杉村ぐうたら日記135(1999年2月8日〜2月14日)

▲1999年2月11日:木曜日:飛びます飛びます
▲1999年2月12日:金曜日:個人的地図
▲1999年2月13日:土曜日:突然のラジオ出演決定
▲1999年2月14日:日曜日:チョコレートはいらない(か?)
▲1999年2月15日:月曜日:タダより怖い物はない
▲1999年2月16日:火曜日:でででで、で〜んでで・・・
▲1999年2月17日:水曜日:はっと思う
▲1999年2月18日:木曜日:食べ物の好き嫌いは贅沢
▲1999年2月19日:金曜日:初恋かしら・・・
▲1999年2月20日:土曜日:好みは千差万別
1999年2月11日(木曜日)飛びます飛びます
 そんなワケで今日は、建国記念日で、全国的にお休みだったりするワケでありまして、などと言う書き出しで始めると「ばーろー俺は仕事だったぜ」等という声も聞こえて来てしまうのであります。
 が、とりあえず日本の常識では今日は休みって事になっている。
 などと書くと「じゃ、俺は非常識だって事になンのかよぉ!」と言う声もあるかもしれませんが、とりあえず国民の休日だったりします。

 しかし、今日休んで、明日出勤して、再び翌日は土曜日休みだって考えると、なーんか明日は「仕事やりまっせ!」と言う気合いが入らなかったりする。
 などと言っても、会社に行けばちゃんと仕事は待っているし、仕事は待ってくれないのだ。
 あぁぁぁぁぁなどとすでに明日の事を憂鬱になりつつ休日を過ごした。
 でもって、思いっきり贅沢な悩みなのだが、週休二日と言う物に慣れてしまった私の体は「今日1日だけの休みじゃ何も出来ないよなぁ」などと、思ったりしてしまうのだ。
 贅沢病だ。

 ま、この休日がどんとないと何も出来ないって思ってしまうのは、完璧に「じじいで出不精になっちまったなぁ」と思っているので「やばい」と言う感情が先立ってしまうのだ。
 昔は日曜日だけの1日休みだったとしても、気軽に東京へ行く!などと言って、土曜日の仕事が終わった後、会社から家へ寄らずにそのまま(静岡から)東京の友達の家に出かけ泊まり、日曜日を1日フルに遊んで、日曜の夜9時頃に友人宅を出発し、自宅に真夜中(11時頃)たどり着き、爆眠してから会社に何事もなかった様に出かけたりしていた。
 若いっていいのう、などとじじいは昔を思い出したりしちゃうのだ。
 さらに飛び石連休なんて物だって「屁」と思わないで、まず前述の様に東京に出かけて、帰って会社に出勤して、さらにその仕事が終わった後、自宅へ帰らずに今度は正反対の浜松に出かけたりしていた。
 かなり遊びに命を賭けていたような時代があったのだ。
 まったくもって若いっつー事はムチャでいいよなぁ
 コンテストがあるとかって事で、ほとんど毎日徹夜でコツコツと多重録音をしたりしていた事もあったりする。でもって何事も無かった様に出勤もしていた。

 そんなワケで、若人よ、ムチャをしてでも遊びまくれ、じじいになってからやろうたって体が言うことを利かないぞ(などと書くと、私の事を思いっきりじじいだと思う人もいるんだろうな)
1999年2月12日(金曜日)個人的地図
 以前仕事で「JOB」とか「DOMO」などと言う静岡限定の求人雑誌なんかの地図を作成していた事がある。
 いわゆるコンピュータ上の作業で、マックのイラストレーターと言うソフトでワシワシと求人広告を出している会社までの簡単な地図を書くと言う事をやっていたのだ。
 それの元の手書き地図を各会社から送ってもらい、それをフォーマットに合わせてこぎれいにデザインするのだが、その原稿が本当に締切ギリギリに入ってくるので、かなりラストスパートは激しい仕事になっていた。
 その作図が出来るのは、その時点で僕だけだったりするので、全部の作業が集中してやってきていたのだ。
 だいたい1時間に6〜8枚書かなくてはいけない計算になるので、昼過ぎ3時から休憩・夕食を取る時間も無く、怒涛の作図作業が9時ぐらいまで続いていた。
 ハッキリ言って、気が付くと息を詰めて作業をしているので、酸欠に近い状態になって、立ち上がった瞬間足下がぐらついちゃったりしたのだ。
 最近は、この仕事も別の人の担当になって自分は思いっきり楽をしている。

