< 杉村ぐうたら日記(1998年8月21日〜31日)

▲1998年8月21日:金曜日:反面教師
▲1998年8月22日:土曜日:どひゃーっと行ってみよう
▲1998年8月23日:日曜日:相田翔子を誰か・・・・・
▲1998年8月24日:月曜日:鼻べろん
▲1998年8月25日:火曜日:20世紀−α
▲1998年8月26日:水曜日:見えないラジオ
▲1998年8月27日:木曜日:イヤらしい・・・・話
▲1998年8月28日:金曜日:土砂降りの雨
▲1998年8月29日:土曜日:俺はジャイアン・ボエ〜ッ
▲1998年8月30日:日曜日:激しい雨
▲1998年8月31日:月曜日:私には判らない
1998年8月21日(金曜日)反面教師
 古本と古書の違いと言う物は微妙な所があったりする。
 たしか以前聞いた話では、現時点で一般の新刊書店でも購入できる本を「古本」と言って、すでに廃版になってしまい一般書店でも注文でも手に入らない本のことを「古書」と呼ぶと言う事を聞いた(そー考えると雑誌の場合は、全部古書になってしまうのかも知れない)。
 しかし最近のスピードが速い出版業界の中では、数カ月前に発売されたものが、アッと言う間に古書になってしまう様な気がする。そんなワケでかなり、前記の分類方法は曖昧になってしまったりするのだ。
 スピードが速い本と言うと、コンピューター関係の本ほど古本として役に立たない物は無かったりする。それは大元のコンピューター業界の異常な新陳代謝が影響しちゃっているのかもしれないけど、たった1年前に出版された本がツカエナイ本になってしまったりするのだ。
 中には、古いソフトを手に入れちゃったけどマニュアル本を古本で・・・と言うケースもあるが、ほとんどのコンピュータ関連古本はクズ同然になってしまったりする。
 けれど、そんな状況に詳しくない古本屋さんは「誰が買うんだよ、その値段で」と言う状態で陳列してあったりする。なんせ、コンピュータ関連の本と言うのが殆ど値段が高かったりするので、古本屋としては当然の様に高い値段設定をしてしまったりするのだ。

 そんなワケで先日、近所の大手チェーン古本屋に行って来た。とわざわざ書くほどの事ではなく、日常的に通っていたりするその古本屋に会社の帰りに立ち寄った。
 いわゆる知らない人が見たら普通の一般新刊本書店と間違えそうな綺麗で品揃えの豊富な古本屋なのだが、他に中古CD・中古ゲームソフトなどもあって、かなり重宝してしまうのだ。
 しかし多くの本が流通しているらしく重複する本、売れない本と言うのが大量にストックされてしまう事もある。
 そーなると「安売り100円コーナー」にも大量に品物が並んだりする。そこにはハードカバー本もかなりの数100円で並んでいて、個人的には嬉しかったりするのだ。
 そこでコンピュータ古本よりツカエナイ、使えなさすぎる本を発見してしまった。
 その本とは『海外進出を図る先進的な企業ヤオハンに学べ!』と言う本だったのだ。
 もう去年のニュースでお馴染みになった静岡に本社があるヤオハンっすけど、この1992年に書かれた(奥付より)本は、今やもー涙無しには読めない本になってしまったっす。
 ここで書かれている「海外進出」ってヤツが基本的にヤオハンの首を絞めてしまうという事を知らずに大絶賛している本ってのは・・・・・誰が買うというのだろうか、この古本。100円だけど。
 ま、有る意味では反面教師として「こーやってはいけない!」と言う見本として読むという方法もあるが・・・
 私はとりあえず笑いのネタとして買おうか迷ってしまったが、なんか「100円でももったいないや、なんか疫病神が付きそうだし」と思って購入を断念してしまった。

1998年8月22日(土曜日)どひゃーっと行ってみよう
 世の中には大事な事を真剣に考えて考えて、結局考えすぎて空振りする人が多いのだと思う。
 それが、さらにいわゆる面白くないギャグの宝庫、オヤジ達が「面白いこと」を狙って考えに考えるとろくな事がないのだ。
 よく広告や、公共機関のポスターなんかでどーしょうもない駄洒落が書かれて、それを見た人の腰をバキバキと砕けさせてしまう物がある。
 駄洒落も悪ぁないと思う。そんなに罪はないと思う。笑いの凄く基本的な部分で、一瞬にして場をなごませる事もできるので、それもアリだと思う。
 だが、看板なんかで人間より大きい文字で駄洒落を書くのはやめなシャレ・・・なんつってね。
 あと困ってしまうのは、ワケもなく若者に媚びようとして、逆に恥ずかしくて若者が近づかない場所になってしまう様な場合もある。
 たとえば流行りの言葉、チョベリバ・アムラーなんて言う、流行った瞬間に「もう終わっているよね」みたいに言われてしまったものと言う物がある。言葉としての寿命が短い。
 だから広告でネタとして使おう!とオヤジ達が脂ぎった頭を付き合わせて議論している間に時代は次へシフトしちゃっていたりするのだ。
 なんせチョベリバなんて実際に使っているヤツをワタシャ知らないっす。
 ドラマの中なんかで、ちと不良がかった、あるいはいかにも今の女子高生と言うキャラクターが「チョベリバだよね」などと言っているのを聞いたことがある。
 なんか耳の後ろがこそばゆくなるほど、痒かった。
 実際には流行っていなかったのかも知れない。
 大昔の70年代「ナウ!」と言う言葉が流行ったと、その時代を記録した本で書かれていた。「ナウコマーシャル!」などとTV番組ギンザナウで使われていたが、単独に「ナウ」と言う使い方をした事がないと思う。(実際に流行った頃はまだ小学生だったので詳しくは判らないが) 記憶を辿ってみると「オールナイトニッポン」「セイヤング」「パックインミュージック」なんかの深夜放送なんかでDJ(パーソナリティと言う呼び方ではなかった)が言っていたと思う。
 そのDJも名前を出すとみんな「えぇぇぇぇぇぇっ」と驚いてしまうかもしれないが、若者の代弁者、いわゆるアニキ(バラ族的な意味ではなく)として人気があったのが「みのもんた」「せんだみつお」「土居まさる」「小島一慶」だったりしたのだ。
 なんか濃すぎるけど・・・・。
 なんせ「みのもんた」なんかも「どひゃーっと行ってみようぜ!」などと言っていたのだ、そこのお嬢さんもよくお聞きなさい、ここでコマーシャル、電話はそのままで、なのだ。
 そんなDJ諸子が「今、東京で一番ナウなものは」などと言っていたが、現実では流行らなかった様な気がする。
 その後、動詞化して「ナウい」と言う言い方は流行った。
 そんな感じで、オヤジが流行語に目をつけると必ずと言って良いほど恥ずかしい状態になってしまうのだ。

