杉村ぐうたら日記144(1999年4月12日〜4月18日)

▲1999年4月11日:日曜日:素人千一夜
▲1999年4月12日:月曜日:その音を止めろ!
▲1999年4月13日:火曜日:EL・ROSA TIMES 創刊号!
▲1999年4月14日:水曜日:君の欲しい物はなんですか?(1)
▲1999年4月15日:木曜日:君の欲しい物はなんですか?(2)
▲1999年4月16日:金曜日:君の欲しい物はなんですか?(3)
▲1999年4月17日:土曜日:君の欲しい物はなんですか?(4)
▲1999年4月18日:日曜日:君の欲しい物はなんですか?(5)
▲1999年4月19日:月曜日:イロトリドリの世界
▲1999年4月20日:火曜日:雀百まで踊り忘れず
1999年4月11日(日曜日)素人千一夜
 そんなワケで今週のキーワードは「1000」です。
 なぜ1000なのかと言うと、実はこの日記を書き始めて今日が「143」週目なワケですよ。でもって、それに1週間の日にち「7」を掛けてみると、ほらビックリ、今日はなんと「1001日目」なのですよ。
 いやはや、最初の方はインターネット以前のパソ通の頃に書いた文章の再編集版だったりするけれど、ついに4桁の大台に載りましたな。
 次に桁の変わるのは「1428週目」の日記の時です。じゃ、それまでご機嫌よう〜って、そーゆー話じゃない。
 5桁になる1428って、(1年52週と単純計算して)あと24.7年後の話ですぜ。西暦2023年っすよ。
 それまで今と同じように「ひねもす」や「ぐうたら日記」やってるかなぁ?
 それ以前に自分が・・・・考えてみてげっと思ってしまう年齢になっている。
 その日まで、日々バカな事を書き続けていられるのだろうか?
 もしかしたら老齢福祉年金がどーだとか、医療費がどーだとか、息子の嫁がメシを喰わせてくれないんじゃぁとか書いているかもしれない。
 ま、そこまでボケてはいないと思うが、現時点で天然入っている私なので、その頃はどんだけ悪化しているのか想像するのも恐ろしい。

 そんなワケで、1001日目と言う事で(厳密には違うけど)みんな心の中でそれぞれがお祝いしてやってください。

 「明日からも馬鹿な事を書きますように」
1999年4月12日(月曜日)その音を止めろ!
 最近、TVなんかのCMに使われている音で不快になる事がある。
 嫌いなタレントが出てるとかだったら、画面をみなきゃいいんだろうけど、私が嫌いと言っている原因はそこに使用されている「音」なのだ。
 それも1社のみのCMだったら、そんなに遭遇しないと思うが(最近あんましTVを見ていない)、その音を使ったCMは何社にも渡っているのだ。

 その私の嫌いなCMとは携帯電話のCMで、どれもが最近機能として各社競い合って、それに関する本もベストセラーになっている『着メロ』の凄さを全面に押し出した形になっている。
 ある社は新作着メロを自動的に取り込んでくれる機能だったり、ある社は掛けてきた人によって違うメロディを鳴らしてくれたり・・・。
 値段的な差別化もほとんど横並びになって、掛けられるエリアの差別化も横並びになって、と言う事で今はその辺が競走のポイントになっているらしい。

 だが!私は思うのだが、あの着メロって大嫌い。
 どんないいメロディだとしてもピィ〜ヒョロリロォンピョピョピョ〜ィンって・・・・、いいメロディも台無し。私はとにかくあの陳腐な20年前のコンピュータビープ音みたいな着メロってヤツが精神的に絶えられなかったりするのだ。
 だから、佐藤藍子がやっているCMで携帯の着メロを3人の女性が聞いて、それと一緒に楽しく歌い始めるなんてシーンがどーにもこーにも信じられない。
 あの非人間的な音はどーにかして欲しい物なのだ。
 本屋に行っても、CDショップに行っても(ってこの2つしか私の行動範囲が無いような気もする)あっちでピィ〜ヒョロ、こっちでプースカピーって、なんとかならないのか?

