば聞こえがいいが、結局何もしていないのだ。
 あぁぁぁいかんいかん。

 そんなワケで夜中、街中を歩いているとそこらの明かりの落ちた喫茶店などの入り口にも「準備中」と言う看板が下がっている。
 よく夜中、無意味にハイになってその前を通り過ぎる時に「あぁ?本当にこの店の中で明日の準備してんのかぁぁぁ?この時間にぃぃぃ!準備中とか言っていても正しくは休止中ではないのか?あぁぁ責任者出て来ぉぉぉぉいっ!」と誰もいない街角で、喫茶店の前のプレートに向かってイチャモンをつけたりする私がいるワケなのだ。
 そんな事を言っている喫茶店の中で人知れず、本当に得体の知れないクーデターの準備などをしていたら怖いのだ。なんて事を意味不明に考えている私がいたりする。
 どうやら今日は疲れているらしいので、この辺で。
今日の読破本 『唐沢商会:脳天気教養図鑑』幻冬舎文庫
1998年6月18日(木曜日) どすッどすッどすッどすッ
 会社の帰り、赤信号をぼけーっとしながら外の風景を見ていた。
 ほぼ定時の5時半ぐらいだとこの時期はほとんど昼間状態で、夕方と言う感じがしない。なんせ今は一年の中で一番昼間の長い時期だったりするのだ。
 しかし、つい数カ月前まで6時半なんていったらすっかり夜だったのに、世の中は不思議なのだ。
 時計と言う物が発明されてからこの様な状態になったと思うが、それ以前は「お日様が出ている間は昼間」と認識されていたのだろうな。だから、この時期は一生懸命働いても働いても夜にならない。その変わり朝も5時ぐらいですっかり明るいので、アッという間に夜が終わってしまう。だから睡眠時間は短い、労働時間は長いと言うかなりハードな日々だったのではないかな?などと考えたりする。
 とか思いつつ外を眺めていた時、ふいに自分の乗っている車が揺さぶられる様な「どすッどすッどすッどすッ」と言う規則的な音が後方から聞こえてきた。
 バックミラーを覗き込むと、そこにはゴジラが・・・いたワケではなく、トッポイ感じのにいちゃんが乗った車が、僕と同じように赤信号で止まっていた。そして、開いた窓からは、異常に大きな大爆音でカーステからの音楽が流れていた。
 いわゆる「まだいたか、ヤンキー暴走族仕様・シャコタン&スポイラー地面ギリギリ大爆音ユーロビート車」と言う状態のヤツだった。顔つきはどこにでもいるような普通のアンちゃん。

 その時、僕は自分のカーステレオでエリッククラプトンの新作「エピグリム」を聞いていたのだが、ふとその大爆音の元ネタが何なのか興味を持ち、音を絞ってそっちに耳を傾けてみたワケだよ、ジェイク(←すごく一般受けしない小ネタ)

 どすッどすッどすッどすッどすッどすッどすッどすッどすッどすッどすッどすッ

 うむ、かすかに別の音が聞こえる様な気もするが、基本的には重低音が規則的に、しかも1小節にキッチリ4回、延々と同じビートを刻んでいるのしか聞こえないのだ。うーむ、それは音楽なのか?
 以前から不思議だったのが「何故、ヤンキーはユーロビートにはまったのか?」と言う事だった。
 70年代までの暴走族はおきまりの様に「キャロル/矢沢永吉」を崇拝して聞きまくっていた。80年代に入って「横浜銀蝿」に半分ぐらいシフトしたが、いわゆる「皮ジャン・リーゼント・バイク」の重要アイテムを散りばめて、かわいいオマエと飛ばすぜハイウェイと言うクリシェな内容の詩と、スリーコードじゃかじゃかロケンローが、ヤンキー御用達ミュージックだった。
 それが80年代中期に何故か「ヤンキー」=「ユーロビート」と言う図式に変化していたのだ。

 その前兆は80年頃から原宿の歩行者天国で有名になった「竹の子族」に表れていた。
 いわゆる蛍光系のダブダブした(中近東系?)服を着て、頭には長いはちまきを締めて、盆踊りとかフォークダンスの様に全員決まった振り付けで踊り狂うと言う「宗教の無い踊る宗教」状態の物が流行った事がある。流行ったと言っても、東京の、しかも原宿のみでの流行だったので流行とは言わないかも知れないけど、あの時代こぞってマスコミに取り上げられていた。
 この時、彼らが使用した曲というのがユーロビートの元祖みたいな「ジンギスカン」とか「アバ」とか「ノーランズ」とか「ドゥーリーズ」とかだった。
 この辺が「ヤンキー」=「ユーロビート」の元になっているのかもしれない。

