杉村ぐうたら日記(1999年6月1日〜10日)

▲1999年6月1日:火曜日:揺れている
▲1999年6月2日:水曜日:雨が空から降れば
▲1999年6月3日:木曜日:カエルの歌が聞こえてくるよ
▲1999年6月4日:金曜日:のほほんも大変だ
▲1999年6月5日:土曜日:何故カフカ?
▲1999年6月6日:日曜日:江口森高・布袋今井
▲1999年6月7日:月曜日:メールマガジン『ひねもす本舗』
▲1999年6月8日:火曜日:猿人老いるの交換
▲1999年6月9日:水曜日:『ひねもす本舗』始まりました
▲1999年6月10日:木曜日:間違いは間違い
1999年6月1日(火曜日)揺れている
 ここの所、色々雑多な事に追われてTVを見ていなかった。
 ハッキシ言ってニュースさえも見ていなかったので、世間から思いっきり取り残されたような状態になって「こりゃマズいなぁ」などと感じていたのだ。
 前にも書いたが随分昔、仕事が思いっきりハードな頃、あまりに忙しすぎて、毎晩夜中の3時まで仕事、帰って爆睡、6時半に起きて、そのまま再び出社、と言う非人間的な生活を続けていた事がある。
 その時期が過ぎたある日、ニュースステーションを見ていたら総理大臣が変わっていた。
 しかも、社会党の総理大臣だった事に僕は激しくビックリしたのだ。
 もっとビックリしたのは、僕が仕事に追われている間に総理大臣が変わったのは「細川」→「村山」だと思っていたら、間に「羽田」なんておっさんもいて、2回も変わっていた事なのだ。

 ま、今回はそんな事もなかったが、やっぱし世の中についていけてないってのは、いかん事だと思うのだ。そんな事を思いつつ、ぼ〜っとTVを見つつ、チャンネルを切り替えていた。
 と、なんか異様な画面に遭遇した。

 そのシーンは普通のドラマのワンシーンだと思うのだが、なんか普通のドラマとは言えないような違和感を感じた。
 場面は、とある安そうなアパートの1室で、男二人が何やら言い争いのような会話をしている。
 で、何が異様か? と言うと、このシーンを撮影しているカメラがやたらと細かく揺れているのだ。たぶん手持ちのカメラで撮影しているのだと思うが、あまりにもぐらぐら揺れ続けていて、見ているだけで船酔いみたいな状態になってしまいそうだった。
 ついでに登場人物が部屋の中で移動するのをカメラは追いかけているのだが、それもフレームアウトしたり、ぎこちなく揺れたり「これだったら俺の方が上手に撮影できるぞ」みたいな、素人が撮影したビデオカメラの画像って感じだった。

 もしかしたら、ヌーベルバーグを意識した、新しい時代を模索しているニューウェーブドラマなのかもしれない。と思って、ストーリーは全然解らないのだが、しばらく見てしまった。
 が、そのシーンが終わって、別の場所での話になった途端に、今まで見慣れている様な、なめらかな物になってしまった。
 じゃ、あのシーンを撮影したカメラは?

 普通、手持ちのカメラだとしても、プロ仕様の物は肩に固定できる様になっていて、さらにサスペンションが利いてある程度の揺れも吸収してしまう様になっている。
 ドキュメンタリーやワイドショーなんかでも、撮影するターゲットを追いかけて走っても、ほとんどブレずにちゃんと目標物を捕らえたりするでしょ。あんな状態になっている。
 ところが、一般家庭用のビデオカメラはそんなシステムがない為に(ブレを補正する機能付もあるけど)、走りながら以前に歩きながら撮影しても、ブレたりしちゃう。

 きっと何かの理由で、あんな一般家庭用ビデオカメラで撮影した様な画面になってしまったのだと思うが、その辺の理由などは解らないのだ。
1999年6月2日(水曜日)雨が空から降れば
 気がつけば6月になっていたりする。
 そんでもってあと1ヶ月で空から大王ラーメンの値段が下がってきて、人類は麺類になるらしい。
 ワケわからないけど、そーゆー事なのだ。

