< 杉村ぐうたら日記(1998年9月1日〜10日)

▲1998年9月1日:火曜日:風邪をひいた
▲1998年9月2日:水曜日:カメラが捉えた決定的瞬間!
▲1998年9月3日:木曜日:名前について
▲1998年9月4日:金曜日:ネタが無いので休み!
▲1998年9月5日:土曜日:栄養満点
▲1998年9月6日:日曜日:世界のクロサワ死去
▲1998年9月7日:月曜日:なすび
▲1998年9月8日:火曜日:卑屈な買い物
▲1998年9月9日:水曜日:犯行のきっかけ
▲1998年9月10日:木曜日:あふれているCD
1998年9月1日(火曜日) 風邪をひいた
 えー昔っから「バカは風邪をひかない」なんてぇ事を申しまして、こりゃバカだと思われちゃ大変だてな事で慌てて風邪をひこうと努力をしようとするお人などもいたりするワケで、どーもそんな事までをして風邪をひく方がバカみたいな話であったりします。
 そこン所、杉村てぇやつは、根っからの風邪ひき体質らしく、季節の変わり目ごとに大きかったり小さかったりの差はあれど、おきまりのように風邪をひいたりする男だったりするワケでありやす。
 まったくもって、この辺りの事例から「自分はバカではない」などと自負していたりする程度のバカだから始末に負えないのであります。
 とにかく、この8月から9月に入った途端の、おいおい先日までの熱帯夜は一体何ンだったんだよ? てな感じの手のひらを返したような温度の差てぇのは、杉村が風邪をひくのに最高の環境だったりするワケでぇあります。
 しかし、その何もせず、ぼーっと暮らしているだけで風邪をひきそーってな環境をさらにダメ押しするかのように、杉村というバカは日曜日におこった静岡東部の大雨大水どばどば陸の孤島大作戦の時に思いっきり興奮しちゃったのだ。とりあえず雨を避けようと傘をさしていたが、結局頭からずぶぬれになったまま、さらに靴を水没させ1日中あっちへ行ってこっちへ行ってと意味無く動き回っていたのだ。つまり、自分の体力や体質を考えず、自分の感情にまかせて右往左往してずぶずぶぬれぬれになって朝の8時から夕方4時頃までいたワケなのだ。
 ついでに必要以上に歩き回り、とても歩けそうにない濁流の中までウンセウンセと歩き周り、予想警戒体力水位を超えて疲労が困憊しちゃっていたりしたのだ。
 しかし、興奮している時は「火事場の馬鹿力」と言うヤツがせせりあがって、アドレナリンや、ドーパミンや、タウリンや、タキオンや、なんだかワケの判らない物が体の中を駆けめぐって気が付かないのだ。でもって翌日もまだまだ昨日の余波や、まだあそこでは水が引いていないぞぉぉぉぉなどと気分の高揚は続いている。
 話は凄く関係ない所にズレるが「馬鹿力」と全部漢字でかくのは大丈夫だが、普段カタカナで「バカ」などと書いている人が「バカ力」などと書くと、どーしても「ばかか」としか読めなかったりする。
 同じ様な例で、10年ほど前、種とも子と言う歌手が「げんきりょく爆弾」と言うかなり危ない、ちょっと広島方面では流すことを躊躇してしまいそうな曲をリリースした。でもってこのタイトルの表記を「元気」をカタカナで「りょく」を漢字で書いてあったのだ。つまり『ゲンキ力爆弾』てな風に。そーなるとパッと見ると「げんきか爆弾」と読めてしまうのだ。あーこりゃこりゃ、しかしこの曲もほとんどヒットしなかったので、国語審議委員会からも、広島長崎平和委員会からもクレームが付かなかったのだ。
 話は戻るが、初日と二日目の興奮状態は、突然3日目あたりで思いっきりさささささーと引いてしまうのだ。そしてどんな事になるかと言うと・・・・

 自分の体に無理をしていた部分が噴出して来るのだ。
 あぁぁぁぁダルイ・・・・・なんか熱っぽい、あぁ肩が痛い、目がショボショボする、あぁぁ世界が終わっていく・・・思いっきり肉体的疲労から精神的な内証的方向に土石流のごとく雪崩落ちてしまうのだ。

 そんな事をいいつつ、私はサラリーマン、自分の勝手な都合で仕事を休むことは出来ない。
 躰にムチ打ちながら車を走らせて会社へいくのだ。
 が・・・・・仕事をしている最中、どんどんどんどんどん熱が上がって、躰に力が入らなくなって来てしまったのだ。ついでに鼻水が出て、汗をかいて、くしゃみして、顔がポッカポカして赤くなって・・・自他ともに認める風邪状態に突入してしまった。
 結局、午前中「どーしてもこの仕事を終わらせなくてはいかん!」と言う仕事をはぁはぁ言いながら片づけて、半日休暇をとって帰ったりするのであった。
 あぁムチャはいかんのだなぁ
 基本的に机に向かって四の五の考えている根っからの文系なのだなぁ

