杉村ぐうたら日記(1998年7月11日〜20日)

▲1998年7月11日:土曜日:げに恐ろしきは女の怨念なり
▲1998年7月12日:日曜日:サザエさんの謎
▲1998年7月13日:月曜日:季節のない街に生まれ・・・・
▲1998年7月14日:火曜日:『眉毛』と言う生き方
▲1998年7月15日:水曜日:記念日の名のもとに
▲1998年7月16日:木曜日:『山城』と言う生き方
▲1998年7月17日:金曜日:インディーズと言う生き方
▲1998年7月18日:土曜日:夏休みの名のもとに
▲1998年7月19日:日曜日:ドミノって・・・・
▲1998年7月20日:月曜日:すいすいスイマーズ
1998年7月11日(土曜日) げに恐ろしきは女の怨念なり
 中学校の時の国語の先生にムチャ外れた人がいた。
 もう定年間近の老教師だったのだが、授業中に突然「気分転換だ」と言ってハモニカを吹き出したり、テストの監視中に退屈だといいながらウロウロ歩き回って挙げ句の果ては廊下に置いてあったオルガンをブーガブーガと弾きはじめて他の教室の先生に怒られていたり、当時ヒット曲を連発していた山本リンダについて熱く語ってみたり(その時代の話っす)、いかにして赤紙から逃れ戦争に行かないように努力をしたかとか、野戦でのトイレの話とか、とにかく授業よりその話や奇行の方が印象に残っている先生がいた。
 さらに本職はお寺の坊さんだと言う噂も流れていた。

 この先生が授業中にしてくれた話の中でよく引用されていたのが、落語と言うヤツだった。
 僕はそれ以前から落語が好きだったが、地元に寄席などが無い為に、NHKなどでよく見たりしていた。
 この落語ってヤツは本当に長年に渡ってこなされて、洗練されてきた物なだけに、話の展開などが実によく出来ている。まずマクラがあって身近な話題で客を掴んで置いて、徐々に話術でその世界に引き込んでいくと言うこのテクニックは本当に感心してしまうのだ。僕なんかも文章を書くときの基本はこの辺りで自然と勉強したって感じが大きいかもしれない。

 でもって、この先生がよく子供の頃に寄席に通っていたと言う話をした。
 通っていたと言うより、どこか裏口から忍び込んだと言う話だったと思う。
 その中で印象に残っている話に、夏場の怪談噺を毎日聞きに言ったと言うのがあった。
 毎日の様に通っているので噺のスジは知っている。でもって怪談噺のラストには決まり文句として必ず言う「げに恐ろしきは女の怨念なり」と言うセリフがある。
 そこで、ある日高座の噺家がラストで「げに恐ろしきは・・・」と言いかけた時に、かぶりつきで見ていた少年時代の先生が「女の怨念ズラ!」と先回りして叫んだ処、噺家は慌てず騒がず「・・・・ 女の執念なり」と締めたと言う。
 そこで翌日も寄席へ忍び込み、その噺家の怪談噺を聞いてラストに声をかけた。
 「女の執念か、怨念ズラ!」
 と、噺家は2種類の逃げ道を失い一瞬言葉につまり「うむむ・・・・・・残念なり」と締めた。

 この話はかなり印象に残っていて、その後もずっと頭の中に残っていた。
 実によく出来たオチだなと思っていた。

 それもそのハズだったのだ、この話ってのは、昔から代々語り継がれている「マクラ噺」の定番だったのだ。 先日読んだ「柳家小三治:まくら」と言う本の中にもこの噺は出てくる。
 私はずっとずっとダマされていたのだ。

1998年7月12日(日曜日) サザエさんの謎
 暑さと疲れと食欲不振と肩こりと頭痛のトリプル+ダブルパンチで(5つ一緒の場合の言い方を思い浮かばなかった)日曜日だと言うのにぐったりとして横になっていた。
 7月上旬、しかもまだ梅雨明けしていないと言うのに、すっかり夏バテ状態になってしまっている私は、数日前にも書いた通りに虚弱体質なのだ。
 取りあえず国民の義務として本日開催されている衆議院の選挙に出かけるだけはしたが、それ以外はゴロゴロと本を読んで日曜日を過ごした。
 あぁなんて内証的で地味な日曜日なのだ。
 と、鬱病をさらに進行させてしまうと言う、いささか重い休日だったのだ。

 いささかと言えば、かのサザエさんのお隣「いささか先生」の家に大変な事が起きているらしい。
 いささか先生の家には「うきえ」さんと言う娘さんがいて、カツオくんの憧れの的でもあった。ところが、カツオくんはこの先、うきえさんと会話する事も逢うことも出来なくなってしまうと言う話なのだ。
 それも原因は、当のカツオくんにあると言う。

 実は長い間カツオくんの声を担当していた声優さんが、病気入院してしまい役を降板する事になってしまった。噂によるとこのまま復帰する予定はないと言う。
 その新しいカツオくんをやっている声優さんが「冨永み〜な」と言う人だったりするのだが、なんとこの声優さんはそれまで「うきえさん」の声を担当していたのだ。
 そしてTV局の説明だと「うきえさんはこのままフェイドアウトして出てこなくなります」と言う事らしい。
 さすがに「うきえさんマニア」は存在しなかったと思うので暴動は起きないと思うが、少し悲しい気持ちがする。

