杉村ぐうたら日記131(1999年1月11日〜1月17日)

▲1999年1月11日:月曜日:正月の物まねは凄い
▲1999年1月12日:火曜日:で、何のCM?
▲1999年1月13日:水曜日:英訳は難しいのだ
▲1999年1月14日:木曜日:なのだなのだ
▲1999年1月15日:金曜日:祝!成人の日
▲1999年1月16日:土曜日:シークレット画面
▲1999年1月17日:日曜日:5年連続メモ帳
▲1999年1月18日:月曜日:アイデン&ティティ
▲1999年1月19日:火曜日:マジカッコいい
▲1999年1月20日:水曜日:にぎやかな本屋
1999年1月11日(月曜日)正月の物まねは凄い
 正月もかなり過去の話になっちまいましたが、何ンやらウロウロしていたダケでこれと言って正月らしくない正月だったなぁなどと思っていたりする。
 今年はひさびさに年末にしっかりとレコード大賞&紅白歌合戦を鑑賞するという正しくまじめな年末風景をやってみたのだが、それ以降がさっぱりだった。
 元旦の一発目の食事はお雑煮からと言うのが子供の頃からの決まりだったのだが、深夜にうごめいていた為に朝起きる事が出来ず、昼近く起きた時も、体調はへろへろで食事どころでは・・・って感じだった。
 そんでもって我が家に泊まった友人達と、昼にスカイラークで今年初めての食事を・・・・いかんよなぁ日本人として礼節を重んじなくてはいかんよなぁなどと反省をしたりする。

 ついでに正月らしくなかったと言えば、あんまし正月らしいTV番組も見なかったのが、盛り上がらなかった理由のひとつかも知れない。
 なんせ、元旦恒例の爆笑ヒットパレードとか明治神宮からの中継なんつーのも見なかったし、箱根駅伝も見なかったし、かくし芸も見なかったし・・・・・。
 その中で唯一正月だよなぁと言う番組は、正月恒例の「ものまねスペシャル」だったりする。

 と言っても、年に何度もやるフジTVの例のヤツだったりする。
 たしか年末ギリギリにも「ものまね大忘年会」なんて番組があった様な気がするので、スペシャルでも何でもないかも知れないが、正月版の一番の特長は、ビジーフォー辺りがやる海外アーティストの物まねに本人が出てきてビックリと言うのが恒例になっている。
 あまりに恒例になっているので、毎回ビックリするビジーフォーも大変だと思うのだ。

 その海外アーティストにコンタクトを取ってわざわざ日本にやって来て貰う為には、数カ月前から予定を組まなくてはいけないと思うのだな、その上、頼めば来てくれそうなアーティストをチョイスすると言うのも大変な作業だと思うのだ。
 つまり、数カ月前からスペシャルの番組に来てもらえそうで、ビジーフォーが真似出来そうなアーティストをビジーフォーと選び出さなくてはいけないと言う事になる。
 そんでもって、ビジーフォーは本番の時は真似をし終わった後も演奏が続いて「えっまさか?」と言う表情をして、恐る恐る振り向き「まじかよ〜」と言った表情で崩れ込む、と言う段取りになるのだ。
 まったくもってエンターテナーとは大変なのだ。

 しかし音楽マニアな私としちゃ、ビジーフォーの「実は似ていない」物まねより、そこに出てくるスペシャルゲストが楽しみだったりする。
 でもって今回は前半に『スリーディグリーズ』『レターメン』で、後半はなんと『クリストファークロス』と『ロバータフラック』っすよ。
 ハッキシ言ってこの組み合わせはビジーフォーじゃ無いけれど「マジかよ〜」と言う感じだったのだ。

 く・・・・・くりすとふぁーくろすが・・・動いている・・・・まるでスノーマンの様に・・・

 この人、デビューしてからずっと人前に姿を現さなかった、人前に出るのが嫌いな事で有名な人だったりする。しかもレコードジャケットでさえ、数年間フラミンゴの絵だけで「いったいこの美声の人物はどんな顔をしているのだろうか」とみんな知りたがっていたという、実に謎の多い人だったのだ。
 でもって数年後、写真なんかでは出てくる様になったが・・・・クリストファークロスを知ってから早15年以上、もしかしたら初めて動いているのを見たかもそれない。

