杉村ぐうたら日記133(1999年1月25日〜1月31日)

▲1999年1月21日:木曜日:で誰だっけ?
▲1999年1月22日:金曜日:学級閉鎖状態
▲1999年1月23日:土曜日:マイナーな芸能人様
▲1999年1月24日:日曜日:記念日を作ろう
▲1999年1月25日:月曜日:目利きって何ンだよ?
▲1999年1月26日:火曜日:高所恐怖症と言う人生
▲1999年1月27日:水曜日:私は月にはいかないだろう
▲1999年1月28日:木曜日:価値が無い、意味も無い
▲1999年1月29日:金曜日:形ある物は壊れる
▲1999年1月30日:土曜日:諸行無常の響き在り
▲1999年1月31日:日曜日:さよなら さよなら さよなら
1999年1月21日(木曜日)で誰だっけ?
 会社の帰りにいつもの様に本屋なんかに立ち寄ったりする。
 いつもは大型の何ンでも揃ってまっせと言う感じの本屋に行くのだが、ふと気まぐれで「通勤途中にあるけど、いままで立ち寄った事のない本屋」に寄ることにした。
 こーゆー未知の本屋ってのは、ときどきそれまで探し続けて見つからなかった本なんかに遭遇してしまったりするので、要チェックだったりするのだ。
 特に古くからある本屋なんかだと、店のデッドスペースに10年以上前のすでに廃版になった物なんかがあったりする事もある。

 そんなワケで、その本屋に立ち寄った。
 外から見た時、小汚い印象を持ったのだが、案の定中に入るとそれを増長させた様な乱雑さが僕を待ち受けていた。なんか、新刊本屋なのか古本屋なのか判断に苦しむような本屋だったが、その汚さと比例して「珍し本」への期待度は高まってしまうのだった。
 僕は棚をひとつひとつチェックして移動してその本を見て廻った。
 しかし、予想を完全に裏切ってそこに置いてある本は最近の物ばかりだった。店の店主が整理好きだったり、ちゃんと在庫管理をしている店の場合、古くなった本は版元に返品してしまったりするのだ。本は売れ残った場合、版元への返品が利いたりするのだ。
 と言う仕組みは別に業界の決め事ではなく、返品ダメと言う方法を採ってもいいのだが、そーなると本屋自体が売れ残りを恐れて大量には仕入れない、ヘタすりゃハナっから入荷しないと言うパターンもありえる。
 SFに昔から今まで力を入れている某出版社の本がその手の「返品不可」だと言う話を以前聞いたことがある。そのせいなのか、本屋によってはほとんど入荷しない事もあるし、入荷する本屋でもその出版社のコーナーだけが澱んだ状態に見えたりするのだ。(好きな出版社なんどけどね)

 残念残念・・・と思った時だった、店から出ようかなと外に視線を移動した時、ちょうど新たに別の客が入ってきた。
 あ・・・・ひさしぶり・・・とその人を見て思ってしまった。
 が、誰なのか思い出せない。が、どうも10年ぐらい前に何度も逢った事のあるような気がする。
 その店に入ってきた人物は、視線を向けている僕には気づかずに雑誌コーナーへ歩いて行ってしまった。
 人違いか?・・・いや、あの特長のある顔は確かに記憶にある。しかし誰なのか、どのシチュエーションで出会った人なのか、その一切が全然判らないのだ。
 うむむむ、前の会社の人?・・・いや違う、あのイベントで逢った人?・・・いや違う、僕は完璧に呆然としつつ立ちすくんでいた。
 かといって「おひさしぶり」と声を掛けるほど親しかった間柄では無かった様な気がする。
 普通、記憶の彼方の知人に遭遇した時、名前は判らずとも、どんなシチュエーションで出会ったのか、どんなエピソードがあったのかぐらいは何ンとなく浮かんで来るのだが、その人物にはそんなものが何も浮かんでこないのだ。
 しかし、確実にその人には何度も逢っているハズだ、絶対に人違いじゃないと言う確信がある。

