杉村ぐうたら日記(1999年1月1日〜10日)

▲1999年1月1日:金曜日:新年あけましてだったりするのだ
▲1999年1月2日:土曜日:第1面クリア
▲1999年1月3日:日曜日:1999年だよなぁ
▲1999年1月4日:月曜日:ダイエットは正しくない
▲1999年1月5日:火曜日:ベストセラーな本
▲1999年1月6日:水曜日:着メロ本がベストセラー?
▲1999年1月7日:木曜日:ちょうど10年、そして10年、これから10年
▲1999年1月8日:金曜日:見た見た
▲1999年1月9日:土曜日:キリがない・・・・
▲1999年1月10日:日曜日:評判のインターネット
1999年1月1日(金曜日)新年あけましてだったりするのだ
 そんなワケで新年あけましておめでとうございます。
 などと言いつつ、たぶんこの文章がアップされるのは松が開けて数日経過した頃だと思うのだが、あいかわらずぐうたらなのだ。
 こりゃ一生直らないかもしれないなぁ

 ま、そんなこんなで1999年が始まってしまったのだが、相変わらず「20世紀最後の年を」などと言っている人が多かったりするので、ちと首をひねってしまうのだな。
 大昔から、グレゴリオ暦のさらに昔から、20世紀は「1901年から2000年」と決まっているのだ。青島幸男が国会で決めなくてもそー決まっているのだ。これでいいのだ。
 が、やはり千の位が変わるって部分で「2000年から21世紀」と思っている人が多い。いったいどーなっちまうのだ?今年の大晦日は。
 などとすでに今年のラストの心配をしているのだが、とりあえず今年の話題なので鬼は笑わないと思うが、私のHPに関しては「笑わしてナンボ」と言う方向で進んでいるので、鬼が笑うような来年のネタも良いという事になるのだ。
 それ以前に「来年の事を言うと鬼が笑う」と言うことわざ自体が変な話で、鬼が笑ったからってどーって事無いような気がしちゃうのだな。

 と、今年も相変わらず重箱の隅をつついておりますが、そんな調子でまた1年過ごしてゆくと思いますです。  取り合えず今年の私のテーマは『Turn to the POP』と言う事で、「活力を取り戻そうぜ!」と言うのを掲げてワシワシと突き進んで行く予定なのだ。

 現時点で、3月(14日 or 21日)に「コンピューター機器がメインのフリーマーケット」と言うのを計画しちゃっていたりするっす。
 不要になったコンピュータを中心にした電気機器をフリーマーケット状態で売買、あるいは交換会、あるいは見せびらかす集会を開きたいと思っております。
 場所はあいかわらず、静岡県駿東郡清水町にある「杉山バラ園」で、協賛してくれるのはマックを中心としたコンピュータ中古ショップ「名も無きジャンク屋」と言う事になっています。
 会場はかなり広い&屋根つきなので、ガシガシ参加してやって下さい。

 そんなワケで今年もダラダラとよろしく。
1999年1月2日(土曜日)第1面クリア
 大晦日から元旦にかけての話。
 例年だと大晦日の夜あたりには我が家には数人の友人があつまったりしてウダウダと過ごして、年が明けると同時に「三嶋大社に初詣に行こうぜ!」なぞと誰かが言い出す。
 ところがそれに対して「俺、宗教上の理由で三嶋大社に行っちゃいけないから」などと、ワケの判らない事を言い出すヤツなんかもいて(確か、数年前一緒に行った様な気がする)結局、ダラダラと過ごし「じゃ、初日の出を見に行こうぜ」などと誰かが前向きな事を言い出す。
 ところがそれに対して「初日の出見たからって、何かあるの?」などと根本的な疑問を投げかけるヤツなんかもいて、結局ダラダラと寝始め、翌朝というか翌昼ぐらいにダラダラと起きだし、テレビの「爆笑ヒットパレード」とか言う番組で、1年ぶりのマギー四郎なんかを見てしまう。
 と言うのが、ここ数年の平和な正月だったのだ。

 今年は、それぞれの友人も色々な理由があって(&自分が体調を崩した)平和な大晦日を過ごそうと言う事になった。
 本当に10数年ぶりにちゃんとレコード大賞を見て、紅白歌合戦を見たりしていた。
 レコード大賞は小室のいる「globe」になったのだが、あの曲がレコ大・・・・・うーむと思いつつ、そー言えば去年とその前の年は連続で安室だったし、その前年はtrfだったワケで、4年連続小室作曲なのか・・・・なんか嫌だけど4年も続けてトップに居るってのは凄い事なのだなぁ
 去年の春辺りで「そろそろ小室帝国にも陰りが見えてきた」などと言われていたが、うーむ。