 そんなワケで、今を狙ってひねり出したとした場合、広告なんかだったらその瞬間で通り過ぎて行く、看板だったら反省をして別の物にする事も出来る。
 しかし、どーにもこーにもになってしまう物に店の名前と言う物がある。
 ハッキシ言って「ナウなヤングに受けるネーミング」と言うコンセプトをギンギンに発散させている店なんかもたくさん街に溢れていたりする。
 が、どこも付けた時点ですでに流行遅れに成っている物もあったりする。
 流行していても、堂々と店の名前に付けられていると恥ずかしい以外の何者でもなく、誰も近寄らなかったりする。そんな事に、店のオヤジは気が付かないのだ。
 流行語で若者に人気のある店の名前なら・・・・と思っているのだ。

 先日見た恥ずかしい店の名前は、何のひねりもなく『ドリカム』・・・結構、こんな名前の店に入るのって勇気がいるでしょ。
 しかも英語表記が『DORIKAMU』

 ついでに英語を使えばいいってモンじゃねえぞ、と言う店で『雛人形の店・DOLL 雛』と言う物もあった。
 かっこよすぎて・・・・・・

1998年8月23日(日曜日)相田翔子を誰か・・・・・
 昨日から日本テレビで『24時間テレビ』と言うのをやっている。
 なんだかよく判らないが「とりあえず旬のタレントを24時間走らせて、予定調和の様に番組終了30分前頃にゴールさせて、ゴール直前は「負けないで」をみんなで大合唱して感動感動に持ち込もうと言う魂胆の番組をやっている。
 うーむ、感動の乱れ打ちと言うのもキツイ物があるなぁ。
 そんなことで、この24時間テレビ関連で静岡会場では毎年恒例という形で「静岡フォークジャンボリー」と言うイベントライブが行われている。
 静岡市にある静岡第1テレビ(←こんな名前だけど、静岡の民放4番目だと思った)の局社駐車場特設ステージで往年のフォーク歌手達が集まってフォークを歌いまくろうと言う催し物があったりする。
 それをひょんな事から見に行く事になってしまったのだ。
 実は前日の土曜日、プールに行っていつも以上に真剣に泳いでヘロヘロになって帰ってきた。体は疲れているのに神経の方はアドレナリンがガンガン分泌された状態で「うぉぉぉぉ」と意味無く夜中近所をジョギングしてしまった。
 さらに翌朝起きたら「朝6時から近所の草刈り」と言う物が待っていてワッセワッセと汗だくになって仕事をした。でもって家に帰って来て、シャワーを浴びてほけっとしていた所に知人D氏から「今日、静岡でフォークジャンボリーあるんだけどさ、俺見にいくもんでテレビ中継を録画しておいてくれる?」と言う電話がかかってきた。あぁ・・・・そうか・・・と思った次の瞬間、アドレナリン分泌状態でワケもなくアクティブな気持ちになっている私は「ワシも行く!」と言っていたのだ。
 そんなワケで、その電話の1時間後、私は静岡駅に立っていた。
 とりあえず第一テレビの近くって異常なほど食い物屋やコンビニが無いと言う話だったので静岡駅で飲物とパンなどを購入して出かける事にした。
 と・・・・駅の券売機の近くを異常な感じの男が歩いているのを発見してしまった。
 その男は体の前面になにやらプラカードをぶら下げて歩いているのだ。うぬぬ、これが戦後すぐにヒットした「街のサンドイッチマン」と言う今日で有名なサンドイッチマンなのか?と思ったが、そんな様子でもなかった。
 いわゆるサンドイッチマンならば、服装も何かピシッとしていそうなのだが、この男は実に普通のTシャツにジーパンと言うスタイルだったのだ。
 そしてそのプラカードには

 『相田翔子のヘアヌードを許すな。絶対阻止せよ。』

 などと書かれていたのだ。
 うぬぬぬ、相田翔子?・・・あの、元ウィンクの?ヘアヌード?うぬぬ、なんだか良く判らないが、その男はそんな事をとにかく訴えたいと思って決意してしまったのかも知れないが、そーゆー事なのだ。
 でも、世間のどのくらいの人が「相田翔子」と言われてウィンクのあの人の事だと判るのだろうか?もうウィンクって10年前の話って気がする。(5年ぐらい前まで活動していたと思うけど)
 この男の訴えたい事はよーく判る。が、おかげで私を始めとして多くの人が「へぇ相田翔子ってヘアヌード出すんだぁ」と今まで知らなかった情報まで知ってしまったワケで、かなり逆効果だと思ったりするのだ。
 そんでもって、そんな事を言いつつこのプラカード男だって出版されたら買ってしまうんだろうなぁなどと思っていた。
 しかし、何故ここで相田翔子?と思っていた疑問が解けたのは、第一テレビのフォークジャンボリー会場に行ってからだった。

 なんと、司会と言う形でステージに立っていたのだ。(しかし司会は男性アナウンサーが99%やっていて、完璧にゲストと言う状態で、昔と同じようにまったく表情を変えずにその場にいた。うぬぬ、何故フォークジャンボリーに相田翔子が?
 そんな疑問もあったが、とにかくステージ上では五つの赤い風船だとか、山田パンダとか。山本コータローだとか、トワエモアだとかが入れ替わり立ち替わり、自分の曲、他人の曲を歌い演奏していた。
 テレビ放映されたのは第1部のみで、第2部のステージは完璧にその場に来た人のためだけの物だった。
 まず静岡で20年以上活動しているアマチュアグループが出てガロやCSN&Yなどのコピーを披露して、その後、山田パンダが出てかぐや姫のメドレーで盛り上げ、次の山本コータローが走れコータローを始めとしてトークで盛り上げて、復活した五つの赤い風船しっとり聞かせていた。
 コンサート自体はいい雰囲気で盛り上がっていたのだが、僕と友人D氏は「最後まで聞いていると帰りが遅くなるから、4時ぐらいで引き上げよう」と最初から言っていたので、知人D氏のお目当ての五つの赤い風船に参加している中川イサト氏の演奏も終わったので、そろそろかな・・・などと言っていた。
 と、ステージ上にマイクが一本立てられた・・・・て事は次に歌うのは・・・今回トワエモアで来ているが、ソロ活動もしている白鳥恵美子のステージか?(アメージンググレースなどで有名)と思っていた。
 客もたぶん、そんな感じであの美しい歌声を期待しているみたいなのだ。
 しかし、世の中はそーんなに甘い物ではなかった。
 第二部司会者の女性アナウンサーが声高らかに紹介したのは『相田翔子さ〜ん』だった。
 私たちは考えるまでもなく、その場を後にすることにしたのだった。
 しかしフォークジャンボリーって名前でコンサートを開催して、それを期待したリアルタイムで聞いていた40代のおじさんおばさん達の前で、歌謡曲ともポップスとも言いがたい、中途半端な曲を黒いドレスを着て踊り歌う相田翔子。
 イッツアクールではなく「コールド」あるいは「フリーズ」と言う感じになってしまったのだ。客席が一瞬にして引いていったのが判った。
 思わず『相田翔子の新曲発表会を許すな。絶対阻止せよ。』と言う感じだったのだ。