 僕は、記憶喪失状態の不安定な気分で店を出て車を運転し始めた。
 誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、僕の脳味噌は運転をしつつフル回転を続けていた。
 まさかマニアックな芸能人って事もないと思うし、雑誌なんかの媒体で見たって感じでもない。
 赤信号で止まり、ぼ〜っとしつつ考え続けていた。横の青信号が点滅を始めた時だった。

 「あ・・・・あの人だ」
 突然今までの疑問が氷解してしまったのだ。
 さっきの本屋で出会った人は99%間違いなく、「今から10年以上前、自動車免許も持っていなかった時、電車通勤の際にいつも同じ車両に乗り込んでいた人に違いない」のだ。
 うむむ、確かに伊豆の付け根の実に狭い地域での遭遇なので、不思議はないのだが、あまりにも時間を置いて、あまりにも違うシチュエーションで出会うと言うのは、何かの縁かもしれないのだ。
 などと言いつつ、2度と出会うことはないんじゃないかな、などとも思ってしまうのであった。


▼今日の死語
1999年1月22日(金曜日)学級閉鎖状態
 なんか新聞やニュースなんかでインフルエンザ大流行ってな事を言われていまして、やっぱ流行に敏感な私としては「乗り遅れちゃまずい」なんて事も思ったりするワケですが、今回のインフルエンザではかなり多くの人が肺炎なんかを併発して亡くなってしまっているので、笑い事じゃないのだな。
 とりあえず、最近は「健康生活」をテーマに日々を送っているハズなのだが、気が付くと夜中の2時まで本を読んでいたり、文章を書いて(打って)いたり、絵を描いていたり、なんつーかまっとうなサラリーマンじゃねぇなと言う時間帯まで起きていたりする。
 その結果、朝はボロボロで起き出し、取りあえず気合いを入れるために熱いシャワーなんか浴びたりして無理に体を動かして出勤したりする。
 どこが「健康生活」だ?と、みのもんたに怒られてしまいそうな程に不健康な生活をしている。
 緑黄色野菜を食べなくちゃダメだとか、ポリフェノール含有だとか、アンチプロフェリンだとか、エテンアミド配合だとか、タウリン100mlだとか、レモン100個分だとか、そーゆー事を一切排除した様な生活を送っている。
 まったくもっていかんのだ。

 そんなワケで昨今のインフルエンザだけど、姉キの子供なんかも暮れから正月にかけてヘビーな風邪をひいていたらしいし、友人の処の子供もぐったりしていたんで、小さなお子さんの関係者は激しく大変だと思うのだな。
 学校関連でも学級閉鎖なんつーものも話に聞くようになってきた。
 子供の頃、学級閉鎖って話を聞くと、風邪をひかなかった私は「うらやましい」などと思っていたのだが、あれって結局休んだ分は別の日に振替になるらしいっす。
 そんな事を思いつつ、会社に出勤してみると周囲がごっそりと休んでいる状況だったりするのだ。
 うひー会社閉鎖、部署閉鎖だぁなどと思ってもそんな事は出来るハズなく、否応なしに仕事の締め切りは迫ってくる。
 自分の抱えている仕事以外に、休んでいる人の仕事までが迫ってくる。
 一度もやった事のない仕事をマニュアルを見ながら、データを1つひとつチェックしながら、あるいは風邪で休んでいる人の家に恐縮しながら電話をしてガラガラ声で説明をしてもらい、なんとか夜遅くまで(東京へ送る社内便は9時締め切り)こなして、その後自分の締め切りが数日後の仕事をこなして帰る私がいたりする。
 健康万歳ってヤツだな・・・とほほ(←広辞苑に登録済単語)
1999年1月23日(土曜日)マイナーな芸能人様
 以前も書いたけれど、ギガヒットと言うHPに登録してあって、どれだけの人がそのページを読んだか?と言うのが判ったりする。
 ま、多くの人が読んでくれるのに越した事はないけれど、ある種、商売でやっているワケではないので、何人来ても問題ではない。とりあえず愛読してくれると言う人がいて、メールなり掲示板に書き込むなりしてくれるのが最高に嬉しいのだ。
 沢山の人がアクセスしても、まったく返事や反応がなかったらかなり寂しいと思うのだ。そんなワケで作者の杉村さんへ励ましのメールを。
 というのが今回の本題ではないっす。(返事は欲しいけど)

