< 杉村ぐうたら日記(1998年7月1日〜10日)

▲1998年7月1日:水曜日:人類滅亡までカウントダウン1年
▲1998年7月2日:木曜日:夏だよね?
▲1998年7月3日:金曜日:マイケル4号発進!
▲1998年7月4日:土曜日:涼しい音
▲1998年7月5日:日曜日:暑さゆえに考える
▲1998年7月6日:月曜日:あがってま〜ぁす
▲1998年7月7日:火曜日:タナバタ
▲1998年7月8日:水曜日:書きたがり屋さん
▲1998年7月9日:木曜日:不安になる人
▲1998年7月10日:金曜日:カルピスとカルピコ
1998年7月1日(水曜日) 人類滅亡までカウントダウン1年
 ワシらの知ったこっちゃない程の大昔、フランスだかにいたノストラダムスとか言うオッチャンがワケの判らない散文詩を大量に書き殴り、書物として残した。
 それを1973年に五島なんとかって言うオッチャンが無理矢理翻訳して『1999年7の月、天より恐怖の大王が降ってくる』とかって言う予言を解読した。
 つまり人類滅亡は1999年7月だと断言してしまったのだ。
 空から降ってくるのは何か判らない。

 五島ちゃんの本によると『ソ連の核爆弾』だとか『超光化学スモッグ』だとかと言う説が出されている。
 まず、その『ソ連』って時点で今は昔の話なり。ついでに『超光化学スモッグ』ってのも、いかにも公害が問題視された70年代初期の本という感じがしてしまうのだ。
 確かに、最近もどこぞの国で核実験が行われて、その隣国までもが負けるもんかと核実験を行ったりしているワケで核の恐怖がまったく無いワケでもない。
 が、世の中はなんか「世紀末」とかつて言われていたオドロオドロしい状況ではない様な気がする。確かに、細かい事件、猟奇的な事件、低年齢化した事件、異常な就職難などがあるのだが、いわゆる70年代に言われていた「世紀末」と言う感じの要素がほとんど無かったりする。
 映画なんか見てても感じるのは、近未来戦争の話や、国同士のスパイ合戦などの話がほとんど無くなった。地球に脅威をもたらす相手はここの処、宇宙人とか恐竜とかそんな話ばっかになった。
 先の事は予測できないけれど、来年の今頃は何も起こっていないと思うのだな。

 たぶんね、ノストラダムスの書物には1999年とも7月とも書いて無かったんだけど、色々な屁理屈をこねくりまわして、その日付に設定したのだと思うのだ。
 1973年の時点で1999年ってのは、26年も先の話だったんだよね。かなり近くて遠い未来って感じだった。
 僕も子供の頃、この話を聞いて「えっと1999年って事は僕は・・・・何ン歳だ?」などと計算した記憶がある。当然その時に計算した通りの年齢になっている。 
が、こんな馬鹿な大人に成っているとは杉村少年は思ってもいなかったのだ。
 たとえば現時点1998年の段階で26年後の2024年の事を予言するとなると、かなり出鱈目な事を言っても許されそうな気がしてしまうのだ。
 「人類?まぁ滅亡しちゃうかも知れないよねぇ」ぐらいの気持ちかも知れない。
 ついでに、その本を書いた人が60歳ぐらいの人だったら「26年後ねぇ自分も86歳とかだから、死んでんだろーなぁ、いい加減な事言ったってワシには関係ないもんね」などと思ってしまったのかも知れない。
 が、その近未来の1999年7月が来年の話になってしまったのだ。

 でも「あと1年」と言うのが現実の物になったら何をして過ごそうか?などと考えてしまうのだ。
 全世界的にこれが現実として受け止められたとしたら、絶対パニックとか暴動とか起こって偉い世の中になってしまいそうな気もする。つまり実際の1999年が来る前に人類が内部から崩壊してしまうんじゃないか?などとも考えてしまう。
 とりあえず、世の中は正常に営まれていると言う状況の中での1年間の過ごし方は・・・・、まず金貯めてもしょうがない。とりあえず、大盤振舞しなければ1年間ぐらい喰っていける程の蓄えはあると思う。だとしたら、ひたすら本を読むって言うのが自分にとっては幸せな最期の1年間かも知れない。
 ま、中には犯罪を犯すって人もいると思う。なんせ捕まったとしても刑期は最高で1年だもんねぇ。