 この仕事をしていて気が付いた事が一つある。
 それぞれの会社の人は、地図を書いて自分の会社に誘導させたいワケで、会社の近所を判りやすい様に道筋の目立つ建物を「ここに○○○があって」「ここの角には○○○があって」と書き込んであったりするのだ。
 でもって、その目印になる物が何かで、その地図の原稿を書いている人が興味ある物が何なのか、どーゆー生活をしているのかよく判ってしまうのだ。
 つまり、ほとんど同じ様な場所の会社が同時に求人広告を出している時、その地図を見比べて見るとA社は近所の目印として「●コスモ石油」「●キグナス石油」などを書いて、B社は「●安田会館」「●パチンコ世界」などとパチンコ屋ばかりを目印にしたりするのだ。
 結局、思いっきり客観的な目印ではなく、その原稿を書いている人にとってのその地域の目印、あるいは意味のある場所と言う事なのだ。
 ガソリンスタンドがメインの人、パチンコ店がメインの人、なんか凄く判りやすいっす。

 たぶん僕が地図を書くと、本屋、CDショップ、コンビニがメインになりそうな気がするのだ。
1999年2月13日(土曜日)突然のラジオ出演決定
 ほぼ1ヶ月後の3月14日にコンピュータ機器を中心にしたフリーマーケットを開催すると言う事になった。
 とりあえず『電脳フリーマーケット99』と言うタイトルで、TV局やラジオ局などを巻き込んで行う事になってしまった。いやはや、自分が立案した企画だけど、大きくなりすぎるかも知れないっす。どーしよー。
 基本的に、これまで数回フリーマーケットと言う物を企画したけれど、その都度、企画&出店と言う感じで参加してきたのだが、手際が悪いせいもあるが、かなり忙しく、楽しむと言う事が皆無だと言う事が判った。
 そんなワケで今回は、企画立案者と言う事だけど、出店はしないので、ある意味で気は楽なのだ(それ以前にコンピュータ機器の余っている物なんてほとんど無いんだけどさ)

 TVの方は開催場所の杉山バラ園(まいどまいど)が関係している局があったので決まったが、ラジオの方への交渉は私の担当と言う事で、ラジオ局が持っているHPに伝言などを打ってコンタクトなどを取ったりしていたのだ。
 このラジオは「ボイスキュー」と言って三島・函南のコミュニティFMっつー事で、去年の秋に僕もゲストって事で約30分ダラダラと喋らせて貰った事がある。
 そんでもって、番組自体がコンピュータがらみの「ネットジャム」と言う物だったので、コンピュータ機器を扱う『電脳フリーマーケット』の事を大いに宣伝して貰おう!と、その番組の放送直前にバラの花束を持って出かけたのだ。
 今回のフリーマーケットは、何故かバラ園の中で中古コンピュータを販売している『名も無きジャンク屋』店主ちま氏が協賛と言う事になっているので、二人でボイスキューのスタジオにまで遊びに行くことになった。

 でもって、「ば・・・ばれんたいんでー!」と、パーソナリティの猫丸氏&ウッチー嬢にバラを渡し「よろしくお願いします」などと話をしている内に、事態はとんでもない方向に転がってしまったのだ。
 その場にいたディレクター氏(番組では編集長と言われている)が「じゃ、3月6日のゲストが決まっていないから出てよ」と言い出したのだ。おいおい、そんなにゲストに困っているか。
 うぬぬぬぬ突然、と言う事になったのだが、とりあえずフリーマーケットの宣伝になるし・・・承諾するしか無い方向へ話は転がってしまったのだ。

 そんなワケで、3月6日(土)午後4時〜5時に、静岡東部の人々はFMを周波数777に合わせるのだ。
 きっとかなり馬鹿な放送になってしまうと思うのだな。ヘタをすると宣伝も忘れてバカ話をするかも知れない。

 とりあえず前回の放送を聴いた人からは「ぐうたら日記」のキャラクターそのままだったと感想を言われてしまったのだ。いやはや。
 (〜のだ、というしゃべり方はさすがにしないけどね)

1999年2月14日(日曜日)チョコレートはいらない(か?)
 いやぁ世間ではなんかチョコレートがわんさかわんさか売れているとか、いやいや不況の波はここにも押し寄せているとか。
 しかし困った事に、この時期に意味無く「チョコレート喰いたい」などと発作的に思ってしまったとしても、やっぱし男の子は恥ずかしくてお店屋さんに買いにいけなかったりするのだ。
 バレンタイン直前の時期に菓子コーナーに男がぽつんとチョコレートを持って立っているのを見られた場合、きっと周囲の人から「あの人、絶対的にチョコレートをもらえないってのが判っているから、人に『これ貰ったんだ』って自慢する為にワザワザ買っているのよ」などと勘ぐられてしまうに違いない。あぁどーしよう、などと言う激しい心配性思考が働き、購入を躊躇してしまったりすると思うのだ。
 だから、この2月の上旬に男はチョコレートを買う事は出来ない!チョコが食べたくても我慢するのだ!
 などと思っていると、よけいに「チョコレート喰いたい」などと体が欲求しちゃったりするから困り物なのだ。

