杉村ぐうたら日記(1999年7月1日〜10日)

▲1999年7月1日:木曜日:おまちかね
▲1999年7月2日:金曜日:田中君にツッコンでもらう
▲1999年7月3日:土曜日:ついに買ってしまった
▲1999年7月4日:日曜日:温泉に行きたい
▲1999年7月5日:月曜日:心霊写真でゴー!
▲1999年7月6日:火曜日:ビールが飲みたい
▲1999年7月7日:水曜日:星に願いを
▲1999年7月8日:木曜日:調子悪くて当たり前
▲1999年7月9日:金曜日:気楽に行こうぜ
▲1999年7月10日:土曜日:カルピスはノド越し
1999年7月1日(木曜日)おまちかね
いやぁついに来ましたね。『1999・7』が。
って、最近の中学高校〜20代前半の人はあんまし「ノストラダムス」って知らないのかな?
先日も某所でそんな話題が出たときに、そこにいた24歳の女性が「何それ?」と言う状態になった。
確かに「ノストラダムスの大予言!」てな感じで大騒ぎのブームになったのが75年とかその当たりだったりするので、24歳だとハッキリ言って生まれた年の話題と言う事になる。
その後もとりあえず途切れることなく、その手の話題はどこかにあったが、その辺は興味がある人じゃないと知らない程度の話題だったのかも知れない。

ま、そんなワケでずっと昔フランスにいたノストラダムとかっておっちゃんが意味不明な詩をたくさん残して、それを五島勉とかっておっさんが「こっこれは大変だ!この詩の中には人類の未来が描かれている」と騒ぎだしたのが発端になっている。
それ以前から一部ではそんな事を言われていたんだけれど、とりあえずブームになってしまったのだ。
で、その中で「ヒットラー」がどうだとか「ケネディー暗殺」がどうだとかが予言されていた。と言う事になったのだ。
これまで起こった大きな事件はほとんど網羅されている。
そして1999年の7の月に恐怖の大王が降りてきて・・・・と言う一節に繋がるのだ。
なんだか、書かれている予言はどれもこれも起きてしまった事で、その元になる詩はあまりにも意味不明で「そう言われればそんな気がする」程度だったもんで、とりあえず信じなくちゃいかんてな感じになっちまったのだ。
ま、とりあえず「7の月」は今日から31日もあるんで、そのどっかで人類を脅かすような大事件が発生するかも知れない。少し期待しておこうかな。

しかし、それと同時に「ノストラダムスの大予言」で大儲けした五島勉が「これまで多くの人々を困惑させていた事をわびます。どうやらあの予言は外れていたみたいです」とあやまったと言う噂も聞こえてきたが・・・・
まだ、31日あるんだからさ、あせるなよ。

1999年7月2日(金曜日)田中君にツッコンでもらう
人は誰でも孤独では生きてはいけない。やはりギャグをかました時には上手にツッコンでもらいたいと願うのはみな同じだと思います。
ましてや、1人の部屋でTVを見ながら、その画面の中のタレントを見て独りコメントをいってしまった時に、誰もいないと寂しさがつのって来ます。
そこで「爆笑問題の田中君のツッコミ」をランダムにして貰うプログラムです。
寂しい時は、ツッコンでもらってください。
[使用方法]
寂しい時はクリック!悲しい時もクリック!怒った時もクリック!

なんか、的確なツッコミをされた時は嬉しい。

最近ちょっとジャバスクリプトを勉強中。やっぱ文系の人が理数系に入り込もうとするのは難しいや。
とりあえず現時点では42種類のツッコミが登録されていますので、『ビックリマン2000』のビックルマンシールを集める代わりに、42種類のツッコミをチェックしてやって下さい。

