杉村ぐうたら日記(1999年8月1日〜10日)

▲1999年8月1日:日曜日:107th Summer
▲1999年8月2日:月曜日:絶対に悪用禁止!
▲1999年8月3日:火曜日:めざせるか? CGIマスター
▲1999年8月4日:水曜日:それは増加?
▲1999年8月5日:木曜日:換算すると・・・・・・
▲1999年8月6日:金曜日:吉田秋生・夜叉(1巻〜6巻)
▲1999年8月7日:土曜日:90年代総評
▲1999年8月8日:日曜日:となりの山田くん全集1・いしいひさいち
▲1999年8月9日:月曜日:通勤途上にて
▲1999年8月10日:火曜日:ノンフェロモン系

1999年8月1日(日曜日)107th Summer
 何が凄いかといって、双子のおばあさん「きんさんぎんさん」今日が誕生日で107歳なのだ。
 107歳ってね、あーた、あと1年半で21世紀だってこの時代に、19世紀生まれっすよ。
 来年で2000年、ミレニアムだとか云っているけれど、1986年に76年に1度やって来たって大騒ぎだった驚異の天体観測ショー「ハレー彗星」をすでに1回1910年に18歳で見ていたりするワケだし、第二次世界大戦どころか日清戦争以前に生まれていたりするワケっす。おいおい、凄いぞって感じ。
 しかもTVなんかに色々でて、その出演料を貯金してて(あんまし金使わないだろうしなぁ)インタビューで「きんさんぎんさんはCMなんかの出演料はどうしますか?」と聞かれた時に
 『老後の蓄えに』
 とナイスな答えをした人たちっす。すでに世間一般の老後の範疇を超えているちゅーねん。

 107年前と言うと、時代は明治25年(1892年)で・・・
 同級生の有名人には「芥川龍之介/作家」「堀口大學/詩人」「西条八十/詩人」「佐藤春夫/詩人」「ホーチミン/ベトナム政治」なんて云う完璧にすでに『歴史上の人物』になってしまっている人たちが並んだりしている。
 同じ年に日本初の日刊新聞「東京日日新聞/現在の毎日新聞」が創刊されて、日本初の水力発電所が完成して、ロンドンで初めてのミュージカルが上映され、現代式ルールのボクシングが初めてアメリカで開催され、北里柴三郎が伝染病研究所を開設したり、うーむ、歴史的に凄いっす。

 私なんか彼女たちにとったら「若造」なのだろうな、なんせその「若造」の親さえ彼女たちに掛かったら「若造」なのだろうから。
 自分なんかふと考えてみると、実にあせっているような感じで日々を過ごしているような気がしちゃうのだ。自分の父親がかなり若い段階で無くなっていたりするので(自分が1歳の時)、高校の頃から「父親の死んだ年齢まであと何年」みたいな、変なカウントダウンをしていたと云う事もあった。つまり自分がもしその年齢で死んだとしたら、その残された時間の中で何が出来るのだろうか?何を残せるのだろうか?とか云うのをずっと考えていた部分がある。
 だから物を創ると言う事に関して、いつもガツガツしていたのかも知れない。
 つまり、物を創ると云う行為によって遺伝子を残したいと思っていたのかも知れない。人間的な遺伝子ではなく、クリエイターとしての遺伝子。
 とか云いつつ、いつの間にか自分は父親の年齢を飛び越して、それでも生き続けている様になった。
 しかし、身に付いてしまった「物を創り続けていないと不安になる」と言う脅迫観念的創造力は未だに続いていたりする。

 以前は「きっと自分も早死にするんだろうな」みたいな漠然とした気持ちがあったが、今はまったく逆で「そンだったら100歳まで生きて『父親の100回忌』の法用でもやってやろうかな」と言うことだったりする。
 普通は100年目の法事って直接の関係者なんて1人もいなくなって、あくまでも形式的に(やらない場合も多い)行われたりするのだろうが、自分の父親の100回忌を出来るヤツはそういないと思うのだ。
 それを実現する日まで死んでたまるかってんだ。
 それまで、この日記も続ける予定ですから、あと70年後の日記に乞う御期待を!!