 しかし、チョコレートを買うワケでもないが、先日ふと会社帰りにセブンイレブンに立ち寄った時、その店のバレンタインチョココーナーに6人程の女子高生がたむろして、ワイワイやっていた。
 うーむ、季節の風物詩だな、などと思いつつ僕が店のドアを開けた瞬間、その女子高生集団に「じろり」と睨み付けられた(様な気がした)ので「うひゃぁ」と恐れおののいてしまったのだ。
 バレンタインチョコワゴンセールにたむろしている複数女性の意味不明の気迫と言うヤツには毎年毎年、凄いオーラを感じてしまって、思わずたじろぐしかない。
 私としては、バレンタインと言う恐ろしい黒魔術の様な風習にはどう接していいのか未だに不明なのだ。

 ま、二人はラブラブラブリーな感じだったりする場合はいいのだが、実際に困ってしまうのが『義理チョコ』と言うやっかいな物の存在だったりする。
 ハッキシ言って会社なんかで貰う『圧倒的・絶対的・絶望的・強制的・同情的義理チョコ』と言うのは実際考え物なのだ。
 話に聴くには、会社の女の子の間でも「義理チョコって数を渡さなくちゃいけないから、金額的にもバカに出来ないのよ」と言う事で、義理チョコ運営団体は廃止しようか?みたいな意見も出たりすると言う。
 が、何故かその風習は続いているのだ。
 おじさんなんかの間では「義理でも貰うと嬉しいよ」などと言う意見もだされていると言う。
 しかし、女の子もお金がバカにならないと言うのと同じに、男側もお返しの『義理ホワイトデー』と言うのにほとほと参ってしまうのが現実だったりするのだ。
 なんつーか、「あのチョコがこのぐらいの値段だったから、お返しは・・」などと金額的にどれくらいが妥当だとか言う問題以前に、ホワイトデーと言う存在自体が「何を返したらいい」と言う明白な答えがないわけで、買いに出かけたのはいいのだが、どうしたらいいのか困ってしまうのだ。
 あっちのアレもいいが、こっちのコレもいいかも知れない、いやいやあそこのアイツもいいかも知れない、などと優柔不断大爆発で右往左往を繰り返し、いつの間にか息もゼエゼエハアハアと荒くなり、目つきも凶悪三白眼で薮睨みをして、結局のところ店の中を激しくうろつく挙動不審人物になるしかなかったりするのだ。
 クッキーだとか、マシュマロだとか、キャンディだとか、ホワイトチョコだとか、なーんかハッキリして欲しいのだが、その辺はどーも曖昧になってしまう。と言うのも、本来そんな風習事態がないのだからしょーがない。
 バレンタインチョコもモロゾフの陰謀だとか、不二家の陰謀だとか、色々説があるが、それ以上にホワイトデーはどこからそんな話が出てきたのだ?虚礼廃止なのだ!と思ってしまうのだが、義理でも貰った物に対しては何か御礼をしなくちゃいかんよなぁと思ったりする。その辺が日本人の義理堅い所で、面倒なのだ。

 そんなワケで、今年のバレンタインデーは日曜日に当たったおかげで、会社での『義理チョコ』が皆無!と言う嬉しい事になったのだ。
 これで3月14日の前日、自分の誕生日だってのにプレゼントを悩みあぐねて(しかも恋愛感情も何もない女性の為に)三白眼で店をウロウロしなくても済むって事なのだ。
 と、いいつつ義理チョコどころか、本命チョコもな〜にもなかった今年のバレンタインは激しく哀しく「俺は仏教徒だぁぁぁぁぁ」などと意味不明な事を叫びながら、夜の町を車で疾走するのであった。

1999年2月15日(月曜日)タダより怖い物はない
 以前、とある作家がエッセイの中でインターネット作家の事について書いていた文章を読んだ。
 その文章の中には、金を取らずに文章を書いていると言うことで無責任な文章でも垂れ流す事が出来る。的な事を書いていた。
 その作家の頭の中には最初から「インターネット」と言うメディアについて批判的な気分が存在していて、そーゆー状態の文章を書くに至ったのだと判ってしまうのだ。
 そんでもって、嫌い嫌いと言うので当然の事ながらそんな嫌いなインターネットの全容どころか、一部分も知らずに「嫌い!」と言う一点で文章を書いてしまっと思う。