1999年7月3日(土曜日)ついに買ってしまった
前々から何度も何度も馬鹿にする様に書いて、激しく果てしなく鋭く否定をしていた。
まったくもって許せないよなぁとか書いていた。
ちったぁ物事を深く考え直したらどうだぁ?あぁ?などと、意味無く凄んで見せた事もあったと思う。
私にとってサッチーに対するミッチーの様に激しく鬼門的な物だった「携帯電話」と言うヤツ。
あれを、買ってしまったのだ。

以前から友人たちに「杉村だけが携帯電話を持っていないのでイザって時に捕まらない」と言う理由で、突っつかれていたのだ。
が、私は「せっかく自由になる休日に簡単に捕まってはなるものか」と言う理由と、これまで何度も書いてきた様な理由で携帯電話を持たずに生活をしていた。
不自由なんて全然なかったのだ。
基本的に電話もあんまし好きではなかったので、それでいいと思っていた。
が、周囲からの風当たりが強くなってきて、結局本日、バラ園の常務に連れられて携帯電話を登録・購入しに行くと言うことになってしまったのだ。

で、店に入って携帯電話がずら〜っと並んでいる処にいったのだが、これまでまったく興味が無かったせいもあって、どれを見ても同じに見えてしまう。そんでもってどのメーカーがどうのこうのと言う知識もまったく無かったりする。
まったくもって、どこから手をつけていいのか解らず、とりあえず手に取って「軽いっす」と、そのチャチですぐ壊れてしまいそうな携帯電話を確認するだけだったのだ。
うーーーーーーむ。

と、その時常務が「やっぱ買うンならJ-PHONEでしょ」などと横から意見をしてくる。
「そうなの?」
「とりあえず一番使いやすいよ」
などと言うのだ。超初心者の私は経験者の意見に素直に従うしかなかったりする。まったくもって従順な良い子なのだ。
で、その中から結局「1円」と言うバカみたいな値段の物を選び、契約することになった。

その帰り道の車の中で「で、さっき詳しく聞かなかったけどJ-PHONEってどこがどう使いやすいの?」と常務に聞いてみた処「あぁ俺の使ってンのもJ-PHONEなんだけどさ、J-PHONE同士だとメールのやりとりが出来るから」などと平然な顔をして言い出すのだ。
なぬ?常務とメル友になる為にJ-PHONEを選ばされたのか?

その後、別の知人に「なんでツーカーにしなかったんだよぉ」と怒る様に言われた。
で、何故ツーカー?と聞いた処「ツーカー同士の通話だと安くなるんだよ」と言う、凄く解りやすいお答えが返ってきた。

結局、どの携帯電話を選ぶのか?ってのはメーカー的な内容の差違ではなく、自分にとってメリットがあるかどーかなのだな。まったくもー。


▼その後の私
1999年7月4日(日曜日)温泉に行きたい
果てしなくダメ人間としての経験を積んでいる私は、突然「洗い流したい、この浮世の憂さを」などと思ってしまったりする。
ところが世の中はそう簡単に私の思うようには動いてくれないのは判っている。なんせ現に今も「憂さ」と入力したのに、ATOK君は勝手に「USA」などと変換して、素知らぬ顔をしていたりするのだ。「浮世のUSA」「サーフィン憂さ」と言いたいワケなのだな。

ま、そんなワケなのだが、温泉に行きたいと思っていてもそれ以上に行動力と言う文字が欠落してしまっている状況だったりする。
そのうちに行く。としか言えない。
で、やっぱし温泉に行くのなら露天だよなぁなどと思ったりもする。
あのスッポンポンでいながら、外気を触れて歩いていると言う状況は、ストリーキングさんでなくとも、やはり晴れ晴れと気持ちいいのかもしれない。

