杉村ぐうたら日記(1998年11月21日〜30日)

▲1998年11月21日:土曜日:物まねをする日々
▲1998年11月22日:日曜日:IT'S COOOOOOOL !
▲1998年11月23日:月曜日:系
▲1998年11月24日:火曜日:どっちが信者だ?
▲1998年11月25日:水曜日:悲しみよこんにちわ
▲1998年11月26日:木曜日:続・悲しみよこんにちわ
▲1998年11月27日:金曜日:新・悲しみよこんにちわ
▲1998年11月28日:土曜日:真・悲しみよこんにちわ
▲1998年11月29日:日曜日:完・悲しみよこんにちわ
▲1998年11月30日:月曜日:紅白歌合戦・出場者決定
1998年11月21日(土曜日) 物まねをする日々
世の中には物まね好きな人がいる。
ちょっとした間を見つけては、物まねをして周囲を笑わせる人がいる。
そんでもって「俺って物まねうまいからプロでもやっていけるんじゃねぇのかな」などと思ってしまう人がいる。
そんでもって「素人物まね」などの番組に出てしまうのだ。

が、そこで展開される物まねってのが既に先人達がやり尽くした「森進一」だったり「田原俊彦」だったり「玉置浩二」だったり・・・・
そんでもって冷静に聞くと「プロがやった物まねを真似している」と言う状態だったりするのだ。

物まねは誰でも出来るワケじゃないから、真似の真似でも凄いじゃん。とか思ってしまうかもしれないけれど、最初に物まねを考えたのと、それを真似するのとでは全然違う次元の物まねだと思ってしまうのだ。
コロンブスの卵と同じように、2番目は凄く楽だったりするのだ。

たとえば、最近はすっかり見なくなったけど千昌夫の物まねだって、美川憲一の物まねだって、コロッケがやってから、多くの素人がやるようになった。
それはサンプルとして形が出来ているからなのだ。

私もときどき、人の真似をしたりする。
と言うか、車の中でふと思いついて真似をし始め、止まらなくなりずっと独り言のように物まねをしていたりする。
その物まねのレパートリーも、なるべく他の人とバッティングしないような物を選択している。

●佐野元春(歌ではなくラジオやテレビでのしゃべり部分)
●山下達郎(ラジオでのしゃべりと笑い方)
●前田吟(男はつらいよでの演技)
●富岡部長(アニメ「美味しんぼう」の脇役)
あたりが最近のレパートリー(まだ完璧ではない)

なんか地味で名前は知っているけれど似ているかどーか判らないっつー感じかもしれない。
それ以外では、さだまさしとか、色々あるけれど他の人も真似しているので、封印しちゃってある。


友人に言わせると「別に他の人が真似しててもいいじゃん」
と言う事なのだが、私のポリシーってヤツがその辺には存在していて、安易な方向に進みたくないのだ!私の理想としている物まねとはもっと崇高な物なのだ!
って、私はいったい何をめざしている人なのだ?
1998年11月22日(日曜日) IT'S COOOOOOOL !
 いやぁ技術の力ってヤツは凄いねぇ
 と思ってしまうのだが、友人がインターネット経由でTV電話状態でチャットをしていた。
 TV電話でさえ、まだ一般的でない現状なのだが、それをさらに発展させて世界中のどこからでもっつー状態でリアルタイムチャットをするってのは、凄ぇの一言だったりする。
 しかし、技術力はガンガン上がっているのだが、やっているワシらの知的水準ってヤツはいっこうに上昇していなかったりするので、なかなか大変だったりするのだ。
 なんせ、そこでカワされているチャット文と言うのが、当然の事ながら「英語」っつー事になっている。
 でもって、英語は・・・・・・・・と突然無口になってしまう様な二人が英語圏でチャットをしようって言うのだから大変なのだ。
 直接合って会話をする場合は、身ぶり手振りのボディランゲージっつーやつが出て来るが、ここでは基本的に文章のみと言う事になる。
 絵を書いて説明する事もできない(画像は送っているが、文字を読めるほど鮮明ではない)