 ま、インターネットで書かれている文章と言う事で、私もその嫌われ者に含まれているワケでありますが、確かに色々な物が存在するのがインターネットと言う事だったりします。
 金が絡んでいないからいい加減、と言う部分にはかなり「ちゃうねんで」と言う意見があるわけで、逆に「金取っているクセにこの程度の事しか書けないの?」と言う、半端な作家もどきがゴロゴロ存在しているのだ。商業誌にも。
 確かに商業誌の場合は、編集と言うチェック機関が存在していて、そこそこのプロが書いた作品でもボツになる物はボツになる。
 実際に、その手の小説雑誌の編集版下をした事もあって、実際にレイアウトまでしたけど結局ボツった作品と言うのをいくつも読んだ事がある。

 その点、インターネットと言うのは実に寛大で、誰もボツ出しをしない。もっとも、あまりにもあまりにな文章が羅列されている場合は、誰も見に来なくなると思うけど。

 その辺の「無料のメディア」と言う物に関して「だから安易だよ」と切り捨てるのは凄く簡単だけどさ、どんな作家先生だって最初は素人で、金になるかならないか判らない文章を暗く書き込んでいたンだと思うワケで、その辺は時代の差ってヤツなんじゃないか?と思ってしまうのだ。
 じゃ、金取るって事だったら、いわゆる同人誌・コミケ系なんかはどーなの?と言う事になっちゃうんだけど、あれも凄い物は凄い、酷い物は酷い、としか言いようが無かったりする。

 多分、こんな場所で発言権の無いような1インターネット作家の私がゴタゴタ言っていても「ま、好きな事が好きに書けるメディアだからね」で、鼻にも引っかけられずに黙殺されちゃうんだろうなぁ(その前にその手の作家先生は読まないんだけど)

 でも逆に言うと、金を貰うと言う約束で出版社から依頼されて、頭をひねって絞り出した文章より、金を貰えなくても「書きたい事があるから書くしかないのだ」と言う目的を持ってかく文章では、後者の方がなんぼか意味があると思うのだ。
 その文章テクニックなんかの稚拙さが、プロ作家の目にはクズ同然に見えてしまうのかもしれないけれど、表現したいって気持ちを表現しているのは誰にも文句を言う資格なんて無いと思うのだ。
 ハッキシ言って自分だって、出版社から依頼されてなにがしかの金額を貰えるのなら、頑張って文章書いちゃうケドさ。(出版社の皆様待ってます)
 確かにプロで書いている人は、それなりのプライドってヤツがあって「俺の書いた原稿にはこれだけの価値があるのだ」と言う部分なんだと思うけど・・・・

 僕は、結局プロだろうとアマチュアだろうと「書いた物を読んで欲しい」と言う方向で日々ガシガシと書いているダケなのだ。
1999年2月16日(火曜日)でででで、で〜んでで・・・
 私には長い事、激しい持病を抱えてのたうち回りながら生きている。
 と言っても、あんまし外から判る持病ではないので世間から同情されたりしないし、こっちが苦しんでいても「へぇ大変だね」ぐらいで済まされてしまうような病気なのだ。
 その持病っつーのが『肩こり』だったりする。
 と言うと「まぁね、仕事でコンピュータに向かってワシワシ、家に帰ってHPの日記やら何やらでワシワシ、そりゃ肩も凝るよ」などと、判ったような事を言われてしまうのだ。
 が、実は以前は僕はまったくと言って良いほど、どんなヘビーなディスクワークをしても肩が凝らないと言う自信があった。
 なんせ、高校時代からずっと日々、机さえあれば漫画をガシガシと書いて、徹夜だろーと徹夜×2日だろーと、徹夜×3日だろーと関係ない、ワシを止めることは誰にも出来ンのじゃぁぁぁぁ!と言うぐらいにヘビーな事をしても、肩は全然凝っていないと言う魔法の肩を誇っていたのだ。
 などと言うと「まぁね、それって10代とか20代前半の頃の話でしょ?それから比べたら今は思いっきりじじいだから、肩の一つや二つ凝るってもんさ、それが自然の摂理なのだよ、そーして一歩一歩と棺桶に足を突っ込んでいくのだよ」などと、判ったよーな事をいってんじゃねぇぞばーろー!などと言う感じになってしまうのだが、どーも最近言葉使いが悪くてしょうがない。(←こりゃ関係ないけど)