 あぁ梅雨かぁと思うのだが、私にはむち打ちという持病があって、この時期が一番つらい。さらに辛いまま「湿気+暑さ」が怒濤のように押し寄せる夏前半もかなりヘビーな状態になってしまったりする。
 あぁぁぁぁぁと、梅雨の声を聞くたびに思ったりするのだが、こればっかしは季節がぐるんぐるん回る日本ではしょうがない事なのだ。
 この雨どしゃどしゃの季節が訪れない事には、秋にお米が食べられないと言う、実に切実な話が待っている。日本に生まれた宿命なのだ。
 ばーろーと力無く、ぶつけようのない思いを抱えて私は生きていくのであった。

 
1999年6月3日(木曜日)カエルの歌が聞こえてくるよ
 なんか6月の声を聞くと同時ぐらいに、周囲の田畑からカエルの鳴き声がゲコゲコ聞こえる様になってきた。
 我が家はなんと言うか、すぐ隣などには稲作田畑は無いが、すこし行った辺りにどどーんと広がっている。
 そこ辺りから、夜といわず昼といわず。ゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコとエンドレステープなのか、レコードの針が飛んで同じ所を再生しているか、MIDIデータでエンドレスループをしたのかは判らないが、延々延々延々と続いている。これがまた、梅雨時のうっとおしさに拍車を掛けるのだ。

 このカエルの声で困らせられた事がかつてあった。
 今から10年以上前の事、私が一生懸命作詞作曲アレンジなどをして多重録音なんかをガシガシやって、いろいろなコンテストなどにテープを送っていた頃の話。
 ふつう、録音だとかって場合はちゃんとした望遠設備のあるスタジオなんかを借りるのだろうが、田舎すまいの私は夜になれば音なんかほとんど聞こえない様な場所に家があった為、自宅録音(通称、宅録)で済ませていた。
 で、基本的に一人でギターやらなにやらコーラスやらを重ねて録音する多重録音をメインにしていたのすが、これってのは録音を重ねれば重ねる程、雑音はテープ内に増えていくワケで、かなり慎重な作業が要されるワケですよ。
 しかし、それでも雑音が紛れ込んでしまうので、最終的に5重ぐらいの多重録音でバックに「シュワシュワ」という激しいテープノイズや、いつの間にかマイクが拾ってしまった遠くで聞こえる車の音などなど、細かいノイズが5重になって聞こえたりしている事になったりする。
 その辺は「ま、しゃーないな」と我慢しちゃったりするアバウトさんだったりするのだが、この季節はどーしようもない。
 多重録音でなくて1回の録音だけで、左右のマイクからステレオ状態でゲコゲコゲコゲコなどとカエルの大合唱が聞こえてくるよ〜だったりする。
 それを多重で録音すると、ハッキリ言ってメインで録音している音より、バックコーラスで聞こえる蛙の声の方が目立ってしまったりするのだ。

 うーむうーむ、と思いつつ、そのときのコンテストの締め切りが6月30日だったりするので「えぇぇぇい!しょうがねぇぇぇえ!杉村&カエルコーラス隊の歌を聴きやがれぇぇぇ!」と自棄を起こしながらテープを応募したりするのであった。

 そして、やっとカエルの季節が終わったと思う次の瞬間「シュワシュワシュワジィィジィィミィンミィン」と、カエルなんかとは比較できない程、派手で複雑なセミのコーラス隊が登場するのであった。
 で、その次の季節はリィンリィンガチャガチャと虫のコーラス隊が・・・・・

 結局、宅録には向いていない環境だって事っすね。とほほ。

1999年6月4日(金曜日)のほほんも大変だ
 大槻ケンジの「のほほん日記」を読んだ。
 大槻ケンジと言うとロックバンド「筋肉少女帯」のボーカルでありつつ、エッセイから小説から色々な事で有名だったりする。
 僕の大槻ケンジ歴は長くて、ナゴムレコードと言うインディーズレコードからデビューした時もリアルタイムで聞いていたし、大槻ケンジが有頂天のケラと「空手バカボン」と言うユニットでソノシートを出したのも持っていたりする。
 なんと言いましょうか、私もとりあえず80年代インディーズロックな人生を歩んでいた頃があります。今思うとかなり青臭いワケですが、当時はそれがカッコいいとか思っていたのでありますな。