▼購入:いがらしみきお・たいへん もいじーちゃん
1999年8月2日(月曜日) 絶対に悪用禁止!
 とある男性向け雑誌をパラパラめくっていたら『ガラナトリプルセブン』と言う、最高級ブラジル産ガラナの実から抽出した催淫エキスの宣伝広告が掲載されてあった。
 なんつーか、昔からよくきく「酒に1・2滴たらすだけで女性はメロメロ」と言う、ンなばかな状態の物の宣伝広告。
 昔はよく云われていたのは目薬を・・と言う物だったが、噂は聞くが本当に利いたと言う話は聞いたことが無い。と言うか、それ以前にそんなことを本気にして試したヤツって話をきいたことがなかったりする。
 ま、自分の友人に「ただヤリたいだけ君」がいないから聞かないだけかもしれないけれど。

 で、その『ガラナトリプルセブン』の広告なのだが「ガードの固い女もイチコロでなびく即効性が人気!」だとかで、「紅茶やコーヒーに数滴入れるとたちまち下半身が疼きだし、どんなガードの固い女もイチコロでなびくスグレモノ!合成添加物なしの100%自然食品だから安心」などと書かれていたりする。
 まったくもー「スグレモノ!」って突然カタカナで書く辺りが、やりたい盛りのすっとこどっこい心をくすぐるのでしょうか?
 しかし意味無く「合成添加物なしの100%自然食品だから安心」てのも凄いなぁ。合成添加物が入っていないから安心、100%自然だから安心って、トリカブトの毒だって合成添加物入っていないし100%自然だっての。
 この手の「興奮剤」と呼ばれる物の正体は結局、心拍数を高める効果があって、いわゆる恋愛した時と同じような状態に持ち込む事により・・・と言うのが原点にあったりする。
 よくジェットコースターなどに乗った後も恋愛と同じ様な興奮状態に置かれる為に、その後の告白は効き目があると云われているのと同じなのだ。精神的にドキドキしているので勘違いして「この人の事を好きかもしれない」と思いこんでしまうと言うのだ。
 で、この手の薬もそうなんだけど、自然食品だろうと何だろうと、結局は意味無く強制的に心拍数をあげる効果があるワケで、心臓が弱い人なんかはヘタすると心臓発作を起こしてしまう可能性もあると云うので、激しく危険なのだ。
 まさか、コーヒーやアルコールに注入する前に「ねぇキミって心臓疾患とかある?」なんて聞く紳士はいない(紳士はそんな事しないけどさ)。

 でもって、この手の広告におきまりの愛用者の体験談ってのが掲載されている。

 だとさ。
 しかし、お前はいつもそんな物を持ち歩いていたのかぁぁぁぁっ!!
 でも彼女は「前から」って云っているんだから、それって薬のせいではないような気がするんだが・・・・・

 そんでもってこの広告の下の方には『絶対に悪用禁止』と赤い文字で書いてあって、コーヒーにスポイトで液体を垂らしている写真が掲載されている。
 おいおい、悪用禁止って・・・・
 と思ったのもつかの間、その『絶対に悪用禁止』の注意書きのすぐ下には「気付かれず、使いやすい、スポイトタイプ」などと、いったい何が云いたいんだ、どっちが本心なんだ!?と言うワケの解らない文章が書いてあったりするのだ。
 背反二律っつーワケっすね。

 しかし、この手の「モテナイ君救済グッズ」ってのは雑誌広告でとぎれることなく見かけるけれど売れているのかな?
 まカツラ関係もそうなんだけれど、あとはペンダント・お守り系も必ず雑誌には掲載されていたりする。
 以前(もう3年ぐらい前か)に「ぐうたら日記」で書いてあるけれど、本場イタリア人の天然フェロモンを抽出した香水と言うワケの解らない物もあった。天然物のイタリア人っすか?それ以前に人間のフェロモンはまだ科学的に解明されていないんじゃ無かったのか?

