杉村ぐうたら日記(1999年3月1日〜10日)

▲1999年3月1日:月曜日:赤毛の女の子
▲1999年3月2日:火曜日:時代は変わる
▲1999年3月3日:水曜日:行動すれば何かが付いてくる
▲1999年3月4日:木曜日:だんご3兄弟
▲1999年3月5日:金曜日:主役は誰だ?
▲1999年3月6日:土曜日:(再び)ラジオに出た日
▲1999年3月7日:日曜日:ままごと婚
▲1999年3月8日:月曜日:君は誰?
▲1999年3月9日:火曜日:怒りをぶつける人
▲1999年3月10日:水曜日:自分の精神状態遍歴
1999年3月1日(月曜日)赤毛の女の子
 日曜日の夜「知っているつもり」でスヌーピー&シュルツをやっていた。
 シュルツ氏はかのスヌーピーの活躍する「ピーナッツ」と言う漫画の作者で1950年から、延々49年たった一人でコツコツと新聞に1回の休載もなく連載し続けている偉大な人なのだ。
 49年毎日と言うと、365×49+13(閏年)=17885回と言う事なのだ。壱萬七阡八百八拾伍回っすよ。
 以前は「知っているつもり」と言うと死去した人しかやらない番組だったので「もしかして・・・」などと、少し不安になってしまったが、どうもそうではないらしい。(淡谷のり子の回は素直に「いつの間に・・」とか思ってしまったが)

 その漫画の中を読んでいると、何度もチャーリーブラウンの片思いの相手として「赤毛の女の子(little red hair girl)」と言うのが登場してくる。
 と言っても、画面には出てこないで、チャーリーブラウンがひたすら遠くから眺めて年に1回ぐらい「あの子に挨拶しちゃったよ」など、たわいない事で大喜びしたりと言う、ひたすらプラトニックな状態が少なくとも20年以上続いている。
 その「赤毛の女の子」に実在のモデルがいて、作者のシュルツ氏が青年時代にプロポーズをした人物だと言うのを始めて知った。もっとも、その思いを遂げる事は出来なかったのだが。
 以前からチャーリーブラウンはシュルツ氏の分身だと言う話は聞いていたが、そう言う関係もあったのだなぁ

   僕は10代の終わり頃、とにかく色々な事で深く悩み溜息をつくような少年だったので、ある友人から「杉村ってチャーリーブラウンみたいだな」などと言われた事もある。
 確かになんかチャーリーブラウンと言う人物に共感する部分が多かったかも知れない。(番組では誰でも多かれ少なかれチャーリーブラウンに共感する部分を見つけるみたいな事を言っていた)

 特に「赤毛の女の子」の件に関しても、ひたすら嫌になるほど自分の中にチャーリーブラウンがいたのかも知れない。
 別にストーカー的に追い回すワケでもなく、女の子を好きになると生活上の接点がほとんど無くても延々とその子の事を思いつづけていた。
 その上、ペパーミントパティの様に積極的に「チャーリーの事が好き」とアタックしてくる女の子がいても、心はずっとかなうハズの無い遠い彼女の事を思い続けているのだ。
 とりあえず、高校時代とかそれ以降にも杉村みたいなヤツにだって、そーゆー感じにアタックしてきてくれた女の子だっていたりしたのだ。それも何度か。
 でも、その頃の僕は本当にチャーリーブラウンと同じように、生活がまったく違う接点の無い女の子を好きになっていて、それ以外の人はまったく見えていなかったのだ(今、もったい無い&悪い事をしちゃったなぁなどと思うけれど)
 そんな高校時代を過ごしてしまったのだ。
 高校を卒業して随分経ってから、その当時後輩だった女の子に「杉村先輩はその人の事しか頭の中になくて、いくら信号を送っても全然振り向いてくれなかった」などと言われてしまった。
 僕の赤毛の女の子は20歳で結婚してしまったのだが、実際の事を言うと、その20歳になるまで僕はずっと真剣にその子の事が好きだった。
 高校卒業後、静岡を離れて東京で生活をして、本当に2年以上その子と逢うことも話す事もなかったのだが、まったく自分の中のチャーリーブラウンは最初の気持ちを貫き通してしまったのだ。
 これと言って「好きだ」とか「つき合ってくれ」とかを、その子に伝える事もままならず、とにかく「あの子にふさわしい立派な人間になるのだ」などと、勝手に自分の中に高い目標を掲げてずっといた様な感じだった。いつもその子が心の中にいて、その子に認めて貰える様な人間になりたいと思っていた。そんな姿を見せる事は結局無かったが。
 実際の事を言うと、その子には高校時代からつき合っている彼氏がいるって事も知っていたのだが、僕はずっとその子の事が好きだった。
 なんか不器用で、ひとりで思い悩み前へ進めなくなっていたり、試行錯誤しつつ結局落ち込んだりするチャーリーブラウンを見るたびに、同じように溜息をつきながら「なんとかなるさ」などと、自分に対して慰めを言ったりするのだ。

