杉村ぐうたら日記(1998年10月21日〜31日)

▲1998年10月21日:水曜日:かなり黄昏は平坦ではない
▲1998年10月22日:木曜日:テーマパーク
▲1998年10月23日:金曜日:腰巻きで隠すな!
▲1998年10月24日:土曜日:時の過ぎゆくままに
▲1998年10月25日:日曜日:芸術の秋?
▲1998年10月26日:月曜日:今夜はあなたにビールをふりかけ
▲1998年10月27日:火曜日:テディの誕生日
▲1998年10月28日:水曜日:読書って特殊な趣味なのかなぁ?
▲1998年10月29日:木曜日:最終回の美学
▲1998年10月30日:金曜日:男はつらいよ・最終回
▲1998年10月31日:土曜日:律儀な男
1998年10月21日(水曜日) かなり黄昏は平坦ではない
 数年前に始まった日本語発音の平坦化について考えてみた。
 いわゆる「か↓なり」を「か→なり」と発音する様になったと言うヤツなのだ。
 どーにもこの言い方が、世間一般で認知されてきてしまった様な感じがしてしまう今日この頃だったりするのだが、古い人間の私は未だに抵抗があって、他人がこの発音をすると「うぬぬ」と思ってしまい、その人の発言の内容よりそっちに気を取られてしまったりする。
 とりあえずニュースなどの現場ではその発音は使われていないようなのだが、若手アナウンサーなどがバラエティ番組などの司会進行などをするときにこの発音をしたのを聞いたことが何度かある。
 なんか「か→なり」の方が正しい発音という事で認知されそうな勢いなのだ。そーなると「か↓なり」は古語扱いと言う事になってしまうのだろうな。
 確かに日本語は変化し続けている。本来日本人は「単一民族国家」などと偉そうな事を言いつつ、海外の文化の影響をほいほい受けてしまう思いっきりミーハーな国民だったりするのだ。(だから鎖国をしたのかも知れない)
 だから、その度ごと日本語も変化していたに違いない。

 現実的に私がリアルタイムで過ごしてきた時代はたかが30数年って処なので、それ以前の言語に付いてはリアルに知り得ないのだが、どーも時代によって言語がガンガン変わってきている感じがする。
 たった100年の間に、何度も。なんせ100年前は明治時代っすよ。
 だから、たかが発音の変化にあーだこーだ言う様な事でもないような気もするのだが、やっぱし気になる。
 その辺が「頭の固い大人」なのかも知れないが。

 先日TVの「何でも鑑定団」に『コマ・コレクター』が出ていた。
 いわゆる回して遊ぶ「独楽/こま」なのだが、それを紹介するレポーターの発音がどーも「こ→ま」なのだ。本来の独楽は「こ↓ま」だと思うのだが、何度も何度も「こ→ま」と発音するので、私の方もどれが正しいのか判らなくなってしまった。
 が、当のこまコレクター氏が登場し「こ↓ま」と発音したので、そうかそうかと気を取り直したのもつかの間、レポーターとは別にナレーションの声が「こ→ま」と発音して氏のコレクションを紹介し始めたのだ。
 うむむ、本来「こ→ま」と発音すると、神社の入り口にある石で出来た「狛犬/こまいぬ」などの事を指すような気がするのだ。
 その後レポーターとコレクター氏が会話を交わす場面があったのだが、レポーターが何度も何度も「こ→ま」と発音し、それに答えてコレクター氏が「こ↓ま」と発音する場面が続き、途中からどの発音が正しいのか判らなくなったのかコレクター氏の発音まで「こ→ま」になってしまっていたのだ。
 おそるべし平坦発音!

 しかしこの平坦発音というのは、実は不器用な人ほど発音しやすいのではないか?と感じている。
 発音を凄く細かく分析すると「かなり」「こま」と言うのを平坦に発音した場合、「カナリ」「コマ」とまったく純粋にその単語の音しか無いのに対し、以前からの発音でしゃべった時は「カァナリ」「コォマ」と実際には聞こえない程度の無発音の音が含まれている様な気がするのだ(あくまでも気分)
 うむむ、と思ってしまうが、このあたりにも平坦な発音と言うものの秘密があるのかも知れない。

 「黄昏」と言う言葉を発音した場合、最近の人の場合は「タソガレ」と読んでしまうが、実際の事を言うと「タソ(ン)ガレ」と言う感じに、「ガ」の前に無発音の「ン」が存在しているのだと言う事を昔読んだ事がある。
 が、一部の人の中にはどんなに訓練してもこの「ンが」と言う発音が出来ない人がいて、それがいつの間にか当たり前の発音になってしまったと言う。
 結局、平坦な発音というのは口の中の舌べらをうまく動かすことの出来ない世代が自己弁護の為に自然派生した言語体系なのではないか?などと思ったりもする。

*それ以外の要素はいっぱいあるのと思うので、その話はまた別の機会に。
1998年10月22日(木曜日) テーマパーク
 1980年代バブル期に東京ディズニーランドの成功を目の当たりにした多くの企業が「ほんじゃま、ワシらの処でもやってみっか!」と安易な気分で乱立させたテーマパーク(要するに遊園地)が、ほとんど惨敗をして現在は跡形も無かったり、テーマパーク全体がお化け屋敷みたいな状態になって存在している。
 成功したのは、東京から思いっきり離れた長崎のハウステンボスとかのテーマパークだったりする。(ここは韓国方面からの客も多いらしい)
 あとは元々キャラクターの確立されていたサンリオピューロランドとか。