 話は怒涛の様にズレていくが、竹の子族とは元々原宿にあった「竹の子」と言う個人洋品店が作った例の服を着ていたから命名された名前だったりする。
 でもって何故、中近東?と言う感じなのだが「ジンギスカン」と言うグループのファッションがもろ中近東だったのだ。ジンギスカンのファッションが何故「中近東」だったのかは不明なのだが、そーゆー事になっている。
 さらに話はずれるが、このジンギスカンの音楽が出てきた時はまだ「ユーロビート」なんて言葉は無く、彼らのヒット曲から「ミュンヘンサウンド」などと呼ばれていた。が、よーく考えて見ると、なんか音楽的にはロシア民謡をベースにしている様な気もする。が、彼らは元々カナダの出身だったりする。
 もーワケ判らないのだ。

 話をずっと戻す。
 色々理由はあるのだろうが、いつしか「ヤンキー」=「ユーロビート」と言う図式が誕生して、さらにカーステレオで最大限に重低音を響かせる!と言うのが、彼らの最重要アイテムになった。
 初期のユーロビートと呼ばれる物は確かにメロディがあった。すごく安易なポップス的な物が多かったが、80年代後半からオーケストラヒットを多用した、いわゆるマハラジャ系のユーロビートが主流になった時、完璧にメロディと言う要素が排除され「どすッどすッどすッどすッ」+「刺激のある音」の連続だけの物になってしまった。
 じじいの泣き言みたいだが、ハッキシ言ってどの曲も区別が付かないっす。微妙なテンポの差や、使用音源の差、ボーカルの種類程度は区別付いても、音楽としての区別が付かないっす。なんかリズムトラックだけと言う気がしてしまう。
 だけど、ユーロビートシリーズのCDは当時、VOL.50とか、大量に出ていた(らしい)うむむむ、どの曲を聴いても新鮮な感じがしない。どすッどすッどすッどすッしかそこには無いのだ。
 なんか私には判らない音楽がそこには展開されている。
今日の読破本 『清水ちなみ:おじさん改造講座8』文春文庫
1998年6月19日(金曜日) 不確実な定説
 つまり「ビックバン」である。
 と言っても、今年春に騒がれていた「金融ビックバン」の事ではなく、実際の「ビックバン」の事なのだ。と言っても実際のビックバンとはなんぞや?と言われると、いやぁ実際には見たことないっすから詳しくは・・と尻込みをしてしまうしかないのだが、いわゆる宇宙の創世に関わる「ビックバン理論」と言う話なのだ。
 今から150億年だとか200臆年だとか大昔の大昔に、大爆発が起こって宇宙ってヤツが誕生して、その日から今にいたるまで宇宙は限りなく膨張を続けている、と言う途方もない話の事だったりする。
 とりあえず現時点で宇宙の話と言うとこれが定説になっている。
 ネコも杓子も「まずビックバンがあって」と言う形で話を始める事になる。
 本当に?
 と聞かれても「定説でそーなっているからねぇ」と言うしかないのだ。なんせ実際に見たことのある人はいない。あくまでも「仮定」と言う名前の定説なのだ。
 じゃ、それで学会は治まっているか?と言うと、プラズマ宇宙論とかって仮説では荷電粒子の高熱ガスであるプラズマの電磁力が星を造り、重力を構成しているので(この後、理解不能な為に省略)宇宙は永遠のかなたから存在していて、ビックバン理論みたいに「いつか宇宙は収縮して終わる」なんて事はなく、未来永劫に続いていく、と言う理論も一部では支持されている。(←大槻教授が提唱しているワケではないので念のため)
 それ以外にも宇宙の起源についての仮定は星の数ほど存在している。
 結局、どれもが仮説で、決定しているワケではなかったりする。
 でも、ある種の説得力と分かり易さで「ビックバン理論」が世の中に支持されていたりするのだ。

 たとえば「地球は丸かった」さらに「地動説」なんて言う、もう既に検証済の物だって「でも実際に確認したワケではないからなぁ」と考えていくと、不安になってしまうことがある。
 昔の映画で宇宙船からの画像が実はNASAがセット撮影した作り物だったと言うヤツがあったけど、あくまでもニュースや政府発表みたな部分でしか事実をしらない。
 そーなるとダマされていても判らないのだ。確認のしようがない。

 以前読んだ「さよならダイノザウルス/ロバートJソウヤー」と言うSFでも「恐竜が絶滅した謎」と言う部分で「氷河期が訪れた」「地球に大規模な隕石群が落ちてきて地殻変動を引き起こした」などと言うのが定説になっていると触れている。
 たしかに子供の頃から、学習雑誌なんかで何度も何度も恐竜に隕石がぶつかっている絵をみたし、氷河期が、と言う絵も見てきた。そして自分の中にも、そんな情報がインプットされている。
 が、その仮説は学会では実は60年代の話らしい。その後、色々な仮説が提示され今でも、これと言った定説が無いと言うのが恐竜学会らしいのだ。
 だけど、未だにその手のお子様向け(だけではなく)の雑誌や番組なんかでは、隕石説が持ち出される。それは基本的に「絵にしやすい」のと「インパクトがある」と言う事が支持される原因だったりする。
 だから、現在「当たり前」と思っている事が実はまったく出鱈目だったと言う事もありえるのだ。