と言うところで、かつて社員旅行で行った温泉の事を思い出してしまった。
その某温泉は、何種類かの温泉があって、とりあえず私は「ジャングル風呂」などと言う名前の処に入る事にしたのだが、何がジャングル風呂か?と言うと、脱衣所からドアを開けるとほとんど「どこでもドア」状態で、ドアの先には階段があり、その下にはジャングルが広がっていた。
もちろん人工的な物だったが、その中をタオルで前を隠しただけのかなりオマヌケな状態で歩いていくと、そこかしこに温泉が点在していると言う状態だったワケっす。
で「へぇ」などといいつつジャングル風呂の中をうろついていると、さっき入ってきた階段があった。
「あれ?もう一周しちゃったか・・・」と思ったが、どうも違う・・・・。
なんと、そこは女性用の脱衣所の入り口で、入り口は別々で中で繋がっていたのだ。
うひゃぁぁぁと思ったが、やっぱし会社の旅行で来たわけだし、後々の事を考えると変な事は出来ないよなぁ
などと思いつつ、一緒に風呂に入ってきたヤツに「ここに隠れていたらばっちりだよ」などと、冗談のつもりで階段のすぐ脇にあった葉っぱが生い茂った場所に隠れる真似をした。
ところが、そこには1人のおっさんが既に隠れていたのだ。
そして目が合った瞬間「うへへへ」と不気味な笑い声を上げたりするのだ。
怖っ!

あの狭い草むらにスッポンポンであのおっさんはいつから隠れていたのだろうか?スケベと言うにはかなり根性入っているのかも知れない。
僕はその暗い情熱に恐れをなして、ジャングル風呂を後にした。

その後、女子社員に「あのジャングル風呂って入った?」と聴いたところ「入ろうかと思ったんだけど、脱衣所に『中は混浴です』って書いてあったから入らなかった」という答えが返ってきた。
あのおっさんはどれくらいの時間を無駄に過ごしたのだろうか。人生の厳しさを知った温泉であった。


▼温泉:実は・・・・
1999年7月5日(月曜日)心霊写真でゴー!
仕事関係で「心霊写真」を集めて検証した本をやった。
なかなか楽しい仕事っす。
小学校の頃、その手の番組がかならず夏休みの中旬、お盆の前辺りのお昼や3時頃のワイドショーで特集されて、それが放送されるって日は遊びにも行かず、じっと楽しみに待っていた物です。
と言っても、滅茶苦茶信じ切って、霊感があるとか言い出したり、ワケの解らない神秘系呪文にハマったりと言う事は全然なかった。
単純に漫画やアニメや特撮と同レベルで楽しんでいたのだ。
だから「怖くて夜寝られなくなった」とか言うのは子供の頃からなかったりする。

でもって今回の仕事の本は、心霊写真を集めて検証・・・ではなく、どうも全ての「ちょっと変な感じの写真」に対して全部まっこうから「心霊写真」と決めつけて、それぞれに「これは◎◎の霊です」などと解説をしている物だったりする。
うーーーーむ、と言う感じだったりするが、心霊写真を楽しむと言う場合、そこに書かれている編集人などの思いこみ度100%のコメントも楽しかったりする。

どう見ても、多重露光写真だったり、シャッタースピードの関係でブレていたり、ハレーション(乱反射)をカメラが受け取った場合だったりしているのに、毎回毎回「これは浮かばれずに死んでいった子供の霊です」などと答えていたりする。
ま、それぞれに違ったコメントを出さなくてはいけないんで大変だなぁとは思うが、かなり適当っぽいよなぁと感じてしまう。ほとんど「前世占い」に通じる「本当に確認できないからって適当な事言うなよ」状態。
よくあるパターンで、画面の片隅になにかワケの解らない黒い影が・・・と言うのは、多くの確率でカメラのストラップがレンズに掛かっていたり、指だったり、撮影者の袖口だったりすると思うのだが、激しく「これは自縛霊です!」などと断定しちゃっていたりするのだ。

中で「どうかんがえてもそうだろっっっ!」って爆笑問題の田中君みたいなツッコミをしてしまう写真は、写真が縦長位置のヤツで、それの片側に意味不明のボケた物が映っている。
って、カメラを通常の横長でなく縦長にした場合を考えてみると、撮影者は無理なポーズで撮影する事になったりします。
向かって右側を下にした写真の場合、当然シャッターなどは右側に来ます。
その時、通常のまま90度回転させて撮影するワケですが、カメラに添えてあった左手はカメラの上に来るわけです。
て、ことはその左手の袖口がカメラのレンズに掛かってしまう場合も当然あったりするワケで、そんなこんなが心霊写真を作るキッカケになったりするのかも知れないっす。