 そんなテーマパーク惨敗と言う現実が90年代に入って各地で大きな悲劇を生んだのだ。(あとバブル期に計画された地方博もほとんど惨敗)
 そして、テーマパークの成功をほぼ独り占めにしている東京ディズニーランドがまたまた躍進する為に、隣接地帯に海をテーマにした「東京ディズニーシー」と言うテーマパークを作るという事になった。
 それの記者会見が10月22日に行われたのだ。
 ディズニーランドはアメリカとヨーロッパにあるが、今度の海をテーマにした物は初の試みなので世界的に注目を浴びていると言う。
 もう完璧にこの時点で成功は約束された様な物なのだ。
 でも、おかげで東京ディズニーランドの慢性的な混雑も解消されるかも知れない・・・と思ったが、道路の慢性的な混雑は拍車がかかるワケか。

 そんな感じで、もー他の団体は怖くてテーマパークなんかに手を出せないだろうなぁと思ったが、そりゃ考えが甘かった。
 2000年〜2003年頃に向けて多くの企業がどでかいテーマパーク構想を打ち上げているのだ。

東京ディズニーシー(TDS)
場所:浦安市
完成予定:2001年秋
総事業費:3380億円
敷地面積:71.4ヘクタール
年間予想入場者数:1千万人

ロッテワールド東京(仮称)
場所:江戸川区
完成予定:2002年
総事業費:3500億円
敷地面積:19.2ヘクタール
年間予想入場者数:1500万人

手塚治虫ワールド(仮称)
場所:川崎市浮島地区(候補地)
完成予定:2003年
総事業費:未定
敷地面積:40〜50ヘクタール
年間予想入場者数:1000万人

アクアシティお台場
完成予定:港区台場
完成予定:2000年4月
総事業費:未定
敷地面積:2.5ヘクタール(6階建ての街構想)
年間予想入場者数:800万人

ST街区テーマシティ(仮称)10年間限定
完成予定:江東区青海
完成予定:1999年春
総事業費:約500億円
敷地面積:40〜50ヘクタール
年間予想入場者数:1200万人

 うむむむと考えてしまうのだが、どの企業も予想入場者を甘くみていると言う感じがしてしょーがないのだな。
 なんせ成功間違いなしみたいな東京ディズニーシーでさえ1000万人なのに、ロッテワールドなんて1500万人っすよ。ちなみに現時点で慢性的混雑の「東京ディズニーランド」の年間入場者数が1600万人っす。
 なんか、共倒れになっちまいそーな気がするんだけど・・・・てぇ事はオープンしてから2〜3年あたりに来園するのが(つぶれてもいないで)空いていて快適に遊べると言うことなのか?

 ハッキシ言って私は手塚治虫のファンで、かの「手塚治虫漫画全集」全400巻なんつーのも所有していたりする様な人だったりするんだけど、「手塚治虫ワールド」ってヤツにはあんまし興味ないっす(神戸宝塚の手塚治虫ミュージアムにもあんまし興味ない)。
 手塚治虫の場合、キャラクターは確かにいいんだけど、それ以前に作品で完結しているんでキャラクターで何かをされても・・・と言う気がしちゃうっす。特に大ファンとしては。

 なんつーか「21世紀初の大型倒産」なんてニュースに成らないように頑張って欲しいっす。
1998年10月23日(金曜日) 腰巻きで隠すな!
 ずっと昔、漫画家の古谷三敏(「だめオヤジ」「BARレモンハート」の作者)が書いた、エッセイ集みたいのが売れて、何種類も出ていたワケっす。
 その本のタイトルは『男のウンチク』ってヤツだったんだけど、私はこの本の内容はともかく、タイトルが嫌いだった。

 なんつーかね、世間で言われるウンチク本ってのは嫌いではない。基本的に情報収集家と言われている私ですから、そーゆーのは嫌いではない。
 が、ビジネス的な商談の為に役立つウンチク、あるいは女の子と会話をする為に(落とす為に)ウンチクを仕入れるって考え方は好きじゃない。
 あくまでも、知的好奇心ってヤツで読むのが正しいとおもっているので、男のウンチクってタイトルに、すげぇ嫌らしさを感じてしまっていたのだ。
 で、そのシリーズが数冊出た時に、出版社が「いっぱつここらでフェアみたいにして盛り上げてみようか」と言う事になったんだと思う。
 本屋の棚にある「男のウンチク」の本すべてにお揃いの腰巻きが付けられた。
 腰巻きっていうのは、世間一般でいう所の帯ってヤツ(最近は出版業界でも帯と言う名称に統一されつつあるが本来は「腰巻き」と言う)で、『絶賛!』とか『10年に1冊の傑作』とか、美辞麗句をならべて書いてあるヤツっす。
 それが本屋の棚にずら〜っと並んでいる「男のウンチク」にずら〜っと付けられたワケっす。

 そこでその事件は起こってしまった。たぶん帯の設計を間違えたんだろうな。
 普通、この手の帯は背表紙のタイトルにはかぶらないように造られる。どうしても帯のデザイン上、あるいは本のデザイン上、かぶってしまう場合は、帯を付けた状態でも背表紙と同じ字が読めるように、隠れている分の字を帯に書くと言うのが、正しい道なのだ。
 が、この帯はタイトルの最後の1文字を隠して、そのままになってしまっている状態だったのだ。