 そんなこんなで、ひさびさに自宅でゴロゴロする日曜日を過ごしてしまった私は、本当にひさびさにアニメ「サザエさん」を見た。
 なんつーか、日曜日の夕方に放送しているのが当然と言うぐらいに固定されてしまった番組なのだなぁ、もうすぐ30周年じゃないの?なんか凄いっす。

 漫画の方は昭和40年代までで時間が止まってしまったが、TV版はこのまま古き良き昭和をひきずりながら21世紀に突入していくんだろうなぁ
 しかし、今回見ていてうむむと思ってしまった事がある。
 磯野家も確実に時代を取り込んで生活している。スポンサーの関係もあって、電気用品はちゃんと新品になっている。
 あの手の話の中で必ず出てきそうな「暑いから、今年こそクーラー入れてよぉ」「ばかもの、扇風機で充分だ」とか「冷蔵庫、古くなっちゃったから買い換えましょうか」「ばかもの、今の冷蔵庫でも充分間にあっておる!」などという会話はまったくない。
 言われるまでもなく、新製品になっているのだ。
 たしかにクーラーなどの絵は出てこないが、その手の話がされないと言うことは、すでに設置ずみなのだと推測できる。きっと、いつも一方側からしか映されていない茶の間のこっち側の壁当たりにある様な気がする。
 その証拠に、食事の時みんな風を受けやすいように、クーラーの方を向いて座っているのだ。
 しかし何も言われなくとも電化製品を購入してくる波平さんやマスオさんは、電気製品マニアなのか?それとも電気関係に勤めているのか?(マスオさんは海川商事だと思った)
 気が付くとサザエさんもTVのチャンネルを変えるのにリモコンを使っていたりするのだ。

 が、生活の部分では頑なに古き良き昭和(しかも初期)を守り通している。
 なんせ、男性陣は会社から帰るとまず、着物に着替える(浴衣ではないよね)波平さんだけでなく、若い(30代前半?)マスオさんまで着物でいる。
 今日の放送では日曜日に家で留守番をしていたマスオさんは着物でくつろいでいた。
 そして、当たり前の顔をして着物のまま近所をうろついたりしているのだ。
 あたりまえの一般庶民の生活を描いていたハズだったのが、かなり特殊な家を描いている事になってしまったのだ。

 それから舟さんも、台所仕事などをするときにエプロンではなく「割烹着」を着ていると言うのも、かなり特殊だと思うのだ。

 それと前々から気になっているのが、波平・マスオの両名が会社から帰ってくる時間が異常に早いのではないか?などと思ってしまうのだ。
 時によってはまだ外が明るい(夕陽の時もあり)時に帰って来たりするのだ。ま、夏場は7時くらまで明るいのだが、彼らは少なくとも電車通勤をしている。
 都心の会社で6時定時に終了して残業もせず、電車に乗って、さらに駅からしばらく歩いて、7時までに帰って来れる(しかも自宅は世田谷)と言うのはかなり難しい事なのではないだろうか?
 それとも就業時間が5時ぐらいなのだろうか?

 うむむ、と思っていたが昭和史などの本を読むと、戦前のサラリーマンは「4時とかに会社が終わって」などと言う記述がある。へたすりゃ3時ぐらいに仕事が終わって、それから銀座をうろつくなどと言うことも出来たと言う。
 漫画サザエさんの作者、長谷川町子さんは戦後スグにこれを(福岡新聞で)書きはじめて、数年後に東京に出てきて朝日新聞で連載をはじめたと言う。
 その頃のサラリーマンの生活だったんだろうなぁ
 戦後15年〜25年頃の高度経済成長期の残業残業わっせわっせと言う状況のサラリーマンをほとんど知らずに書いていたんだろうなぁ。
 当然、連載を終えた後の1970〜1980年代に「過労死」などが騒がれた事は反映されていない。あぁ実に良い時代のサラリーマンの姿なのだ。

 しかし、時代を反映して波平・マスオが遅くまで残業をして毎日帰ってくるのが9時くらいだったりするサザエさんは想像したくないっす。
 舟・サザエとカツオ・ワカメ・タラちゃんの、いわゆる女子供のみで夕飯を食べている姿は、なんかサザエさんではないと思ってしまうのだ。

 しかし、7人家族がちゃんと座って食事ができる丸いちゃぶ台って、実際に作ったらかなりでかいんじゃないか?