 まず一言「HELLO」とやった後が、もう続かない。
 完璧に複数チャットで他の人たちが会話しているのをぼ〜っと見ている状態になってしまうのだ。
 いわゆる「何も言わずにニヤニヤしているだけの不気味な東洋人」ってヤツなのだ
 うむむむ

 と言う事で作戦を立てた。
 とりあえず相手を笑わせなくてはいかん!と私達は考えた。
 何故、笑わせなくてはいけないのか判らないが、とにかく「笑わせよう!」と言うテーマで挑むことになってしまったのだ。

 そこで、その時ボクが来ていたパーカーのフードを被りチャックも最大限に締める。そして目の部分は紙で作ったマスクをして、笑っているだけ。
 と言うキャラクターで突然画面に出て口元だけが笑っていると言う、ハッキシ言って意味不明な物でいくことにした。

 そしてアクセス・・・・

 と、やはり他のアクセス者は普通にしているのに、一人だけ異様なスタイルで出現した為に、話題になっているらしかった。
 画面の向こうで驚いて、その後笑っている黒人さんもいた。
 友人の名前でアクセスしているので、その友人の名前に対してチャット文が送られてくるのだ。
 その文は多分こんな感じだった。(勝手に和訳)
A「へぃMASARU そのマスクマンはいったい何ンなんだ?」
B「変なヤツだな、実にクールだよ」
(↑たぶん、そーゆー事が書かれてあるハズ)
 などと英語の文章がディスプレイに書き込まれていくのだ。
友人「クールって・・・ギャグが寒いって事?」
杉村「かっちょいいって意味だよ」
 と、私のパフォーマンスは外人にも受けてカッチョイイと思われているみたいだった。
・・・・・と思っていたのだが。

 そのチャット文の「COOL」に続いて「COLD」と言う単語も出てきたのだ。
 カッコイイを意味するのに「COOL」を使う事はあるが、「COLD」ってのは聞いたことないけど・・・・
 と言う所で、思いっきり間違って解釈をしている事に気が付いてしまったのだ。

 私が、すっぽりとパーカーに身を包んでいるのをモニター越しに見ていた外人'Sは「そっちは寒いのか?」と聞いていたみたいなのだ。

 うーむ、と思いつつ私は「GACHO-N! IS JAPANES JOKE」とかまして、チャットを終了させるのであった。
 やはり英語は難しい。
1998年11月23日(月曜日) 系
 いつの間にか、1つの要素でくくれるモノをなんでも「系」と言う言葉で表現する様になった。
 ミーハーな私も例外ではなく、ついつい「それって○○系でしょ」などと軽薄に使っていたりする。
 いわゆる流行語的に表に出てきたのは、いまから5〜6年前ほど(もっと前か?)フッリパーズギターやオリジナルラブなどなどのお洒落で渋谷の外資系レコードショップでもCDが売れる日本人アーティストを総称して『渋谷系』などと言い出した辺りが、マスコミ的に「系」がブレイクした頃なのかもしれない。
 それ以前の「〜みたいな」に代表されるような曖昧さも含まれていて、実に使いやすい言葉だったりする。
 ここ数年の新語が加速度を増し「流行」に取り入れられる前に古くなる現状の中でこの言葉は定着した感があったりするのだ。
 今回の「広辞苑」には間に合わなかったが、このまま残っていれば次回の「広辞苑第6版」には掲載されるかもしれない。

 もっとも「系」いぜんに同じ様なある特定のジャンルの人々を総称する言い方として「族」と言うのがあった。
 「太陽族」「みゆき族」「カミナリ族→暴走族」など、どっちかと言うと大人から煙たがられる存在の若者集団を指して使われていた。
 同じ様なスタイルの同じ様な若者が集団で・・・と言う状態なのだ。
 しかし今の「系」は同じ様でまったく違う。
 なんせ「系」とくくられる人々は複数なのだが集団ではない。同じ様なってだけで、徒党を組んで行動していなかったりするのだ。同じように見えても、まったくバラバラの存在。
 だけど、同じ様な様式美の中に埋没している。
 と言う複雑な自立できない自立の構造があったりする。