 と言うワケで肩こりなんすけど、僕の肩こり暦は今から10数年前に始まったと言っても過言ではない。
 その夏の土曜日、僕は半日で仕事を終えて家に急いでいた。そんな急いでいる時に限って車が赤信号で停まってしまうというのは、誰でも経験する事だと思うのだ。
 そんな赤信号待ちをぼ〜っとしていた時だった。突然、後方からドッと鈍い衝撃が伝わって来て、車と共に僕の体が激しく前進したのだ。シートベルトをしていたので、フロントグラスにぶつからないで済んだがその衝撃はすざましかった。
 いわゆる信号待ちの状態で後続の車に突っ込まれたと言う状態なのだ。平たく言えば『オカマを掘られた』と言うヤツなのだ。
 その事故自体は思ったほど酷い物ではなかったのだが、それから数日後、車をバックさせようと後ろを振り返ろうとした瞬間、首が「ぐぎ」と鈍い感じで痛み始めてしまったのだ。
 そこからムチウチの日々が始まってしまった。
 とりあえず、向こうが全面的に悪いと言う事で、向こうの保険で病院に通う事になったのだが、あんまし良くならず、それまで感じたことの無かった肩こりが私に襲いかかる様になってしまったのだ。

 などと書くと「まぁね、よくムチウチの後遺症での肩こりってのは聴くけどさ」などと判った様な顔してスットコドッコイが語りはじめやがるンだろーってぇ寸法だろうが、そーは問屋が卸さねぇってワケなんでぃこちとら生まれも育ちも静岡でぃ!などと意味不明に息が荒くなってしまうのだが、それだけで話は終わらないのだ。
 その交通事故もすっかり忘れて、ムチウチも肩こりも日常的になり、痛みにマヒしてしまったのか、以前よりダリィという感じがなくなっていた、事故からちょうど10年目の秋の事だった。
 友人達と「あそこのファミレスに入ろう」とそこそこ交通量の多い道を右折しようとウィンカーを出して道の真ん中寄りに停まっていた。
 「お、あの車が通り抜けたら曲がれる」
 と思った次の瞬間だった、10年前と同じ様な衝撃が襲いかかってきたのだ。

 そして、ふたたびムチウチになった私は、以前にまして肩こりに悩まされる様になってしまったのだ。

 あぁぁぁぁぁなどと思いつつ、ときどき発作的に「運動しなくちゃいかぁぁぁん!」と真夜中の町を走り抜けたり、思い出したように会社帰りにプールに寄ってザンザカザンザカ泳いだりする。
 と言っても、日々の生活に追われて、実際の事を言えばそんな運動をする気力もあんましないのだな。
 でも、肩こりをなんとかせにゃイカンと言うのはせっぱ詰まった問題だったりする。
 とりあえず、会社の階段を昇り降りする際に、必要以上に肩に上下振動を与えたりしてユッサユッサと部分運動などをするのが精いっぱいなのだ。

 そこは普段あんまし人の歩いてない階段なので、別の階に行くときはそこでユッサユッサとリズミカルに上下運動をしていたりするのだ。と、ある時その変な歩き方で階段を降りているのを人に見られてしまったのだ。
 うーーーーーーむ、と思ってしまったのが、きっとあの人には僕が肩こりの運動をしつつ階段を降りている様には見えなかったンだろうなぁと言う事が問題なのだ。

 きっと、休憩時間に「杉村が階段でドリフのヒゲダンスを踊っていた」と言う噂になっているのではないか?と言う事が現在最大の心配事だったりするのだ。
1999年2月17日(水曜日)はっと思う
 仕事中にその日に何をしたかと言う事を書いて提出する『日報』と言う物がある。
 帰り際にそれを書こうとして「え・・・今日は・・・何曜日だ?」と、一瞬判らなくなる事が多かったりする。
 なんかジジイの特徴なのかも知れないが、最近日々の過ぎていくスピードをやたらと早く感じてしまうのだ。
 「ありゃ水曜日?もう今週3日目なの?」
 と言う風に、時間の感覚が激しく曖昧になってしまっていたりする。
 以前ならば月曜火曜水曜と三日あれば、あんな事やこんな事やそんな事が起こって、あぁまだ水曜日かよぉなどと感じていたのだが、今や気が付くと水曜日、きっと次に「ふと」時間を気にすると土曜日の朝だったりするのだ。
 そんでもって土日の連休だってのに気が付くと何をしたワケでもないのに日曜の夜になって「あぁ憂鬱だなぁ明日からまた仕事かぁ」などと落ち込んだのもつかの間、「はっ」と気が付くとすでに水曜日になっていたりするのだ。
 きっとこの先も「あぁ春がもうすぐ来るよなぁ今年こそちゃんと花見をしたいよなぁ」などと想いつつ、気が付くと季節はすでに梅雨突入と言う感じだったりするのかもしれない。
 なんか、雑多な事におわれて、何か大切な事を見失っている様な気が思いっきりするのだ。
 が、それを改善しようと思いつつ、結局の所、その他大勢の雑多に紛れ込んで日々を浪費しちゃっていたりするのだ。
 なんか、きっと今年の終わりもそんな事を思っている様な気がするのだ。