1998年7月13日(月曜日) 季節のない街に生まれ・・・・
 イチゴはどの季節の果物でしょうか?
 と言う質問に「冬」と答える子供が多いと聞く。
 基本的にその解答では間違いなのだが、実際の事を言えば年間を通してイチゴが一番多く収穫されるのは12月だと言う。いわゆるクリスマスケーキなどに使用されると言うのが最大の原因だったりする。
 その為に、イチゴ栽培農家は真冬の寒い中ビニールハウスの中で、真夜中も電灯を付け(日照時間が長いと錯覚させる)暖め、さらに冬休んでいるハズの蜂をハウスの中に無理矢理放して受精促進させたりする。
 そんな苦労のかいもあって、クリスマスケーキ用のイチゴが大量に出荷される様になるのだ。

 今、季節の食べ物はほとんど季節を選ばずに手に入れる事が出来るようになった。
 それは農家の努力のたまものだったり、空輸技術が発達して季節が逆の南半球から持って来れたり色々と、理由は色々ある。
 しかし、やっぱ季節の食べ物は、ちゃんとその季節に食べたいと思ってしまうのだ。
 すごく固定化されてしまった感覚なのかも知れないが、その季節の温度やニオイなんかも一緒に食べたいと思ってしまうのだ。
 特に夏は暑い空気の中で食べるというのが夏ならではの醍醐味なのかもしれない。
 たしかに空調のしっかりした部屋も捨てがたいが、夏は暑くて当然!夏は野外だ!などと虚弱体質ながら思ってしまうのであった。

 で、夏しか食べられない食べ物代表選手と言ったら、誰がなんと言おうと私の場合「スイカ」なのだ。
 夏の暑い日、しかも一日で一番暑い午後2時頃、日陰の縁側で井戸でキンキンに冷やしたスイカにかぶりつくあの感覚は、忘れることは出来ない。(と言いつつ、我が家には子供の頃も今も、井戸なんてないけれどさ)
 どっちか遠くまで種を飛ばせるか競争をしたりするのだ。
 夏といったらスイカ!これだけは譲れませんぜ。
 たしかに最近はスーパーなんかに行けば、どの季節だってスイカは売っている。しかも4分の1カットのスイカで「¥5000」なんて馬鹿げた値段を付けてあったりする。おいおい、スイカがいつの間に高級素材になっちまったんだ?てな感じなのだ。
 これじゃ、いわゆるバーなどででてくる「フルーツ盛り合わせ」状態の値段なのだ。いかんよチミ。
 高い値段で、違う季節に・・・ってのはスイカに対する冒涜だと思ってしまう。私はスイカは庶民の味方でいて欲しいと思うのだ。
 やっぱし、スイカは8月の入道雲とセットだよなぁ、夏休みに友達の家にいったら当然の様に出てきて欲しいよなぁ
 と思っている私であった。

 が、そんな私の思惑とは別のところでスイカ業界は動いていた。

 今7月の初旬、露地植のスイカ畑を見ると・・・ほとんどスイカの季節が終わってしまったような状態になっている。全部が全部ではないが、そんな感じになりつつある。
 ありゃりゃ?と思って、まず私は「今年は6月から暑い日が多かったからなぁきっと早めに育ってしまったんだろうなぁ」などと考えた。
 確かにそんな要因もあると思うのだが、もっと重大な地下組織の陰謀が蠢いていたのだ。思わず「うごめく」を漢字変換して「蠢く」と言う字が出てきたときビビってしまったが、そんなビビるぐらいに恐ろしい事が起こっていたのだ。

 食べる方の思惑とは別に、生産者農家の考えとしては「少しでも早く収穫して市場に出した方が値段が高く買い取ってくれる」と言う物がある。それは商売の競争原理としては当然なのだ。
 だからこそ、関係ない季節に出荷する為にハウスで、電灯つけ暖め、お金をかけても元が取れてしまうと言う事になる。
 そんな事を普通に露地栽培している農家のおじさんだって考えたりする。
 どーせ、出来るのなら早くできるスイカがいい。と言う結論に達するのに3秒もかからなかったと思う。
 そこで当然、栽培するスイカの中でも早めに生育する「早生品種」を選択する。それもできるだけ早い、もっとも早い物を選択する。
 そうすれば、他の農家より早めに市場に出荷でき、高い値段になるのだ。

 しかし、そー考えているのはその農家だけではなかった。多くの農家が「他よりも早い品種」と言うのを求めていたりする。
 そこで、スイカの種などを販売している側だって「じゃ売れるっつーんだったら、もっと早く出来る品種を開発しましょう」と言う事になる。そんな状況が毎年毎年じわじわと進行しているのだ。

 おかげで、スイカの季節は8月の暑い盛りと言う事だったのが、今では6〜7月初旬と言う感じになってしまったのだ。
 なにかがおかしい。このままでいくとスイカは春の食べ物になってしまうかも知れないのだ。

