杉村ぐうたら日記143(1999年4月5日〜4月11日)

▲1999年4月1日:木曜日:4月の魚・ポワソンダブリル
▲1999年4月2日:金曜日:前田珈琲店の想ひ出
▲1999年4月3日:土曜日:無口なカセットデッキ
▲1999年4月4日:日曜日:複製する
▲1999年4月5日:月曜日:やられた!
▲1999年4月6日:火曜日:先っぽ
▲1999年4月7日:水曜日:犯罪者A
▲1999年4月8日:木曜日:好きフィルター・嫌いフィルター
▲1999年4月9日:金曜日:番組改変期
▲1999年4月10日:土曜日:ミリオンオナイト
1999年4月1日(木曜日)4月の魚・ポワソンダブリル
 朝、寝ぼけたまま車を運転して、気が付くと会社に着いていた。
 で、作業服に着替えてコンピュータの電源を入れて・・・・・と、突然便意をもよおした。そしてトイレの個室に入った私は何を思ったのか、上着を脱いで・・・と言うところで「上着をどこに置けばいいのだ」と考え、我に返った。
 それぐらいに春・4月になると世の中はボケていくのだ。
 4月の魚も同じように寝ぼけていて簡単に釣ることが出来ると言う格言がフランスにはあるみたいで、いわゆるエイプリルフールと同じような事なのだ。

 ま、周囲からみたら私の場合、1年中4月と言うことになってしまうのだが、とにかく4月になってしまったのだ。
 エイプリルフールと言う習慣がどこで始まったのかよく判らないのだが、キリストがユダヤ人にバカにされたのが起源だとか聞いたこともあるし、別の説も聞いた事もあるけど、とりあえず僕が小学生の頃からあるので、かなり日本にも浸透しているのかもしれない。
 よく毎年この日には海外のTVニュースや新聞なんかが嘘ニュースを流して笑いを取ったりするけれど、最近は日本の新聞、しかも大手の朝日新聞なんかも派手に嘘を流したりする。
 今年のは、小淵首相が思いきった政策を打ち出したと言うニュースで、海外から政治家を導入して重要なポストを任せると言うものだった。なんせ北海道開発長官にゴルバチョフだとか、役職は忘れたけれどサッチャー元首相だとかの名前が出ていたりする。
 なかなかやるじゃん朝日新聞。

 ところが、やはり、案の定、それに対して勘違いする人もいたりする。
 とある国会議員は「こんな政策を認めてなるものか!」と首相官邸に抗議に出かけたとか言うし、読者からは「嘘を流す新聞なんて信用できなくなりました」などと言う抗議文がたくさん届けられたと言う。
 なんつーか、のどかな4月だねぇ。
1999年4月2日(金曜日)前田珈琲店の想ひ出
 随分昔の話、僕は東京の練馬区関町に住んでいた。
 ハッキリ言って東京郊外のありふれた何もない町で、とりあえず23区内だが、とてもそうは思えないようなのんびりした処だった。
 何故そこに住んでいたか?と言うと、単純に通っていた学校が近くにあったからと言う意外の理由は見あたらず、確か記憶は曖昧だがその時住んでいた処も、学校が推薦してくれた場所で一度も見ない前からそこに決定していたんだと思った。
 時代はとりあえずアーリー80's。
 しかしまだ世間にはデジタルの波は訪れておらず(音楽はデジタル化され始めていたけど)美術を習うと言っても、最先端技術はエアブラシみたいな状態だった。
 そして人間的にもまだエロエロが一般化される前で、実にすがすがしい青春的な青春時代だった。

 僕は美術と共に、本と、音楽をこよなく愛する少年で、とりあえず金があれば古本屋、古レコード屋に通っていた。ここで「本屋」「レコード屋」と言えず、とりあえず「古」が付くのはしゃーない話で、とりあえず貧乏だった。
 ま、当時はそれぞれが自分の事を貧乏だなんて思っていなかったけれど、今の時代から比べれば思いっきり質素で金の掛からない日々を過ごしていた。
 なんせ「とりあえず1日1000円って感じで計算している」と自分の生活状態(その中に光熱費なども含まれるので、正確には1000円も使えない)を友人に話した処、驚いた顔で「そりゃ使いすぎだよ」と言われた事を記憶している。
 そんな時代だったのだ。
 当然、携帯電話は無い、部屋に電話があるやつなんていなかった。だいたいが共同電話か、大家さんの呼出電話。