 しかし、まだまだ若者文化的な言葉なのかもしれない。
 なんせ「シンセ系の楽器を」と言った所、相手に「え?親戚のガキ」などと秀逸な聞き間違いをされてしまったのだ。

1998年11月24日(火曜日) どっちが信者だ?
 なんか今年の話題で「相撲界」でも「音楽界」でも『洗脳』と言う言葉が出てきていた。
 この洗脳と言う言葉が大々的に取り上げられたのは、もう3年も前の「オウム真理教」の事件の時だったが、それ以来この他人の思想や生活習慣までを含めたものをコントロールするかのように指導者が操作する事は、ことあるごとに話題になってきた。
 もっとも、ある意味で個が発達していない日本人は従来から、リーダー的人格の元で洗脳まがいの集団行動をさせられるのが得意で、かの第二次世界大戦の際は完璧に国家揚げての「鬼畜米英洗脳」がまかり通っていたと言う事なのだ。

 ま、洗脳と言うまででも無いが、固有のミュージシャンなどに熱を上げて、そのミュージシャンの全てを信じ切ってしまっているファンと言うのも「洗脳」されている「信者」と言う感じになってしまう。
 私などもこれまで何度もその手の熱狂的ファンの激しさを垣間みた事がある。
 完璧にミュージシャンに思い入れてしまい、そのミュージシャンに関する事を1つでも批判しようものなら『★♂ノ⇔∽@ソKウ!!!!!』とこっちの理解の範疇を超えた言葉で意見をまくしたてたりするのだ(←もしかしたら『』の中の文字、MAC以外では読めないかも知れない)
 いわゆるヒステリー状態なのだ。

 実はこのヒステリーと言う性癖の持ち主と言うのは、暗示にかかりやすく、催眠術などに簡単に墜ちてしまうタイプの人間に多いらしい。そいでもって情緒不安定。
 だから、熱狂しているあまり興奮してそーなるのではなく、元々そーゆー性質を持った人が熱狂的なファンになりやすいらしい。
 ヒステリーと言うと女性特有のカナ切り声で「キィィィッ!」となるのばかりではなく、男の場合、1つの腹が立つ事例によって他のモノまでイライラの対象にして「ばぁろぉ!」とけんか腰になったりするタイプも含まれている。
 つまり「八つ当たり」ってヤツなのだ。
 感情の起伏に対して、抑制が利かなくなり暴走してしまうタイプ。

 今年の話題の中に元X-JAPANのTOSHIの洗脳騒ぎもあった。
 私はあんましワイドショーを見ていないので、何故そーゆー事になったのか?そんでもってTOSHIが洗脳された事によって何か事件でも起きたのか?と言うのが全然判っていないのだが、なんでも「MASAYA」と言う人物のセミナーによってTOSHIがまったく違う人格になってしまった。とか言う話らしい。
 私がたまたま見たワイドショーにはTOSHIの奥さんの香って人が出てて「おぉぉぉこの人は元アイドルの守谷香じゃねぇか」と関係ないところでビックリしたぐらいだった。
 でもって、そのワイドショーではTV局から出てきて車に乗り込むTOSHIに熱狂的なファン達が「TOSHI!目を覚まして!」「TOSHIこっちに帰ってきて!」「信じているから!」などと口々に叫んでいると言うシーンだったのだ。
 そのシーンを見てなんか凄ーく複雑なモノを感じてしまったのだ。
 洗脳されているTOSHIがかつて洗脳していたファンに「戻ってきて」などと言われている図。

 なんか変だよなぁ、結局誰もが何かに頼ってすがっていかなくては生きていけない時代なのか?

1998年11月25日(水曜日) 悲しみよこんにちわ
 ここ数年、凄く気になるのがかなり多くの人が世間の目を意識して生活していると言う事なのだ。
 嬉しい!って事をみんなの前で表現するってのは、良いことだと思う。
 あんまし興味が無いが芸能人がくっついたと言う事で『緊急記者会見!』どどーんと、ワイドショーのトップに来たりするのは頑張ってやってくれとか思ってしまう。
 けれど、破局まで記者会見するってのが、あんまし信じられない。何故そんな事まで人前に出て大々的に発表しなきゃいかんのかね?とか思ってしまうのだ。
 ま、結局はお馬鹿なマスコミ・芸能レポーターなんかが異常に人の不幸ってのを好きな為なんだと思うのだ。
 以前、離婚だったかそーゆー噂が出ている芸能人に取材拒否をされたと言う事でナシモトがその芸能人を批判して「自分の宣伝になる時ばかり取材に協力的で、こう言う時に拒否すると言うのはルール違反だと思うワケですよ」と、死んだ魚の様な目をギョロギョロさせながら語っていた。
 そーなのかなぁ