 で、それの体験談はどれもこれも「試したら、その途端にモテモテ君」と言うのがおきまりなのだが、それって「よぉぉぉし!」と意気込んで購入し試したのにまったく効果が無かった場合、どうすりゃいいの?
 モテなくて寂しい思いをしていた人が、意を決して誰にでも効果があるハズの物を試して、その結果、まったく効果が無いってのは、立ち直れない様な気がするんだけど・・・・。

 しかし、実際に買ったと言う人の話は聞いたこと無い。
 あ、買っても誰にも言えないか・・・・・・


▼不買:買ってはいけない
1999年8月3日(火曜日) めざせるか? CGIマスター
 そんなワケで日々HPの再構築をシコシコとモクモクとハァハァゼェゼェとやっている杉村だったりします。
 本当に再構築をしようと思って、元データを分解してワッセワッセやっている最中のHP消滅だったりしたので、急遽!急遽!と言う感じに、アップ出来る処から慌てて再アップしているという感じだったりする。
 HAPPY BIRTHDAY'S CLUBの方はHPエリア容量さえ確保すればこっちの物だ!と言う感じで突き進んでいったりしていますが、あとは「現代用語」なんかをしっかりと、作りなおさなくてはいけないと思っている。
 初代の「現代用語」は、実に新作を追加登録するのが面倒くさかったと言う欠点があった。その為に、新作を発表しても、それを反映させることが遅々として進まなかったのだ。
 その辺も、徐々にであるがクリアしつつある。

 で、今一番問題なのが掲示板なのだ。
 HP消滅以前に使っていたあのシンプル極まりない物でもOKだとは思うが、とりあえずもっと遊びたいと思って、フリーCGI掲示板の『YYボード』と言う物を「
KENT WEB」と言うHPからダウンロードして「HAPPY BIRTHDAY'S」のエリアに設置しようとした。
 えっと・・・・・エリアの一番表面部分にアップロード・・・・・・、でもってパーミッション??
 と言う処でまず止まってしまった。
 何々?そのCGIに対してアクセスできる人を規制する事の命令?なんだかよく判らないが、自分がアップロードに使用している「Fetch3.0.3J2」と言うソフトを調べてみると、たしかにパーミッションと言う設定がある。
 なんだなんだ、あるじゃないか。と安心して、CGI設置の為のマニュアルを読むと「フォルダのパーミッションを777にする」などと書いてある。
 「777?」
 自分の使用している「Fetch3.0.3J2」にはパーミッションと言う項目があるのだが、そこには「777」がどーしたこーしたと言う項目がない。
 パーミッション設定を開くと
> ファイルとフォルダのpermission設定
>
>       読む 書込 検索/実行
> オーナー:  □  □  □
> グループ:  □  □  □
>  全 員:  □  □  □

 と言う物が出てくるのだが、それがパーミッションの「777」と、どーつながるのか全然判らない状態になっていたりする。
 とりあえず新しく契約したHPエリアの「big net」に「YYボード」のデータをアップする。
 が、当然の事ながらそこから「yybbs.cgi」と言うのを開いて見ようとしてもエラーになってしまうのだ。
 そこでストップ。
 ううううううーむ、と唸ったまま夜は更けていくのであった。

 この話は、長くなりそうなので『たこやき便り』の中に新しいコーナーとして「杉村CGIへの道」として、しっかり書きます。
 初心者と言うには、あまりにもコンピュータ知識のなさすぎる。文系一直線の男に果たしてCGIが設置出来るか?と言う難題に挑みます。
 と書いていますが、現在(1999.8.3)まったくワケの判らない状態でその作業はすっかり止まっています。きっとプログラムがどーだこーだ、CGIがどーだこーだ、ジャバスクリプトがどーだこーだと言う方には「何馬鹿な事言ってんだよ、ンなのも出来ねぇのか?」と言う状態かもしれませんが、「ハイその通りです」
 なんと言っても、まず質問しようにも、それ以前の状況の私がここにいる。
 そんなワケで、「えぇぇいジレったい!そこはこうやるンじゃい!」と教えてくれるかた、ご指導下さい。
 あるいは「私も全然判らないのよ、初歩の初歩の少し前が」と言う方も、メールください。一緒に勉強したいっす。
 とりあえず、掲示板さえ自力で設置できない馬鹿な私。
 日々精進あるのみなのだ。