1998年8月24日(月曜日)鼻べろん
 たしか「電脳たこやき便り」の7月号で書いた話だが、私は異常に肌が弱い。
 昔っから「すべすべ玉子肌なのよ〜ぉ」と言う状態で、思いっきりな色白クンだったりしてきた。
 と言っても一生懸命日に焼けないように気にして維持してきたワケではない。いつの間にか、こんな人生を歩んで来てしまったのだ。歩まざるを得なかったワケなのだ。
 とはいえ、夏はそれでも当社比20%ぐらいは日焼けしている、ハズだと思う。しかし、元々他人とくらべると「白」が際立つ私だったりするので、当社比20%アップで「うしうし」と思っても、その時すでに周囲の人々は完璧夏仕様になって当社比70%アップなどになっていたりする。
 出だしの所で差が付いているわけなので、ここでさらに差をつけられるのは大変な事なのだ。なんせ平常の時、私は明度10とすると、一般の人が明度20だったりするのだ。
 となると、私が夏に当社比20%となっても明度12にしかならない。その時点でさえ、一般の人の通常に負けているのだ。そんな状況の中、一般の人が当社比70%などになると34になったりしちゃうのだ。

 うむむむ、と思って無理をすると悲惨な事になるのは、長い人生経験で何度も体験してきた。
 それなりに学習能力のある私はバカではないのだ。ちゃんと無理はいけないよ、と頭にインプットされているのだよ。いわゆる君子危うきに近寄らずってヤツなのだ。
 そんなワケなのだが、昨日の日記でも書いた様に「静岡フォークジャンボリー」と言うヤツに行って来た。
 でもって、数時間だけだが、日の当たる場所にいた。
 それだけで悲惨な事になってしまったのだ。腕は真っ赤になってカイカイカイカイカイカイ状態。あーカイカイと風呂に入ってもシミルシミルシミルシミルてな感じなのだ。
 まったくもーと思って風呂あがりに顔を見ると、すでに鼻の頭の皮がむけている・・・・。

 どーすりゃいいと言うのだぁ私の体ってヤツは。

1998年8月25日(火曜日)20世紀−α
 ここ数年、各出版社が「20世紀」と名付けた記録本を出版している。
 あのどどーんと分厚く「こりゃ昼寝の時に役立つや」と言う感じの本の事なのだ。私もそーゆー本が嫌いではないので、買ってしまったのだが先日、気になる事があってその本でチェックしようと思い立ったのだが、その本がどこにも見あたらない。
 確かに私の部屋は本が溢れているが、部屋の所有者の私は乱雑な部屋だがとりあえず全体を把握しているハズつもりになっていた。しかも、あんな分厚く目立つ本が行方不明になる事は無いはずだ。絶対おかしい・・・・と思っていたら、我が家の母親が「押し花」を作るための重石として使用していた。そんな感じに色々役に立つ本なのだ。
 漬け物の重石にされていなかっただけ、良しとしておこう。

 この手の本は凄く学術的な側面があるが、ハッキシ言ってワシワシと読み進む類の本ではなく、暇な休日にダラダラと寝そべってぼけーっと読むと言うのが正しい読み方なのかもしれない。なんせ、生活にまったく役に立たない知識の宝庫って感じなのだ。
 20世紀になったばかりの頃、時代はまだ明治時代なのだが、アメリカとの友好のために日本古来より行われているスポーツの相撲を紹介しようとした所、国会で「チョンマゲとマワシで、ほとんど裸に近い姿で闘う相撲は国辱物なので、海外に出すべきではない!」などと言う話し合いがあったとか書いてあるのだ。
 今や世界に誇る国技の相撲だって、海外に門戸を開いたばかしの日本としちゃ「あっしら鎖国していた間こんなスポーツで楽しんでいましたが、どーも海外のスポーツと比べると野暮な感じがしちゃってねぇ」等という、田舎の少年が都会に出てきてビクビク相手の様子をうかがっている様な感じだったりするのだ。
 ついでに言うと、戦後相撲のTV中継が始まってしばらくしてから、伝統的な土俵の四方に立っていた柱を「TV中継の時に邪魔になるから」と言っていとも簡単に取り去って、現在のような上から釣り下げる形にしちゃったのだ。
 相撲って、昔はずいぶん柔軟だったのだなぁ、なんか今は昔以上に権威主義って感じがしちゃうけどさ。
 うむうむ、20世紀ってヤツは、たった100年前の世界ってヤツは、こーも価値観が違うのかぁなどと思ってしまったのだ。
 しかし、そんな大昔のさらに昔からかのキンさんギンさんは生きていたって事は凄い事なのかもしれない。こないだ106歳を迎えた彼女らはなんせ「1892年生まれ」だったりするのだ。
 この20世紀図鑑以前の話だったりするのだ。19世紀っつー事だ、あと3年ふんばれば3世紀制覇と言う事になってしまうのだな、これがまた。
 そんなワケで、最近本屋にいくと角川書店から10月に発売される予定の『OUR TIMES 20世紀』と言う本の予約受付をしていたりする。
 実際の事を言うと、この角川書店のこれは他の出版社のと比べるとかなり後発と言うことになってしまう。最初の「20世紀本」が出たのが・・・たぶん、1994年あたりで「阪神大震災」や「オウム事件」が最新ニュースとして掲載されていた。
 しかし、よーく考えてみると何ンかおかしいんじゃねぇの?
 なんせ「20世紀」ってうたっているけれど、実際の事を言えば「1901年〜1998年」とかの中途半端な98年史って事になっているのだよ。
 何故、20世紀がしっかり終わった2001年の1月まで待てないかな・・・・
 それとも、2001年に「増補版」「完全版」なんて名前で再版するのか?