 なんか審査員の野口五郎がどうしようも無いほど興奮して語っていたのが良く判る。
 残念な事に、ほとんどの人がクリストファークロスがそこで動いている。歌を歌ったと言うことのすごさってのを判っていないみたいなのが残念だが、とにかく思いっきり歴史的な事だったのだよ。
 ロバータフラックの方は名曲「やさしく歌って」で場内を圧倒しちゃっていたけれど、普通だったら考えられないっす。同じ画面にこんな二人が映っているのって、グラミー賞じゃないんだから。
 なんか「得した」って感じ。
1999年1月12日(火曜日)で、何のCM?
 何気なくTVを付けながら本を読んでいると、どっかで聞いたことのあるようなカタコトの日本語が聞こえてきた。
 んんん?と顔を上げると画面の中にどっかで見た顔が・・・
 あ・・・・チューヤンだ。

 去年、進ぬ電波少年の中で「アフリカ大陸・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク」をしてた『朋友/パンヤオ』の香港出身のチューヤンが、そのCMに出演していた。
 と思った瞬間に画面は次のCMに切り替わっていた。
 そのCMの中でチューヤンはスーツを着ていたので、ずっとボロボロの服を着ていた印象と違った為に自分の頭の中の認識回路がつながらなかったのだ。
 でもってCMのラストで焼き上がったトーストを口にくわえられ倒れていた。
 そうかそうか、ビビアンスーと共に何かのCMに出るらしいってのは聞いていたが、それ以外にもCMに出演していたかぁ
 たしか今のCMに出演していたのはビビアンスーでは無かったよなぁ

 次の日も同じCMをほとんど同じシチュエーションで見た。その為にスーツ姿でトースターを持って走る女性(最近良く見かける女優・・・松嶋菜々子だと思った)を追いかけているチューヤン。
 それ以外にも大勢のサラリーマンが追いかけている。
 廊下で追いつきそうになって飛びつくチューヤン。
 と、その口にトースターで焼き上がったトーストを加えられて、バタンと倒れ込むチューヤン。
 なんか意味不明のCMだった。

 そしてさらに翌日は今度は3度目の正直で、普通にTVを見ている時にそのCMが流れた為に最初から見ることが出来た。

 で判明した事は、このCMの趣旨はどうやら「トースター・プレゼント」らしいのだ。
 あぁなるほど、それでチューヤンを始めとした多くのサラリーマンが「トースター欲しい!」と追いかけているのだな。
 あぁなんか、CMの設定意図がよく判らないし、そこにわざわざチューヤンを起用する理由も全然判らないが、とりあえずそんなCMだと言う事が判った。

 ・・・・と、そこで考え込んでしまったのが「このCMは一体何のCMなのだ?」と言う事だったのだ。 何をどーすりゃトースターが手にはいるのだ?と言う事が、数回見ているハズなのだが頭に入っていなかった。
 うぬぬぬぬぬ・・・

PS
 どうやら住友生命の『BIGサンクスフェア』のCMらしい。
1999年1月13日(水曜日)英訳は難しいのだ
 つくづく学生時代に英語をしっかり勉強しなかった事を後悔しちゃったりする。

 数年前、パソコン通信を始めた頃、MIDIでビートルズのコピー曲をいくつも発表した事がある。
 MIDIデータを作るっての自体も、プラモデルを組み立てる様な楽しさがあったのだが、次第に別の方にのめり込んでしまった。
 MIDIデータを聴かせる際に、同時にコンピュータの画面に歌詞カードを、いわゆるカラオケみたいに表示させる事が出来たりするのだが、そこでビートルズの曲を和訳すると言う事に、どっぷりはまってしまった。

 ビートルズのメロディってのは多くの人に知られていると思うが、詩の内容ってのは以外と知られていなかったりする。
 凄く綺麗なメロディの曲だったりするのだが、その歌詞は思いっきり毒のある物だったりするのだ。
 その詩を出来る限り判りやすい詩で、今に即した形で表現したいと思ったのがきっかけで、ビートルズの詩を訳したりしてみた。
 確かに歌詞などに使用されている英語ってのはスラングが多いし、僕が習ったアメリカ英語とイングランド英語は色々な点で違っているので、最初から難題と言うのは判っていたが・・・
 思いっきり難しいのだ。ひとつひとつの単語は辞書を引けば判るとしても、その単語が全然繋がらなかったり意味をなさないのだ。
 そんなワケでズルをして、他の人の訳した物を読んでみる・・・
 レコードの歌詞カード、文庫本の「ビートルズ詩集」、ハードカバーの「ビートルズ全詩集」とかを読んでみる・・・
 でビックリしちゃうのが、それぞれの詩集がそれぞれ違う意味で訳していたりするのだ。
 うーーーーーーむ、と思ってしまうのであります。