 私が「何故にそんな記者会見開くかなぁ」とか思ったのに、松田聖子がかつて開いた記者会見があった。
 なんだか知らないが突然『郷ひろみとの破局記者会見』を開いて「今度ぉ生まれ変わってもぉ一緒になろうねって約束ぅしたんですぅ」とテレビカメラに向かって涙ぐんでいたりしたのだ。
 ハッキリ言って「なんだこりゃ?」と思ったのが、その記者会見の時点で「へぇ松田聖子と郷ひろみってつき合っていたんだ」と言う事を初めて知った。
 何故、ハッキリとみんなに認識されていない間柄の破局記者会見を開くのだろうか?もちろん、その会場には多数の報道関係のTV局・雑誌社・新聞社の記者&カメラマンが集まって、質問ビシバシ・シャッターバッシャバッシャのなんだかワケの判らない状態になっていたと言うことは、記者会見を開く前、事前に報道各社に「記者会見を開きますのでお越し下さい」と言うFAXなどが送られたと言うことになる。
 何故なのだ?
 そんでもって例の後々まで残る「今度ぉ生まれ変わってもぉ一緒になろうねって約束ぅしたんですぅ」と言う名言まで産むワケだ。
 私は、その手の記者会見も松田聖子にも郷ひろみにも全然興味が無かったのでよく知らないのだが、何故破局しなければいけなかったのかが判らんのだ。
 なんか人前で悲しみを演じるという、芸能人としてのパフォーマンス的な物なのかもしれないのだ。
 いわゆる、見ている人を楽しませるという部分で。

 そーゆー意味で、凄く虚構的な物を松田聖子には感じたりする。
 それ以前の、泣いている声で泣いている表情で、でも涙は全然出ていないと言う部分も、そうなのかも知れない。
 だから、今年の再婚の際に放送されたく無い「事実」の部分をワイドショーで流された事に対して抗議したのかもしれないなぁ。
 でも、以前の神田正輝との結婚も、今回の歯科医との結婚も、勝手な憶測だけど「虚構的」な部分を感じちゃうっす。

 しかし、松田聖子が単独で行った郷ひろみとの破局記者会見は、松田聖子の暴走かと思っていたが、そんなに芸能界は甘くなかった。
 それから約1カ月後『夜のヒットスタジオ』にニューヨークから中継が入って、その中で郷ひろみが例の破局会見を臭わすような事を言って、静かなバラードの曲を抑えるような感じで(涙をこらえるような表情で)歌っていた。
 しかも歌っていた場所が、教会の中と言う「いかにも」な演出まであって。
 私はあんぐりとしちまいましたが、歌が終わった後スタジオにカメラが戻ってきた時、スタジオにいた女性歌手で涙ぐんでいる人までいた。
 うぬぬぬぬ、と思っていた所、翌日会社の女子社員が休憩中に「あたし昨日の郷ひろみみてて、泣いちゃった」「あたしもぉ」などと言って盛り上がっていたので、そーなのかうーむ、と言う感じだったのだ。

1998年11月26日(木曜日) 続・悲しみよこんにちわ
 そんなワケで、実は昨日の『悲しみよこんにちわ』と言う文章は、とある事を見て考えて文章を書き始めたワケですが、その「とある事」の前振りのつもりで書き始めた文章が長くなってしまったので、連続物になってしまいました。
 いかんなぁ、ただひたすらダラダラ文章を書いては。

 (昨日の続き)
 芸能人が人前で涙を流すのは、多分にパフォーマンス的な物があると思うわけですよ。
 ま、離婚した時に記者会見なんかを開かないと、馬鹿なレポーターに追い回されて生活を乱される恐れがあるからするんだろうけど。(もっとも記者会見を開いても、その後もずっと追いかけてくるけどさ)
 それが今や一般人まで事件後は追いかけ回すからねぇ

