杉村ぐうたら日記(1998年10月1日〜10日)

▲1998年10月1日:木曜日:季節の無い町に生まれ・3
▲1998年10月2日:金曜日:テンガロンハット
▲1998年10月3日:土曜日:ラジオに出た日
▲1998年10月4日:日曜日:いままさに!
▲1998年10月5日:月曜日:UFOコンタクティ
▲1998年10月6日:火曜日:名刺
▲1998年10月7日:水曜日:洗脳名人
▲1998年10月8日:木曜日:ショムニ再集結!
▲1998年10月9日:金曜日:なんかとてつもなく忙しい
▲1998年10月10日:土曜日:体育の日だね
1998年10月1日(木曜日)季節の無い町に生まれ・3
 いや〜ぁ、ぼけぇっとしていたり、激しく忙しい生活をしていたり、ふりかえって見ると何もやっていなかったと言う日々を送っていて、気が付くともう季節は『衣替え』なんつー時期になってしまったのね。
 通勤途上の唯一の心の拠り所・オアシスだった夏服の女子高生とも半年のお別れなのね。などと意味もなく、秋めいてきた空気にセンチメートルになってしまうのだ。
 そんなワケですっかり衣替えの時期を迎えてしまうと、どーごまかしても季節は秋から冬に向かっているって事になっているのだ。悲しいけれど。
 あぁ秋かぁなどと思うのだが、どーも自分の生活の中で季節を感じるっつーテーマが出てくる場合、そのベクトルは著しく「食い物」と言う方向に傾いてしまうのが悲しい処なのだな。
 ま、読書の秋っつー言葉もあるが、私の場合それじゃ年がら年中秋っつーことかい?てな感じなのだ。しかし食欲の秋っつーテーマで語る場合にも、私の場合年がら年中秋っつーことかい?てな感じにもなってしまうのだ。
 いかんいかん、何でもおいしく頂けるのは有り難い事なのだが、メリハリって物があるだろ、と言う意見が多数寄せられてしまうのかも知れない。
 じゃ、秋は恋愛の季節なのだ!と意気込んで見た処、恋愛の季節って云われても、どーも物語的に秋ってのは「別れる季節」と言うイメージが多いのだ。うーむ。
 そんな事でじゃ恋愛において出会いの季節と云うのはどこを指すのだ?と考えてみると、どーも冬のクリスマス辺りを連想しれしまうのだが、よーくクリスマスの曲を聴いていると、最近のポップスクリスマス曲の大多数が「別れる歌」だったりする。結局、クリスマスの日は悲しくひとり部屋で売れ残ったケーキを半額で買ってきて食べる日と云うことになってしまうのかも知れない。
 2〜3月はどーかと言うと、バレンタインというラブラブ大爆発のシーズンがあるのだが、そのすぐ先には「卒業式」と言う最大の別れイベントが待ち受けている。
 うむうむ、やっぱし春から夏と言うのが恋愛ラブラブ光線ビシバシな季節だと言う感じがするのだな。でもって夏でどーにでもしてぇぇぇと言う状態になって、秋を迎えて夢から醒めてしまうという寸法になっているのだな。そーかそーか、てぇことは秋はラブラブ恋愛の季節ではないと言う事なのだな。

 なんかワケの判らない事を考えていますが、とりあえず衣替えの季節でありまして、我が職場にもそーゆー季節がやってきたのであります。
 と云いつつ、不思議な事に自分の務める職場は、夏の暑い時期は厚手の長袖の冬服を着て、冬の寒い時期は薄い半袖の夏服を着るというワケの判らない状況があったりするのであります。
 夏の暑い時期はクーラーをがぁぁぁんとかける為(基本的にはコンピュータ等を冷やす目的)に寒くて冬服を着、冬の寒い時期はヒーターをぶびゅぅぅぅぅとかける為に熱くて夏服を着るという、季節逆転現象が起こってしまうのであります。
 あぁあちぃぃぃぃ。