 ま、そんな感じで私の1998年は終わり、新しい1999年を迎えた。
 と、突然電話が鳴り響いた。

 その電話は友人からで某所に集まっているからおいでと言う事だったのだ。私はすでに寝る体制に入っていたのだが、基本的にお祭り好きな体質なので即座にオッケーをして、家を飛び出した。
 その集合場所は普段なら車で30分ぐらいの処にあるのだが、深夜12時を廻った時間帯なのでもっと早くたどり着けるハズだった。
 が、世の中そんなに甘くないと言う事を正月早々思い知らされてしまったのだ。

【第1面ザコキャラ】
 私は軽快に車を飛ばしていた。
 カーステレオには去年のクリスマスから入りっぱなしだったクリスマスソングCDだったので、いかんいかんと、ラジオに切り替えた。ラジオは三嶋大社からの中継などで盛り上がっていたのだ。
 しかし、クリスマスなどの曲は多いが、何故正月の曲は少ないのだ?などと突然思ってしまった。
 ふと思い出せる正月ソングって言うと、ユーミンの曲と、大滝詠一の「ロックンロールお年玉」、はっぴいえんど「お正月」ぐらいなのだ。
 うむうむ、これは穴場なのだな。
 と思いつつ軽快に飛ばしていた私の前に異様な物が出現して、私の行く手を塞いだのだ。

 うぬぬと思ったのは、自転車に乗った高校生の集団。
 たぶん初詣電車の出ている駅に向かっているのだと思うが、そのチャリに乗った6人の高校生らしき連中は横3台ぐらいに道へはみ出してノロノロと走っているのだ。
 「やいやいてめぇら邪魔だ邪魔だおらおらおらぁ!」と行きたいが、最近の高校生は怖いっつー話なので、正月早々刺されても困っちゃうからねぇと、ぐっと我慢をしたのだ。
 こっちは車だから、どっかぁんとはねとばしてもいいのだが、絶対にあっちが悪くても法律的にはこっちが悪いことになっちまうのだ。
 その辺はヤツらは心得ていて、体罰を加える事が出来なくなった最近の教師をなめてかかっているのと同じなのだな、うぬぬぬ、管理教育の弊害っつーヤツがこんな処にも出現しているのだな。
 などと思いつつ、やや広い道に出たところでその脇を抜けて第1関門をクリアできたのだ。
 が、正月早々、世の中はそんなに甘い物ではないと言うことを思いしらされてしまったのだ。

【第1面難敵出現】
 チャリを抜けてしばらくは快適に、ほとんど対向車もいない道を走っていた。
 いやぁいやぁ快適快適、こちとらダテに10年以上無事故無違反で走ってきたゴールドカード所得者じゃねぇっつーの、あんなジャマーは一気に抜き去ってやるっつーの、と心の中でほくそえんでいた。
 ところが、突然目の前に現れた新たな敵は抜くことが出来ないと言う難敵だったのだ。
 その名はパトカー。
 奴等はいつも、タラタラと制限速度以下のスピードで街を流し、その結果、何ンでもない道でさえ渋滞を作り上げてしまうという必殺ワザを持っている。
 この夜も、前後左右どこを探してもパトと私の車以外は走っていないと言うのに、制限速度の40キロ以下でノロノロと走っているのだ。
 そりゃただの嫌がらせでしかないよなぁ
 このジャマーを切り抜ける方法はひらすら「ジッと我慢」しかないのだ。
 とりあえず、あと少し先でこのパトカーの所轄管内から外れるハズだから・・・と我慢をする。
 うむむむむむ、実際の事を言うと制限速度ってヤツは必要だとは思うが、あのスピードで走っていると世の中の交通網は完璧に大渋滞してしまうのだ。
 と、最初の予想通りに所轄管内から外れる直前の脇道へそのパトは入っていった。
 ふぅとりあえずクリアした。
 と安堵した私はこれ以上やっかいなジャマーはいないだろうな、これで素直に目的地まで車を走らせる事が出来るだろうな、と思っていた。
 しかし、その考えが安易だと言うことはすぐに思い知らされる事になったのだ。
 第1面のボスキャラが待ちかまえているとは思っても見なかったのだ。