 相手は事件の被害者で、精神的なダメージを激しく受けているってのに、追い打ちをかけるかの様に馬鹿レポーターが感情を逆撫でするかの様に引っかき回す。
 よくそんな事が出来るなぁと、その愚鈍な精神構造には感服しちゃう事が多いっす。

 10年ほど前、上海だかへ修学旅行に行った高校生が列車事故に巻き込まれ多数が亡くなった事件の時の話。
 確か事故の一報が入ったのが『ザ・ベストテン』を放送中の木曜日の9時半頃だった。
 そしてその後の11時からのニュースは、その事故があった生徒達が通っていた高校からの生中継で、情報収集に大忙しの職員達、事故のニュースを知って慌てて駆けつけてきた生徒の家族達で騒然となっていた。
 そんな場所でニュースを伝えようとする地元のアナウンサー。
 ここまでは普通だった。

 純粋な報道アナウンサーとは別に、突撃取材をするワイドショー的なレポーターもその中に混じっていたのだ。
 駆けつけた家族達は、混乱する情報を聞きながら、わが子の安否を祈り落ちつかない様子で祈っていた。そのうち、徐々に亡くなった生徒の氏名が伝わってきて、その場で泣き崩れる母親などの姿まで映し出していた。
 そこまで放送する事ぁ無いじゃねぇかと思っていたのだが、その程度の残酷さは甘い物だと次の瞬間思い知らされた。
 気力を無くし歩くのもやっとの様子の母親を支えるようにしながら父親らしき人が教室を出てきた。
 そこでレポーターはズカズカと近付いたと思うと、躊躇せずマイクを突きつけ、開口一番「悲しいですか?」と聞いたのだ。

 おいおいおいおいおいおいおいおいおい・・・・・・・

 80年代初頭に流行ったスネークマンショーのギャグじゃないんだからさぁ、それは無いんじゃねぇの?と、唖然としている所にさらに「旅行に出る前、お子さんが最後に言った言葉を覚えていますか?」などと、ワケの判らない事を聞いたりするのだ。
 その両親は怒る気力もなく、そのマイクを振り払い車の方へ歩いていった。
 その後も、そんな調子の報道が続いた。

 この事件ではさらにひどい報道も行われた。
 実はこの高校の修学旅行と言うのは、上海行きのグループとは別に、北海道行きのグループもあった。
 でもって、事件報道を知った北海道グループは急遽、修学旅行を途中で取り止めて、帰ると言うことになっていた。
 その上海での列車事故の話は、生徒たちも薄々知っているとは思うが、先生達の努力で生徒たちには極力情報を知らせない様にして、冷静な態度で帰る為に電車に乗っていた。
 そのワイドショーのスタッフはカメラを廻しながら、その生徒たちの乗った列車に乗り込んだ。そして、たまたま先生のいない車両だったらしく、その場にいた生徒に突然マイクを突きつけ、さらにその日の朝の新聞をその生徒に手渡したのだ。
 その新聞の第一面には大きな『上海で修学旅行の高校生が列車事故に巻き込まれた』という見出しが書かれ、その横には死亡した生徒達の顔写真がずらっと並んでいた。
 それを見て声に成らない声を上げて泣き崩れる生徒達・・・・・・、回りの生徒達もその新聞を見て大声を上げ・・・・
 かなり思考回路が「面白い絵が取れればいい」というベクトルに壊れたヘビーな馬鹿者達が「マスコミ」と言う権力を振りかざして、やりたい放題のとんでもない事をしでかしてしまったりする。

 そんな感じで、他人の迷惑を考えずに突撃して衝撃的な絵さえ撮影しちゃった方が勝ちなのだ!という考えは、80年代以降の風潮だと思う。
 多分、そんな馬鹿な絵を映している馬鹿カメラマンは、心の中で「俺ってロバートキャパみたいだよなぁ」とか勘違いしていたり、無茶な取材をする人の痛みの判らない馬鹿レポーターは「ペンは刀より強し」などと、完璧にマスコミと言う核兵器を抱えて、勘違いした権力をふりかざしていたりする。
 でも、以前は、昔はあそこまで馬鹿な報道はしなかった様な気がする。
 80年代の初頭、確か1982年あたりに「フォーカス」などの写真週刊誌が出て来てからなんじゃないかな、などと考えたりする。

