杉村ぐうたら日記(1998年7月21日〜31日)

▲1998年7月21日:火曜日:誘蛾灯と漂流者
▲1998年7月22日:水曜日:現代会社ファッション考
▲1998年7月23日:木曜日:個性派マニュアル
▲1998年7月24日:金曜日:口では嫌がっても体は・・・
▲1998年7月25日:土曜日:愛を作る
▲1998年7月26日:日曜日:内気な彼
▲1998年7月27日:月曜日:イメージの詩
▲1998年7月28日:火曜日:イイのかワルイのか
▲1998年7月29日:水曜日:手塚治虫と同じ時代を生きた
▲1998年7月30日:木曜日:自然と言う名の不自然
▲1998年7月31日:木曜日:続・季節のない街に生まれ
1998年7月21日(火曜日) 誘蛾灯と漂流者
 先日のこと真夜中、自宅に向かって車を走らせていた。
 本来、定時で終わるハズだった仕事が色々な事情で伸びて伸びて、さらにフェイントを入れられ、結局カタがついて気がね無く翌日の土曜日を休めると言う事が判明したのは、日付も変わった午前2時ぐらいだった。
 あぁ疲れたなぁと私はため息を付きながら車を走らせていた。
 最近は、不景気と言う事もあってこんな形のハードな残業はほとんど無くなったが、以前は毎日の様に日付変更を会社で迎えていた。
 ほんとうにその頃は2時あたりに会社が終わって、車で夜中の空いた道を約40分ほど飛ばして帰り、翌朝の6時にぼぉっとした頭に熱いシャワーを浴びて自宅を7時に出ると言うのが日課になっていた。
 でもって週末は休みの逆にもっとハードになり、結局毎週徹夜で仕事をして、翌日の夜8時頃に帰ると言う状態だった。
 つまり毎日の睡眠時間が4時間ないと言う感じだったのだ。

 よく売れっ子芸能人が「最近睡眠時間が4時間もないんですよ」などと対談で話しているが、結局あそこで話されている「4時間」と言うのはベッドで横になっている時間で、芸能人には「待ち時間」と言うものや「移動時間」と言うモノが存在していて、その間は寝ることが出来たりする。
 ところが、しがない無名なサラリーマンと来たら、朝、会社の席に着いた直後から脇目も触れずにワシワシと仕事を始め、5分の休憩さえ取ることも出来ず、昼は昼でダッシュで買ってきたパンとコーヒーを食べながら出力書類をチェックしてそのまま仕事で午後に突入、そして気が付くと夜中になっていると言う、一瞬たりとも気を抜かずにほとんど酸欠状態で、今考えたら恐ろしくなってしまう程の過密ハードスケジュールをこなしていた。
 そんな私の唯一の憩いの時間と言うのが、帰りのディープ深夜に立ち寄るコンビニエンスストアだった。
 結局、ここで真夜中3時近くに空腹を満たす為の軽い夕飯を購入したりしていたのだ。
 そんな真夜中に空いている店などなかった時代にハードな残業をしていたとしたら、かなり精神的にヘビーになってしまったと思うのだ。
 たとえコンビニの深夜バイトのヤンキー崩れの兄ちゃんとコミュニケーションが無かったとしても、それはそれで心の潤いだったのだ。

 僕はひさびさの深夜残業を終えての帰り道、会社に一番近い場所にあるローソンで何か炭酸ジュースとパンでも買おうかと思っていた。
 と、見るとそのローソンの前にチャリンコや原付を倒して5人ほどの高校生らしき連中が座り込んでいた。いわゆる懐かしのチーマー地方版なのだ。
 別にここらに棲息しているお子様は恐いとかって感じではないが、あんまし気持ちのいいモノではない。
 僕は、なーんか気が乗らず、そのローソンの前を通り過ぎた。
 たしか少し行った処にファミリーマートがあったハズなのだ。あんまし銘柄にこだわらない私なので、ジュースやパンなんかはどこで買っても同じ様なモノなのだ。