 まだ2月の中旬だってのに、このペースの日々を過ごしているとあっと言う間に年末が来て「あぁあと少しで2000年だなぁ」などと感想を述べて、はっと気が付くとさらに1年経過して「あぁあと少しで21世紀だよなぁ」などと言っていそうな気がしちゃうのだ。

 いかんいかんいかんいかん・・・・・と言い続けているといつの間にか「快感快感快感」と言っていたりする様に、実にいかん事だと思うのだ。
 かと言って「俺は会社に行かないで自由に生きるのだ!」などと言い出せるハズもなく、また毎朝起きていつもの日々を始めたりするのだ。
 うーむ、もっと人生に必要な物は何か?を考えて、無理矢理にでも行動を起こさなければいけないのだ!ふんがーっ!と、意味無く憤慨する私ですが、きっと週末には「あぁ疲れたぁ」と、思いっきり弛緩状態で日曜日の夜までだらだら過ごしてしまうのだろうなぁ

 あぁ怠惰怠惰。
1999年2月18日(木曜日)食べ物の好き嫌いは贅沢
 恥ずかしながら僕は高校を卒業する頃まで「ピーマン」ってヤツが嫌いで嫌いで、とほうもなく嫌いで、目の前に出されただけで「出家しよう」と考えてしまう程、嫌いだった。
 あの苦みとか、あの苦い所とか、あの苦みばしった所とかが嫌いだったのだ。
 ま、今になって思えば「お子ちゃまだった」という一言で済ます事が出来るのだが、その当時は真剣に「何故、こんな物を人々は食するのだ?」と疑問に思っていた。
 自然界には、やたらと苦い成分を体内で作り出して、害虫が近寄ることを防御する植物がときどきいたりする。
 が、やはりどの世界でも一番タチの悪いのは人間で、その植物さんがせっかく食べられない様にと長年に渡って試行錯誤して作り出した苦みさえも「これって苦いからおいしいんだよ」などと、絶対的におかしい味覚で好んで食べたりするのだ。
 「苦い」と「美味しい」は基本的に反対語だろぉ、なんせ「にがい」の「苦」は「くるしい」の「苦」と同じなのだ、どーだ参ったか!と思ってしまうが、これが反対であって反対ではないと言う複雑な事情があったりするのだ。世の中は難しい。

 そんなピーマンが圧倒的に食べられなかった私だが、我が家の母親は子供の味覚とは関係なく食卓にピーマンを山盛りいれた料理なんかを出すのだ。
 それは、子供の好き嫌いを矯正しようという深い愛情があったと言うのではなく、ただピーマンが手元にあったからと言う理由でしかないのだ。
 とにかく食に関して好き嫌いが激しく多かった私は、高校を卒業して東京で一人暮らしを始めた時に、その手の嫌いな食物から開放されるという事が最大の喜びでもあった。全ての食事を自分の意志で決定できるのだ。
 これほど幸せな事はなかった。

 が、世の中はそんなに甘く回っていなかったりする。
 基本的に貧乏な学生生活で、冗談ヌキに日々の食費に事欠く始末で(画材だけでなく、レコードや本を大量に買ってしまうからなんだけどさ)田舎から宅配便で送られてくる米や野菜や缶詰なんかが命綱だったのだ。
 でもって「嫌いだ」と言っても、我が家の母親は意に関せずでピーマンなんかも山のように入れてきたりする。
 う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜む、と唸りながら私はそのピーマンの臭いが激しくする宅配箱を、四畳半のみの部屋から逃避させ、押入れの中に突っ込んで「見なかった事」にしたりするのだ。
 が、その場しのぎで押入れに入れた事によって、押入れの中の布団が激しくピーマンの臭いのする物体に変化していた事は、夜になるまで気が付かなかったりするのだ。

 でもって、ついに財政が切迫した日がやってきてしまうのだ。
 ある時はごはんにマヨネーズをかけただけの日、ある時はシャケ缶詰で午前中の食事をとり、夕飯はその残り汁でご飯を食べるという、あまりにもあまりな生活がやってきたのだ。
 そんな赤貧学生にとって、嫌いだからと言ってピーマンを捨てる事など出来ないのだ。
 そこで、仕送りの中にあったコンビーフをピーマンに詰めてオーブンで焼いて食する事にした。(持っていた料理本に載っていた)
 それにマヨネーズを付けて・・・あれ?旨いじゃん。