 そんなワケで最近、漫画のスヌーピー(正式にはピーナッツコミック)の公式HPを見つけた。そこでは、現在も新聞に書かれ続けている新作が1カ月分、1週間遅れで読めたりする。
 でもって、もちろん海外のHPで、もちろん英語で書かれていたりするので私は、久々に訳をしたりして読み始めているのだが・・・・難しい。
 日本で発売されている谷川俊太郎・訳のコミックでさえ「どこが面白いのか判らない」と言うネタもあったりするので、なかなかそこで展開されている話のツボを探るのが大変だったりするのだ。
 面白い、面白くないって言う判断はあくまでも主観的な事で、それは作品の評価ではないワケだったりする。いわゆるアメリカの子供には面白いと感じる事が日本人には・・・と言う部分があったりすると思う。
 センス的な物や、もしかしたら現在アメリカで話題になっている事をもじったネタなんかも入っているのかも知れない。

 そんなワケで私は久々に英語と格闘していたりするのでありました。

スヌーピーHP

追記
 以前、イギリスからまだ結婚してまもなく幸せの絶頂だった(ハズ)のチャールズ皇太子とダイアナ妃が来日した時の事。
 夕方のTVのニュースでそのパレードの模様が流されていた。
 青山通りを埋め尽くす人々、その中をすり抜けてゆくリムジン。
 その中で微笑むダイアナ妃。

 そこで同じイギリス出身と言うことでBGMにビートルズの美しいメロディを使った曲が流れていた。
 が、私はそれを聴いた瞬間「こりゃ外交問題に発展しそうな暴挙だ」と驚いてしまったのだ。
 そこで使用されたビートルズの曲名は「フールオンザヒル」確かにほのぼのと良い曲だったりするのだが、その歌詞は「丘の上に座っている馬鹿」を歌った物で、要約すれば「人の上に立って民衆を見おろしている馬鹿な人」を意味しているワケで、それをチャールズ&ダイアナのパレードに流してはまずいよなぁぁぁ
1999年1月14日(木曜日)なのだなのだ
 ギガヒットと言う、HPのアクセス状況をチェックするサービスがある。
 現時点では「ひねもす」の表紙にしか付けていないが、表紙の一番下に広告が出ているアレが、ギガヒットのサービスに関したモノなのだ。
 そのサービスでそのページに何人訪れたのか?って言うのだけではなく、どこのリンクから飛んできたのか?ってのまで判ってしまうのだ。
 あるいはヤフーやインフォシークなどの検索エンジンで何と言う項目で検索をかけて、このページに飛んできたのか?と言うのまで判ってしまうのだ。

 そんなワケで、それを時々チェックして「ひねもすにリンクを貼っているページ」と言うのを知ることが出来たりするのだ。
 いくつかの「リンクを貼らせて」と言ってきた人は知っているけれど、それ以外に「へぇ」と言う感じのリンクもあって面白い(リンクフリーですから、承諾は別にいいっすけどね)。
 中には「軽いページ」と言うのをコンセプトに作っている方のリンク集の中に登録されていたりして「なるほど」などと笑ってしまうパターンもあったりする。たしかに「ひねもす」は表紙に使ってある小さなイラスト以外の図版は無かったりするんで軽いって言えば軽かったりするのだ。
 それ以外にリンク集の処に「ひねもす」を紹介してくれるコメントが書いてあって、おおむね誉めてくれていたりするので感謝感謝だったりします。
 その中で笑ってしまったのが「文章センスのいいページ」と有りがたい言葉の後に「でも語尾にバカボンパパの影響が」と書いてあった処があったりするワケで、なるほどーと私は深夜にうなずいたりするのであったのだ。