 そのギガヒットで『HAPPY BIRTHDAY'S CLUB』に来てくれた人数も判るんだけど、さらに突っ込んだ物でヤフーやインフォシークなどで検索して来てくれた場合、何という項目で検索したのかと言うのまで判ったりする。
 その結果、凄い事が判ったのだ。
 『HAPPY BIRTHDAY'S CLUB』にはもう数える事も断念してしまったけれど、約2万人+αの有名人・芸能人・スポーツ人・政治家・作家その他もろもろが登録されている。
 つまり、かなりの確率で人名検索をかけた場合ひっかかると言う事になるのだ。
 でもって、人名検索でどんな人物を調べたい為に来たのか?と言うので、ほとんどが女性だと言う事が判明した。
 うぬぬ、やはりインターネットは、まだまだ男性の物なのだな、などと思いつつそこで検索された人物と言うのが・・・・ほとんど知らない様な人々。
 なーんかかすかに記憶に引っかかっているような人や、たぶん10年近く前のAVの人だとか、そんな感じなのだ。激しくマイナーな検索で来た人が、異常に多い。
 うぬぬ、と思ったのだがそれも当然と言えば当然だった。

 たぶん現在『広末涼子』とかで検索をかけた場合、それでヒットするHPはとんでもない数になってしまうに違いないのだ。そーなると、その中からたまたま『HAPPY BIRTHDAY'S CLUB』に飛んでくるなんて事は奇跡に近い事だと思う。
 それがマイナーな芸能人(←言い方が良くないかも知れないけど)や、過去の芸能人なんかの検索の場合ヒットする数が本当に少ないと思う。その為に『HAPPY BIRTHDAY'S CLUB』に飛んでくるのだな。
 きっと検索されている名前を見ると、画像データが欲しかったんだと思うけど、その点に関しては残念でした状態っすけどね。

 そんなワケで、誰の名前で検索しても必ず引っかかるようなHPを目指して日夜努力を続けていきまっせ。
 
1999年1月24日(日曜日)記念日を作ろう
 よく女性なんかで「今日は二人が出会った記念日」だとか「今日は二人で始めてデートした記念日」だとか「今日は始めてエッチした記念日」だとか「今日は始めてケンカをした記念日」だとか・・・・とにかく、なんでもかんでも記念日にしてしまう人が居たりする。
 でもって突然、彼氏なんかに「今日は何ンの日だ?」などと質問をしたりするのだな。
 などと言われても、一般的に男性は相手の誕生日とクリスマスぐらい押さえてればいいのだぐらいにしか思っていないので(結婚したら結婚記念日もね)激しく狼狽して「え・・・・・・?」などと、頭脳フル回転であれこれを検索しちゃったりするのだ。
 その結果「なによぉ憶えてないのぉ、もういい、プンッ」などといわれ機嫌を損ねられて、男の方は激しく動揺して、機嫌をなだめる為に何かを買ってあげて、その答えを聞き出したりするのだな。
 で、その答えが「二人で始めて映画を見た日」などと言う、どーでもいいんだかどーだかな日だったりするのだ。

 ま、そんなこんななのですが、記念日と言う発想も悪いこっちゃないと思う。
 ある意味では、その日その日を大切にして生きて、毎日を特別な日にしたいと思っていると言うことになるワケだと思う。
 確かに、毎日のべんだらりんと生きて、今日も同じだったと言う状態で2・3日前に何をしたのかさえ思い出せない生活はいかんなぁと思ったりする。
 自分もどっちかと言うと、休日は平日のヘビーな仕事から解放されたっていう喜びから、土日の休みはただぼーっと過ごしてしまう事が多かったりする。そんでもって毎日曜の夜後悔する。
 なかなか友人達とも休みの日が合わなかったりするので(とにかく、サービス業が多くて土日休みの人がいない・・・)結局、一人でぼーっとしたり、買い物してワケの判らない物を購入したりしてしまうのだ。
 いかんいかん、何か自分の内面に落ち込んでしまうぞ。などと焦ったりするのだ。