1998年7月14日(火曜日) 『眉毛』と言う生き方
 え、眉毛ですか?
 そうっすねぇアイツラは俺に言わせりゃ、見かけ倒しで、スカしているだけの何の役にも立たないどーしょーもないヤツって感じっすかね。
 どうも世間では「額から流れてくる汗が目に入らないようにするガードの役目を果たしている」とかって事になってますがね、どうにも怪しい話だと思うよ。
 なんたって暑い日に、この俺様、まつげの所まで汗がストレートに落ちて来たのも1回や2回じゃない。毎回毎回当たり前のように汗が流れてくる。そのくせに「汗をせき止めている」なんて虫のいいことを言われたんじゃ、こっちも馬鹿らしくて今の仕事やってられなくなっちまうね。
 まったく。
 俺なんかは、汗だけじゃなくホコリまでガードしているって言うのに、さほど注目を浴びることがない損なポジションにいると思いますよ。
 なんせ、世間の注目を浴びるときって言ったら「逆さまつげ」なんて言って嫌われる時ばっかですからね。
 仕事熱心なあまりに、目に近付きすぎただけで文句を言われるんですから、やってられないっすよ。
 その点アイツラは良いポジションにいると思うよ、ホント。あそこって顔の中で言ったら一等地なんじゃないっすか?
 ま、本当の一等地は目で、そう言う意味では俺なんかも一等地の住人って事になるのかも知れませんがね。だけど、いかんせん目に近すぎているせいで霞んでしまってますからねぇ、そんなに世間様からは注目されちゃいませんよ。しょせん目の付属品あつかいですからね。
 ま、たまにおしゃれなお嬢さんが色を付けてくれたりしますがね。その辺は俺も嬉しいっすけど。
 問題は眉毛だよなぁ。
 なんせアイツラは、目から少し離れた場所って言う一番目立つ所に陣取っているって辺りが、本当に嫌らしい性格してるよ。
 なんせ人と人が正面から向かい合った時に、一番最初に目に付くのがあの辺だろ?まったく、図々しいったらありゃしない。
 そんでもってアイツラは、本来の「汗をせき止める」何て言う地味でありながら実は人間様にとって重要な仕事をほっぽりだして、愛想ばっかり振りまいていやがるんだぜ。
 なんせ、人間様が笑った時はいかにも自分も嬉しいとばかりに大きく上に向かって背伸びをして見せたり、怒っている時はあたかも怒ってますよって言う感じで真ん中に集中して見せたり、哀しいときもわざとらしく八の字になって下がって見せたり、まったくお天気屋と言うか、せこい商売しているって感じがしちゃうんだよね、どうも。
 よく学園物ドラマなんかで校長先生にべったりくっついて、校長が悪巧みをすりゃ「えぇごもっともでございます」なんて言いながら揉み手をしちゃう、せこい教頭先生っているでしょ。あんなタイプだよな眉毛ってヤツは。
 アイツラはそんな調子の良さで世の中を渡って来たワケだから、ろくなもんじゃねぇよ。
 もっとも、いてもいなくてもいいって証拠に、80年代初期のいわゆる聖子ちゃんカットが流行った頃は髪の毛に隠れてちゃっていたしね、そんときは俺もざまーみろとか思っちゃったけどさ。
 でも、それの反動で80年代中期に太い眉毛が流行った時は、悔しかったねぇ、たかが眉毛のクセして自己主張しちゃってんだぜ。
 たしかにこっちも60年代後半はいい気になって、付けまつげとかあったけどさ、その点は反省している。なんせ、その罰ゲームなのか知らんが最終的に付けまつげをやっていたのは、和田アキコか、オカマバーのお姉さん達ぐらいになっちゃったからね。
 もっとも眉毛だって、太眉とかっていい気になっていた反動で90年代に入ってからすっかり細くされちゃって、究極まで行くと全部剃った後でペンで書かれちゃったりしてんだよね。
 もー本当に君たちいらないよ、って言われているんだぜ、そこんところアイツラは気が付いていんのかな?未だにいい気になっている様だけどさ。
 結局、絵で描かれたり極限まで細く剃られてしまうって言うのはさ、本来の仕事だと言われている「汗をせき止める」って仕事を認められていないって事なんだぜ、判る?そこんところ。
 ま、アイツラはそんな事も気が付かないで、ずっといい気になってアソコでふんぞり返っていると思うけどさ。
 ま、頑張って空威張りを続けてくださいって感じかな。
 (月刊『人体公論』より某まつげ氏インタビュー記事抜粋)
1998年7月15日(水曜日) 記念日の名のもとに
 名古屋にあるFM局から電話があった(僕が電話を受けたのではない)
 なんと、私の作った『今日は誰の誕生日かな?』のデータを、放送で使用させてもらっていると言うことだった。
 その中で「7月17日が漫画の日となっていますが、その由来は判りますか?」と言う話だった。
 うむむ、と思って持っている書籍をひっくり返し、はたまたインターネットで検索を掛けて調べて見たがとうとう由来まで調べることが出来なかった。
 が、確かにその日は漫画の日と言うことは複数のHPのカレンダーなんかに掲載されている。
 それ以外では中古漫画の最大手「まんだらけ」が2月9日を独自に「漫画の日」として制定していたが、これは漫画の神様・手塚治虫の命日って事で考え出した日だった。
 そんなこんなで『○○の日』と言う記念日はとにかく多い。私の編集したそのカレンダーを見て貰うと判る様にかなり凄い確立で毎日が記念日になっている。
 もっとも「不思議の国のアリス」に出てくるいかれたティパーティでは「今日は君と僕の何でもない日」と言う事になってしまうのだが。
 しかし、その記念日を制定した理由ってのが実に下らないのも多い。
 いわゆる語呂合わせってだけのが多い。
 有名な所では「3月3日・耳の日」なんてのもあるし、分かり易い日では「1月10日:110番の日」なんてのもあったりする。
 あと10月10日の目の日ってのも「10」を横にすると眉毛と目に見える事から制定された。
 で、翌日10月11日は片方が「11」でつむっていることから「ウインクの日」と言う安易でとんでもない日になっている。
 が、これってどこが制定してどこがお祝いしている記念日なのだ?ウィンクの日って・・・あの二人が決めたのか?
 そんな事いったら、11月11日は寝るの日になってしまうではないか。