 これでいいのだ。
 国会で青島幸男が決めたのだ。
 賛成の反対なのだ。
1999年1月15日(金曜日)祝!成人の日
 めでてぇな!
 と言うわけで本日は成人の日で、ワシにはもう全然関係ないが、そのおかげで会社は休みだし、ついでに三連休だし、レンキューベリーマッチて言う感じなのだな。
 などとオヤジギャグがぴったりハマってしまう私にも、そりゃハタチという時代はあった。
 時代は果てしなく昭和だったが、私はその頃、東京に居て絵を勉強する学生なんてモノをやって、日々向上する事を目的にモクモクモクモクモクモクと狭く安く汚い四畳半で絵を描いていた。
 今思ってもムチャクチャ集中して勉強していたよなぁと思えるぐらいにしていた為、友人から「杉村ぁ張りつめすぎた糸は切れやすいって言うから、ほどほどにしておけよ」などとも言われた。
 ま、切れはしなかったが、あの当時無理に張りつめたおけげで糸が伸びてしまって、今はだらだらに緩んでしまってます。

 そんなワケで、あの頃は自分の部屋でもそうだけど、学校の休み時間でも、電車に乗っている時でも、喫茶店にいる時でも、片時でもクロッキー帳を離さず眼に付いた風景や人物をスケッチしていた様な気がする。
 そんな事もあって、学校近くの喫茶店でいつものように1杯のコーヒーだけで延々と3時間ぐらい時間を潰しつつ、立ち替わり入ってくる友人達の似顔絵なんかを描いていたりした。
 そんな友人の中に、あんまし良く知らない人物もいた。それは留年した友人のかつての同級生だと言う事で、少し話なんかをしつつ、いつものように似顔絵を描いたりしていた。
 それから数日後、僕の部屋に1冊の漫画本が郵送されてきたのだ。
 それは、先日喫茶店で会った先輩からで「○○先生が現在アシスタントを捜しています」などと言う事が書かれていた。
 その当時僕は、学校の勉強とは別に漫画も書いていて、手塚プロなんかに送ったりして評価してもらったりしていたのだ。その時、たまたま持っていた漫画をその先輩に見せたかも知れない・・・・。
 そんなワケで、突然自分の意志とは別の処で引っ張られて、僕は漫画家のアシスタントと言うバイトを始める事になってしまったのだ。

 美術学校と言うのは思いっきり画材と言うモノで金がかかるために、慢性的なピーピー状態の私だったが、変なポリシーを持っていて「バイトをするにも絵に関係ないバイトはしたくない!」などと生意気な事を言ってた。深夜の土木関係のバイトをして高価なカメラなんかを購入した友人なんかに「うぬぬ」などと思いつつ、無理をして赤貧生活を続けていた。
 そんな中で経験したバイトに似顔絵書きと言うモノもあった。
 これも自分から進んでバイトを探したワケではなく、学校の先生から突然「杉村、ヤマハの知り合いが似顔絵を書ける人を紹介してくれって言っていたんで」と、推薦されてしまったのだ。
 その仕事は、ヤマハのピアノ・エレクトーンなんかの展示場で「ご購入予約のお子様の似顔絵を描きます」と言う仕事だった。
 普通のバイトなんかと違って朝から夜までと拘束時間は長かったが、金額はびっくりするぐらいに良かったし、昼食&夕食にかなり豪華なモノが(貧乏学生にとってはだけど)出る為にホイホイと承諾していたのだ。

 そんなワケで漫画のアシスタントと言う、またしても自分から望んだワケでもなく、絵のバイトが舞い込んで来た。
 僕はもちろん断る理由もなくアシスタントてヤツを始めたのだ。
 基本的に週刊誌連載漫画で、学生の僕は土曜の夜から日曜までと言う状態のバイトだったが、これも思った以上にバイト代が良く「うむむ、絵の勉強が出来る上、金も貰えるとは」と、日々の学校の課題に追われつつも満足した状態だった。

 そんな中で僕は成人式を迎えた。
 何故か東京にも通知が来なかったのと、実家の方にも通知が無かったらしいのだが、結局僕はその成人の日は桜木町にあった漫画家先生の部屋でアシスタントをして過ごした。
 自分なりに「成人の日ってのは、自分が一人立ちできるって言う記念の日なのだ。親に甘えている自分と決別する日なのだ」とそれ以前から思っていたので、これでいいと思っていた。