 しかし、私は学習能力のいたって弱い人間だったりする。
1998年9月2日(水曜日) カメラが捉えた決定的瞬間!
 結局、熱が下がらず会社を休んでしまった。
 と、昼頃にこんなニュースが入ってきた。
 「今朝6時台に放送していたフジTVの早朝番組でアナウンサーの菊間さんが生放送で防災に関係した訓練をしようとした所、ビル5階から落ちてしまうと言う事故がありました。」
 え・・・とビックリしてしまったのだ。
 結局、万全を期していた部分もあって命に別状はないのだが、腰の骨を折ったとか言う話だった。
 いつも、その菊間さんが出る「それいけ菊間」と言うコーナーが始まると同時に家を出たりするので、ほとんど見たことがなかったのだが、生放送の限られた時間の中で何かをせわしなくすると言う感じのコーナーって印象があったのだ。
 しかし生放送中の事故かぁ・・・・ある種の悪趣味な好奇心として、パニックになっているスタジオ等の様子を見たかったなどと不謹慎ながらに思ってしまった。
 しかし、生放送って事はそのシーンの一部始終をカメラが撮影していたワケだよね・・・。

 そーなると、はたしてこの先フジテレビなんかで放送される「カメラは見た!決定的瞬間!」などというかなり悪趣味な、人の不幸を興味本位で見る番組でそのシーンは流すのだろうか?と言うことが気になってしまう。  すごくまっとうな正統派の意見としては「身内の不幸まで商売のネタにするなんて、言語道断だ!」と言う事になるのだが、これまでもその手の番組を何度も何度も放映している(フジ以外でも)テレビ局としては、身内はダメ、でも関係ない他人ならオッケーさ、と言う考えで行くとなると、そっちの方が言語道断なんじゃねぇの?って気がしちゃう。
 はっきりいって、人が死んだり、大怪我したりするシーンを放送して「この様な痛ましい事件を」などと眉間にしわをよせてアナウンスしときながら、結局は興味本位の番組を作ってきたテレビ局の「身内に火の粉がかぶって来た」状況でどの様な対応をするか?が、興味あったりする。
 その興味もすごく悪趣味で興味本位なんだけどさ。

PS
 週末にTBSでやっている「ブロードキャスター」という番組でその問題のシーンを放映していて、見てしまった。
 うーむ、なかなか痛々しい。確かに、すーどっすん!という、凄く地味な映像だったけれど、なんか恐いっす。
1998年9月3日(木曜日) 名前について
 私は自分の名前が嫌いだった。
 感じで重々しく「喜光」などと書いて「よしみつ」などと読む。
 すごーく重くて地味で陰湿な名前だと思っていた。
 なんせ子供の頃からすぐイメージされるのが、足利三代将軍だとか人形屋だとか(←これはローカルネタかもしれない)なーんか冴えないのだ。
 子供の頃から、芸能人などを見てて感じるのは「やっぱ、ヒラガナで書いた時に3文字になる名前だよな」などと思っていた。
 子供の頃思ったのでは、アイドルできゃーきゃー言われる人の場合3文字の人は「ヒロミー」「ヒデキー」「ゴロー」を筆頭に叫びやすい名前が多い。それだけでかっこいいと思ってしまったのだ。できる事なら「ひろみ」や「秀樹」などと言う名前なら良かったのになぁなどと思っていた。
 それに対して4文字の名前の場合「トシちゃーん」「マッチー」などと愛称に逃げるケースが多いのだ。シブがき隊なども全員4文字なので、デビュー時に自主的に無理矢理「ヤックン・モックン・フックン」などと呼びやすい名称を与えられていた。
 そのくらい4文字の名前は難しいのだ。重い感じがしてしまう。

 この名前でよかった事は、友人の中で「よしみつ」は私一人って事なので分かり易いって事かもしれない。
 直接あった事が無く知っているヨシミツさんは、例の足利義満と、往年のフォークグループ「とんぼちゃん」の人が確か「市川よしみつ」と言う名前だった。
 それ以外では漢字関係の本を何冊も出している国語学者にまったく同じ漢字をあてる喜光さんがいる。
 意表を突いた所では、渡辺満里奈の父親がよしみつらしい。たしかクイズ番組で足利義満の話題が出たときそんな事を言っていた。しかし、満里奈と言う字からしてよしみつの「みつ」は「満」だと思うのだな。

 そんなワケでいやだとか思いつつも、長年連れ添っているので嫌いではなくなって来た。しかしそれでも、あんまし自分の名前をカッコいいとは思っていなかった。
 かっこいいドラマの主人公の名前には収まりにくだろーと思っていた。

 そんなある日、桜井えりかという漫画家の書いた漫画家の書いた『或夜の出来事』という作品で、主人公の女の子の彼氏役で「ヨシミツ」というのが出てきた。(漢字は良光で半分しか合っていなかったケド)
 そんな状態に自分と同じ名前が出てきたのは初めてだったりするので、ちょっとドキドキしちまったぜ。
 でもって、そんな物語の上で「ヨシミツ」と言う名前は、意外にもポップな感じがしちゃったりしたのだ。そうかそうか、などと私は思ってしまうのだが、私自身がポップでない限り、ポップな名前にはなれないのだ。
 目指すぜポップ!