▼CM:カップラーメンのCM
1999年8月4日(水曜日)それは増加?
 いわゆる「雑学大作戦」などと銘打って『知泉』なんてページを作っている。
 元々、雑学関係の本とかが好きで、目に付くたびに買ってきたりしているうちに、色々と疑問を感じるようになって来て『知泉』と言う状態で記録することになった。
 いわゆる雑学の本に「これの語源はこれだぁ!」と確信を持って書かれている事柄が本によって違っていたりする事が少なくない。それは複数の雑学本を読み渡っている人なら気づく問題なのだが、1冊2冊読んだだけだと複数の説が存在しているなんて事に気が付かずに、その説の中の1つを「決定!」と信じてしまっりするのだ。
 それを複数説があるのなら複数書こうじゃないか、と思っていたりするワケですよ『知泉』では。 

 と言う事は以前も書いた。
 で、未だに文庫本なんかで「雑学」とか「語源」なんてタイトルに入っている物を見つけてしまった場合は購入してしまう。かなり条件反射的に購入してしまうのだ。
 そんなわけで、今我が家にはその手の「雑学」やらのネタが書かれている文庫本がざっと見ただけで50冊以上はあると言うとんでもない状態になっていたりする。(しまい込んである文庫本も大量にあって、我が家には全部でどれくらいの本があるのかは誰にも判らない謎になっている)雑学文とよばれる物だけでも、最近発行されている物だけでなく、約20年以上に渡って発行されてきた雑学本が山積みされていたりするのだ。いったいこの人は・・・・・・って自分で思ってしまうけど、しょうがないのだ。
 で結局、丸々新刊を1冊読んでも初めて読んだネタと言うのはかなり少ない。いわゆる使い古された雑学ネタだったりする。
 それは当然で、巻末なんか読むと「参考文献」として数多くの「雑学本」の名前が列記されていたりするのだ。結局、知識のたらい回しかい!てな感じ。

 そんなこんなで今日もセブンイレブンのラックに『思わず人に教えたくなる雑学館(1)』と言うのを発見してしまった。で、何も考えずに購入。
 そして、会社の昼休み時間にほけぇっと読んでみる。
 むむむむむ、私はひじょーに驚いてしまったのだ。
 それでいーのか?そーゆーことなのか?と思ってしまったのだ。

 なんと、その雑学の本は↑上記の様な文体で書かれていたりするのだ。「なのだ」文体なのだ。
 しかも「そう言う」を「そーゆー」などと表記したりしている。むむむ、これじゃ「ひねもす本舗」並みの説得力の無さではないか?などと、知識を配給する本なのにそれでいいのか?などと思ってしまった。
 で、さらに困った事に、軽薄な文体はもっとエスカレートしていくのだ。
 なんせ「有名」と言う単語まで「ユーメー」などと表記しちゃっていたりする。これはさすがに私でも書かない。なんせ「有名」と言う単語はちゃんとした単語で「有名」と言う漢字表現もあったりするからなのだ。
 私が「そーゆー」などと表記する場合は、基本的に喋り言葉の中で勢いづけだったり、感情表現的に使用したりする。
 が、ユーメーって表記は・・・・・・お前は嵐山光三郎か? それでEのか?すばらCとでも思っているいるのでRか?
 さらに追い打ちをかけるように「増加のイット」などと言う表記まであった。
 そこまで行ってしまうと、最初サラッと読もうとした時に意味が理解出来ないぐらいにクダケすぎた表現だと思うぞ。なんせ「増加の一途」と言うのはほとんど熟語だからなぁ
最初は「増加の it」と言う英語混じりの言葉だと本気で思って考え込んでしまったのだ。
 そんなわけで、「なのだ」文体を使う人間として、ちょっぴり自己反省を含めて、こんなブンショーを書いて見たのでR。