1998年8月26日(水曜日)見えないラジオ
 たとえば買ったばかりのCDがある時とか、気分が凄く「あの曲聴きたい!」と言う時はCDを掛けたりしているが、基本的にはラジオを聴いて新曲やら、季節の曲やら、ニュースなどを情報として取り入れる為に聴いている。
 つい先日、私の住む地域には新しいミニFM局(沼津コミュニティFM:コーストFM)が開局したばっかしなので、私は帰り道でFMだけで「FM NHK」「K-MIX/FM静岡」「FM富士」「VOICE CUE/FM三島函南」と「コーストFM/FM沼津」の5局を聴くことができる様になっている。
 私が中高生だった頃はなんと言っても「FM NHK」のみしか聴くことが出来ず「FM TOKYO」がモノラルでノイズまじりで聞こえる程度の淋しい状況だった事を考えると、贅沢すぎてとーちゃん涙が出てくらぁと言う感じなのだ。
 あの当時本なんかで「アメリカは各町々にFM局があって、ナイスで御機嫌なミュージックを毎日お届けしているんだぜベイベ」とウルフマンジャックなんかが言っていた。
 ハッキシ言って、現在私の地域で聞くことのできるFMは、その「ナイスで御機嫌なミュージックを」と言うイメージとはほど遠く、それぞれの局が自ら文化を作ろうとはしないで、リスナーからのリクエストとチャートだけに頼り切っていると言うのが現状なんだけど、それでも局が多いと言うのはいい事なのだ。
 かなり自分は音楽の趣味の幅は広いつもりなのだが、やっぱ「許せない」と言う音楽も多く、そんな音楽がラジオから流れてくると精神的に良くないって事で、即座に別の局に変えてしまう事がある。そんな時に局が多いと救われるのだ。
 あぁ至福の時。

 しかし最近FMを聴いていて思うことは「なんかFMっぽくない」と言う事なのだ。
 すごくAMっぽい。なんかオールナイトニッポン的な感じをどの放送もやっているって感じ。アイドルが出てきて近況を喋って、面白くもない投稿葉書を読んでケラケラ笑って曲を適当に流して、さらに曲を途中でブチ切って・・・・、なんか私が必死に聴いていた時代のFMラジオと全然違う世界になっている。
 FMは音楽を聴く物、AMは喋りを聴く物、と言う住み分けがあった様な気がするのだが・・・・。こんな考えは古いのかも知れない。
 あの時代はレンタルレコードなんか無くて、少年達は新曲を一生懸命エアチェックと言う名前で録音して・・・その為に「あの番組であの曲が掛かる」と言うのを事前に調べて・・・・と言う、かなりディープにラジオ接していた時代はもう完全に過去の物になっているのだと思うけど。
 今はもっと楽に、聞き流す形で聴かれている。それは音楽に対してもそんなに真剣に聞き込むことが無くなったのと共通しているのかも知れない。
 某ラジオの番組の中には「ちゃんと掛けろ」と言うコーナーがあって、リクエストの中から特別に1曲だけイントロからエンディングまで完全に掛けて、しかも曲紹介の喋りもかぶらない!と言うコーナーだったりする。
 しかし古い人間の私としては「それって当然の事じゃないの?」とか思ってしまったのだ。
 逆に昔は、イントロにナレーションが少しかぶったと言う事でクレームが付いて、翌週もう一度完全な形で曲を掛けたりしていたのだ。
 そんだけ真剣に聴いていた(ま、エアチェックの為だったりするんだろうけどさ)

 しかし私もじじいになったのと、そんなに真剣に聴きたい曲ならCDを買ってしまうと言う経済的余裕の為に「ま、ラジオがどーなってもいいや」と言う気持ちが無いわけではない。
 その中で赤坂康彦みたいに真剣にラジオ番組を作っている人がいたりすると、凄く応援しちゃったりするけどさ。

 しかし、先日もーFMだとかAMだとかって言う問題ではない、あまりにも許しがたいラジオを聴いてしまった。しかも途中から聴いたので、ぜーんぜん意味不明だったのだ(最初から聴いていても意味不明だと思うけど)

男A:ほんじゃね俺の方はこれを出します!どうだ!!
男B:うわっとっっととと、こりゃ凄いやもー反則ワザだよぉ
男A:ホントこれは不味いっすよねぇ
男B:じゃこっちは最終兵器を出しますよ
男A:お・・・
男B:これでどうだ!
男A:ぎゃはははははははははははは、そりゃないだろぉぉぉ
男B:これは本当に危ないっすよぉぉぉ

 上記の様な会話が延々と続いていた。二人は最近のお笑いの人でとき〜どきTVで見たりする人だったのだが、いったい何をしているか全然判らないでしょ?
 これがなんと、リスナーがプリクラで変な顔をして撮影した(あるいは失敗して撮れてしまった)物を葉書に貼って送って来たのを二人が評価して、それでどれが一番不細工かを競うコーナーだそうで・・・・・これってラジオだよね。
 スタジオは大うけ、スタッフも大うけ、二人も会話に成らないぐらに大うけ・・・・でも「これ優勝!」と言われても視聴者はそれがどんなプリクラなのか最後の最後まで判らない。
 うぬぬぬぬ、と思っていた、FMもここまで落ちたか・・・と思っていた。
 そんでもって、ソイツらの放送を翌週も聴くつもりではなかったがラジオを付けたらやっていた。
 そんでもって驚いた事にこのコーナーが一番人気があって、投稿葉書がダントツだったそうで・・・・。
 たしかに、他のコーナーはネタを考えなくてはいけないのに対して、こっちは変な顔や格好をすればオッケーだから投稿しやすいってのは判るけど・・・・
 なんか、雑誌の投稿コーナー以下だよねこれじゃ。

1998年8月27日(木曜日)イヤらしい・・・・話
 世の中には実に字が読みにくい人と言うのが存在する。
 とりあえず「字」として認識できるけれど、それが精一杯でそこに書かれている言語を理解しがたいと言う人がいたりするのだ。
 普通に生活していてそこまで悪筆な人には出会わないと思うけれど、いるところにはいる物なのだ。それも困ったことに字を書くことを生業にしている人でそーゆー人がいたりするから困ってしまうのだ。
 その人は「作家」と言う職業の人で、とにかく汚い人は汚いどころの話ではないぐらいに解読不可能てな感じになっちゃっていたりする。そんなワケでそーゆー人に対しては各出版社は専属の「解読係」を準備しちゃって態勢を整えたりするのだ。
 そのワザは本当にプロで、なんせ書いた本人でさえ再読しようとして読解不能に陥ってしまう文章を読みきってしまうと言うのだ。
 最近は、ワープロの普及にともなってその手の苦労は少なくなってきたと言うが、それでも未だに「作家は原稿用紙にモンブランの太字万年筆で!」と言うポリシーを絶対に崩さない人もいる。そんでもって困った事に、そんな頑なな作家に限って悪筆だったりするのだ。
 最近、仕事でそーゆー作家が書いた文字を見たりする事もあるのだが(雑誌編集に関わっている)あんな端正な文章を書く人なのに、字は・・・・だったり、あんなに豪快なハードボイルドを書く人なのに字は整いすぎていたり、色々なるほどなるほどと言う事がある。
 作家の名前は、仕事に色々支障が起こってしまうかもしれないので公表できないのだが、そーかそーかと言う感じだったりする。