 で、大槻氏は音楽分野だけでなく、文章の方面でかなり優れた文章書きだと思ったりするのですが、今回の「のほほん日記」はかなり辛い部分が多かった。
 この本は、90年代に雑誌連載と言う形で書かれた大槻氏の日記なのだが、その日記を読んでいると徐々に大槻氏の世界が変化していくのが判る。
 最初のバンドブームを引きずった90年代初頭から、徐々にUFO・オカルト方面にハマって、最終的には不安神経症になって病院に行ったりする姿が日記と言う形を借りたドキュメントになって描かれている。

 確かに、数年前の噂では「大槻ケンジは強度の神経症を患って人前に出れなくなったらしい」と言う物があったが、そんな感じなのかも知れない
 変な事を突き詰めて考えてしまうと言う意味では、自分も他人事ではないのかもしれないので、うーむと唸りながら読ませてもらった。

 なかなか、私の場合は日記と言っても「今日どこで何をした」的な日記を書いていないので、文面だけで私の変化を探る事は難しいかも知れないが、確かに1年前の自分とでは視線が変わってきているのが判る(あくまでも自分だけにしか判らないと思うけど)。
 そんなこんなで、1つの人間があらゆる影響を受けながら、徐々に徐々に変化していく姿の克明な記録なのだ、と思うとこの手の不特定多数の人に読んで貰う日記と言うのは、ある意味で凄い物なのかも知れない。
 いわゆる有名人が雑誌なんかに連載している物ではなく、1個人があんまし自覚の無いまま不特定多数の人に日記を読まれているという姿は、インターネット文化が生み出した新しい文学形態かも知れない。

 今は何も考え無しに書いているが、これが延々と続いていくと、自分の子供が将来読むかも知れないし、さらに孫も読むかも知れない。
 実生活でいくら偉そうな事を言っても、こんなにヘラヘラしている人間だってのがバレてしまったりするのだな。(あくまでも将来子供が出来た場合の話だけど)

 しかし、有名人が発表するつもりなく、自分の為の記録としている日記を死んだ後で、遺族とかが勝手に発表しちゃうってのは、マズいんじゃ無いかなぁとか思ってしまうっす。
 ジョンラスキンという大学教授をしながら文芸評論とか色々していた人なんか、死後日記を公表されて、それに毎日「今日も自爆した」などと、いわゆるオナニーした記録まで書いているのがバレちゃったり、街ですれ違ったかわいい女の子(ロリコンだと言うこともバレた)に勝手に妄想で手紙を書いたり、架空の会話をしていたりするのまで、公表されちゃっていたりする。
 なんか、死ぬ前にまでに処分できる物は処分しなくちゃね、って気にさせられちゃうなぁ

1999年6月5日(土曜日)何故カフカ?
 新潮文庫の「読んだ?」と言うキャンペーンで、文庫カバーについているマークを集めて送るともれなく点数に相当した物が貰える。
 とりあえず、2年ぐらい掛けてのキャンペーンらしいので、そんな事を言われなくても日々、文庫本をがんがん買っている私はそれなりの物を手にする事になると思う。

 しかし、夏目漱石や川端康成や太宰治なんかの顔写真が入った時計とか、コーヒーセットとか欲しいか?
 その当たる商品の写真がカタログ状になって文庫本に挟み込まれているのだが、果てしなく「いらない」と思ってしまうような物ばかりだった。
 夏目漱石が好きでも、川端康成が好きでも、太宰治が好きでも、それはあくまでも小説が好きなワケではなく、作家の写真が好きではないと思う。
 最近の作家では確かに「京極夏彦さまぁ」みたいなファンはいたりするが、やっぱし作家のファンだからと言ってもその写真を飾ったりしている人は少ないと思うけどなぁ。

   しかし、その顔写真入りのリストウォッチとかコーヒーセットとかに描かれている作家の中に突然「カフカ」が入っているのは何故だ?
 ヘミングウェイあたりなら絵になりそうな気もするのだが、あの神経を病んでいそうなカフカの顔写真のついたリストウォッチって、なんかディープに怖い。
 しかも、その写真の使われ方が画面いっぱいだったりするわけで、当然時計の針はカフカの顔のど真ん中にあってぐるんぐるん回ると言う事になっている。

 それでいいのか?

