杉村ぐうたら日記(1998年12月1日〜10日)

▲1998年12月1日:火曜日:君は何故、紅白に出場するのだ?
▲1998年12月2日:水曜日:来年の紅白歌合戦
▲1998年12月3日:木曜日:紅白の不思議
▲1998年12月4日:金曜日:蛭子さん逮捕
▲1998年12月5日:土曜日:先輩達の就職先
▲1998年12月6日:日曜日:破れたハートを売り物に
▲1998年12月7日:月曜日:偽札作りは難しい
▲1998年12月8日:火曜日:ジョンレノンよ永遠に
▲1998年12月9日:水曜日:特製シチュー
▲1998年12月10日:木曜日:おでんの季節
1998年12月1日(火曜日) 君は何故、紅白に出場するのだ?
 最近はNHKも開かれてきたが、以前は「紅白に選ばれるのは、いかにNHKに貢献したか」と言うのが最大の選択理由だったような気がしていた。
 なんせ、私が子供の頃、1970年代の中頃だが、毎年「菅原洋一」と言う歌手が出ていた。
 この歌手の曲はかなり前にヒットした『知りたくないの(67)』『今日でお別れ(70)』ぐらいしか知らないし、ハッキリ言って紅白歌合戦以外では1年間を通して見ることがなかった。
 (ディナーショーの王者だったらしいが)
 でもって毎年出演して、外国のスタンダードなどをうたっていたのだ。
 そーゆー疑問を持ったのが75年あたり。
 でもって何故なのか全然理由は判らないのだが、その後実に10年以上、1988年まで毎年当たり前の様に皆勤賞出場していたのだ。(22年連続出場)
 な・・・・なぜなのだ?
 紅白って言うのは、その1年活躍した人が出るお祭りではないのか?その1年で始めて見る人ってのは・・・・

 最近では、伝言板の方で指摘がありましたが「西田ひかる」っつー人もいます。
 実は11月の終わりぐらいから、『HAPPY BIRTHDAY'S CLUB』の中に『紅白歌合戦』と言うコーナーを設けるために、資料を集めて色々と細かい作業をしていた訳っす。
 そして最近では「西田ひかる」って人が、過去3回も出場していたって事にビックリしたっす。
 えぇぇぇぇぇぇっ!出てたのぉぉぉ???
 と言う感じだったのだ。なんせ、CMなんかでは見かけるけど・・・・歌番組で見たことって・・・・。
 そんでもって、何故か今年も出演するらしい。
 やっぱしNHKへの貢献度なのかなぁ、と言ってもNHKのどこに出ているのか知らないけど。

 見事にNHKがらみなのは、斎藤由貴って歌手がたった1回、紅白に出ているんですが、その年連続TV小説に出ていたりする。
 見事。

 そーゆー意味では今回のウルフルズの落選ってのは意外だった。なんせ現在放送中のTV小説の主題歌『遊ぼう』を歌っているのだ。
 ま、このドラマが始まった当初からNHKには苦情電話で「朝のさわやかな時間帯にがなりたてるだけのうるさい音楽はいらない」とか「何を言っているのか判らない」などと言う声が殺到したらしい。
 さすが暇な人しか見ることの出来ない時間帯のドラマだぜ。
 なんか、本当に噂としてそーゆー背景があって、当選確実だったウルフルズが落選したと言う噂なのだ。
1998年12月2日(水曜日) 来年の紅白歌合戦
 そんな感じで「何故、出るの?」と言う人がいる反面、70年代のNHKは頑なで、民放TV局がらみでヒットした曲に対しては「そんな曲知らないもんね」と言う態度をとっていた。
 おかげで昭和期最大のヒット曲「泳げたいやきくん」などは、まったく無視されちゃったのだ。

 何故こんなのが出て、あれは出ないの?って感じに子供心に思っていた。

 それから20数年経て、今年は日テレの『ウリナリ』から出てきた「ブラックビスケッツ」「ポケットビスケッツ」の両グループを1つのユニットとして出場させたりしちゃっているのだ。
 この両グループが出るって事は、当然、あの番組的な要素もそこに展開させる事になるだろうし、なんか隔世の感があるのだ。