 そんなこんなで以下にどーも根拠なんて全然なくて語呂合わせだけで決めてしまったんじゃないか?と言う記念日を列記してみた。思いっきりうんざりしてみてください。
 この中には、いったい誰がどこで記念日を祝うのだ?と言う物も少なくない。

 1/15:イチゴの日
 1/19:トークの日
 1/23:ふみの日
 1/29:肉の日
 2/10:ニットの日
 2/22:ネコの日
 3/4:サッシの日
 3/4:ミシンの日
 3/5:サンゴの日
 3/8:ミツバチの日
 3/9:ありがとうの日
 3/19:ミュージックの日
 4/6:城の日
 4/18:良い歯の日
 5/29:こんにゃくの日
 5/29:呉服の日
 5/30:ゴミゼロの日
 6/3:ムーミンの日
 6/4:虫歯予防の日
 6/4:ムシの日
 7/3:波乗りの日
 7/8:質屋の日
 7/10:納豆の日
 8/3:ハチミツの日
 8/3:はさみの日
 8/4:ハシの日
 8/7:鼻の日
 8/10:ハートの日
 8/10:帽子(ハット)の日
 8/17:パイナップルの日
 8/19:バイクの日
 8/19:俳句の日
 8/29:焼き肉の日
 8/31:野菜の日
 9/2:宝くじの日
 9/4:くしの日
 9/9:救急の日
 9/29:クリーニングの日
 10/2:豆腐の日
 11/1:犬の日
 11/9:119番の日
 11/22:いい夫婦の日
 ・・・うんざり。
 しかし日本人ってこんなに語呂合わせが好きな国民と言うか、小学生なみのセンスと言うか・・・、はたして外国にもこんな悪習があるのだろうか?
 ネコの日はにゃーにゃーにゃー、犬の日はわんわんわんって、本当に小学生なみっす。
 (今回は調べ物をして書いたので時間がムチャかかってしまった)
1998年7月16日(木曜日) 『山城』と言う生き方
 ほとんどの人が自分の生き方が間違っていないと言う事で生活をしている。
 はなっから「俺の生き方間違っているよなぁ」などと思って生きている人などは少ないと思う。なんせ、そんな風に思っている人ならばなんとか生き方を改善したいと考えてなんとかしているハズだったりする。
 あるいは自分でなんにも考えなくてすんじゃう信仰宗教団体に入信して、ひたすら個を無くして祈っていたりするのかも知れない。
 中には「間違っているよなぁ」と思いつつどーにも辞められないって人もいるかもしれない。そーなっちゃうとそれは精神病の一種になってしまうので私の手に負えなくなってしまう。

 そんなワケで、多くの人が自分の正当性をなんらかの形で自分に押しつけて、なんとか生活を成り立たせていたりする。とか言いつつ「自分の考え方が100%じゃないよなぁ」と誰もが薄々気が付いている。
 自分にとっての正義と、友人Aにとっての正義が微妙に違うって事は薄々気が付いている。この世の中には100人の生活があれば100種類の正義が、100種類の人生観があったりするのに気が付いたりする。そんでもって、それぞれの生き方をも容認して健全で平穏な社会生活が営まれていったりするのだ。

 が、そんな生活を10年20年と続け30年40年と続けて、ある種まともに、そんでもって大きな支障もなく、現在に至るまでその生き方を真っ向から否定された事もなく生きてきたりすると、こまった人格が形成される事がある。

 人格と言うと「真面目」だとか「几帳面」だとか「卑屈」だとか「気が小さい」だとか「ワイルド」だとかあるが、その30年40年生きてくると誕生する新しい人格もあったりする。
 私が勝手に命名しちゃった人格だが『山城』と言う人格がそれなのである。
 ま、世間で『山城』と言ったらほぼ100%の割合で、あの山城だと思うのだな。あの山城と言うとあの山城しか考えられないって事で、私の言っている人格『山城』と言う物がどんな物か理解できると思う。
 別にスーツをいつも腕捲まくりして、首筋に意味なくゴールドのブレスレットをして、グラデーションの入ったサングラスをすると言う意味ではない。
 理解できない人は、とりあえず私がこのぐうたら日記の
1997年12月23日に書いた文章を読んでくださいまし。