1999年6月6日(日曜日)江口森高・布袋今井
 ここの処、連続して「江口洋介・森高千里結婚!」とか「布袋寅康・今井美樹結婚!」とかって芸能ニュースが騒いでいたりする。
 何というか、どっちとも前々から噂になっていたカップルだから「衝撃の!」と言う感じではなく「あぁやっと入籍っすか」と言う感じだったりする。
 いたって平和な物なのだ。

 ここの処、大騒ぎになっているらしいミッチー対サッチーと言う、サンダとガイラも裸足で逃げ出す(元々裸足だ)二人の対決から、色々な処に騒ぎが飛び火しちゃっていたりするのに、うんざりしていた人々が一服の清涼剤として、このニュースを受け取ったんだと思う。

 しかし、布袋の方は結局、前妻の山下久美子との離婚も結局これなんだろうなぁとしか考えようながないので、色々複雑なのだ。
 その辺のあっちがくっついた離れたってのには、まったく興味が無いんだけど、布袋が離婚した直後に出したシングルで「君と出会えた事を幸せだと思うよ、そしてさよならを言うよ」みたいな事を歌詞の中で言っているのを聞いて「うげ」と思ってしまった。
 なんつーか、きれい事だよなぁ
 で、離婚から1か月ぐらいの頃、その曲がチャートに入っている頃、すでにハワイだかでバカンスを楽しむ布袋&今井が写真週刊誌にスクープされてんだもんなぁ
 ま、どうでもいいけどさ

 ついでに布袋関係で、よく「布袋のギターって巧いよね」と言う話を聞くんだけど、僕個人の意見としては「派手だけど、全然細部に神経の行っていないギター」と言う感じだったりする。
 つまり、巧そうに聞かせるテクは巧いって感じっす(こりゃ反論ありそうだけど)
 そんなワケで、2カップルお幸せに。

 しかし江口&森高の「妊娠2週間」と言うのが判明してしまう今の医学も凄いが、なんか「妊娠2週間」って思いっきり生々しくないか?

1999年6月7日(月曜日)メールマガジン『ひねもす本舗』
 いやぁ本当に突発的に始めてしまいますメールマガジン
 最初、どんなタイトルにしようかと考えた時に、去年の夏でストップしてしまった『たこやき便り』ってタイトルにしようかと思ったのですが、意味の無いタイトルにもほどがある、と言うことで「ひねもす本舗」にしたワケです。
 なぜ「本舗」なのか? というと「あんまし意味はない」と言う事だったりするわけです。

 ただYahooとかinfoseekとかの検索で「ひねもす」と言う検索を掛けると、どどーんといくつかのHPが該当したりするワケです。
 ま、純粋に「ひねもす」ってダケのHPはここだけみたいですが、それでも多くの俳句関係のHPがヒットしたりするのであります。これってのはタイトルが「ひねもす」だったりするから検索も当然の事ながら「ひねもす」で検索するしかないって事になっちゃうのであります。
 だったらタイトルを「ひねもす◎◎◎◎」としてしまえば検索で一発!と言う事になってしまうのだよな。と考えたのですが、とりあえず「ひねもす」と言う単純明快で、語感が間抜けで、HPらしくないタイトルで、それなりにインパクトありつつ腰砕けと言う事で気に入っていたりするので、改名もなぁと思っていたのであります。

 ヘタにインパクトのある言葉を「ひねもす」の後に付けると間抜けな感じを殺してしまう。などと考えて日々を送っていたのですが、ある日ふと「ひねもす本舗」と言う言葉を思いつき「あぁ相変わらず間抜けだ」と思ってしまったのであります。
 とりあえずHPのタイトルをどどーんと変える前にメールマガジンの名前から始めてみました。