 出演拒否ってパターンで言うと、80年代の中期、それまで毎年出演していた某アイドル歌手が突然「紅白はもう卒業します」と言って、発表がある前から紅白出場拒否宣言をして話題になった事があった。
 実は、そろそろ落ち目になっていた某アイドル歌手が「落選」より前に、自ら予防線を張ったと言うのが濃厚な線らしい。
 今回の紅白では、女優の吉永小百合も出場を打診されたらしいが「私はここ数年音楽活動していませんので、一生懸命頑張っていらっしゃる現役の歌手の方に悪いですから」とやんわり断ったらしい。
 紅白ってのは、とりあえず「その年頑張った歌手の発表会」と言うイメージがあるが、ここ数年はどーも違った方向に言っている。
 なんせポールサイモンが出たり、シンディーローパが出たりした年もある。
 ついでにその年、両名はあんまし活動したという印象もない。
 あと、名前を聞いたことのない様な外国人歌手も出ていたりする。

 なんか完璧にワケの判らない事になっているなぁ、と思いつつ、今年の紅白ではなく来年の紅白歌合戦はとんでもない企画が持ち上がりそうだなと期待しているのだ。
 なんせ『第50回記念』だし、1999年の大晦日、紅白が終わった直後に『2000年』だし、さぁどんな事になるのか、来年の話を言うとオニが笑うらしいが、来年の大晦日を想像しちゃうのだ。

PS
 すでに本当に来年の大晦日の話題だが、なんかマライヤキャリーが、1999年の大晦日は日本でカウントダウンをやって迎えたいなどと言う話になっているらしい。
 うーむ、もう色々なプロジェクトはミレニアム(1000年期)へのイベントに動き出しているのだな。
1998年12月3日(木曜日) 紅白の不思議
 どーも紅白歌合戦と言うのは変だと思うのでありますよ。
 現時点でも視聴率が50%を超えているのだが、それでも「低い!」などと言われて、担当ディレクターが地方局へ飛ばされたとか、総合司会のアナウンサーが都はるみに向かって「美空さん」と言い間違えてしまって地方に飛ばされ、それから1年後フリーになったとか、加山雄三が少年隊の「仮面舞踏会」を紹介するとき、勢いよく「次は少年隊の仮面ライダーです!」と言い放ったとか、色々なドラマがあった。

 吉川晃司は本番でリハーサルにはまったくない事(演奏しているギターに火をつけてジミーヘンドリックスの真似をした)をして、その後一切NHKの番組にはでれなくなったとか、楽しい話題はたくさんありますな。

 不思議な事では、売れなくなった歌手でも何故か連続して出ると言うのがありますが、そーなると過去のヒット曲を歌わざるを得なくなったりする。
 ま、とある歌手なんかも3年連続同じ歌と言う凄い人もいる。
 でもって何故か自分の持ち歌ではないのを歌ってしまう人までいたりするからスリリングなのだ。

 私の中でその選曲のすばらしさ、演出のすばらしさ、そして訳詞のばかばかしさでトップを言っているのは「相良直美」の歌った「オブラディオブラダ」だったりします。
 何故この人が、突然ビートルズの曲を?と言うのもありますが、なんせ本場イギリスからバグパイプ隊を呼んでその前で堂々と歌ってしまう姿に小学生の私は感動しましたね。
 そんでもって小学生ながら、その日本語に直した歌詞が「太郎と花子が出会い、二人は恋をした〜ぁ」と言うのに「馬鹿」と感心した訳です。
 なかなかワンダーランドな訳です。

 それ以外で自分の持ち歌ではないのを歌った人に「榊原郁恵:なごり雪」と言うのもありましたが、ま、これは榊原郁恵とイルカって線は遠くはないかな?と言う感じなので、良しとしましょう。

 周囲でブーイングが起きた例では「桜田淳子:セーラー服と機関銃」と言う、本当にどう考えていいのか判らないのがありました。
 司会者に紹介され、例のチャラランランララ〜ンララ〜と言うイントロと共にステージに出てきた桜田淳子。その時、明らかに客席は「何故だ?」とざわめいていました。
 きっと日本国中で「何故だ?」と言う叫びがあり、本歌を歌っていた薬師丸ひろ子もこのTVを見ながら「何故だ?」と思っていたと思う。
 さらに作曲者で「夢の途中」と言うタイトルで同じ曲を歌っていた来生たかおも「何故だ?」と思っていたと思う。
 でも最大の「何故だ?」と言う心の叫びを出していたのは歌っていた桜田淳子本人かも知れない。