 ・・・と、そのファミリーマートの前にもさっきと同じ様な状態で数人の高校生ぐらいの連中が座り込んでいた。
 あぁうざってぇなぁぁぁと思いながらその前も通り過ぎてしまった。
 ったく、どーもさっきのローソンの前にいた連中と区別が付かない状態のファッションをして同じ様な顔つきをした連中だなぁなどと思っていた。
 なんか凄く画一的なファッションや行動形式になっている様な気がする。
 確かにあの年代ってのはそーいうものなのだが、なんかそれぞれに全然工夫が無いって感じがしちゃうのだ。
 ま、そんなのはどーでもいいや、確かこの先の本屋の横にはセブンイレブンがあったハズだから・・・・・・

 しかし、そのセブンイレブンの前の路上にも同様の少年達が・・・・
 そして、その次のローソンも、ミニストップも、サークルKも、再びセブンイレブンも、さらにさらにローソンも、サークルKも、またまたセブンイレブンの前にも、本当に同じ様な状態で高校生ぐらいの連中が座り込んでいた。あまりにも画一的なスタイルで。

 しかし、このコンビニとコンビニの間にはまったく人影もなく、開いている店などもほとんどなく、本当にポツン、ポツンと離れ小島の様な形でコンビニが点在して、そこにたどり着いた人々が呆然と座り込んでいると言う感じだっがしてしまったのだ。
 なんか、この手の座り込みの元祖、渋谷の状況と比べるとまったく別物になっているような感じなのだ。 若者よ、もっと自覚を持って行動せよ、などとジジイは思ってしまうのであった。

 とりあえず今回よく判ったのは、会社と自宅の間にこんなに大量にコンビニがあるという事実だった。
1998年7月22日(水曜日) 現代会社ファッション考
 会社の朝礼で「え〜先日も講談社の○○部長がデジタル製版視察という言うことで来社したように、仕事の関係上見学者が多いので服装などもしっかりして欲しいと思う。(制服の)夏服は多くの人がズボンの外に出しているが本来はズボンの中にいれる事になっている」などと言う話が出た。
 その話に出た夏服をズボンの外に出している1人が私だった。
 うぬぬと思い、ついでに同じように横に並んでいる同僚を見ると、ほぼ90%がそんな状態の着方をしていたりするのだ。
 こんな状態ではこっちの方が正しく、ズボンの中に入れている方がズレていると言う感じになってしまうかも知れない。
 そーゆーワケで多数決の数の理論は恐いのだ。

 と、さらに見ていると、それ以上に夏服のさらに下に着ているTシャツの裾までズボンに入れずに着ている人も数人いる。
 そのTシャツってヤツが必要以上に長くそのまま見るとミニスカートぐらいの長さまであったりする。
 いわゆるスケーター・ボーダー系のファッションそのままなのだ。
 ま、頭の古い上司でなくても「そりゃ仕事場ではマズいんじゃないか?」と言う気がしてしまうのだ。

 しかし、今から15年ほど前、私が社会人になった頃の話、その頃は今よりさらに古い人が上司に多くいた。

 1980年(昭和55年)って事で計算すると55歳の上司は昭和元年生まれだったりする。
 つまり、第二次世界大戦が終わった時に20歳なんて感じでバリバリの戦中派だったりする。60歳ぐらいの人だとさらに「戦争経験あり!」みたいな感じな上司がいたりしたのだ。
 そーゆー戦前教育の男女七歳にして席同じゅうにせずみたいなモノを骨の芯に叩き込まれた世代は、かなりカッチリとヘビーに鋭く質実剛健を貫いていたりするのだ。

 それに引き替え、私らの世代は戦後の軟弱世代の集大成みたいな世代で小学校の頃は「TVっ子世代」とか「カギっ子世代」とか、あるいは「モヤシっ子」などと言われ、体育の時間に突然バタバタと光化学スモッグで倒れたり、高校時代は「シラケ世代」とか言われ、コミケットの初代世代だったり、週末は原宿で竹の子族になったりして、20歳過ぎたあたりで「新人類」なんて呼ばれたような、どーしょーもない『元祖オタク世代』だったりする。
 なんせオタクを世間に悪いイメージで浸透させた第一人者の連続幼女殺人事件の宮崎某なんかも同世代だったりする。(あぁイヤだイヤだ)
 そんな私ら世代の新入社員に向かって戦中派上司の怒りの朝礼が何度となく行われた。