 そんな時代、僕なんかのささやかなる贅沢と言ったら、武蔵関駅の北口にあった『前田珈琲店』でダラダラとコーヒーを飲んで過ごす事だった。
 そこへ寄る前に古本屋などで50円ぐらいの文庫本を購入し、とりあえずコーヒーだけ注文して奥の席で延々と本を読む。そーしていると、友人達もいつの間にか集まっていると言う感じだった。
 たぶんあの時代としてはコーヒーの値段は高かったのかも知れないが、雰囲気も良かったので、かなりの時間そこで過ごしていた。
 今思うと金銭的な贅沢以上に、時間の贅沢をしたって感じかもしれない。
 学生時代、延々と通っていたが結局マスター夫婦とはほとんど会話を交わさずにいた。それも良かったのかも知れない。よくありがちな常連客となれ合っているマスターとかを見ると胸くそ悪くなってしまう。
 なんと言うか、あの物静かなマスターと同様に、まったりとした時間が過ぎていた様な気がする。

 実は昨日、突然その学校時代の友人からメールが届いた。
 こーやって、名前を出してHPを運営しているとそーゆー事もあるのだなぁとビックリしつつ、その15年ぶりの友人へ返事のメールを送った。
 そして、今度あの当時の連中で逢いたいねと言う話題で「じゃ待ち合わせ場所はいつもの通り、前田珈琲店で」などと書いた処「前田珈琲店は数年まえに無くなりました」との悲しい返事が・・・・
 かなりショックだった。

 なんか、こうして自分の歴史はボロボロと過去に過ぎ去っていくのだなぁ
 昭和は遠くになりにけり・・・・・
1999年4月3日(土曜日)無口なカセットデッキ
 先日、かの宇多田ヒカルのアルバムを購入した所、知人から「コピーしてくれー」と言う声があがった。
 でもって私は気軽な感じで「あぁいいよん」などと言った事から事件が起こった。

 数年前、我が家にはまともなステレオがなかった。
 学生時代からアルバイトなどをして徐々に揃えていったバラバラのコンポは存在していたが(カセットデッキ・チューナー・アンプ・スピーカー・プレイヤーなどを、個別に購入した)それも、それぞれが結構いいお年頃と言う感じで、ガタが来ていた。
 そんでもって基本的に僕はレンタルCDとかしない人で「あの曲が聞きたい」と思ったら迷わずそのレコードなりCDなりを購入しちゃう人だったりする。
 なんつーか、レンタルって作っている人にも悪いと思うし、音楽自体にも失礼な話だと思っていた。
 そんでもって、以前は車にCDプレーヤーが無かった為に、カーステレオ用にカセットに録音すると言うのが大きな仕事としてステレオが存在していた。
 ところが、車を買い換えた際にCDプレーヤーを組み込んだ為、その面倒臭い作業も無くなってしまったので、カセットデッキは電源も入れられる事もなく日々を過ごすことになってしまった。
 だから、私のバラコン(システムコンポをシスコンと略し、バラバラのコンポをバラコンと言う、最近は言わないかも知れないけれど)は完璧にCD&レコードを聴くためだけのマシンになっていた。
 しかし、そのうちCDプレイヤーも調子悪くなったり、TVの部屋とパソコンの部屋を別々にした為に「やっぱステレオ欲しいよなぁ」と言う事になった。
 とりあえず、色々な電気店を回り、今では珍しくなったプレイヤーも接続出来るタイプの物を購入して来たのだ。
 それが、すでに3年前の話。

 で、今回の宇多田ヒカルのCDをカセットテープにダビングする段になってハタと困ってしまったのだ。
 なんつーか、振り返ってみると、なんとこのステレオのカセット部分を買ってから3年間、まったく使用していなかったのだ。
 うーむ、何というか、かつて高校時代に大量にエアチェックしたカセットテープや車の中で聞くために録音したテープなどが大量に部屋にあるのだが、それを聞かずとも私の部屋にはCDやレコードが大量にある為に、これまでずっとカセットを使用していなかった。
 でもって録音しようとした時に、そこに複数の複雑なボタンが並んでいるのに気が付いた。
 うむむむ、と顔を近づけてみると、CDダビングの為にテープの長さにちょうど収録できるように曲をサイドABに振り分ける機能とか、Wカセットなので倍速ダビング機能とか、ダビングしつつマイクの音を重ねる機能とか色々な事が出来るらしいボタンが並んでいた。
 まったくテープを使わないといいながら、ここまでチェックしていない私のズボラ加減に乾杯って感じなのだ。
 そこで、あわててこのステレオの取扱説明書を探す所から作業は始まった。
 ハッキシ言って3年前に購入した物の取説なんて、どこに言ったのか即座に判らないのだ。色々な本の山をかき分けやっと探しだしたのは、探しはじめて2時間程経過した時だった。時間は夜の12時を過ぎていた。そしてそれを読み始めた。
 ふむふむ、と私はCDを入れて・・・・トータル時間を見ると手元にある46分テープに収録できないと言うことが判明。あわてて車を近所のセブンイレブンに飛ばしテープを買ってくる。
 そして、カシャカシャ・・・カシャカシャ・・・・とボタンをいくつか押して、自動的にAB面に振り分けるようにセットし、録音スタート。
 なんつーか、このカセット部分は録音レベルメーターが無いのでハッキリ言って録音されているのか不安はあるが、曲が流れだした。
 その間、僕はコンピュータの作業をして・・6曲ほど終わった所で突然音が止まる、とテープがシュルルルルと早回りし最後まで巻き上げカシャと言う音を立てB面がスタートする。そして新しい曲がスタート。
 おぉ順調に録音しているっす。と僕は作業を続けた。