 そして桜田淳子が紅白に出場したのはその年が最後になった。
1998年12月4日(金曜日) 蛭子さん逮捕
 昨日の朝のニュースで、漫画家でタレントの蛭子能収(えびすよしかず)氏が、麻雀賭博で現行犯逮捕されたと言っていた。
 なんと言うか「らしいよなぁ」で片づける事が出来ちゃうよなぁ
 その後読んだ新聞によると、その掛け金額はかなり低く、いわゆるドラマなんかに出てくるような一晩で何千万円の金が動くと言うたぐいの物ではなく、ほとんど家庭内麻雀レベルの金額だった。
 いわゆる法的には1円だって個人的な賭事は認められてはいないが、「だれだってやってる」と言う感じのギャンブルなのだ。(やっていない人はいないだろうし、実際の事を言えばボクだって金をかけたゲームなんてしたことないけどさ)

 しかし、その警察が踏み込んできた瞬間の蛭子さんのおどおどした仕草はすぐ想像つく。
 あまりに絵に成りすぎてニュースとしてはインパクトなさすぎるよなぁ

 どーせだったら、和歌山の林家で毎晩行われていた麻雀大会に蛭子さんが出席していた!などと言うニュースだったら、盛り上がったのになどと思いっきり不謹慎な事を考えたりする年の瀬であった。

 芸能人の逮捕ってのは、どーせすぐ忘れ去られてしまうので、このぐらいの逮捕は痛くも痒くもないかもしれない。
 逆にネタになっちゃうからねぇ
 かつて逮捕されたと言えば、麻薬で井上陽水とか研ナオコがいたりする。みんな忘れている、あるいは知らなかったでしょ。
 賭博では志村けん&仲本工事が一緒に逮捕されている。
 淫行では田代まさしなどラッツ&スターの数名が逮捕されている(当時はシャネルズ)
 結構みんな頑張っているのだ。

 最近の麻薬関係では、ラルクアンシェル(←正確な表記は面倒くさい)のドラマーが逮捕されて、その結果、色々あったと思うが脱退。
 叫ぶ詩人の会のドラマーも逮捕。
 リーダーで若者に人生を説いていたドリアン助川は涙ながらに「俺があいつを更正させる!」と叫んだらしい。自分の番組では壁に「ボーイズ ビー シドビシャス」などと書いていたのに・・・・・

 井上陽水が逮捕された時、フォーライフレコードの仲間、小室等&吉田拓郎は「あいつも大人だから自分で考えると思う」と言って、保釈金も払ったりそういう行動をまったく起こさなかった。
 そっちの方が、変にボルテージ上がって「更正させる!」などと叫ぶより、真剣に相手の事を考えていると思うのだ。
1998年12月5日(土曜日) 先輩達の就職先
 仕事で現在「再来年の専門学校入学者の為のガイド本」を編集している。
 とりあえず来年の4月に高校向けの本が出て、7月あたりに書店売りの本になると言う感じで、現在高校2年生の人たちが3年になった時に読む本だから「2000年度」なのだ。
 うーむSF。

 そのガイドブックってのは去年も編集していたんだけど、その編集の最中に例の『山一証券倒産』と言う吃驚仰天なニュースが飛び込んできた。
 でもって、簿記系の学校なんかの『本年度卒業予定の先輩達の就職内定先』なんて所のトップにどどーんと『山一証券』などと誇らしげに、他の就職先より大きな文字で掲載してあったのだが、それに対して慌てて修正を入れてくれと先方から指定が入ってレイアウトを変更したりの大騒ぎがあった。
 そりゃ確かに、専門学校からそんな大手の『山一証券』なんかに入社出来るってのは、本気で出来る人って事になり、学校側としても誇りだったのだと思うのだな。
 それが一瞬にして「無かった話」にされてしまうシビアな現実を見せられてしまったのだ。