 その中で、仕事場でのファッションで印象に残っているのは『仕事をする会社にジーパンなどの遊び着で来る者が最近多いが』と言う言葉だったりする。
 うーむ、これは思いっきりジェネレーションギャップがあったっす。
 ギャグとして云おうとしても思い浮かばなかったりする。

 でもそんな事を言われていた世代の私なんかの同年輩の人が最近「今の若い奴の服装ってさぁ」などと言っているのを聞くことが多く、うむむむ、時代は激しく流れて行くのだなぁと実感しているのであった。

 これを読んでいる若い世代のキミも、気を抜いているといつのまにか影で「あの上司って話合わねぇよなぁ、頭が古いって言うかさぁ」「そりゃしょーがねぇよ、だって昭和生まれなんだぜ」「げ、どーりで」なんて云われているかもしれないのだぞ。
1998年7月23日(木曜日) 個性派マニュアル
 ふと気が付くとタイトなミニにした制服を着て、必要以上にガバッと足を仁王立ち状態にさせ立っている女性がいた。そして腕は胸の処で組んで、必要以上に反り返った様な体勢で立っていた。
 これは会社の朝礼で見かけたとある女性のポーズだったのだが、私はその立ち振る舞いを見た瞬間「あれだな」と理解した。
 この女性が何を目指しているのはすぐ判った。

 ついこの間までTVでやっていたドラマ『ショムニ』での江角マキコのポーズそのものなのだ。
 うむむ、視聴率がよくて、すで秋にスペシャル版を放映することや、映画になる事まで決定しているというあれが、こんなに思いっきり分かり易い形で社会に還元されるとは・・・・。
 しかし、あのドラマでの江角マキコは「自由奔放に生きる」とか「周りにどー見られているなんて関係ない」と言うキャラクターで、颯爽としていたからカッコ良かったのだと思うのだ。
 つまりオリジナリティと言う部分が強調されたキャラクターだった。
 しかし、それを真似した段階でそれはもーオリジナルでもなんでもないマニュアル化されたファッションになってしまうと思うのだが・・・・・

 以前、パフィーがデビュー曲「アジアの純真」をヒットさせている頃、とある雑誌で「個性的なパフィーのファッションを盗んじゃおう!」みたいな特集が書かれていた。
 髪型、メイク、服装、アクセサリー、立ち振る舞い、発言、色々な角度からそこで言うところの個性的を分析してあった。
 さぁこれを完全マスターしよう!
 なんて明るく書いてあったけど・・・・それって個性では当然ないとして、さらにファッションでもない。
 あえて言うのなら「コスプレ」
 なにか間違っているような気がする。

 と思っていたのだが、それからしばらくした頃、街にはパフィーが大量に溢れていた。
 個性派ファッションバンザイって感じっすね。
1998年7月24日(金曜日) 口では嫌がっても体は・・・
 最近TVを見てて凄くイヤなCMがある。
 なんつーか、意味不明すぎて下らなくて、でもシュールとかいう線を狙っているワケでもなく、かといってギャグとして何かをしたい様にも見えなくて、ただ何となく作ってしまったと言う、無意識の中の意識的な無意識と言う感じがして、イヤなCMがある。
 しかし、イヤすぎて印象に残って、今一番気になっているCMでもあったりする。

 そのCMとは日光江戸村のヤツで、安っぽい、そこいらの遊園地のアトラクション用のネコの着ぐるみの頭の部分にチョンマゲをつけた物が、日光江戸村の人混みの中にぽつんと動きもなく立っている。
 そこで少年少女コーラス隊の歌う「ニャンマゲに飛び付こう!ニャンマゲにニャンマゲに飛び付こう!」と言う軽快なメロディーが流れる。
 と、そのぼーっと突っ立ているニャンマゲなる着ぐるみに向かって近くにいた少年が飛び付く。
 というだけのCMなのだ。
 私は最初に見たときに思わず「うぬぬ」と唸ってしまいましたね。
 こりゃいったい何を言いたいのか?と。