 で、CDが最後の曲を演奏し終わった。テープが最後まで巻きあがって止まった。
 そこで早速録音できているか再生してみる・・・・・・あれ?
 うんともすんとも言わないのだ。確かにテープが回っているのは判るのだが。
 ありゃりゃ設定間違えちゃったかな?と僕は再び説明書を読んで慎重にボタンを押し、再度録音開始・・・・やっぱし録音されていない。
 こりゃどーゆー事だ?
 真夜中1時過ぎ僕は激しく??????と頭を抱え取り説を読み始めたのだ。
 たかがダビングにそんな難しい設定は必要ないと思うのだが、何か最初に基本的なミスを犯しているのかも知れない。僕は深呼吸をしてゆっくり取扱説明書を読み始めた。
 が、確かにさっきの作業で間違いはないのだ。
 もしかして自分の文章読解能力に問題があるのか?と疑ってみたが、そこにも間違いはないらしい。何故だ?  時計はいつのまにか2時を指していた。

 うむむ、と突然思い立ち、かつて車の中で聞いていたカセットテープを取り出しそのデッキに入れて再生ボタンを押してみた。
 ・・・・・・やはり何も音が出てこない。

 て事はカセットデッキが何かの問題で再生出来ないのだ。だから録音されていたとしても再生出来ないのだ。
 と言うことで儚い望みを掛け「もしかしたら録音はされているかも知れない」と、我が家で一番信頼の置けるカセットデッキと言うことで、車のカセットデッキで再生してみる事にした。
 真夜中の2時過ぎにエンジンを掛けそのカーステレオにテープを入れてみる・・・・・うーむ、残念ながらテープからはかすかなシャーと言う音がするだけで曲の欠片も聞こえてこなかったのだ。
 僕は肩を落とし部屋に戻った。

 つまりだ、このステレオのカセットデッキ部分はどーにもこーにも録音どころか再生も出来ないと言う事なのだ。
 しかも、いつ壊れたのか判らないどころの話ではなく、ステレオを最初に購入した3年前から、最初から壊れていたのかも知れない。なんせ、購入した時も1度もチェックしていないのだ。
 うぬぬぬぬぬ、と腕組みをしながら時計はいつの間にか3時を指していた。
1999年4月4日(日曜日)複製する
 そんなワケで、友人に頼まれたCDの録音は出来ない事を告げると「じゃCD貸して」と言う事になった。
 ま、発売日の9日に買ってもう3週の間に随分聞いたのでオッケーなのだ。

 そこで「やっぱこれからCDなんかのダビングはCD-Rだよなぁ」と言う話になった。
 いわゆるCD-Rがあれば、冗談ヌキにCDとまったく同じ音質のダビングCDが簡単に出来てしまうと言うので、今までのダビングと言う作業以上に凄い事になってしまったりする。
 以前なら夢のまた夢みたいな自主制作CDなんかも、いとも簡単に出来てしまうと言うことになるのだ。
 そーすれば、音質がまったく落ちない状態でコピー出来ると言う。
 いわゆる自家製海賊版と言うことになる。
 CDなんかに書いてある「個人で楽しむ以外」の複製は禁止と言う項目は、これの場合は「個人で楽しむ」に当たるから問題ないのか?
 とすると、レンタルCDなんて物があるワケだからとんでもない事になってしまうワケだよなぁ
 ある意味で「ワザワザ高い金出してCD買うなんてバカらしいよ」と言う事になってしまうのかもしれない。だってジャケット以外はまったく同じ物が100円程度で手に入るワケだからねぇ。

 が、私はきっとCD-Rを焼く機械を手に入れてもそーゆー事をしないと思う。
 それって凄く「音楽に対して不誠実」って気がしちゃうのだ。
 だからそれ以前にレンタルCDも借りた事がない。好きじゃなかったりする。聞きたい音源があったら借りるより買ってしまう。
 ま、私が愛用している中古CDと言うのも実際の事を言えばアーティストサイドにとっては、まったく印税も入らないので困った事かもしれないが、借りてコピーってのは好きじゃないなぁ。