【第1面ボスキャラ】
 パトカーをやり過ごした私の車は軽快に飛ばしていた。
 と、前を見ると何か不思議な物体が・・・・
 ゆらゆらと揺れるようなその物体は私の進路方向の道の真ん中で蜃気楼の様に佇んでいた。
 次第にその物体に近づくにつれて、ヘッドライトの光の中でそのゆらゆらが輪郭もしっかりとした像になって来た。
 しかし、あいかわらずその物体はゆらゆらと揺れていた。
 「あっ!あれは」
 と思わず驚いてしまったのは、そのゆらゆらしていたのが人間で、いわゆる「酔っぱらい」と言う人種だったのだ。
 うむむ、思いっきりアブねぇなぁ、あの手の酔っぱらいは車が近づくと無意識に車に吸い寄せられたりするから、かなりの注意が必要なのだ。
 と心を引き締めて、対向車が来ない事を確認した上で、その酔っぱらいに近づき・・・・・

 「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 実際には叫ばなかったが、思わず叫びそうになってしまった。
 なんとその酔っぱらいは頭から血を流している状態で、ふらふらゆらゆら道の真ん中を歩いているのだ。
 喧嘩なのか、自分でクラッシュしたのか判らないが、血を出した酔っぱらいほど始末に負えず怖いものはないのだ。
 うひーうひーと私は驚きつつ、なるべく関わりに成らないようにすばやくその脇を抜けた。
 その酔っぱらいが歩いている先には派出所があるので、たぶんそこに向かって歩いているのだと思うが、新年早々、本当に早々、かなりヘビーな体験をしてしまったのだ。
 ユーミンの歌で「今年一番最初に逢う人があなたであるように」とかって歌詞があったが、まさかこんなヘビーな事になるとは・・・・・

 新年早々ついているのか?
1999年1月3日(日曜日)1999年だよなぁ
 しかし「1999年」かぁ
 てぇ事は過去に書かれた近未来SFなんかでの『199X年』と言うヤツのタイムリミットと言うことになってしまうのだ。
 いやはや、最近の若い諸君はあんまし深い感想を持たないと思うが、大昔から生きている人間に取っては「1999年」ってのは、思いっきり深い意味を持っていたりするのだよ。
 物心付いた時に、「1999年7の月、空から恐怖の大王が降りてくる」などと言うワケの判らない予言を聞かされて「俺はXX歳までしか生きれないのか」などと計算をしたりしたのだ。
 その辺の終末思想が語られたのは70年代中期の事。
 時代背景的な物を考えて見ると、何故その時代に終末思想っつーものがブームになったのかよく判る様な気がする。

1970年って言うのは、第二次世界大戦が終わってから25年、世の中は再びキナ臭い感じになって来ていた。
アメリカはベトナムと果てしないドロ沼の戦争を起こして、カラッと晴れ渡ったカリフォルニアやハワイの様な明るいイメージだったアメリカと、世界のリーダーとして負け知らずのアメリカという神話が崩壊しつつあった。
学生は60年代後半からの学生運動などが、結局システムを変えることも出来ず、何も生み出さない事に気が付き、将来への挫折感と退廃感にシラケムードになっていた。
社会は戦後の経済成長と言う背景の裏で公害を多数産み出し、さらに中東の紛争により石油などの資源の輸入などの先行きが見えなくなって・・・・
 かなりヘビーに重い空気が世の中を支配していた。
 現在の、就職難がどーだ、不景気がどーだ、とか言いつつ、町には物が溢れ、消費が低迷していると言われつつ、店には人が並び、外食産業はそこそこ潤っているのとは比べようが無いほど、ヘビーに重かった。
 NHKのみならず民放の放送局でさえ、深夜放送を中止して毎日1時ぐらいで砂の嵐になっていた。

 そんな時代に「世界は1999年に終末を迎える」などと焚付けられたら、そりゃ踊るしかない。
 その当時に少年時代を過ごし、ドツボにはまった某少年なんかが、後に宗教団体なんかを起こしてサリンなんかを製造しちゃう事になったのだ。
 それと、同世代の人間にとっては本当に「1999年」は特別な年なのだ。
 と言いつつ、その元の『ノストラダムスの大予言』なんつー本を書いた、五島勉とかってオッサンも似たような過去があったりする。
 そのオッサンは少年時代、どっぷり戦時中でいわゆる「御国の為に」と言う合い言葉に踊らされていた様な人で、基本的に内部に「破滅思想」を抱えていたのだと思う。
 そんな人が70年代に入った所で世の中の終末思想とジャストフィットしちゃって、あのブームを作り上げてしまったのだな。

 しかし、北朝鮮のロドンだかテポドンだかポテチンだかってミサイルは完璧に完成しているとかって噂も流れているし、某宗教団体は復活の兆しを見せているし、なんか不穏な空気が流れつつあるのかも知れない。