 と言うわけで、参考テキストを読んでくださいましたか?
とりあえず私の考える山城像というのはそんな物なんですが、ある年齢をいくとこの『山城』が表面に出てくる人がときどきいる。誰の心の中にも『山城』は潜んでいると思うのだが、極端に『山城』化していく人もいる。
 なんの根拠がある自信なのか判らないが「自分の考えが絶対的に正しい!」とか「自分の生き方が一番の王道なのだ!」と思いこんでしまう人がいる。
 1997年12月23日にも書いてあった様にいわゆる『中学男』と言う思春期特有の人格を、ある程度年齢がいって発言権を手にした時に出てくる困った人格が『山城』だったりする。
 これから、そんな人格を見つけたときは『山城』と思ってやってください。

 
1998年7月17日(金曜日) インディーズと言う生き方
 先日、本屋をうろうろしていた。
 ま、それは私の生活の中では相変わらずだったりするけど、そのウロウロぐあいにも程があるとか言われ、本屋で杉村を目撃した人の話では尋常ならざる雰囲気があって声をかける事が出来なかったと言わしめた程なのだ。
 普通なら本屋で本を探してウロウロしていたと表現する所を、本を物色して徘徊していた、等という「警察官立寄所」などと指定されている(実際にこー書いてある場所で警察官を見たことないけど)本屋に杉村が出現した場合、瞬時に通報されてしまう可能性があったりする。
 などと言う話を書こうと思ったワケではない、その本屋で見つけてしまった本に付いての話なのだ。

 私が本をよく読む、あるいは活字中毒だと言うのは自覚している。ま、趣味は?と聞かれた場合「読書」と言う答えが導き出されたりする。
 しかし、杉村を構成する大事な趣味がもう一つあって、それが「音楽」だったりする。今はあんましやっていないが、かつては飯を喰わない日はあってもギターを弾かない日はないと言われていた杉村なのだが、その理由の半分はあまりに貧乏だったと言うのが原因だったが、とにかく音楽は自分の重要なテーマだった。
 そーなると困ってしまうのが履歴書なのの趣味の欄。
 趣味「読書」「音楽」なんて書いたら思いっきり「何も考えずに適当な事書いたでしょ?」と言う感じになってしまうのだが、本当だからしょーがないだろぉぉぉぉと言う事になってしまう。

 そんなワケで本屋にいっても、とりあえず音楽関係の雑誌書籍のコーナーは必ず立ち寄る。
 そこで「うげ」と思う本を見つけてしまった。『全国インディーズバンド400』と言う本なのだ。
 いわゆる、今ヒットチャートの上の方に常連として君臨していらっしゃるビジュアル系と呼ばれるバンドの予備軍を大々的に紹介した本だったりするのだ。
 まず、そんなビジュアル系なんて呼ばれるバンドが400も存在している事に「うげ」と思って、それにそれぞれの写真、メンバー紹介(出身・誕生日等など)そしてバンドの特徴や活動状況なんかを書いてあって、完璧にそれぞれがデビュー直前と言う感じだったりするのだ。
 しかし、いつから「インディーズ」=「ビジュアル系」ってのになっちまったんだ?
 友人と話をしていて、ビジュアル系って言葉が正式に言われ始めたのがバンドブーム終了直後あたりだから、90年代に入ってからと言う。
 それ以前から「インディーズ」と言う言葉はあった。初期は自主制作のレコードの事を「インディーズ盤」などと呼んでいて、あくまでもレコード自体の事を指していた。バンドはあくまでも「アマチュアバンド」と言う言い方をされていた、通称「アマバン」なのだ。
 さらにさかのぼって「インディーズ」と言う言葉が使われ始めたのは、1983年頃に有頂天と言うバンドを組んでいた「ケラ」と言う人物が『ナゴムレコード』と言うレコード会社を作った所あたりだと記憶している。
 それまで「自主制作」と言われていたアングラ系のバンドのレコードを製作して、独自の流通経路を使って全国規模で展開させようと言うレコード会社だったのだ。
 このナゴムレコードからは『筋肉少女帯』『たま』なんて言う完璧メジャーなグループも出た。
 しかし、そこから出た多くのレコードが「メジャーレコード会社からは絶対出ないような作品」が多く、かなり70年代を引きずったアングラ的なイメージが多かった。
 その後、ナゴムレコードの成功を見た、宝島社などが「キャプテンレコード」などを始めたり、大手のレコード会社が別レーベルとして「インディーズレーベル」を始めたりして、結局最初の「自主制作」と言う部分が崩れ、さらに「大手では出せない」と言う部分が消え「メジャーデビューする以前のプレデビュー」としてのレコードと言う形になってしまった。
 いわゆる、インディーズと言う特殊なムードの作品ではなく、小さくまとまったメジャー予備群と言う感じになってしまったのだ。

 さらに「インディーズ」と称しているワリに、アマチュア時代から事務所に所属しているバンドも少なくない。そんでもってインディーズレコードってヤツを製作したりする。しかも、大手資本のレーベルから。
 それって・・・・違うよなぁ自主ではないよなぁ

 とある雑誌に自主制作レコード収集家が出ていたが、その人によると70年代から80年代の自主制作レコードはほぼ100%持っているハズですが、それ以降の作品は・・・と言葉を濁していた。つまり、90年代の作品は本来の「自主」で無いためにコレクションする意味がなくなってしまったりするのだ。