 今でも僕はやはりチャーリーブラウンのままで不器用な日々を送っている。
 遠くから赤毛の女の子の事を思い続けながら、自分に嫌気がさしながら・・・・
1999年3月2日(火曜日)時代は変わる
 部屋を掃除していた。
 と言うより部屋に本や雑誌やレコード・CDなどなどをひたすら広げまくって、さてどうしようかな、と呆然としていた。
 とりあえず16畳なんつー、ワケの判らない広さの部屋だったりするのだが、それでも雑誌などを捨てる事をしなかった私の部屋は凄い事になりつつあった。
 うーむ、などと腕組みしつつ「とりあえず片づけるか・・・」などと、絶対この先必要ないだろうなぁと言う雑誌をまとめ、たぶん読まないだろうなぁと言う本を段ボールにしまい込む事にした。
 そんなワケで、大々的に大掃除が始まったのだが、私の性格から言ってそうは上手く計画が進行するワケなのだ。
 結局、ひさびさに出てきた雑誌などを読み始めて、掃除開始前より部屋の中が雑然としていたりする。

 今、手元に1991年発行の「週刊SPA!」などがある。
 色々な物議を醸しだした小林よしのり氏の「ゴーマニズ宣言」が連載される以前の号だったりするのだが、これから早8年っすか・・・・・。
 と思いつつ読んでみた。
 時代的には、あのおぞましきバブル全盛期だったりして、どこを見てもあの趣味の悪いゴージャスなバブル趣味に覆い尽くされていたりする。
 いわゆるグルメやら、高級リゾートやら、高級スーツやら、なんかゴテゴテした「派手なら勝ち」みたいな感じが、今となっては「趣味悪い」の一言で片づけられてしまいそうな感じなのだ。
 自分は元々、そーゆーゴテゴテ趣味は嫌いなのでバブル期も、今とほとんど変わらなかったす。

 でもって、そう言う趣味の悪さと同時に何か変な居心地の悪さを誌面から感じていた。
 それが、何故なのか最初は理解出来なかったのだが、新人タレント「飯島直子」がグラビアに出ていた所で理由が判明した。
 そこに出てくる飯島直子は、今おなじみの飯島直子と顔つきがかなり違っていた。
 確かに8年も前で、デビューしたてであか抜けていない23歳と、芸能界の荒波にもまれた31歳では、そこそこ変わっていて当然なのだが、それよりハッキリと顔が違うのだ。と言っても、医者に行っていじったと言うたぐいの変化ではなく、思いっきり眉毛が太いので顔の印象がかなり違うのだ。
 そして、飯島直子以外に出ている女性の眉毛が、みんな揃いも揃って異様に太く黒々としている。
 確かに、あの時代はそーゆー眉毛が主流だったのだが、改めて見ると「変」としか言いようがないほど太く黒々としちゃっているのだ。
 今見ると思わず「おまえはゴルゴ13か?」とツッコミを入れたくなる様な太さだったりする。
 あの時はそれが普通で、そーゆー女性に「おぉ」などと惹かれた様な気もするのだが、時代とはこうも簡単に個人的な好みまで変えてしまうものなのか・・・。

 確か、今主流(と言っていいんだろうなぁ)の細い眉毛、無理に書いた眉毛、と言うのが出てきたのは手元の雑誌の頃、90年代の最初だった様な気がする。
 かの山瀬まみがある日突然、それまで太かった眉毛を思いっきり細くして歌番組に出てきたのを「げげっ」と思って見た記憶がある。
 その時に発売されたアルバムには確か平成バンドブームで名が出てきた人々が参加していたハズだから、1990年以降だと思うが、あのときはかなり衝撃的だった。
 太い眉毛全盛時代に、突然細くいかにも「書きました」と言う眉毛で出てきた山瀬まみは、特殊な人に見えてしまった。
 彼女は「今フランスなんかのモデルの間ではこの手の眉毛が流行始めているんです」などと説明をしていたが、異様な物は異様だし、おめーはフランスのモデルじゃねぇだろ?と思った。
 記憶の彼方に残っていた70年代の細い眉毛の時代を思い起こさせてくれて「ダサ〜」と言う感じだったのだ。
 それがいつの間にか、8年の間にそれが主流になって、その当時の太い眉毛が「ダサ〜」になってしまったというのも、時代の変化の恐ろしい所かも知れない。

 しかし、最近雑誌なんかを見ていると新しい人や、先進的なモデルなんかは、徐々に太い眉毛(と言うかナチュラルな眉毛)にシフトしつつある様な感じがする。
 また、数年後「昔の雑誌で細い眉毛を見つけて・・・」などと書いているかもしれない。
1999年3月3日(水曜日)行動すれば何かが付いてくる
 「でさぁ、そこで◎◎◎な事を出来たら面白いと思うんだよね、あれをこーしてそーしてさぁ」
 「無理だよ、気楽でいいね」
 などと、アイディアを出しても、その事を検討する以前に「無理」の一言で片づけてしまう人がいる。しかも「気楽でいいね」とか「お前は苦労知らずだから」などと、やけに大人ぶって人生の先輩みたいな発言をする人がいる。
 そんな発言をされやすい人なのだ、私ってヤツは(いやはや)。