 さらにこのCMはダメ押しの様にラストのカットで、日光江戸村の長屋のセットの所に(エキストラの)観光客多数とニャンマゲが整列してこっちを向きながら「来てチョンマゲ!」と言ったりしちゃうのだ。
 あぁぁぁぁ、まさかこの言葉を再び聞くことになろうとは・・・・・。

 凄く製作意図が見えず、逆に製作意図が見え見えって気がしないでもない、と言う複雑な二重構造になっているCMなのだが、困った事がおきてしまった。
 ある日私は真面目に日々の生活を何気なくつつましやかに営んでいた。
 と、頭の中に例のおぞましい「ニャンマゲに飛び付こう!ニャンマゲにニャンマゲに飛び付こう!」と言うメロディーが流れ始めたのだ。
 うぬぬぬぬぬぬぬぬぬ、と思っても流れ初めてしまったのだ。しかも、そのメロディーが延々と無限ループの様に頭の中でリピートされてしまったのだ。いわゆるラジオ用語で言うヘビーローテーション、ヒットチャート1位と言う感じになってしまったのだ。
 あぁぁぁぁぁ、と苦悩の表情をしてみたところで頭の中では気の抜けた「ニャンマゲに飛び付こう!ニャンマゲにニャンマゲに飛び付こう!」と言うメロディーが際限なく流れていくのであった。
 そんなワケで私は敵の術中に思いっきりハマってしまったのだ。
 許してチョンマゲ・・・・。
1998年7月25日(土曜日) 愛を作る
 ラジオを聞いていた。そしてCMが流れていた。(地方CMだと思う)
 その内容は女性二人の会話で成り立っていた。
 「あなた最近、化粧が濃いわね」
 「恋をしているからかしら」
 「え、メイク・ラブ?」
 ・・・・・あまりの衝撃に、そのCMが最終的に何をCMしていたのか忘れてしまったが(ビルなどの清掃関係だったかも知れない)ムチャ天気のいい昼時のラジオCMで爽やかにハッキリと「メイクラブ」なんて言葉をいわれちゃったりするのにはビックリなのだな。
 この「メイクラブ」と言う言葉はときどき聞く。この手のCMやその他で。
 多くの場合が「愛している」とか「愛を育てる」とかっていう意味として使用されているみたいなのだ。
 だけど、現状で「メイクラブ」と云ったら、「セックスする」と言う意味が大きい。もともとはスラングだったんだろうけど、いつのまにかそーゆー意味になってしまっていた。
 日本語で云うところの「Hする」みたいなモノだと思う。
 元々、戦前の早稲田大学の学生の間でスケベな事を云ったりしたりするヤツの事を「変態」の頭文字を取って「H」という隠語で呼んでいたのが元になったと云う。それがいつの間にやらなのだ。
 しかし、サザンの曲などで確信犯的に使われ、一般的な日本人の耳に「メイクラブ」なんて言葉がたどり着いたとき素直に直訳されて、そーゆー事になってしまったと思うのだ。

 以前「さくらっ子クラブ」(加藤紀子とか中谷美紀とか持田真樹なんかが所属していた)が歌っていた曲の中にも「愛しいアナタとメイキングラブ」などと云う歌詞があったが、これは好きな男の子を誘惑してそーゆー事に持ち込もうと策略を練っている女の子の歌だから、完璧に意味は合っている。
 で、この曲を使用してアイスか何かのCMにさくらっ子クラブの面々が出演した時には、さすが「愛しいアナタとフォリーンラブ」に歌詞が差し替えられていた。

 そーゆーワケで英語は難しいのでむやみやたらと使わない方が無難だったりする。
 そんなワケでみんなに愛を込めてファッキュー!
1998年7月26日(日曜日) 内気な彼
世間ではクールで信念を持って貫き通すナイスガイと言う事になっているらしい。
 サッカーの中田選手は。
 記者会見でもいつもブスッとした顔でサッカーに関係ない質問をしたインタビュアーに向かって「それって何か関係あります?」などと云って、一切その手の質問には答えない。
 「芸能人じゃなくてサッカー選手ですから」とクールに突き放し、つねにポーカーフェイスでやりすごす。実にクールだと多くの女性ファンが付いている。