 なんつーか、21世紀になった時の笑い話であって欲しいっす。

▼今日のサッカーファン
1999年1月4日(月曜日)ダイエットは正しくない
 世の中の女の子の多くが「ダイエット」と言う命題に向かって試行錯誤している。
 どーみてもダイエットが必要ではない女の子でさえ「ダイエットしているの」などと言って食べたい物さえ食べずに無理をしちゃったりする。
 なんつーか、飽食の時代の悪しき影響なんだと思うが、現代におけるところのベストな美と言う水準が激しく痩せている方向に傾いていたりするのだと思う。
 でもって、多くの「ダイエット本」や「ダイエット法」が毎年毎年飽きることなく発表されていたりして、そんな本がベストセラーのランキングに出てきたりするのだ。

 でもって、何故ダイエットしたいか?と言う、事のずっと先には「男にもてたい」と言うのがあると思うのだな。もし、そんなのが必要なかったら痩せないと思うし、もし世の中の男が「太っている女性って包容力があっていいよな」と言う傾向だったら、せっせとみんな太ってしまうかもしれないのだ。
 男だってアデランスとかあーゆーカツラが商売として成り立っている裏には圧倒的に「女にもてたい」と言うのが存在しちゃっていると思うのだ。
 見栄えというのは、多くの場合は対異性だと思う(中には「団地の奥様には負けたくない」みたいのはあると思うけど)

 しかしねぇ世の中の男性すべてが「痩せているのが好き」ってワケではないから難しいのだ。
 女性だって男性の趣味で「長身で痩せていて」と言うのが全員好きなワケではない様に、男だって「痩せていて、そんでもて出るところはしっかりとドドーン」が好きなのばかりではないのだ。中には「ずんどう体型が好き」と言う人や「太っているのが好き」だとか「胸が小さい方が好き」だとか色々あるのだ。

 が、世の中は集団催眠にかかったかの様に「ダイエット・ダイエット」と呪文を繰り返している。
 しかしねぇ、やせればいいってモノでも無いでしょ。
 男性の例だけど、巨漢タレントの伊集院光だって一時期突然ダイエットに成功したのかやせた時期があったけれど、その時の伊集院光ってなんか貧相な顔つきでなんか怖い感じになってしまっていた。
 それ以前はニコニコしているイメージがあったのだが・・・・
 もっともタレントとしては「太っている」と言うのが売りだったワケでそれを捨ててしまった伊集院光にはなーんか魅力を感じなかったのだ。
 と言う事が自分でも判ったのか、或いは自然の法則なのか、伊集院光は結局元の体型に戻ってしまったのだ。

 そんなワケで、ダイエットは必ずしも正しくないと言う事なのだが、昨年末ぐらいからやたらとTVに出るようになった白い発光体「鈴木その子」なんつー人も実は美容研究家でダイエット法で名を馳せた人らしい。
 確かに痩せているが・・・・あれって、どう見てもダイエットで痩せたワケではなく、体質的に太れない人だろうなぁ
 と言うのと同時に、痩せているけれど「美しくない」と言うモノの思いっきり分かり易い例だと思うのだな。
 女性諸君、君は鈴木その子を目指したいか?

1999年1月5日(火曜日)ベストセラーな本
 昔から「ベストセラー本は普段、本を読まない人によって作られる」と言われている。
 確かにベストセラーと呼ばれる様な本を「読んだ読んだ」と話題にしたがる人って言うのは、どーも普段から本なんかを読んでいそうではない人が多かったりする。
 その逆に普段大量の本なんかを読んでいる人はベストセラーと呼ばれる本を敬遠しちゃって読まなかったりするパターンも多そうだったりする。