 何というか、基本的に新しいアイディアを考え出すのが好きな、夢見がちな少年なのだ(少年って言うには無理ありすぎだけど)。
 しかし、現実可能か不可能かと言うのは、そのアイディアを煮詰めて見ないと何とも言えないワケだし、そのアイディアがもっと別の可能なアイディアを産み出すか判らなかったりする。
 とりあえず動いてみなきゃ始まらないと思ったりする。
 でも世の中には、あくまでもニヒルに「ダメだね」と切り捨ててしまう人がいたりするのも現実。
 いわゆる「醒めている」「クール」「否定する」と言うのが、カッコいいと思い込んでいたりする様な人というのが実際に存在するのだ。
 なんか、その手の人がいるだけで企画会議とかが停滞しちゃったりするのだが、その手の人は自分が会議を停滞させている事に気が付いていなかったりするから困り者なのだ。
 その上、その手の人は自分からアイディアを出したりしない。なんせ「ダメだ」って拒否されるのが怖いから。
 なんか昔の社会党みたいっす。「とりあえず自民党が押し進める事を反対してりゃいいや」と言うスタンスで「じゃ消費税を取らないって場合は財源はどーするの?」とかを考えず「反対」とだけしか言わない。
 おかげで自分ち政党が政権を取っちゃったら、結局今まで自民党が提唱していた事を言い始めたりして、ついでに戦後延々と反対していた自衛隊に関してまで「自衛隊は合法です」などと言い出したおかげで、次に政権が自民党に戻った時、どーしょーもなくなっちゃって崩壊しちゃったりする。
 反対は誰にでも出来るっつーの。

 (同じ様なスタンスで居る人に、ビートたけしと言う人がいる。時々、政府の政策なんかに意見をしたりするのだが、あんまし建設的な事は言っていない。だけど、信者には「さすが」などと言われたりするから、困り物なのだ)

 ま、そーゆーワケでアイディアを出したら、次は行動できるかどーか?と言うのが問題になったりするのだが、私なんかは「企画建てたんだから行動しかない!」などと思ってしまう。
 昔からそうで、高校の時も「漫画研究会作ろうぜ!」などと言ってメンバー集めて、準クラブ申請を学校側に提出したり(これは諸事情でポシャッた)「自作アニメーション造ろうぜ!」などと言って実現する為に、それまで軽音楽部の2年生で次期部長候補だったけれど無理矢理美術部に編入してそこで学校側とぶつかりながら製作した事もあった。
 結局、出来上がったアニメーションは満足が出来る物では無かったが文化祭には上映出来た。その文化祭が終了直後、熱を出して倒れたというエピソード付きだったが・・・・。
 その不満足を挽回する為に、その後ひとりでコツコツとアニメーションを作って、2年後の高校文化祭、高3の時の後輩がまだ居たので交渉してリベンジ上映をした

 あとこのHPで公開している『現代用語の基礎的ではない知識』という辞書も、最初の構想を友人に話した時に「辞書って言えるまで作るなんて無理だよ」「また杉村が変な企画を立ちあげたけど、どーせ途中でポシャるよ」などの声が多かったが、結局今の状態まで「行ったれ行ったれ」状態で無理矢理続けてきた。
 それ以外にも企画をして企画倒れになってしまった事も多かったりするのだが、とりあえず結果は「やってみなくちゃ判らない」と言う事なので、ガンガン行ったりする。

 と言っても、基本的に自分ってヤツはそんなに出たがりでも無いし、一人でコツコツと地味な事をしているのが好きだったりするので、そーゆー大勢を総括して行動すると言うのは、苦手だったりする。
 が、突然「このままではいかん!」と、状況を変えるために行動を起こしたりする。

 ここの処、数回やっているフリーマーケットと言う物もそうなのだが、基本的には「友人のバラ園を盛り上げる為の企画」だったりする。
 ハッキシ言って自分にはメリットはほとんど無いし、ひたすら時間を使って、ひたすら疲れるだけだったりするが、数回やって「何かが変わり始めている」と言う感じもある。

 そして、今まで自分にとって一番苦手だった事に関しても「行動しなくちゃな」と今思っている。
 地味ながら、行動と誠意で動いている。
 結果は判らないけれど、やはり行動してみなくては最初から何も起こらないのだから、無理と思える様な山にでも登ってみなければいけないのかも知れない。
 今年は「自分の行動に責任を持って」生きていこうと決意していたりするのだ。
1999年3月4日(木曜日)だんご3兄弟
 いやぁついに発売されましたな「だんご3兄弟」
 たぶん小さなお子さんのいる処では大盛り上がりだと思いますが、ひさびさの子供を巻き込んだ形の正しい意味の大ヒットっすね。
 なんかここ数年のヒット曲(100万枚以上)って、年齢的局地的ヒットと言う感じがしちゃっていた。
 とりあえず100万枚とか200万枚とか売れているけれど、聞いたことの無い人はまったく聞いた事のない曲、と言う現象がこの数年起こっていた。たぶんその辺を圧倒的に支持しているのは中学生〜20代前半と言う、激しく狭い年齢層だったりするのかもしれない。
 それ以外の世代は、まったく興味がない音楽って感じがしちゃうのだ。
 なんせ、そこそこ今の曲もチェックしているし「HEY HEY HEY」と「MUSIC STATION」はすべて録画チェックしていたりするのだが、年末の「今年100万枚を越えたヒット曲」と言うので「こんな曲憶えていない」と言うのが入っていたりする。
 ま、TV主題歌だったりして歌番組に出ないと言う人も結構多かったりするけど、それにしても耳に入ってこなかった。