 と思っていたら、知人が新しい携帯を買っただとかで、一生懸命入力した曲とか、プリセットで入っている曲だとかを延々と聞かされてしまった。
 その知人の無邪気に嬉しそうな「新しいんだよぉ」と言う態度に「うっせぇ!」と言えずにじっと耐えながら聞いてしまう私であった。

 あんだけ技術が発達しているんだから、音色を変更する事が出来てもいいんじゃないか?あと、メモリーによるサンプリングとかも簡単に出来るハズなのだが?
 着メロは、あれじゃなくちゃいけないのか?
1999年4月13日(火曜日)EL・ROSA TIMES 創刊号!
 とりあえず、忙しい。
 なぜ忙しいのだ?と考えると全ては「杉山バラ園」と言う場所のせいだったりする。
 なんせ、こないだの日曜日、別の用事でふらふらとバラ園に寄った時、なんだかんだあって、今度の4月末から5月にかけてバラ園で開催される『春のバラまつり』とか言うもののチラシを作ろう!と言うことになった。  ま、私は従業員でもないから「勝手にやってね」と思ったりもするのだが「チラシを作ろう!」という言葉は当然のように、全てわたし、杉村にかかってくる言葉らしいのだ。
 いわゆる、みんなで寄ってたかって誌面を身ながら「ここはこーした方がいいんじゃないか?」「いやいや、これはこうだよ」「俺はコレに関しては譲れないね」などと激しく熱くも和気あいあいと編集会議は続くのであった。
 と言うのが正しい編集会議のあり方だと思うわけだよ。どうかね、諸君は?

 ところが、ここで言う編集会議とは「じゃ、これだけイベントあるから、あとは適当に編集して」などと言う、アバウト以前のアバウトさなのだ。
 基本的に私はバラ園の人間じゃなかったりするので、その内容もよく解らない部分も多かったりするのだが「じゃよろしく」と言う状態で全権を手渡されたりしちゃうのだ。

 どうしろっちゅ〜んじゃい!

 と言う感じになってしまうのだが、基本的にやり始めたらやる人、やらなければやらない人と言われている杉村はやってしまうのだな。
 でもってやり始めたら「鉄は熱いうちに打て!」と言う言葉どおりに一気に行かないと気が済まない。結局、その日曜日、家に帰って(自宅に付いたのが夜9時過ぎだった)「じゃ、とりあえずやるか」と始め、気が付くと明け方の4時。
 あぁ、とりあえず一眠りしておかないと・・・とベッドに沈みこんだ時には、チラシと言うか、フリーペーパー『EL・ROSA TIMES』はほぼ90%完成していた。
 かなり密度のあるチラシだったりするのだが、やっぱし自分が作るって物に妥協をしちゃいけないってのが昔からのテーマだったりするので、こーゆー風になってしまうのだな。
 で、本職の方にも妥協をしちゃいけないと言う事で、いつも通りに起きて、ボロボロになって出かけるのであった。

 なぜ、こんなに急いで作るのか?と言うと、なんせチラシを配布するのが4月17日の土曜日なのだ。おいおい、日曜日に打ち合わせを始めて、1週間もしない土曜日に配布するか?みたいな感じだったが、その辺の甘さがいつもつきまとっているのだ、このバラ園ってヤツには。

 そんなワケで、今バラ園に起こし下さった方には無料で私が一気に作り上げたフリーペーパー『EL・ROSA TIMES 創刊号(構想5分制作1日)』を差し上げております。
 ついでに勝手に懸賞付き(バラの花束プレゼント)クロスワードなんてのも作ってしまったので、頑張って解いてね。

 などと言いつつ、バラ園のHP上でもそれと同様の『電脳EL・ROSA TIMES 創刊号』が読めて、クロスワードも出来たりするので、読んでやってね。
杉山バラ園:EL・ROSA

▼今日のラ入り言葉
1999年4月14日(水曜日)ロックの深淵:君の欲しい物はなんですか?(1)
 自分にとって音楽とは?
 自分にとってロックとは?
 自分にとって創作とは?
 自分にとって愛とは?