 作家の場合、とにかく頭の中でどんどんストーリーが、キャラクターが動き始めるのを追いかけて、頭の回転と同じスピードで文章を書き殴っていくためにそーゆー状況になってしまうのかもしれない。そしてそのうち、そんな字でも読解してくれる人がいると言う安心感からそれがその作家にとって普通の文字になってしまったりするのかもしれない。

 そんな状況の中、一般生活を送っている人のなかで、かなり読解不能に近い状況の文章を書く人ってのは、本気で文字が汚いと言うことになるのかも知れない。
 そんな人が実は身近にいたりするのだ。
 それが会社の上司だったりするのだが、この上司の文字は数人が頭を付き合わせて「うーむ」と考え込んでしまう様な事もある。知らない人が見たら、ふざけてワザと字を崩して書いている様に見えてしまう程の字なのだ。
 でもって、会社の中に大量にワープロ器機があるんだから使えばいいのに、この人は丁寧に手書きで報告書とかを書いたりするのだ。それとか、送別会とか新入社員の歓迎会のお知らせとかを書いている。
 「季節も本格的な暑さを過ぎ、秋の声が聞こえ始めている頃ですが・・・」などと、実に風流な日本古来の花鳥風月を愛でる文面なのだが、それを書いているのが小学生低学年の子がドリルに書いている漢字を真似しながら書いた様なバランスのムチャ崩れた文字だったりするので、違和感ばりばり。
 でも本人はいたって真面目に書いている。だから誰も突っ込めないのだ。
 その為に、回覧板を回すときも回覧板と共に口頭で「これ○○○についての回覧板」などと伝言をしたりするのだ。

 ある日もいつもの様に回覧板が廻ってきて、その表面にその上司のある種の芸術性を秘めた文章が並んでいた。
 内容は新入社員の職場もそれぞれ決定して、落ち着いた頃なので新入社員歓迎会を開催しようと言う物だった。
 ・・・が、最後の方に読解不能な文字があったのだ。
 うぬぬぬ、と最初の人は思ったのだろうな。うぬぬぬぬぬ、と考え、どうもその文字が「イヤ」と書いて有るんじゃないか?と言う結論に達したのだが、どうも他の文面とつながらない。さてはて、と思いつつ次の人に回すときに「この文字、イヤ・・・らしいんだけど」などと伝言をしたりするのであった。
 しかし、その後、その文字が「イヤ」ではなく「他」と言う文字であることが判明した。

1998年8月28日(金曜日)土砂降りの雨
 昨日からドシャドシャと雨が降っている。ニュースで見ると栃木県の方では大洪水になって死者も出ていたりする。神奈川でも大雨注意報が出ている。と言う事からかなり広範囲に渡って大量の雨が降っていると言う事になる。
 その為に昨日の夜のニュースは、前日に起こった「中学生宅にやせ薬が送られてきて、それを飲んだ子が入院」などと言う、最近の毒物混入事件の関連事件の話題はほとんど触れられず、土砂崩れや、通行止めや、孤立してヘリコプターで救助されたとか、学校の体育館に避難している住民とかがニュースとして映し出されていた。なんか本格的に記録的豪雨と言う事になっている。
 我が家でも窓を開けるとザンザカザンザカと言う音が凄く、TVの音なんかも簡単にかき消されてしまう程の雨が、夕方から延々と激しく降り続いている。そして明け方、全然小降りにならない雨の音と、吹き込む雨の為に窓を開けられないために湿度が高くなってしまったのの合わせワザで目が覚めてしまった。
 時間は4時半、ほとんど夜明け前。しかしこんな時間から生でニュースをやっている人がいるって事は凄い事なのだよなぁ、まったくもーTV局の悪のりとしか思えない程危険な台風中継とか、なかなか現場のアナウンサーは大変なのだなぁ。
 しかし土砂降りの雨ってヤツは車を運転している人間にはムチャ恐いもので、前は見えない、しかも歩行者は傘を差しているのでいつも以上に危ない、さらに路肩にどでかい水たまりが出来ていてハンドルを取られそうになったり、事故が起こっても不思議ではないぞって思ってしまう事がある。
 雨の日の車の運転で一番恐かったのは以前浜松に遊びに行った帰りの経験。

 友人宅に遊びにいって、夜7時頃、そろそろ帰ろか・・・・と言った途端にそれまで小降りだった雨が、突然どしゃどしゃどしゃどしゃと大粒の雨になり、さらに暴風も一緒にやってきて、ワイパーを最大にしても前が見えない程の酷い事になってしまった。
 ま、ここは雨をやり過ごして小雨になってからでかければいいや、などと気楽に考えていた。
 そんでもって、約2時間ぐらいダラダラしている内に雨も小降りになってきた為に「ほんじゃ帰るとしましょうか」と浜松インターから東名高速道路に乗り込み伊豆を目指した。
 と、袋井を過ぎた辺りから、さっそくかなりヤバイ状況になってしまった。
 さっきやり過ごした雨に、いとも簡単に追いついてしまったのだ。
 まじーまじーと思いつつ、そーかんたんに降りることも出来ない。次のサービスエリアはどこだ・・・と思っている内に雨はさらに激しさを増してくる。
 どのくらいに激しいか?と言うと、ワイパーを最大にガッコンガッコンやっていると言うのに、前方を走っているらしい車の後部ランプがかすかにしか見えない程度、車線もなんとか手前5メートル前ぐらいだったら確認できると言う状態。
 カーラジオで天気情報、交通情報を確認しようとしても、雨のザンザカザンザカと言う音の方がうるさいくて聞き取りにくいと言う状況。もっとも、交通情報を聴いたからと言ってこの状況から抜け出せる分けではない。
 そんな状況なので、ハッキシ言っていまどこを走っているか全然判らない状態に陥ってしまった。なんせ、頭上を通り過ぎる看板がまったくと言って見えないぐらいに雨が激しい。その上、ずっと緊張して運転に全神経を集中していないとヤバイ感じになっていて、当然、看板なんて見ている余裕はない。
 どれだけ走ったのか判らないぐらいに神経が麻痺して狂い始めてきた。
 雨は一向に小康状態にならない。さらに激しさを増している様な感じだった。完璧に、土砂降りの雨雲と一緒に東へ東へ向かっていると言う感じになってしまっていた。
 何度かサービスエリアのランプらしき物が見えた様な気がするが、どこから入ればいいのか咄嗟に判断できないくらいに神経はズタボロだった。
 もーハッキリ言って「ここでハンドルを思いっきり切っちゃえば全てから開放されて楽になっちゃうのに」などと言う積極的にポジティブな事まで考えながら走り続けていた。
 「まさか沼津を通り抜けて、御殿場あたりを走っているって事はないよなぁ」などと、不安になりつつ走っている内に、少しだけ雨が小降りになって来たような気がする。そしてその時、突然目の前の看板に『沼津まで15Km』などと言う文字が見えたのだ。
 あぁぁぁぁぁ無事に生還したぁぁぁぁぁぁ
 私は安堵しつつ最後の気合いを入れて沼津インターを目指した。