 だけど、基本的に1人遊びが好きで、のんびりのほほ〜んな私は読書で1年過ごしてしまうと思うのだ。

 もし「私は残された1年をこうやって有意義に、あるいはバカバカしく使いたい」と言う意見があったら、伝言板の方に書き込んでやってね。『
残された1年:伝言板
今日の読破本 『古谷三敏:蘊蓄漫画/減点パパ1』中公文庫
1998年7月2日(木曜日) 夏だよね?
 朝、寝苦しくて早く起きてしまう。
 なんか耳鳴りがする。
 頭痛と言うワケでもないのだが、起きたときからずっと頭の中で「ジィィィジィィィィィィ」と細かいビブラートの音がする。
 ・・・・・・・・・セミだ。

 こりゃどう聞いても蝉の声なのだ。おいおい、梅雨明けしたのか?もう夏なのか?
 なんかセミの声を聞いただけで条件反射としてぐったりと夏バテをしてしまうほど軟弱な私だったりする。軟弱さでは誰にも負けない私は、夏の全校朝礼ではお約束として毎回立ち眩みで気がついた時は保健室のベッドの上で寝ていると言う子供だった。
 この立ち眩みってのはキツイ事はキツイのだが、実はかなり子供ながらのエクスタシーだったりする。
 朝礼で立っている時に「あ、来るな」と言う前兆がある。手の指先からすぅと感覚が引いていくのだ。その前兆をやり過ごすと、首筋から頬にかけて静脈が波打つ感覚が訪れる。
 と、突然足元がローリングし始めるのだ。ゆっくりゆっくりと立っている地面が揺れ始める。まるで波の静かな海原を漂う船の上に立っている様な感じになってくる。
 この時点で完璧に自覚の中で「来た」と言う感覚がある。
 なんせ視界の輪郭が薄ぼんやりして来るのだ。輪郭に近い部分は水彩絵の具で書いた物の上から水滴を垂らした様な感じで、曖昧になってくる。
 ゆっくりとローリングしている感じに体を任せていると、次第に上下の感覚が判らなくなる。今たぶん前に体が傾いでいるなと思いつつも、体が言うことを聞かない。
 この時点になると、後ろに立っている同級生などは異変に気が付いて、小声で「おぃ大丈夫か?」などと聞いてきたりする。しかしもうこうなっては答える事も容易ではなくなっているのだ。完璧に体をゆらりゆらりと、酔拳の様に倒れそうで倒れないと言う状況を続けている。

 徐々に周囲の声や音が遠ざかっていく。
 と、次の瞬間視界に青や赤や黄色の閃光が走るのだ。そしてかすかに見えていた自分の視界が鮮やかな色に染められてちぎれてゆく。まるでシャガールの描いた風景みたいになっていくのだ。
 そして気が付くと保健室にいると言う事になる。