 つまり(もうオチは解っていると思うけど)本屋の棚にはずら〜っと、最後の一文字の『ク』の字を消されてしまった『男のウンチ』と言う本が並んでいた。
1998年10月24日(土曜日) 時の過ぎゆくままに
 気が付くと、10月も後半に突入していた。
 ありゃりゃ、こりゃどーも凄いね。
 そんでもって、この日記もいつの間にか「119」なんてナンバリングになっている。
 ありゃりゃ、ついこないだ「100」なんて話題で書いたと思っていたのだが、それから19週も経過しちまったのだね。
 うーむ、どうも時間に追われ何かを見落として過ごしている様な気がしてしょーがないのだが、それでも毎日毎日、何かしらの作業におわれて終始している。

 あぁ自分はこんな調子のまま、一生を終わっていくのかなぁなどと、時々考えたりもするのだ。
 忙しーぃ、忙しーぃ、と口癖の様に云って、その結果、人生のラストで振り返ってみた時なーんにも残っていない様な一生を送ってしまうのは、チト寂しいと思っている。
 ま、いわゆる「俺って無趣味だからさぁ」などと公言できてしまう人や「仕事が趣味っす」などと云って定年退職の途端にボケてしまう人よりは、豊かな生活かもしれないが、なかなか、人生の折返し地点とかが見えたり、同級生の友人の親などが倒れたり亡くなったりしたと言う話を聞く最近、特に考えてしまうのだ。
 とりあえず、現時点でこのようなHPにゴチャゴチャと文章を書き散らしていたりするのも、「残している」と言う事になるのだろうが、何かまだまだと言う感じがしちゃっているのだ。
 日々精進という事になるのだ。

 こんな風に毎日毎日ワッセワッセと何かを製作し続けている生活は、振り返ってみると小学校の頃から続いている様な気がする。
 小学校の時は、藁半紙を半分の半分の半分ぐらいに切って、それをホチキスでまとめた物に取り留めのない物語(友人が主人公で、他の登場人物も全部友人のギャグ話)を書くのをセッセと作ったり、学級新聞委員に選ばれた途端に、毎日毎日壁新聞を書き大いに経費無駄遣いに躍進した(この日記もそれの延長みたいな物っす)。
 中学になった時にギターを弾き始め、初恋の女の子に聞かせたくて曲を書き始め(結局、聞かせる事は出来なかった)、ついでに創作ゲームを何個も作り放課後に大騒ぎしていた。
 高校では作詞作曲に拍車がかかったと同時に、インクを使って本格的に漫画を書き始め、ついでに8ミリフィルムでアニメーションまで製作した。
 その後美術学校に行くようになり、音楽と絵をワシワシやっている処に友人から「同人誌を作ろう!」と誘われ、文章まで本格的に取り組む事になってしまったのだ。
 結局、それ以降ずっと音楽・漫画(絵)・文章の3つが自分にとっての重要ポイントになって来ている。

 なんか「3兎を追う物1兎も得ず」と言う感じもするのだが、私の中ではこれらは複雑に絡まり、1つの方向性を持って存在しているのだ。
 なんか、焦っている自分にも「困ったものだ」と思ってしまうのだが、やっぱし先に進むための大いなる1歩を踏み出さなければ、と思っている。

1998年10月25日(日曜日) 芸術の秋?
 今日、知人が中心になってアコースティックコンサートを開催した。
 と言っても、なるべく金のかからない方法でと言うことで、開催したのだが、やっぱしこの時期にイベントを開催するのは難しすぎるというのが判明した。
 なんと云っても、10月の土曜日曜というのは、どっかしらで何かしらのイベントが開催されていて、そーなると地方自治体の主催するイベントや、大きな企業の宣伝どどーんのイベントにはとうてい適わないのだ。
 結局、身内だけの演奏発表会と言う感じになってしまった。
 それでも、演奏そのものは気持ちよく「あぁ秋の青空の下で聞くアコースティックギターの音色はいいなぁ」と言う感じになったのだ。
 最近はまったくと云って良いほど、ギターを弾いていないが、これでも私は以前はギターをがしがし弾く様な人だったのだ。
 しかし「俺も昔はねぇ」などと云いつつ、遠くを見つめるような振りをして女の子に自分の過去がいかに凄かったかなどをアルコールを交えながら語って、そのまま下心方面へ突入!などと云う事をやるのが好きでないので、あんまし「音楽やってた」みたいな事を人前で云うのが好きではなかったりする。
 過去形でもなく、現在やっていたとしても、必要以上に大げさに「俺ってミュージシャンだからさぁ」とか「俺ってアーティストだからさぁ」などと公言するのも、カッコ悪いと思っている。
 そーゆー発言をせず、芸術家だったり、アーティストだったら作品で勝負だ!多くの説明はヌキに作品を聞け!作品を見ろ!と思っていた。

 まず自分が「俺って凄いだろ」とか「俺が、俺が」と言う、自己顕示欲だけが突出した人って云うのが好きではないので、そーゆー行動に出ることを良しとしていなかったのだ。 いわゆる「表現者」としては、かなりの欠陥なのだと思うが、そーゆー性格なのだからしょうがない。
 周囲の人の間ではそれなりに評価されていたりするのだが、それ以上に踏み出せないってのは、その辺の性格が多大に影響しているのだと云うのは自分でもちゃんと理解している。