 なんせ「インディーズ」って言葉自体が「個人的な」とか意味なんじゃないの?
1998年7月18日(土曜日) 夏休みの名のもとに
 すっかり気を抜いてぷしゅーっと生きていたら、どーも世間の学生は今日が終業式で、明日から夏休みって事になるらしい。
 夏休みかぁと考えていくと思ったより凄いのだ。なんせ明日から8月の31日まで丸々休みだよ、こりゃ凄いねどーも。
 なんせ、こちとらサラリーマンこの土曜日曜+海の日の3連休って聞いただけで「やったぁぁぁぁ凄い凄いうわっはぁっはぁぁ〜ぁ、ぜぃぜぃ」と意味無く息を荒くしてのたうち廻ってしまう程なのだが、ちょっとそこの旦那聞いてくださいまし、あいつら学生と来たら夏休みってことで7月19日から8月31日までなんと44連休って事になってんですぜ。
 おいおい、そんなデタラメを許していいのか?なんせヤツラと来た日にゃ、自分たちで金を稼ぐワケでもなく親のスネをかじってのうのうと生活して、しかも税金を払っているワケではないくせに公共料金なんかでは子供料金だったり学生割引だったり、異常に特典が多いくせして、さらに44連休と来ちゃうワケだぜ。
 もー声を大にして言ってしまうが44連休って、どーゆーこった?
 こんなデタラメを許してもいいのか?まったくオブチだかカジヤマだかコイズミだか、現時点では次期総理大臣が決定していない政界だが、その辺が落ち着いたら早速なんとかして貰いたい問題だと思ってしまうのだ。

 しかし、今考えてみると自分がその年令だった頃、その44連休だかを実に無駄にばかばかしく、意味無く怠惰に過ごしていたと思うのだ。振り返ってみても何をしたのかハッキリは覚えていない。
 断片的に覚えてはいるがそんなの数日で片が付くような事ばっかりなのだ。
 本当に44日もあったのかと言う感じの思いっきりだらだらした日々を送ってしまったと言うことになる。
 まったくガキってヤツは、その辺の有意義さに全然気づかないからガキだって言われるんだよなぁ

 などと考えて、結局3連休をダラダラと無意味に過ごしてしまう私であったりする。
1998年7月19日(日曜日) ドミノって・・・・
 昨日の夕方からフジTVで「27時間TV」なんてモノをやっている。
 と言っても一生懸命見ている程ヒマではない。せっかくの連休をTV鑑賞で過ごすのなんてバカらしすぎるのだ。
 私はもっともっと有意義に休日を過ごすのだ!などと言いつつ、外に出かけて結局、本屋に立ち寄り何冊も新刊を購入しウシウシとほくそ笑みながら帰宅し、ワシワシと読みふけると言う、それじゃいつもの生活とちぃぃぃっとも変わらんではないか?と言う休日を過ごしていたりする。

 土曜の夜中、友人が尋ねてきてTVを付けて、そこで27時間TVが放映されている事を知ったのだが、その友人が帰った後もTVをそのまま付けて本などを読み、いつのまにか寝ていた。
 明け方、ぼんやりとTVの声を聞きつつ目を覚ました。
 画面の中では当然の事ながら、昨晩の続きの27時間TVをやっている。

 今回の企画の目玉は日本各地の会場でドミノを並べて、沖縄で倒したドミノが最終的にファックスの送信ボタンを押し、次の会場のファックス用紙でドミノ倒しが引き継がれ、そしてさらに次の会場へ・・・と言うパターンで、最終的にフジTVまで到着しドミノの輪を日本中に繋げようと言うモノだった。
 が、僕がぼーっとした頭でTVを見ていた。
 各会場は大がかりな仕掛けをする為に野外にもドミノを並べてムチャクチャにスケールが大きな作品を目指していた。おかげで、風が吹いてドミノがことごとく倒れたり、雨が降ってドミノを置いてある地面がぐちゃぐちゃになっていたり・・・ドミノを倒す以前に企画倒れをしていた。

 しかし、日本人はドミノって本当に倒して遊ぶオモチャだと思っているのかもしれない。
 さらに、ドミノ倒しドミノ倒しと言っているが、どーもあそこで使用されているのはドミノに似せた「ドミノ倒し専用ドミノ」なのではないか?
 本物はもっと違ったりする。(色々な種類があるかもしれないの断言は出来ないが)

 でも、日本にはそれ以前から「将棋」を使って「将棋倒し」と言う遊びがあったハズなのだが。
 やっぱ将棋倒しって言うと、駅の階段での大惨事とか、コンサート会場での大惨事とか、そんな悲惨なイメージがあるので言葉として使用されないのかも知れない。
 うむむ、もしかしたら海外では駅の階段でみんなが倒れたりする事を「ドミノ倒し」なんて呼んでいるのかもしれない。