 なんと言うか、自分にとって音楽と言う物は世界への視野を広げてくれた神聖な物だし、なんかそれを手軽に本物と同じコピーを作れてしまうってのは、神への冒涜って気がしてしまう。
 いわゆるクローン技術で生命を誕生させる事が出来てしまうが、それはやっちゃいけないよなぁと言う感情に似ている。
 なんか、いくら技術が進歩したとしても、踏み込んではいけない領域と言う気がする。

 コピーと言うと、香港が有名で、あそこへ行けば1枚のCDに何本もゲームが入った物が売られていたり、日本のドラマに字幕を付けた物がビデオCDでかなり安価で売られている。
 香港にとってそれはすでに出来上がった文化だったりする。
 が、それと同時に不幸をも産み出してしまっていると言う。そのコピー文化が自分たちの首を絞めて、未来の無い物にしている。
 香港で生まれ育った人々にとって音楽やゲームと言うのは、正規のメーカーが出している高い物をかわずとも、コピーされた安い物を買うのが当たり前になっている。その為に自分の国の中で新しいクリエイターが育って来ていないと言う。
 なんせ、コツコツと苦労して作り出した物だって、次の瞬間に権利とか著作権とか関係ない所で爆発的ヒットしてしまう。その結果、苦労して作り出しても儲からないと言うのがたたき込まれている。
 だから国内ではまったくクリエイターが出てこないらしい。

 と書いている最中に「あ・・・・CD-Rの機械があればアナログ盤(レコード)の曲を永久保存(針が手に入らなくなる可能性もあるから)CDに出来るんだ」などと、凄く有効活用できる事に気が付いてしまった。
 とりあえず、過去にアナログで買って今でも熱狂的に好きなアーティストはCDで買い直していたりするけれど(佐野元春とかビートルズとかボブディランとか)、CDでの音源がないアーティストもいたりするし、この先ぜったいにCD化されそうもないアーティストもいたりするので・・・・・。

 あぁCD-R欲しい
 などと、私の意見はコロコロ変わっていくのであった。

PS
 昔自分が作った曲なんかも、ある意味封印したいけれど、永久保存盤でCDに焼きたいとか思っていたりする。
1999年4月5日(月曜日)やられた!
 近頃、唐沢なをきと言う、どっちかと言うと最近パソコン関連の雑誌なんかに漫画を書いていたりする人が好きだったりする。
 最初に唐沢なをきの漫画に遭遇した時も、かなり衝撃的だった。

 漫画業界もハイテクの波が押し寄せつつあって、漫画をコンピュータに取り込んでそこでさらに加工してなどと言うニューウェーブな作品が出てきたり、逆に印刷技術の向上により鉛筆の線まで表現できるようになったのを利用し、鉛筆書きで陰影を付けたり、全部鉛筆で書いた漫画なども出てきたりしていた。
 80年代の中期から終わりは漫画にとってある種の革変の時代だった様な気がする。
 で、そんな状態が続いたので「もーどんな目新しい手法を使っても驚かないもんね」と思っていた。そこで衝撃的な漫画に出会ってしまったのだ。

 なんと、10数ページに渡る漫画だったのだが、全編『版画彫り』・・・・・ただ凄い。
 読む人に取っては同じ10数ページだが、制作する方にとっては気が遠くなるような作業が、しかも漫画を書くのとはまったく違う作業が続いている。
 なんか、ある種、カルチャーショックだった。
 作品がどーのこーのと言う以前に「作ることの意義」みたいな、芸術における初期衝動みたいな物を抱えた様な物なのだ。
 あぁ凄い・・・・・

 その漫画はハッキリ言って漫画の粋を越えて「アート」にまで手が届いてしまった作品だった。おかげで内容のインパクトは実際より少ない。
 が、その後唐沢なをきが描く漫画はバカバカしくて素晴らしい。

 ときどき実験をして、平らに敷き詰めたご飯の上に岩のりだけで描いた漫画(梅干し1つ、太陽のかわり)なども衝撃があった。

 そんなワケで本屋で唐沢の新作を見つけると即座に買ってしまう私なのだが、基本的に毎週毎週10ページ20ページと言うストーリー漫画連載ではない人なので、単行本の出るのが遅い。
 だから日々、乾きと戦っているのだ。
 そんな私の目になんと見たこともない唐沢の単行本が一気に2冊も飛び込んできたのだ。
 おぉぉぉ・・・・私は有無を言わさずそれを2冊レジに持っていった。

 ん?表紙の色が違うが・・・どちらも「電脳園 Vol.1」となっている・・・・片方は『マック版』で。もう一冊は『ウィン版』?
 ひたすら??????と思いながらレジで支払いをすませて店を後にした。