 とにかく毎日毎日を大切に一歩一歩前に、そんな努力をしつつ記念日だと誇れる様な日を多く作らなくちゃいかんなぁなどと思う。

 そんなワケで今日はとりあえず記念日になる様な日になってしまったっす。
 と言っても、世間の皆様に公表できる様な記念日ではないけど、とりあえず『はじめてのおつかい記念日』と言う日だったワケっす。(意味不明だなこりゃ)

 そんなワケで、今年はまだ11ヶ月も残っているぞ。頑張るのだと、改めて思ってしまう1月24日なのでありました。 
 
1999年1月25日(月曜日)目利きって何ンだよ?
 ここ数年、テレビ東京系の『開運!何でも鑑定団』と言う番組のおかげで、骨董ブームが訪れている。
 それまでは二束三文で取引されていた様な書画骨董のたぐいまでもが「もしかしたら」などと言う状況の中で取引されている。
 そして、それまでは一般的には激しくマイナーだった作家までもが取り上げられて、徐々に高い値段になりつつあるのだ。美術年刊なんかでもそーゆー感じになりつつある。

 値段があがる・・・・か、と僕はそーゆー現象に思いっきり醒めてしまっていたりする。
 高価な物と言うのは確かに凄いかも知れない。
 でも「美術品を愛でる」と言う気持ちからいくと全然違う方向の様な気がする。

 いくら有名な作家の作品だと言っても、その作家の未完成時代の物は実際の美術的価値で言ったら少ないと思う。たしかに後々の作品に繋がるセンスと言う物が醸し出されているかも知れないが、果たしてその作品が無名の作家の物として出てきた場合、眼にはどー映るか?
 そこの部分で「鑑定」と言う視線で見てしまうと「あの作家の習作時代」と言う希少価値で値段がばかげた物になって行くのだ。
 だってあくまでも絵とかって言うものは本来「その物の完成度」とか「単純にいいか悪いか」が見る基準になると思うのだよ。
 ところが鑑定されて「有名作家の習作時代」と行って値段を付ける場合「資料的価値」みたいな物が全面に出てきてしまう。つまり研究家に取っての値段、コレクターにとっての値段なのだ。
 その作品そのものの「美術的価値」ではなく「美術研究的価値」なのだ。
 その辺が今の鑑定ブームではゴッチャになっている様な気がしちゃうのだ。

 例えばCDなんかで「売れた物がいいもの」と言う考え方は違うと思うでしょ(思わない人も多いかも知れないけれど)。
 音楽ってあくまでも個人の好みの問題だから、いくら売れているからと言っても「小室系がダメ」とか「B'zの稲葉の歌い方が苦手」だとか色々あると思う。(←誹謗中傷では無いっすよ)
 音楽は流行っている物が絶対ではない。個人にとっては、もっと違う物が一番で、それをとやかく言われる類のものではないハズ。

 だから鑑定なんかの、いわゆる値段の高いものを骨董市なんかで購入した場合「目利き」と言って、どうしようも無い物を買わされた場合「ダマされましたね」などと言うのが、ちと一般的な目と鑑定的な目とのズレだと思ってしまう。
 そこらの二束三文の骨董品でも、その購入した本人が「いい」と思って買ったんだったら、それがベストだと思うのだ。
 いわゆる美術品の善し悪しが「鑑定額」だけで判断されてしまう様な傾向は完璧に間違っていると思うのだ。  ピカソの良さ、ゴッホのよさ、ルノアールのよさ、本当に自分の中の価値基準ですか?