▼雑学:使い回しの雑学

▼PS:杉村所有の雑学本
1999年8月5日(木曜日)換算すると・・・・・・
 なんかねぇここ数年「何んでも鑑定団」の影響なのか、とにかく「あれこれがレア物でいくら!」とか、その手の情報が雑誌なんかに掲載されたり、周りでも「これって非売品だから値段上がるんじゃねぇか?」みたいな会話がされていたりする。
 かなりの頻度で。
 たしかに大昔も、男の子達の趣味の中にテレカ以前に「切手集め」と言う実に地味で味わい深いものがあった。
 ワケのわからない外国の蝶々が図案化されたものから、王者として『月に雁』『見返り美人』なんて物があって。1枚ン千円だとか、シートで持っているとン万円だとか、そんな話題で盛り上がっていた。
 ま、資本主義の基本的な部分なのだ。
 金持っていた方が勝ちってのは。

 しかし、最近その手の話は食傷気味で「クワガタ虫捕まえたけどこれいくらで売れるかな?」とか、なんか「どっかで聞きかじってきた金儲け話」に便乗しようとか、一生懸命セコイ金儲けにせいを出している人々がいる。
 確かに金はあるに越した事はないと思うのだが、なんか、すぐ金の話に持ち込もうとする人々を見て、カッコ悪いと思ってしまう自分がいたりする。
 その「カッコ悪い」ってのはあくまでも自分の中の美意識の部分だったりするので、他人と比べてどーのこーのとか、他人に強要するたぐいの物ではないのは十分承知しているから、嬉々として小金儲けの話に乗り乗りになっている人には言わないが・・・・・・カッチョ悪りぃ。

 なんか、最近の欲望をストレートに表現してしまうわかりやすさってのは、いったい何なのだろうか?思いっきりみんなラテンフレーバー全開って感じがしちゃう。
 武士道ではないけれど、なんか個人的にはストイックに生きる事に美意識を求めてしまうので、非常に生きていくのに厳しいなぁと感じてしまう夏の日なのであった。


▼納涼:日本の夏・稲川の夏
1999年8月6日(金曜日)吉田秋生・夜叉(1巻〜6巻)
 日頃あんまし「少女漫画」と言う物に触れる機会は多くない。
 だが例外的に吉田秋生の漫画が好きだったりする。
 彼女のかく作品は少女漫画と言う枠から完璧に飛び抜けている。と言うか、少年漫画誌にもここまで物語をカチッと構成して、淡々と理路整然と話を進められる漫画家は少ないと思う。
 自分が最初に吉田秋生にハマったのは「カリフォルニア物語」で、それも連載第1話から姉貴の買ってきた雑誌でリアルタイムに読んでいた。
 この作品は吉田秋生の出世作で、70年代当時としてはカラーページで先進的にエアブラシを使用していたり(かのコブラの作者・寺沢武一より早く)、少女漫画とは思えないキャラクター設定。などなど、かなり異様な作品だった。
 さらに、たぶん長期連載を考えずに連載を始めた作品ぽく、その物語の進む方向がまったく見えずに、それが逆に作品中の70年代のベトナム戦争終了後の荒廃して明日の見えなくなった若者達のアメリカ、やけに明るく乾燥しているのに精神的にはヘビーな物を抱えたカリフォルニアというムードが濃厚になっていた。
 まとまった作品として読み直した時には、完成度は疑問視してしまうけれど、その作品の空気感に打ちのめされた。
 その後は単行本で「桜の園」「吉祥天女」「BANANA FISH」「ラバーズキッス」とリアルタイムで単行本が出るたびに購入してきた。
 自分の中のフェイバリット漫画家(ゴロが悪い言い方だけど)としていわゆる女性向け雑誌に書いている人では「吉田秋生」&「吉田まゆみ」と言う二人の吉田が存在している。
 で、現在雑誌で連載している「夜叉」なのだが、最初の単行本を購入した頃から色々と忙しくて購入したけれど読む機会がなかった状態で、結局読まないまま6巻まで買っていた。
 そして、今日HP再編集にいい加減疲れてベッドにごろりと横になったのだが、精神的にハリ詰めていたせいなのか眠れない。で、この「夜叉」を読んでいないって事を思い出して本棚から取り出してきて、ベッドの上で読み始めた。
 結局、6巻を一気に読んで(まだ完結していない)「やっぱ凄いわこの人」と言う感じだった。この緊張感の持続はなかなか出来るもんじゃない。
 「BANANA FISH」も凄い作品だったが、「夜叉」にはストーリーとしてのダイナミズムがある。どう展開していくのか判らなかったりする。
 果たして少女漫画雑誌の中でどの様な評価を受けているのか判らないが、これは騙されたと思って読んでみるべき作品だったりする。