 貧乏がそうさせたのか、それとも年齢的に味覚が変わってきたのかは判らないが、その日から180度して私はピーマン好きな人になってしまったのだ。

 やっぱし「嫌い」「喰えない」などと言う発言は、贅沢がさせる物なのかもしれないのだ。
1999年2月19日(金曜日)初恋かしら・・・
 僕は一時期、20代の前半「ジーン・セバーグ」と言う女優が好きだった。
 と言っても、積極的に「新作は絶対に見るぞぉ!」とか、部屋にポスターべたべたとかって言う状態ではなかった。なんせ僕が好きになった時、すでに彼女はこの世にいなかったのだ。
 映画関係の本を読むと、原因不明の死で、その死因は今でさえ判っていないらしい。その背後にはCIAがいたとか、色々なキナ臭い噂があったりする。

 ジーン・セバーグはフランスの女優で60年代ヌーベルバーグと呼ばれた一派のジャンリュックゴダール監督の名作「勝手にしやがれ」などで印象的な演技をしていた人で、フランソワーズ・サガン原作の「悲しみよこんにちわ」では多感な少女セシルを演じていた。
 その時、彼女がショートカットをしていたのが注目され、その役名から「セシルカット」と言う髪型まで生まれている。

 で、知人に「いいよね」と話をした所「あんまし」と言う答えが返ってきたのだ。
 ま、女性の好みは人それぞれなのでしょうがない・・・・と思ったが、どーもその知人はショートカットと言う部分が好みではなかったらしい。
 確かに、その知人がこれまで「いいねぇ」と言ってきた芸能人はことごとくさらさらのロングヘアと言う判りやすい程の「やっぱ女の子は長い髪の毛でしょ」信仰主義者だったのだ。
 で、その知人が特別な人間ではなく、男の間にはかなり潜在的に「長い髪の毛信仰」がはびこっていたりする。

 そうかそうか、と思うのだが、私は何故かその辺が理解出来ない・・・と言うか、どっちかって言うとショートヘアーの方が好きだったりするのだ。ベリーショートまで行ってしまうと似合う似合わないってのがかなり激しく出てくるので、一般的なショートから長くても肩にかかる程度の髪型の女の子を好きになる確立が高い。
 ま、その辺はあくまでも二次的な事で、その女の子がどんな髪型でも好きになったら好きだったりするのだが。

 このショートヘア好きと言うのは、かなり特殊なのか?などと思いあぐねたりするのだが、何かの本で男は根元的に長い髪の毛に母性を感じるとか、自分と違う物としての異性の存在を感じると言う物を読んだことがある。
 じゃ、僕は異常なのか?
 などとさらに深く悩みに落ち込んでしまうのだ。でもってどこかに結論があるのではないか、心の中にトラウマとして残っているのではないか?と、自分の過去を振り返ってみたりするのだ。

 と・・・・かなり根元的な部分にその答えらしき物があった。
 なんつーか、自分が通っていた保育園の先生が、今思えばセシルカットだったのだ。その辺が脳裏の一番深い部分に刷り込まれているような感じなのだ。その先生を好きだったかどーかってのは、今となっては記憶が定かではないのだが、確かにたくさんいた先生の中でそのセシルカットの先生の事だけは記憶している。そんでもって、その周りを意識してうろちょろしていた様な気がするのだ。
 てことは、僕の初恋の相手ってのは、保育園の先生だったと言う事になるのだな。

 そんなワケで、もしかしたら保育園・幼稚園の先生は世界で一番多く、男の子の初恋相手になっているのではないか?などと考えたりもする2月の昼下がりなのであった。
1999年2月20日(土曜日)好みは千差万別
 「HAPPY BIRTHDAY'S CLUB」に誕生日を登録する関係で、プロ野球選手名鑑みたいな物を購入した。ベースボールマガジンが2月頃に毎年出すヤツなんだけど、スポーツにさほど興味ないが、こーゆー目的で購入したりするのだ。
 でもって、ぱらぱらとめくって行くと、色々な事が判る。
 イチローみたいに、本名から呼びやすい名前に登録を変えている人が結構いたりする。
 でもって、今回チェックしたのは「好きなタイプ」と言う項目なのだ。
 妻帯者は奥さんの名前なんかが書いてあるのだが、独身者は「好きな芸能人・好きなタイプ」が書かれていて、なるほどなるほどと言う感じだったりする。