 そんな事を秋の始めに思ってしまったと言うことなのだ。
1998年9月4日(金曜日) ネタが無いので休み!
 などと言えたらいいなぁ
 私はふと思った。しょせん私は金貰っているわけじゃないのだ。毎日文章を描かなくても誰も困らない(最近、毎日ちゃんと書いているけど更新が週1以上の怠慢君になりつつある)。
 毎日こんなエッセイとも日記ともつかないものを書き続けているのって、かなり無理があるんじゃないか?とある日私は思ってしまったのだ。
 週刊誌連載でエッセイを書いている人でさえ「ネタが・・・」などと言っているわけなので、そう考えると週刊誌連載を7本やっている様な感じだったりするのかもしれない。なんか凄い事なのかもしれない。
 しかし、日記と名付けているのだが、その80%は日記じゃない様な気もする。

 私はこないだから思っているのは「何故、HPを運営している人の多くが日記を掲載しているのか?」という疑問だったりする。
 ま、とりあえずてっとり早くコーナー作れるしさ、という事なのかもしれないけれど、よーく考えてみると、見ず知らずの不特定多数の人々に「昨日下痢した」などと言う文章を読まれるという事をどー考えているのだろうか?
 これって、かなり自宅のコンピューターに向かってこつこつと文章を入力しているために、普通の「秘密の日記」に近い感覚があるのかも知れない。或いは逆のパターンで、日記と銘打っていてまったく架空の人生を歩むことが出来たりするのかも知れない。
 しかし、それを読むのがある意味でまったくに近い赤の他人で、インターネットと言う特殊な状況の中でこの先直接合うことがない人が読んでいるから安心安心と言う感じで書いているのかも知れない。
 もっとも、とある本で読んだ話では女性のHPの日記を読み込んで、その日記の中から場所などを特定して、直接本人にコンタクトをとったりするストーカーな人などもいたりするらしいので、色々大変かも知れない。
 さらに、その日記をあんまし現実的に自分を知らない人が読むのには抵抗ないのだが、自分のゴクゴク親しい人がしっかり読んでいて、何気なく道で会った時にその日記のネタをフられたりするのは、かなりキツイ物があるんじゃないかな?さらに、その日記の読者に親みたいな近すぎて普段深い話はしてないぞ、てな人がいたりしたら「うひー」てな感じだろうなぁ。
 よく作家なんかが死んだ後に「書簡集」とか、生前にいろんな人に送った手紙を集めたのとか(作家は死んでしまうとプライバシーねぇなぁ)「日記」なども豪華上製本なんかで発行されたりする。いわゆる死後全集の目玉商品として「別巻」などとして発行されたりする。
 そーゆーのを、資料として何冊か読んだことあるけれど、あれって完璧に「読まれることを前提として書かれている」と言う気がしてしまうのだ。もちろん、作家という職業が身に付いているので、そう考えずとも読者の目を意識したような文章になってしまうのかもしれない。
 あるいは「死んだ後で発行される」と考えて、日記の中に爆弾として嫌いな作家の悪口や秘密を書いたりするパターンもある。
 そんなこんなで、多くの人々が日記の名の下に、平凡な日常プライバシーを自ら暴露している現状は、自分もその中に含まれていると言えど、凄く変な感じがしちゃうのだ。
1998年9月5日(土曜日) 栄養満点
 土曜日、帰り道で突然渋滞に巻き込まれた。
 しかし、時間は昼過ぎ3時、しかも大通りではなく普通の生活道路の上でだった。普通に考えたらこんな処がこんな時間帯に渋滞するワケがないのだ。
 結局、渋滞に巻き込まれたまま横道に逃れることも出来ず、ノロノロと前の車に続いて進んでいった。
 しばらくすると前方に伊豆箱根の観光バスがT字路の信号の処で停止ランプをチカチカさせて止まっているのが見えたのだ。そのバスが止まっている場所ってのが、完璧にT字の突き当たり辺りだった。(自分の車も、停車しているバスもT字の突き当たりに向かって進んでいる)おかげで、せっかくの青信号なのにゆっくりゆっくりバスを避ける様な形で右車線に完全にはみ出した状態でT字交差点に侵入し右折左折していくと言う感じになっていた。これじゃ、渋滞が起こるのも無理ないって感じだった。
 1回の青信号でそこを通過できるのが5台程度みたいな状態なので、計算するとあと最低でも3回信号が変わるのを待たなくてはいけなのか・・・・などと思いつつ、前のバスを見ていた。