 僕はベッドの中でこの夏一番の蝉の声を聞きながら「会社いきたくなぁぁ〜い」などと考えていた。

今日の読破本 『柳家小三治:まくら』講談社文庫
1998年7月3日(金曜日) マイケル4号発進!
 かねてからディズニーランド狂と言う話だったマイケルジャクソン。
 日本に来たときも当然の事の様に東京ディズニーランドにやってきて1日遊びほうけていたらしい。もれ伝わる噂によると、この時マイケル先生は「今日一日ここを貸し切りにして遊び回りたい。金ならイクラでも出す」と言ったとか言わないとか。
 しかし、ディズニーランド側も突然来られてそんなムチャ言われてもねぇ、突然の事だから今日そんな事を知らずに遠くからやって来るお客さんもいるだろうし・・と言う事で(それ以前に当然なんだけどさ)その申し出は却下された。
 そんな感じでディズニーランドとは言わず、その手のテーマパーク・遊園地が大好きなマイケルジャクソン先生で、以前から広大な自宅の庭には遊園地状態の施設を作ってあったと言う。
 そこに子供たちを招待して楽しく遊んだりしていたと言うのだが、それから例の少年にわいせつ行為を働いたとかっていう裁判に話は展開してしまったのだな。
 永遠のピーターパンであり続けたいマイケルジャクソン先生もそろそろ40代が見えてきた年頃だと思うのだが、ハッキシ言って年令はまったく読めない。もうその辺は超越しちゃっているような状態なのだ。

 そんなこんなで遂に、ブラジルあたりに広大な土地を購入してそこにマイケルジャクソンランドを作ると言う話が本格的に浮上してきたのだ。
 ま・・・まいけるじゃくそんらんどぉ?と思ったが、よく考えて見ればディズニーランドとかって名前も「創設者の名前」+「ランド」だったりするので、たとえば日本で「山田」と言う人が作った場合は「山田ランド」でもいいのだな。うむうむ、マイケルジャクソンランドと言う名称も慣れてしまえば当たり前になってしまうのだろうなぁ。

 でもディズニーランドの場合は、ディズニーが作り出したキャラクターなどが大量にあったんで成立していたが、マイケルジャクソンランドとなった場合のウリはどーなるのだ?
 まさかディズニーランドで上映していた『キャプテンEO』の再放送って事は出来ないだろうし、やっぱプロモーションビデオの再現を人形やホログラムを使ってやるのか?
 あるいは入り口近くに置いてあるマイケル人形はジャクソン5や「ベンのテーマ」を歌っていた頃の黒人少年で、中に入って行くにつれて色が漂白され、鼻やアゴの形が変化していくとか・・・・

 色々な意味で興味があるが・・・・

 そーいえば、2040年あたりに地球を大規模な隕石群が襲うという、ほとんど映画「ディープインパクト」な話があって、それであわてて隕石を避けるために潜水艦を購入したと言う噂だし・・・・

 それから、以前「現代用語の基礎的ではない知識」で、二度とジャクソンファミリーが終結する事はないと書いたが、なんと「モータウンレコード生誕30周年記念(40年?)」と言う企画アルバムでなんと再び再結成してしまうらしいのだ。かのジャクソンファイブが。
 たぶん男兄弟だけの結成で、女兄弟は参加しないと思うけど(特にラトーヤはね)、うむむむ兄弟集まるかぁぁぁぁ。
 などと考えてしまうのであった。

今日の読破本 『ドラ・カルト/ドラえもん通の本』小学館文庫

追記:1998.7.29
 突然、7月の27日にマイケルジャクソンが来日した。
 でもってとんでもない事を云いはじめた。
 「マイケルジャクソンテーマパークを日本の2カ所に建設予定だ」
 うひー、ブラジルではなく日本だってぇぇぇ?しかも、オモチャのチェーン店を日本を中心に作るとかなんとか云いはじめている。
 うむむ、永遠の少年マイケル。ネバーランドを日本に作る気か?
 それはそれで、バカバカしくて面白そうだけど。

1998年7月4日(土曜日) 涼しい音
 いわゆる夏の風物詩って事で風鈴と言う物があったりする。
 軒先につるして、チロリロリ〜ンと風になびいて音を立てる憎いあんちきしょうの事なのだ。
 あれなんか、生理的に「夏」→「暑い」→「風鈴」→「涼しそう」と言う連想ゲームが出来上がっていて、その音を聞いただけで涼しいような気持ちになってしまうのだ。
 本当の事を言えばちっとも涼しくない。
 ま、風鈴が鳴るくらいだから風があるって事なので、まったく涼しくないワケではないが、その風を気分的な意味で増幅させる為に風鈴が存在しているのだ。
 中には「風鈴の音」をテープで流したりする商店街なども存在していて、この辺りになるとパブロフの犬状態で「音」のみで納涼しちゃうって言う感じだったりする。冷房代節約!見事なテクニックなのだ。
 そんな感じで涼しげな音をテープで館内に流すというテクニックはときどき行われている。
 風鈴の音以外でも小川のせせらぎなどの音が流れている事もある。