 私も「サッカー選手だからサッカーで結果を出しますので」と言う言葉に「偉い」と思っていた。
 確かにサッカー選手や野球選手などは試合で結果を出し、音楽家は作品で結果を出せば性格が少しぐらい歪んでいたって問題ないと思っていた。
 中田がCMに出るまでは。
 あの、ただ走ってバスに乗り込んでウォーター系飲料を飲む。しかし、目には相変わらず力がなく死んだ魚の様だったりする。
 試合で結果を出せばいいのに、まずCM出演か・・・・とか思ったが、実はそれ以前にもCMに出演していたらしい。
 今から2年ほど前「日清ラ王」のCMで、当時人気絶頂だった前園とペアで出演してひたすら「ラ王喰いたい」と叫んで走っている役だったらしい。(このCMは覚えているが、それが中田だったとは知らなかった)
 なーんだ芸能人じゃん。
 ついでに芸能人が凄く好きらしく、あっちこっちでデートを目撃されている。
 やっぱし芸能人だよなぁ。
 とある対談でも自ら相手役に中山美穂を指定して、その後デートに持ち込んだと言う。
 うむうむ、ワールドカップで結果を出せずに、そこで結果を出していたか。

 しかし、以前にJリーグ人気の中でトップだった前園の人気の落ち込みを目の当たりにしているだけあって、かなり新潮にイメージ戦略を張り巡らせてある様な気がする。
 なんか噂では、あのインタビューに極力答えずポーカーフェイスを貫き通すスタイルは現在所属している事務所の指導方針だと云う話も聞いた(あくまでも噂っす)。
 うむむ、サッカーより、まずイメージが大切っすか?
 さらに不可思議な事に外人記者に囲まれると、困った様な、おどおどした様な表情になってしまうのだ。でもって、通訳がいる時は意外な事に自らニコニコしながら家族の話などまでしてしまうのだ。
 うむむ、と思っていた処、イタリアのチームに5年契約で移籍する事になった。
でもって、向こうの空港に降り立った途端に多数の外人記者に取り囲まれて早口なイタリア語で質問を浴びせかけられると「うわっわっど・・どうなってんの?」などと、結構情けない顔で情けない声を発したりするのだ。
 どーも、素顔はかなり弱気で内気な気がしてしまうのだ。
 これが日本だったら、前に立ちはだかったインタビュアーを「失礼な野郎だな」とばかりに突き飛ばすように前に進む彼なのだが・・・。
 逆に考えれば、多くを語るとボロが出てしまうので、極力喋らない様にしていると言う感じもする。

 「チームの事?関係ないっすよ、俺は俺でやっているから」などと云う発言も、なかなかチームプレーの競技としてはどーなんでしょかね?と思ってしまうのだな。
 今までは日本人の中でやっていたけど、この先イタリア人の中でマイノリティの外人選手として「俺は特別だ」みたいな態度では、ちと難しい点が出てくるような気もしちゃうけど・・・。

 さてはて、5年契約もいいけれど、5年後は26歳、その時、日本での評価はどーなっているでしょうか?
1998年7月27日(月曜日) イメージの詩
 以前、暑い時に風鈴などの音色を聞いてイメージ的な部分で涼しい気分になると言う、実に日本人らしい繊細で情感あふれる歳時記的な光景があると書いた。
 確かに、セミがミンミン鳴いている風景の中で、チロリロリ〜ンなどと風鈴の音が聞こえると体感温度が下がった様な気がしてしまう。
 そんな感じで、耳から納涼という事があるように、目から納涼という事もあると思う。

 いわゆるスダレなどは意味のある涼しさ追求グッズなのだが、それと同時に「スダレ」=「涼しい」と言う視覚的効果なんかもあったりする。
 デパートなんかの水着のショーウィンドウでスダレなんかをバックにひいてあると「あぁ夏だよな」などと単純に思ってしまう。
 そんな感じに部屋の中に、そんな夏イメージグッズを置くという納涼方法もあったりする。
 たとえば椰子の木のミニチュアとか、貝殻とか色々なモノがある。
 それによって「夏の木陰」をイメージさせたり「夏の海岸」をイメージさせたりするのだ。
 あるいは「かき氷の旗」などを置くのも涼しく感じるかもしれない。