 ところでドミノってどこの国のゲームなの?
 どーも「ドミノピザ」のイメージで『イタリア』って気がしてしまうのだが・・・。
1998年7月20日(月曜日) すいすいスイマーズ
 やっぱ夏は開放的に野に山に海に飛び出すのだ!
 と、意味もなく純粋自己完結自宅理論武装家の私には不似合いな程、健全で前向きな事を言ったりしている。それほどに夏というのは人を狂わせてしまう程に夏なのだ。
 朝起きてカーテンを開けると嫌になる程につき抜けた青い空が広がっている。
 これが平日ならば「あぁぁぁ会社行きたくねぇやぁぁぁぁ」と思ってしまうのだ。気持ちはぐずぐずと遊びモードと仕事モードを揺れ動きつつ、でもやっぱ今日あの仕事が締め切りだしなぁなどと考え自動車に乗り込み、ピーカンな空をウィンド越しに見上げたりするワケなのだ。
 さらに私の通っている会社は海のすぐすぐソバにあったりするので、仕事やる気無い度に怒涛のごとく拍車がかかってしまったりする。
 が、仕事をして金を貰っているしがないサラリーマンの私は、結局、日中は大陽の全然当たらず、空調の為にどんな気候か判らない所でワシワシワシワシと仕事をしたりするのであった。

 あぁ夏って事でやっぱし泳ぎたいよなぁぁぁぁぁと言う気持ちが日増しに高まっていたりする私だったりするのだ。
 泳ぎに関しては、はっきし言って小学校の頃は悲惨でした。
 ほんとうにまったく泳げず、夏の体育の授業が憂鬱で憂鬱でしょーがなかった。そんでもって勢い、夏風邪をひいてみたりしちゃったりしていた。
 中学はプールが無かったので安心だったが、高校に入ってプールが再登場して憂鬱な気分になってしまったのだが、何故か、練習もしていないのに泳げる様になっていたのだ。
 うむむむ、と考えこんでもそーゆーことになっていた。

 でもって話は戻るが、気分が完璧に「泳ぎたいモード」突入してしまった私は閃いた。
 そー言えば、会社の帰り道に室内プールがあったよなぁ・・・・。

 そんなワケで私は夏だと言うのに、室内プールでひたすら泳ぐ人になっていたりする。
 特に最近は完璧運動不足を自覚しているので、ひたすら体を酷使して、基礎体力をアップさせる作戦にでたのだ。
 最初の30分〜40分はひたすら水の中でのウォーキング。しかも腰を落としなるべく胸近くまで水につかり、両腕を大きく振るスタイルでのウォーキングをする。
 これだけでかなりヘトヘトになる。なんせ、普通に30分歩くって事さえない日々だったりするワケで、これでさえ当社比250%って感じなのだ。
 これを続けると、水面から出ている顔だけがかなりポカポカ熱を帯びて来ている。
 そこで、泳ぐ。ひたすら泳ぐ。何往復も何往復も出来る限り泳ぐ。
 とりあえず最低でも1キロは泳ぐ事にする。
 ハッキリいって完璧に当社比1000%と言う感じになってしまう。あるいは通常の1年分の運動量を圧縮したと言う感じだったりする。
 で、ひたすら泳いで、ふくらはぎ辺りに「そろそろツリまっせ」と言う信号が出た所で泳ぐのをやめて、再びウォーキングに入る。
 このメニューで約1時間半。本気で運動不足な私にとってはヘビーなメニューだったりするが、終わった後の疲労感と空腹感はこれまでの怠惰な生活の中にはなかった充実感を呼び起こしてくれるのだ。
 あぁ生きているってすばらしい。

 そんな充実感を胸に抱いて帰宅する私なのだが、その後の食事を「あぁ腹一杯食べたい」などとやってしまっては、まったくの逆効果になる。ここは冷静に、肉体疲労をクールダウンさせ栄養補給をしっかりとるのだ。
 と私はスポーツダイエットな人生を目指したりするのであった。

 そう、私は頭の中で完璧な計画を練っていた。
 運動モクモク、食事ソコソコ、体力モリモリ、体重ヘリヘリと言う計画になるハズだった。
 しかし計画はあくまでも計画だったりする。その計画はあっと言う間に予期せぬ事態に陥ってしまったのだ。
 と書くと「きっと食べ物を目の前にしていつもの通り冷静さを欠いてワシワシ必要以上に食べてしまったんじゃねぇの?」なんて予想が出来てしまうだろうが、世の中その程度の予測がなりたつ程に甘くなかった。

 泳ぎ疲れて、私は自宅に帰って来た。
 実はその帰りの車の中で最初の異変が起こっていたのだ。最初、な〜ぁんか肩がダルいなぁなどと思っていたが、日頃使用していない筋肉を使ったのだからしゃーない、と思っていた。
 その内、肩こりがどんどん激しくなり、頭痛になり、さらに胃の方からの突き上げるようなむかつきが一辺に襲いかかって来てしまったのだ。
 つまり、運動部の合宿なんかで異常にハードなメニューをこなした後は体が食事を取れないくらいに疲れてしまうと言う状態なのだ。
 それをたった1時間半で経験できるという、私の肉体はなんてリーズナブルに出来ているのでありましょうか。
 などと言っている場合ではなく、私はやっとの思いで自宅にたどり着き、とりあえず牛乳をコップ一杯飲んで、ベッドに横になってしまったりするのであります。

 あぁ肉体派への道はほんとうに遠い。