 駐車場に停めて置いた車に戻り早速、袋を開けて本を取り出す。
 その帯を見ると『「電脳炎」ウィン版・マック版同時発売記念 特製OA仮面携帯ストラッププレゼント!!』などと書いてあるのだ。
 てぇ事はやっぱし2冊とも内容が違うのだな。あぁよかったよかったと胸をなで下ろしながら、車を発進させた。
 本屋を出てしばらく行った処の信号で止まったので、立ち読み防止のビニールを剥がした。このビニールがひらすら迷惑なのだよなぁ。確かに基本的に読みたい本は買うと言うポリシーの私にとっては立ち読みは迷惑なのだが、このぱらぱらとでも読めないと言うのも迷惑以外の何者でもない。
 なんせ、同じ本を購入してしまうと言うパターンが非常に多いのだ。とくに最近は10巻を越える漫画も少なくない。しかも表紙は毎回同じ様な(ワザと統一されている場合もある)図柄だったりするので、ついつい購入して家に帰った途端にうひゃーと悲劇のズンドコ状態に陥る事があるのだ。
 そんな訳で「マック版」のビニールを剥がして中をぱらぱら見て、続いて「ウィン版」のビニールも剥がして中をぱらぱら・・・・・
 「え?同じ??」
 その内容はどーみても同じ、まったく同じ。
 別にマックに絡んだ内容の4コマ漫画とウィンドウズに絡んだ内容の4コマ漫画がそれぞれ掲載されているワケではないらしい。な・・・・なんだこりゃ?
 と思って再び帯を読み直すと「ウィン版・マック版は、どちらのユーザーにも楽しんでいただけるように90%同一(当社比)です。」などと書いてあるのだ。
 90%同一って・・・・・・?
 と双方を見比べると最後の最後に文章で「今さら誰にも聴けなかったコンピュータの全て」と言う物が15Pほど載っていて、そこの内容が違うのだマックとウィンでは。これか10%の差は・・・・。
 うひーっと思い私は本屋に引き返して返本するより、ちょうど近くにあった(お馴染み)杉山バラ園・エルローザに立ち寄り、ウムも言わさず常務に「これあげる」と1冊プレゼントしてしまったのだ。

 うーむ、これまで重複して本を買ったことは何度もあったが、流石に同時に重複して本を買うことはなかった。
 この怒りをどこにぶつければいいのだろうか?
 などと言って今日の「ぐうたら日記」のネタになったので、良しとするか・・・・。


▼CM:でかい頭
1999年4月6日(火曜日)先っぽ
 私は高所恐怖症だと言うのをいぜん書いた。
 書いたと思う・・・・たぶん・・・と言うように、1年以上も毎日飽きもせずに日常の身近な話題をワシワシ書いていると、あの話は書いたか?これはまだか?と言うような状態で、重複して書いているネタもある様な気がする。
 その辺はじじいのくどいループする話だと思って聞き流して、読み流して欲しい。ところでメシはまだかのぉ。

 そんなワケで高所恐怖症と言う難病を抱えている私は、さらに別の病気を抱えていたりする。
 それが先端恐怖症と言うヤツだったりする。
 つまり針などの様な尖った物を見ると、なんかそれが迫ってきて、今にも刺さりそうな恐怖心に襲われると言うヤツなのだ。これは、同じ症状を持った人ではないと絶対的に理解して貰えない様な病状なのだが、ハッキリ言って怖い。
 だから、他人に「俺、先端恐怖症でさ」などと気軽に話をしたりすると、まさかそんなに恐怖心を感じるとは思ってはいない人に「じゃ、こんなの怖いの?」などと言ってフイに鉛筆の尖った物を目の前に突き出されたりして「うっひゃぁぁぁっ!」と恐れおののいたりする事がある。
 まったくもーっ!てな感じなのだ。

 とは言う物、僕の先端恐怖症は慢性的な物でなく、眼精疲労が重症になると訪れてくる。
 最初に気が付いたのも、そんな風に目が疲れていた時に恐怖心としてやってきた。
 これは僕が悪いのだが、小学生時代の冬の帰り道、あっと言う間に周囲が闇に包まれた帰り道のバス停。
 僕の住んでいる地域は、極端に田舎ではないのだが時間帯によって1時間に1本ぐらいしかバスが来ない時がある。その日も運悪く、ちょうどいいバスをのがして次のバスまで1時間近く待たなくてはいけないと言う感じだった。
 僕はその頃から、毎日の様に図書館から本を借りてくるような少年だったので「ま、本を読んで待っていればいいや」などと気楽な気持ちで本を読み始めた。
 そのバス停の所に街灯はあったのだが、本を読むのには思いっきり適していないお情け程度のぼんやりとした街灯だった。その下で1時間近くも本を読んでいたのだから、当然目が疲れてしまう。
 そんな状態で家へ帰って食事をとろうとした時、ハシがいつもと違って遠近感が判らない状態で目の前に迫ってくる様な錯覚に陥ったのだ。
 それからしばらくの間はトラウマ的な物になってしまったのかも知れないが、疲れていなくても尖った物に恐怖心を感じるようになってしまった。