 誠実に生きようと努力をすればするほど、人は不器用になっていく。そして立ち止まって考える。果たして自分が求めている物に自分は近づいているのだろうか。

 音楽を愛しているハズの自分にとって実に奥深く、そして辛い本がある。
 作者は、みうらじゅん氏。世の中のくだらない物を一気に集めた様な自称(あるいは他称)ダメ大人の代表選手のみうら氏。
 みうら氏と云うと世間一般の認識としては、本当にどうしたらここまでくだらない発想が出てくるのか?と言うエッセイなどを書き散らしている人だったりします。
 だから、みうら氏=馬鹿(←敬愛の意味)と云うことで、気を許してこの本を読んだのですが・・・・。
 たしかに以前からみうら氏はロックに造詣の深い部分もあり、ボブディランの事を熱く語っていたり、ストーンズの事や、ジョンレノンの事を熱く熱く語っていたりする。
 だから、とてつもなく下らない事が好きだと言う事と、純粋に音楽が好きだと言う事で、凄くシンパシーを感じていた。

 そのみうら氏が書いた「アイデン&ティティ」と言う本は、90年代初頭、新書版として発行された事も知っていた。そして、同時収録されている「マリッジ」と言う本が発行された時も知っていた。
 が、僕の中では「また下らない本を出したんだろーなぁ」ぐらいの気持ちで、同時に「文庫本になったら買おう」ぐらいにしか思っていなかった。
 いわゆる一連の軽いノリの本だと思っていた。

 で、今から2年ほど前、1997年秋、本屋に行った時に文庫本として「アイデン&ティティ」が出ていたので手にとって見たのだ。で、まずビックリしたのがこの本が「漫画」だと云うことだったのだ。
 基本的にみうらじゅんと云う人の肩書きは「漫画家」でスタートしたと思う。たぶん、そのキャリアの出発地点も目撃している(ロック雑誌だった頃の宝島)。で、ウシやカエルやハニワと言うファニーな絵を描いていたのを知っているが、「たんに難儀な牛」と言う作品はあったけれど完璧にコマ割りをした漫画と言う印象が非常に少ない人だったのだ。
 そして、いつのまにかエッセイの類が多くなってきて、TVなんかにも変な物評論家として出演する様になっていた。
 この「アイデン&ティティ」と言う作品は、そんな氏の純然たる「漫画」だったのだ。本屋でパラパラと立ち読みすると、どうもオチみたいな物がない、さらに純然たる「ストーリー漫画」だったのだ。
 うーむうーむ、と思ったりもしたが、その絵柄のファニーさやラフさや、いつも宝島なんかに書き散らしているロックな(変な)人の絵なんかのイメージで、そーんなに深い話ではないと思っていた。
 で、僕は凄く軽い気持ちで購入した。
(続く)

1999年4月15日(木曜日)ロックの深淵:君の欲しい物はなんですか?(2)
 その話は、呼んでいる時点から7〜8年前にさかのぼっていた。と言うか、この本の最初の刊行がその時期だった。
 主人公の中島は折からのバンドブームに浮かされるようにメジャーデビューが決まって、ファンからキャーキャー云われていたバンドのギタリストだった。
 現実にも、みうらじゅん氏はバンドをやっていて、ある意味でバンドブームをチャカしつつ、かの『イカすバンド天国』に出場した事もある。その時のバンド名が「大島渚」って事を考えると、思いっきり受け狙いっぽい気もするが、ある種そのバンドブームの中に自ら立って批判していたのかもしれない。
 なんせ、その時の曲が「カリフォルニアの青いバカ」と言う曲で、何も考えずにブームに乗って気持ちいいと思っている奴をバカにした歌だったのだ。

 そんな時代の中で、主人公の中島という男も他の連中と同じようにある種浮かれて気軽にロックを口に出して「やっぱロックって俺の生き方だし」みたいな青臭い事を、さしたる覚悟も無く言い放っていた存在だった。
 そんな主人公のアパートにある夜、ボブディランがやってきた。
 ここで云うボブディランと言うのが現実の存在なのか、創造の産物なのか判らないまま、主人公の耳元でディランが歌を歌い続けていく。
 そして中島は「俺のやっているのはロックなんだろうか?」と徐々に目覚めてしまうのだ。
 いわゆるブームに踊らされた形で、ヘラヘラ流れている自分や、さっさとブームに見切りを付けてTHE芸能界にタレントとして再デビューしたかつてのライバルバンドのボーカリストや、金になると云うことで近づいてくるヤツラ、その他の日本のロックを取りまく全ての物を巻き込んで、自問自答を続けていく。