 そんなワケで仕事中は季節感が全然なくなってしまうのですが、さらに仕事で学習雑誌なんかをやっている場合はひどい事になる。

 よく雑誌なんかは、10月に11月号が発売されたりする。しかし普通は11月頭に12月号が発売されたりするけど、フライング気味の雑誌は10月の終わりに12月号が出たりする。
 でもって12月号と云ったら当然「クリスマス特集号」と言う事になる。ハッキシ云って12月の1日でも「クリスマス」と言うムードではないと思うが、それでも10月終わりからクリスマスなのだ。
 と言う事は編集をやっている人の場合、10月の初旬からクリスマス一色になってしまうのだ。
 と言う事は、原稿やイラストを書いている人の場合、9月の段階からクリスマスになっていたりするのだ。
 まったくもってデタラメだったりする。
 そんなワケで、実際のクリスマスがやってきた時は、もうすっかり仕事は「卒業入学特集」桜の季節になっていたりするのだ。

1998年10月2日(金曜日) テンガロンハット
 雑誌を見ていたら「今、渋谷ではテンガロンハットが売れている」などと書いてあった。
 その記事には「さすがにちゃんとかぶっている人は少ないが、背中に背負う形でファッションアイテムとして使用している例がある」などと書かれていた。
 うーむ、テンガロンハットかぁ
 いわゆるアメリカの西部劇なんかでカウボーイなんかがかぶっている帽子の事なんだけど、売れてますかぁ。  でもって、その雑誌なんかでは女の子がキュートなセクシーさを演出する為に使用して「カウガール」などと言っているなどと書いて合ったのだが、セクシーっすか?
 そんでもって「牛少女」っすか?西城秀樹の「聖少女」とかだったら、何となく覚えてしますが・・・あれって拓郎作曲だっけ?たしかリリースした時に「僕の音楽はポップスでもロックでもない『ポップンロール』です!」などと恥ずかしい宣言をしたのを覚えている(←ワンポイントメモ)。

 なんか渋谷でファッションリーダー的なコギャルが始めたのがきっかけだとか云っていたが・・・。
 そんなのウルフルズのトータス松本が前からやっていたよねぇ。ついでに、みうらじゅんの「ブロンソンズ」とかもやっていた。
 でもって、たぶんブレイクのきっかけは今年の春に織田祐二がやっていたドラマの主人公なんじゃないか?とか思ってしまうのだ。九州だかの牧場から出てきた青年がトレードマークとしていつもテンガロンハットを被っていたのだ。
 普段着の時も、スーツの時も。
 でもって織田祐二が番組が始まった頃、笑っていいともだかに出演して「今時、町中でこんなの被っているヤツいないって」と云って会場を爆笑の渦に巻き込んでいた。
 それから約半年、出て来ちまったか・・・・。

 しかし、あの手の帽子ってじゃまになるんだよねぇ
 田舎の子供は麦わら帽子で経験済みっす。
1998年10月3日(土曜日) ラジオに出た日
 ひょんな事からラジオに出演する事になってしまった。
 と言っても、ごく限られた三島を中心にした地域のコミュニティFMと言うヤツだったりする。
 自分では「緊張しちゃうかなぁ」などと思っていたのだが、拍子抜けする程緊張感もなく、放送中に音がしないからと云ってデジカメでスタジオの中を撮影しちゃたりしていた。
 番組名は「ネットジャム」と言うもので、基本的には『インターネットで遊ぼう』的な番組で、初心者でもインターネットは怖くないと言うタイプの事を話したり、最新のコンピューター事情などを話したりする番組だったりする。
 しかしだなぁ。こーして現時点でインターネットでHPを作って、日記なんかを公表している私なのだが、そのベーシックに流れている物は果てしないほどアナログだったりするので、どーしよーかなどと思ってしまう部分もあったりする。
 色々な人に出て貰いたいから、などと云われたのだが・・・・。

 打ち合わせが3時からだったので、それより少し早く行く。と、そこでパーソナリティのウッチーこと内山女史と猫丸氏が打ち合わせをしていた。
 それ以前に数回顔を合わせているので、これと云った緊張感もないのだが、あまりに緊張感がなく、1時間後に始まるハズの番組で何を喋ろうかなどと云う打ち合わせが全くないまま雑談が進んでいく。
 その時、小さな丸いカステラを薦められたので一口・・・かなりパサパサしていて、口の中がパフパフになってしまったのだ。おいおい、これから喋ろうってヤツを喋りにくくしてどーする気だぁぁと思ったところ、「こんなお菓子どーですか?」などと、ラムネ菓子を出してくるのだ。
 うぬぬぬ、これってひたすら口の中をパフパフにさせる為の作戦なのか?