 そんなワケで私もいわゆるベストセラーと呼ばれる本はほとんど読んだ事がなかったりする。
 以前、何かのきっかけで会社の上司に頭ごなしに決めつけられて「近頃の若いモノは」的な説教をされた事がある。(その当時、私も『近頃の若いモノ』だったのだよ)
 その当時、と言うよりそれよりずっと以前から、自分が子供の頃から「最近の学生は本を読まなくなった」とか「若者の活字離れ」などと言う事が言われており、その上司の決めつけ頭脳の中には「若い連中」=「本を読まない」と言う単純明白な図式が成り立っていた。
 でもって何かのきっかけで「君みたいな若い年齢の内にしっかり本を読んで知識を蓄積して置かないと、後々ハジをかくことになる」と言う事を延々と説教状態で話された事があったりした。
 こっちは20代前半の入社したての若造で、反論の機会を見つける事もできず、その「若者は本を読まない」と言う話から「私の若い頃は」みたいな話をただ聞かされると言う、一種の苦行を強いられてしまったのだ。
 でもって、その上司の話を聞いていると「最近読んだ本で」と言うのに出てくる書名が、ほとんど「ベストセラー」だったのだ。そんでもって、ことごとく感銘を受けているらしい。
 うむむむ、と思ってしまったのは、40代後半に成ろうというその上司は「ベストセラー」と言う選択理由で読んでいるのではないか?としか思えなかったのだ。
 つまりその上司の言うように若い頃からたくさんの本を読んでいるのならば、ある程度の時期から自分で大量の本の中から良い本を見つけるワザを身につけていくのでは無いのかな?などと思ってしまった。
 たしかにベストセラーになる本と言うのは、なるべくして成る様に素晴らしい部分を持っていると思う。不特定多数の人を引きつけ、わざわざ金を出して購入するという行動を起こさせたワケでそれは凄い事だと思うので、否定は出来ないが・・・・・・。
 でもベストセラーばっかし読んでいる人って、なんか信用できない。

1999年1月6日(水曜日)着メロ本がベストセラー?
 そんなワケで最近のベストセラーランキングなんかを見ていると「真剣かよ」と書いて「マジかよ」と読んでしまう様なモノがある。
 「着メロ本」と言われるヤツで、いわゆる携帯電話の着信の際のメロディを入力するためのマニュアル本なのだ。本屋のその手のコーナーにいくと「最新着メロベスト50!」とか「最新着メロベスト50!2」とか「最新着メロベスト50!3」とか「最新着メロベスト50!4」とか・・・延々と出ているのだ。
 それが出す度に売れているらしい。
 確かに会社の休憩時間なんかでも「俺今度こんなの入力したんだけどさ」などと言ってGLAYだとかELTだとか、はたまたサムエルだとか、ヒットチャートに入ったばっかしの曲のメロディがペコロペロロレロ〜ンなどと流れ出したりするのだ。
 うーむ、いわゆるMIDIなんかで言うところのベタ打ちデータだから楽譜さえあればすぐ出来るハズだし、そこそこ楽器をいじれる人ならば耳コピでメロディぐらいは簡単に採譜出来ると思うのだ。
 なんつーか、わざわざ「最新ヒット曲うんぬん」なんて本を買わずとも・・・などと思うのだが、現にその手の本は売れているらしいっす。

 しかし着メロとして登録された曲の多くが「原曲を知っているから成り立っている音楽」と言う部分が大きかったりする様な気がするのだ。
 最近の曲は特にメロディが明確ではなく、アレンジ込みでひとつの楽曲として製作されている為に、メロディは凄く有りふれているモノが多かったりする。その変はアレンジ&歌詞&歌い方でかなりフォローされているんだけど、メロディだけ抜き出すと貧相なメロディが多い様な気がする。
 だから、あんまし良く知らない曲なんかの着メロは、ヘタすりゃランダムに音がペコピコ言っているだけにしか聞こえない様なモノさえあったりする。

 と言うか、私があんまし着メロがどーのこーのと言うのに興味をそそられない理由の1番に、あの音色と言うのがある。
 何ンつーか、今から20年前のメロディが弾ける電卓じゃないんだから、あの「いかにも」な電子音はなんとかならんもんかね?
 本屋なんかに言ってもあっちこっちでピコプカピ〜ポカピポパ〜と言う軽薄で非人間的な音が無機質なメロディを奏でている・・・・

 なんか、着メロ本がベストセラーと言ううすら寒い現実と共に、私はイラついてしまったりするのであった。

1999年1月7日(木曜日)ちょうど10年、そして10年、これから10年
 今からちょうど10年前、1989年1月7日の僕は、思いっきり風邪をひいて高熱でうなされて自宅で寝ていた。
 前日からの熱が朝になっても一向に冷めずに「もうダメかも知れない」などと果てしなく弱気になっていた。
 何故、日記も付けていなかったのに10年前のこの日の事をハッキリ覚えているかと言うと、そのすぐ後に熱なんかが一瞬で吹き飛ぶようなニュースが飛び込んできた事による。
 前年の9月頃から容態の悪化が伝えられていた昭和天皇崩御のニュースが朝のワイドショーの時間帯に緊急ニュースとして入ってきた。
 熱でぼーっとしながらベッドから顔だけ出しながらTVを見ていた僕はぶっとんでしまいました。
 いつかはそうなる事が当たり前だったにしても、ついに「昭和」と言う時代が終わってしまった事が画面から伝わって来て、緊急報道番組が慌ただしく組み込まれ、予定していた番組が全部吹き飛んでしまった。
 全てのチャンネルが一斉に同じニュースを報道するというのは、これ以前には考えられなかった事で、リモコンを手にながら10年前の僕は「とんでもない事が起こったんだ」とじわじわ実感していた。
 まさか、それから10年の間に、1週間近くに渡った「阪神大震災」や朝の5時台から一斉報道の「オウム真理教教祖逮捕」や「和歌山ヒ素事件夫婦逮捕」など何度も全チャンネル一斉報道が行われるとは思いもしなかったが。そう考えるとこの10年って世紀末にふさわしい程の混沌とした時代だったのかも知れない。