 と・・・沼津インターを下り、しばらく走った所でさっきのどしゃどしゃが嘘の様に、完璧に雨が止んでいた。
 どうやら雨雲は、東北東に進んでいて私は完全にその雨雲の端っこを伴走していた様な感じだったのかもしれない。とりあえず私は、雨上がりの何もかもが洗い流された様な沼津の町中を走り抜けていたのだ。

 雨の日の運転は最大の注意を払って気を付けてね。
 そんでもって、歩行者に水を跳ね上げない様に気を付けてね。

1998年8月29日(土曜日)俺はジャイアン・ボエ〜ッ
 金曜日の夜、突然、ひさびさにこっちへ遊びに来た友人Tに呼び出された。
 ま、呼び出されたと言っても「ツラ貸せぇ」などと、接続詞無しの短い文体で呼ばれて、誰もいない校舎の裏に連れていかれたり、「ちょっとジャンプしてみろ」などと言われポケットでチャリンチャリンと音を立てる日本国発行の金属を取り上げられるなどという類の「呼び出された」では無かったりする。
 ま、この友人Tは私のクセのある友人の中でも特に「嵐を呼ぶ男」として畏れられている友人で、とにかく知り合ってから随分たつが振り回され続けているのであった。
 とは言え、憎めない所が「憎みきれないろくでなし」と言う感じなのだ。

 夜9時半にその場所についた僕の顔を見るなり「よし!じゃ喰いに行こう!」と、人の事情など聞かずに即決する行動力のあるナイスガイなのだ。
 結局、偶然に揃った別の友人Mなどと連れ添って全10名様の団体で、居酒屋に繰り出すことになってしまったのだ。
 ハッキシ言って私は、金曜日のこの日、普通に会社に行って、普通に帰ってきて、普通に夕食を食べていたので、まったく胃袋は食を要求していなかったのだが、この友人Tのワシワシワシワシと喰う姿に引き込まれて、気が付いたときはワシワシと喰っていた。
 いかんいかん、またしてもダイエットの日々が遠ざかる・・・・

 その後、翌日も仕事がある連中と別れたあと「ちょっと寄りたい所がある」と言うことで、まったくアルコールを飲んでいない私の運転でとあるスナックに行くことになった。
 実はこのスナックと言うのは、友人Tが約1年程前に交通事故を起こした時に、直前まで飲んでいたスナックだったりするのだ。
 その日、いい気分で酔っぱらった友人Tは、我が家に宿を取ろうと携帯電話で「よぉぉおそくなっちゃってごめーんねぇぇ、あのさー今から行くけどさぁ何か欲しいモノあるぅぅ?牛丼とかさぁぁぁ」などと陽気に酔っぱらいながら電話を掛けてきて、それから数分後ふたたび電話を掛けてきて「じ・・・・事故っちゃった・・・・迎えに来てくれる?」などと言うことをやってくれたナイスガイなのだ。
 この辺の詳しい話は
当時の日記に書いてあったりします。
 そんなワケで、約1年振りに生存報告って事でそのスナックに立ち寄ったのだが、その帰り友人Tは突然「カラオケ歌いたくなっちゃった」などと言いだし、有無を言わさずカラオケモードに突入していくのであった。
 ハッキシ言って、私は真面目なサラリーマン、この時間になると眠くてしょうがないのだが、友人Tの言い出したら聞かないと言う性格を熟知しちゃっている私は、素直にそれに従うしかなかったのだ。
 カラオケと杉村、と言うのは色々過去にエピソードがあるが、とにかく杉村は「歌が下手」と言う事で通っている。実際の事を言えば、楽器演奏も出来たりするので完璧に音が取れないと言うわけではないのだが、基本的にうたうのが苦手と云うことだったりする。
 だからカラオケと云う物も、約1年ぶりって感じなのだ。うむむ、しかし夜中の1時に行って数分の待ち時間って云う状況は、世の中カラオケ好きなのだなぁと云う感じだったりする。

 私はほんとうに1年振りだし、普段音楽を聴いているとしても「歌うため」には聞いていなかったりするので、知っているつもりの歌でもイザ歌ってみようと思ってもメロディが判らない物も多い。バッキングのギターのフレーズならば判るのだが。
 だから、曲を選ぼうとして本をぱらぱらめくって知っているハズのアーティストの曲名を見ても「・・・どんなメロディだっけ?」などと考え込んでしまう事も多い。なんせ、CDを聞いていてもタイトルを知らない曲が山ほど有る。流れてくれば判るのだが。
 そんなワケで私はとにかく「なんとなく知っている曲」の中で、場が盛り上がる曲と言う選曲になってしまったりする。
 しみじみな曲もいいが、何度もしみじみな曲を歌って場をクールダウンさせ、さらにコールドダウンさせ、さらにフリーズアウトさせてしまう人を見てきた。のりのりで盛り上がっている最中に「ビリーバンバン:白いブランコ」とか「風:なごり雪」などと、実にしみじみとマジで歌っている人を何度も見た。
 うむむむむむ、と私は思ってしまうのだ。さらに、そーゆー歌を選択する人ってのが基本的に歌が旨くない、歌いなれていないというパターンで周囲をディープな方向に誘ってしまうのだ。
 私は基本的に声量が無いのだが、とにかく盛り上がるようにと歴代ジャニーズの曲をワシワシ歌ったりしてしまうのだ、しかもアップテンポで。
 そんなこんなで、あっと言う間に声が枯れて音程まで思うように出なくなってしまったりする。
 やっぱカラオケは苦手だなぁ
 結局、3時過ぎまでカラオケをして帰ることになった。
 そいでやっぱし恒例の帰りのセブンイレブンで弁当を友人Tは購入したりするのだ。しかも「焼き肉弁当」と「ケーキ」などのかなり濃厚な物を。
 私は完璧にパスしてしまったが、ヤツはそれを我が家につくなり一気に食べて「おー喰った喰った」と言い残して私のベッドで寝始めたりするのであった。
 私は、別の部屋にマットレスを出して寂しく寝るのであった。