 しかし、こんな場所で何故観光バスが停車しているのだろうか。事故か、エンストか・・・て、やっぱ観光バスぐらいになると運転前の点検はしっかりしているだろうから、事故かな・・・などと考えていた。
 と、その時だったバスの止まっていた側のすぐ近くに民家の垣根が見えたのだが、そこから3人ほどの50〜60代ぐらいのオッチャンたちが走って出てきたのだ。そしてバスの影で良く見えないが、そのままバスに飛び乗ったみたいだった。
 んん?と思ったが、それでもバスは発車する様子もなく、相変わらず停止ランプをチカチカさせているだけだった。
 信号が2度程青赤黄色を巡回して僕の運転している車はバスの2台ほど後ろまで接近していた。
 その間にバスの中から4人ほどのオッチャンが出てきて、さっきと同じ垣根の中に消えて、しばらくして出てきたのだ。
 いったい何が行われているというのだ?こんな処にバスを止めて数人で何度もバスから降りたり乗ったり・・・もしかして、この垣根の民家が有名な観光施設で、しかもバスを止めるスペースが無いので道ばたに止め、しかも観光地の民家の定員が4名なので立ち替わり入れ替わりで中を見ている・・・と言う推理は99%違うと思うが、何かそこには犯罪の匂いがするような気がするのだ。
 と、その垣根の中がのぞき込めるような位置で僕の車が停止した。
 その時、再びバスの中から2人ほどのオッチャンが出てきて、さっきと同様に垣根の中に消えていったのだ。  今回は垣根の中をのぞき込める事が出来たので・・・と見るとナントその垣根の向こう側ではオッチャン二名が「立ちションベン」をしていたのだ。
 うむむむ、この垣根の家の人はこの集団立ちションベン集会場の事を知っているのだろうか?知っていて承諾してしまったのだろうか?さぞかし来年は立派な花が咲くのではないか?と思ってしまったのだ。しかし、どーもその家の中には人影らしきものは見当たらない・・・もしかして無許可なのか?それは完璧に犯罪行為だぞ。
 たとえば自分の家に突然集団がやってきてじょんじょろりんじょんじょろりんなどと始めたらどー思う?
 うむむって感じなのだ。
 と思ったところで信号が変わり、やっと僕がそのバスの脇を右側に大幅にはみ出した形で通り抜ける事が出来た。そしてバスの数センチ前方には軽自動車が止まっていて「バスがカマ掘り事故を起こした」と言うことが判ったのだ。
 つまり、観光バスでどっかに行こうとしていたオッチャンたちが事故による足止めされていたが、どーにもこーにもトイレに行きたくなったが我慢できなくなり、すぐ近くの民家で立ちションを始めてしまい、その後に多くの人が続いたと言う状況らしいのだ。
 うーむ、日本広告機構だかのCMの「あ・・・あの人って自分の家でもゴミを平気で捨てるのかな?」を思わず思い出してしまったのだ。「あ・・・あの人って自分の家でも立ちションを平気でするのかな?」と言う感じになってしまったのだ。
 とりあえず、あの庭の植物は栄養満点だったのだ。
1998年9月6日(日曜日) 世界のクロサワ死去
 あぁもう日曜日が終わりだよぉと、かなり憂鬱な気分で夜のニュースを見ていたら『黒沢明死去/享年88歳』というニュースが飛び込んできた。
 ショックと言うか「あぁついにね」と言う感じでかなり冷静に受け止める事が出来たが、やっぱり世界に誇る映画監督の黒沢明の死というのは、これもまた一つの時代の終焉というものを感じざるを得なかった。
 去年の終わりに、伊丹十三が死に急ぎ、星新一が無くなり、三船敏郎が亡くなり、石ノ森章太郎が亡くなり・・・・なんか日本が世界に誇れる人々が次々に消えて行く。
 たしかに戦後のあのパワーにあふれた時代に出てきた人々が、一斉にそういう年齢になってしまったという事何だろうけど、僕なんかは子供の頃から当たり前の様に存在していた巨人たちが一人また一人と消えてゆくのは、自然の摂理の悲しさを感じたりする。
 などと書いているが、多くの人がきっとインタビューとかで「黒沢は偉大な人でした」などと答えると思う。  きっと街頭インタビューなんかでも沈痛な面持ちで「そうですか・・・残念です」などと答える人が続出すると思うが、はっきし言って私は黒沢作品30本の内、7〜8本ぐらいしか見ていない。でもって「面白い」とか「凄い」とかって感じたが、特別扱いではなく鑑賞させてもらった。