 今年はそんな事ないよなぁ
 と思いながら、先方から入ってくる原稿などを整理して編集し始めた。
 とりあえず、基本として去年のデータを修正すると言うスタイルで編集が進んでいるので、かなり多くの学校が募集人員を去年より減らしていると言うのが判ったり、もっと悲しいのでは「今年は無かったり」する学校がいくつかある。

 うむむ、色々な所に不況の影は忍び寄って来ているのだなぁなどと思いつつ、現在はちょうど子供の数が少ない世代なのでしょうがないのかも知れない。

 と、編集をしていて気が付いた事は前年まであった『本年度卒業予定の先輩達の就職内定先』の項目を削除する学校がほとんどという状況になっていたのだ。
 うむむむむ、4年制の大学を出ても、2年制の大学を出ても就職が困難だと言う時代、手に職を付けると言う意味の専門学校を出ても就職はキツいか・・・・
 なんかキビしい時代を目の当たりにしてしまったのだ。
1998年12月6日(日曜日) 破れたハートを売り物に
 なんか母親がTVで「感動的な話」を集めたのを見ていた。
 凄く苦手、この手の「絶対感動できまっせ」と言う作りで、徳光和夫あたりをコメントもほとんどしないコメンテーターとして配置し・・・と言う種類の番組が苦手だったりする。
 その、あからさまな作り方がいやだって事もあるし、なんか凄く安易な感じがいやだったりするのだが、一番いやなのは時々「へへ〜ん」と気軽に見ててツイツイはまって「うるうる・・・・」なんて事になっちまったりするのでイヤなのだ。
 あの辺の、ただ呼ばれて、ただVTR見て、ただ泣く、と言う仕事を毎回している人って、仕事ってものをどー考えているんだろ?なんて事も考えてしまうわけ。
 なんか、それでいいんだったら、誰が座っていてもいいんじゃないの?などとTV批判をしちゃう今日この頃なのだ。

 そんな訳で、夕食を食べながら私はぼーっとそのTVを見ていた。
 で、エンディングに近付いて行くにしたがってみんなのテンションが上がってきた。
 その番組にはコメンテーターと称して5〜6人のタレントが間の抜けた顔で椅子に座ってVTRを見ていた。でもって一番隅に座っていた蛭子能収(例の事件以前に収録したと思われる)以外は全員ハンカチ用意状態でぐすぐすと泣いていた。
 で、そのぐすぐすがVTRが進むうちに「ずびーずびー」と言う鼻をすする音に変わってきたのだ。
 その音ってのが完璧にマイクで意識して拾った音と言う感じだった。それが次第に単独ではなく、複数になってずびーずびーと言う感じになっていたのだ。

 はっきり言って、本編の喋りやナレーションより見ているコメンテーターの「ずびーずびー」の音の方が大きくて、そこで演じられていたドラマは全然頭に入らなくなってしまった。
 あんなに激しくずびずびしなくても、あんなに激しくずびずびをマイクで拾わなくても、と言う感じで「きっとここからこの番組を見た人はドー思うんだろうか」と言う感じなずびずび音が全編に流れる番組になってしまったのだ。

 しかし、何ンでこんなに臭い番組なのに受けているのだろうか・・・

1998年12月7日(月曜日) 偽札作りは難しい
 私がやった仕事ではないが、聞いた話。

 そんなワケで某所の仕事で「絶対にバレる偽物の紙幣」が描かれた物があった。
 いわゆる銀行名も日本銀行ではないし、肖像画の処も勿論全然関係ない人物のふざけて映った写真に差し替えられている。
 こんなので偽札として流通出来るっつーんなら、誰だって偽札作っちまうぜ、と言う感じの偽札だったらしい。

 それを誌面にレイアウトして、その周囲にテキストを流し込んで・・・と編集作業があった。
 でもって、実際の印刷工程に廻すためにフィルム出力をする前に「ゲラ出力」っつー事で、いわゆる普通紙プリンターで出力をして誤字脱字などが無いかチェックしたりする。
 と言うワケで、その普通紙プリンターへ「出力!」
 ・・・・・・ぷすん