 メールと電話では会話した事のある橋本編集長と初対面を果たす。

 そんなこんなで、全くと言っていいほど打ち合わせもないままスタジオ入りしてしまうのであった。
 この時点で「何を喋ればいいのだ?」状態で、完璧に相手が振ってきた話題をいかに拡げられるか?と言う勝負になってしまったのだ。うむむ、杉村試練の時なのだ。

 番組の前半は、インターネット上にある掲示板に書き込まれた文章を紹介したり、最近のコンピューター事情を猫丸氏が話したり、初心者がインターネットにどう参加していくか?等という話題で進んでいく。
 そして30分経過後ゲストコーナーになるのであった。
 しかし、ここでプロと云う物を1つ見せてもらえたのだ。番組直前までまったく関係ない話題でワッハワッハ盛り上がって、番組の始まるジングルが鳴っても、ワッハワッハ盛り上がって、と始まってカフ(マイクのボリューム切替機)を上げた瞬間に笑いを止め「こんにちわ!」とまったく違う声で話し始めるのだ。
 まったくもって、エメーら信じられねぇよ。と言う状態だったのだ。

 「ゲストコーナ〜ぁぁぁぁぁ!」と云うことで私が後半参加し、無駄なしゃべりをダラダラとやらかす。
 打ち合わせほとんど無しだったが、ここで日頃日記を書いていると云う事が役に立ったりしたのだ。つまり、色々な方面に対してネタが存在していると言う事なのだ。
 おぉ、そうだったのか。

 おかげで喋り始めた時に自分の中で「このネタはこう展開して、こー進んで、こっちのネタにも絡ませて」などと瞬時に色々な物語がつながっていくのだが、時間的な余裕で「ではここで曲」等という状態になってしまうのだ。
 うむむ残尿感が残る。
 たとえばこのFM局が出来たばかりの頃の話で(たこやき便りにも書いた)リスナーから「友達に赤ちゃんが誕生したのでリクエストします」と言う事で、赤ちゃんに関係した曲を2つ書いたファックスが届けられた。しかし開局して間もないFM局には曲のストックがなく、結局パーソナリティの女性の選んだ曲をかける事になった。
 その曲が「ビートルズ・エリナリグビー」だったのだ。
 が、その曲の詩と言うのが「寂しく死んでいった人の話」だったりするから、かなり問題あるんじゃないの?と言う状態だったのだ。
 と、話した処で、曲に行ってしまったのだ。
 実はそこからもう一つつっこんだネタもあった。
 今から10年以上前の話になってしまうんだけど、かのダイアナ&チャールズがまだ熱々(少なくとも表面上は)でスキャンダルなど全然無かった時代に来日したことがあった。その時、フジTVのニュースで二人がパレードで微笑むシーンのBGMとして、これまたビートルズの『フールオンザヒル』をかけたのだ。
 これって・・・・直訳すると「丘の上のバカ」で意味を考えると、偉い人を皮肉った歌だったりする。
 知っていてかけたのか・・知らずにかけたのか・・・・

 等というネタも考えたのだが。

 最後の最後は、その次の週から始まるバラ祭り(フリーマーケット)の宣伝をして終わった。
 なーんか、あっけなかったなぁと言う印象なのだ。約30分の出演だったが、あれも云いたいこれも云いたいと言う感じだった。
 ま、30分とはその程度の短さなのだなぁ

 しかし、ラジオを聞いている人は全然気が付かなかったと思うが、本番中に私はデジカメでパーソナリティの二人&橋本編集長を撮影していたり、スタジオ見学しにきてガラスにべったり張り付いている子供を中から撮影したり、かなりリラックスしずぎていたのだ。