▼交通:開かずの踏切

▼天気:傘が無い
1999年8月7日(土曜日)90年代総評
 某ラジオでパーソナリティとゲストのアーティストが90年代の音楽について語っていた。
 そのアーティストはいわゆる最近出てきたアコースティック系で少しR&Bテイストの曲を得意としている様な人だった。
 あくまでもR&Bテイストであって、R&Bでは無いので要注意なんですが。

 で、90年代もあと半年で終わってしまうワケですが、振り返ってみて音楽的にはどうだったんでしょうか?などと云う話になって「やはりね」と言う答えが返ってきて、それに対してパーソナリティのお姉ちゃんも同意していた。
 その予想していた通りの答えとは
 「90年代って音楽的には何も無かった時代で、結局昔の音楽の焼き直しばっかりだったですね」
 「確かにサンプリングと言う音楽形態が確立された時代ではありましたよね」
 「結局、振り返って見たときに何も残っていないっていうのが90年代の音楽シーンだったんじゃないかな?」 などと語っていた。
 私は、そんな話をする前の段階から「90年代の音楽を」と言う段階でそんな答えが返ってくるのは判っていた。
 なぜならば、そんな答えを何度も聞いてきたからなのだ。

 「90年代の音楽は過去の焼き直し、やっぱり80年代はちゃんと新しい物を創ろうって意識がありましたよね」
 と言う答えがあるが、約10年前の1980年代の末に交わされた言葉は
 「80年代の音楽は過去の焼き直し、やっぱり70年代はちゃんと新しい物を創ろうって意識がありましたよね」
 と言う答えが返ってきていたのだ。
 80年代はクズ、その前の時代はよかったよね。
 で、実はそれからさらに10年前の1970年代末にも
 「70年代の音楽は過去の焼き直し、やっぱり60年代はちゃんと新しい物を創ろうって意識がありましたよね」
 などという意見がラジオや雑誌などで交わされていた。
 ちょうどその頃僕はやっと音楽に目覚めていたので、その辺の意見を聞きながら「そうだよなぁ60年代はビートルズを始めとして色々なジャンルの音楽が誕生して、日本でもGSからポップスから凄い時代だったんだよなぁ、それに比べて70年代はそれの焼き直しで、貧乏くさいフォークが流行ったり、何も考えていないような安易なディスコソングが流行ったり、俺もあと10年早く生まれて来たかったなぁ」などと考えていた。

 それの10年前はさすがに知らないが、ヘタすりゃそんな事が言われていたかもしれない。
 ちょうど70年と云えばビートルズが空中分裂解散をした年だし、大學の学園紛争もなし崩し的に収束してしまった頃だったんで「60年代の音楽ってダメだよね。フラワームーブメントとか色々メッセージを呈示したけれど、結局は役に立たなかったし、結局の処ビートルズの音楽だって50年代のポップスやロックの焼き直しで、それにレコーディングの技術力が助けてくれたって感じだからねぇ」などと云っている人がいたかも知れない。
 その証拠に70年代の初期には50年代のロックのテイストを持った曲やグループがいくつか出てきている。

 「90年代の音楽はクズ」と云っている人は、きっとあと10年後「2000年代の音楽ってクソだね、それに比べて1990年代の音楽は良かったよね」などと云っているに違いないのだ。