 何故か、そのプリンターが停まってしまったと言う話らしいのだ。
 「おおおおお?何だ?」とその作業者は驚いたのだが、実は高性能なプリンターの一部には、偽札造り防止の為に、紙幣に隠されている特別な絵柄を関知すると、プリンター出力が強制的に停まって、プリントアウト出来なくなってしまう物があるらしいのだ。
 そんなワケで、その仕事はゲラ出力も出来なかったと言う。

 そーかそーか、技術革新の裏にはそんな複雑な事も行われていたのかぁ

 しかし偽札防止だとかって事で、紙幣には肉眼では殆ど見えないような細かい字があって、それがコピーなんかだと絶対潰れてしまう物があるらしい。
 でも、オリジナルのお札のその部分だって肉眼ではチェックできないんだから・・・潰れていようがいまいが、全然関係ない様な気がしちゃうのだ。

 あと札関連で疑問に思うのは、点字が隅っこにあって・・・と言うヤツ。
 ハッキシ言って私が指で触ってみても、判別以前に「凸凹あるの?」と言う感じだったりする。
 なんかうーむと言う状態の連続なのだ。

1998年12月8日(火曜日) ジョンレノンよ永遠に
 その頃、僕は東京で毎日の食費にさえ事欠きつつ、本やレコードに金をバシバシ使っているような美術学校の学生をしていた。
 たしか土曜日の夕方、TVを付けつつ音をしぼり、友人から借りたベースをヘッドフォンで聴きながらボヨ〜ンビヨ〜ンと弾いていた。
 そんな時、音は聞こえなかったが目の前のTVの中に歌うジョンレノンの姿が映し出された。ビートルマニアの私は即座にそこで使用されているのがジョンレノンの「スタンドバイミーのプロモーションビデオ」だ!と言うのにも気が付いた。
 しかし、その時間は夕方6時代のニュースの時間じゃないか?と思ったが私は慌ててヘッドフォンを外し、TVのボリュームを大きくした。
 いったい何だ?私はそこでジョンレノンのプロモーションビデオが流されている理由を一瞬考えた。
 ちょうどその年の3月、同じく元ビートルズのメンバーだったポールマッカートニーが初来日コンサートで成田に来たときにマリファナを所持して国外退去になったニュースを思い出した。
 「ジョンも、ときどき奥さんのオノヨーコの実家とか軽井沢に来ているとかって噂だけど、なんかしたか?」ぐらいに思いながら、TVのボリュームを大きくした。
 そしてTVから流れてきたアナウンサーの声は「昨夜未明、ニューヨークの自宅前の路上で元ビートルズのジョンレノンさんがピストルで撃たれて死亡しました」と言う、一度聞いただけでは信じがたい物だった。
 「・・・・・」本当に、その瞬間「ピストルで撃たれて死亡しました」と言う意味が理解できなかった。

 そのニュースは、ジョンの死亡ニュースをその他大勢と同じにありふれたニュースみたいな形で紹介して、一瞬のちには、まったく別のニュースを話し始めていた。僕は慌てて他のチャンネルで放送されているニュース番組をチェックした。
 そして僕はその夕方からニュースを延々渡り歩きながら見て、さらにラジオのニュースをチェックした。たしかその深夜、オールナイトニッポンは「緊急特番、ジョンレノン追悼番組」を放送したと思った。

 僕は今でも、ジョンレノンの命日になると、あのカラッと晴れ渡った翌朝の空の色を思い出す。

 そして僕はその翌朝、生まれて始めてスポーツ新聞を買った。

1998年12月9日(水曜日) 特製シチュー
 やっぱ冬は暖かい物に限るよね。
 ナベとかオデンとか、こー体の芯から暖まる物が最高っすよね。

 などと思ってしまう季節だったりする。
 それと同列で私の中にはシチューと言う物が存在している。
 いわゆる西洋風の汁物なのだ。

 このシチューというのは私にとっては子供の頃からの冬場の好き好きメニューだったりする。いわゆる「おふくろの味」っつー事を言われたりする場合には「シチュー」なんて物を連想したりするのだ。
 と言っても「やっぱ、おふくろの作るシチューが最高だよな。このシチューを食べたら他のシチューなんて食べられなくなっちまうぜ」などと言う状態ではない。
 なんせ、いたって変哲もない「ハウス・クリームシチュー」なのだ。特殊な『隠し味』なんて事もやっていない。それどころか、レトルトシチューだって、会社の食堂のシチューだって、なんだって好きなのだ。