 その時に思いついた別の名前は「ひねもす番長」だったりします。

1999年6月8日(火曜日)猿人老いるの交換
 すかかかかかかかかかかか・・・・とエンジンが唸った。
 どうもここの処、自動車を発車させようとエンジンを掛けると、そんな感じになってしまっているのだ。
 こりゃどう考えても「エンジンオイルの交換」ってやつをしばらくやっていないと言う事が原因なのだ。記憶の糸を辿って辿っていくと、どうも1年以上前まで遡ってしまうのだ。エンジンオイルってのは人によってはしょっちゅう交換していると言うたぐいの物で、これによってエンジンが潤滑に動き、過負担もなく快適に運転できると言う物なのだ。
 もっと言えば、ちゃんとエンジンオイルを交換していればエンジンの老朽化も防ぐ事が出来るので、長く快適に乗る事が出来る。

 そんな大切な物を私は完璧にほって置いたと言うことになっている。
 確かに、車に対してあまりにも無関心だと言うのは昔から言われているのだが、ガソリンも無くなってランプが付いて付いて・・・・と言うぎりぎりまで入れに行かないし、こないだも「あぁウィンドウウォッシャー液が無くなっている」と判明してから約半年そのままになっていて、遂に購入したのだが、ただボンネットを開けてタンクに買ってきたウォッシャー液を入れればいいのに、さらに3か月そのままで運転していた(ま、無くても問題は無いんだけどさ)。
 その他、いっぱいいっぱい車に対しては悪いことをして来たと思う。

 しかしエンジンオイルの交換は、ちゃんとしなくてはいかん。と言うことで、会社帰りに近所のオートバックスに立ち寄って「エンジンオイルの交換お願いします」などと頼んだのだ。

 作業自体は、ほんの10分程で終了して、店内放送で呼び出され車の処へ戻った。  「とりあえずエンジンオイルの交換終わりましたけど・・・・・・」と作業をしてくれた店員さんがこっちを見て
 「いったい前回エンジンオイルを交換したのはいつなんですか?」などと「ふんとにもぉ」てな表情をして聞いてくるのだ。
 「い・・・いつって・・・えっと去年の夏か・・・・な」と、とりあえず本当はもっと前だった様な気もするのだが、サバを読んで答えた。
 「ダメっすよ、もっとこまめに交換しなきゃエンジン壊れてしまいますよ」などとさらに「ふんとにもぉ」と言う表情で言われてしまった。
 「今回の交換は汚れまくったエンジンを洗浄するってぐらいの意味にしかならないんで、次の交換はなるべく早めに、普通より早めにしてください」などと言われてしまったのだ。

 私はひたすら「いやはや」と意味不明なジャパニーズスマイルをして説教を聞いているだけであった。

1999年6月9日(水曜日)『ひねもす本舗』始まりました
 そんなワケでメールマガジン「ひねもす本舗」が始まってしまいました。
 とりあえずこのHPの『メールマガジン』と言うコーナーでバックナンバーも読むこと出来たりしますが、登録してやって下さいまし。
 毎週水曜日の朝、お馬鹿なマガジンが届けられる事になっています。

 で、この「ひねもす本舗」は基本的に『現代用語の基礎的ではない知識』の新作を発表&投稿作品と言う感じで運営していきますが、それ以外の新ネタなんかも近々別冊と言う形で発表していく予定です。
 最終的にはHPの方に反映されていくモノですが、マガジンの方ではリアルタイムに動いていきます。

 そんなこんなで『現代用語の基礎的ではない知識』も新しい展開を始めたワケですが、思い起こしてみればこれを突然書き始めたのがすでに4年前の1995年12月20日頃と言うわけで(本格的に動いたのは1996年正月)かなり古い話なんですが、その時代はインターネットではなくパソコン通信上で発表を始めて、静岡の「片田舎通信社」と鎌倉の「ゆいネット」の二カ所で発表をしていたワケです(そこからいくつかの場所に転載されていったらしい)。