 ガキの遊びのロック。大人の金儲けのロック。結局理解されていないロック。その中で自問自答していく。
 ある種、ミーハーな女性ファンを排除した部分でロックが誕生するかと思われるが、また別の部分で、インディーズこそがロックだと思い込んでいる層も存在する。
 ロックとは何だ?日本にロックは存在するのか?必要なのか?

1999年4月16日(金曜日)ロックの深淵:君の欲しい物はなんですか?(3)
 僕はロックとは音楽のジャンルではないと思っていた。ずっと、精神の在り方を指し示す言葉だと思っていた。
 いわゆる電気ギターを持って馬鹿でかい音を響かせているだけではロックではないと思っていた。世間一般では「うるさい音楽」=「ロック」と言う認識もまだまだあるのかも知れないが。
 音楽というのは嗜好品で、激しくなくちゃ音楽じゃない!と云う人も、爽やかじゃなくちゃ!と云う人も、ノリがなくっちゃ!と云う人もいる。
 僕の1つ前の世代は「ロック」「フォーク」とジャンル分けして音楽を明確に聴いていた。  いわゆるフォーク系のアーティストがエレキギターを持ったりすると罵声を浴びて物が飛んでくる(野外イベントが多かった時代なので石が飛んできたりする)と言う形で「あいつはロックに寝返った」みたいな言い方をした時代もあった。
 僕が音楽を音楽として聞き始めた頃、フォークもパワーを失い、ロックも商業主義に呑み込まれ、テクノの準備段階が出てきて・・・とにかく混沌としていた。

 その為、最近思ったのが、自分は世間一般で「ハードロック」と云われている物を「ハード」だとか思わず、他の音楽と同一線上で聴いていると云うことだったのだ。

 確かに、中学高校の頃、いわゆるギターなんかを弾いているミュージシャンきどりの連中の中にいた事もあるけど、その時でさえ仲間の何人かは「やっぱフォークだよな、気持ちを伝える為には」などと明確に自分以外のジャンルに敵対心を持っていた人がいた。
 それも細分化されて「洋楽?ダメダメ意味判らないから」とか、思いっきり小さな部分(当時流行っていた貧乏くさいフォーク)だけにしがみついて、それ以外に興味の触手を伸ばせない人が多かった。
 逆に洋楽を聴いていた人は、思いっきり日本の音楽を馬鹿にしていた。
 だからその中でジャンル分けなく聴いていた僕はかなり疎外感を味わっていた。あっちの話も出来るし、こっちの話も出来る。ヘタすりゃ、調子のいいコウモリ野郎に思われてしまったカモしれない。

 洋楽だろうと邦楽だろうと関係ないし、フォークだろうとロックだろうと、良い物はいいと思ってきた。歌謡曲だって「良い物はいい!」と云いきってしまった為に、輪から外れた事もある。
 今回の「ロックな話」とはズレてしまうけれど、歌謡曲だって立派なプロフェッショナルな音楽だと思っている。そこらの音楽的資質のないアマチュアに毛の生えた程度のフォークミュージシャンが、へたくそな言い回しの詩に抑揚のないメロディを付けてセンスのない演奏でがなっている音楽より、いかにそのアイドルに合った詩とメロディとアレンジを施すか?と考え出された歌謡曲(そうでないのもヤマほどあるけど)の方が百倍も音楽だと思う。
 マスターベーションはたしかに気持ちいいが、それは人前でやるべきではないって事の様な気がするのだ。
1999年4月17日(土曜日)ロックの深淵:君の欲しい物はなんですか?(4)
 僕がある種、精神的な部分で目覚めた時に目の前にジョンレノンがいた。
 彼は偉大なるマスターベーショニストだと思う。
 実際に「愛」とか「平和」を歌っていたのなんて本当に一部でしかなくって、その大半が自分の快楽の為に音楽を作っていたのだと思う。
 その結果、一時期、実験的な音楽へベクトルが向かってしまう。(そこにはヨーコの存在があったけど)その辺の物は僕は評価していない。それを単独で聴かされた時、拒否すると思う。
 そこを突き抜けた時に作り出された作品に、本当のロックが存在していたのだと思う。