▼書過:書きすぎな私

▼読書:TPぼん・藤子F不二雄
1999年8月8日(日曜日)となりの山田くん全集1・いしいひさいち
 例のアニメの原作です。
 とりあえず最初に出た単行本でひとそろえ持っているハズなんですが、どっかにしまい込んでしまって見あたらないのでついつい購入。
 で、読み直してみると「やっぱ、いしいひさいちって凄いわ」
 いわゆる4コマ漫画と呼ばれている物は、どうしてこんなに?と思うほど面白い物が少ない。
 新聞連載物なんて、ただの新聞紙面のジャマでしか無かったりして、さらに4コマ漫画専門雑誌なんて物を、我が家に来る友人が時々持ってきて読み捨てていったりするので、チラと読むのだが、これが拍手をしたくなる程面白くない。
 これを楽しいと思って読んでいる人がどれくらいいるのだろうか?
 確かに、こうやって毎日何かしらの文章を書いて、それなりに笑って貰おうと思っていると「毎日ネタを考えるのはキツイ」と言うのは判る。判るが、あまりにも面白くないってのが正直な感想なのだ。
 が、やっぱり、いしいひさいちは別格だよなぁと思ったりする。
 実は、今から20年ほど前、4コマ漫画のブームを作ったのがこのいしいひさいちなのだ。
 「バイトくん」「がんばれタブチくん」と言う作品で、一大ブームを起こし、アニメ映画も大ヒットし続編まで作られた。(しかも主題歌の作曲&編曲が大滝詠一)
 さらに今上映されているアニメとは違う「おじゃマンガ山田くん」と言うTVアニメにまでなった(現在のちびまる子ちゃんが放映されているフジ日曜夕方枠)
 ついでに云うとTV版の方の舞台は東江戸川にある「山田荘」と言うアパートが話の中心になっていて、それを管理しているのが「山田よしお」で、今回のアニメ映画に出てくるお父さん「山田たかし」は、そのアパート経営者の実弟と言う事になっているのだ。
 でもって奥さんと子供二人と、奥さんのお母さんと同居していたりする。

 でもって、いしいひさいちの凄い部分の1番は、現在書かれている多くの面白くない4コママンガの基盤を作ったと言う、功罪があったりするのだ。
 それまでの4コママンガと言うのは、マンガの描き方などの本では「起承転結を勉強するよい方法です。ストーリー漫画をいきなり書くのではなく、4コマ漫画で起承転結を身につけましょう」などと云われているような物だったのだ。
 と云ってもその手の古い「漫画の描き方」の本はストーリー漫画と言うのをあんまし頭に入れていない時代の物だったのだ。
 で、いしいひさいちと言う漫画家はその「起承転結」の様式美を簡単に壊してしまったのだ。
 さらによく書かれていた「オチを言葉で説明したり、ダジャレで終わらせるのはいけない事です」などと云う不文律を壊してしまったのだ。
 「漫画は絵で見せる物です。最終的には1つも字がない状態で4コマ漫画を書けるようになれば完成と言えます」などと書いている本もあった。
 それに反するかの様に、いしいひさいちの漫画は字であふれている。
 背景なんて書くスペースなんてまったく無いほどに字が書かれていたりする。
 それを当時僕は「凄い」と思って圧倒的に支持したのだ。

 が、その後出てきた多くの4コマ漫画家がこの手法を当たり前だと思い使い初めてから、すべてが終わった。
 なんつーか、元々のネタが面白くないのだ。で、さらにそれを表現する手法を知らなかったりする。なんか「川は低い方に流れていく」って事なのだな。

 しかし、お笑い5年説と言う物があって、芸人にしても、漫画家にしても、人を笑わせる物を作り続ける才能ってのは毎回身を削る作業の為に5年程度でカラカラになってしまう。と云われている。
 現に漫画家などの場合、純粋にギャグ漫画を書いていた人は5年も待たずに消えていった。
 お笑い芸人も純粋に創作ネタを5年も続けている人はあまりいない。