 しかし、それと同時に自分は「2年制の学校を卒業したら田舎に戻ると言う約束」がヘビーな現実として自分にのしかかって来ていた。
 実は自分の父親ってのは1才の頃に亡くなっていて、写真でしか顔を知らない。そして母一人を残して東京で生活しつづける事が出来なかったのだ。別にマザコンとかって言うモノでは無いけれど、色々な事を考えて最初の約束通りに実家に戻る決意をしていた。
 そのアシスタントの仕事も「学校を辞めた後も続けて欲しい」と言う話があったり、似顔絵書きのバイトも「この先も続けて欲しい」と言う誘いもあったりした。
 そんな決断を迫られていた二十歳と言う季節だった。

 結局、卒業と同時に実家に戻ってきたワケだが、それが正しい選択だったのかどうかは未だに結論が出ていない。そして僕は未だに、夢をくすぶらせ続けている。
1999年1月16日(土曜日)シークレット画面
 いわゆるインターネットなんかでは、エロエロなサイトなんかが山ほどあって、そりゃ当然の感じで海外のモロモロなサイトなんかがある。
 そーゆー処へ行っちゃうと、基本的には日本では見ることの出来ない御開帳な写真なんかがどどーんと表示されちゃったりする。
 それを目的でインターネットなんかを始める殿方も多いらしいが、その多くが「何枚も何枚も見て気が付いた事だけど、どれも基本的に同じだから飽きちゃった」と言う事で、結局『インターネット=エロ画像』と言うぐらいの認識しか許なかった殿方はしたり顔で「インターネット?あぁなんか思っていた以上に大した事なかったよ、俺はもう飽きちゃったけどね」などと言い出す場合もあると聞く。
 ま、そりゃそれでいいのだけど、そのモロ画像って普通の人はそんなに見たいモノなのかねぇ、などと淡泊な私は思ったりしちゃうのだ。
 なんか、モロより隠されていたりする方が、色々な刺激があって楽しい様な気がするんだけど・・・・。
 と私は基本的にエロ解禁に対してあんまし賛成していない人だったりする。

 あのモザイクとかぼかしっていう手法は実に考えられた手法なのだなとか思ってしまうのだ。
 あーゆー状態で目の前に見せられたら「何ンとしてでも見たい!」などと思ってしまうのだな。
 つまり逆に想像力っていう部分を大いに刺激されてしまうのだ。

 そんなワケで、ぼーっとTVを見ていたら「日本TVアナウンサーの裏教えます」みたいな番組をやっていた(正式タイトル判らない)。その番組では、年末の混乱した状況の中で走り回るアナウンサー立ちの姿が映し出されていた。
 女性アナウンサーだけでなく男性アナウンサーなんかも大忙しだった。
 その中で、例の「朋友/パンヤオ」のアフリカ大陸・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイクのゴールの時の大騒ぎも映し出されていた。
 実際の話、いつゴールするのかハッキリ判っていなかった為に、2週間ぐらい前までどこで特番を組んだらいいのか未定だったらしい。(その前のドロンズ・アメリカ大陸縦断の大晦日は出来すぎだと思うけど)
 その為に、そのゴール日が決定した時にスケジュールが空いていたアナウンサーが急遽中継の為にスカンジナビア半島にまで行くことになった。
 そこで選ばれたのは普段野球中継などを担当している男性アナウンサーだったのだ。とうぜん12月なので野球中継なども無くスケジュールは空いていたのだと思うが(それ以外のスポーツ中継もあると思うけどさ)、36時間だかを掛けて、突然極寒の北の大地ってハードだよなぁ
 そんなワケで「朋友/パンヤオ」ゴールの裏話もあったりして、その後の「ゴールおめでとう宴会」が現地で行われた時のTV未放送部分まで公開されていた。
 と、そこで問題の画面が映ったのだ。
 「朋友/パンヤオ」の二人が椅子に座ってグラスを持って「かんぱ〜い」などとやっているシーン。その場面で何故か「朋友/パンヤオ」の伊藤の手の辺りがぼやけているのだ。
 寒すぎる地域に行ったりするとカメラがおかしくなったり、レンズが凍ったりして変な画像になることがあるらしい。が、どーもそのぼやけた画像は変な感じなのだ。
 普通、部分的にぼやけている場合は、機械的あるいはレンズ的な原因だと思うが、その時は画面の同じ右隅ならどこを撮影しても右隅がぼやけるハズなのだ。しかし、そのぼやけはある一定の場所でとどまっているのだ。カメラが動いても・・・どうやら、伊藤の後ろ側には「ぼやけている人物」が存在しているらしいのだ。
 別のシーンで、二人が立ち上がっていた時もそのさっきの壁際をカメラが横切る瞬間も何故かその壁際の席がぼやけているのだ。
 うぬぬぬぬぬ、何らかの理由でカメラに顔を出せない人物がそこに映っていたのだな。
 そ言うことで、その「ぼやけた人物」が異常に気になって「朋友/パンヤオ」どころでは無くなってしまったのだ。それ以降はぼやける事もなかったが、何か頭に引っかかるモノが出来てしまったのだ。
 そんなワケで人間は「隠されている」というモノに対して「見たい」と言う意識が働いてしまうのだと思う。