 しかし、私は二十歳ごろまでの約20年シチューという物を勘違いして覚えていた。

 以前以前の話になるのだが、その当時つき合っていた女の子が「シチューでも作ってあげるよ」などと言う事で、さっそく二人でスーパーなんかに買い物に行った。
 「えっと鳥肉は買ったでしょ、人参もあるし・・・」などと買い物がほぼ終わりに近付いた時の事だった。
 「他に忘れ物ないよね」と彼女は言った。
 で、僕はカゴの中をチェックして「1つ買い忘れている物」に気が付いたのだ。が、それが大きな間違いだとは気づかず、しっかりと「ダイコンが無いよ」と言ったのだ。
 「え?」しばらく沈黙、再び彼女はゆっくりと「ダイコンって・・・」

 そうなのです。その時点まで私はシチューには当然のごとく「ダイコン」が入っている物だと思っていたのです。なんせ、杉村家のシチューには絶対的確率でダイコンが入っていたのです。
 ほとんど『風呂吹きダイコン(クリーム風味)』と言う状態だった。そして子供の頃からシチューは好きだがその中のダイコンはいまいち好きになれなかった。

 色々家庭のルールと言う物があるのだが食事のルールってのは千差万別あったりするのだ。

 以前も会社の女の子に「ねぇねぇ○○さんって、納豆を食べるときに玉子を白身も全部入れて、さらにネギも入れて醤油をかけるんだって」と話しかけられて「い・・・いや実は我が家もそーなんだけど」と言い出せなくなってしまった事があった。

 そんなワケでときどき、友人宅で食事を御馳走になってカルチャーショックを受ける事もあったりするのだ。
1998年12月10日(木曜日) おでんの季節
 やっぱ冬は暖かい物に限るよね。
 ナベとかオデンとか、こー体の芯から暖まる物が最高っすよね。

 などと思ってしまう季節だったりする。
 と言うワケで、前日もそんな事を思った様な気がするが、今日の気持ちはオデンだったりするのだ。
 シチューでは苦手だったダイコンも、オデンの中に入るとどどーんとその存在感をアピールしだして、しっかりと腹に貯まるオデン界の王者として鎮座ましましている。
 ま、そんな事を書くと「茹で卵」だって黙っちゃいないと思うが、基本的にダイコンにしても茹で卵にしても基本的に勝負は「しっかりと汁が染みてから」と言う感じだったりするのだ。

 そんなワケで、会社の帰りに突然「オデン喰いたい」とか思ってしまう事もある。
 でもって最近は絶対的圧倒的当然的にコンビニなんかでは冬場はオデン!と相場が決まっている。完璧に秋口から春先まで8ヶ月近くオデンが存在していたりするのであった。

 が、だ。
 どーもワタシは「オデン喰いたい」度数のボルテージが上がって意気込んでコンビニに入ったとしても、あの「むわ〜ん」と言う状態のオデン臭い攻撃をされと、一瞬のうちに「へなへな」と度数が減少してしまったりするのだ。
 でもって、結局の処、オデンに近寄らずに別の物を購入して帰ってきてしまったりするのだ。

 ま、「もわ〜ん」ぐらいならば許せるのだが、先日立ち寄ったコンビニは完璧に「嫌がらせで出しているの?」と言うぐらいに激しくヘビーな濁った臭いが充満していた。
 食欲をそそるって状態ではなく、気分を減退させる様な激しく恐ろしい物だった。
 たぶんこの中で仕事をしている店員などは、鼻がこの臭いになれてしまっているのだろうが、外から入ってきたばかりのワタシは「おえっぷす」と、胸の奥から、胃の奥から何やらがこみ上げて来そうな程の臭いだったのだ。
 ましてや、このコンビニには「オデン喰いたい」と入って来たわけではないので、精神的にもヘビーだったのだ。

 コンビニでは、ある程度の感覚でダシを入れ替えたり色々しているらしいのだが、私にはどーも冬場のコンビニは臭くて敬遠したいと思ってしまう場所になってしまうのだ。