 そこで私はふと考えた。
 そうか、涼しいとか冷たいってイメージするモノがあればオッケーなのだな。
 てことは「冬」をイメージさせるモノもここに参加させる事が出来るのではないか?と考えてしまったのだ。
 たとえば「こたつ」
 たとえば「ストーブ」
 たとえば「鍋焼きウドン」
 たとえば「セーター」
 これを見れば瞬時にして気分は冬に飛んでしまい完全に夏を忘れることが出来るハズなのだ。納涼というか「暑さ忘れグッズ」なのだ。

 ・・・・しかし、私は何かを見落としているのかも知れない。
1998年7月28日(火曜日) イイのかワルイのか
 ラジオで携帯電話ツーカーのCMをやっていた。
 そのCMのシチュエーションはコンサートで、アーティストが何か一言しゃべると、それに答えて客席が一斉に何かを叫ぶと云うモノだった。
 このタイプのコンサートっていまだにあるのかな?

 「みんな乗ってるかい?」
 「イェェェェェ〜ィ」
 と言うのはかのRCサクセションのコンサートだが、こんな感じで客とステージが無理矢理一体になる為にこの手の掛け合いは行われていた。
 小泉今日子の「学園天国」(元はフィンガー5)のカラオケでも取りあえず盛り上がり為に最初の部分は絶対的に必要だったりする。
 しかし、この「イェ〜イ」と言うのは、70年代後半から始まったのかも知れないが「取りあえずライブは盛り上がるモノ」と言う思い込みが、これを定番化させてしまったのだと思う。
 ライブはオールスタンディングじゃなきゃライブじゃない!と言う感じになってしまったのだ。確かにそんな気持ちを自分も持っていたりするが、あくまでもウキウキしちゃってスタンディングするのだ。

 この「イェ〜イ」と言う悪習を逆手に取ったものが、70年代から80年代にかけて活躍した「スネークマンショー」と言うギャグ集団のネタにあった。
 「やあぁミンナ元気ぃぃ?」
 「イェ〜イ!」
 「今日僕は朝8時に起きたんだ」
 「イェ〜イ!」
 「そして歯を磨いたんだ」
 「イェ〜イ!」
 「それから朝食はパンと牛乳とバターだったんだ」
 「イェ〜イ!」
 と言うのが延々と続くだけ・・・・。

 このギャグはいまだにジャニーズ系のコンサートでは伝承されているらしいが、何という不毛な盛り上がりなのだろうか。
 タモリだったら「この無駄なエネルギーを電力か何かに使えないものかねぇ」などと云うだろう(何度も聞いたネタ)。

 そんなワケで、話は一番最初のツーカーのCMに戻る。
 そのCMで宣伝していたのは、年間契約すると使用料が安くなると云う「イヤー」と言う、契約形態のCMだったのだ。
 でもって「もっと安く電話をかけたいかぁぁぁ!」と言うステージ側の問いかけに対して客席が一斉に「イェ〜イ!」ではなく「イヤ〜ァ!」と叫ぶのだ。
 「ツーカーなら断然お得だぞぉ!」「イヤ〜ァ!」とCMは続いていく。

 しかし私はこのCM、ステージで何を云っても客の方が「嫌ぁぁぁぁ!」と嫌がっている様にしか聞こえないのだ。
1998年7月29日(水曜日) 手塚治虫と同じ時代を生きた
 先日、本屋にいったら『手塚治虫キャラクター図鑑』と言うモノがあった。
 1巻2巻と言う形で出ていて、それぞれが1,200円と云う感じだったので「高いなぁ」と思いつつ、手塚ファンの私は財布の残高を計算し結局購入してしまったのだ。
 しかし、最近の漫画関係の本と云うのはどの本屋もビニールコーティングされていたりするので、内容が全然判らない状態だったりする。
 私は基本的に漫画雑誌を読まない人だったりするので、新刊(第1巻)などは内容不明のまま購入する事になる。それでも実績のある作家の場合はいいが、新人なんかだと手が出しにくくなってしまったりするのだ。
 実績があって、その話の前の巻を購入している場合でも何巻までを購入したのか判らなくなってしまったりするので、内容を確認できないビニールコーティングは困りモノだったりする。
 今回購入した本も漫画関連本と言うことでビニールコーティングされていたので、どんな内容の本なのかまったく不明だったりした。だから、かなり賭けに近いモノがあったのだ。なんせ二冊で2,400円っす。