 そんな中で、すでに20年以上第1線で書き続けているってのは凄い事なのだ。
 もちろんハズしているネタもいくつもあるけれど。


▼日記:最近まじめだね

▼視聴:笑っていいとも・増刊号
1999年8月9日(月曜日)通勤途上にて
 月曜日と言うことで、なんかやる気が起きない気分(月曜に限らないけど)にムチ打って出勤する。
 ボクは自家用車通勤なんだけれど、最近ふと「通勤の途中が味気ない」と感じていた。漠然と感じていたので最初はその理由が判らなかったが、結局それは「通勤途中に女子高生がいない」という現実だった。
 あぁそうなのだ。別にどーこーしようって気持ちは無いのだが、通勤途中に女子高生が歩いていたり、チャリに乗っていたりする姿は、一服の清涼剤、人生の糧、目の保養、回春剤、仕事への活力源、とそこまでいかないが、悪いものじゃなかったのだ。
 それが気が付くと、朝の通勤途中にそんな姿がほとんど無くなった。
 あるとすれば、朝練に出かけるヤケに逞しく健康的と言うにはあまりにも野生的なハード系運動部所属の女子高生と言う感じだったりする。
 自転車をこぐ力は自動車を上回り、肩幅はそこらのヤサ男よりガッシリしている。ワッセワッセとそこまで親のカタキの様に全身を使って自転車をこがなくてもいいじゃねぇかと言う感じで登り坂道もスピードを落とす事無く走り去っていく。
 なかなか、今日も朝からヘビーなのだと言う感じになってしまう。

 そんなこんなもあるのだが、もっと嫌になっちゃうのが通勤の車がいつもに比べて少ないって事だったりする。もー快適に渋滞せずにスイスイ行けちゃうのだ、嬉しいねぇ、これも夏休みで多くの人が休みで、いつもの人数が朝早くから走っていないおかげだね、まったくもー夏休み様のおかげだね、ちきしょーっ!


▼類似:林真須美がインタビュー?

▼躊躇:レゴブロック
1999年8月10日(火曜日) ノンフェロモン系
 世の中にボヨヨ〜ンでウッフ〜ンでアッハ〜ンが好きな人が多いと思う。
 いわゆるフィロモン系の女の人の事なのだな。
 いわゆるムチムチいいケツしてまんなぁネエちゃん、てな人の事が好きな人は多いと思う。
 その図式は単純明快、だってボクちゃん男の子だもん。だと思うのだ。

 色々な所で会話をしていて、いつしかそーゆー話題になって藤原紀香がどーしたこーしたって話になったりする。あとよく名前を知らないグラビア系タレントとかの話になったりする。
 みんな生き生きと話をしていたりするのだ。
 が、そーゆー輪の中に私は入っていけない事が多かったりする。
 なんと言うか、その手のフェロモンまき散らし型の女性ってのが苦手だったりするのだ。なんか基本的に「どうだぁ!」って云う姿勢で生きている人が苦手で、男でもパワーだけで周囲をかき回して自分勝手に生きていると言う人が苦手だったりする。
 それと同じように「女の武器完全装備戦闘態勢OK火炎放射器スイッチON」みたいな人は見ているだけで疲れてしまったりする。

 その辺はタダ単純に自分の好みでしか無いんだけど、フォロモンドどばどばってのは苦手で、あえて云うならば「フェロモン全然」と言う人が好きだったりする。
 変な話なのだが「フェロモンを感じさせない」と言う要素に「フェロモンを感じ」ちゃったりするのだ。
 なんつーか、化粧っ気が無かったり、無造作な服を着ていたり、そーゆー部分に色気を感じてしまうというのは、一般的な尺度から云ったら変な性癖なんだろうなぁ。
 でもって、その手のノンフェロモン系の女の子が、珍しく友人なんかの結婚式とかで頑張って化粧をしてビシッとキメたりすると、やっぱし綺麗だよねとは思うが、なんか画一化されて個性をあんまし感じなくなっちゃったりするのだ。
 難しいヤツだな俺。

 でもって、普通の女の子でもいわゆる「好き好き光線」を目から飛ばしてウッフンてな感じですり寄ってくると、気持ち的に逃げてしまう自分がいたりする。
 難しい話なのだが、その手の「こっち向いてフェロモン」ってのもかなり苦手なのだ。
 難しい話だなぁと自分でも思ってしまうのだが。


▼子供:橋を架けよう

▼盗作:パクリのパクリ
 ▼かき氷を食べて 頭がキーンとなる −3点▼