 ついでに恐竜の話では、昔の恐竜図鑑なんかを見ると「首長竜」(英名忘れた)がよく掲載されていたが、いまのその手の本には掲載されていないと言う。
 なんせ、その恐竜はもともと実在していなかったのだ。恐竜の骨が盛んに掘り出された1950〜60年代に、無理矢理発掘された骨をつなぎ合わせて、つなぎ目が無理な状態でもいいから組み立てた恐竜だったらしい。
 そんなのが一部の人の中では定説になっていたりする。
今日の読破本 『清水義範:酒とバラの日々』文春文庫
1998年6月20日(土曜日) き・・・君は誰だ???
 ここ数週間、部屋の掃除と言うヤツをやっている。
 以前から事あるごとに「今部屋を大掃除している最中でさ」と言い続けてきたのだが、一向に終わる気配がない。まったくもって建築中のクセして部分的に「築100年」になっているスペインのサグラダファミリアみたいな状況なのだ。私はアントニオガウディと言うオッサンの気持ちが良く判る。
 と言う話ではなく、とにかくずっと掃除をしていて、確かこの掃除の目的は・・・・「冬向けの部屋に模様替えをする為に、まず掃除」だったような気がする。
 が、掃除は一向に終わらず冬を通り越して、春も通り越して、すでに夏がそこまでやってきていると言うかなり緊迫した状況なのだ。いかんいかん。
 そんなワケで「冬向け」を180度転換して「夏向け」の部屋替え大作戦を決行したのだ。それが既に3週間ぐらい前。とりあえず土日の時間のある時はワッセワッセ、平日は細かい部分で・・・と言う計画で進んでいるのだが、なんせ物が(主に本・雑誌)多い。引っぱり出しては読みふける。さらに読みふける、かと思うと読みふける。いかんいかんと気を引き締め直して読みふける。と言う最悪の状態なのだ。
 おかげで掃除を始めた時より、雑誌や本が散乱して目も当てられない状態になってしまっている。
 うーむ。

 私は気分転換の為にちょっと書店に出かけた。
 この辺が私の悪いクセなのだ。本が片づかないとか言いつつ、さらに本を増やすために本屋に出かけてしまうという愚行の連続だったりする。
 でもって、少しは「今日はなる〜べく買わない様にしよう!」と思いつつも、気がつくと手には数冊の本が・・・・
 そして平然とレジに並んでいたりするのであった。

 と、そこで後ろから声を掛けられた
 「おっ杉村ぁ」
 へ?と思い振り返るとそこには、やせぎすでヒゲの剃り後の異常に濃い男が立っていた。
 「いやぁ久しぶりだねぇ最後にあったのは・・・もう4年ぐらい前だっけ」
 などとその男は話し始めるのだ。私はその時、頭の中が高速回転して知人インデックスを大検索していたのだ。あいつでも、あいつでも、あいつでも・・・・4年前?えっいったい4年前のいつ何処であったんだ?うむむむ誰だこいつ。人違いって事は・・・いやいや、確かに最初、杉村って呼んだから間違いではないハズだ。うむむ、高校の時の?中学の時の?小学校の時の?いつどこでこいつと時間を共有したのだ?うむむむ」私の頭の中はオーバーヒートを起こしそうになっていた。
 とりあえず表面は穏やかに「ほんとに、久しぶり」などと口裏を合わせたりするのだが、その先の会話が展開できない。うむむむむむむ。
 と、その男がすぐ後ろにいた女性に「あ、杉村くん。小学校の時の同級生でさ」などと僕を紹介したのだ。こっちも慌てて「あ、どーも」などと頭を下げたりするのであった。
 そうか小学校の時の同級生か・・・って事は、・・・たぶんサトル・・・・って言ったよな、えっと苗字はなんていったっけ・・・・ありゃりゃ全然記憶ないや、こりゃ困ったねどうしようか
 などと思って焦っていたのだが、そのサトル君(たぶん)は突然「じゃ、また」などと言い残してさっさと去っていくのであった。
 ふぅ・・・・・

 しかしみんなずるいなと思うことがある。
 みんなそれぞれ、しっかりと着実に30代の顔つきになっているんで、こっちとしては小学校時代の同級生なんて、10歳程度の顔しか覚えていないんで誰か判明しにくくなっていたりするのだ。ばーろー声掛けるときは自分が誰か名乗りやがれぇぇぇ
 それに引替え、こっちはあの当時とさほど顔つきが変わっていないらしい。おかげで今日の様に、たぶん小学校の時の同級生に声を掛けられる事がときどきある。
 まったくもー、みんな必要以上に老けない事!
今日の読破本 『いしいひさいち:コミカルミステリーツアー3』創元推理文庫