 しかし、10年かぁなどと振り返ってみるけれど、忙しいダケで終わってしまったなぁなどと反省もしたりする。
 あんまし自分の置かれている立場ってのが10年前と代わりばえがしないって言うのが寂しいが、この先の10年は気合いを入れてガシガシ行くしかないよなぁと、今さらながら思ったりする。

 この10年で予想外に上に登りつめた人って言うと、この平成と共に有名になった『小渕恵三』って人がいたりする。
 なんせ、昭和からバトンタッチする新しい元号『平成』を、当時官房長官を務めていたこの人が発表した所から平成が始まった。
 あの緊張感の無い顔で『平成』とかかれた額をカメラに向ける姿は、何度も何度も紹介された。
 おかげで、後に外務大臣に任命された時に、外人からも「アノ時プラカードを掲ゲテイタ人」と言う認識が大きく、かなり外向的に有利だったと聞く。
 そんでもって平成10年ついに政治家の頂点:総理大臣にまでなってしまったのだ。
 もっとも仕事のほとんどが「海外旅行」らしいけど。

 そんなワケで私も10年後は今と違った高みで風景を見ていたいと思うのであります。

1999年1月8日(金曜日)見た見た
 そんなワケで正月気分は抜けましたか?
 私はいまだにヘラヘラしています。きっと正月気分が抜けるのは、12月に入って「師走は忙しいなぁ」と思う辺りだと思います。
 そんな毎日を歩んでおります。

 会社の昼休みに聞くワケではないが女子社員同士が話している会話が耳に飛び込んでくる。
 その内容は・・・・・うーむ、あまりにも内容が無いヨーとベタベタな駄洒落をかましてしまいたくなる程薄いのだ。
 20代前半だと言うのに、すでにおばちゃん的などーでもいい世間話に終始している。なるほどなるほど、こーやって真性おばちゃんへの道を歩んでいくのだな。
 と思いつつ、さらに耳に飛び込んでくる会話、エディマーフィーもビックリのマシンガントークの乱れ撃ち状態、そんなエディが複数いる状態の会話・・・・なんつーか会話に大切な「間/ま」と言うモノがほとんど存在しないのもおばちゃん会話の極意なのだ。
 他の人が話し終わりそうになる瞬間、会話の最中の息継ぎをした瞬間、その瞬間をノガさず、別の人が言葉をかぶせる。かなりの高等技術なのだ。
 餅つきの様にすばやい合いの手を差し伸べると言うその手法は真似しようったって出来るモノじゃない。
 と思っていたのだが、よーく会話を聞いていると、むやみやたらと「言葉の反復」が多いのだ。
 前の人が言った言葉を確認するかのように、別の人も「そうよそうよ」とばかりに口に出す。
 そのパターンがかなりのパーセントで存在している。
「ねぇ田中さんって車買い換えたんですって」
「そうそう田中さん車買い換えたのよ」
「へぇ車買い換えたのぉお金持ちだこと」
「ほんとほんと、田中さんってお金あるわよね」
「こないだまでの車だってまだそんなに古くないでしょ?」
「えぇ古くないわよね」
「古くないでしょそれでも買い換えるんだからお金持ちよねぇ」
「ねぇお金持ちよねぇ」
 うーむと言う様な会話がエンドレスで続くのだ。だから、長い会話も要約すればかなり短縮化されてしまうと思うのだが、おばさん達はこのリズム感を崩そうとはしない。
 昔から集団縄跳びなどに入るのがヘタだった私は、きっとこの会話の中にうまく飛び込むことが出来ないと思うのだ。
 そうかそうか、この無呼吸式会話方法に慣れてしまった彼女達だからこそ、最近の小室哲哉の作る曲や、広瀬香美の作る曲の様に、息継ぎのほとんどないような曲を歌いこなせるのだな、などと感じてしまうのであった。