などと言いつつ、その手の写真は下世話な意味もあって好きです。


▼創作:事件の起こらない白雪姫
1999年7月6日(火曜日)ビールが飲みたい
こう暑い日が続くと、キンッと冷えたビールを一気に「ングングングング」と飲み干し「プッハァ」と激しく息をして「クゥゥゥ」と意味不明にうなって「やっぱこれだよなぁ、これの為に仕事してんだよなぁ」などと決まり文句を言ってみたい。
おつまみは枝豆さえあればもー何も文句は言わない。こじゃれたオードブル的な物なんか必要ない。
日本の夏は黙ってキンッングングプッハァクゥゥゥヤッパ!と枝豆で決定なのだ!
と言いたい!
言いたいのだ!
言わせてくれ!

と云うわけなのだが、実は私はビールが飲めないのであります。
別にドクターストップが掛かっているワケではない。とにかく飲めないのである。ビールどころか、日本酒も、ウィスキーも、ショーチューも、何もかもダメなのだ。
結局アルコールが飲めない人だったりする。
日本語で云うところの「下戸」と言う事になる。
飲まない人ではない、飲めない人だったりして、ビールをコップにワンフィンガー飲んだだけで「ご無体な、あれ〜ぇぇっ」と地面がぐるんぐるん回転し始め、地球は丸かったと云うことを実感してしまう様な人だったりするのだ。

だから、凄くビールが飲める人がうらやましい。
私の敬愛するエッセイスト、東海林さだお氏のエッセイなんか読むと、そりゃ美味しそうにビールを飲むシーンが出てくる。まさにングング状態なのだ、プッハァクゥゥゥって感じだったりするのだ。
ちきしょーとこの時ばかりは他人様を羨んだりしてしまう事になる。

このアルコールが受け付けないってのを完璧に知ったのは18歳の夏だった。
それ以前にも親戚が集まるような席で「おら、どーだ飲まねぇか?」などと、親戚のオッチャンに進められてチビッと飲んだこともあったが、どーもダメっすぐらいに思っていた。
18歳の夏、友人に誘われて飲みに行ったのだ。そこで自分がそんな人間だとは知らずに「おっしゃぁアルコールデビューだぁ!」とばかりにグビッと飲んだ。ありゃ?変よ?と思ったが、友人に「おらおら飲むのだ!」と勧められさらにグビッと飲んだ。結局瓶ビールを1本程度開けただけだったが、もう足腰が立たない状態。
車で家まで送ってもらったのだが「ま、最初はそんなもんだよ」と友人に云われ、そそそそそうしゅかぁぁ?とロレツの回らなくなった口で応えていた。

自宅に戻った自分はその夜、座っていてもどんどん地面が下へ下へ上へ上へと堕ちていったり上昇していったりと言う不安定な状態で、寝ていても頭の方が延々と下に向かって回転しているような変な状態に襲われ、全然寝ることが出来なくなってしまったのだ。
で、夜明け過ぎにトイレで大逆流を起こし、完璧に三白眼はぁはぁ状態の怪しい人に成り果てていた。
普通、一端吐いてしまえばあとは楽になると云われているが、それでも私の場合ぐるんぐるんな気分は直らない。さらに何度も大逆流が襲ってきて、夜が明けた時は胃の中はすっかりカラになっていた。
それでもぐるんぐるんは続いていた。
結局、酒を飲んだ翌日は1日中そんな調子で、当然食事もまともに出来ずに終わってしまった。
で、その時の体調が「ま、普通かな?」と言う処まで回復したのが約1週間後だったりしたのだ。夏休みだったから良かった物、それが学校のある時期だったら最悪だったかもしれない。

それからしばらくは知人達の「酒ってのはね、そーゆー経験を積み重ねていけばいくほど強くなるのだよ」と言う言葉を信じていた。
が、結局そのような苦行を乗り越えて悟ったのは「私は飲めない」と言う事だったのだ。
で、諦めてしまったから酒が飲めないって事に関してどーも思わなくなってしまったのだが、やっぱりこの時期になると毎年思うのが。

あぁぁビール飲みたい!!