   翌朝のニュースでは、次々と弔問に駆けつける人々の姿を写しだし、息子の黒沢久雄が「黒沢プロ社長」として記者会見をする姿が報道されていた。
 この黒沢久雄は今は「黒沢プロ社長」だが、以前はカレッジフォークグループ出身のさえない役者(役どころもさえない役が多かった)という感じで、徐々にTVで見なくなったなぁと思っているうちに、アイドル歌手・林寛子(今は強烈なおばさんだが、昔はキャピキャピしていた)と結婚して、そのまま社長になったという人物なのだが、本当に久々に見た。
 以前の、頼りがいのなさそうで困った顔でヘラヘラしている男ではなく、ただのオヤジになっていた黒沢久雄に時の流れを感じたりもしたのだ。

 その朝のニュースの中で、さっそく小淵内閣で黒沢明に対して「国民栄誉賞」を与えようと言う話になっているらしいと報じていた。
 まったく、阪神大震災が起こったり、北朝鮮から正体不明の飛行物体が飛んできた時は、反応が鈍いクセに何故こんなに早いかね?と思ってしまうのだ。
 しかし、この「国民栄誉賞」ってヤツの一番最初の時も凄くリアクションが早く実施されたという経緯がある。

 第1号はかの王貞治のホームラン通算世界記録に対してだったりするんだけど、実はあと数本で世界記録になる!という段階ですでに決定していたと言う。そんでもって、記録を達成した数日後にさっそく授与しちゃっていたりする。まだシーズンの途中という段階で内閣は「国民栄誉賞」を授与しちゃったのだ。
 なぜこんなにあわてていたかと言うと、1977年という時代がキーワードだったりする。
 いわゆる「オイルショック」などに代表される、大不況の真っ只中だったのだ。つまり、内閣の支持がどどーんと落ちたのを盛り返すために、国民に支持されているヒーローを祭り上げてしまおう!という、凄くせこい魂胆によってあわてて考え出した賞だったりするのだ。
 でも、授与した王貞治はとにかく複雑な心境だったと思う。
 なんせ、王貞治は長島なんかと同じ様に大学野球も経験したいと考えて、小学校の頃から野球をやっていた。が、その学生野球に早く見切をつけてプロデビューしなければいけない状況があった。
 なんと学生野球の規定で「日本国籍の者」に選手が限定されていたのだ。そのために、中国国籍の王貞治少年は練習試合などではヒーローだったのだが、国体などの本試合には参加できなかったと言う。
 だから外人選手も認められているプロ野球に入らなくてはいけなかったのだ。
 そんな「国籍の差」によって差別していたクセに、ホームラン世界記録を樹立したとたんに「日本人の誇り」に祭り上げちゃったりしているのだ。
 なんか「国民栄誉賞」って胡散臭い。

 私は特に思ってしまうのが、かのサザエさんの作者「長谷川町子」が死去した後、国はあわてて「国民栄誉賞」を彼女に与えた。
 この辺は、妥当かな・・・と思う半面、実際の事言うと「サザエさん」ってアニメ作品は見ているけど、原作マンガって・・・という状況だったりする。でも天下の朝日新聞に連載していたくらいだから、凄いのかも知れない。
 で、次に漫画家で「国民栄誉賞」を受賞したのが、よくTVのクイズ番組なんかに出ていた加藤芳朗という漫画家。はっきり言って、この人の漫画知らない・・・・。なぜ「国民栄誉賞」を受賞出来たのかも全然解らない。
 それ以前の漫画家だったら、のらくろを書いた「田川水泡」という人もいるが、まったく「国民栄誉賞」の話題も無かったという。
 それはのらくろという戦争を舞台にした戦気高陽漫画を書いたからという噂だったりする。
 私が一番感じるのは、かの漫画の神様とまで生きている間に言われていた「手塚治虫」が亡くなった後、まったく「国民栄誉賞」の話題も出なかった事が一番、この賞の不信感を強くしてしまった。
 戦後の暗い時代から子供たちに夢を与え、未来へ続く道を広げてくれた漫画を数多く書いたこの才人に何故「国民栄誉賞」を送らずに、加藤なんとかっていうおっさんに与えるかな?
 噂では、とにかく色々な雑誌などに連載した手塚治虫だが、その中に「赤旗」という新聞があったからだとか、マイノリティ(少数派)の苦悩を描き続けたために危険思想と見られていたとか、そんな理由が挙げられている。
 そんな意味不明で政治家達の人気取りの為の「国民栄誉賞」を、反骨精神あふれる黒沢明には受賞して欲しくない・・・と言っても無理か・・・・。