 真実なんてそこには存在しない。
 正義なんてそこには存在しない。
 僕は神の存在を否定する
 僕は宗教の存在を否定する。
 僕は僕を信じる。

 ここまで書いてきたことはあくまでも「自分にとっての音楽」「自分にとってのロック」でしかない。僕は幸運な事にあるときから「音楽」を「音楽」として聴こうとして、そうしてきた。
 でもきっと世の中には「音楽が好き」「音楽がなくちゃ生きていけない」と云っていながら「音楽」を聴いていない人で溢れているのではないか?と感じてしまう。
 別に、小室系が音楽じゃないとか、ビーイング系が音楽じゃないとか。ビジュアル系が音楽じゃないとか云うつもりは毛頭無い。
 そこに精神的な意味でのロックが存在するかどーかなんてのは、作った人にしか判らない問題だし、もしかしたら僕が名曲だと思っている物だって、そのアーティストが鼻くそほじりながら作った曲かもしれない。
 だけど、僕は自分の前にロックの神様がいつも立っている様な気がする。そして、そこに歩いて行こうとしている自分がいる。

1999年4月18日(日曜日)ロックの深淵:君の欲しい物はなんですか?(5)
 ロックは破滅の美学じゃない。
 ロックは保険じゃない。
 ロックはハシカじゃない。

 ロックはジャンルじゃない。
 ロックはルールじゃない。
 ロックは敵ではない。

 ロックは誰も拒まない。

 僕は残念な事にいまだに音楽を発信する側には立っていない。たぶん、今自分が自分を取りまいている音楽に対してもっているジレンマみたいなものを、実際に音楽を発信する側に立ってしまった時、どう思うのだろうか?なんて考えてしまったのだ。

 そのジレンマを、今回読んだみうら氏の「アイデン&ティティ」は表示している。
 音楽を愛すれば愛するほど、ロックを愛すれば愛するほど、その苦悩は深くなっていくのかも知れない。実際問題として、嗜好品なワケだし、他人に「どーしてコレが判らないんだよぉ」と訴えてみた処で判らない人には永遠に判らない。それは、自分が20年以上感じて来ている事だったりする。

 なんか、みうら氏の描いている苦悩はよく判る気がする。あくまでも気がする。

 音楽にはもっとハッピーな物を求めて行きたいが、どこかで僕にもディランのハーモニカの音が囁き掛けているのかもしれない。
 音楽が好きな人には読んで欲しいと思ったのであります。

◆『アイデン&ティティ』みうらじゅん著作:角川文庫¥740
1999年4月19日(月曜日)イロトリドリの世界
 赤ちゃんは生まれた時は「明るい」と「暗い」しか認識できないらしい。
 つまり簡単に言えばモノクロのもっと単純な状態。
 それが成長するにしたがって、画像が見え、徐々に色が識別出来るようになってくる。
 と言う物、最初はいわゆる色の三原色から、7色、12色、と徐々に豪華な色鉛筆並みの色の識別が可能になっていくらしい。
 たしか昔、美術関係の授業で教わった物では、18〜25歳ぐらいまでが色の識別のピークで、その時は何十万色だか、それの何倍だかを識別できるのだが、やはりそこから体力や新陳代謝の衰えと共に識別できる色数も減っていくのだそうだ。
 と、いっても実生活になんら影響の無い程度の変化なんだけど、微妙な色の差ってヤツを感じとる事が出来なくなってしまうらしい。
 うーむ、絵を書くのも見るのも好きな自分としては、ちょっと恐ろしいなぁと思ってしまうのだ。