▼視聴:踊るさんま御殿
1999年7月7日(水曜日)星に願いを
どうして「タナバタ」と「ドタバタ」は似ているのだろうか?
 どうして「タナバタ」と「タナボタ」は似ているのだろうか?

などと書いてみたのだが、実はちょうど1年前の今日書いた文章そのまんまだったりする。
いわゆる季節物ネタというのは、漫画なんかでもとりあえず押さえて置かなくてはいけないネタとして、季節ごとに登場する。
最近の延々と長い話を続けている様な漫画では季節は関係ないが、1話完結とかの話の場合は押さえなくてはいけない話だったりする。特に恋愛問題がからんだ物語の場合は。
しかし、人気連載になると最近は5年とか平気で続いてしまうんで、その毎年のシーズンネタも単行本で読むと、かなりツッコミどころが出てしまうのだ。
「4度目のクリスマスって、お前ら何年高校生をやっているんじゃい!」と言う事になる。その辺は「言わない話」として済まされてしまうのだなきっと。

しかし、こうやって延々と日記を書いていると、去年書いたネタなんて誰も覚えちゃいないだろうし、こんだけ量があると今更去年の日記は読まないだろうな、じゃ去年の丸写しでいいや、などと頭の左上で自分の顔をした悪魔がささやきかけたりする。
が、どうも伝言板を読んだりメールをもらったりする限りでは「やっと読破しました」とか「もうすぐ読破出来ます」などという、強者と言うか、激しく時間に余裕がある人(通称:暇人)と言うか、凄い事になっている。
こっちは、自分の書いたネタを忘れて何度も何度も同じ事を書いてしまっている様な気もするが、とりあえず「タモリほどしつこく繰り返していないから、いいや」などと安易に思ってしまっている。
いかんなぁ。
そんな事を「七夕」の夜に思った。
もっといろんな事も思った。
もっと自分は努力しなくてはいけないなぁと思った。
そして、田中君にツッコンでもらった。

1999年7月8日(木曜日)調子悪くて当たり前
梅雨が続いていると何度も書いてしまうが、むち打ちが激しく出て、どーしょーも無くなってしまうのだ。
だから思考能力が低下して、ぐうたら日記のネタを考える事が困難になって来たりする。でもってかなり弱気になってしまうのだ。

肩こり→頭痛→眼精疲労→奥歯をかみしめる為に歯痛→食欲不振→全身疲労
と激しく、肩の痛みってヤツが全身をむしばみ始め、さらに精神的にボロボロになって行く。
でもって、ワープロに向かって弱気な事を入力したりする様になる。

まったくもってダメな人間になっていく。
会社帰りに本屋に寄って、文庫本&漫画単行本などを購入するが、家に帰った途端に読む気力を失って、結局そのまま本棚に収まりすっかり忘れてしまう事が多くなる。
私の本棚(溢れているけど)には私が読んだことのない本が、小説・エッセイだけでなく漫画本も大量にあるらしい。
体力が回復した時には、退屈しない程の未読の本がある。

このやる気喪失感と精神力の持続不可状態が激しくなると、著しく根気の無い人に成り下がり、カップラーメンでも食べようかな・・・とふたをペリリと開けて、階下の台所にお湯を入れに行く。で階段を下りきった頃には「あぁラーメン食べたくない」と思いっきり気持ちが変わってしまっていたりする。
気持ちの斑(むら)が激しくなってしまうわけで、この時期は私は完璧に「杉斑」になっている。
などと「たったそれを云うために今回の文章を書いたのかい!?」と思われてしまう程、私の思考能力は停滞しているのであった。