 なんか懐かしジジイの昔話になってしまいそうだが、以前は「大ヒット」とか言われた曲は、どこでも流れていてTVやラジオなんかでもバンバン流れていて、お子様からお年寄りまで「知っている」と言うのが基本的だった様な気がする。
 もっとも、70年代ぐらいになるとTVに出ないロック系の歌手のヒット曲なんて皆無だったので、当たり前なのかも知れない。
 かの「泳げたいやきくん」やピンクレディーの一連のヒット曲なんか、いわゆる『国民歌謡』と言う感じだった様な気がする。

 しかし「だんご3兄弟」だけど、ハッキシ言ってメロディには新しい要素はまっっっっったく無い、歌詞だってとりたてて新しい要素は無い。だけど、お子様のハートをガッチリ、そして「誰にでも口づさめる」と言う要因が絡み合って、CD発売前から話題になって予約だけでも100万枚を越えていたと言う。
 たぶん多くのプロの作曲家作詞家が「な・・・・なんで?」と悔しがっている様な気がする。

 さらに凄いのは経済効果として「発売元ポニーの親会社ニッポン放送の株価が急上昇」とか「だんご馬鹿売れ」とか色々ある。
 って・・・・これって「泳げたいやきくん」の時と同じだ。
 しかも、あの曲が発売された時もオイルショックとか戦後高度経済成長期が終わって思いっきり不況だった時代の末期・・・・
 確か、あの後経済が持ち直して安定成長期に入ったんだよな、と考えるとなんか見通しが明るい様な気がしちゃうのだ。

 いたって単純な私はそんな楽観的な未来を想像しながら「だんご!だんご!だんご!だんごさんきょ〜だい!だんごっ!」などと口づさんでいたりするのだ。

PS
どうやら作詞に「佐藤雅彦」なる人物が参加している。
この人、基本的にはCMディレクターで「バザールでゴザール」とか「ポリンキー」とか「ドンタコス」とか、かなり印象的な作品を作り続けている人っす。
ついでにプレイステーションのゲームでヒットして、最近2も出た「IQ」なんかもこの人の作品。
なかなか才能のある人だったりする。
でもって、この人のCMの特徴は、同じ言葉を何度も繰り返し、それを心地よいリズムにして、自然と記憶させてしまうと言うテクが多用されている。
つまり「だんご3兄弟」でも、まったく同じことをやっていて、いかに「1度聞いただけで憶えられるか」と言う事だったりする。でもって「反復させて、ついつい歌ってしまう」と言う処まで持っていくのだ。
うぬぬ、おそるべし佐藤雅彦。
1999年3月5日(金曜日)主役は誰だ?
 近所のスーパーに立ち寄った。
 私ゃ主婦じゃないが、シャンプー&リンスを購入する為に立ち寄ったのだ。といいつつ、その他の食料品などを買い込み、大勢の主婦に混じって買い物をしたりする。
 でもって、レジをすませて袋に買った物を入れている時の事だった。
 すぐ近くで立ち話をしていた二人の主婦の会話が聞こえてきた。その主婦はたぶん僕と同じぐらいの年齢。
 「そーなのよ、とりあえず卒園式には黒を着ていくってのは決まったけど、入学式はどうしようかって考えているのよ」
 などと言う会話だった。
 なるほどなるほど、この主婦の子供は今年保育園か幼稚園を卒園して、4月からはピカピカの1年生になるワケなのだな。
 でもって、3月の保育園の卒園式には黒い服を着ていく事が決まっているが、その後の4月の小学校入学式にはどうしようか?と悩んでいるのだな。
 結局、園も小学校も同じ地域にある施設なので、当然の事ながらほとんど同じ子供がそのままスライドして入学すると言うパターンなんだと思う。でもって問題はその親たちなのだな。
 まー◎◎君のおかあさん、卒園式と同じ服を着ているざます、よっぽどあのお洋服がお気に入りざますのね、おほほほほ
 などとは言われないだろうが、そこは女同志の激しくも微妙なライバル意識でバチバチしちゃっているのかも知れない。そんな事は言わせないのだ!と、一世一代の見栄合戦が火花を散らすのだな。
 もっとも、同じ服なんて思っているのは着ている本人だけかもしれない(と、男の自分はそー思ってしまうが、女性の視線では違うのかも知れない・・)
 なかなか「女はつらいよ」という感じなのかなぁ