 今は、なんとか精神力でのりきりこわさを感じなくなっているが、やはり疲れている時。ヘビーな仕事を終えた帰り道などは思いっきり眼精疲労に襲われて遠近感が無くなり、先端にこわさを感じたりする。
 それ以上に怖いのが、車を運転していて遠近感を感じない為に、赤信号を見てとまったら、次の所にある赤信号だったなどと言う間抜けな事もある。
 事故に結びつかず、間抜けな話だけで済んでいたりするのでいいが、運が悪ければ大事故になってしまうかもしれないのだ。

 なかなか、高所恐怖症と言い、先端恐怖症と言い、ある種の精神病的な物だったりするので、私はいろいろと苦労をしていたりするのであった。

※「先端恐怖症」と「先鋭恐怖症」は同じ意味なのかな?それともどっちかの言い方が間違っているのか?その辺曖昧ですいませんです。
1999年4月7日(水曜日)犯罪者A
 私はかつて未成年だと言うことをいいことに、犯罪を犯した事をここに白状いたします。
 もう時候だと言う事になっていますが、そんな事では私の心の奥底に刻まれた傷は癒すことが出来ません。ここに白状すると共に懺悔の気持ちを捧げたいと思います。

 小学校3年生だった僕は、いつもの様に学校からの帰り道を友人3人と「じゃんけんで負けたヤツが次の電信柱まで、みんなのカバンを持つんだぜ!」「最初はグーッ!じゃんけんポンッ!」などとダラダラと下らない事にその日の残りのパワーを注いでいた。
 僕の通っていた小学校には、「学校が家から3キロ以上離れている人はバス通学可」と言う決まりがあったので、僕はバスで行き帰りをしていた。
 といいつつ、小学校の前はバスが走るコースではない為に結局バス停まで1キロ以上歩かなくてはいけなかったりした。そんな道程をいかに過ごすかと言うことで、友人達としりとりをしたり、次の電柱まで荷物を運んだり、息を止めたり、ケンケンで進んだり、とにかく遊びを考えながらダラダラと歩いていた。
 いつも一緒に帰る友人達はそのバス停をさらに少し歩いた所に住んでいたりしたので、バス停で「じゃまた明日」などと別れるのがパターンだった。
 そしてそれからは孤独に前日書いた様に本読みな子供になるのだ。

 その日もいつものように友人と別れて本を読もうとしたのと同時ぐらいに少し先のカーブの所からバスがやってくるのが見えた。
 あ・・・・予定より遅れて来たんだ。と、バスが遅れた為にジャストに乗れる事になった。
 バスに乗り込んだ僕は、本をカバンの中にしまい込んだ。以前、バスの中に図書館で借りた本を忘れた事があって偉く親に怒られた事があったので、二度とそんな事が起きないように気を付けていたのだ。
 とりあえずこの頃は僕にもまだ学習能力と言う物が備わっていたらしい。
 僕が降りるバス停は4つ先なので、本を読むほどの時間もないので、ただぼ〜っと外を見ていた。

 そして2つ目のバス停を過ぎた辺りで僕はカバンの中から定期券を取り出した。無くさないようにカバンにヒモで結びつけてあるのだ。
 その定期券を手にとってぼーっと見ていたのだが、とんでもない事に気が付いてしまった。そこにはでかい文字で『有効期限6月24日まで』などと書いてあるのだ
 「・・・・え?今日、25日じゃなかったっけ・・・・・」
 突然、僕はちびまる子ちゃんの様にひたいから何本もの線がだーんっと降りてくるのを感じた。
 やば・・・・・・
 朝はみんな一緒に登校するんでどやどやと大量の小学生が一気に降りてバスの運転手もチェックしきれなかったのだろうが、今はバスの中には小学生は自分一人、そしてどうも同じバス停で降りる人は乗っていない。
 と言うことは運転手の視線は確実に僕の差し出す定期券を捕らえる事になる。やばい・・・・。
 僕は残り2つのバス停までに何ンとかしなくてはいけないと、激しく頭脳を回転させたのだ。
 「1つ前のバス停でなら確実に何人かが同時に降りる、それに紛れて降りてしまえば・・・・」
 いやいや、複数人と言っても所詮4人ぐらいだ、状況的には1人となんら変わりがない。
 「次のバス停でみんなが降りる瞬間、スキをうかがってバスの窓から逃げると言う手段はどうだ?」
 いやいや、よけい目立つって、それ以前に体育の成績がよくない自分がそんな芸当できるワケない。
 「降りる時、まったく関係ない事を運転手に話しかけて気をそらしてそのスキに定期券をあやふやに見せてごまかす」
 いやいや、いったい何を話しかければいいと言うのだ?平凡な小学生が突然「もうかってまっか?」なんて話しかけてもその先が続かないぞ。
 「ここは意味不明に泣き出してそのまま走って降りると言う手口はどうだ?」
 絶対ムリ