 課題:緊張感も必要だ
1998年10月4日(日曜日) いままさに!
 昨日の夜中、この先の11日に行われるフリーマーケット&バラ祭りってヤツの準備で、チケットを地味に製作したり色々していた。
 「あぁ疲れたなぁちょっとひと休み」と思って、ベッドに腰掛けただけのつもりが、気が付くと朝になっていた。
 そして付けっぱなしのTVの中ではアナウンサーが興奮気味に中継をし、ヘリコプターの音がブワンブワンと激しく響いていた。
 「な・・・なんだ?」と思いつつ、ベッドサイドにある目覚まし時計を見ると『6:20』おいおい、今日は日曜日だろ?いったい何があったっていうのだ?
 と、ボケた頭を回転させながらTVの画面を見た。
 そこには2カ月に渡って騒がれている、和歌山の新興住宅街が映されており、その画面の中では大量の報道陣がカメラを構え、大量の捜査員がとある民家に突入していた。
 その映像は今から数年前に見た「オウム真理教強制捜査」の時とほとんど同じ状態だった。防毒マスクをしていないってぐらいで、かなり重厚なムードで突入していたのだ。
 しかし・・・・・こんな朝早くから大々的な中継で各局が(NHKまでもが)大騒ぎする程の事件かね?などと思ってしまったのだ。たしかに例の毒物混入事件につながりそうな感じなので、注目に値するのだと思うけどさ。  僕はぼーっと見つつ、チャンネルをリモコンでカシャカシャ切り替え「それ以外のニュースをやっている局は無いかな?」などと思っていた所、某局のニュースで「アメリカが遂に不況宣言をして、世界的な恐慌時代に突入した」と言う、かなりヘビーな話題をやっていた。
 おいおい、本当かよぉこれから経済はどーなっていくのだ?
 と、かなりビビってそのニュースに聞き耳を立てようとした所、「それでは和歌山の現場から新しいリポートが入りましたのでカメラを切り替えます、和歌山の田中さん、現場の様子はどうでしょうか?」などと、突然そっちのニュースにシフトしてしまったのだ。
 和歌山のあの夫婦が世界恐慌に勝ってしまったのだ。
 日本という国はノンキで平和で自分の足下を見れない国なのだな。

 しかし今回のTV中継で気が付いた事がある。
 確かに連日報道されていた事件の大きな前進だから興奮するのも分からないでもない。が、アナウンサーの口調が(特に男性アナ)ほとんど古館伊知朗が打ち立てたアドレナリンが逆流している状態のプロレスの実況中継と同じテンションなのだ。
 「いままさに和歌山県警のパトカーに犯人が乗り込むところであります。その不吉な笑みを浮かべた顔はいったいどういう意味なのでありましょうか!」
 うーむ、プロレスのテーマでも流れて来そうだな。

PS.
 それから2週間、どのニュースもトップニュースがこの事件関係だった。(ニュースステーションもニュース23さえも)
 日本は相変わらず平和だねぇ

1998年10月5日(月曜日) UFOコンタクティ
 TVでいわゆるUFOとの交信が出来ると言うコンタクティの人が出ていて、奇妙な「宇宙共通語」なる物を話していた。
 でもって、あと1年以内に大洪水によって地球のほとんどの土地が水没してしまうので、安全な高い場所に避難しなければいけないと言うことを説いているのだという。
 ま、いわゆるノアの方舟の焼き直しの話なのだが、それを熱く真剣に語る夫婦とその協力者が出ていた。
 かのノストラダムスの予言によるハルマゲドンの日まで1年も無いので、こんな人々が大勢出てきて最後の荒稼ぎをするってのは、前々から予言されていた事なのだ。
 そのTVに出ていた宇宙共通語とか言う言語を話すと言う女性と共に、これまた宇宙人話にどっぷりと浸かった夫も出てきて熱く語り尽くすのだ。
 これが矢追純一なんかの番組だったら、無責任に恐怖心をあおるだけ煽っておいて「これを信じるのはあなたの自由だ」などとオドロオドロしいナレーションを入れて終わったのだろうが、この手の番組にもかなり食傷ぎみの現代では「そーゆー人を笑う」と言うコンセプトの元に番組が企画されている。
 とりあえず「宇宙人信じる派」と「宇宙人信じない派」に別れて議論すると言う構成になってはいたが、どー考えても「宇宙人をまじめに信じているトンチキを馬鹿にする」と言うのが趣旨になっている様にしか見えなかったりするのだ。
 その中で、いわゆる「信じている」と言う人はみじんも疑問を抱かずに、信じていない人に対して「何故真実に耳を傾けないのか解らない」と言う状態で、熱く語っているのだ。
 これはもう完璧に新興宗教にハマった人と同じ様な感じだったりする。
 しかし、これは一種の偏見なのだろうが、その手の宇宙人を信じているとか熱く語っている人と言うのが、揃いも揃って『貧乏臭い』と言う事が疑問なのだ。ついでに、よけいなお世話で言わせて貰えば『服装のセンスが悪い』と言う事も共通しているのかも知れない。