 しかし、よーく考えると「小川のせせらぎ」→「涼しい」と言う連想が出来るのは、確実に「小川のせせらぎは涼しい」と言う認識が出来る人でないと効果が無いような気がする。
 ま、水の音と言うことで生理的に反応は出来るのだろうが、実際に「小川のせせらぎ」に素足をつけて痺れるような冷たさを味わった事の無い人には・・・と思ってしまうのだ。

 そう考えていくと、現代の都会、あるいはプチ都会に住んでいる子供達にとって、生理的な部分を刺激する「涼しい音」は何ンだろうか?と考えて行くと・・・・・もしかしたら「クーラー」と言う事になってしまうのでは無いだろうか?
 ヘタすると、クーラーの排気口から熱風が出る「ゴォォォ」と言う音を壁越しに聞く音をテープに取って聞かせたら「涼しいそう」と感じてしまうかも知れない。
 いわゆる刷り込まれてしまった情報と言うのは恐ろしいのだ。
今日の読破本 『都築道夫:昨日のツヅキです』新潮文庫
1998年7月5日(日曜日) 暑さゆえに考える
 あ゙ぢーあ゙ぢーあ゙ぢーあ゙ぢー
 などとついつい口に出してしまって、必要以上に周囲の人まで暑い思いをさせてしまう私なのでありますが、本当にここ数日はムチャクチャ暑い。
 何と言っても、暑さのせいで毎日2・3人もの死者が出ていると言うのだから、とんでもない状態になっているのだ。しかも「まだ梅雨明けはしていない」と言う。
 勘弁して欲しいと言ってもお天気様は本当にお天気屋なのでどーにもならないのだ。あ゙ぢーあ゙ぢー
 私は基本的に暑さに弱い。
 ついでに寒さにも非常に弱い。
 結局、軟弱と言う事になってしまうのだがしょうがない。
 暑いときには暑い、寒いときには寒い、と言いきってしまう私は「正直者」と言う事になってしまうのだ。「素直に生きている」とか「真っ直ぐな感性」と言うことが出来るかもしれないのだ。だから、私は間違ってはいないのだ。
 ま、そんなこんなで暑いのと寒いのを比べて見た場合、暑い方が苦手だったりする。キングオブ苦手と言うことになってしまうのだ。
 そんなワケでこれからの数カ月、私を悲惨な運命が待ち受けている事は避けられ様のない事実だったりする。
 いっそ、これから寒くなる南半球に逃げてしまおうか、などと考えても見るのだが「途中赤道を越えなければいけないからなぁ」などと、意味不明の心配をしたりするのであった。

 普段の運動能力を10とすると、この数日のような暑さの中では運動能力4まで落ち込んでしまう。思考能力はまだまだ6まで踏みとどまっているつもりだが、ここから日々暑くなっていくとなると、1度温度が上昇する毎に思考能力も1つづつ低下していくという計算になってしまうのだ。
 汗をだらだら流しながら、口を半開きにしてヨダレをだらだら流して、うへへへへへなどと笑っている私を見た時は「運動能力0・思考能力0」になってしまったのだと理解して、私の周囲200Mには近寄らないで欲しい(BY,猿之助)
 うむむ、今は暑゙い゙暑゙いなどと言いつつも意味不明ながらまだ文章を打てる程度の暑さなのだ。
 このまま温度が上昇していくと、8月頃の「ぐうたら日記」は

 きょうもあつかつかったかつうあたですので。とても
あついTNO、TRというワケ名のでなにをし手いうるのYHKか我からないですので、みなさもぁM,ごめんだらだえあさい。
でさは