 同じように隠されているモノでは、以前読んだ雑誌の「ナベ特集」と言うモノで『寒い冬はやっぱりナベ』みたいな写真があった。
 その写真の中には複数人の男女がナベを囲んでカメラ目線でグラスなんかをこっちに「いえ〜い」てな感じで差し出しながら映っていた。
 が、その中の1人の男だけがカメラ目線が来ていないのだ。
 というか、その 男の顔部分、眼の処に黒い線が引かれていたりしたのだ。いわゆる「少年A」状態。あるいは「写真は実際の事件とは関係ありません」と言う参考イメージ写真状態だったのだ。
 楽しそうなナベ宴会もなぜかその目線だけで一気に怪しい集会のイメージ写真になってしまったのだ。
 雑誌編集の方にも色々理由があったのだと思うが、きっと直前に何か読者に言えない事態が起こって、その男性の写真を掲載できなくなってしまったが、あまりに入校直前で写真を差し替える事もできずにそんな状態になってしまったのだと思うが・・・・・。

 そーなるとこっちもナベどころではなく、その理由が頭の中でぐわんぐわん駆けめぐって「教えてくれぇぇぇぇぇぇ」となってしまうのだ。
 そんなワケで、全部オープンにするより隠されていた方が刺激は多いし、日記のネタにもなるのだ。
1999年1月17日(日曜日)5年連続メモ帳
 とある店で「5年連続メモ帳」と言うのを格安で購入した。
 なんせ5年連続と言っても実際には4年しか使えない「1998年〜2002年」用なのだ。
 結局、去年売り出されたのだが売れずに在庫として余ってしまった5年連続メモ帳だったりするワケで、そーなると大幅に値段を下げなくてはいけないとなる。
 ま、あと4年使えるし、とりあえず去年ぐらいならば何をしたのか覚えているので、後からメモ程度を書き加えればいいや、などと思って購入したのだ。
 とりあえず今年用のメモ帳を「買おうか・・どうしようか」と思いつつ新年を迎えここまで来てしまった様な状態だったので、渡りに船っつーかんじだったのだ。

 と言うことで早速メモ帳を開いて何かを書こうとした。メモ帳にそれらしきメモを残して・・・・うぬぬぬ、と思ってしまったのが、何も書くことがないと言う愕然としちゃうような事実が発覚してしまったのだ。
 こんなに日々、日記もどきを書きまくっている私なのだが、ふと個人的な世界に立ち戻って見ると、何を書いていいのか判らないと言う事実が待っていた。
 つまり読者がいるから書けるのだ。そんでもって書いているネタに関してはほとんど自分の記憶の中にインプットされていたりするのだ。
 だからなのだな・・・今まで私が個人的な日記を書こう!今年こそは書こう!と意気込んで三日目以降は何も書かなくなってしまったのは。

 うーむと私はうなりつつ、そんな事実に気が付きながらも「あ、これってぐうたら日記のネタになるじゃん」などと考えていたりするのであった。

1999年1月18日(月曜日)アイデン&ティティ
 いわゆる人間、誰だって自分が何ンらかの形で他人に誇る物がある。と信じている。
 それが頭脳的な事だったり、肉体的な事だったり、経験的な事だったり、あるいは家系や知人に有名な人がいるって事だったり、様々なパターンがある。
 それを常に他人に見せつけるようにして生きている人もいるし、じっと隠して誰にも触れさせないでいる人もいる。いわゆる「本当のオレはこの程度じゃないんだぞ」と現実問題として負けた相手に対して根拠の無い自信を抱えていたりする人もいる。
 めったな事ではくじけないのがアイデンティティのアイデンティティたる所以(ゆえん)なのだ。