 おばさん的な会話、と言っても、最近は男でも異常に話がダラダラ長いヤツも居たりする。そんでもって特徴的な反復会話を展開させるヤツもいる。
 なんか女性の場合は「しゃーないか」で済ませてしまう事もできるのだが、男でそーゆー会話をしているのを聴くと「うぬれぇぇぇぇ!もっと簡潔に要点をまとめて200字以内で延べよ!制限時間10っぷぅぅぅんっ!」などと叫びたくなってしまうのだ。
 そんでもって、その手の反復系会話によくあるパターンが「あるある」だったりする。

 かの、いにしえのクイズ番組「100人に聴きました」っつー番組で、解答者が「◎◎!」などと言うと無責任な客席が一斉に「あるあるあるあるある」などと叫んでいたあれなのだ。
 それと時を同じくしてお笑いの中にもその「あるある」が増えてきた。
 よく見かける人や行動をあえてステージ上で再現して「あるある」と言う共感の笑いを産むというヤツなのだ。
 悪いこっちゃないが、なんかクリエイティブではないなぁとか思ってしまう私がここにいる。
 誰でも気が付いている事をあえて言う→自分もそう思っていた→共感 って誰でも思いつくネタって事でしょ?

 以前、会社で人の会話を聴いていてうぬぬと思った事がある。
 「こないだの休みにさぁエディマーフィーの◎◎◎って見てきたんだけどさ」
 「あ、それ俺も見た」
 「あれってばかばかしくておもしれぇよな」
 「そうそう、最初の食事のシーンでエディマーフィーが◎◎◎する所ってさぁ」
 「あ、見た見た、そうそう◎◎◎を◎◎◎しちゃってさ」
 「そうそう、その後、◎◎◎で◎◎◎しちゃうんだよな」
 「あ俺もそれ見た、あそこでエディが◎◎◎・・・・・(延々と続く)」
 なんか、うんざりしちゃったっす。
 同じ映画を見たんだから当然「見た見た」なんだけどさ・・・・普通だったら、そこで俺はあぁ思ったとか、あそこのアクションって凄ぇよなぁなどの感想になると思うのだが、どーも感想ではなく、あらすじを二人で確認しているダケって感じだったのだ。
 うーむって感じがする。

 でも、いわゆるのべつまくなしに会話を垂れ流している人の会話ってのは、これに近いモノだったりするんだよなぁ
 などと言いながら私が書いている文章と言うのも、言うなればこれの文章版という状態なので、困った物なのだな、きっと。
 今日書いた文章を簡潔に要点をまとめて200字以内で延べよ!などと言われてしまうかも知れないのだ。

    おばさんの会話と言うと無意味に長いだけで意味が希薄な
    場合が多い。その会話の多くが反復であったりする。しか
    し近年は男性でも同様の話し方をする人が多く困り者であ
    る。しかもその内容は誰でも思っている事を言って共感す
    る「あるある」と言う確認系の物が多い。ある日、同じ映
    画を見た者同士が感想を言い合うのではなく粗筋を言い合
    うと言う場面に遭遇して私は奇異感を覚えた。しかし無意
    味と言う意味では私の文章も同様だ。
1999年1月9日(土曜日)キリがない・・・・
 私は「ひねもす」の表紙からも直接行けるけれど『HAPPY BIRTHDAY'S CLUB』と言うひたすら誕生日の羅列HPなんかも作っていたりする。
 とりあえず、私の知っているその手のHPの中では一番掲載人数が多いのではないか?と自負しちゃったりしているのだが、本当に自分ではすでに把握できなくなっているほど凄い事になっている。

 そもそも、この誕生日データを記録しよう!と思い立ったのがすでに10年・・・ヘタすりゃ20年ほど前の事になる。
 いわゆる星占いなんかで、かなり乱雑に1年を12個に区切って「この星座の人はこーゆー性格、こーゆー人生」などと言い切ってしまうのってどうなんだろ?と思って、同じ星座でもこんなに違うんじゃねかと言う事を調べ始めたのが、気が付くと調べる事が目的になって、ガシガシと芸能人の誕生日をメモする様になっていた。
 最初はノートに記入していたのだが、10年ほどまえにコンピュータを購入して「ほんじゃま」と一番最初にデータベースソフトを購入してそのデータをガシガシ打ち込み始めた。
 それが度を越し、結局インターネットと言う発表の場を見つけたと言うワケなのだ。