 これは美術品を判断するって事だけでなく、自分本人に価値基準がちゃんと存在しているか?と言う、逆鑑定にもなっているような気がする。
 とりあえず「自分はこれが好き」と言う基準を見つけられない人が、金額だけの鑑定に走ってしまうのでは?と感じている。
PS
 しかし鑑定団などに出ている鑑定士の人々の知識は凄いと思うけど、彼ら自身には「趣味」と言う方向性はどれくらいあるんだろうか?と思ってしまう。
 価値はあんまり無いけれど、自分としてはこれが最高に好きなんだよ。と言う物があるのだろうか。

1999年1月26日(火曜日)高所恐怖症と言う人生
 誰にでも弱点はある。
 その弱点を普通は人に教えず、じっと我慢すると言うのが正しい人生の歩み方だと思うのだ。
 が、私ってヤツは文章のネタになる事ならば何ンでも書いてしまうと言う、悪い癖があるのだ。そのおかげで私の知人たちはいつネタにされてしまうのか気が気ではないと思うのだ。
 いやはや、すまんすまん、私と出会ってしまった事を不幸だと思って諦めてくれ。

 そんなワケで、その書かないで欲しいと言う困った文章の矛先(ほこさき)は、最終的には自分に向かってしまうワケで、その為に、これまでも自分の恥ずかしい事件などを書いてしまったりするわけなのだ。
 良く言えば「表裏のない」とか「開放的」とかって感じなのだが、世間一般で見たら「スキだらけ」と言うヤツなのだ。
 そして自分の最大の弱点と言うと『高所恐怖症』と言うヤツがある。
 その恐怖症度っつーのはハンパじゃなくて、梯子の5段ぐらいまで上がった処で「勘弁」とか言い出してしまうのだ。まったくもってだらしのないヤツだったりする。その5段の高さってのは、降りて客観的に見ると果てしなく低く、「高所」と名付ける事に関してはJISだってJAFだって許してはくれないと言う感じだったりする。
 だけど、僕が登り始めた瞬間、そこには現実として高所の恐怖が存在してしまうのだ。
 小学校2年の頃、自分のクラスが2階になってしまった。その時は、夏ぐらいまでずっとベランダに出る事が出来なかったと言うぐらいに、先天的な高所恐怖症なのだ。

 さすがに今はそのぐらいは我慢できるようになったが、苦手なのには代わりがない。
 恥ずかしながら未だに飛行機ってヤツには乗った事ないので、現時点で最大級に地面から遠ざかったと言うと、友人の住んでいた拝島ハイツ12階って処だと思う。
 もーエレベーターでぐんぐん上昇していると言う感覚が私の胃をきゅぅぅと締め付けるのだ。
 でもって、がぅん・・・と鈍い音と共にエレベーターがドアが開くと・・・そのマンションの友人の部屋へ行くまでの外に面した通路が私の前に立ちはだかっているのであった。
 がーん、と言うワケで私ははぁはぁぜぇぜぇと息を荒くしながら毎回友人宅を訪れる事になってしまうのだ。
 そんでもって部屋に上がって外が見えない場所にいたとしても、私の下の下の下には11層の部屋が存在して、その遥か彼方に地面があると考えただけで目眩がしちゃったりするのだ。

 うーむ、嫌だねぇ高所恐怖症は。

 と言いつつ、きっと女の子とデートで遊園地に行った場合、女の子の「ジェットコースターに乗りたい」と言う誘いは断れないと思うのだ。そーゆー風に優柔不断で流される性格だからこれまで苦労して来たって言うのに、学習能力の無いヤツだったりする。

 などと言うシチュエーションを自宅の机で考えているだけでも、実際に手に汗握ってしまったりするのだ。
 この高所恐怖症を治す方法なんて無いよなぁなどと、意味無く悩んでしまう寒い2月の夜更けだったりする。
1999年1月27日(水曜日)私は月にはいかないだろう
 そんなワケで、高い所が決定的に嫌な私ですが、なんでも「あと3年ぐらい先には宇宙へ旅行できる」と言う事らしい。
 まったくとんでもねぇな。
 確かにワシらの子供の頃は「21世紀になったら宇宙ステーションが出来て、そこで生活する人もいる」などと言った図解などが、子供向け雑誌に掲載されて、トンがった子供は将来の夢で『宇宙船のパイロット』などと言っていた。
 そーゆーのが、あくまでも夢として非現実的なSF未来図としてあったのだ。