 ま、誰だって色々大変な事があって、必死に踏ん張りながら生活をしているんだろうけど、それもこれも心の中に「本当の自分」とか「誇りに思える自分」ってヤツが存在しているからだと思う。
 果たして自分にとって何がそーなのだろうか?と考えていくと、アレもコレもソレも、とやたらに根拠の無い自信だとかを抱えている様な気がする。
 それは別に超自信家と言うワケではなく、逆に自信がない自分への防御策だったりするのだ。
 あっちを砕かれてもこっちがある。と言う、かなり多角経営でマルチにやってまっせと言う状況だったりする。

 しかし、人によっては話をすれば常に「オレが」と言う話の展開をさせる人がいる。どこでも「オレが」と言う形で自分の優れた処をひけらかすかの様な話をする人ってのがいる。
 そーゆー人は基本的にウザイんだけど、客観的に見ていると「自信がないんだろーな」とか「多大なコンプレックスを抱えているんだろうな」と言う感じがしてしまうのだ。
 『攻撃は最大の防御なり』と言う言葉があるが、それと同時に『弱い犬ほどよく吠える』と言う言葉が表裏一体となって付いてきてしまうのだ。
 ま、その自慢的話に「へぇ凄い」と単純に納得してしまえる場合はいいのだが、ある程度長い付き合いをしている人の場合「また?」と言う感じになって、げんなり、うんざり、となってしまうのだ。そして、長い付き合いの分だけ、その相手の生活や性質なんかを知っているワケで、その裏側のコンプレックスなども見えて来てよけいにツッコミにくい状況になってしまうのだ。
 しかもその自慢している部分が、凄くつまらない物だったりするとなおさらだったりする。

 きっと本人は全然意識していないんだろうけど、自分の誇るべき部分を何度も何度も口にして安売りしている状況は、弱味を見せてるのと同じだと思ったりする。
 本当に凄い人は、何も言わずに凄い。

 私もしゃべり過ぎの傾向があるので、気をつけなければいかん。
1999年1月19日(火曜日)マジカッコいい
 先日本屋に行ったときの話
 いつもの様に近所の本屋に会社の帰りに立ち寄って、雑誌→ハードカバー→文庫本→漫画単行本と言うコースを歩こうとした最初での出来事だった。
 新しい『本の雑誌』(椎名誠氏編集の書評誌)が出ていたので手に取り、次へ移動しようとした瞬間だった。
 雑誌ラックの向こう側から若い男性二人の会話が聞こえてきたのだ。それも本屋でする会話のボリュームではなく、部室などでくつろぎながら複数の人間に話しかけるかの様な大きな声でだった。
 「俺はやっぱし山口がカッコいいと思うけどな。なんかイイ感じじゃない?カッコつけすぎもしないで普通ぽい処が」
 「山口かぁ俺は太一が好きだけどな」
 などというたわいもない内容だった。最初の「山口」と言うのでは意味不明だったが「太一」と言うので、こりゃジャニーズのTOKIOの話だなと判ったわけっす。
 しかし、思いっきりな大声でTOKIOの話をするかなぁ普通、大の男が。ま、今僕がいる雑誌ラックの向こう側には芸能系雑誌なんかがあるので、多分それを見ながらの会話だと思うのだが。

 「長瀬は?」
 「長瀬かぁあそこまでカッコいいと好き嫌いって対象じゃないでしょ。完璧に負けって感じでさぁ、松岡はイイ感じだと思うけど」
 「じゃ城島は?」
 「あ俺、城島大っ嫌い、あいつカッコ付けてリーゼントとかしたりしても全然イケてないじゃん。それにでしゃばってきて、面白くないしね、俺大ッ嫌いあいつ」
 「そうかぁ俺は結構好きだけどなぁ」
 「ダメダメあれは」
 「俺は好きっていったら堂本剛は好きだな」
 「俺もアイツ好き」
 「俺は好きって言うか尊敬してるね、なんかいいじゃんアイツ」
 「俺剛とタメなんだよ、だから好きだな」
 「じゃ剛でも森田剛は?」
 「あれは『ごう』って読むんだよ、あいつはなぁ・・・あんまし眼中にないな、俺よか1っこ上だけどガキっぽいじゃん」
 「そうかぁ俺は好きだけどな、俺タメだし」
 「じゃ長瀬や堂本光一なんかと同じだ」
 「でもよぉ俺最悪な事に篠原ともえともタメなんだよぉしかも月まで同じで最低」