1998年11月27日(金曜日) 新・悲しみよこんにちわ
 80年代中期には、その「刺激的な絵」というのをどの社も必死になっていた。
 かの日航機が墜落した事件の時も、奇跡的に助かった女の子がヘリコプターで地元の病院に運び込まれた際の出来事。  ヘリコプターが病院近くのグラウンドに下りた瞬間、そのヘリコプターの周囲を報道カメラマンが取り囲み、タンカが病院へ入る道がふさいでしまったのだ。
 レスキュー隊は刻一刻を争っている最中だったのだが、カメラのファインダーを覗き込んでいる職務に忠実なヤツらにはそんなの全然判っていない。とにかく生存者の顔を捕らえればオッケーなのだ。それさえ取れれば、大きな顔して社にも戻れるのだ。
 他のカメラマンなんかを押しのけて、我先に我先にと被写体に向かって飛び込んでいく。その被写体がどういう状態に置かれているのかなんて関係ない。だって俺はカメラマンだもん!
 スチールカメラマンも、テレビ局のカメラマンもごちゃごちゃになっていた。(当然、僕の見ていたTVのカメラもその中にいた。
 タンカを持ってるレスキュー隊員が大声で「どけ!馬鹿野郎!!」ど怒鳴っている声は今でも憶えている。

 80年代末になると、そんな報道が当たり前になって、かなり麻痺した状態になっていたのかも知れない。
 それまでの報道では、犯人と目される人を延々と追いかけ回す様な(でも、まだ法律的には被害者で、あくまでも容疑者程度で犯人ではなかった)ロス銃撃事件の事もあったが、その加熱報道が、80年代末になると被害者の方まで延々と追いかけ回すと言うワケの判らない状態になっていた。

 幼女連続誘拐殺人事件、例の宮崎某の起こした事件の時。
 「今田勇子」と言う偽名を使って、筆跡をごまかす為に角張った字で長編の「告白文」などと言う手紙を書き、段ボールに遺骨と共入れて被害者宅の前に置いてあった。と言う、猟奇的な事件だった。
 その時のマスコミの動きは、その時点で当然犯人が特定できていない状況だったので、すべて被害者の方向へ向けられてしまった。
 毎日の様に被害者の家の前から各社とも中継し、周囲をうろつき廻って、歩いている人がいれば誰彼構わずインタビューし・・・・
 被害者が何かの用で外出しようとすると、すかさず走りより「どうですか、犯人の事憎いですか?悲しみは少しは癒されました?犯人はどんな人物だと思いますか?」などと、頭の悪さ爆破な質問攻撃を不躾にもぶつけまくるのだ。
 「私は報道関係者だ私の使命は多くの皆様に事件の真実を知って貰う為にあるのだ」とばかりに、かなり失礼な事も平気でやる。
 そいでもって被害者が家から出てこない場合は、インターフォン越しにマイクを向け、カメラは撮影すべき物が無いので延々とインターフォンを映し、さほど重要ではないワケの判らない質問をしたりする。
 本来は被害に遭った子供の為に悲しまなければいけないと言うのに、逆に毎日毎日、こんなマスコミに張り込まれて、周囲をがうろつかれたら精神的におかしくなってしまうかもしれないのだ。
 その被害者家庭は「いったい私達がどんな悪い事をしたのだ?」と、頭を抱えていたかも知れない。
 しかも被害者は運の悪い事に、そのマンションの1階に住んでいたために、カーテンでも開けよう物なら当然の様な顔して家の中を撮影されてしまう。しかたなくカーテンまで締めて、中で陰々滅々鬱々として身を潜ませていなければならなかったのだと思う。
 そんな状態を見てワイドショーは「今日も悲しみに耐えるかのようにカーテンも閉じられてひっそりと静まりかえっています」などと報道しているのだ。
 さらにこの時、NHKのニュースまでも被害者自宅前からの中継とかを連日していた。
 ちょっと、マスコミの無神経さは度が過ぎるんじゃないのか?と思ってしまったのだ。