 ま、そんな事に熱を上げて仕事も熱心にはやっていないだろうし(地球の危機を伝えるのが使命だと云って、日本中を宣伝カーで回っていたらしい)金は無いだろうな。  ついでにその番組ではNASAが撮影した火星の表面写真にいわゆる「人面」そっくりの山があった事から、火星人が存在する」「火星には知的生命体がいる(あるいは、かつていた)」と力説する人々が出ていた。
 でもって、この岩を別の角度から撮影した写真も実はNASAに保管されている。NASAは火星に知的生命体が存在する事を隠蔽しようとして、他の写真を隠しているのだ。
 うーむ、他の写真を隠蔽するのならば最初の写真も公開しなかったと思うのだが。
 そんでもって、火星に知的生命体がいる事を秘密にする必要がどこにあるのだろうか?

 話は最初の物に戻るけど、宇宙人が存在してもおかしくないけど、なんでその超科学を持ち得る宇宙人が国家レベルでコンタクトを取らずに、世間にさほど信用されていないような人とコンタクトを取ったりするのだろうか?
 たとえば、地球人がこれまで何度も他の惑星に住む人々とコンタクトを取ろうとして電波をとばしたり、無人探査船(メッセージ入り)を飛ばしたりしていた様に、向こう側の宇宙人もこっちに対して普通のコンタクトを何故取ろうとしないのだろうか?
 火星に実は知的生命がいる!と力説する人は「火星の地面の中には地球側から見えないように潜んでいる高度な文明を持った知的生命体が存在する」などと云ったりする。何故隠れてコソコソしなきゃいかんのだ?
 もし火星に生命がいると判ってしまったら、地球人の事だから攻め込んでくるに違いないと言う事から、地球人が円熟するのを待っているなどと、ワケの判らない事を云う人もかつていた。
 うーむ、どっか近くの惑星にこれから文明を築きそうな生命体を発見した時は、地球人もその惑星の生命が円熟するまで隠れなくてはいかんのか?

 宇宙人!いるのなら堂々と出て来やがれ! 

1998年10月6日(火曜日) 名刺
 とある営業の人はビジネスがらみで初対面の人から名刺をもらった場合「すいません、部長にも渡したいのでもう1枚もらえますでしょうか?」などと言って、2枚名刺をもらうそうなのだ。
 これは、1枚だと何かのきっかけでもらった名刺を使っている可能性もある。2枚(複数枚)持っていると言うことは信用に値すると言うことらしい。
 しかし、最初からだますつもりで嘘の名刺を作るって事だってあると思うのだが・・・・。
 そんでもって、ある程度フリーランスな仕事をしている人の場合でも名刺を持っているのと持っていないのとでは、格段に扱われ方が違うと言う。
 つまり名刺を持っている方が信用に値すると言うのだ。

 日本の場合のビジネスシーンはそんな感じに動いている。
 人によっては「他人様から貰った名刺を何枚もっているかがその人間の仕事の大きさを測るバロメーターなのだ」などと言ったりする。うーむ、そうなのか・・・・。

 聞いた話だが、海外でも日本人を証明する時に「名刺」の効果は絶大だそうで(と言いつつ最近はアメリカの人でも名刺を持っていたりするけど)某大学教授がフィリピンへ行ったときに、名刺をケースごと向こうへ忘れて来てしまったらしい。
 それから約半年後、何故かその名刺が歓楽街に大量放出されてしまい、フィリピンのその地域でその大学教授の名前はスケベの代名詞になっていたそうなのだ。