 と言うのと同時にずっと思っていた事が、はたして人間はみんな同じ色を見ているのだろうか?と言うのがずっとずっと10代の頃からの疑問なのだ。
 ま、基本的に「赤」は「赤」に見えるのだろうけど、人間の個人差で見えている赤の度合いが違うのではないか?と思っている。
 とは言う物、それぞれがそれぞれに生まれた時から「これが赤ですよ」と教えられて「これが赤」と認識をしてきたのだから、その赤の度合いを物を使わずにダイレクトに相手に伝える事は出来ない。

 たとえば、色の見え方に一番影響を与えるのはどこか解らないけれど、たとえば角膜を、たとえば網膜を、あるいは中枢神経を他人に移植したら、微妙に見えてくる色が変わってくるのではないか?などと考えていた。  しかし、これは答えの出せない疑問だよなぁ

PS
 以前の話、何かのバラエティ番組内でのクイズ「人間が識別できる色は何色ぐらいでしょう?」と言う質問があった。
 その番組には大御所演歌歌手からデビューしたてのアイドル田原俊彦まで出演していた。
 多くの解答者が「1000色ぐらいか?」「10万色ぐらい」などと、それでも少ない数字を掲げていたところ、さすがジャニーズ田原俊彦は堂々と『12色!』と答えていた。
 どうやら36色のクレヨンは使いきれないみたいだ。

▼今日の直訳
1999年4月20日(火曜日)雀百まで踊り忘れず
 なんと申しましょうか、これまでも数度ネタにしてきた事ですが、私は写真をむやみやたらと撮っている。  でもって、気がついた時には自宅は山の様にアルバムが・・・・。
 それ以上に色々な物があるから、なかなか収納が大変だったりするのであります。なるべくオタクな部屋にはしたくないと思いつつ、倉庫の様になっていく部屋を日々見ながら溜息をついたりするのです。

 でもって、そんな写真バシバシの人にデジカメを渡したら、そりゃ際限なく撮ってしまうのは目に見えているワケで、もーとんでもない事になっています。
 ま、普通の写真の場合はだいたい同時プリントだったりするのでとんでもなく撮影すればとんでもなくプリントされた写真が手元に残ってしまうのでとんでもないと思いますが、その点デジカメは大量に撮影してもそーんなに困らない。あくまでも基本はモニターで写真観賞だったりするし、今はあんまし見かけなくなった128MのMOにだって、軽いデータで1000枚単位で保存できる。
 あぁ撮影道楽の血が騒ぐ。

 と言っている内になんと、デジカメを手に入れて1年4か月とちょっと(1997年12月13日〜)だと言うのに、なんと撮影枚数が10,000枚を越えてしまった。上記の日々を500日と計算すると、1日平均20枚なのだ。
 でもって1枚のMOに大量に保存できるからなぁなどと言っていたハズなのに、すでにMOは9枚目。うーむ、と考えてしまいましたね。どうもこりゃ。

 ま、その写真を1枚1枚見ていくと、あまりにも普通の人が撮らないようなタダの風景写真とか、関係ない人々の写真とか・・・・そんなのが大半を占めている。
 友人などの写真も大量にあるのだが、平日は孤独なサラリーマン生活な私は、ぼーっと目に付いたあまりに日常な写真を撮っているだけだったりする。

 で、なんでこんな無意味と思われる写真を撮っているのか?と考えると、私の場合、昔っからこの手の写真を撮ってきていた。

 で、最近撮影する時に頭の片隅の片隅の方で「資料写真」と言う言葉を誰かがささやいている様な気がしたのだ。
 資料写真?
 と思いつつ、呆然としてしまった。

 確かに以前はそんな気持ちで写真撮影をしていた様な気もする。
 それは、遥か彼方の学生時代に漫画を書いていた時、と言う激しくノスタルジックな時代の思い出になってしまうのだ。
 その漫画を書いていた時に、何気ない風景写真と言うのをかなり撮影していた。
 あるいは、普通の人には意味不明の電信柱の写真とか、小物の写真とか・・・・。

 そうか、その時の意識がカメラのシャッターを押すたびに蘇ってきていたのか・・・。
 きっと、僕はこの先も描かない漫画の資料写真をとり続けていくのかもしれない。