 などと言う文章が毎日続いてしまうかも知れないっす。
 思考能力が低下しきったついでに、現実逃避の為に幼児期に逆行しているかもしれませんです。その辺は寛大な気持ちで秋まで様子を見てやって下さい。
今日の読破本 『渡辺満里奈:ことづて−新しい気持ち』ソニーマガジンズ文庫
1998年7月6日(月曜日) あがってま〜ぁす
 先日、友人がラジオに出演した。
 と言っても、超メジャーな放送局の番組にではなく、最近よくあちこちで話題になっているコミュニティFMと言うヤツに出演した。
 聞いているのは、すごく限られた地元の人々と言う状態なんだけど。その他大勢のゲストとか、街頭で突然マイクを向けられたとかではなく、完璧にスタジオのブースの中に入れられて、名前を紹介されてと言う状態の本格的な出演だった。しかも生放送。
 とりあえず、コンピュータ関連の番組と言うことで、仕事がらみで出演して、ついでに音楽関連の話なんかもしたという状態だった。
 その番組に出演するという話は、ちょっと聞いていた。
 そして、その放送の土曜日(6月27日)休日出勤を4時までに終了させ、帰りの車の中で聞くことになった。

 そしてアナウンサーによる紹介に続いて「え〜っこんにちわ、○○○店長をやっております○○○○です」
 ・・・・・ムチャ暗い。
 うむむ、この友人は営業系の仕事をしていたり、ギターでステージにあがったり、大勢が集まった処でなど、とにかく喋るのに慣れているハズの男なのだが、思いっきり「あがっている」と言う状況で、その声のトーンが重いのだ。
 その後も「本当にここで喋っているのアイツか?」と言う状況の暗いトーンで話は続いていく。
 後半、趣味の音楽の話になった辺りから、徐々にいつもらしさを取り戻したが、なかなか持ち味を出し切れずに終わってしまったと言う感じがしてしまった。
 その番組が終わった後で電話して「あがってんじゃねぇよ」と茶化したのだが、実際の事を言ったら僕もその手の場面ではかなり緊張してしまうと思うのだな。
 そして本当の自分ってヤツを10%も出せないで終わってしまう気がする。
 基本的にあがり症なのだ。
 とは言え、以前ギターの演奏会(高校の部活)の本番のステージ上で、全然緊張せず、すっかり本番ってのを忘れて、司会者の説明中に横に座っていた奴にギャグを飛ばし「おい、今本番中なんだぞ」と怒られた事もあったりする。

 確かに緊張しやすい性格だってのは判っている。
 音楽と共に昔から絵・漫画なんてのもやっていた。
 でもって学校なんかで書いていると、ときどき机を取り囲むように集団で覗き込まれたりする事がある。そーするともーダメなのだ。緊張して手が上手に動かなくなってしまうのだ。思ったように線が引けなかったりする。
 あぁここはイッチョ決めなければいかんな、と思うときに限って緊張して上手くいかないのだ。

 今でも同じ様な事がある。
 仕事でいわゆるDTPと言う、コンピュータ編集をやっている。そうすると、とりあえず最新技術がどーしたこーしたって事で、見学者がときどき来る。
 でもって、キーボードをバシバシ打っている私の背中ごしに視線を感じるのだ。それも1つ2つではなく大量にグサグサ刺さってくるのだ。
 な・・・なんだ?と思っても、その気に押されて振り返る事ができない。何か後ろで何かの物体がワサワサ動いているのを感じるのだ。
 私が現在仕事をしている場所は、背中にハメ殺しのガラス窓があって、その向こう側は通路になっていて、来客者などはそこを通ようになっているのだ。お陰で、人の声や足音は殆ど聞こえない。気を抜いていると背後に30人40人の集団が立って「ここがDTPの仕事場です」などと社会科見学状態になっていたりする。
 私は神経を集中して、モニターに映り込んでいる背後の風景を凝視する・・・・・10人・・・それよりもっとか?かなりの大量の人影が動いている。
 と判ってしまった途端に私の指はミスタッチの連続状態に入っていくのだ。ここぞと決めようと思うとよけいにドツボにはまっていくのであった。

 そんなワケで、私が放送終了後に電話で「あがってんじゃねぇよ」と言ったときに「その内にその言葉返させて貰うぜ」と返された言葉に対して、すでに言い訳を始めていたりするのであった。
今日の読破本 『小林まこと:12の三四郎2/6最終巻』KCスペシャル
1998年7月7日(火曜日) タナバタ
 どうして「タナバタ」と「ドタバタ」は似ているのだろうか?
 どうして「タナバタ」と「タナボタ」は似ているのだろうか?