 と言うわけで、ここはなんとか「あやまりつつ無賃乗車をする方法」を考えなくてはいけない。
 僕は、カバンから定期券に伸びている紐を、工作の為に持っていたハサミでガシガシと切った。それも鋭利な刃物でスパッと切ったような状態ではなく、いつの間にかこすれて切れてしまったかの様な状態にしてヒモをちぎり、定期券を外したのだ。
 その定期券はカバンの奥底にしまいこんだ。
 そして運命のバス停に到着した。

 案の定そのバス停で降りるのは自分一人だけだった。
 ゆっくりと、運転手の横にまで歩いていき、最大限に情けない表情を作り、ややふるえ気味の小さな声で「定期券・・・落としちゃったみたいで・・・・」と言いながら、上目づかいに運転手にそのちぎれたヒモの先端を見せたりするのだ。
 運転手は一瞬「・・・・」と言葉を詰まらせたが、次の瞬間「ま、しょうがないな、次から落とさない様にもっとしっかりカバンに付けて置くんだよ」などと言ってくれるのだ。
 僕はその瞬間ぱぁぁぁぁっと明るい表情を作り「ありがとうございます!」と言った瞬間バスから飛び降りて家へ続く道を走り出した。
 なるべく早くあの現場から遠ざかるに限る。一刻も早く。
 僕はこんなにこの道を思いっきり走ったと言うことは後にも先にもないぐらいに走った。
 とりあえず家にたどり着けば犯罪成立だ。僕はなんとなくそんな事を感じていた。

 はぁはぁはぁはぁと息を切らせながら家に飛び込んだ。そしてゆっくりとカバンの中から定期券を取り出しつつ、母親に「定期切れちゃってたから、明日からバス代頂戴」と告げた。
 すると母親は「え?定期って24日までじゃ無かったっけ?」などと言うのだ。
 「・・・・・・・」僕はおそるおそる母親に聞いてみた
 「今日って何日だっけ?」
 「21日だけど・・・」

 そんな勘違いの為に、小学3年生の僕は悪の道に足を踏み入れてしまったのだ。(エピソード1)

▼CM:えぇぇ〜出来ますかねぇぇぇ
1999年4月8日(木曜日)好きフィルター・嫌いフィルター
 最近「セクハラ法案」だか何かよく判らない物が再びTVなんかで取り上げられていたりする。
 そーゆーのが取り上げられると街頭インタビューでオッサンが「こっちはコミニュケーションのつもりで頑張ってる?って肩を触ったのまでセクハラって言われちゃやってられないよなぁ」などと答えたりする。
 実際の事を言うと、私は男だがその手の「よっ調子どう?」などと言って椅子に座って仕事をしている時に突然背後から肩を揉むようにしてくるオヤジは嫌いだったりする。(好きな人いないか)
 セクハラ以前の問題だよなぁ
 といいつつ、さらに街頭インタビューで女性側の意見を述べていたりするOLさん達は、かなりズケズケと言いたいことを言っていたりする。
 「いやらしい事を平気で言う」
 「彼氏はいるのかどうか、聞いてくる」
 「いやらしい目でじろじろ見る」
 「嫌っているのに判らないで平気で近くにいる」などなど・・・・
 なんか、これってセクハラ以前に存在が嫌いなだけでしょ?と言う意見がメインになっているだけのような気がする。
 じゃ、オヤジ側から文句を言われてもフィフティフィフティだと思うが、とりあえず現状ではオヤジが職場の女性を「可愛い」と「そうでない」で差別するとセクハラになると言う事になっている。

 難しい問題だけど、これって相手に対する個人的な感情の差がセクハラのボーダーを決定づけているだけって感じ。
 先日、清水ちなみ編集の『大離婚』と言う本を読んだ(中古)のだが、そこに「あいてが結婚前と結婚してからこれだけ変わった、こんな人だと気が付かなかった」と言う項目があった。
 そこには
 「ざっくばらんで細かい事にこだわらない人」→「思い通りにいかないと何でも放り出す」
 「バリバリ仕事をする責任感の強い人」→「仕事のためなら家庭を壊しても気にならない奴」
 「とにかく優しい人」→「ただ単に優しいだけの人」
 「いつもニコニコしている人」→「ただ意味もなくヘラヘラ笑っているだけの人」
 「優しくて少年の心を持ち続けている人」→「単なる優柔不断、ガキ」
 などと書かれていた。