 で、その初期に「何故私がこの様な辞書を造り始めたか?」と言う文章をギャグとして書いて、ゆいネットで発表しようとした処、友人Kが「これって信じちゃうって言うか、そーゆー人だと本気で誤解されちゃう危険性があるから発表しない方がいいと思うけど」と指摘をされてしまった。
 うーむそうなのか・・・・と私は結局、発表しないでしまい込んでしまったのだが、メールマガジンを始めたついでに、その当時書いた「何故私がこの様な辞書を造り始めたか?」をここに全文掲載しちゃいます。
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【現代用語の基礎的ではない知識】とは?
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 リラビュニーがディキソニア宇宙計測法で調べた所、あと数年で地球が崩壊してしまうことは、もちろん事実なのです。でも慌てる事はありません。私の同朋であるパピット星の生き残り達が建設した巨大ステーションで地球人は全て助かるのです。しかし消滅してしまう運命にある地球の思い出を、森羅万象を記録して、後世にまで伝えようという壮大な計画の元に開始されたプロジェクトが【現代用語の基礎的ではない知識】なのであります。

 大局的な政治の話や、人類の大まかな歴史などはきっと科学的意味もあり多くの学者が記録していくと思われるのだが、一般市民の生活の中で交わされた話題などは歴史の荒波の中でいとも簡単に忘れ去られてしまうに違いない。我々の肉体が滅びて宇宙のエーテルと混ざりあった頃、あと数万年先に別宇宙(我々の言葉ではディビジジョンと言う)で生まれた人類の末裔がこの地球時代の人類の文献を調べた時に、歴史以外の歴史を知るために役に立つ物を・・・と言う意図の元に編纂されている物なのであります。

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【現代用語の基礎的ではない知識】の歴史
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 そうです、それは忘れもしない1995年の12月も押し迫った頃の出来事です。
 その日もいつもの様に会社から帰ってから、12月の初旬に購入したマックをいじっていた時でした。
 時間はそうですね、隣の部屋からニュースステーションのテーマが流れていたので、10時頃だと記憶しています。ちょうどマックでシーケンスソフトの「Vision」を開いた時の事だったんですが、突然頭の中にどこかで聞き覚えのあるような懐かしい声が響いて来たんです。
「やぁツーラデェリア。元気にしているか?」
 僕は最初まったくその言葉の意味が理解出来なかったのです。ツーラデェリアって何の事だ?僕は頭の中に話しかけてきた人に問いかけました。
「無理もない。君がチボリス(後に解った事なんですが、チボリスとは地球の事です)に移住してから随分たつからな。どうやらそっちの生活には慣れたみたいだな」
 とその声が僕に話しかけてきたのです。それから衝撃的な事をいくつか教えてくれたのです。

 僕の本当の名前はツーラデェリアと言って、地球から 138万光年離れた所にあるプレディアス星雲の中心にあるパピットと言う星で生まれたと言う事なのです。
 その星は気候も温暖で実に平和な星だったのですが、グルー隕石群の影響を受け磁場が狂い崩壊の危機にさらされたのです。そこで選ばれた3000万人が、移住の可能性を持った惑星に時空転送装置を使って移動してきたのです。僕もそのメンバーに選ばれてこの地球に移り住んできたと、彼(リラビュニー)は教えてくれたのです。

 僕は「これは真実だな」と直感しました。

 そして彼が次に語った事は驚愕に値いする事だったのです。
 彼は僕とは別の惑星(ザコディア星雲ビニア)に移住していて、そこで天文学を勉強しているそうなのですが、彼の計算によると1999年の7月に、以前パピットを壊滅状態に追い込んだ悪の権化グルー隕石群が地球に降り注ぐと言うのです。その言葉は真実だと思いました。

 そこで僕は何をすればいいのです?と聞いたとき彼は「今、ビニアの科学力を結集して、地球の全人類を収容できる巨大ステーションを急ピッチで製作している。それで1999年7月までに迎えにいくが、それまで君にやってもらいたい事は現在の地球の全ての事柄を記憶する巨大な百科事典を製作する事だ」と言うのです。