 僕はふと考えてみた。
 このタナバタと言う日の成り立ちと言う物について考えて見た。
 働き者で親孝行で誰からも好かれる良い娘の織り姫がいた。
 ところがある日、牽牛(けんぎゅう)とかって言う仕事をしている彦星なんつー男にたぶらかされて、その日から仕事もしないイケイケなお姉ちゃんに成り下がってしまったと言うのだ。
 ほんでもってパパが怒って、天の川の向こう側に住まわせて引き離してしまったのだ。
 と言っても、血も涙もないワケではなく、年に1度だけは逢わせてやるから、しっかり働くのだぞ。 と言う、なんつーかありきたりなジェネレーションギャップな話だったりする。

 しかし、私はその話の詳細をすっかり忘れてしまったのだが、そこから何故、笹の葉に願い事を書いた短冊をぶら下げるって話につながる様になったんだ?
 当の本人達は1年に一回の○○○で大忙しだってのに、他人の願いまで聞いてやれる余裕なんて無いと思うのだな。なんせ年一回のデートっすよ。そりゃ当然の事ながら、その1年間の逢えない間じゅう「今度逢うときは・・・うふふふ」と綿密に計画を練っていたハズなのだ。それなのに他人が勝手に「お願いします」なんつって来られても困ってしまうと思うのだ。
 願い事ならば神社って言うプロ組織があるからそっちでやって欲しいなんて思っているに違いない。
 しかも神社の場合は「絵馬」とかをちゃんと購入してからそれに書いたり、賽銭を入れたりするので収入もある。しかも絵馬を飾る場所や願い事をする賽銭箱の場所は限られているので、願い事を一覧するのもオートメーション化しやすいのだ。
 それに比べてタナバタの願い事と来たら、どっかの裏山から勝手に取ってきた笹の葉に(都会の場合は買ったりするけど)適当なイロガミなんかを半分に切った物をぶら下げると言う状態になっている。
 もーまったくタナバタ実行委員会への収入はまったくと言っていい程ないと言うワケなのだ。さらに、願い事も勝手にそこいらの学校や家庭や色々な処で取り留めもなくバラバラに行われる。まったく願い事を集計する身にもなって欲しいとタナバタ実行委員会は思っているに違いないのだ。
 さらに困った事に、笹の葉に色紙で作った短冊をぶら下げるだけでは飽きたらず、そこに色紙で作ったリングなんて物を飾ったりする人まで出てきたりする。おいおい、そりゃお誕生会じゃねぇっつーの。
 と思っていると今度は「タナバタだから星を飾った方がいいよね」などと言う意見から★マークの飾り物などを笹に取り付けたりするのだが、おいおい、そりゃクリスマスツリーじゃねぇっつーの。
 そんなこんなで気を許していると、点滅する電飾やら、カボチャで作った顔(この季節だとスイカか)やら、とんでもない状態になってしまいそうな気がするのだ。