 が、ついにそれが現実になっちまうワケなのだ。
 じじいはリアルな感情を持てずに、そーゆーことを言っているTV番組を見ていた。

 スペースシャトルの次世代機が完成に近づき、宇宙旅行が現実の物になりつつある。などと言っている。
 しかし、現実的な事を言えば「何故、宇宙ステーションを作るか?」「何故、宇宙に進出していくか?」と言う事を考えると『地球を喰い尽くしたから』と言うのが答えだと思うのだ。
 いわゆる鉱物資源を求めて月を乱開発する図が、きっとあと50年後には問題になっているかも知れない。

 しかし「観光」と言う目的で宇宙に出ると言うのも、盛んになるだろうとそのTVでは言っていたが、私はその気持ちがあんまし判らない。
 ま、高所恐怖症だっつーのが最大の前提にあるんだけど、どうも魅力を感じないのだ。
 宇宙空間にでて、本当に間近で月を見たり、地球を見たり、うーむと言う感じだったりする。

▼今日の駄洒落
1999年1月28日(木曜日)価値が無い、意味も無い
 週刊アスキーと言う雑誌を読んでいた。
 そこには毎週、インターネットの検索エンジンで何と言う項目が多く検索されたか?と言うのが発表されている。
 去年の年末は「自殺」とか「青酸カリ」とか「ドクターキリコ」だとか、そーゆー事件がらみがどどーんとトップに並んでいた。
 実に判りやすいランキングなのだ。そうかそうか、検索する人の関心事はそっちの方へベクトルが向いているのかぁなどと、勉強になったりするのだ。

 その中にジャンル分けで「芸能」と言う物もあって、そこでのランキングも出ていたりする。
 でもって、ある時突然『小島聖』と言う名前が出ていた。うぬ?あの女優の?何故?
 と、芸能ニュースに最近疎い私は首を傾げたのだが、その下に「ヌード写真集を発表した」と書かれていて、そうだったのか!と初めて知ったワケっす。
 しかし、何故ヌードを?
 と頭をひねってしまったのは、小島聖と言うキャラクターはこれといってセクシー寄りでも無いし、あえて言わせてもらえればフォトジェニックな感じでも無いような気がしていたのだ。
 うーむ、なんか全然想像つかないや、と言うかヌードと言う言葉と結びつかない・・・・・うむ。
 などと思ったが、さほど興味が無いので「そーゆー事もあるさ」と忘れた。

 それから数週間後、こんどはそのランキングに『裕木奈江』と言う、なんか懐かしい名前が出現した。
 その理由もやはり同じように「ヌード」だと言う。
 うーむ、かつて売り出し中の頃、激しい女性からのバッシングを受けてあんましTVに出なくなって、しばらく黒猫ヤマトの宅急便のCMぐらいでしか見なかった裕木奈江か・・・・(しかも最近はCMは別の人になった)
 なんか、これもヌードって言葉と結び付かないなぁ
 しかし、世間一般(ごく一部のインターネット検索マニア)には大騒ぎの話題なのかなぁ

 それ以前は圧倒的に過去の芸能人が返り咲こうとしてのヌードが多かったが、ここ5年は現役の女優が突然ヌードなったりする。確かに、最初の頃のヤツはインパクトあったし、現役アイドルの宮沢りえ辺りが出した時は大騒ぎだったけど・・・・今はどーゆー意味があるんだろ?
 どーも、普通に女優をやっている人が仕事の一環として、軽く出しているって気がするのだ。小遣いかせぎに。
 ま、大義名分としたら「芸術の為に」なんて辺りを持ち出したりするんだろうけど、見る人は99%そんな芸術を感じなかったりすると思うのだ。
 でもって見ている方も、「エロエロな気持ち最大限」かっつーと、そうでもなく、ある程度ヘアにもヌードにもマヒしちゃっているから、なんかそれに価値を感じなくなっちゃっているのかも知れない。