 私も仕事用の名刺を持っていたりするが、あんまし使用していない。
 そんでもって他の社員も入社したのと同時に箱で支給されたりするのだが「俺、最初に貰った時にうれしくて同期入社のヤツと名刺交換ゴッコをしたっきり、5年の間、1枚も使ってないや」などと言う人が多い。
 うむむなのだ。
 最近、本職以外の仕事でも色々な人にあう機会が多くなって「名刺&携帯電話を持て」と周囲から何度となく言われていたりする。うむむ、携帯電話は来年の11桁になってから持とうかななどとは思っている。
 そんでもって、名刺はそーんなに1日に何十枚も使うわけではないので、手書きイラスト入り一枚一枚真心を込めて書いています。と言う名刺にしようかな?などと考えている。
 しかし、丹精込めた手書き名刺より大量に印刷した名刺の方が、信頼があるんだろうなぁ、なんか変。

1998年10月7日(水曜日) 洗脳名人
 ある日、朝食の食卓上で我が家の母親が何やら怪しい物を製作し、それをぐるぐるかき回したかと思うと有り難そうに飲み干したのだ。
 一呼吸置いた所で「これって体にいいんだよ」などと言い出すのだ。
 ベースは牛乳で、その中にキナコだとか、黒蜜だとか、ゴマだとかをふんだんに入れた物だと言うが、その不可思議なグレイに濁った液体を飲む勇気は無かった。
 ま、その飲料を構成している物体のそれぞれの味は既に学習済みなので、だいたいこんな味なんだろうな、と言うのは予想が付くのだが、やっぱし牛乳は単純に牛乳として飲みたいし、ゴマもキナコも黒蜜もオーソドックスな場面で出てきて欲しいと思ってしまうのだ。
 そんな奇怪な飲料をその後、数週間に渡って飲み続けた母は、健康になったのかどーなのかよく分からないが、またしてもある日、オクラとほうれん草と鰹節と・・・不可思議な食物を食卓上に出現させて「これって体にいいんだよ」などとにこやかに言い放つのであった。

 私にはすべて解っている。
 我が家の母親が、そのようにある日突然得体の知れない食物を製作して嬉々としながら食する理由と言う物が、何なのかよーく解っている。
 その原因のすべては「みの」にあるのだ。
 あの昼の健康増進番組の司会をしている「みのもんた」に全ての原因があるのだ。

 あの番組で「これが体にいい!」とみのが発言した途端に主婦はスーパーに走っていって、その番組で特集をした食物を買いあさるというあの恐ろしく影響力のある啓蒙洗脳番組だったりする。
 かの「モロヘイヤ」なんつーエジプト原産だかのなじみの薄かった野菜をあっと言う間に世間に浸透させた原因もこの番組にあったのだ。
 しかし毎日毎日やっている番組で、そー毎日「モロヘイヤはいいですよ」と言い続けるワケにも行かない。そりゃ、いくら主婦が絶対の信頼を置いた啓蒙番組だとしても、毎回毎回違うネタを打ち出して行かなければいかんのだ。
 そんなワケで、あっと言う間に浸透したモロヘイヤだったが、あっと言うまにそのブームも消滅してしまったのだ。

 しかし、我が家の母の例を持ち出すまでもなく、このみのの影響力は計り知れない物があるのだ。
 噂では(あくまでも噂っすよ)健康食品関連の会社が自社商品を売り込みにかなりの数みのの元へ参拝に訪れていると言うのだ。もちろん数々の利権がそこには・・・・(あくまでも噂)

 しかし、健康関係の話と言うのは人によっては逆の話をする場合もあって、先日も母親が「梅干しってのは塩分が多すぎるから1日1個が限度だってさ」などと言って朝・夕に1つの梅干しを半分づつ食していたのだ。
 が、突然ある朝「梅干しっての色々なミネラルが含まれていて食べれば食べるほど体にいいんだってさ」などと、数日まで言っていた事をすっかり忘れたかの用にバクバクと食べていたりした。
 またある時は「卵ってカロリーが高いから、1日1個が・・・」
 そして数日後「卵に含まれる酵素って体にいいから食べれば食べるだけ・・・・」
 もう何も言うまい。

 しかし、最近、みのの番組以外でもすごく「健康」と言うテーマの番組が多い。
 そしてその前では誰でもが無力な子羊になって、有り難いお言葉に耳を傾け洗脳されてしまうのかも知れない。
 うーむ。