 やっぱり最後に勝つのは百姓であるべきなのだ・・・・

 合掌
1998年9月7日(月曜日) なすび
 先週、日記についてチト書いたんだけど、今現在日本で一番読まれているであろう日記はなんと言っても、日本テレビ系で放送中の『進ぬ電波少年』の1コーナー『懸賞的生活』の主人公なすび氏の日記だと思うのだ。
 なんせベストセラーランキングにも入っていたりするし、現時点で3巻まで発行されているが、本屋の平台の処に山積みにされていたりする。
 この平台に乗せられるってだけでも凄い事なのだ。
 しかし、多くの本読み人が同じように私は「世間で売れているとされている本はあまり近づきたくない」と言う人種の人間だった。
 いわゆる「ベストセラーの多くが普段本を読まない人によって作られている」と言う格言があるように、日頃「俺は多くの本を読んでいる」と思っている人に限ってその時代時代にヒットしたベストセラー本を読んでいなかったりする。
 ま、いわゆる必殺本読み人は「他の人より特殊」と悪い意味で自負しちゃっている所もあって「みんなが読んでいる本なんでバカらしくて」とか「ベストセラーに名作なし」などと勝手に想いこんじゃって読まない人も多いらしい。
 ま、ある意味で正しい選択だし、ある意味では間違いだと思うのだ。

 そんな事もあって私は「なすびの懸賞的生活」と言う本が、日常的に立ち寄る本屋にどどーんと置かれていても近寄らなかった。
 本編である「進ぬ電波少年」の方は、ほとんど見ていたりするのだが「所詮、TVとタイアップでしょ」などと甘く見ていたのだ。
 が、先日3巻が出たって事でさらに大量にどどーんと平積みされていたのを、何気に手に読みぱらぱらとページをめくってみた。
 わたしゃ、びっくししちまいましたですね。読まないままでバカにしていた自分ってヤツの事をヒジョーに恥じてしまったのでありますね。
 その日記の中で書かれている文章はあのTVで放送されているアレだったりするのですが、注目すべきはなすびの文章・文体、そしてその発想のすべてだったりするワケなのであります。(←てな文体で書かれている)

 現在文章ってヤツは激しく日常会話と同レベルで、会話調で書かれていたりする。明治時代の文豪が「言語一致運動」などと言って、平易な文章で多くの人が楽しめる文体で文章を書こうなどと考えていた時代を怒涛のごとく突き抜けているのだな。
 私の文体は、恥ずかしい事なのだが、かなりのパーセントで「椎名誠」氏の昭和軽薄体などと言われる文体に影響を受けている。この文体は多くの文学者にとっては「軽薄」だったり「浅はか」だったりするのだが、読みやすい。いわゆるしゃべり言葉に近い文体と言う事になる。
 でもこの文章を黙読ではなく朗読してみると判るが「なのだ」などと言う語尾は現実的に考えると、かなり恥ずかしいのだ。
 そんな風にしゃべっているのはバカボンのパパぐらいなのだ。その意見に反対の賛成なのだ、国会で青島幸男が決めたのだ。

 そんなワケで「なすびってヤツ、実は才能あるんじゃねぇの?」などと思ってしまったのだ。
 でも本は買わなかったけどさ。

PS
 なすびって、電波少年のオーディションで突然決まった様な始まり方だったけど、なんか最初からなすびに成るって事が仕組まれていたくさい。
 なすびと言う芸名もあの直前にきまったらしい(元々「覇王樹/さぼてん」と言う売れないお笑い二人組の一人で、それ以前は本名で活動していた)なんせ本名のタレントの場合、懸賞で名前を書いた時に懸賞側にバレてしまう可能性がある。
 でもって、最初から日記を書かせている事から、それ以前から「文章の書ける人」と言う人選をされていたと言う噂。