 などと言うどーでもいい話が延々と大声で展開されていたのだ。タメだからどーだって言うんじゃい!てな感じだったのだ。
 別に私は聞くつもりは無かったのだが、あまりの大声だった為に、隣のハードカバーコーナーに移動してもその声は当然、内容まで聞き取れてしまった。(結構でかい本屋なのだ)
 うむむ、ジャニーズに熱心な20歳前後の男二人。
 私は興味をもって芸能雑誌などが置いて有るコーナーに近付いてその二人をチェックしてしまうのであった。
 そこにいたのは、どーしようもないくらいに地味で普通でもてそうにない若者二人であった。

 うーむ、私の若い頃は男性アイドルなんて、いくらカッコ良くても「けっ」などと思っていたり、好きでもハッキリと人前では好きだなんて言わなかったのだが、最近はそのへんは緩やかになったのだろうか?
 ま、この二人は思いっきり特別な二人だとは思うけれど。
 しかし本屋での会話は静かにね。
1999年1月20日(水曜日)にぎやかな本屋
 以前、某小さな本屋に立ち寄った時の事。
 そこはスーパーに隣接していて、取りあえず駐車場も大きくあるので便利で品揃えはかなり寂しいが時折立ち寄ったりする。
 いつも店番のおばちゃんが暇そうに売り物の雑誌なんかをレジの中で読んでいたりする。
 店内はBGMなんかを有線でかけていたりするのだ。
 この店員さんはパートで、だいたい僕の観察によると6時で交替する感じなのだ。6時以前は主婦パートで、6時以降は学生パートと言う感じで8時に店じまいをしてしまう(早いっす)。
 そんでもって有線のチャンネルはおばちゃんの時は歌謡曲系で、じつにまったりとした怠惰な午後3時と言う感じになっているのだ。が、学生パートに移行した時、突然ロック・ポップス系に変えられ、布施明がミッシェルガンエレファントになったりするのだ、あ゙〜〜〜〜あ゙〜〜〜〜〜な感じなのだ。(BY Berdman)

 といいつつも、あくまでも店のBGMなので音量は控えめになっている。

 ところが事件が起こった。
 その狭い店の中には僕ともう一人男性、そして主婦らしき二人がいた。
 僕は漫画単行本コーナーでぼーっとして、男性はエロ系雑誌コーナーでむーっとしていた。
 でもって主婦二人組は雑誌コーナーで・・・立ち読みもせず、延々と立ち話をしていたのだ。その息継ぎ無しエンドレス会話攻撃はすざましい物で、こっちまで無呼吸運動状態になってしまいそうな勢いだった。
 当然、ボリュームも大きい。しかも内容は薄い。
 そこでムッとしちゃったのが店員なのだな。
 ここで「うるさい」と言ったらそれで済んだのだろうが、買わなくても客は客と思ったのか、その言葉を言い出せなかったらしく、店員は別の行動に出た。
 有線のボリュームを上げたのだ。

 うむむ、と思ったのだが、そんな事で負ける主婦ではなかった。そのBGMに負けまいと喋りのボリュームが上がってしまったのだ。
 さらに店員はムカッと来て有線のボリュームをあげる。しかし主婦も負けない。
 そんな戦いが延々と続いて、かなり大ボリュームのBGMの中、主婦が大声で話をしていると言うワケの判らない本屋になってしまったのだ。
 かなり狭い本屋の中で・・・・。

 結局、主婦が「ハッ」と自分たちの置かれている不可思議な状況を察したのか、店を出ていってしまったのだが、BGMは何故かそのままのボリュームで流れ続けている。
 ハッキシ言って本を読もうとしても、活字内容が頭の中に入ってこないのだ。
 うむむむむむむむむ、と思い私は結局、そこで本を読む&買うのを断念して店を出てきてしまったのだ。
 後には、その状況をどー思っているのが判らないが、エロエロ本を一心不乱に立ち読みする男性だけが残った。

 なんつーか、こんな戦いより「静かに」と言った方がナンボかマシだった様な気がするのだな。