1998年10月8日(木曜日) ショムニ再集結!
 今年の春頃に放映されて、好評だったTVドラマシリーズの『ショムニ』がスペシャル版になって帰ってきた。
 というのは、春の放送が終わった時点で最終回のラストのラストに「今秋スペシャル版放映決定!」と言う告知がどどーんとされていたので、うむうむ、と言う感じなのだ。
 ついでに映画版も製作されるという・・・・が、こっちの映画版はTV版と出演者が全然違うワケで、はっきり言ってこのショムニと言うドラマが脚本以前に出演者の配役の妙と言うヤツでうけていたのだと思うので、まったく違う配役と言うのはキツいと思うのだな。
 なんせ江角マキ子→高島礼子ってのは無理がある。京野ことみ→遠藤久美子と言うのも「地味」「派手」でかなり無理がありそうなのだ。
 もっともこの配役を変えると言う理由の舞台裏には、それぞれが忙しいので再び全員のスケジュールを抑えるのには無理があると言う物があったらしいのだ。
 確かに、ショムニのメンバーはそれぞれが主役を貼ることの出来る女優だったりするのだ。
 江角マキ子を始めとして、京野ことみ・戸田恵子・桜井淳子・高橋由美子・宝生舞のショムニのメンバー&戸田菜穂などなど。
 私はこのドラマが始まった時にTVガイド誌に書いてあった「OLの墓場と呼ばれるショムニに集まった・・・」と言う宣伝コピーを読んで「それぞれがピンで主役を貼った事のある女優の墓場」などと、かなり意地悪な事を言ったりした。
 ハッキシ言って「十把一絡げ」と言う印象を受けたのだ。
 が、結果としてそれぞれの女優の演技の幅を広げたような気がするのだな。特にそれまでお嬢様的な役が多かった桜井淳子と戸田菜穂は「男狂い」と「嫌みな女」と言うキャラクターを演じきって、あとアイドルと言う亡霊を引きずり続けている高橋由美子は占いにハマっているワケの解らない役で新境地を開いた。
 なかなか、それぞれにとって意味のあるドラマだったのかも知れない。

 でもってその「女優の墓場」などと称したドラマのスペシャル版が放映された。雑誌では江角マキ子が「たぶんこれが最後になります」と言っていた。
 そして、そのスペシャルをぼーっと見ていたのだ。
 あいかわらずのドタバタ話の連続で「ま、最後には水戸黄門的な展開で江角マキ子がじゃーんと何かを言って終わるのだろうな」と思っていたのだ。
 で、物語の前半で京野ことみが「田舎のお父さんが倒れた」と言う事で慌てて帰省してしまったのだ。完璧にこのドラマの主人公でも語り部でも無い状態になってしまったのだ。
 でもって、さらに話が進んで物語りの本題に移る前に桜井淳子は「年に一度の社長の奥様達が会社を見学に来る日なので、社長と出来ているカナさん(役名)が社内にいると危ない」と言う理由で海外出張する事になってしまった。
 つまり、本来は6人いるハズのショムニのメンバーが4人になってしまったのだ。うむむ、と思って見ていたのだ、ふと気が付いてしまった。この4人ショムニの理由が。
 なんと今回途中で抜けてしまった京野ことみ&桜井淳子は、この秋から連続ドラマに出演する予定が入っているのだ。結局、そっちの撮影が忙しいのでショムニスペシャルにはちょい役出演と言う事になってしまったのだ。
 あぁますます「女優の墓場」
1998年10月9日(金曜日) なんかとてつもなく忙しい
 「自由じゃなけりゃ意味がないのさ」
 と、いつぞや見たライブで某アーティストがこう叫び、観客もそれに答えていた。
 確かにその通りで、私の生き方の主流がそーゆーことになっている。誰にも束縛されず、そして誰をも束縛しない。
 しかしこの「束縛」と言うヤツ、言葉で言うと難しいが、結局「自分の考えと違うヤツを批判して、こーしないとイカン!」などと言う事、思う事ってのが束縛だったりすると思う。
 ついつい、自分のポリシーとずれまくっている人に対してイラついてしまうって言うのは、そーゆー束縛の芽なんだと思うのだ。
 基本的に人間は自由でいなけりゃいかん。
 と同時に「他人に迷惑をかけてはいかん」「自分の自由の為に他人の自由を奪ってはいかん」と言う物が大前提にあるような気がするのだ。その辺をわかっちゃいないお子様なメッセンジャーが「自由」を歌っているのはいかんなぁと思う。
 が、その「いかんなぁ」と言う感情を相手にぶつける事は「束縛」に当たってしまうのではないか?などと、ワケの判らない袋小路に陥ってしまう今日この頃の私だったりする。