 昔、僕は思っていた。
 女性は会社に着ている服や成人式なんかに着る服に選択肢が多くていいよなぁと思っていた。
 とにかく、その他大勢的なスーツを着ている自分が嫌いだった。
 会社は別にスーツ着用などと言う状態ではなかったが(式典がある場合は着たけれど)、そう言う場面や、結婚式などに列席した時など、なんかスーツだけしか着ることの出来ない選択肢のなさに嘆いていた。
 その点、女性は色々選べていいよなぁなどと思っていたのだ。
 ファッションに興味が大いにあった頃だったからそう思ったのだが、あとあとで聞くと、女性は「毎回同じ服を着れるワケじゃないから大変なのよ」だと言う。
 特に、友人などの結婚式が頻繁になる22歳〜25歳ぐらいの頃は「続けて同じ服を着るわけには・・・」と、毎回ご祝儀以上に散財しなければならなくなると聞いた事がある。
 うむむ、確かにあの手の礼式に出るようなスーツなどは安くはない。大変だなぁと思ってしまうのだ。
 その点、男はそこそこいいスーツがあれば、なんど着ても何も恥ずかしくないのだ。それ以前に男の場合、そんなに服装を注目されない。

 しかし、ここ一番と気合いを入れまくって主役であるハズの子供たちより目立とうと頑張るお母さん達と言うのも、大変なのだなぁ

1999年3月6日(土曜日)(再び)ラジオに出た日
 なんやかんやのワケありで、結局再びラジオ出演と言う事になってしまった。
 前回は去年の秋で、フリーマーケットの告知をかねてと言う事だったのだが、今回も同様の理由で出演と言うことになってしまった。
 なんか世間一般から私はフリーマーケット業者だと思われているフシがある。突然メールで「次のフリーマーケットはいつですか?」などと聞かれたりするのだ。
 違う。
 私はあくまでもバラ園で何かイベントをして盛り上げると言う目的で、高校の時の同級生だった常務にその辺をまかされて、お調子者なので踊らされているだけなのだ。まったくもー、忙しかったりするだけで自分に何ンのメリットもないフリーマーケットをやるのか全然訳判らないのだが、なんかそーゆーことで世間に認知され、バラ園からも期待されちゃったりするので、う〜むと思いながら行動するしかないのだ。
 根本的に自分はワシワシと部屋の中で何かを孤独に作る作業が好きだったりする、いわゆる職人気質と言うヤツで、自分の道を激しく厳しく追及して没頭している間は誰にも会わなくとも全然寂しくも何ともないと言う、閉じこもりがちの人間だったりするのだ。それが突然180度違って人様の前に立ちリーダー的な事をしなきゃいけないっつーのは無理があって、終わった直後どどーんと疲れてしまう。
 基本的に自分は人前に出て注目を浴びるのは好きじゃないなぁ、イベントがあったとしても完璧に裏方に廻るタイプだよなぁと自己分析をしている。
 などと思いつつもプロジェクトは動き始めて、普段の仕事(出版関係は3月は忙しいのよ)にさらにヘビーな仕事がプラスされて、精神的にボロボロになっていたりする。

 でもってラジオ出演がやってきた。
 確かに人を笑わせたり、考えた事を他人に伝えると言う作業は好きなのだが、そーゆーメディアのど真ん中に出ていくってのは、自分の性にあっていないような気もするのだが、そこは元来のお調子者という血が許してくれないのだな。
 人前に出たら「受け」を取らなくてはいけない。と言うサービス精神が根本にあるので、結局ラジオ出演に関しても周りから見たら「喜んで」出演している様な感じになってしまったのかもしれない。
 あんまし緊張してアガルってのは無いんだけど、凄くテンション高く出演してべらべら受け狙いの事を言って、はしゃいだりする自分ってヤツが好きじゃなかったりする。

 今回は知人の「ちま」ちゃんと二人で出演&飛び入り参加「だいい」の3人ゲストと言うことになってしまったのだが、どーも二人ともあがっているみたいな感じもあったし、本番中パーソナリティの二人が話題を振る時、なんか私の方に視線を寄こすためにかなり自分勝手に話をしている様な感じになってしまい(いかんいかんいかんいかん、これじゃただの出たがりだ)などと、喋って笑わせながらも自分と周囲のバランスへの葛藤が頭の中をぐるんぐるんと渦巻いていた。

 とりあえずラジオ出演はつつがなく終了して、終了後ブースの外で雑談をしている時も、とりあえず出演時のテンションを維持しつつ、凄く精神的には落ち込みモードに突入していた。
 なんか、自分で自分のテンションのバランスをコントロール出来なくなっている様な感じで、いかんなぁこりゃいかんなぁと反省をしていたりしたのだ。

 そんなこんなで、みんなと分かれて自宅へ帰り、ひとり机の前に座った瞬間、怒涛のごとく「後悔の念」が押し寄せてきて、ヘビーな鬱状態に落ち込んでしまう私だったりする。
 なんか、ここの所、無理矢理に忙しさの中でテンションを高くしようとしていて、本来の自分じゃないなぁなどと感じちゃったりしている。
 しかし、来週はその「電脳フリーマーケット」だし、1カ月後の4月25日(日曜日)には、恒例の普通のフリーマーケットが待機しているし、さらに5月末には「バラ祭り」と言うヤツがかなり盛大に行われるらしいので、そっちの作業が待っていたりする・・・・・
 なんかこれでいいのか?オレ。