 多くのアマチュアと呼べる「音楽家」「画家」「文章家」「造形家」などなどとこれまで知り合いになって来たのだが、その多くの人から宴会などの席で熱く熱く芸術論や自分の作品がいかに凄いかを語るのを聞かされた。
 うーむ、そりゃ凄いなと、その熱い理想に興奮したりする私だったりする。
 と感心などをするのだが、現実問題の作品を聞くと「うーーーーーむ、理想と現実ってヤツの悲しいズレなのか?」と思わざるをえなかったりする。
 その芸術論の中で必要以上に糾弾したり、バカにしたり、嫌っていた作品とどー違うの?と言う感じを受けてしまう事が多かったりする。
 うむむむむむむむむむ。
 そんでもって、批判ではないけど「ここをこーした方がいいと僕は思うけど」などと云うと、突然「いやぁそうしたかったんだけど・・・」などと、突然『言い訳モード』に入ってしまったりするのも、かなり作品に対して卑怯だよなぁと思ってしまうのだ。
 やっぱ、自分が「発表した」と言う段階で、その評価は他人にゆだねられるワケで、そこで解説をしたり、言い訳したりするって云うのは、自分の作品に対して不誠実だと思うし、美術や音楽などの全てのクリエイティブに対して不誠実だと感じてしまうのだ。

 そんなワケで、どーなるか判らないけれど、私は今、自分が出来る範囲の(文章ではない)アートワークを製作している最中で、そのうち、どんな形か判らないけれど発表したいと思っていたりする。
1998年10月26日(月曜日) 今夜はあなたにビールをふりかけ
 横浜ベイスターズが遂に、日本一の座についた。
 38年ぶりの快挙だと云うのだ。
 この快挙を横浜ベイスターズのチーム応援曲を歌っている「CoCo」の諸君も大喜びだと思うのだ、などと云っても、誰も横浜大洋ホエールズが横浜ベイスターズになった時に、今は無きアイドルグループの「CoCo」がそんな曲を歌っていたなんて事は知らないと思うのだ。ワイドショーもそんな事には振れていなかったし。
 しかし38年ぶりって、ワシは当然前回の優勝はぜーんぜん知らないし、ちゃんと知っているのは45歳以上の人って事になる。凄いなぁ。
 しかし、あまりにも優勝していなかった為に、つい先日のセリーグ優勝の際なんてホテル側も球団側も大慌てで、祝賀会のビールかけに、普通に飲み頃にキンキンに冷やしたビールを用意してしまったと言う。普通は室温と同じ状態の、冷やしていないビールを使って行うのだそうだが・・・・。
 おかげで、冷えている為にあんましビールの泡がたたない上、ムチャ冷たくてほとんどの選手が風邪をひいてしまったらしい。その影響が、日本シリーズの直前まで響いてしまった。
 うむうむ、優勝も楽ではないのだ。

 と、云うことで夕べぼけーっとTVを付けたら、ちょうど日本一になる瞬間に遭遇してしまった。
 浜の守護神・佐々木が打たれた!と思った処で2塁アウト!そして1塁でアウトを取りゲームセット!うぉぉぉぉぉっ!と言う場面だった。
 客席からは「待ってました!」とばかりに大量の紙テープが舞い込む。紙吹雪が舞い散る。プラスチック製のバットも飛び込む。もー掃除が大変だと思うのだが、ニューヨークヤンキースの凱旋パレードで50トンの紙吹雪なんつーのと比べると、まだまだと思うが、スタジアムにこんな大量に紙テープが飛び散るのは、キャンディーズの解散コンサート以来かもしれないのだ。
 しかーし!さすがに38年ぶりの優勝だけあって客も紙テープの投げ方を熟知していないと云う感じなのだ。

 画面を見ていると、ファーストがアウトを取った瞬間、1塁側客席から最初のテープが飛び込んでくるシーンが映されている(その後のニュースでも何度も流された)。
 そのテープはなんと、途中で契れた形でほとんど巻き付いたままのテープに尻尾の様に短い巻き出されたテープがついた状態で飛び込んで来ているのだ。
 きっと「ここで優勝決定だ!」と待ちかまえていたファンが「やったぜ!」と云う気持ちと同時に、思いっきりグランドめがけてテープを投げ込んだのだと思う。が、テープはしゅるると放物線を描く前に、投げた人の手元でプチリとちぎれて、ロールになったままのテープが単独でグランドに向かって・・・と言う状態なのだと思う。
 この辺が「慣れていない」と言う部分なのだ。
 今回、そのテープ以外にも大量に投げられたテープの飛行状態を見ている限り、多くの人が甘い投げ方をしている事が判明した。

 別に私はテープを投げるような現場にいった事が無いのだが、60年代のロカビリーを経て、70年代のアイドルコンサートなどで完成されたテープの投げ方は違うのだ。
 まずロールになっているテープの芯の部分を抜く。これは、投げた先にいる相手にぶつかって痛い思いをさせない為の愛情なのだ。
 その次に、芯を抜いたテープの中側の端を手に取る、そして投げるのだ。
 つまり普通に考えた場合のテープの始点を持たずに、終点を握って投げるのが「通」なのだ。
 こーする事によってテープは、こまかい螺旋を描くようにシュルルと綺麗で複雑な線を描いて飛んでゆくのだ。
 70年代のアイドルコンサートなどではこれが多く採用されていた。
 その為にテープの表と裏では違う色の物も用意されていたのだ。
 そんなワケで、次回の優勝の際には「レッツ紙テープ!」なのだ。

 38年ぶりの優勝だけどさ、多くの自称:横浜ファンが去年はヤクルトに向かってテープを投げていた可能性がある。

1998年10月27日(火曜日) テディの誕生日
 朝、通勤途中に車でラジオを聞いていたら「今日はテディベアの誕生日です」などと云っていた。
 そ・・・うだっけ?と私はふと思ってしまった。
 私は、とりあえず『今日は誰の誕生日』みたいなHPも運営していたりするので、色々書いているのだが、テディベアの誕生日は・・・違うような気がした。
 別に林家ペーでは無いので、異常大量に人の誕生日を覚えているワケではないのだが、ある種、自分にとって意味のある日の誕生日はいくつか覚えていたりする。自分の誕生日はもとより、友人や好きな人の誕生日に他にどんな人がいるか?などはチェックしてある。いわゆる会話の時のネタとして。
 その上、つい先日、そのHP「happy birthday's club」をリニューアルしようと、色々と文章を書き加えたりした中に、その「テディベア」に関する項目もあったりした。