 う〜む、これってただ単に「好き」と言うフィルターを「嫌い」と言うフィルターに掛け替えただけの状態だよなぁ。
 確かに恋愛と、一緒に生活して経済を分かち合っていく結婚とでは「それだけじゃやっていけない」と言う物なのかも知れないけれど、なんか哀しいっすね。
 でも、確かに「セクハラ」と称されるいやな事は現実的にある(男の自分からしても嫌な行為はある)ので、簡単に言い切る事は出来ないが、TVなんかに出て愚痴をこぼしているOLはセクハラうんぬん以前の問題で発言しているんだと思ったりもする。
 でも「生理的に受け付けない」ってのは確かに存在しているので何とも言いがたいが、それを理由に存在価値までどーこー言われてしまうオヤジも可哀想な気もする(別に擁護派に回っているわけじゃないけど)
 たしかセクハラの定義の1つに「女性を見た目だけで判断して、容姿で差別する事」も入っていた様な気がするけれど、その女性側の意見も「セクハラ」だよなぁ

 これは、当人にとってはどうしようもない問題かもしれない(もっと清潔にすりゃいいのにって思う人もいるけどさ)
PS
 なんか女性側から男性への行為を「逆セクハラ」なんて言っているけれど、セクハラって「男性→女性」って定義されているワケではないので「女性→男性」もセクハラだと思う。
 って事は「逆セクハラ」っては「セクハラじゃない」と言う意味なのか?
1999年4月9日(金曜日)番組改変期
 なんかTVを見ると、春の番組改変期って事でイレギュラーの番組が2時間3時間とやっていたりする。
 でもって、それらをチラチラ見ると相変わらずの顔ぶれの賑やかしタレント総出演でワイワイやっている。あるいは春秋年末恒例の「潜入警視庁24時」だったり「海外グルメツアー」だったり「涙のご対面」だったり「離島の集団お見合」だったり・・・・・
 なんか、どれもこれも特別番組ではなく、春秋の番組改変時のレギュラー番組って感じ。
 結局、番組を作る側が知恵を出していない、新しいアイディアを考え出していないと言う感じの時間だけはかせげる特別番組だったりする。

 おかげでボクは、このTV局側の視聴者に人気があるスペシャルを流してこっちに視聴率を流し込み、そこで新番組のCMスポットを入れると言う作戦とは逆に「なんか下らなくて時間ばっかり取られるから」と言う理由で、ほとんどTVを見なくなる。
 その結果、本編の新番組さえみなかったりする。ドラマなんか第1回を見逃すと、後はどーでも良くなっちゃうから。
 なんか、制作者の思惑の処とは別に行ってしまったりする。

 なんか、元々たれ流しで薬にも害にもならないTVだけど、特に最近はその傾向が強いような気がする。
 やっぱし、衛星WOWOWとかケーブルTVとかが普及していくと、タダで見ているTVってのはフリーペーパー的な存在になっていくのかな?

 なんか、元祖TVっ子世代の自分が最近本気でTV離れしつつあるって事にビックリしてしまった。
1999年4月10日(土曜日)ミリオンオナイト
 いやぁ来年は2000年でいよいよ世紀末だねぇ。
 しかも2000年って事で『千年期/ミレニアム』まで含まれていて、こんな時代を経験できるってのは本当に貴重だと思うのだ。
 なんせそれ以前の千年期って途方もない程の過去だったりする。
 面倒臭いのでその時代はどんな時代かは調べないけれど、平家と源氏があーだこーだやっていた時代でしょ?その時代には「西暦」なんてものは日本には存在していなかったから
  「憂愁の 阡年期にて 惑星の 小波の如し 揺れる月かも」
 などと言う句は読まれていないので、日本にとって始めての千年期なのだ。

 しかしやっぱまだ、21世紀が2000年から始まると思いこんでいる人が多いってのにはビックリしちゃったりする。
 今世紀の20世紀は「1901年から2000年まで」で、来世紀21世紀は「2001年から2100年まで」ってのは、大昔から、グレゴリオさんが西暦の基本を作った時からきまっているのだ。
 もし「1900年から1999年まで」が20世紀だとすると、最初の1世紀は「0000年から0100年まで」と言うことで、ぜったいにありえない「0年」と言う物が存在してしまうのだ。
 1年の前の年は「紀元前1年」なのだ。
 ビルの1階の下が「地下1階」と言うのと同じで、0を発明したと言われるインド人には悪いが、そこには0は存在しないのだ。

 などとこんな処で言ってもしょうがない。
 とにかく『千年期/ミレニアム』に偶然、同じ地球上に存在している私たちは凄く貴重な体験をしていると言う事になるので、その事を肝に命じる様に。

 そんなワケで、私が何故今日1000と言う数字にこだわっているのか?は、また明日