▼今日のダメさ加減
1999年7月9日(金曜日)気楽に行こうぜ
なんか前日、ヘビーな事書いていますが、もっと気楽に行ったっていいじゃん。
などと今日は言い出したりする。
それをムラって云うだろうけど、いいのだいいのだ。も−どーでもいいのだ。
面倒臭いことを考えていると、人間的に面白くないヤツになってしまうぞ。もっともと無責任でいいじゃないっすか。

無責任と言うと植木等の主演映画シリーズを思い出したりしちゃうんだけど、あれはイイ時代だったよね。サラリ〜マンはぁ気楽な稼業ときたもんだ!と歌われている様な時代だからねぇ
と言うワケで、クレージーキャッツと云うとセットで思い出してしまうのが、先日まで都知事を務めていた青島幸男だったりします。
クレイジーの曲のかなり多くの作詞をやっていたりします。

こないだまでの青島氏を見ているとなんか痛々しくて、なんかやけに小さく見えてしまった(いつも以上に)
私の知っている青島幸男と云う人は、軽妙洒脱にトークをし、飄々と世間を渡り、ある時は放送作家、ある時は作詞家、ある時は文筆業、である時は「いじわるばあさん」だったりする様な人だった。
だから、云いたいことも言い出せなく言葉を濁している青島幸男は青島幸男ではないような感じがしていた。

で、都知事を石原慎太郎に譲り渡したあとの青島幸男はなんか、それまでとりついていた悪い物が全部堕ちたような感じで、気楽そうっす。
なんせ、かのヒット作「踊る大走査線」の第1話で織田祐二演じる青島刑事が登場したときの「都知事と同じ名前の青島です」と言う言葉を、雑誌の表紙で「湾岸署の刑事さんと同じ名前の青島です」とやっていたりする。
しかも青島刑事と同じ様な服装をわざわざして。
この辺の気楽さが味だったんだよなぁ

さらにフジTVがお台場で開催するフジTV博覧会のCMでは青島幸男が「博覧会を開催します!」と宣言するのだ。
これって青島幸男が都知事になった途端に決定した「都市博中止」の思いっきりなパロディだったりする。
このスタンスだよなぁ
確かに真面目な事を真面目に言わなくてはいけない場面はあるが、人間笑いとか自分さえも含めた全体をチャカス余裕が無くてはいけないと思うのだ。

いつか、横山ノックが大阪府知事を退職した暁には、青島&横山で漫才をやってほしいと思う今日この頃


▼今日のトンチンカン
1999年7月10日(土曜日)カルピスはノド越し
ここの処「カルピス」と言うと、カルピスウォーターしか飲んでいなかった(そんなにカルピスウォーターも頻繁に飲んでいるワケではないけれど)
で、ある日ふと気が付いたんだけど「カルピスって喉になにか残らなかったか?」と言う事だった。
まったくもってキチャナイ話だがタン的な物が残るのがおきまりだと思っていた。
が、カルピスウォーターを飲み始めて気が付いたのは「そんなのが残らない」と言う事だった。
その辺は果てしなく絶妙な水とカルピス原液のバランスでクリアできる物なのか解らないが、すっかり世間的には忘れられた存在になっていた。

で、先日「桃のカルピス」と言う物を飲んだ。
最近のジュースなどのテイストで流行と云うとこの「桃」と言う物がある。
ふ〜んと思いながら飲んだ。
で、驚いてしまったのだが、この桃のカルピスは残るのだ、ノドの奥に例の物体が。
なんか本来は歓迎しない状態なのに、久々に再開した為に「嬉しい」と思ってしまった今日この頃の私であった。


▼創作:事件の起こらない白雪姫2

▼疑問:白雪姫の王子様の性癖
▼恋愛とは交通事故の様なものである。
 した方にとっても、された方にとっても。▼