1999年3月7日(日曜日)ままごと婚
 なんと言いましょうか、ハッキシ言って世間のかなり多くが「どーせ話題づくりの為のカップルだろぉ」などと思っていたに違いない。
 ところが、突然(半年以上も公認のカップルだから突然ではないけど)結婚しちまったのだ。吉川ひなのとIZAMの御両名が。いやはや、ビックシしちゃいましたね。
 かたや誰もが何をするにしても、対で考えられていたカップルの羽賀健二&梅宮アンナの方は永すぎた春に終止符を打ってしまったりする。
 ありゃりゃ、あんだけ引っ張って置いて結末がこれかね。

 しかしラブリーな状態のまんま結婚までしてしまった、ひなの&IZAMっすけど、なーんかリアリティの無い結婚だよなぁ。
 ま、吉川ひなのが19歳って若さで、元々それより若く(幼く)見えていたし、IZAMUの方はもっと別のベクトルで結婚なんて文字が似合わないのかも知れないけれど、世間では二人とも結婚可の年齢で、結婚可の性別だからなぁ、その事を周りがゴタゴタ言う筋合いのものじゃないのだな。
 本屋で雑誌をぱらぱら読んでいたら、そのことに関して中年らしき記者が「大人としての自覚が無いのに結婚なんかしてけしからん」的な内容の文章を書き散らしていた。
 ま、確かにそー言いたくなる気持ちも判らない訳ではない。
 もし自分の身内の話だったら一言「ちょっと待てよ」と言っていたかも知れない。
 でもって、その中年記者氏はその結婚を「ままごと婚」と名付けて悦に入っているのだ。ワシが命名したのだと言う感じで、その下らないネーミングに酔って何度も文中で連発していたりする。
 ままごと・・・かぁ

 しかし、ハッキリ言って「結婚に値する自覚のある人格」なんてモノを持った人が、どれだけ世の中にいるか?ってんだ。あるいは「親になるべき資格のある人格」なんてモノを持った人がどれだけいるかってんだ。
 きっと、その文章を書いた中年記者氏は「自分は自覚を持って生きている」と「社会性を持っている」と考えて、それなりの人生を歩んできたのかも知れない。
 でも、その辺の「人格」や「資格」なんて、誰もが持っているし、誰もが持っていない、と思う。

 実際、実社会を見渡して見ても、ちゃんと結婚もしてちゃんと子供もいるいい年をした大人でも、果てしなく「子供の精神構造」を抱えていたりする。それでも仕事と言うノルマをこなしているから、そこそこの地位を手に入れて部下に命令なんかしている。
 でも、その仕事以外の部分で、蔭で人の悪口を言ったり、つまらない意地を張ったり、下らない見栄を張ったり、小学生レベルの精神構造だったりする人が少なくない。
 とりあえず、世間的には体裁を繕ってはいるけれど、社会性と人間性は別のもの。

 ままごと婚と指摘された二人だけど、直接二人と会話した訳じゃないのでその人格まで判らない。
 ただ、IZAMが記者会見で不躾な質問に対して「下世話ですね」と笑いながら言っているのを見て、少なくともインタビュアーより大人だよなぁと思った。
 ついでに言えば、結婚の一番の障害でもあり条件でもある(かも知れない)経済的な部分で言えば、記事を書いた中年記者より、不躾なインタビューをしている人達なんかより、現時点ではずっと裕福だと思うのだ。(芸能人は安定していないと言う意見があるとしたら、すべての芸能人の結婚に反対って事になっちゃうしね)

 人が結婚した時は、もっと単純に祝福する言葉を用意出来ないのかね?
1999年3月8日(月曜日)君は誰?
 うふっあたし如月夢美華、花も恥じらう15歳なのだ。
 いよいよ今日は待ちに待った高校入学の日、夢一杯のスクールディの始まりなのです。やっぱり高校に入ったら部活も友情も大切だけど、何んと言っても恋をしなくっちゃね。
 実は高校を選ぶ時の基準は「制服がかわいいか?」が第一条件だったんだけど、その2はもちろん「男子生徒のレベル」だったりするのだ、えへ。
 この選択を誤っちゃうと、3年間がヒジョーに厳しいものになっちゃうんだよね。二度とないハイティーンの日々をどれだけバラ色にしたかってのが、人生全てを決定しちゃう様な気がしちゃうんだ。
 あっと、早く制服に着替えなくっちゃ。
 実はこの制服って言うのにね、ずっとずっとあこがれていたんだぁ。小学生の頃からこの制服を着たお姉さん達とすれ違うたびに「いつかあの制服を着るんだ」って思っていたわけで、ついについに今日から夢美華がその制服を着る事になるんですよ。
 な〜んて言っても、この制服が届いた日から理由もなく何度も着て、鏡の前でポーズなんか取ったりしちゃったんだけどね。
 あっと、こんな事を言っている場合じゃない早くしないと入学式早々遅刻だなんて事になっちゃうのだ。