 そんなワケで、勝手に統計を取ってみた。野球人にどんな芸能人が好かれているのか?
【22票】中山美穂
【15票】森高千里
【13票】松嶋菜々子
【11票】広末涼子
【9票】小泉今日子
【8票】山口智子・鶴田真由
【7票】内田有紀
【6票】酒井法子・藤原紀香・鈴木京香
【5票】飯島直子・石田ゆり子・深田恭子・和久井映見・奥菜恵
【4票】稲森いずみ・鈴木あみ・宮沢りえ・鈴木保奈美・菅野美穂
    本上まなみ・渡辺満里奈
【3票】鈴木蘭々・水野真紀・田中美佐子・今井絵理子(SPEED)
    牧瀬里穂・黒木瞳・鈴木紗理奈
【2票】藤崎奈々子・木村佳乃・加藤紀子・華原朋美・雛形あきこ
    安室奈美恵・高島礼子・松たか子・藤谷美和子・さとう珠緒
    松下由樹・木佐彩子(フジ)・大貫亜美(PUFFY)
【1票】菊池桃子・畑田浩子・ともさかりえ・進道晶子(TBS)
    石田ひかり・上村愛子(モーグル)・西田ひかる・ジュリアロバーツ
    リナ(MAX)・レイナ(MAX)・吉永小百合・中谷美紀
    榎本加奈子・ゆうゆ・岩下志麻・森口博子・永井美奈子
    中山エミリ・福原愛・常盤貴子・井森美幸・山田まりや
    高橋由美子・設楽りさ子・PUFFY・細川ふみえ・永作博美
    とよた真帆・川瀬智子(ブリグリ)・水野美紀・新山千春
    ユキ(J&M)・桜井幸子・遠藤久美子・田中美里・中山真紀
    浜崎あゆみ・リブタイラー・佐藤仁美・一色沙英・鈴木杏樹
    浅野温子・吉川ひなの・伊藤裕子・相川七瀬・戸田奈穂
    角田華子・安西ひろ子・薬師丸ひろ子・菊間千乃・飯島愛
    辺見えみり・今井美樹・名取裕子・大石恵・KEIKO(globe)
    沢口靖子・持田真樹・坂井真紀・かとうれいこ・hitomi
    葉月里緒菜・愛田夏希・伊藤かずえ・工藤静香・misia
    渡辺美奈代・中原果南・坂井泉水
 なるほどねぇ、中山美穂と森高千里かぁ、凄く一般的に妥当な線だと思うっす。
 で、へぇと思ったのは次が「広末涼子」ではなく「松嶋菜々子」って辺りなのだ。やっぱし、広末辺りを支持しているのは、中高校生あたりで、20代までいっちゃうと違うのかなぁなどと思ったりする。
 あと8票入っていた鶴田真由ってのも意外な線だったが、結構「当たり前」と言えば当たり前な線がならんでいる。
 1票のみの所には、かなりマニアックだったり渋かったりする「吉永小百合」とか「岩下志麻」なんてもの並んでいたりするのだが、ハッキシ言って聴いたことも無い名前があったりする。でもって、手元のTVガイド別冊芸能人名鑑などを読んで「うーむそうかそうか」などと納得しちゃったりするのだ。かなりマニア。
 でもって、その名鑑を見ても載っていない名前もあったりするのだが・・・・それは果てしなくマニアなのか、それとも芸能人じゃない素人の名前なのか・・・・。
 この名鑑のアンケートはたぶん数年前から更新されていない人もいると思うのだが、今この時期に好きな芸能人「ゆうゆ」ってのも、激しくマニア度数が高い。ゆうゆが活動していた時期でさえマニア度数は高かった様な気がするけど。(数年前に結婚引退したと思った)
 あと、これは・・・・・・と考え込んでしまったのが「福原愛」・・・って、あの負けるとすぐ泣いてしまう卓球少女っす。
 これはかつて書いたにしても、今書いたにしても、マニア度数どころか、かなり危ない様な気がしちゃうのだが・・・・。

 でもって、その欄に芸能人の名前を書かずに好みのタイプと言うのを書いている人もいたりする。
 そこでかなり多いのが「明るい人」「やさしい人」「元気な人」と言う、色々な意味で判りやすく曖昧な答えなのだ。
 その中で一人「すぐに怒らない人」と書いている人もいたりするのだが、それをみて「かつてつき合った人にすぐ怒られて散々な目に遭ったのか?」などと、常にぺこぺこあやまっている様なみっともない図が思い浮かんでしまった。
 そりゃ確かにすぐ怒る人は嫌だけどさ、あえて「好きなタイプ」に書くことなのか?とか思ってしまったのだ。なんか辛い事があったのとしか思えない。
 そんな感じに、だいたいの人が外見的な事より内面的な部分を書いている。
 ま、外見の好みがあったとしても一般的に「やっぱ外見より中身でしょ」と言う態度をとっていた方が好感度は高い、その辺は当然人気商売だから、安全な答えを考えると思うのだ。
 が、ひとりカッコいいぐらいに「内面より、とにかく外見!」と言う感じのことを書いている人がいたのだ。
 かのジャイアンツの清原、あいつは前々からただ者ではないと思っていたが、思いきりがよくてかっこいいぜ。

 清原和博:好きな女性のタイプ『セクシー美女』