 でも、クリスマスとかハロウィンみたいに外国のお祭りだってのに宗教観も無いまま、若いお姉ちゃんお兄ちゃん達が浮かれ騒ぐようなお祭りになればいいなと思ったりもする気持ちもある。
 仙台とかのタナバタ祭りなんかとは関係なく、自主的にそこらの盛り上がるお祭りになりゃいいと思ったりする。
 そんな意味不明のバカ騒ぎをする軽薄な日本の若い男女を見れば、空にいる織り姫のお父ちゃんも「こんなバカどもに比べたら彦星なんてムチャクチャ好青年じゃないか」と、今まで離ればなれにしていたのを許してくれるかも知れないからなのだ。
1998年7月8日(水曜日) 書きたがり屋さん
 今日発売の「SPA!」を読んでいたら『書きたがる人々の奇妙な自意識』と言う特集が載っていた。
 最近、とにかく文章を書いてプロになりたいと言う人が急増しているらしい。そんでもって「自分は特殊な人間だから」「自分が感じた感動を他人にも伝えたいから」などなどの理由から、ワシワシと書いているらしい。
 そーゆー意味では僕なんかも、日々人に読まれるのかどーか判らない文章をワシワシワシワシと書き続けている『書きたがる人々』の一員だと思う。きっと、この特集で組まれているそっちの人々に分別されて金曜日の燃えないゴミの日に出されてしまう様な困ったちゃんになってしまうのだと思う。
 うーむと思いながらも「私は違う」などと否定はしない。
 とにかく文章を書きたいのだからしょーがない。

 が根本的に違うんじゃないか? と思うのに「感動を伝えたい」とか「自分は特殊な人間」だなんて気持ちはサラッサラ無かったりする。イヤになるほど平凡で、世の中で好まれている下世話な事が大好きな「私は中流よ」などと思ったりする人だったりする。でもって感動なんて人にあたえられるたぁ思っちゃいないっす。
 基本的に私の書いている文章はラストあたりで「クスッ」と笑って貰えればオッケーてな凄く内容の浅い物がほとんどで、他人様の人生や生活に影響を与えようたぁ思っちゃいませんぜ。ある種のエンターティナー的な物にはしたいと思っているけれど・・・・。

 これまで、色々なジャンルの「オレは絶対プロになるんだ」と夢を語る人々に接してきた。音楽・小説・漫画・コピーライター・デザイナー・イラストレーター・詩人・その他色々。
 そして残念ながらそこから完璧なプロ!と言う世界に入っていった人は誰1人としていない。ま、少しはプロの世界に足を突っ込んでいる人もいないワケではないが、夢として語っていた世界まで到達できた人はいない。
 多くの場合が「オレは」「オレの」と自分の才能を過信して、自分の才能の凄さを話して、自分の作品がどこそこで褒められたと言う話ばかりをしている様な人がほとんどだった気がする。
 とにかく直情型的に自分の才能を語っている。それを言い換えれば「押しつけがましい」と言う事になる。それは作品を発表したいと思っている人の場合、当然の行為になるんだろうけど・・・・。
 が、その手の自分を異常に過信している人に共通している事は、他の(プロもアマも)作品をけなす。と言う事なのかもしれない。
 とにかく、褒める事をせずにけなす事ばかりの人がいる。他者の作った作品に関しては思いっきり辛口の批評家になっているのだ。その反面、自分の作品に関しては大甘のハウスバーモンドカレー(甘口)にアンコと黒蜜をたっぷりかけて、仕上げにコンデンスミルクをトッピングしたカレーの様な甘さに変身してしまうのだ。

 多分に自分も同じ危険性をはらんでいるとは思うが、ある種の客観性を持って自分の作品を見つめて、そんでもって読んでくれる(聞いてくれる・見てくれる)相手にとって最善の方法とは?と言うのを考えなければいけないと思ったりするのだ。
 文章を書く人(それ以外の人も同じだと思うが)は、先生でも指導者でもなく、私はサービス業だと思っている。
(とか言いつつ、今回の文章は自分の考えの押しつけでサービスがないっす)

1998年7月9日(木曜日) 不安になる人
 えーとりあえず宣言しておきますが、私は今「鬱期」に入っております。
 そーです、いわゆる鬱病ってヤツになっちゃっていますから、もー何をしてても気分が重い。あーこりゃまいったねって感じだったりします。だから、文章まで暗くなっちゃっているかも知れませんけど、その辺は了承して下さいね。
 あぁ鬱鬱・・・・・