 おい・・・・・↑いったいこの小説の主人公の女の子は誰に話しかけているんだ?
 なんつーか、2・3年ほど前、仕事でジュニア文庫の編集をした事があるけれど、まったくもってこの手の、いわゆる読者と等身大の主人公が出てきて、初っ端から延々と独り言を読者に向かって話しかけて、風景だの、自分の友達の事だの、制服がどーだの高校がどーだの、第1章はほとんどそーゆー自己紹介的なモノで終わってしまう様な小説は困りモノだと思うのだ。
 それだけで頭が痛いなぁしかし仕事だから読まないといかんしなぁ
 その後、その主人公が始めての満員電車に乗って痴漢(勝手に思い込んでいる)に遭遇して、その痴漢の顔を見るとカッコイイ学生で、すったもんだあった末、学校に着き、席に座るとなんと、その痴漢が偶然にも隣の席(この偶然の出会いパターンってのも頭痛いっす)
 その日の放課後、部活をどうしようかと思っていると偶然(またか)に知り合った中学の先輩(ムチャ綺麗な女性)に誘われて美術部に入ると、そこには超二枚目の部長(二科展に中学時代から入選してて、さらに頭脳明晰)が迎えてくれて思わず入部。
 さらにその部にはもうひとり生徒会長でこれまた超美形(しかも財閥の御曹司)も在部している。とその後、例の隣の席の痴漢も偶然(おいおい)入部している事が判明。
 と、ハッキシ言ってムチャクチャ美形で天才の部長・美形で金持ちの生徒会長・スポーツマンの痴漢(これまた女生徒に人気あり)と・・・・・学校中の美形BEST3がこの美術部に集結しているという、怒涛のご都合主義小説だった。
 もー、あまりに凄すぎてその先のストーリーを覚えていないのだが、結局、部長や生徒会長から好意を持たれつつ、結局痴漢と勘違いした同級生に惹かれてという話だと思った。
 それまで平凡で取り立てて美人でもなかった少女の身に降りかかるラブラブラブリーなバラ色の日々。

 その100年前の少女漫画の様な陳腐なストーリーは置いとくにして、問題は「うふっあたし如月夢美華、花も恥じらう15歳なのだ。」なのだ。
 この手の主人公が突然話しかけてくると言うパターンの小説を多く読んできた。
 そのたびに「不自然だよなぁ」と感じていた。
 読者に話しかけてくるって事は、主人公は自分のいる場所が小説の中で架空の世界で、それを読んでいる人がいる事を知っていると言う設定なのだ。かなり変っす。
 これはジュニア小説の今に始まった事ではなく、確かに昔から1人称で主人公の心の内面をぶつぶつ書き綴ったモノは多くある。
 ジュニア小説的な物としては1970年代初期の「赤ずきんちゃん気をつけて」の庄司薫(だと思った)から始めって、1970年代中期の「ピタゴラス最後の弁明」の小峰肇、そして1970年代末からの一連の赤川次郎作品あたりがベーシックな部分を作ったと思うが、それ以前にもある事はあったと思う。
 が、完璧に陳腐だと思うのが、状況説明まで延々とやらせていると言うことなのだ。
 確かに漫画やドラマと違って、最初にここがどこで、自分がどんな立場の人間かを説明しない事には読者が全然状況を読み込めないと言うのは判る。しかし、あまりにもそれに頼りすぎて状況説明を自ずと判らせると言う小説書きのテクニックを放棄しちゃっている様な感じがしちゃうのだ。
 ジュニア小説以前にその傾向は新人コンテスト系の作品に多く出てきた。70年代の中盤に書かれたモノだと思ったけれど、「最近のコンテストに応募してくるアマチュア作品は多大に筒井康隆に影響を受けていまして、それは悪い事ではないけれどどれもこれもが出だしが『俺は◎◎◎だ』と自分の説明から入る」と、審査員が嘆いているのを読んだ事がある。
 確かに、アマチュアレベルの作品で筒井康隆に影響を受けたと思われるものはそれが多い様な気がする。
 さらにその手の作品は不条理をテーマにしてて、結局ラスト主人公がゴタゴタに巻き込まれて死んでしまうと言うパターンも多く、最後は「そして俺は死んだ」とかが多い。
 おいおい、じゃこの作品を書いているのは誰と言う事になるのだ?一人称で主人公が死ぬって言うのは・・・・だから不条理なのか?