 さらにこの様な現状にならされると人々は、被害者以外の身近な人と言うのまで「1マスコミ」的に事件を論じ始めたりする。
 以前ならば、身近に被害にあった人がいるワケだから、あまり騒ぎ立てるのも被害者の方に申し訳ない・・・と本当に必要な事を警察に答えれるだけだったのだと思う。しかし最近はひとたび事件が起こると、みんなが「私も私も」と事件に参加したがり始める。
 そいでもってワイドショーに出ている無責任な文化人ヅラしたコメンテーターばりに事件を推理してみたりする。
 その結果、事件の本質的な「真実の目撃」がねじ曲げられたりしちゃうのだ。

1998年11月28日(土曜日) 真・悲しみよこんにちわ
 1997年の春先に起こった「酒鬼薔薇事件」などに象徴される。
 事件が起こった途端に「黒いビニール袋を持った男が」と言うインタビューが出てくる。
 すると「その男がそのビニールを振り回して歩いていた」などと言う話になり、さらに「その男の方を見たら睨み返された」などと言う話になっていくのだ。
 事件が起こった当初は「変な男に睨み付けられた」などと言う発言は無かったと思うのだが、インタビューによって「30歳ぐらいの中背の男」と言う証言があった途端に、事件から1ヶ月ぐらいして突然「あたしも見た」などと言う、想像上のキャラクターが現実に動き始めてしまうのだ。
 中にはインターネット上でその名前は事件より数カ月前に見たことがある。などと言う、ワケの判らない発言までされた。(その時点で、警察が関与すれば過去の通信記録をチェックできるとは発言者は知らなかったのかも知れない)
 大きなバンが事件現場から急発進をして逃げていくのを見た!と言う発言があると、今度は複数の人が「バンを見た」と言う事になっていく。
 これは完璧に参加型RPG的な感じで、集団催眠状態だったりする。

 ハッキリ言って、その「見た」という夕方の時は、実際に事件がとある場所で起こっていたのかもしれないが、まだ誰も周囲で事件が起こったと思っていないワケで、そんないわゆる普通の日常的な時点で「昨日の帰り道にすれ違った男」なんてのを憶えていないと思うのだ。
 よっぽど異常だったか、興味を引く様な状況でない限り。
 昨日の帰り道に黒い袋を持っていた男とすれ違った?などと言われても憶えていない。
 でも、複数の人が「見た見た」と言っていると「あたしも見たかもしれない」と、思ってしまうのだと思う。でもってさらに記憶のすり替えとして、自分なりの新解釈が事実として付加されていくのだ。
 憶測と記憶のすり替えによる集団催眠状態が事件をさらに難解な物にしていく。

 でもって犯人が捕まり、その犯人ってのが中学生だと言う事が判った瞬間「黒い袋を持った30代の男」や「急発進したバン」や「インターネットでの書き込み」の話が「え?そんな話ありましたっけ?」と言う状態でかき消されてしまった。
 特に、あれだけ嘘の情報を垂れ流ししてあおりまくったTVのマスコミなどは、その「誤報」に一言も振れることなく、犯人の年齢から「児童福祉法」がどーだこーだと言う話題に逃げ込んでいた。

 今や事件は周囲の人にとって、ただのイベントになっているのかも知れない。
 全ての人が探偵になって犯人を捜すゲーム。
 おかげで、中学校の校門に置いてあった生首を最初に発見した人などは「一番怪しい人物」としてマスコミに何度も何度もインタビューされた。
 そのインタビューも合同インタビューではないので、1日に何社にも(TV局・新聞社・出版社などなど、その数は膨大になる)インタビューされ付け回され、仕事も出来ず、自宅にも帰る事が出来ず、友人宅を渡り歩き、事件が解決する1カ月以上の間、ボヘミアンな生活をしてボロボロになっていたらしい。