 たしかテディベアの誕生日は・・・・「11月18日」だと思ったけどなぁ・・・同じ日にミッキーマウスなんかもいる。
 うむむ、10月27日説と言うのは初めて聞いたぞ。
 と言うことで、朝のラジオがずっと頭に引っかかっていた。そしてその夜、家に帰ってデータベースを再検索すると・・・やはり、テディベアの誕生日は11月18日(このネタになった漫画が新聞に掲載された日)だし、もしぬいぐるみのテディベアの誕生日だとすると、それ以降の11月12月にならなければおかしい。
 うーむ、と思いつつ・・・・判明しました。
 10月27日はテディベアの名前の由来になった「テオドア・ルーズベルト大統領」の誕生日でした。
 テオドアの愛称が「テディ」なワケっす。
 そのラジオでは「今日はテディベアの誕生日でと」紹介していたが正確には「テディベアの名前の元になったルーズベルト大統領の誕生日」と言う事なのだ。
 しかし、そのラジオを聞いた人が「そーかそーか」などと思って、こんなHPに「今日はテディベアの誕生日」などと書いたりするかも知れない。そんでもって「今日は何の日」的な本を書こうと思っている人がインターネットを使って記念日などの検索をした時に、その10月27日=「テディベアの誕生日」と云う記載に行き着き「そーかそーか」と書いて出版してしまう可能性もないワケではない。その後はどんどんその情報が流通してしまうのだ。
 インターネットと云うのは気軽に文章を発表できるツールで、本などで調べまとめた事なども書けるのだが、出版などをする側からすると、ネタを検索して調べる情報の根元となるツールでもあったりする。
 そーなると、どっちも間違っている文章が平然と世間を渡り歩く可能性だってあるワケで、なかなか、どの情報が正しいのか?と言うことを判明させるのは難しいのだ。
1998年10月28日(水曜日) 読書って特殊な趣味なのかなぁ?
 なんかねー、自分の周囲を見渡して「読書」が趣味って人ってほとんど居ないワケっすよ。
 ま、別にそれは不都合な事はなかったりする。今までそー思っていた。
 かえって、下手に「読書が大好き」なんて人が周囲にいて、こっちも読書が好きなんて事が判明しちゃった場合は大変な事になりそうな気がする。
 この手の趣味どっぷりな人って言うのは、同好の士を見つけたりすると途端に目の色を変えてすり寄ってきたりするのだ。それが特殊な趣味だとなおさらなのだ。
 普段、迫害されている分、親近感っつーのかな?そんな光線をバチバチ放ちながらすり寄って来るのだ。
 でもって、普段は人に話しても理解されないために鬱屈していた物を一気に吐き出すかのように、話したりしちゃうのだ。さらに、自分が読んで感動した本を無理矢理押し付けてしまったりするのだ。  で、自分が心酔している作品や作家、あるいは登場人物をちょっとでもけなしたりすると(こっちはけなしたつもりでなくても)ムチャ憤慨したりする。
 あるいは、こっちが知らなかったりすると「なーに?こんな事も知らないで本読人を自認しているの?」てな態度に出たりするのだ。うーむ。

 別に読書が迫害されている趣味だとは思わないけどさ、基本的に趣味が「読書」と胸を張って言えるぐらいに本を読んでいる人って居ないでしょ、あんまし。
 世間的に見れば「ついに100万部突破大ベストセラー!」なんて本が最近はちまたにゴロゴロしている。てことから考えると「読書人口」ってヤツは多いかもしれない。なんて感じてしまうかもしれないけれど、日本の人口と比例して考えると、その量は微々たる物なのだ。
 しかも本と音楽の場合の差って事だと、同じ100万売れたって場合でも、音楽の場合は100万売れたと言う以外にもそれの何10倍の人がTVやラジオでその音楽を聴いているワケなのだ。つまり100万と言う数字はあくまでも積極的にその音楽に参加した人数と言う事になる(レンタルCD屋と言うのもかなり数字に荷担しているらしいけれど)

 その点、本の100万部と言うのは同じ売れたにしても、その本を読んだ人は良くてもその倍の数字ぐらいにしか行っていないかもしれない。
 「この本、面白かったよ」と友人知人に貸すと言うパターンがどのくらいあるのかは不明だが、それと図書館と言う物を考えると、100万部売れた場合はその倍の数字が実読者数になるのかもしれない。これだけでも1000万と200万の差が出てしまう。
 逆に10年ぐらい前にベストセラーになった「ノルウェイの森」なんかは、持っているとカッコイイと言うイメージがあったので、購入したが読んだ人は半分ぐらいだと言う噂もあった。

 さらに読書が特殊になってしまうのは、音楽・映画・絵画なんかと違う部分で「2人同時に楽しめない」と言う事になってしまうのだ。

 基本的に日本に限らず、その辺の趣味と呼ばれる娯楽物は「カップル」によって支えられているのではないか?と考察される。
 そう言う点から考えて見ても「読書」と言う趣味は凄く異端な存在なのかもしれない。
 だからこそ「読書」と言う趣味を持つ同好の士を見つけた読書人はすり寄って来るのだ。だからこそ、読書系の作家ファンクラブや、作品のファンクラブは深くて熱いのだ。