 しかし最初に『嵐を呼ぶ男』と言ったが、まさかこの男が帰った後に本当の嵐がやってくるとは思っていなかったのあった。

 日記は怒涛のごとく翌日に続く。
1998年8月30日(日曜日)激しい雨
 金曜日と同じ様なパターンで外のどしゃどしゃどしゃどしゃという激しい土砂降りの音で目を覚ました。
 う〜む、昨日も雨が降り続いていたけれど、ここまで激しくはなかった。なんか、本当に雨ばっかり続いているよなぁ憂鬱だよなぁ・・・などと思いながら目を覚ました。
 時刻は朝6時半
 僕はぼけぇぇぇぇとした頭のまま、コンピュータの置いて有る部屋へ移動した。今日は、月末の日曜日だったりするので、1日に発表する予定の「電脳たこやき便り」を編集しなければいけないのだ。というか、それ以前に夏バテのせいでパワーが落ちて「電脳たこやき便り」用の文章も書いてなかったりするのだ。
 はたして今日だけで3〜4本のやや長めの文章と、「現代用語の基礎的ではない知識」を一気に書き上げて、さらに編集することが出来るか?と言う感じだった。
 と、コンピュータのある部屋に行った時、その部屋の窓の外がなにやら、雨以外の人の声や車のエンジン音で騒がしい感じになっていたのだ。

 「?」と僕は窓から外を見おろすと・・・・我が家の前にある空き地には20台ほどの車が大集合していた。ありゃりゃ・・・そういえば今日、防災訓練をやるとかって言っていたとおもうけど、こんな6時台からやるなんて言っていなかったよなぁ・・・と、それより遠くを見るととんでもない事になっていたのだ。
 我が家の前には空き地があって、さらにその向こうには畑が広がって、さらにその向こうには伊豆ならではの温泉街が密集していると言う感じの風景なのだが・・・その畑の途中からすべて、温泉街に向かって道が消滅して湖になっているのだ。
 うひー!こりゃ大変な事になったっす。いわゆるこないだからニュースで茨城なんかが映っていたのと同じ状況、洪水・浸水・冠水という感じなのだ。私は慌ててカメラを手にして家を飛び出した。
 こーゆー災害の時に実にひやかし的で悪いような気もしてしまうのだが、取りあえず記録するのが私の趣味なので、近所の風景を取りつつ、洪水の状況を拾い集めようと考えた。
 とりあえず我が家は、家の前に車が避難してくるぐらいだから低いところではないのだが、家の前を流れている小さな堀は思いっきり溢れかえって道無き道と言う感じになっている。まず、我が家から道に出た段階で穿いていた靴が完璧に水に沈んで「がっぽがっぽ」と言う音を立ててしまうようになった。が、そんな事も言ってられない程、とんでもない事になっているらしいのだ。しかも雨は未だにざんざかざんざか激しく傘に叩きつけてくる。気を付けて持っているハズのカメラはアッという間に水に濡れていく。
 とりあえず水に浸かっている温泉場の方へ歩いていくのだが、現在水に沈んでいる県道と平行に走っているこの道は県道より少し高いところにある為、道の脇には慌てて避難してきた温泉場の人たちの車がずらっと並んでいたりする。この道はいわゆる裏道的な道なのでこれだけの車が並ぶということは初めてかもしれない。
 一番近くにある温泉場へ曲がる道を・・・・と見ると道は途中で水没して、その先はどのくらい深いのか全然見えなくなっている。いつもは自転車でびゅわぁぁぁぁと一気に駆け下りていく道だったりするのだが、その先にある県道は完璧に海の中にあるという感じなのだ。かなり中途半端な低さでカーブミラーが水面に顔を出している。
 そこを曲がるのを断念して、さらに温泉場に向かう裏道をさらに進んでいく。一番温泉場のこっち側にある「つるみ旅館」はまだ大丈夫と言う感じだったが、その先の曲がり角の所まで水があがってきてその先は全然進めないと言う感じになっていた。
 昔からこの温泉場は大きな雨型台風がやってくると水が出る事が多かったのだが(10数年前に堤防の排水ポンプが設置されたおかげで浸くことはなくなった)水が浸いてしまって温泉場を通れない時はこの裏道を通って向こう側に抜ける。と言うのがパターンだったのだ。その裏道までこんなになっているというのは、かなり激しい浸水だと言うのが判るのだ。
 つまり、温泉場方面に向かう道は、つまり南側に抜けていく道は完璧に閉ざされてしまったと言う事になる。うむむ、と思いつつこれ以上進むことを断念して引き返すことにした。

 こんどは自分の家を一度通り越して、温泉場と逆の方向に向かって歩き出した。
 こっちは山から流れてくる川があるのだが、そのいつもは穏やかな川が一転して激しく至る所で氾濫し、道の何カ所かを川に変えていた。
 ときどき、かなり太く長い木の枝などが流されてきたり、そこそこ大きな岩なども一緒に流れてきているので危ないのだが、そんな川と平行に続いている道を、じゃぼじゃばと足をすくわれそうになりながら県道に向かって歩いてみる。
 本当に足を思いっきり踏ん張っていないと、すくわれそうな感じで川から溢れた水が道を横切り反対側の畑に流れ込んでいる。夏野菜などの畑はすでに収穫を終えているのだが、米作や、これからの野菜を作っていた畑は完璧に水没しつつ激しい流れに洗われて全滅に近い状態になっていた。
 なんとか県道にたどり着いたのだが、そこから温泉場の方向を見ると温泉場の入り口にあるスナックの入り口が半分水に沈んでいた。
 そしてその店の少し手前には一台の車がドアの半分以上まで水没して止まっていた。
 この雨の数日前も「もしかしたら水が出るかもしれない」と言うかんじの時があって、この県道に避難していた車が何台かあったので、今回も同じように避難していた車なのだと思っていた。
 が、そこにいた人の話では朝6時頃、すでに水に浸かり始めた温泉場に向かって「大丈夫だろう」と言う安易な気持ちで突っ込んでいった車で、進むことも戻ることも出来ずに立ち往生した挙げ句、車を捨てざるを得なかったと言う話なのだ。うむむ、無謀なヤツと思っていたのだが、なんとその車がベンツだそうで・・・・ムチャするなぁ