 最初はそんな膨大な事項を書き留める事は出来ない。と、拒否をしたのですが彼の真剣な口調に負けてしまいその日からありとあらゆる事項を書き留める辞典を作り始めたのです。
 それが【現代用語の基礎的ではない知識】なのです。

 私の様な思いで、地球滅亡の日までの残された期間の間に、仕事をしているパピット星人は少なくありません。先日も電車に乗っているとき前方に立っていた一見商社のサラリーマン風の男性に直感的に何かを感じたのです。
「ははん、彼も地球人のふりをしているパピット星人だな」
 私には判りました。ですから、他の人に気づかれないようにそっと彼に「あなたはパピット星人ですね?」とテレパシーを送ったのです。
 すると驚いたことに彼はまったく何事も無いような顔をして(他の人に悟られないように)そのまま外を見ながら「はい。私もパピット星人ですよ」とテレパシーを送り返してきたのです。
 私は確信しました。この大事業とも思える事を成功させようと。

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【現代用語の基礎的ではない知識】の取り扱いについて
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 世界の全てを記録している為に、それを利用しようと思えばいくらでも悪用が出来てしまう危険な【現代用語の基礎的ではない知識】なのであります。
 したがってナチスの残党には渡さない事を条件として転載OKです。転載ののち、テレパシー能力がある人は私を呼び出して下さい。いつでも感応出来るように待機しています。
 もしテレパシー能力が無い場合は、御面倒ですがゆいNET YUIXXXXX宛でメールを下さい。

って、信じるなよ。
しかし、本当にグルー隕石群なんてモノがあと1ヶ月後に地球に降り注いだらどーしよう。

1999年6月10日(木曜日)間違いは間違い
 あぁ創刊号は無事に発行できた。
 と、ほっとしつつ「でも1週間ってすぐ過ぎちゃうんだよなぁ」と、すでに第2号の編集に取りかかっていた。
 あとは、メールマガジンに対してどんな反響があるのか?ってのが楽しみだったりする。が、今までの私の経験で言うと、このHPでもそうだけど、来客数500に対して1つ反応があればいい方という感じだったので、創刊号は約300人と言う事で「ま、反響は無いと考えた方が後で落ち込まないからな」と思っていた。
 が、帰宅してメールを開いてみるとさっそく第1号感想が寄せられていたのであります。おぉ!

 >こんにちは。
 >(唐突ですが)インディーズ御三家の中にBACK-TICKが
 >入ってるのは間違いでございます。
 >正解はラフィンノーズでございます。

 ・・・・・・確かに思い出せばそうだった。
 しかし、第1号感想が「間違い指摘」と言うのも、実に杉村らしいって話なのだ。昔から私は多大な間違いを犯し続けてきた。あっちで文章を書けばタイプミス、こっちで文章を書けば誤変換、と言う違いだらけの人生を歩んできたのだ。
 あぁこれはちゃんと受けとめないといかんなぁ

 最近では、「HAPPY BIRTHDAY'S CLUB」の方でかなり間違いが指摘されていたりするので、色々大変な事になっている。
 あれのデータってのは基本的に文献・雑誌に載っている物をワシワシワシとメモした物を編集列記してあったりするので、おおもとになる文献に書いてあった物自体が間違っていたりすると、もうアウトなのだ。
 いわゆる二次的な情報なのでどうしようもない。

 最近は、特定の人名に付いて年表を書いたりしている。
 たとえば「福沢諭吉」とか、そして色々調べている最中に「HAPPY BIRTHDAY'S CLUB」内の出来事欄に「福沢諭吉」の名前があるかな? と、全文検索ソフト『検索犬ポチ』でだーっと調べさせると、同じ項目が二つの日付で登録されていたりする。
 なんてこった!と、文献を調べて行く内に判明した事が旧暦で書いて有る文献と、新暦で書いて有る文献があったりする。
 それを何も考えずに丸写ししていれば、そりゃ当然同じ出来事が二度登録されてしまうのだ。

 うーむ、と唸りながらも「でも間違いは間違いだからなぁ」と、再度出来事や誕生日をチェックし始める私であった。