 現在でもう数え切れないが2万人を超えていると思うが、それだけでは済まない事に成っているのだ。
 取りあえず、現在も続々とデビューしてくる音楽関係者・演技系の人・お笑い系の人・スポーツ系の人、それを随時記入していかなくてはいけない。それだけでも大変な作業なのだ。
 それ以外にも、実は「誕生日データの為」に古本屋などで「人名事典」などを見つける度に購入してしまうクセがついて、未記入分だけでもとんでもない量の誕生日データが待機していたりするのだ。
 『日本歴史人物事典』なんつー分厚い本や「スポーツ選手名鑑」「野球名鑑」「サッカー名鑑」などなどが手元にあったりするのだ。

 その上「紅白歌合戦かぁ」などと思いつくと、それに関する資料まで作り始めてしまう。
 ああるいは「ノーベル賞」のデータベースまで作ったり「アカデミー賞」のデータベースなんかも作ったりしてしまう。
 さらに読者から「皇室関係は」などと言われるとホイホイと「歴代天皇の誕生日」なんてデータも作ってしまう。
 またしても自分が調べたいときに資料が見つからなかったので「歴代総理大臣」なんて資料まで作ってしまうのだ。
 ほんでもってマニアックな処では「堀越学園高校卒業生」なんてデータや「明大中野高校卒業生」なんつーモノも作ってしまう。
 勢いついでに、さらにマニアックな「グリコ森永事件」などと言う項目までワシワシと作ってしまう・・・・

 こりゃキリがないや。
1999年1月10日(日曜日)評判のインターネット
 もー連日連夜、インターネットと言う言葉がニュースで飛び交っている昨今、みなさま元気で正常な生活をなさっていますか?
 変な薬を注文していませんか?振られた女の子の名前や住所や勤務先なんかを公開していませんか?大丈夫ですか?

 なんつーか、私もインターネット以前のパソコン通信の頃から数えると、早8年というキャリアになってしまいましたです。いや、今改めて数えてみて長いことやっているなぁなんてビックリしちまいましたぜ。
 そー言うワケで、最近のかなり一般的に普通の人にも開かれて、あんましコンピュータがよく判らないって言う女の子なんかも参加しているインターネット以前の、激しくディープで暗黒な魑魅魍魎百鬼夜行な世界をも見たことがあったりします。
 ハッキシ言って、私なんかもコンピュータの事は全然判らず、本来ならばパソコン通信なんてよく判らない、俺の生活には関係ねぇと言う人種だったハズなのであります。
 そんな状態の私でしたが、友人に「文章書いているンだったら、パソ通で発表したらウケるかもしれないよ」と言う口車に乗せられ、モデムを購入し、それまでワープロ&データベース&MIDIのみに使っていたコンピュータでパソ通を始めたワケだったのです。
 でもって、パソ通を始めて徐々に気が付いたのは「なんか普通に接している人達と違う人種が多い」と言う事だったのです。なんつーか、パソ通の世界と言うのは激しく精神的にディープなモノを抱えた人が中心に居ると言う感じがしたワケっす。
 中にはちゃんとした人もいたけれど、なんつーか世間一般で言う「オタク」と呼ばれる様な人がワンサカワンサカイェ〜イイェ〜イ(BY レナウン)だったのです。
 だから、かなり陰湿な悪意を抱えた人もいたり、最近TVなんかでも特集されていた「ハイテク症候群」と呼ばれる、直接に人と接するのよりモニター上のチャットなんかで自分を発揮できる人などが多い事を感じていた。
 オフ会と称して、直接逢った時の印象が、パソ通上の会話と全然違う人と言うのも多数見てきた。
 なんつーか「暗い」って印象が非常に大きかった。

 そんな状態から早8年なワケですが、最近のインターネットてヤツはかなり普通の人に開放されて(ま、オタク系は多いけど)、一般生活を送っている人も参加しやすくなっているワケっすね。
 でも最近のインターネットの印象は、圧倒的にニュースに出たときの事件がらみでしかないので、厳しいモノになっているのかもしれないっす。
 きっと、中高生の子供を持つ親なんかは、子供が「インターネットやりたい」なんて言い出した時には、色々な事を考えてしまうかもしれれないなぁとか思ってしまうのだ。
 20年ぐらい前の「あそこの息子はギターなんか掻き鳴らして不良じゃのう」みたいな認識になってしまいそうな勢いで日々ニュースで紹介されているワケだったりする。
 なんせ、インターネットなんてモノに興味がない人に取ってはインターネットと言う名前を耳にする機会は果てしなく「インターネット=犯罪・ニュース」てな感じになっちまっている様な気がするのだ。

 そんな事言ったら「自動車=事故」とか「政治家=汚職」「オリンピック=賄賂」なんて事になっちまうのだ。
 まだまだインターネットてヤツは一般に向けて開かれなくてはいけないモノなのかも知れないのだなぁと、思っていたりする。