 その交差点から西側に伸びている道も、途中の道が畑と共に完璧に水没しちゃっているワケで、これで温泉場のある南側からも、西側からも抜けることが出来ない事が判明した。
 そんなワケで、じゃついでにと、北側に続く県道を温泉場とは逆方向に向かって歩いてみる事にした。
 しかし、しばらく歩いていくと道の途中を激しい濁流がさえぎって殆ど通行不可にしていたのだ。
 実際の事を言うとここは川でもなく、水が激しく吹き出している場所はただの畑だったりするのだ。つまり山から流れてきた水がこの畑に集中してそこから道を横切って、さらに低いところにある畑へと流れ込んでいるという状態だったのだ。
 うぬぬ・・・と一瞬ひるんだが、もーこうなったら先に進むしかないのだと、その濁流の中を少しづつ、踏ん張りながら進んだ。
 かなりの広範囲に渡る濁流だったので何度か危ない感じはあったが、なんとか渡り切った。そこを越えて急なカーブを曲がると橋が架かっている。以前はこの橋の所が決壊したりした事もあるのだが、今はちゃんと整備されて・・・・と思っていたのだが、見事に溢れかえっていた。
 サスガに橋が流されるような激しい状態ではないが橋ギリギリまで水位が上がっていて、流されてきたゴミが橋の脇にドカンドカンぶつかり澱んでいた。
 この橋の所から川沿いに脇道を進んでいくと柿沢台と言う新興住宅地があるのだが、そこへ続いているハズの川沿いの道はまったく見えなくなっている。柿沢台へも抜ける事は完全に不可能になっている。なんせ、川だか道だか判らない流れの中を、自分が見ていた短い時間の間にドラム缶がぐわんぐわぁんと音を立てながら3本も流れてきたりしていたのだ。
 でもって、その橋を越えて県道を進もうとしても橋を越えて数メートルの所で道がまたしても消滅しているのだ。これで北側に抜ける道も閉ざされたと言う事になった。

 とりあえずここには地元の消防団の人なんかが待機してて、どうしても渡って向こう側に行きたいと言う人の為にボートを出していたりした。
 私はうむむむむ・・・とうなって「残るのは東側に続く山道だな」と考え、とりあえずそっちに向かって歩いていったのだが、しばらく歩いていると山道を降りてきた人が「だめだめ、この先崩れちゃって通れなくなっている」と言うのだ。
 うむむむ、完璧に陸の孤島になってしまったのだ。

 とりあえず、大きな川の氾濫などはなく、午後になって雨も小康状態になり水は徐々にだが引きはじめ、さっきボートで渡していた大橋付近も午後4時頃には復旧していた。

 この洪水状態を入って来れない間はヘリコプターがぶるわぁんぶわるぅんと大きな音を立て空撮して(しかしかなり長い間旋回してて、しかも複数台、うるさかった)、道がとりあえず開通した後はNHKの中継車なんかが入ってきて、何度も何度もTVで放送された。
 おかげで、そのTVで僕の住んでいる地名がなんども言われた為、遠くの親戚や東京の友人なんかからひっきりなしに電話が掛かってきて「大丈夫か?」などと言われたりするのであった。
 大水のお陰で、久しくご無沙汰していた人々と近況を話すことが出来て(しかも電話代は向こう持ち)、床上浸水とか被害にあった人には申し訳ないが、充実してしまったのだ。

 しかし、被害にあう、あわないってのは髪一つの所なんで、日頃の注意や防災が必要なのだと思ったりもするのであった。

1998年8月31日(月曜日)私には判らない
 たとえば新車を買ったとする。
 すると周囲の人が、その新車に興味を持ち、色々と質問してくる。
 「排気量はいくつ」だとか色々、しかし私には全然判らない。説明書などに書いてあるはずなのだが、あまりにも興味が無くて自慢ではないが本当に何も判らない。「排気量はいくつ」と言う質問に関しては、その新車の排気量がいくつなのか即座に答えられないにしても、相手が何を聞いているのか判る。
 しかしだ、車に関しては10年以上運転しているのに全然判らない質問も多い。だから、それ以降の質問は質問の意味さえ判らない。
 おかげで、ここにいくつも聞かれて困ってしまう私の様子を描写しようと思ったのに、「●●●って●●?」などと聞かれたハズの項目自体が思いつかない。
 しかし世間一般ではどーやら、その辺の事柄は多数決でリサーチしていくと「知っている」「興味ある」「なんとなく知っている」と言う方が圧倒的多数だと言う事が判った。
 車を運転している男の間では「知らない」と言うのは、思いっきり少数派、マイノリティと言うことになってしまうらしい。

 同じように私は自分のお金を出してコンピュータを購入してから、10年以上の歳月を経てきた。とりあえずその10数年の間に何台かのコンピュータを買い換えて来ている。
 しかしだ、私は胸を張らずにはいられないほどコンピュータに関して無知だ。思いっきり無知なのでムチムチと言うことになるのかも知れない。ついでに雨が降ったりするとすぐ首が痛くなる私はムチウチ経験者だったりするのだが、それはこの際関係ない。
 その無知具合は基本的に無知なのではなく、コンピュータに興味がない。と言うのが基本的な部分なのかも知れない。
 なんせ会話の中で詳しいスペックについての質問に答えられない私は当然だとして「で、杉村さんのマックって何ンてヤツだっけ?」と聞かれて「・・・・パワーマックなんだけど・・・それだけじゃダメ? 型番????? なんか表面に書いてあったよね・・・・」などと、しどろもどろになってしまったりする。
 自分が所有するマックの種類を言えないのはかなりやばい気もするが、どーも私の記憶能力にその辺の事柄を記憶するワザは無いみたいなのだ。それ以外のくだらない事は異常に覚えているのに・・・・。
 たとえばTVを見ていて「やっぱソニーの39型DV-39Sはいいよな」などとか「平面ブラウン管CD-Gじゃなくっちゃね」とかそーゆーのは興味の対照にならないと思う(いるかもしれないけどさ)。
 それと同じ様な物なのだ私のコンピュータに対する愛情ってヤツは。
 あくまでも文章書いたり、写真データをなんとかしたり、いわゆる仕事をする為の機械と言う割り切り方をしちゃっているのだ。と言うか、割り切る前に「ただの機械じゃん」と言う感じだったりする。
 もしかしたらこの段階で、多くのコンピュータ愛好家の方が「杉村許さじ!」と立ち上がっているかもしれないが、どーもそんな物なのだ。
 いわゆるコンピュータどっぷりな人々と話をすると(と言うより一方的にまくしたてられて意味は30%ぐらいも判らない)なんかコンピュータに多大なる期待をしちゃっている人がいたりする。かなりの確率で。
 凄く気持ちを逆撫でする意見を言ってしまうと、そんな風にコンピュータにどっぷり入っている人の多くが、現実社会で対人関係で上手く行っていない人が多そうな感じがしちゃうのだ。そんでもって、よく言われていていた様にRPGの中では自分が主人公で好きな事が出来、イヤになったらリセットも出来ると言う状態がある。
 それの延長でコンピュータをいじり倒していくと、有る程度まで自分の思うままに世界を構築できたりする。
 なんか、自分の中に向かう為の、ある種の逃げるための道具って気がしてしまうのだ。
 (凄ぇ言い過ぎって気もするけどさ)

 ところで、みんな音楽を聴くときにそのバックでギターを弾いている人が気になる?ミキシングしている人が気になる? アレンジしている人が何故気にならないの? 何故何故何故?
 と、私も別の意味で、ある種の方向に偏った人間であったりするワケなのだ。