1998年11月29日(日曜日) 完・悲しみよこんにちわ
 そして今年、7月に和歌山で毒入りカレー事件が起こった。
 あいかわらずマスコミは悪ふざけとしか言い様のない報道を連日続けてきた。
 とりあえず、今回は「犯人」と思われる人物が早い段階で特定出来たので(TV的には名前は出てこなかったが)マスコミの目はそっちに向けられ、被害者などに危害は及ばなかったが、やはりマスコミの馬鹿は直らないなぁと思っていた。

 と、ある日TVを見ていたら、毒カレー事件で子供を亡くしたと言う母親の手記が読まれていた。
 そして悲しみを癒すために童話を書いたと言う事で・・・・
 延々とその童話を感傷的なBGMに乗せてナレーターが朗読するのだ。
 冷静に考えたら、ありふれた童話なんだけどバックにある事件などの事実が相まってかなり涙を誘う物に仕上がっている。
 その放送があったのが9月の終わり頃。
 ・・・・・事件が起こったのが7月の終わりだから約2カ月後と言う事になるのだが、(凄く危険な発言だが、あえて言わせて貰えば)なんだか悲劇に酔ってしまっている様な気がしてしまった。
 実際の事件の被害者にこーゆー事を言うのもちと気が引けるのだが、とりあえずよく言われる「悲劇のヒロイン」的な意識の中にどっぷり入ってしまっている様な気がしてしまったのだ。あくまでも自分の感覚としては。
 それをTV局に送ったのか、出版社に送ったのか判らないけれど、その結果こうして「悲劇のヒロイン」的な扱いで発表される。
 もしかしたらこの先、この作品が出版されるのかも知れない。
 別に悲しみを紛らわすため、亡くなった魂を沈める為にその気持ちのベクトルを創作活動にどどーんと向ける事は悪い事じゃない。
 でもいきなり発表の場がTVって辺りに凄く「狙い」を感じちゃう。

 悲しみを何かの形で自己表現しなくてはいけない時代なのか?

(一口メモ)
 かつて島崎藤村と言う作家が自分の犯した罪(姪を妊娠させて、それから逃れるためにヨーロッパへ留学と称して逃避行した)を小説という形式で、自分のした行為を正当化して『新生』と言う作品を書いた。
 文学に燃える青年、芥川竜之介はそれを読んで「これほど偽善的な人間を見たことがない」と憤慨したと言う。

1998年11月30日(月曜日) 紅白歌合戦・出場者決定
1998年11月31日(火曜日) 
 そーかそーか、紅白で安室が復帰かぁ
 そーかそーか、ブラックビスケッツ&ポケットビスケッツの混合チームで出場かぁ
 そーかそーか、モーニング娘。も、でるかぁ
 と言う感じで、今年の紅白出場歌手が決定した。

 80年代以降、視聴率が悪いと言われ、無理矢理な話題を作り上げて盛り上げようと頑張っている紅白だが、視聴率悪いっつっても、未だに「50%」っすよ。
 TVを付けている国民の50%が紅白見ているワケっすよ。こりゃ凄いワケだよ。
 しかもこの視聴率ってのは大都市のチャンネルがNHK・NHK教育・NTV・TBS・フジ・テレ朝とそれ以外にもいくつも見ることの出来る場所のみでの調査での50%なのだよ。
 てぇ事は、もっとチャンネルの選択の余地の少ない地方にいった場合は凄い事になっているのではないか?
 確かに、60〜70年代の『視聴率77%』なんている馬鹿げた時代から考えれば、視聴率が低迷しているのかも知れないが、逆に過当競争になった現代で50%ってのは昔より国民に見られているんじゃないの?
 結局は「率」ではなく実質にどんだけの人が見ているかって言ったら・・・。

   先日、他のHPで「紅白歌合戦」を取り上げている所を覗いたら、そこに熱い紅白への想いが書き記されていた。
 でもって「紅白は国民のお祭りだ、出場拒否なんて言語道断!」みたいなことを書いてあって、さらに出演拒否をする歌手は「紅白に出てもメリットがない」と言う商業主義にまみれた人だ、みたいな極論を書いてあった。うーむ、そこまで極論に達しましたか。
 でもって別の紅白関連のHPでは「今年、歌手活動をしていなかった安室奈美恵は出場すべきではない」と言う事も書かれていた。

 色々、みんな紅白に対して激しく思い入れているのだなぁ