 ま、その内容は予想以上に深く分析されていて、一生懸命読み込んだハズだったのに気が付かなかった部分が多くあったりした。うむむ、マニア道は深いっす。
 と、その中でブラックジャックの1エピソードに出てきたキャラクターの説明の処に(6巻参照)などと書かれているのだ。
 「え?全2巻じゃないの・・・?」
 と慌てて前書きとか後書きなんかを読んでみるがその辺のことには触れていない。
 うぬぬ、と思った処、読む前にハズしておいた本の帯に『全8巻』などと書いてあるのだ。こりゃ、先が長い・・・しかし、全8巻購入してしまうんだろうなぁ、やっぱし手塚治虫全集:全400巻を購入した私だからそーゆーことになってしまうんだろうなぁ
 あぁ

 しかし、最近この本とは関係なく手塚治虫の作品を折に触れて再読している。
 この全集シリーズが刊行されはじめたのが高校1年の頃で、つい先日やっと最後の400巻が出た(と云いつつ実は諸事情により再出版できない作品が数点ある)なんと20年近くの歳月をかけての完結と云う事になるのだ。いやはやごくろう様。
 そして、その全集をコツコツ買っていた私はそれまで少年漫画の手塚治虫しか知らなかったのだが、そこでアダルトな(と云ってもスケベと云う意味ではない)作品に初めて触れた。
 いわゆる「青年誌」と云うモノに書かれた作品で、手塚治虫は意識的にタッチを変えて、内容も深く重いモノを狙っていたりした。
 それを田舎の高校生の自分が判る範囲で一生懸命理解しようとして読んでいた。
 確かに、手塚治虫と云うのは当代随一のストーリーテラーだったりするので、どんな話だってグイグイ読ませるテクニックを駆使して読者を引き込んでいく。
 高校生の自分もそれに引き込まれて読んでいた。
 それをずっと経って再読してみて驚いてしまったのだ。人生経験の少ない高校生では読解しきれない部分が山ほどそこには書き込まれていたのだ。

 高校生あたりでは読解しきれないと言う意味では、その手の漫画は数多くある。小説にいくともっともっとある。
 が、そこで手塚治虫と云う人の凄さが出てくるのだ。なんせ、ストーリー的にはエンターティメントに徹しているので読めてしまうのだ。
 この難しい事もさらっと簡単そうに見せてしまうというのが才能なんだと思う。難しい事をさらに難しく理論武装して「俺様はこんなに難しい事を書いているのだ」という作家が多かったりする事を考えると、それは本当に凄い事なのだ。

 なんか、やっぱり手塚治虫は凄いっす。
 普通の人以上に大量の作品を書き続けて、漫画家30周年なんていったら「これからはゆっくりと自分の本当に書きたかった作品を」などと言ってしまう時に、週刊誌で短編話で「ブラックジャック」などを書き始めてしまうって・・・しかも、話の密度は毎回濃い。

 かの落語界の天才風雲児「立川談志」が手塚治虫の死に際して「俺は落語家として手塚治虫に愛されたって事が、何よりの誇りだ」と涙ながらに言っていた。
 当然、僕は面識もなく、ただ連載を毎週楽しみに待っていただけのファンだけど、胸を張って言える事がある。

 「僕は手塚治虫と同時代を生き、リアルタイムで作品を読んだことが、何よりの誇りだ」
1998年7月30日(木曜日) 自然と言う名の不自然
 朝、通勤途中の車の中でニュースやらを聞くためにラジオを付けている。
 その中でシリーズになっているラジオCMがある。
 某宗教系新聞社がやっている心温まる、ハートウォーミングな内容のCMなのだが、それが毎回毎回「世界中で色々な人が自然の為に、野生動物の為に色々な活動を行っています」と言う事を淡々と話し、最後に「○○新聞でした」と締めくくるというモノなのだ。
 うぬ?心温まる事を話してくれたが、その心温まる事をしていたのは○○新聞とはまったく関係のないボランティア団体だったりするのではないか?などと思ってしまったのだ。
 しかし、ぼーっと聞いていると、あたかも○○新聞がその心温まる活動をしているかの様な作りになっている気がする。
 でもって問題は現在流しているシリーズのエピソードなのだ。