 私の場合は昔から、気に入ったジュースが新発売されると、とことん嫌いになるまで毎日の様に飲み続けます。
 そんでもって、CDや本なんかも金があればとことん買ってしまいます。
 そしてさらに、今のように突然気分が重くなってしまう事があります。
 これが昔からよく言われる処の『飲む・鬱・買う』ってヤツでありまして、本当に「人間として最低よね」なんて言われてしまう様な私だったりします。

 鬱期の良くない現象に「異常なほど心配性になる」と言うのがあります。
 元々、変な心配性で、ちょっとした事を考え初めて、いつの間にかとてつもない想像から異常な結末を導いてしまう私だったりするので、鬱期の心配性ぶりはまともな物ではありません。

 ここの処不安なのは、この「ひねもす」の伝言板に書き込んでいるのが、ほとんど私だけで時々、書き込んでくださる方もいますが、何やらずっと独り言状態が続いている。うむむむ、何故こんなに人気がないのだ? と思いつつも、どーもカウンターを見ると1日に30〜40人、多い日には50人以上がアクセスしてくれていたりする。
 これはいったい? などと言うことからどんどん深く考えて行くと最終的にはフリーメイソンの陰謀説にまでたどり着いてしまう事になるのです。
 そして余計に悩みを深くして、私は泥沼の鬱期に入ってしまうのです。

 私の鬱期の複雑な処は、鬱鬱として精神的な部分があまりに不安になってしまう為に、その反発から人に接する時、異常な程明るくギャグを飛ばして誰も付いて来れないようなハイテンションな状態を演出してしまうと言う事だったりします。
 まったくもって周囲は「鬱」だと言うことが気付かない程だったりします。
 その鬱期がさらに酷くなると、よけいにハイテンションでギャグを飛ばしまくる様な人になります。
 そして鬱が最悪な処まで落ち込んだある日「こんな事じゃいかん!」と、精神力で鬱期を終了させてしまうのです。そんな長く同じ精神状態を引きずっているワケにはいかん!と思ってしまうわけっす。

 そして鬱期から見事に脱出した私は、通常仕様の私に戻って、いつも通りにギャグを飛ばしてハイテンションに生活をするのであります。
 そんなワケで、どこが鬱だったのか?と言うのが他人様には判りにくい様なので、ここに「私は今、鬱期です」と宣言するのであります。

1998年7月10日(金曜日) カルピスとカルピコ
 子供の頃からずっと疑問に残っていた事があった。
 カルピスと言うのは乳酸飲料の定番として燦然と輝いている。そしてそれに炭酸を加えた物が「カルピスソーダ」と言う名前でかなり昔からある。
 ところがである。私の記憶の中に「カルピコ」と言う名前でカルピスのソーダが残っていたのだ。
 つまりほぼ同時期に「カルピスソーダ」と「カルピコ」と言う2種類のカルピスが存在していた様な記憶があるのだ。友人の一部もそんな記憶を持っていた。
 果たして「カルピコ」とは? と言う疑問を持ったのが今からすでに15年以上前。それ以来ずっと頭の片隅に残っていた疑問だったのだ。

 ある時VOWで「ハワイでカルピスのパクリ商品を発見」と言う事で、かの幻だった『カルピコ』の写真が掲載された事もあった。
 その場は「パクリ商品」と言う事で済まされてしまったのだが、私の疑問は終わってはいなかった。まさか「ではハワイに調査に行って来ます」と言う様なワケにもいかず、ジリジリと焦りながら日々は過ぎていった。

 で、ある日、矢野顕子のエッセイを読んでいてその謎はあっけなく氷解してしまったのだ。
 そこには例の「カルピコ」の写真が掲載され、コメントとして「ニューヨークではカルピスはこの名前で売っている。ピスと言うのがオシッコを意味する為にこの名前に変更されたと言う」と書かれていた。
 うむ、確かに「カルピス」ではヘタすると「牛のオシッコ」と勘違いされると言うのを聞いたことがある。
 10数年の疑問はあっけなく、しかも理由も情けなく終わってしまったのであります。