 同じように「漫画系」の読書と言うジャンルもある。が、この場合は底辺が広いのだ。なんせ漫画週刊誌が1000万部とかとんでもない部数で売れたりしている事を考えれば、「小説系」の読書人の孤独具合が判るのだ。
ま、以前(20年以上も前の話しだが)は漫画と言うジャンルを(いい歳をして)熱く語っている人は完璧に異端だった。その絶対数も少なかった。
 その当時は「オタク」と言う概念も完成されていなかったし、その手の雑誌もほとんど存在しなかった。だから、一部の「漫画同好会」等という特殊な集団は一般生活を送る人々から迫害されていた。
 「漫画」=「低俗」=「子供向け」等という部分も多かったと思う。
 実際に、マニアックな漫画読者層はこぞって「低俗」と思われる作品に熱い情熱を向けていたりしたのも事実なのだけれど。
 それも、時代が80年代に入った頃から「コミケット」と言う物が文化としてマスメディアにも紹介され始め、その手の雑誌も数多く創刊され始めた。
 もっともその理由のひとつが、商業的に儲かると睨んだ出版社先導の部分も大きかったと思う。さらに個人メディアを発信しやすくなったテクノロジーの進化もあるのだろうが。
 その部分から完璧に立ち後れてしまった、と言うか忘れ去られたのが「小説系」の読書なのかもしれない。

 あと「読書」に着いてまわる「学校の授業的な教条主義」みたいな部分も、世間一般とのレールを引くきっかけになっているのかも知れない。
 多くの人にとって読書・・・というか、本を読む。小説を読む。と言う行為の原体験は「教科書」あるいは「読書感想文」だったと思う。
 そしてその読書の向こうにあるのは「感動」や「深い教え」だったりするのだ。
 とにかく無理矢理にでも、作者の意図する教えを探し出さなくては行けない。主人公の行動の裏側に存在する人間の根元にある欲望などを解きあかさなくてはいけない。等という、オマケが存在しているのだ。
 なんつーか、勉強の一環だからしょうがないのかも知れないけれど、無理矢理に小説に対して深い思考力を要求させてしまう部分が、国語教育と言う物の中には存在している。
 そんなの読書から一般人を遠ざけるだけだって。
 本気で感動して涙ボロボロで前が活字が見えなくなってしまった。なんて経験を持っている人は少ないだろ。映画なんかではありえると思うけれど。
 感動は強要される物ではないって事なのだ。
 だから「読書」と言うだけで敬遠する人も多い。

 僕が本格的に読書道に入るきっかけになったのは、小学校の時に図書館にあった子供向けの「シャーロックホームズ」「怪盗ルパン」「明智小五郎」シリーズを読んだのがきっかけだったと思う。たぶん4年生ぐらい。
 思い返してみると、その頃はいわゆる漫画と言う物はTVアニメと学年誌に連載されている物ぐらいしか読んでいなかった。
 凄く特殊な例だと思うけれど、僕の漫画読みデビューは高校生になってからだったりする。
 初めて漫画雑誌を買ったのが、高校一年の時の「週刊少年マガジン」そこで以前からアニメでは知っていた手塚治虫に接して、怒涛のごとく坂道を転げ落ちていったのだ(笑)

 で、中学に入って1年の時に担任になった先生が「星新一」のファンで、自分の持っている星新一の本を学級文庫として持ってきてあった
 それがキッカケで、いわゆるSFをも読み始める事になったのだ。
 星新一から始まって、小松左京・筒井康隆と言うのが基本路線で、そこから色々な方向の本を読み始めたのだ。好きな作家のエッセイに出てくる別の作家の本を読み、好きな作家が昔感銘を受けたと言う作品を読み、どんどん本読みになっていったのだ。
 確か高校入学の時の面接で趣味覧に読書と書いてあった為に面接官に「で、最近どんな本を」と質問され「アイザックアシモフ」「アーサーCクラーク」「ロバートハインライン」などの作品をあげて、面接官がそれ以上突っ込んだ話が出来なくなった事もあった(嫌な中学生だな)

 話は自分の読書歴になってしまったけれど、ここに到るまで、かなりの数の本を読んできたつもりだけれど「同じ本を読んだ事のある人」ってのにはメッタにお目にかかったことがない。
 この「読書」が特殊な趣味だと思うきっかけになったのはこの辺にあったりする。

 先日、人と逢って色々と話をしている最中に映画の話になったのだ。
 最近はあんましレンタルビデオもしていないけれど、一時期はかなりの数を借りて見ていたので少し前の映画の話ならかなり出来る。
 (と言ってもゴダールとか、マニアックな映画が多かったりするんだけど)
 で、お互いに見た事のある映画の話題と言うので、そこそこ盛り上がったりするのだ。
 「そうそうあそこのシーンでね」とか「その俳優が出ている他の作品で」などと、話は色々発展していったりするのだ。
 が、本の場合あんまし盛り上がらないっす。
 この辺が今回「読書と言う趣味」の特殊性・孤独性と言う物を考えるきっかけになったのだ。

 実際の処「普通の人」と呼ばれる人は年間何冊ぐらい小説を読んだりするのだろうか?
 その中で、20歳から40歳ぐらいまでの年齢の人全員にアンケートを取ったりした場合、年間どのくらいになるんだろうか?
 例えば「年間10冊読む」と言う答えが出たとしても、まんべんなく10冊と言うワケではなく、0冊と言う人が圧倒的大多数なんじゃないか?と推測されたりする。
 この「読書」と言う物に関しては「読む人はひたすら読む、読まない人はひたすら読まない」と言う感じがするのだ。
 ま、毎月1冊読むなんてのは多分「読書量が多い」に属したりするだろう。が、たとえ年間12冊読んでいても「たまたま同じ本を読んでいる人に巡り会った」と言うのは凄く珍しい事になってしまうと思う。
 だから「あぁそれ読んだ読んだ」と言った感じの会話の盛り上がりは期待しにくいのだ。(お互いがベストセラー大好きな人だったら、あり得るかも知れないけれど)