PS.2
 なすびって完璧に無名のタレントで、それ以前はダウンタウンの番組に大勢の新人お笑いとして出た事があるぐらいに言われている。
 でも、1年ぐらい前に西城秀樹がやっていた男性用カツラのCMで、ベッドの中で寝ぼけて西城秀樹の説明を聞いていた、顔が長くてむさ苦しい男って・・・・なすびだよね?
1998年9月8日(火曜日) 卑屈な買い物
 先日、友人宅に遊びに行こうとした時に、ちょっとお土産などを考えてその道沿いにあった例の食べれるしゃべれるなんて言う、店内でハンバーガーなどのファーストフードも作ってくれたりするコンビニに立ち寄った。
 そこで、友人宅に電話を入れて「夕飯は終わった」と言う事を確認して、自分の夕食用のハンバーガーなどと共に、友人の家族は子供も含めて5人家族だったりするので6個、新メニューとうたっている「プリンアイス」と言う物を購入する事にしたのだ。
「えっとね、プリンアイスを・・・6個」
 とレジにいたおばちゃんに注文を入れた。
 するとおばちゃんは少し険しい顔をして「6個・・・ここで食べていくの?」などと聞き返してくるのだ。
 今、このコンビニの中には僕1人しか客はいない。ここで6個注文して「とぉぉりゃぁぁぁ!」のかけ声と共に一気に6個食べたとしたらそりゃ凄い事なのだが、さすがにそんな事は出来ないのだ。
 当然ながら「いえ、持ち帰りですけど」などと答えた。
 ま、いわゆるファーストフード系の店にありがちな「応用が利かないマニュアル的な接客」言うヤツだと思ったのだ。
 客に対して、ここで食べるか、持ち帰るかを聞かないとパッケージをどーするのか?と言う判断が出来ないために「とりあえず聞く」と言うことになっているのかも知れない。
 あるいは豪の者がいてまさかと思える「アイス6個一気食い」みたいな事をしてしまう人もいたりするので、聞かないといけない。と言う事になっているのかも知れない。
 確かに、その後で商品が出てきた時にアイスが倒れない様に紙で出来たスタンドなんかにセットして袋に入ったアイスになっていたので「持ち帰り」と聞いて、何も考えずに次の作業に移れるのだとは思うが
 ま、なんでもマニュアル化されていないと仕事が出来ない、応用の利かない人々は困ったもんだななどと思っていたのだ。
 しかし、そのおばちゃんは続いて「持ち帰るってどのくらい時間かかるの?」などと聞いてくるのだ。その聞き方ってのがどーもマニュアル的ではない、いたって素の状態の聞き方でちょっと「おいおい接客の時の聞き方ってのがあるだろ?」などと思ってしまったが、いわゆるサーティーワンアイスなどにあるように持ち帰りの時間によってドライアイスの量を調整してくれるというのだと思って、だいたい5分ぐらいの所だが「えっと・・・10分ぐらいです」などと少し多めに申告したのだ。
 「10分ってねぇ、このアイス溶けちゃうよ、それでもいいの?」などと突然おばちゃんは、アイスを買おうとしている私に向かって意見を述べたのだ。
 「それでいいのの?」って言われても、すでに買おうと思っちゃったワケで、現にこうしてここで注文しているワケだし「じゃ辞め」などと意見を撤退させる必要性もないと思ったのだ。
 しかし、おばちゃんはプリンアイスを6個も注文した不振な男を邪険な目つきで見て「このアイスって他のとちがってすぐ溶けちゃうんだよね、10分なんてとてもじゃないけど持たないよ。それでもいいンならいいけどさ」などと、どー聞いても「買うな」と言わんばかりの接客態度だったの。
 うぬぬ、しかしハッキシ言って私はアマノジャクなのだ。
 人にダメと言われたら意地になってもやってしまったりする。GOと言われればSTOPなのだ。YESと言われればNOなのだ。HELLOと言われたらGOOD-BYEなのだ。もっともっととか、まだ行っちゃダメとか言われても「だっだめだぁぁぁ」なのだ。
 と言うワケなのだが、僕は反骨精神を持ちながら「はぁ・・・いいですけど」などと間抜けな対応をしてしまうのだな。
 おばちゃんはさらに追い打ちをかけるかの様に、アイスを厨房に作りに行きながら、ことさら低い声で「こないだも、買って帰った人から溶けちゃったって苦情が入ってねぇ、その辺は了解してもらうからね」などと、何故か客が卑屈になるしかない様な状況を作り上げられてしまうのだ。
 僕は「ど・・・どもすいません、いえいえ、けっして苦情などは致しませぬので、どうかお売り下さいませ」などという感じで、その場にひたすら恐縮しながら立ち尽くすしかなかったのだ。
1998年9月9日(水曜日) 犯行のきっかけ
 なんか、どーしょうもないくらにアッチコッチで毒物混入事件が発生している。
 自己が確立してないおかげでブームにのりやすい国民性だと言うのはずっと思っていたが、ここまでブームになってしまうとなぁ。やっぱしブームに乗り遅れちゃいかんと言うわけで自分も何かをしなくては!と焦って、手元にあったミネラルウォーターのペットボトルの中に白く濁った液体を混入して・・・・カルピスを作って飲んだりする。
 まったく、ニュースでフォローしきれないほどの毒物混入事件が発生して、中には当然のごとく「おたくで買った飲料の中に毒が入っていた」とか言って慰謝料を要求したりするトンチキも出てくる。

 うーむと思ってしまうのだ。
 今から21年前、時代はピンクレディーがヒット曲を連発していた頃。
 1月、東京の品川の公衆電話の中に置き忘れてあったコーラを飲んだ人が死ぬと言う事件が起きた。その混入されていた毒は青酸カリで、その後も同様の事件が起こった。
 2月、バレンタインの時期に、どこかに置いてあったチョコレートを食べた人が・・・・
 その後もときどき思い出した様に同様の事件が起こった。
 その結果、オロナミンCはキャップを1度開けたら2度と閉まらない現在のタイプに変更した。
 自動販売機は取り出し口の所に商品がある時はライトが付くように改良された。
 そんなワケで突然出てきたタイプの事件ではなかったりする。