 TV史などを読むと、70年代初頭のドラマなどでは、物語の途中で突然舞台みたいに暗転して主人公1人にスポットライトが当たり、その主人公がカメラに向かって「僕はこう思うんですよ」などとおもむろに喋り始めると言うモノがあったらしい。でもって「で、みなさんはどう考えます?」などと視聴者に対して疑問を投げかけて来るという、斬新なモノがあったと言う。
 たぶんその演出自体は、当時の寺山修司や唐十郎などを始めとする小劇場の影響や、60年代のゴダールやルイマルなどのヌーベルバーグの映画の影響がかなりあったと思うのだが、今の小説の「うふっあたし如月夢美華」はまったく違う次元に立っていると思う。
 うーむ、と思いつつもその手の小説は年間、気が遠くなるほど大量に出版されて、かなりの数売れていたりする。この小説離れとか言われている現代で、若い人を小説に呼び戻すための呼び水になるような気がするので、一概に「反対!」とも言えないのだが、やっぱし「うふっあたし如月夢美華」はなぁ・・・・・。
1999年3月9日(火曜日)怒りをぶつける人
 朝、コーヒーでも買おうかとセブンイレブンに寄ろうとした時の事だった。
 入り口の所で20代中盤ぐらいの女性がドアを開け、中に向かって「駐車場に止めてあるシルビアの人!車が出られないじゃない!!」と叫んでいた。
 と、駐車場を見ると通りに面した部分にシルビアが停まり、その駐車場の奥まった部分に彼女のモノらしきワゴンRが停まっていた。
 が、どう見ても「出られるじゃん」と言うスペースがあるのだ。ここの駐車場は二重に止めても横から出る事が出来る様になっている。
 だが彼女は再び「シルビアの人!来て下さい!」などと叫ぶのだ。うーむ、迷惑駐車も困ってしまうがその彼女の為に僕はセブンイレブンの店内に入れず、ぼけっとすぐ横で立ち尽くすしか無くなってしまったのだ。
 しばらくして、そのシルビアの持ち主らしき男性が出てきたのだが、女性の怒りは頂点に達していたらしく「車を停めるときは他の人の事も考えて停めてよね!」などと、その男性に向かってかなりきつい口調で言ったりしているのだ。
 男性はその突然の激しい怒りに「はぁ」などと曖昧に恐縮しつつ車に乗り込んでいった。
 うーむ、ただ単にワゴンRの彼女がテクニックが無いと言うだけの話の様な気もするのだが、あんなにきつく怒りをぶつけられたら取り合えず恐縮するしか無いような気がしちゃうのだ。
 しかし、あれはただのヒステリー症だよなぁ

 なんつーか、私の場合その辺が異常に抜けているせいなのか、怒りが希薄なのだ。
 以前乗っていた車を駐車場でぶつけられた時でさえ、恐縮する相手に対し「いやはや、もうかなり古い車だからいいっすよ」などと許しちゃったりする人だったりする。これはこれで困り者かもしれないが、あんな風に、怒りを感情に直結させて相手に爆発させると言う感情の「即MAX」変化にはついていけなかったりする。
 友人なんかでも、車に乗せてもらった時に始終、他の車の走り方に怒りをぶつけ「あんにゃろ」状態を繰り返している人もいたが、そーゆーのって疲れないかね?と思ってしまうのだ。

 感情をストレートに表して相手に伝えるって事は悪い事じゃない、いわゆるアメリカンナイズされているのかも知れないが、なんか結局「オレ様主義」でしかない自己主張は世間をギスギスさせてしまうしか無いような気がしちゃうのだがなぁ
1999年3月10日(水曜日)自分の精神状態遍歴
 とりあえず忙しい。
 が、日記は毎日書く。そー決めてしまったのだし、こーしてHPも立ちあげてしまったのだから書く。ワシワシ書く。
 基本的に平凡なサラリーマンの私の周囲で毎日書くような事件が起こる訳がないので、どーも日記にはなっていないが、私はとにかく書くことに決めてしまったからしょうがない。私を止める事は誰にも出来ないのだ。
 と言いながら、日々雑記を書き続けている。
 気が付けば、このHPを立ちあげてから3月1日で丸々一年が経過していた。我ながら凄いって関心しちゃったりする。なんせ年間365本のエッセイって・・・・バカじゃなかろかこの人は、と言うぐらいの量だったりする。それに質が追いついて行っていないと言うのが現状だが、バカはバカなりに考えて試行錯誤してエッセイを書いていたりする。

 HPへの更新は毎日ではないが、とりあえず自分のパソコン内では毎日更新と言う事になっている。一時期はドツボのスランプで2週間ぐらい書けない日々もあったが、ある日「あ、書ける」とスランプを脱して土曜の夜中だけで2週間分を書いた事もある(いつ頃なのかは秘密)。
 とにかく日々書いている。
 そうすると、後から読んで自分しか判らない様な記録も出てきたりするのだ。
 文体の中でのその時期その時期のマイブームがあって、「この時期はこの言い方が好きだったんだよなぁ」とか感慨深く過去をしみじみしちゃったりする事もある。
 あと、判りやすい過去の記録としては、とにかく文章の中で「あれはいかん!これもいかん!責任者出て来ぉぉぉい!」と言っている時期がある。
 ジジイみたいな物言いで嫌やだなぁと思いつつ、その時期には町を歩いて「!」TVを見て「!」雑誌を読んで「!」などと、凄く細かい重箱の隅っこをつっつくような部分に「おいおいちょっと待てよ」などとツッコミを入れまくっていたりする。
 そーゆー「世間がいか〜ん」と言う文章を書いている時って、自分としては精神状態が果てしなく重いところに行っている時だったりする。
 なんつーか、他人に接するときは普通に接する事が出来るんだけど、1人になると「鬱鬱鬱鬱・・・・」とやたらと画数の多い状態になってしまっている時期に、そーゆー文章を書いてしまう事がこの1年で判明した。
 私がエッセイストとして尊敬している遠藤周作氏も、ネタにしてしまうほど躁鬱の落差が激しかったらしいが、どーやら私もその気があるのかもしれない。

 しかし、そーゆー「あれも嫌、これも嫌」なんて文章を読まされる人々はたまったものではないかも知れない。
 やっぱし前向きで明るくいかなくてはいかんよなぁと思う今日この頃であった。