 封切り公開される映画の本数と、新刊として出版される本の数ではけた外れに本の方が多い。
 その中からたまたま同じ本を読んでいた人が出会うなんてのは奇跡に近いのかもしれない。
 もうそんな事になってしまったら、その相手は「運命の人」と考えて即座に結婚でもすべきなのだ。相手が同性だとしてもだ(笑)。

 『ベストセラーとは普段本を読んでいない人によって作られる』と言うのをかつて聴いたことがあるけれど、その通りかもしれない。

 そんなワケで、真夜中一人でじっくりと読書をする事が趣味の私は、ついつい孤独な方向に走りがちなのだ。いかんいかん、と思いつつも「あの作品も読みたい。この作品も読みたい」などと考えて、今日もメモ帳に目星をつけた作品のタイトルを記入して本屋に出かけたりするのだ。
1998年10月29日(木曜日) 最終回の美学
 ふと思うのだけど、漫画雑誌に連載されている漫画のほとんどが、物語の最後を幸せに終わらせていないのではないか?と思った。
 基本的に雑誌連載漫画は「人気投票」と言うモノで成り立っていて、いかにしたら人気が上がるのか?と言う部分で話を展開させている。違う人もいると思うけれど、好むと好まざるとを選ばず、そーゆーシステムの中で漫画は日々製作されている。
 私は基本的に雑誌は読まず、単行本を買って一気に読む人だったりする。
 そっちの方が漫画を『作品』と言うスタンスで読むことが出来る。

 そんでもって、単行本のラストで突然終わりと言う感じの作品もたくさん見てきた。
 中には大友克洋の『AKIRA』みたいに、連載時には無かったラストのラストを書き下ろしで掲載するパターンの人もいることにはいる。
 最近では藤原カムイの『ロトの紋章』なんかも、そのパターンだった。
 手塚治虫の様に、その連載中のページなんかも切り貼り切り貼りでかなり変えてしまう人もいたりする。
 が、基本的には雑誌連載時のまま単行本にしちゃうのだな。
 そんでもって読後感は「え?」と言う感じになっちゃうのだ。

 きっと作者にしても、ある種「こんな終わり方にする予定ではなかった」と言う感じなのかも知れない。
 かの鳥山明の『ドラゴンボール』にしても、終わるタイミングを見失った作品としてずっと読んでいた。
 いわゆる人気がある作品は延々と続いてしまうのだ。
 そして作者自身がすり減ってしまう。

 近年のTVドラマが12回ぐらいで終わってしまうのは、ある意味で正しいかも知れない。いわゆる「物語」を語る為の長さとしては。
 それ以前のTVドラマは、短くても半年、25回程度の物が主流だった。
 ハッキシ言って、同じ設定で1時間の話を25回って凄く長いと思う。
 それどころか、さらに昔、1970年代以前は人気ドラマはとにかく人気のある間は延々と続いていた。
 かの『ありがとう』と言う庶民派コメディドラマはたしか3年ぐらい続いていた様な気がする。そして、その間延々と主人公とそのボーイフレンドは延々とつかず離れず、視聴者をヤキモキさせながらダラダラと続いていたのだ。うーむ、長すぎた春ってヤツっすね。ちなみにこのカップルを演じていたのが「水前寺清子」と「石坂浩二」っす。
 このドラマだって、本当に脚本家はそんなに長い物を望んでいたか?っつーと疑問が残ってしまうっす。
 きっと半年あればオッケーだったような気がする。

 私は「物語は最後さえ良ければ名作」と思っているので、漫画のダラダラした最終回はかなり否定的だったりする。
(↓翌日へ続く)

1998年10月30日(金曜日) 男はつらいよ・最終回
 ま、前日の話の続きですがそんなダラダラ物語の頂点に立っていたのが長さではギネスブックにも認められた映画シリーズの『男はつらいよ』だと思うワケっすよ。
 なんせ1969年に1作目が作られて最終作が1995年っつーことで、4半世紀に渡って48作も続いたのだから、並大抵のダラダラぐあいでは無いと思う。
 職も住所も定まらない主人公を周囲の人がやっかいがったり、心配したりで延々と話は続くワケで、最初の作品の歳に41歳だった主人公も、リアルタイムな年齢としては67歳になっていた。
 そりゃ67歳にもなって住所不定でフラフラしてたら心配だよなぁ。

 そんなこんなで先日その『男はつらいよ』の最終作がTV放映されていたので、ぼーっと見ていた。
 脚本・監督の山田洋次も主演の渥美清の体調がかなり悪く「もしかしたらこの作品が最後になるかもしれない」と思っていたらしい。その為になんとかラスト的なハッピーな終わり方をさせてやりたいと考えて脚本を書いたという。
 なるほどねぇとか思いつつ「ま、どーせ相変わらずでしょ」みたいに、さほど期待もせずに見始めたのだが、途中からウムムムと唸ってしまいました。
 「これが上手い脚本のまとめ方かぁぁぁぁ」と、思いっきり勉強になってしまいました。ダテに長く人気を保っていたワケじゃないっつーかんじでした。