 そんな中で長野のスーパーで起こった毒入りウーロン茶事件なんだけど、今回多数起こっている毒事件の中では和歌山県のカレー事件と並んで、死者の出てしまった悲惨な事件になってしまった。
 その犯行方法はウーロン茶の缶の底にキリみたいな物で穴を開けて毒を注入し、その跡をボンドみたいな物で塞ぐと言うものだった。
 犯人が細工をし易いペットボトルではなく缶を選んだと言うところがうむうむと言う感じだったが、もし犯行におよぶとしたら、そーゆー方法になってしまうだろうな。と思っていたのだ。
 が、その事件の翌日のニュースでは「推理作家の北村薫さんの作品をヒントにした犯行」などと言っているのだ。どうも「小説模倣犯」という話の展開のさせかたはどっかの新聞が一番最初にそーゆー事を書いて他のメディアも「そーかそーか、そんな小説があったのか」などと飛び付いてしまったのだと思う。
 しかし、たぶん90%以上の確率で北村薫氏の作品は参考にされていないと思う。
 北村薫氏の作品は、そのニュースでうんぬん言われていた作品では無いが、数冊読んだことがある。

 この「○○に影響されて」というフレーズはニュースやワイドショーではお馴染みで、いわゆる普通の神経では起こせないような悪戯半分で起こした様な物、猟奇的な物、などが起こった場合に持ち出される。
 つまり、不可解な犯行に理由付けをしたいと思ったりするのだ。その犯行に至るまでの経緯として意味付けをしたいと思ったりするのだ。
 いぜん起こった事件でも「ホラービデオの影響」などと言われ、ホラー映画が全面的に悪役にされた事がある。
 僕は別にホラー映画擁護派ではない。ハッキリいってスプラッター系の作品はまったく精神的に受け付けない。
 でも、そのマスコミなどの安易な理論付けの持って行き方にうんざりしちゃうのだな。

 しかしビックリしちゃうのは、これだけ連日TVや新聞や雑誌で「毒入りジュース」などの話題が騒がれている時なのに、自動販売機の中に忘れたジュースがあったからと言って飲んで「気持ち悪くなった」などと病院に行っちゃう人がいるという事実だったりする。
 子供の頃「拾い喰いはいけないよ」って教わったのだ。
1998年9月10日(木曜日) あふれているCD
 突然、CD棚の整理を始めた。
 前々から何とかしなくてはイカンとは思っていた。
 CD棚が完璧にグシャグシャになっていたのだ。いぜん、部屋の模様替えをした時にCD棚を移動しなくてはいけない時に、そのCDをいったん全部出して、棚を移動して、CDを棚に収納した。
 その時は、それ以外にもなんとかしなくてはいけない物が大量にあったので、CD棚の中のCDは適当にでたらめに入れたという状態だった。
 ローリングストーンの隣に斉藤由貴があって、その横にモッズがあって、さらにスィングアウトシスターズ→加川良→オスカーピーターソン→東京少年→KUSUKUSU→岡村靖幸→マリリンモンロー→トニー谷→m.c.A.T→鈴木蘭々→東京ビートルズ→キャラメルママ→フェアグランドアトラクションがあって・・・と、ジャンルも何もあったもんじゃなかった。
 元々ジャンルで音楽を聴いているワケではないが、やっぱイザ聞きたいと言うときに取り出しやすい並べ方ってヤツがあると思う。
 そーゆー状態にしないといかんいかんと思ってしまったのだ。
 なんせ、CDがスチール製の普通の本棚2個分からあふれ始めていると言う状況なので整理をしないと探すだけで大仕事になってしまうのだ。
 枚数ももう数えていないが、5年程前に500枚以上あった。
 ここ数年は残業も少ないので無駄な捨てCDは買えないが、いまだにワシワシとCDを購入している。
 今月もまだ半分しか行っていないが覚えているだけで4枚買った。あぁ道楽者。

 時代がCDになってから今年で10年経つが(CDの売り上げがレコードを越えたのが1988年)そんな関係で、この10年間の自分の音楽遍歴がここにはある。
 それ以前もアナログレコードを買っていたが、CD時代になって拍車がかかってしまった。
 ハッキリ言って凄く恥ずかしいCDが無いわけではない。
 時代的にイカ天を中心にしたバンドブームってヤツの頃のCDも大量にあって、かの短命に終わった『イカ天レーベルCD』なんかも数枚ある。なんせ原宿のイカ天ショップまで行って買ってしまったと言う恥ずかしさだったりする。(ちなみにこのとき、女性ロックグループのNEWSに遭遇してしまった。凄くカッコよかったっす。)
 あとはアイドル系のCDなんかもある意味で恥ずかしい物があるが、ヒットしたアイドルだったらそれも「あったよね」で笑ってすます事が出来るが、その時代に置いてもマイナーだったアイドルのCDなんかは恥ずかしいアイテムとして燦然と輝いてしまったりするワケっす。ここに名前を列記するのさえためらってしまう程だったりするワケっす。
 とにかく音楽に快楽だけを求めている