 なんか日本って国はここまで裸とかエロ系に寛大な国だったのか?
 他の国では、普通に仕事をしている女優が意味なくヘアヌード写真集なんて出さないよなぁ

PS
 裕木奈江ってあんまし興味ないんでよく判らないのだが、あの数年前ドラマの主演などをした頃のバッシングは凄かった。
 いわゆる女性側から「男にコビコビしているあの態度が気に入らない」と言う理由で、怒涛のバッシングをされていたらしいが(女性週刊誌もワイドショーも見ないのでよく知らないが)、とりあえずあーゆー顔つきはしょーがないし、コビているのはそーゆードラマだったからじゃないの?と思っていたっす(ドラマもちゃんと見なかったので知らないけど)
 でもって会社なんかでも当時、女子社員が悪意全開でその話をしているのを数回耳にした事がある。
 そして、その状況を見て感じたのは「コビているのが大嫌い!」と公言している女性の多くが、無意識に男性の前に出るとコビていたりするのだ。
 結局「嫌だなぁ」って感じるのは「自分の中にある一番根元的に嫌な部分を見せつけられているから」嫌なのではないか?と言う事だった。
 とりあえず誰だって、異性の前ではポーズを取ってしまうけれどそれの拡大解釈的な物を裕木奈江と言う人物に感じちゃったのではないかなぁ。

 僕はすごく変なポジションにいるんだけど、女性を売り物にする女性は苦手だったりするんで、コビコビさんは興味なかったりする。
 でも、その対局にいる『江角マキ子』と言う人にも「あたしは男に頼らずに生きているの」と言うポーズ的なコビが見えてしまって、興味がなかったりする。

 などと書くと女性からバッシングを受けてしまうかも知れないので「と言う事を友人が言っていた」と言う事にしてやって下さい。
1999年1月29日(金曜日)形ある物は壊れる
 とりあえず、この一年ワシワシとHPを更新して蓄積して、とにかく文章をカキカキしてきた。
 誰に命令されたワケでもなく、私の場合は文章を書いたり、絵を描いたり、音楽したり、カッコいい言葉で言うと「自己表現」っつーヤツが好きというか、生活の一部になってしまっていたりする。
 ま、かみ砕いて言えば、ただの「道楽者」なんだけどさ。

 そんなワケで、現時点の自分にとってインターネット上における「ひねもす」あるいは『ぐうたら日記』『現代用語の基礎的ではない知識』と言う物の存在はかなり重要な物だったりするワケっす。
 いわゆるここに書かれている文章は日々蓄積されていく私の財産と言うべき物だったりするのだ。
 そんでもって、文章はHPに発表されているもの以外にも、準備段階のメモと言う物も大量にあったり、没にした物も大量にあったりするのだな。
 そいつも含めて私の財産っつー事になる。
 それがとんでもない事になってしまったのだ。

 話は数日前に戻る。
 会社の後輩が仕事で保存したハズのデータが保存されていなかったと言う事件が起こった。
 私の仕事はいわゆる本なんかの編集と言うヤツで、日夜ワシワシと文字をページに修めて、チェックして、写真を組み込んで・・・と言うのをコンピューター上でやっていたりする。
 いまやコンピュータで編集するDTP(デスク・トップ・パブリシング)と言うのも当たり前になっているが、数年前の始めた当初は大きな会社で大々的に始めた先駆けだったらしくNHKのTVなんかでも仕事を紹介されたりしていた。
 そんなこんなで編集作業っつー事で、ここでチョンボすればあっと言う間に何万冊もの誤字脱字本が出版されてしまうというかなり責任感が必要な職場だったりするのだ。
 そーゆー中でのデータ保存のミスと言うのは致命的なミスになってしまったりする。
 特にコンピュータのデータってヤツは指先一本で消去されてしまったりするし、ヘタすりゃ保存しておいたHDなどが壊れて・・・と言うことだってありえる。
 つまり「データは壊れる物」と言う認識の元に仕事をしていないと危ない事が多いのだ。
 だから合い言葉は「こまめなバックアップ」と言う事になってしまうのだぞ、と私は物わかりのいい先輩的な事を言ったりするのであった。

(↓続く)
1999年1月30日(土曜日)諸行無常の響きあり
 そんなこんなで数日前、知人、通称アニーが電話を掛けてきた(←普通アニーって女性の名前だが、男っす)。
 アニーによるとコンピュータの調子が悪い。そんでもってMOドライブがうまく作動しなくて、読み込んだり書き込んだMOが壊れてしまった。と言う話をした。
 うむうむ、やはりコンピュータデータは壊れると言う前提でないと、激しい悲劇を産み出してしまうのだと言うことをまたしても、訳知り顔で「こまめなバックアップ」などと話したりするのであった。