 なんかね、色々なイベント的な事が自分の回りに多くって、それに対して振り回されているような毎日が続いている。ハッキリ言って、自分の望んでいる「のほほん」な日々とは縁遠くなってしまっているのだ。
 仕事は仕事でキッチリこなして、その後は寝る直前までワシワシと部屋の中で細かい作業やら何やらを続けている。かなりスケジュールびっしりと言う状態で日々をすごしていたりするのかも知れない。
 傍目にはそんな風に見えないのは、私の人徳ってヤツなのかもしれない。だから疲れてへろへろになっていても他人からは「のんきそうでいいね」などと言われてしまうのだ。

 もっとも一生懸命やっているって事をことさらアピールしたり、疲れている、体の調子が悪いなんて事を大げさに言いふらす趣味はない。よく、その手の「俺最近胃の調子が」などと言ってわざわざ目に付くように胃薬を飲んだりする人もいるが、あれってかなりカッコ悪いと思う。
 そんな面倒くさいポリシーのおかげで、体調が悪くてもあんまし表面に出さなかったりする。だから、それが貯まりに貯まって「ばたん」とかなってしまうのだ。
 いかんいかんと思っていてもそれが私のポリシーなのだ。ある意味で自分で自分を拘束して束縛して自由を失っている様な感じなのだが、それが私なりの自由のありかただと思っている。

 面倒くせーぇ

 と言いつつ日々の生活に追われて、日記の更新も完璧に滞っているのだ。いかんいかん。

1998年10月10日(土曜日) 体育の日だね
 やっほーみんな運動しているかい!体動かしているかい!
 僕はすっかり日々の怠惰な暮らしに追われてボロボロさ。どうだいカッコいいだろ!
 じゃぁね!

 と言うワケで、今日は体育の日だった。
 そして町中を車でうろついていると、アッチコッチで音だけの花火(正式名称は何?)がボカンボカン云って、家族連れとか団体の子供たちが歩き回っている。
 あぁ体育の日だ。みんな健康だなぁ
 と思いつつ、私は翌日に控えたフリーマーケットの準備で走り回っていた。
 とりあえず前回のフリーマーケットと開催場所は同じバラ園なのだ。バラって花は春と秋の二度咲いたりするので、こーゆー状態で秋も何かイベントをと云うことでフリーマーケットを開催する事になってしまったのだ。  とは云っても、最初から判っていた事がある。
 秋のバラはあくまでも二次的な物で春ほど盛大ではない。
 そして、この時期は休日毎にどこでもイベントを開催している為に絶対どこかのイベントとバッティングする。と言う事なのだ。
 完璧に客を取り合ってしまうと云うことになるのだ。
 うむうむなどと云いつつ、今回のフリーマーケットは来週から11月1日まで続く、秋のバラまつりの布石&来年春のフリーマーケットの宣伝と言う、プレイベント的な物だったのだ。

 この10月10日って日が体育の日だって云うのは、かの東京オリンピックの開会式の日だった事から祝日にになったのだけど、この日は元々「晴れの特異日」と言うヤツで、気象庁の記録で「とにかく雨になる確立の低い日」と言う事でオリンピックの開会式に選ばれたのだと云う。
 そんな特異日は今でも有効らしく、昨日までの不安定な天気が嘘のような秋晴れ状態。
 あぁよかったよかった。
 今日が雨だったりすると、今日予定されていたイベントが明日にスライドするというパターンもあったりする。それでなくても、多くのイベントとバッティングしてんだから、勘弁してほしいよなぁなどと思っていた。

 ま、そんなこんなで今日の日記にはオチも笑いもないって事で、それだけ疲れていると言う事を理解して欲しいのであった。