 開発途上国で裕福でない為に満足に動物を揃える事が出来ないエジプトの動物園の話。
 熱心なボランティア団体の努力のおかげで、日本猿をエジプトに、それと引き替えにエジプト鹿を日本へ、こうして自然を愛する心が海を越えて大きな輪を作りました。
 自然に愛を、平和に愛を、アースコンシャス○○新聞です

 と話は括られていた。
 そうなのか?日本在住の猿を無理矢理エジプトへ連れていったり、エジプト在住の鹿を勝手に日本に連れてきたりする事が「自然を愛する心」なのか?
 私は、かなり激しく?マークを頭の上に浮かべてしまったのだ。
 やっぱ自然の摂理の中で、日本に棲息べくして棲息している動物ってヤツにはそれなりの理由があったりする。当然の事ながら、体の仕組みも日本向けになっていると思う。なんか凄く残酷な生体実験と言う感じがしちゃうのだ。

 確かに、一カ所に動物を集めて生きている動物の姿を見ることのできる動物園ってヤツは便利かもしれないが・・・・・
1998年7月31日(木曜日) 続・季節のない街に生まれ
 またしてもラジオのCMの話なのだ。ラジオをあまり聞いていない人すまん。
 しかもローカルな話題かも知れないので、グローバルでユニバーシアードでワールドワイドなインターネット上ですまんすまん。
 先週から何本かラジオやTVのCMをネタにしているが、これって言うのは、生活が会社の行き帰りしか無いって言う淋しい現実を如実に表しているって事になってしまうのだ。
 あぁ淋しいねぇ、夏だっていうのにねぇ

 とか何とか言いつつ、本職以外の処でイベントのポスター(チラシ)なんかを依頼されてイラストを描いたり、日々(会社帰りも休日も)プールに通って健康一直線だったり、知人にデジカメデータのプリンター出力を頼まれたり、その他もワシワシやっていたりする。
 ついでに月末と言うことで『電脳たこやき便り8月号』の最終編集に追われていたりして、異様に熱気を帯びてスケジュールいっぱいの毎日だったりする。

 そんでもってラジオCMなのだが、どーも間違っているんじゃないか?と言うモノを聞いた。
 いや、間違っているかどうかは判らない、なんせ、そのCMを約半年前に聞いたときはちっとも間違っているなんて感じなかったのだ。
 て事は自分の体調に起因するのか?などと考えてみたが、どーも間違っているような気がする。しかし、半年前に間違っていないと思った自分も間違っていないと思う。
 そんな複雑な事情があるのだ。

 そのCMは某石油会社のものだったりするのだが、このCMには数多くのバリエーションが存在している。
 基本的に1人の人物のモノローグだけと言うパターンで、ある時は営業か何かで車を運転している最中に自宅にいる奥さんと赤ちゃんの事を思い出してほのぼのしたり、ムチャなスピードで追い越していった車になんであんなに急がなくちゃいけないんだろ?と思いつつ自分をふりかえったりするモノがある。
 あるいはガソリンスタンドの店員が主人公で、給油中に目をつぶって休憩をしている営業らしき人や、バックシートに花束を置いてめかし込んでいる「いかにもデートに出かけるぞ」と言う人などに、心の中で頑張ってくださいと言うパターンなど色々ある。
 どれもこれもが、さりげない日常の一部分を切り取ったドラマ仕立てになっていて、ほのぼのと聞き入ってしまうのだ。

 そのラジオCMがその日もラジオから流れ出した。
 窓の外は雨も止んで、中途半端な日差しがより一層蒸し暑さに拍車をかけている様な7月の初旬。

 『山道は色々気を付けなくちゃ危ないよなぁ・・・天気も変わりやすいし・・・・おっ山から下りてきたあの車、雪を積んでいるぞ。チェーンを付けなくっちゃ・・・おっと、ちょうど●●石油がある。』

 うむむむむむ・・・・・確かに約半年前に聞いたときは問題なく聴けたのだが・・・・、何故この時期にこのCMを?