 アニーと「やっぱしiマックを買うしかないっすねぇ」「ワシも今のマックとLANで繋いで使いたいっすねぇ」などと話をひとしきりして電話を切った。
 そんでもって、電話が掛かってくる前にやっていたコンピュータ仕事の続きをしようとイスに座った時・・・私の目の前のモニターには『このMOは壊れているか未フォーマットなので読みとる事が出来ません』などと言うメッセージが表示されていたのだ。
 ぬ?
 そのMOドライブにはさっきまで作業をしていたMOが入ったままになっていたのだ。
 何故?と思いつつも、メッセージの『初期化』『イジェクト』で、イジェクトを選択しMOを吐き出させたのだ。
 うーむ、と思いつつ何かの気の迷いに違いない。と、マックをリスタートさせた。
 そして再びMOを入れる・・・・やはりさっきと同じメッセージが出てくる。
 何故だ?さっきまで使っていたのに。と思いつつ「ま、MOドライブは消耗品だというし」など、物わかりの良い大人になりつつ、MOのヘッドクリーニングをしたりメンテナンスをして再度MOを入れる。
 が、結局さっきと同じメッセージが出て、初期化するかイジェクトするかの二つの選択支しか私には提示されないと言う事になってしまった。
 うぬぬと敗北感をかかえイジェクトをする。
 「ついにこのMOドライブも壊れたか・・・・」
 と思いつつ、別のMOを入れてみる。かしゃかしゃしゃ・・・・なんと何事もなく普段通りに表示するのだ。
 ありゃりゃと思い、さらに別のMO、別のMOと次々に挿入してみるが、何も問題のないおだやかな昼下がりと言う感じになってしまったのだ(夜中だったけど)。
 てことは・・・・・どうやら壊れているのは、作業をしていたMOだったと言う結論に達したのでありました。
 そして、MOドライブが壊れたと思いこんだ時以上に深刻な事態に直面した私は青ざめて立ち尽くすのみであった。

(↓さらに続く)
1999年1月31日(日曜日)さよなら さよなら さよなら
 実はその壊れたMOというのは、このひねもすの「ぐうたら日記」「現代用語の基礎的ではない知識」から、杉山バラ園関連、「HAPPY BIRTHDAY'S CLUB」の膨大な誕生日データの全てが収まった物だったのだ。
 とりあえず、色々な場所で作業をしなくてはいけないと言う問題上、自宅のHDの中に置いておくワケにはいかなかったので、完璧にMOでデータを管理していた。
 そのデータを修めたMOが壊れてしまったというのだ。

 とりあえず現時点でホームページで発表されている分は、サーバーから逆に引っ張ってくれば何ンとかなるとしても(それにしても膨大だけど)、問題は未発表部分のデータなのだ。
 1月の初旬に誕生日データは大々的に更新したが、それでもまだ未登録の誕生日データが数百人分あって、さらに色々なアーティストのプロフィールなども制作していた処だったのだ。これが全部しおしおのぱぁ・・・・。
 と、そんなのはまた入力すりゃいいのだが、問題はひねもす関係の文章なのだ。
 現代用語の新作ってヤツも最近ガシガシ書いていたのだが、それも消えてしまった。
 さらに実はこのMOクラッシュ事件が起きているのが2月3日〜4日の深夜だったりするワケで、現時点で更新していない1月26日以降の日記も全部消えてしまった事になっちまったのだ。
 (つまり現時点で更新されている1月26日〜2月3日の9日間の日記は、そのクラッシュをした後に新たに書き直した分っす)
 うむむむ、さらにそれ以外に大量の未発表作品&メモなどなどが一瞬にして消えてしまったと言う事になっちまったのだ。

 とりあえず、ノートンなどでデータ復帰大作戦など、色々と手を打ったのだが、断片しか復帰出来ず、ほとんどがダメになってしまっていた。
 なんつーか、日頃から言っていた言葉が今、現実の物として私に重くのしかかってきているのだ。
 あぁぁぁぁ

 かなりヘビーに落ち込んでいる(涙)