 ここ数作は60歳も後半の寅次郎が恋だの好きだ振られたのだと言うのもカッチョ悪いのか、恋愛的な物語の主人公は甥ッ子のミツオが担当していた。
 でもその恋愛も上手くいくんだか行かないんだか・・・と、延々とジラシて「やっぱし寅次郎の甥ッ子だよなぁ恋愛はヘタくそだよなぁ」と言う感じだったのだ。
 とまぁシリーズ物ならではの「毎回毎回」にどう決着を付けるのか?という部分がムチャクチャ上手いと思ったワケっす。
 しかも、この映画が確実に最後の作品になると決まったワケでないので、確実に終わったと言う感じではなく、次回作の伏線になりそうな部分も残しつつハッピーエンドで終わらせると言う、脚本のテクニックの巧さに職人芸ってやつをかんじちゃったのだ。

 ついでに最後になるかもと言う事で山田洋次のこだわり&遊びとして物語のメインを、映画の元になったTVドラマシリーズ『男はつらいよ』の最終回で寅次郎がハブで咬まれて死んだ場所「奄美大島」を選んだと言うのもある。

 多くのマンガで長いワリにラストがしょぼい作品を書いてしまった作者の人は、その辺のまとめ方の美学を持つべきだよなぁと、この映画をみて痛感したワケだったりします。
1998年10月31日(土曜日) 律儀な男
 土曜日の昼下がり、僕は車を走らせていた。
 時間は冬に向かって日に日に短くなっていく太陽が、沈む直前の時間帯だった。
 僕は、細かい予定を済ませ、とりあえず自由になって「今日は疲れたから素直に家に帰ろうかな」などと思っていた。
 と、時計を見ると、先日僕が出演しちゃったラジオ番組「ネットジャム」をやっている時間になっていたので「こりゃ自分が出演した時ばっかりでなく、ちゃんと聞かなくてはいかんな」と思い、ラジオをつけてその放送を聞き始めたのだ。
 ふむふむなるほど、と聞きながら家に向かっていたその時「そー言えば、サイフの中には千円札が1枚しかなかった様な気がするな・・・ちょっと銀行にでも寄るかな」と思い立ち、そのまま車を銀行に向けてレッツラゴーさせたのだ。
 銀行の駐車場に着いた時には、その番組は終わりにさしかかり、その日の放送のまとめ話に入っていた。
 あとは来週のゲストを紹介して・・・って感じなのだ。
 ま、ここまで聞いたんだからちゃんとラストまで聞こう。などと実に律儀な私は思ってしまったのだ。
 「おぉそうか来週のゲストは、先日の番組一周年のパーティにも来ていたあの人かぁ」などと思いつつ、番組のエンディングを迎えるまでの約5分ちょっとの短い時間、銀行の駐車場に車を止めてラジオを聴いていた。
 こんな風に、銀行の駐車場にエンジンをかけっぱなしにして駐車して、中でゴソゴソやっている様な人がいた場合は、やっぱし危険人物として銀行側にチェックされちゃうよなぁ。
 もし突然、通報されて駆けつけた警察官なんかに職務質問された場合「ラジオを聞いていました」なんて言う理由で納得してもらえるものなのだろうか?
 もし僕が職務質問をする側の警官だったとしたら、そんな取って付けた様なその場しのぎっぽい言い訳を信じるワケにはいかないのだ。
 きっと「ちょっと署まで来て貰おうか」などと言って、無理矢理にパトカーに乗せて連行してしまう事になるのだ。
 その後も、何度質問をしても「だから車の中でラジオを聞いていただけですよ」などと、絶対的に怪しい事を繰り返すばかりの不振な男を釈放するワケにもいかず、延々と取り調べが続いていってしまうかも知れないのだ。
 うーむ、しかしいくら質問をしても「ラジオを聴いていた」以外の答えが出てくるハズがない、こんなに口の堅い怪しいヤツは絶対に大きな事件を引き起こすことをねらっていたに違いない!こーなったらこの男の家を強制家宅捜査してその尻尾をつかむしかないのだ!と、いきなり大げさな話になって、私の部屋を徹底的に調べられたりするのかも知れない。
 うむむ、その結果「尋常ではない数の小説本」「尋常ではない数の漫画本」「尋常ではない数のCD」「尋常ではない数のアナログレコード」「尋常ではない数の音楽番組を録画したビデオテープ」などなど「何故1人の人間にこんなに数多くのアイテムが必要なのだ?」「こ・・・この男はまともな精神の持ち主ではない」と言う事で、かっこうのマスコミのネタになり、さらに精神鑑定を行われて・・・・、うむむむ。
 などと思っている内に、現実世界ではラジオが終了した。

 「誰も怪しんでいないな?」と私は左右を確認して、ゆっくりと車の外に出た。
 外に出た段階で私は善良な一般市民が銀行に金を下ろしに来たと言う状態になったのだ。よしよし。
 えっといくら下ろそうか?
 などと考えつつ、銀行のキャッシュディスペンサーの入り口に立った。
 ・・・・・ありゃ、自動ドアが開かない・・・・・。
 僕はセンサーの位置を確かめるべく上下左右を確認した。
 むむむ・・とその時、嫌なモノを見てしまったのだ。
 その自動ドアの所に「土曜日曜のお取り扱いは5時まで」などと書いて有るのだ。でもって、私の腕時計はみごとに5時1分。
 さっきまで放送されていた「ネットジャム」と言う番組の放送時間が見事に「4時〜5時」だったのだ。
 うーーーーーーーーーーむ、駐車場で律儀な事をした為に・・・・うーーーーーーむ

 と、かなりおバカな夕暮れは静かに墜ちてゆくのであった。